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元寇と高麗

過去の海外からの侵略
元寇は朝鮮半島を経由
無礼と威嚇の国書
返書案に見る日本人の気概
避けられなかった戦争
属国の運命を高麗に見る
朝鮮半島の日本侵略拠点
高麗の三別抄からの書
日本、蒙古、の情報収集活動
後の高麗王、侵略開始を進言
高麗、戦艦大小九百艘を造船
忠義の高麗
壱岐・対馬の無残
とりあえず年表

海外と幕末そして明治

日本にペリーが来た頃、世界を見渡すと
アヘン戦争、アロー戦争
日本人が香港・上海で見たものは
薩 英 戦 争
馬 関 戦 争
人種差別と明治維新
ロ シ ア と 朝 鮮






日朝の交際歴史の補填資料
1377年〜1867年

公貿易、和館、正統癸亥約條
干支のみの年号と公文書
西洋船撃退の書
八戸順叔の言を問う
米国に調停の申し出
隣国懸念と幕府使節
流言に惑わされるな
幕府使節はお断り

以下工事中

 

 

明治開化期の日本と朝鮮(1)
慶応2年(1866)〜明治7年(1874)11月

日本との交易と侵略拠点
仏米と幕府使節と流言
明治政府、朝鮮へ親書を送る
礼儀にかなっていないと受け取りを拒否
朝鮮の対日交渉術
日本国内で朝鮮に対して怒りの声が
儒教の差別思想・華夷秩序
人道無視と日本への貿易制限と誹謗中傷
朝鮮通信使と儒教的価値観
朝鮮政権内の対立・大院君と閔氏一派
日朝交渉と内政干渉

明治開化期の日本と朝鮮(2)
〜明治8年(1875)7月

対話と圧力
仏米の艦隊と朝鮮軍
日本政府の内諭
雲揚・第二丁卯の派遣
朝鮮側の日本軍艦への認識とは
圧力にすらならなかった日本の軍艦
朝鮮の破約と事実上の絶交
朝鮮開化派の苦悩

明治開化期の日本と朝鮮(3)
〜明治8年(1875)11月

江華島事件(雲揚号への砲撃事件)
両国交際三百年
砲撃事件報告及び談話集
探水か測量か
江華島事件への歴史認識さまざま
風説と怠慢が過剰反応と誤認をもたらした
江華島事件のみならず
戦争の危機
江華島事件と釜山草梁の人々
日本も対応に慌てていた
木戸孝允の意見書
砲撃事件よりも重大なこと

明治開化期の日本と朝鮮(4)
明治8年12月〜明治9年(1876)2月

特命全権大使派遣を決定
和交を結ぶことただ一点
黒田艦隊、江華府に向かう
水深測量と給水
江華島に至るまでの接待いろいろ
打ち明け話・開化派の苦悩そして希望
民族国境を越えた「人間」たちの姿
儀仗兵、軍楽隊、ガトリング砲の行軍儀式

明治開化期の日本と朝鮮(5)
明治9年(1876)2月

日朝両大臣の会談
冒頭で国交を緊密にすることを確認
雲揚号への砲撃事件について
書契問題について
日朝条約締結に向けて
条約案、大筋で合意
批准の署名押印をめぐって
日本両大臣、断然帰国を表明
朝鮮側の懇請に応じて4日間帰国を延べる
条約調印と謝罪文なる

明治開化期の日本と朝鮮(6)
明治9年(1876)2月

干戈を以って是に当たらず
朝鮮政府の謝罪文(正式)
強要した? そう簡単に言えない真実
国王署名押印の件
日朝修好条規 いわゆる「不平等な」条約について
日朝両国による条約の検討の詳細
どこがどう不平等なのか

 

明治開化期の日本と朝鮮(7)
明治9年(1876)4月

江華島事件について
ここまでの簡単なまとめ
条 約 締 結 余 話
日本が朝鮮に求めるもの
上下貧困、至急繁盛の市を開く時にあらず


 

明治開化期の日本と朝鮮(8)
明治9年(1876)6月

朝鮮修信使来る
「清道」「巡視」の旗について
陛下への拝礼は朝鮮式で
日本の文明開化を見る
朝鮮国旗いまだ定まらず
釜山における初めての近代医療
   ・ 付録 朝鮮は清国の属国である

明治開化期の日本と朝鮮(9)
〜明治9年(1876)8月

宮本小一外務大丞、朝鮮国京城に行く
日本人が見た朝鮮国の風俗・風景
再び医療を行う・東莱府で
陸路、京城に行く
京城に至る道路事情
井戸、泉水について・宿泊、休憩施設
糞と牛骨が散乱する王城市街
建物について・風呂場と便所
護衛朝鮮兵の様子・食事のことなど
味付けについて・酒について
膳台や食器など・米について
茶らしいもの・菓子について
夏でも氷がある・官妓の舞
風景名物に乏しく見物を嫌う
草木について・田園地帯
市場、産物・一般民家
庶民の姿・衣服について
雨具など・家畜 馬、牛、豚など
獣類・細工物・朝鮮国旗のルーツ
製紙・気候と風土病
国の腐敗・朝鮮政府の接待全般について

明治開化期の日本と朝鮮(10)
明治9年(1876)8月

日本による朝鮮近代化への働きかけ---社会、科学、地理、医学、法律、軍事、外交
耳目を覆う国に新聞を寄贈する
旧憲(古い掟)を守ることが国体
近代化には程遠く
人もよかれ 我もよかれ 人より我がなおよかれ
あっさりと修好条規文を無視
朝鮮国王に謁見
文化の国?
礼儀礼節の国?


 

明治開化期の日本と朝鮮(11)
明治9年(1876)8月

条規付録と貿易章程の締結に向けて
協議の次第概略
「米の輸出入」をどう見るか
朝鮮米は対馬の死活問題
変通の方法を試むべし
飢餓を放置する朝鮮
宮本小一の方針
米穀についての協議
朝鮮の方が積極的だった

明治開化期の日本と朝鮮(12)
〜明治9年(1876)9月

釜山の港は開港して久し
貿易規則は異議無し
合意困難の対立点
沿海岸測量について
貨幣の流通に関して
貿易と関税
歪んだ歴史認識

明治開化期の日本と朝鮮(13)
〜明治11年(1878)5月

釜山に管理官を置く
釜山へ医員を派遣する
郵便船の中止と復旧
花房義質代理公使、京城に行く
コレラ発生
恐るべき飢餓大国
朝鮮、開港に応じず
国のプライドと属国根性
日本、朝鮮の文書を斥ける


 

明治開化期の日本と朝鮮(14)
〜明治12年(1879)1月

日本、朝鮮の条約違反に怒る
朝鮮、一方的に関税を取る
交渉と威嚇
外交官の朝鮮人観
朝鮮の国情を報告する
  貿易の景況やや増進
  韓銭、金銀、穀物について
  貿易不振の要因
  日本人蔑視感情とその原因
  国腐敗し人民塗炭の苦にあり
  人民誰か国のために死を軽する
  真の教育は行き渡らず
  交わらざるを得ない国なのか
  この醜悪物の断然破解を

明治開化期の日本と朝鮮(15)
〜明治12年(1879)11月

度重なる条約の無視
日本人、暴行を受ける
投石を受けざる者無し
東莱府使に抗議する
長引く開港交渉
元山津は開港、仁川は不可
朝鮮軍、軍艦鳳翔を見学す
漢江洪水、釜山コレラ
居留地にも軽犯罪法を

明治開化期の日本と朝鮮(16)
〜明治13年(1880)10月

日本、友好の品を贈る
総領事、領事、警察
元山津開港、人民凶暴の地
米国政府、朝鮮との修好を求める
朝鮮いまだ開国せず
修信使来日、第2回目
経費自弁、無利子借金
再び日本の近代化を見学す
種痘と「池錫永」
弁理公使花房義質として
いまだ書契問題は解決せず
花房義質の寛厳
オマーンで一服

明治開化期の日本と朝鮮(17)
〜明治14年(1881)6月

天皇陛下の国書を手渡す
議論沸騰、国内騒然
仁川開港談判
重層の開化派
もうひとつの顛末
開化派の朝鮮別技軍

明治開化期の日本と朝鮮(18)
〜明治15年(1882)6月

朝鮮紳士の日本遊覧
第3回修信使と関税交渉
修信使全権委任状を持参せず
とりあえず協議だけでも
交渉を拒否したのは朝鮮側
貿易ようやく盛んに
不逞日本人の跋扈も
元山津貿易の景況
関税を定めるために京城に
朝鮮の開国と混乱
日本人僧侶ら強盗殺害に遭う

明治開化期の日本と朝鮮(19)
明治15年(1882)7月

朝 鮮 事 変
死者14人負傷5人
東京打電、英国公使もまた動く
清政府も動く

明治開化期の日本と朝鮮(20)
明治15年(1882)8月

生死不明者の行方を求めて
大臣と要人たちの生死
開化派が語る事変の経緯
大院君の通達
嘘とごまかしの大院君
尹雄烈の慨嘆
乱の首謀者
その後の釜山、元山、仁川
花房公使、再び京城へ
このページのまとめ

明治開化期の日本と朝鮮(21)
明治15年(1882)8月

弁理公使花房義質への訓条
一貫した日本政府の方針
清国の干渉をめぐって
山縣有朋の意見書
近藤書記官、仁川に先着
仁川府での検死
艦船結集する済物浦
花房、遷延の策を斥ける
明治丸の金玉均
このページのまとめ

明治開化期の日本と朝鮮(22)
明治15年(1882)8月

花房公使入京す
国王に謁見し要求書を渡す
大院君との対決
謝罪の意思なく要求にも応じず
公使断然京城を去る
清国の内政干渉
黒田全権派遣時との違い

明治開化期の日本と朝鮮(23)
明治15年(1882)8月

朝鮮の全権大臣来る
要求の確定と承諾
賠償金などのその後
条約の締結なる
京城での日本人死者の検死
検死体から伺える朝鮮文化
英国艦隊が元山津に来港
このページのまとめ

明治開化期の日本と朝鮮(24)
〜明治15年(1882)9月

大部隊の清兵
日本人葬儀
清兵、乱党を誅す
兇徒の捕獲と罪状
花房公使の判断
処刑執行
花房公使ほか陸海軍、帰国する
朝鮮修信大使も明治丸に
調印の条約と続約
条約の万国公法上の問題点
英米公使、祝辞を贈る
朝鮮政府、反日を禁じ善交を通達
国王、日本兵借用を申し込む

明治開化期の日本と朝鮮(25)
〜明治15年(1882)12月

朝鮮事変について
林泰輔著「近世朝鮮史」によれば
王妃閔氏が語る壬午事変
閔氏政権の腐敗
高宗王妃の閔妃について
臣、皇帝に大院君の赦免を陳情
エピソード様々
仁川開港
高宗、日本陸軍演習見学を望む
京城近況
清の内政干渉著し
日本党、支那党、頑固党
事大の醜怪

日清戦争前夜の日本と朝鮮(1)
〜明治16年(1883)2月

竹添進一郎弁理公使、京城に
ようやく近代化への態勢が
近代化を阻む貧と風習
朝鮮一高給取りの朝鮮人
日本党の朴泳孝
京城での清提督との関係
竹添が考察する日清朝
清韓貿易章程について

 

日清戦争前夜の日本と朝鮮(2)
明治16年(1883)2月〜明治16年7月

日朝間に海底電信を通す件
鬼面の竹添進一郎
在留日本人取締規則を制定
行歩規程罰則を設ける
人材登用の門戸を開く
日本党少しく勢いを得る
西大門火薬庫の爆発
公平の人モルレンドルフ
井上馨と金玉均との談話
開化派の金玉均について

日清戦争前夜の日本と朝鮮(3)
明治16年2月〜明治17年(1884)11月

元山、釜山の騒動
公使館護衛兵の半減
貿易関税規則を制定
犯罪の漁民取扱規則
鬱陵島から日本人を送還
西洋館の日本公使館
朝鮮人、陸軍戸山学校に入学
朝鮮、郵便事務を設置
朝鮮政府内での軋轢
清国の対日観と朝鮮への指導
「朝鮮策略」について
駐京清兵の半減
脚気患者に小豆と麦の試験給与
国王に賠償金贈呈を告げる

日清戦争前夜の日本と朝鮮(4)
明治17年11月〜明治17年12月

明治17年朝鮮事変
竹添、済物浦から報告
朝鮮京城事変始末書から


日清戦争前夜の日本と朝鮮(5)
明治17年(1884)12月

書簡問答
仁川居留地にて
各国公使の調停
竹添公使、仁川に留まる
さすが中華の本家
竹添、京城に戻って談判す
千歳丸の出港について

日清戦争前夜の日本と朝鮮(6)
明治17年(1884)12月

竹添公使への尋問
清政府の事変始末書
捏造、風説、想像に基づく
竹添公使の覚悟
再び開戦の危機
フランス政府、援軍を申し込む
清韓、態度を硬化
国内世論と新聞記事

日清戦争前夜の日本と朝鮮(7)
明治17年12月〜明治18年(1885)1月

井上馨外務卿の派遣
再び独立問題を問う
独立を認めざるを得ず
急遽2大隊を派す
井上馨の辣腕
全権金宏集との談判
締結の約書
談判への闖入者
呉の誤算

日清戦争前夜の日本と朝鮮(8)
明治18年(1885)1月〜明治18年2月

論争文の撤回
仁川で葬儀再び
大尉殺害犯の処刑
朝鮮乱党処分
日本政府の事変総括
約書告示と朝鮮使節来日
清国談判に伊藤博文

日清戦争前夜の日本と朝鮮(9)
明治18年(1885)2月〜明治18年4月

事変処理と清政府
日清談判と各国の思惑
伊藤大使、天津・北京に
清政府の事変総括
日清両巨頭の談判
榎本武揚と李鴻章
伊藤大使、要求を通す
薬局店主殺害事件と井上角五郎
天津条約と照会

日清戦争前夜の日本と朝鮮(10)
明治18年(1885)4月〜

明治17年朝鮮事変について
磯林大尉の不在
事変の責任所在
「日使来衛」の国王親書について
天津談判と条約について
謝罪しない中国への憎悪
再び靖国神社に合祀す
日本兵の軍法会議
混迷する朝鮮と三履六蘖
財政の困難と売官爵
呉大澂の人材提案

日清戦争前夜の日本と朝鮮(11)
明治18年(1885)6月〜

もう一つの日清会談

巨文島占拠をめぐる危機
李鴻章への提案 非公然たる日清合同の朝鮮国指導
天津会談 露韓密約、巨文島、朝鮮内政、金玉均
天津会談 露国の虚喝、井上論文、指導提案
李鴻章の心変わり

日清戦争前夜の日本と朝鮮(12)
明治18年(1885)7月〜

済物浦条約は依然として有効
日清両国、朝鮮から撤兵する
西洋諸国の常識と露国
朝鮮の風聞と金玉均
東アジアの安定と障害
大院君の帰国
錯綜する情報
大阪事件
仁川・京城の捜索
居留区全滞在者の調査
仁川、京城、釜山間に電信線

日清戦争前夜の日本と朝鮮(13)
明治19年(1886)3月〜

日本人取締規則の改正
朝鮮政府、刺客池運永を派遣
朝鮮人と日本官憲
金玉均に国外退去を命じる
金玉均の不満
仏国公使、引取りを申し出る
もはや抑留執行すべし
公力行使す
国内事情と金玉均
その他エピソード

日清戦争前夜の日本と朝鮮(14)
明治19年(1886)8月〜

長崎事件
清国水兵騒乱の顛末
脊髄反射の李鴻章
北京総署の照会
日清両国の調査委員会の発足
政治的決着に
条約も、実力の前には空しく
今度こそは日本を一撃せん
日本朝鮮両国通漁規則の交渉開始
不当なる十一条のはずだが

日清戦争前夜の日本と朝鮮(15)
明治20年(1887)7月〜

朝鮮国、欧米諸国へ使節派遣
金玉均、北海道に
伝染病侵入予防仮規則
代理公使近藤真鋤の報告から
清国、国旗を定める
朝鮮国人火薬製造方等伝習方の件
朝鮮国王、出迎の儀式を渋る
清国北洋艦隊の示威行動
鹿屯島関係
この頃の朝清露関係
清国の不明

日清戦争前夜の日本と朝鮮(16)
明治23年(1890)5月〜

均衡の模索
青木周蔵個人の意見ではあるが
神位と宮廷椿事
朝鮮に於ける鉱源探究
月尾島に石炭貯庫設置
仁川居留地の拡張
空中飛行器械発明の件
朝鮮国へ留学生を派出

日清戦争前夜の日本と朝鮮(17)
明治24年(1891)5月〜

ビゴーの風刺画について
大津事件、駐露公使の報告
津田巡査尋問調書
家族知人の事情聴取
震撼の日本政府
皇室外交
刑法116条を適用できず
津田三蔵処分
露国の反応

日清戦争前夜の日本と朝鮮(18)
明治24年(1891)〜26年(1893)

在京城日本公使の病没
世子宮(純宗)王位代理の件
朝鮮国内情困難の件
大院君の乱の残党処刑
大院君爆殺未遂事件
防穀令賠償問題始末
朝鮮金鉱山の実態
淹滞する公務、累積する未決事案
朝鮮の貨幣鋳造事業

日清戦争前夜の日本と朝鮮(19)
明治26年(1893)

東学党乱の起因
朝鮮乱民と清兵と日本人
金玉均暗殺
神戸から上海へ
金玉均渡来並に暗殺の件
洪鐘宇への取調べ
大越上海総領事代理の見方
李鴻章の得意
朝鮮政府の反応
清国政府に交付

日清戦争前夜の日本と朝鮮(20)
明治27年(1894)3月〜

朴金暗殺同時テロ
日本人激昂と政府方針
清国軍艦で朝鮮へ
死後凌遅の刑
洪鐘宇処遇と大院君
逮捕者処分
暗殺事件について
その他後談
日本人その国民性

日清戦争前夜の日本と朝鮮(21)
明治27年(1894)5月〜6月

東学党の巨魁全琫準との問答
清軍派遣の経緯
日本の世論
日本政府の反応
日本軍派兵を決定
属邦を保護するの旧例
帝国陸海軍への訓令
招討使ら奮戦す

日清戦争前夜の日本と朝鮮(22)
明治27年(1894)6月

大鳥公使入京
大軍の発動
陸奥と大鳥の議論
撤兵せずに改革を
公使館内不一致
朝鮮政府と大言壮語の袁世凱
国王夫妻の関係

 

日清戦争前夜の日本と朝鮮(23)
明治27年(1894)6月〜

清政府、日本提案を拒絶
開戦止む無し
再び朝鮮の国情報告
西洋各国の思惑
再び清国の不明

日清戦争前夜の日本と朝鮮(24)
明治27年(1894)7月

改革案を朝鮮政府に提言
朝鮮改革について  朝鮮改革の意味
朝鮮政府やる気なし
各国各様外交錯綜
老人亭会議、仁川港中立問題
清国政府、主戦論に向う
英国の調停工作続く
事実上の最後通牒
英清、朝鮮分割占領を提案

日清戦争前夜の日本と朝鮮(25)
明治27年(1894)7月

大鳥公使の決心
電信線、鉄道、新港の要求
大宴会と兵力使用通告
京城での小戦闘
大院君への説得
ついに大院君入闕する

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修正追加など

 
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     

 

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