露国動向資料

 

 

 

(「明治27年7月2日から1894〔明治27〕年7月23日」p24、()は筆者。)

外務大臣陸奥宗光殿
        露国全権公使ヒートローウォー

千八百九十四年七月九(ロシア歴)[廿一(日本暦)]日

 以書柬致啓上候。本国政府より本使へ訓令中、貴国が朝鮮に対し要求するところの譲与は、果して如何なるものなるやを確め、且如何なる譲与たりとも、苟も朝鮮が独立政府として各国と締結されたる条約に違反することあるときは、有効のものと不相成ことを貴国政府の注意を促す旨、申来候。

 露国政府に於ては将来無要の紛紜を避けんことを望むに外ならずして、真に友誼の意に出でたることは、貴国政府に於て御承知相成候事と希望致候。右御通知旁茲に重て閣下に向て敬意を表し候。

 

 

(「明治27年7月18日から明治27年7月27日」p35)

電受四九四号
明治二十七年七月二十四日午後十時二十分発  七月二十六日午前十一時三十五分接

陸奥外務大臣   在露西公使

 露国政府は本使が屡々力を尽して論弁するにも拘らず、我が清国に対する動作は、殆んど戦を挑むかの如く強傲に過ぎ、朝鮮に対しては其の独立国各体面に対し、余り侮蔑したるものなりと思えり。故に我に対する露国政府の意向は次第に宜しからざる方と成り行けり。
 露国政府の見る処にては、我が提出の改革案は朝鮮に於て実行出来ざるべければ、是れ則、朝鮮国を我権威の下に屈服するの口実たるに外ならず。
 露国政府は、朝鮮の国状は現在の侭[スタチュークラー]変改することなきを望みおれり。故に目下の事態何様に移り行くとも露国政府は右の方針を執るならん。

 是則ち露国公使より要請ありし所謂なり。

 

 

(「明治27年7月22日から1894年〔明治27〕年8月4日」p12、13から要約。)

8月2日発 4日接
          第4号  在露 西公使
 東京陸奥外務大臣

 露国外務省機関新聞セイント・ペテルブルグ新報は、朝鮮事件に関して初めて論文を載せ、結論として露国政府の意思を次のように述べた。

「極東地域の巨大な利害に最も適するよう、朝鮮国の政治上の自治を保ち、速やかに平和的解決となることを希望する。」