日清戦争下の日本と朝鮮(13)
(参照公文書などは1部を除いてアジ歴の史料から)

 鹵獲した巨大戦艦鎮遠の修理。この後日本海軍に配属された。写真中央より甲板上の人物からその大きさが測られる。不気味に光る船首の巨大なラム(衝角)が凄い。
「旅順大舩渠内鎮遠号の修理  囲、矩形等の白線は、弾痕修理の部を指示する為めに描けるものなり。 明治二十八年五月六日撮影」

 

 

平和恢復の詔勅

 明治28年(1895)4月18日、伊藤陸奥両全権は広島に帰着し、天皇の行在所に参内して復命。明治天皇は両大臣の労をねぎらい20日には条約に批准。翌21日には、以下の「平和恢復の詔勅」を発せられた。

(御署名原本・明治二十八年・詔勅四月二十一日・清国ト講和ニ附キ将来ノ所嚮ヲ明ニス)

 四月廿一日 詔勅

 朕惟うに、国運の進張は治平に由りて求むべく、治平を保持して克く終始あらしむるは、朕が祖宗に承くるの天職にして亦即位以来の志業たり。
 不幸客歳清国と釁端を啓き、朕は止むを得ずして之と干戈を交え、十余月の久しき結びて解くる能わず。而して在廷の臣僚は陸海両軍及議会両院と共に咸能く朕が旨を体して朕が事を奨め、内に在ては参画経営し貲用を給し需供を豊にし防備に力め、外に在ては櫛風沐雨祁寒隆暑に暴露し百艱を冒し万死を顧みず旭旗の指す所風靡さぜるなし。出征の師は仁愛節制の声誉を播し、外交の政は捷敏快暢の能事を尽し、以て能く帝国の威武と光栄とを中外に宣揚したり。
 是れ朕が祖宗の威霊に頼ると雖も、百僚臣庶の忠実勇武精誠天日を貫くに非ざるよりは安ぞ能く此に至らんや。
 朕は深く汝有象の忠勇精誠に倚信し、汝有象の協翼に頼り、治平の回復を図り、国運進張の志業を成さんとするに切なり。
 今や朕清国と和を講し既に休戦を約し干戈を戢むる将に近に在らんとす。清国渝盟を悔ゆるの誠、已に明にして帝国全権弁理大臣の按定せる条件克く朕が旨に副う治平光栄併て之を獲る。亦文武臣僚の互に相待て全功を収めたるに外ならず。祖宗大業の恢宏今や方に其の基を鞏め、朕が祖宗に対するの天職は斯に其の重を加す。朕は更に朕の志を汝有象に告げ、以て将来の嚮う所を明にせざるべからず。
 朕固り今回の戦捷に因り帝国の光輝を闡発したるを喜ぶと共に、大日本帝国の前程は朕が即位以来の志業と均く猶お甚だ悠遠なるを知る。朕は汝有象と共に努て驕綏を戒め謙抑を旨とし、益武備を収めて武を涜すことなく、益文教を振て文に泥むことなく、上下一致各其の事を勉め其の業を励み、永遠富強の基礎を成さんことを望む。戦後軍防の計画財政の整理は、朕有司に信任して専ら賛籌の責に当らしむべしと雖も、積累蘊蓄以て国本を培うは主として億兆忠良の臣庶に頼らざるべからず。若夫勝に狙れて自ら驕り慢に他を侮り信を友邦に失うが如きは、朕が断じて取らざる所なり。乃ち清国に至ては講和条約批准交換の後は其の交友を復し以て善隣の誼愈敦厚なるを期すべし。汝有象其れ善く朕が意を体せよ。

  睦仁  天皇御璽

明治二十八年四月二十一日
      内閣総理大臣伯爵伊藤博文

 日本全土に戦捷の凱歌が挙がり講和妥結の喜びで国中が沸騰した。
 しかしこの直後に、冷水を浴びせるかのような欧州大国による干渉問題が勃発。

 

三 国 干 渉

 かつて日清講和開談に向けての大本営御前会議に於て伊藤総理は先ず以下のように陳述した。
「・・・・若し一旦講和の条件を明言するに於ては、因て以て第三国の容喙干渉を招致することなきを保せず。否殆ど免るべからざるの数なりとす。但し其の干渉の如何なる性質なるべきや、又如何なる度合いなるべきやの点に至ては、仮令如何なる賢明なる政治家と雖も固より之を予測すること能わざる所にして、況や他国をして毫も干渉せしめざるべしとの保証を為すことは尚更能わざる所なり。而して斯る干渉にして早晩竟に免がるべからざるものとするときは、時機を察し外交上の手段に依り弛張操縦其の≠得るを務むることは勿論なるべけれども、原来、斯る場合に当て各強国が執る所の政略方針に至ては樽俎の間に之を他に封ぜしむること能わざる例、往々多きが故に、万一斯る干渉を来り試ることある時は、右第三国の意嚮を斟酌して清国に対する我が条件を多少変更せざるを得ざるに至るべきか、又は寧ろ更に強敵を加うるも飽迄我が廟算の在る所を維持して動かざるかに至ては未来の問題に属すれば、其の時に応じて更に評議を尽すべきこととす」(「張、邵来朝及談判拒絶分割2」p40)

 つまりは第三国の干渉は殆ど避けられないことであるとの認識の上で、その対応の協議が予めなされていたということになる。
 とりわけ欧州各国が弱肉強食の欲も逞しく、その爪牙を隠そうともしなかった時代ではあるし。それで日本政府としては干渉が来るのは予想していたと。
 しかし実際にそれに遭遇してみれば、日本としては実に腹が立つものではあったろう。
 で、干渉に向けての通達が日本に対して行われたのは日清講和条約調印なって1週間ほどした4月20日であった。

(「明治28年4月20日から明治28年4月23日」p3)

至急暗号
電送第三二四号 明治廿八年四月廿日午後二時五分

 広島 佐藤外務書記官      林外務次官
外務大臣へ

 独逸公使、今朝来省。本官不在なりしを以て小村に告ぐるに、本国政府の訓令に依り、至急貴大臣へ直接に申上度き緊要事件あり。多分他の公使と共に申上ることになるべし。其用向及他の公使の名前は秘密に属するを以て只今述難し。先ず明日曜日に一応本官に面会致し度き旨を以てしたる由。
 就ては明日午後右面談の模様を申上ぐべきに依り、明一日丈けは其地へ御滞留下されたし。念の為め申上ぐ。

 「何事?」と、同日に陸奥は林にドイツ公使またその他の公使と面会して用件を聞くように指示。また自分は病気なので東京に帰ることはできないと。(「同上」p4)
 また在ドイツ青木公使からの電報によれば、ドイツ政府は「日本が商業的な利益を確保したという推定は、一般の警戒を引き起こした。故にドイツは直ちに1隻の甲鉄巡洋艦を送ることに決めた」と述べたと。(「同上」p5)

 つまりは商業上の権利譲与に関する誤解と思えた。

 21日、林次官より陸奥へ。「ドイツ公使は面会を明日に延ばしたいと述べ、また本国から長文の電報を受け取った、と。しかし他の公使はそうではないようである。それで大事のことではないと信ずる」と。(「同上」p7)

 同日、陸奥より林へ。
「あまり重大な事柄とも思われない。また各国が連合してという勢いがあるとも思われない」と。(「同上」p8)

 他国の干渉を招かないように、戦争以前から慎重に慎重にここまで外交を重ねてきた陸奥である。「まさか」という思いではなかったろうか。

 この日又陸奥は、在ドイツの青木公使に、「ドイツ政府が在日本ドイツ公使にどの様な訓令を発したのかを探聞し、果たして商業上の譲与に関わることなら、事実無根である旨を弁駁するように」と指示。(「同上」p10)

 しかし青木公使から送られて来た4月20日発の別電文に記載されているドイツ政府の弁は、陸奥を驚かせるに足るものであった。

(「同上」p15)

 四月二十日発
陸奥外務大臣      在独 青木公使

 貴大臣の電信を受取たる後、独逸国外務大臣に面会せしに、同大臣の意嚮俄かに変じたるが如くにて、本使に告ぐるに、日本は旅順口を領有するに於て障害を受くべし、とのことを以てせり。
 依て本使は、奉天省の南部を占領することは朝鮮国の独立を鞏固ならしむる為め、必要なるのみならず、若し日本が其軍人の鮮血を以て得たる処の領土を保持すること能わざれば大に其望を失うべし、とのことを以てせり。
 本使右の理由を述べ且つ独乙国が戦争中に日本に対し示したると同様の懇篤なる政略を取られんことを乞えり。
 外務大臣之に答えて、同大臣の意見にては、独乙国は昨秋已に本使の請求に応じ、且つ独乙国皇帝陛下の勅命を遵奉し、日本に対して十分の厚意を示し欧州諸国干渉の企を破り、且つ其他種々の方法を以て日本国を助けたり。然れども日本国は其報酬として何事をもなさず。独乙国の利益を増進せず。剰え独乙国及其他欧州諸国が清国に対する通商上の関係を顧みることなくして平和の条件を専定せり。之に依て独乙国は最早欧州諸国協同の運動外に居る能わず、と告げたり。
 貴大臣が平和条件の細目を秘し置かるゝことは世間一般の猜疑を惹起せり。独逸国外務大臣又曰く。
 日本は平和条約中通商上の条件により不当の利益を得たるものゝ如し、と。
 之に対し本使より、
 他各国も最恵国の待遇を享有するが故に、清国に於て日本と同一の利益を有することを得べし、と答えたるに、同大臣は、
 日本は労働賃金低廉の利を有するのみならず、其国土清国に接近し居るが故に、此度の条約に拠るときは日本は清国に於ける欧州諸国の通商貿易に対し、実際抵抗し得べからざ競争者となるべきことを説き、且つ日本が外交上の慣例に背き自侭の処置に出でたることを大に非難し、且つ曰く、
 世界は決して日本国の希望又は命令に依て動くものに非ずと。

 本使は兼ねて諸強国の交誼及厚意を失わんことの危険あるを恐れ、独逸国及其諸国に対し、我より信任を置くことを示し、以て其友誼上の助けを得ざるべからざることを具陳せしが、貴大臣より之に対し何等の訓令又は回答だもなかりし。又講和の件に付ては本使は日本が其講和条件を委しく独逸国政府へ通知せざるを得ざる旨申述たり。然るに之に対し何等の貴答なし。
 日本政府は独逸国の厚意に答うることを怠りたる末、今や独逸国は日本に反対して他諸国と共に運動すべしと言明せり。加之独乙は曩に已に平和の条件を軽減せられ度旨、日本駐箚独逸公使を経て貴大臣に勧告致し、以て清国を保護せり。
 右独逸国の姿勢たるや実に容易ならざること故、之に対し相当の処置を執られんことを希望す。

 つまりは、「ドイツは日本に対して充分に厚意を示して種々の方法で日本を助けたけど、何の見返りも利益もないばかりか、清国との通商関係にも支障をきたす条約を締結したと。それで、欧州諸国協同して反対運動を起こす」と。青木公使が反論すると、「日本は低賃金労働力で有利な上、地理的にも清国に接近しているのだから、欧州諸国と同一の条件で通商するなら欧州は当然不利になるじゃんか」と。

 で、青木も、「陸奥さんあんたが悪い」と。(笑)

 23日陸奥は林次官に、

(「同上」p18より、()は筆者)

至急暗号
電受第四八五号 明治二十八年四月廿三日 午前0時二五分発 午前一時五0分着

 只今転電したる青木公使電信の趣は驚入たる次第なり。青木は何にか独乙政府に向って[コンミット(コミットメント)]をなし過ぎたる処ある為め独乙政府にて其虚に乗じ此の如き不当の事を申陳るものならん。孰れのみち先日独乙より通商上の事に就き云々申来りたることに対し、本大臣より説明の後、更に旅順口合併の事に関し、故障を唱うるに至りたるは誠に解し難き事なり。明日独乙公使に御面会の節右の事を記憶せらるべし。

     陸奥大臣
 林次官

と。つまり、「青木がまたドイツ政府にいらんこと言ったんじゃないか」と。ちょっと変な人、青木ならあり得るあり得る(笑)。

 陸奥としては、講和条約に関してドイツ政府が通商上の不利益を言うのがどうにも解せないことであった。
 清国に新たに港を開かせることによって、各国は航路は拡張し、開港場に製造施設を設けることが可能であり、しかも欧州の商人はすでに清国で活発に事業を展開しており、日本よりも有利な条件を整えており、且つ最恵国待遇によって欧州各国が大なる利益を得ることは明らかであったからである。(「同上」p20)

 さて、露国の方であるが、西公使からは以下のような報告が来た。

(「同上」p24)

四月二十二日接
  陸奥外務大臣     西公使

 露国外務大臣は我が講和条約の詳細を知るに非ざれば何等の意見をも述ぶること能わざるが故に、今差扣え居れり。当地に於ける世論は我が大陸の占領に付、大に反対し殆ど各新聞均く欧州干渉の必要を説き、且万国会議を開て本件の決了するの可なることを論ぜり。
 即今露英仏三国は本件に付協議する所あり。且近頃独乙国は右三国に加盟したしとの希望を言明せるが如し。然れども本使の考にては、我が講和条約の細目を審かにする迄は右諸国にて我に対し何等確定の処置を執らざるべし。
 露国政府に於ては、日本国が朝鮮国と境を接する土地を所有せば朝鮮国は海に陸に我が威嚇に対し孤立の姿なるが故に其独立覚束なし、とすることは最も明瞭なり。
 故に本使の考うるところにては、若し大陸に於ける我が土地の要求が金州半島に限らるゝなれば、多分何も甚しき抗議なかるべし。然れども之に反し万一我が要求する所の土地の境界が鴨緑江迄達するものとせば、貴大臣に於て欧州諸国より手強き干渉を受くべきことは兼て覚悟なかるべからず。

 つまりは中国奉天省南部の地域の占領に露国世論は大いに反対し、新聞各誌は欧州がこれに干渉する必要を説いていると。
 また西公使は、露国政府は朝鮮の独立に障害あるとするだろうと推測しますと。
 しかし報告末文にあるように、どうやら西公使は講和条約中の領土要求地域の詳細を知らないようなので、陸奥外務は、西はじめ在外公使らに要求地区を和文で電信するように省内に指示。(「同上」p31)

 また23日、東京の林外務次官にはドイツ公使の話を聞くことを延引し批准まで時間を稼げと指示。なおこの時点でまだ北京政府は講和条約を批准していない。(「同上」p30)
 次いで陸奥外務は広島の佐藤外務書記官に次のように打電。佐藤外務書記官宛とは全て伊藤総理宛という意味である。

(「同上」p33)

二十八年四月二十三日前十一時二〇分発

広島 佐藤外務書記官    舞子 陸奥外務大臣

 青木、西、両公使の電報によれば欧州各大国より強き干渉の来るべきは到底免れざるが如し。是は最初より欧州各大国に対し我が清国に要求すべき条件を明言せず、彼等は今日初めて公けに之を承知したる姿なるゆえ故障を申出る機会を与えたるに過ぎず。即ち我政府にて最初に欧州大国に対し我が条件を示したれば其時出でたる干渉が今日に於て来りたるものと見るの外なし。
 併しながら我政府は最初騎虎の勢なれば、如何なる危険あるも即今位置を維持し一歩も譲らざる決心を示す外他策なかるべし。貴大臣の御考案如何、御腹蔵なく御示し被下たし。但此際北京政府の模様如何を知ること最も必要と思えども、別によき思案もなき故、先ず在東京米国公使に相談し、同人一己の考として在北京米国公使をして密かに北京の模様を探らしむることに致すべき積りなり。

 干渉は免れられないようだ、と陸奥も腹を括ったか。しかし「我政府は最初騎虎の勢なれば、如何なる危険あるも即今位置を維持し一歩も譲らざる決心を示す外他策なかるべし」と強気。

 この後、外務省挙げて西洋諸大国に対し干渉排除に向けての交渉に取り組むことになる。何も手を拱いて三国干渉をすんなりと受け入れた訳ではなく、まさに懸命の外交をしていたことが記録から伺える。

 同日午後、東京の林外務次官から次のように電信。

(「同上」p34)

至急暗電
  舞子 陸奥外務大臣 電送第三四〇号 明治廿八年四月廿三日 午後一時四〇分発
      [各通]    林外務次官
  広島 佐藤外務書記官 三四一号 明治廿八年四月廿三日 午後一時四〇分発発

総理大臣へ

 独逸公使は今朝来省の筈の処を午後一時半に延ばし、唯今更に又た後刻まで延ばすことを申来れり。仏公使は昨日より本国政府電信の往復頻繁なり。独逸公使が同僚と云うは露仏の二公使なることは確かなり。英公使は分からず。米公使は関係なき様子なり。

 干渉を目論むのは独露仏であることは確かと。
 一方、伊藤総理からは陸奥外務に対し、露国の西公使に、露国政府の意向を問い合わせてはどうかと。(「同上」p39)

 

独露仏の要求

 しかし同日夕刻になって、露国公使、仏国公使、独国公使が来省し、林外務次官に別々に面会して本国政府からの要求書を提出した。(「同上」p40〜p46)
 よって直ちに林外務次官はその概要を陸奥外務と伊藤総理に打電。

(「同上」p47)

電送第三四六号 明治廿八年四月廿三日 午後六時二十分発
  舞子 陸奥外務大臣
電送第三四七号 明治〃年〃月〃日 午後〃時〃分発    林外務次官
  広島 佐藤外務書記官
[伊藤伯へ]佐藤書記官への分のみ

 独露仏三公使来省、別々に面会せり。其要求は、金州半島を日本が永久所有することは支那の都を危うし朝鮮の独立を有名無実となす故、此条件を撤回することを勧告す、と云うにあり。三通の覚書は直に電送すれども長文なる故、先ず概略を報ず。三公使共に至急の返答を望めり。

 さてやって来ました独露仏の要求。露国の意向もこれではっきりし、西公使に尋ねさせるまでもないことであった。(「同上」p48)

 同日午後6時30分、林外務次官は露国の要求書の英訳文を陸奥外務に打電。(「同上」p49)
 で、その和訳文は以下のもの。

(「同上」p50)

 陸奥外務大臣       林外務次官

 本邦駐箚露国公使より差出したる覚書の英訳文左の如し。

 露国皇帝陛下の政府は、日本より清国に向て求めたる媾和条件を査閲するに、其要求に係る遼東半島を日本にて所有することは、常に清国の都を危うするのみならず、之と同時に朝鮮国の独立を有名無実となすものにして、右は将来永く極東永久の平和に対し障害を与うるものと認む。随て露国政府は、日本国皇帝陛下の政府に向て重て其誠実なる友誼を表せんが為め茲に日本国政府に勧告するに、遼東半島を確然領有することを放棄すべきことを以てす。

 露国公使は確然なる語詞に向て特に重きを置くの語気ありたり。

 同時刻、仏国公使提出の要求書の英訳文を打電。(「同上」p51)
 で、その和訳文は以下のものだが発電時刻が違っている。

(「同上」p52)

四月廿三日午後九時四十分発
 陸奥外務大臣     林外務次官

 仏国公使より差出したる覚書の英訳文は左の如し。

 仏蘭西共和国政府の意見にては、遼東半島を領有することは、清国の都を危うし、朝鮮国の独立を有名無実に帰せしめ、且つ永く極東の平和に対し障害を与うるものなりとす。
 仏蘭西共和国政府は重ねて日本帝国政府に対する友情を彰表せんと欲するが故に帝国政府に向て該半島を確然領有することを放棄あり度旨、友誼上の勧告を与うることは仏国政府の義務なりと思考す。

 と、露国とほぼ同文。けど、露国は日本に「皇帝陛下の政府」と表現し、仏国は「日本帝国政府」とするところに自国の体制の違いが現れているかな。ま、どうでもよいことだが。

 で、次はドイツの要求書。これは要求内容は同一であったが一段と詳細且つ露骨な言葉が並ぶ長文であった。それは最初から以下のような和文であったという。

(「明治28年4月23日から明治28年4月25日」p1より、()は筆者)

至急暗電

電送第三四八号 明治廿八年四月廿三日 午後八時四十五発
  舞子 陸奥外務大臣
電送第三四九号 明治〃年〃月〃日 午後〃時〃分発    林外務次官
  広島 佐藤外務書記官
[伊藤伯へ]佐藤書記官への分のみ

 独逸公使は面会の節、日本文にて左の通り覚書を読上げたり。

 本国政府の訓令に従って左の宣言を致します。
 独逸国政府が日清講和の条件を見れば、貴国より請求したる遼東半島の所有は、清国の都府をして何時迄も不安全の位地に置き、且つ朝鮮の独立をも水泡に属させ、依て東洋平和の永続の妨げになるこどあると認めなければなりませぬ。夫故に貴国政府が遼東の永久なる所有を断念なさる様に本政府が御勧告致します。

 この宣言に付きまして、次ぎのことを申上る様に云い付けられました。

 現今日清事件の最初より本国政府が貴国に対して其懇親なる心の証拠を顕わしたるは唯一度の事でないと存じて居ります。御承知の通りに、昨年十月七日にも英国政府が欧州各国に日清事件に干渉することを申込んだが、其節独逸国が日本国に対しての懇篤に依て干渉を断りました。夫から又当年三月八日を以て本公使が本国政府の命令に従って、貴国政府が夥多の請求を為さらないで成るべく早く講和を結ぶ様に御勧告致しました。其時に申上げましたのは、欧州の諸国が清国の願いに応じて干渉を致すかも計られませぬと云うことに依て、日本国は若し夥多の請求をせずして早速講和の条約を締結なさるなら却て其方が利益が有るであろうと云うことでございました。夫れに続て日本国若し大陸の土地の譲与を要求すれば之れは最も干渉を惹起すべき要求であるだろうと申述ましても、貴国では此の利己心なき勧告に応じませんでございました。
 現在の日清講和の条件は全く度に過ぎて欧州諸国の利益上にと、並に譬幾分かは少なしと雖ども、亦独逸国の利益上にも害があると認ます。夫れ故に現今は本国皇帝陛下の政府も倶に抗議を提出しなければなりませぬ。且つ必要がある場合には其抗議をして有効にならしめることもありましょう。三国に対する戦は所詮日本国に望みのないことであるが故に、貴国此事件に付きましては譲ることが出来ないことはなかろうと存じて居ります。
 尚お日本政府が名誉を失うことなくして今の地位より退ぞくことの途を講ずる為めに「コンフェレンス(conference)」を開く等のことを望まるれば、其旨を電報にて本国政府へ送れと云う内訓をも受けて居ります。

 寔に慇懃無礼の書とはこのことか。ま、正直と言えば正直だが(笑)
 で、ドイツみたいに「戦争するかコラ」という言葉を使わずにそれを秘めて談話に及んだのが以下の露国公使のもの。

(「同上」p5より、()は筆者)

至急暗電

電送第三五〇号 明治廿八年四月廿三日 午後八時四十五発
  舞子 陸奥外務大臣
電送第三五一号 明治廿八年四月廿三日 午後八時四十五発    林外務次官
  広島 佐藤外務書記官
[伊藤伯へ]佐藤書記官への分

 露国公使の談話の大意左の如し。

 本使は曾て朝鮮の件に付我政府の勧告を為し、其後、日清事件起りてより始終事の面倒に至らざらんことに尽力し、本国への報告も此意を以て為し居りたるに、本日再び別紙の宣言を為すに至りたるは遺憾とする処なり。兼て本使より和約条件に付本国に予告し、日本政府は必台湾全島澎湖島の譲与並に大陸の或る要地を償金賠完迄占領すべき等の要求あるべしと申送り置きたるに、今般調印されたる和約に拠れば、遼東半島即ち大陸の一部を永久所有さるゝことになりたれば、之を見て本国政府其他各国も驚きたるならんと信ず。
 元来日本政府の外交法は前以御打合等の更になく、何時も不意に出るが故、動もすれば衝突を招くの恐れあり。尤も此宣言たるや其実全く本国政府の厚誼より出る処なれば、此旨御了解ありたし。
 又此宣言中の[デフィニチブ ポッセッション(definitive possession)]の解釈に付御尋なるが、之れに付ては何たる訓令をも受けざれども、遼東半島を担保等の為め一時占領せらるゝは異議なきことなるべし。依て日本政府は之れ等の意を体し、名誉を保持するの策を講ぜられんことを希望す。此宣言に対し至急の回答を望む。

 で、次に仏公使の談話。

(「同上」p7)

至急暗電

電送第三五二号 明治廿八年四月廿三日 午後八時四十五発
  舞子 陸奥外務大臣
電送第三五三号 明治廿八年四月廿三日 午後八時四十五発    林外務次官
  広島 佐藤外務書記官
[伊藤伯へ]佐藤書記官への分のみ

 仏公使の談話大意左の如し。

仏政府は従来日本政府に対し最も厚誼を表し居たるに、今般日清和約条款中、遼東半島占領のヶ条ありたるに付、此は日本政府の為め後来大に災を惹起すべき恐れある故、全く交誼上より出る処にして毛頭他意あるに非ず。即ち本使が今茲にて述るに止る旨特に本国政府より日本政府に通ずべき様併せて電訓ありたれば、御含みありたし。
 朝鮮をして完全なる独立国たらしむることは最初より日本政府の宣言せらるゝ処なるが、現今朝鮮に対しての御処置は大に之れに反するものあるが如し。之れ亦此勧告ある所以なるべし。
 本使、私かに考うる処に依れば事已に茲に至りたる上は、寧ろ此件に付関係ある独仏露英等の諸国と協議を遂げ、此終局を謀らるゝこと然るべしと思考す。尤も之れは全く協議に止まり[コンフェレンス]と称す程の大会議を開かるゝ迄のことには及ばざるべし。要するに我政府は全く日本の感情を害せず、且つ日本の名誉を十分に保持せられんことを切望するものにして、全く好意の勧告に過ぎず。別紙覚書に対しては至急回答あらんことを望む。

 とまあ、それぞれに温度差があるように見える言葉の違いがあるが、本心は皆一緒でしょ。で、ドイツは直球型。露国は硬く且つ論理的。フランスは・・・何かいやらしい(笑)

 直ぐに陸奥外務は林外務次官に以下のように打電。

(「同上」p9)
至急暗号
電受第五〇二号 明治二十八年四月廿三日 午后九時五十分発 十一時三十分着

 本日貴官、独仏露三公使へ別々に御面会に関し左の件々至急御カイ[回答■]ありたし。

一 [メモンランダン(メモランダム)]は同文なりしや。
二 三公使とも熱心のどあい[度合]は同一なるや。又言語容貌等に就て貴官の感じたる事ありや。
三 独公使はたびたび面会を申入ては之れを延したるに付ては仏露両公使との間に何か折合わざりし等のことありし為めなるや。
 其他将来の心得となるべき事柄に付ては貴官の御見込を申越されたし。又日本政府が右三ヶ国の政府さ[の]勧告に応ぜざる時は直に兵力干渉にても開くべき意気込なりしや。

          舞子
           陸奥大臣
 林次官

 ただに言葉のみならず、三公使の表情や雰囲気から真意を読み取りたい陸奥外務。ある意味必死。

 で、その問題の遼東半島占領なのだが、地図で示すと以下の紅色の地域になる。

 どうだろうか。これによって朝鮮国の独立が有名無実となるかなあ。また、北京からも結構距離あるし、まして露国との国境からはかなり遠い。
 朝鮮に隣接する中国に対して睨みを利かせる感じで脇で控える、といった位置にあると思うけどねえ。第一、ここは日本兵が血を流しながら勝ち取ってきた場所なのだが。

 

各国の思惑

 清国内では当然講和に反対する人々もおり、なおも戦争継続を望む声が各地から挙がった。それに対し清国政府は上諭を発して講和を諭した。以下はそのことを録した「日清交際史提要」の「第六冊 第二十一編 至 二十六編/2 第二十一編 戦争及講和」より。

(「日清交際史提要」の「第六冊 第二十一編 至 二十六編/2 第二十一編 戦争及講和」p31より抜粋、()は筆者)

(欄外)李全権一行の出発帰国

 以上の条約及び議定書に記名調印を済ませたる即日午後、李全権は其一行を随帯して下ノ関を出発、帰国の途に就きしところ、丁度此頃より些し前、北京に於ては進士の試験、即ち春試の当季にて、各省より多数の挙人が上京中にて、広東の挙人梁啓超、湖南の挙人任錫純、文俊鐸、譚紹裳

(欄外)挙人等の上書

の如き、下ノ関条約の成らんとするを聞き、何れも上書を都察院に捧げ、之を破棄せんと論ぜしより、福建、四川、江西、貴州、諸省の挙人、之に継き江蘇、湖北、陝甘、廣西、直隷、山東、山西、河南、雲南、諸省の挙人も亦之に継ぐ。廣東の挙人康祖詒、即ち後日の康有為は、一万八千余字の上書を著わし、力めて目前戦守の方と他日自強の道併せて西安に遷都し沿辺は縻爛すと雖も朝廷深く固より震懾を為さず即ち脅制する所なし、との旨を草し、挙人千三百余人と連合し、北京宣武門外柗筠庵の諫草堂即ち明楊椒山の故宅に会議せし等、是れ読書人等が当日状況の一斑なり。[公車上書記]官場に

(欄外)張之洞の電奏

至ては、湖広総督張之洞の如きは清暦四月初一日我四月二十五日に於て、新彊省の地方或は天山南路の数城又は北路の数城を露に割き、中国を助けて日本と戦わしめ、もし英人も亦中国を助けば、之に後蔵(チベットの一部)の地を割き、兎に角日本と戦い和すべからずと電奏。[皇朝経世文三編五十一]

 此外種々の紛論あり。講和条約の成敗は頗る疑問にてありしが、軍機処は之を成すを主張し、恭親王奕訴及び大臣孫毓汶、徐用儀、之を助け、[中東戦記本末巻三二十二頁]殊に周囲の境遇に和約の議を定むるに已むを得ず、清暦四月廿四日我五月十八日の上諭に、

(欄外)和約の定議に関する清国の上諭

 近日和約の議を定めしより、廷臣は章を交えて論奏す。
 謂う。地は棄つ可らず。費は償なう可らず。仍お約を廃し戦を決するを行ない、以て人心を維繁し、危局を支撑するを冀うと。
 其言固より忠憤より出づ。而して朕が此事を弁理するに熟籌して審処し万に已むを得ざるの苦衷に於ては未だ深く悉くさゞる者あり。去歳倉抨に釁を開きしより兵を徴し餉を調するに余力を遺さず。而して将は宿選に非ず。兵は素練に非ず。紛々召集烏合に殊ならず。以て水陸交綏戦いに一勝なきを致す。近日関の内外の事情は更に迫る。北は則ち直ちに畿彊を犯すこと皆な意中の事なり。瀋陽は陵寝の重地たり。京師は則ち宗社の関する所、況んや二十年来慈闈頣養、備さに尊崇を極むるおや。もし徒御に驚あらば藐躬何ぞ自から問うに堪えん。加るに、天心警を示し海嘯は災を成すを以てす。沿海の防営は多く衝没せられ、更に手を措き難し。是を用て宵旰に旁皇し、朝に臨み痛哭し一和と一戦を将て両つながら権り、而して後に幡然として計を定む。其万分に難しと為す情事は言者の章奏に未だ詳に及ばざる所。而して天下の臣民は皆当さに共に諒るべき者なり。
 茲に定約を批准するには特く先後弁理の縁由を将て明白に宣示す。嗣後我君臣上下とも唯だ堅苦一心痛く積弊を除くを期し、練兵と籌餉の両大端に於て実力に研求し、亟かに興革を籌り懈志を萌す毋(なか)れ。虚名に騖する勿れ。遠啚忽かせにする勿れ。積習に沿る毋れ。務めて≠オく事毎に実を覈し、力めて具文を戒しめ、以て自強の効を收めんこと、内外の諸臣に実に厚望あり。此を欽しむ。

 都を西安に遷し、領土を割いてロシアに与え、中国を助けて日本と戦うように仕向け、或いは英国にチベットの一部を与えて味方に引き込みと、まあ様々なる戦略を練って戦争継続を訴えたが、政府としてはもう余力なく無理であると。また、
「嗣後我君臣上下とも唯だ堅苦一心痛く積弊を除くを期し、練兵と籌餉の両大端に於て実力に研求し、亟かに興革を籌り懈志を萌す毋(なか)れ。虚名に騖する勿れ。遠啚忽かせにする勿れ。積習に沿る毋れ。務めて≠オく事毎に実を覈し、力めて具文を戒しめ、以て自強の効を收めんこと、内外の諸臣に実に厚望あり。此を欽しむ。」と。

 国政を改革し鍛錬に励んで国力を増すということは、清国政府自身も分かっているらしい。何が問題点なのかも李鴻章も言っていたが・・・・。まあ、言うは易く行うは難しと。

 しかし、日本との戦争に勝つためには洋の東西もない人種もない、領土を割いてでも列強大国を味方に引き入れて日本と戦わせたいと。
 当然、独露仏の三国干渉にはそのような中国の渇望も影響していたろうし、後に露清密約が結ばれるが、この時の干渉とは無関係ではなかろう。

 4月24日、東京の林次官から陸奥宛に以下のように電報。

(「明治28年4月23日から明治28年4月25日」p12)

四月廿四日午前九時五十二分発
 陸奥外務大臣     林外務次官

 在仏国公使より左の通り電報あり。
 仏国外務大臣親しく本使に告げて曰く。
 仏国政府は講和条件に付、一般の利益の点よりして日本国政府及東京駐箚外国公使と親密に相談致すべき旨、東京駐箚仏国公使に訓令を与えたりと。併し同大臣に於て仏国政府は本件に関し他国に率先して処置を執るものにあらずと申されたり。

 つまり仏国は金魚の糞と。

 同日、舞子に療養中の陸奥は広島佐藤外務書記官に電送し、至急に必ず自ら伊藤総理に手渡せと、以下の電信を発する。

(「同上」p13より、()は筆者)

二十八年四月二十四日前八時四五分発

広島
 佐藤外務書記官        舞子 陸奥外務大臣

 左の電信は至急を要する故、貴官自から之を総理大臣に渡すべし。若し同大臣不在なれば其の往き先をたずね之を渡すべし。

 露仏独三公使の申出に対し今日御前会議御開きに付、鄙見申上ぐべき旨承知せり。本大臣意見は大抵昨日申進し置きたる如く、此際今一応我位地を維持し一歩も譲らず、更に彼等将来の挙動如何を見て再び廟議を尽さるゝの方然るべしと思う。併し事頗る重大なる件故に唯今「デニソン(お雇い米国人・万国公法専門家)」を神戸より呼寄せ猶充分同人の意見をも聞きたる上、兎も角も露仏独三国政府へ前々に回答案を作り閣下の御裁決を伺うべき故、何卒夫迄は廟議御確宣なき様に願いたし。但し否の回答案を作るには多少の時間を費やすべきに付、早くも今日夕方にあらざれば鄙見申上げ兼ぬることゝ御承知下されたし。

 その他、病床にあって種々指示。陸奥この時すでに結核末期。これでは舞子での療養が療養にならない。
 しかし入れ違いで伊藤から次のような電報が来る。

(「同上」p14)

二十八年四月二十四日前九時三五分発、四五分接

舞子
 陸奥外務大臣     広島 佐藤外務書記官

総理大臣より
 昨夜の電信に対し未だ御返事なきは如何。三国公使への返答に付、御意見あれば至急御申越あるべし。尚総督宮殿下御出征先へ人を遣わす都合もあれば直ぐ返電あれ

 陸奥は三国干渉に対して一歩も譲らずという姿勢で当面は対処する積もりなのだが、事がうまく行かない時は何かちぐはぐな成り行きになるものだ。

 先の陸奥の電報が伊藤に届き、その返電が改めて来る。

(「同上」p20)

二十八年四月廿四日前十一時時一七分発、二七分接

舞子
 陸奥外務大臣     広島 佐藤外務書記官

 電信の趣、承知せり。今日夕方迄の模様に依り成丈け本大臣夜汽車にて其地へ行く積もり。愈々行くや否や午後四時頃迄に知らす。

右総理大臣より

 陸奥は呼び寄せたデニソンに直ちに回答案を起草させ、以下のように伊藤総理に返電。

(「同上」p21より、()は筆者)

二十八年四月二十四日前十一時五〇分発

広島
 佐藤外務書記官     舞子 陸奥外務大臣

 総理大臣へ。
 先刻より「デニソン」と相談の上同人唯今回答案の起草中なり。出来次第直に電報すべし。
 曽禰公使(在仏国公使)の来電も御覧なりしことと思う。仏国政府も格別熱心ならざるが如し。
 露独仏の政府も兎角未だ充分一致の働らきを為すべき用意なきが如し。然れども我政府は軍艦を呼び返し、外国の侮りを禦ぎ置くこと必要なるべし。

 また、英国、米国、伊国に駐箚する各公使に対し工作に全力を挙げるよう指示。

(「同上」p23より、()は筆者)

四月廿三日舞子発(実際の英電文は4月24日午後1時20分発)
在英 加藤公使
在米 栗野公使
在伊 高平公使
            陸奥外務大臣

 在日本独、露、仏三公使より覚書を提出したるに付ては閣下の駐箚国政府の意嚮を探り、本件[日清事件]に関し如何なる手段を執るや電報せらるべし。若し彼に於て中立ならば、閣下は全力を尽くして我味方に引入るゝことを勗(つと)めらるべし。閣下は又閣下の私見として左のことを同政府へ告げらるべし。

 「彼等三国政府唱うる所の苦情は一人を傷わずして之を療治し得ることなり。事に商業上の妨碍は[あるべき筈はなけれども仮りにあるものとするも]平和条約批准の後、好意上相当の方法を以て之を療治し得らるべし。然れども若し清国にして目下の雲行を望み批准を怠ることもあらば、再び激烈なる戦闘を来たすは必然にして、而して日本は之に対し責任なかるべし。」

 その後、伊藤総理から夜8時の汽車で神戸に向かうのでデニソンをその地に留めておくようにとの電信が来る。つまりは到着は明朝と。
 夕方、在英国公使加藤高明から以下の電信が来る。

(「同上」p27)

四月二十四日午後四時丗五分着

舞子
 陸奥外務大臣     在英加藤公使

 四月廿三日、本使は英国外務大臣と懇篤なる面晤を為したるに同大臣は本使に向い、英国政府は干渉を試むるの意思なき旨を明言したり。当時同大臣は「貴国政府は御心配に及ぶまじ」との言語を用いたり。又他国政府の意向に関しては、同大臣へ宛て接到の諸文書皆な機密に属するを以て同大臣は何事をも本使に告ぐるを得ず、とのことなり。然れども同大臣は目下新聞上に報道する所殆ど事実なりと言えり。而して同外務大臣は以上同大臣の言を秘密に保ち置かれ度旨を望みたり。又同大臣は講和条約中通商の事項に関し、我より其後提出したる修正箇条は英国政府に於ても最も注目を要するに付、詳しく之を識知したき旨申述べたり。故に何卒其の詳細を電報ありたし。

 英国、すげない。というか気休め言うなよ(笑)

 陸奥は東京外務省の林外務次官にも、強硬手段をとるつもりであることを電信。

(「同上」p28)

電受第五一一号 明治二十八年四月二十四日后五時三五分発 六時二十分着

 露仏独三公使への回答案は只今「デニソン」に命じ起草中なり。尤も本大臣は今一応強硬手段をとり彼等が将来如何に運動するかを見たるうえ、猶お廟議を尽さんと欲す。然し伊藤総理大臣、本大臣に面会のため今夕広島を立ち明朝此地へ来るはずなれば、其の上に非ざれば何事も確定せざれども、御心得の為めに申進置く。秘密勿論なり。

 林外務次官    舞子 陸奥外務大臣

 その夜、ドイツ駐箚の青木公使に対する疑いがどうにも晴れない陸奥は、更に林外務次官に以下のように電信。

(「同上」p29)

電受第五一五号 明治廿八年四月二十四日午后十時十五分発 十一時十分着

 独乙政府が遽に従来の方向を変じ、他国に先立ち干渉せんとするに至りたるは甚だ不思議の事なり。之れは青木公使が何にか「コミット」して約束がましき事にてもしたる事ありて、其約束を実行せざるにより立腹したるに非ずやと思る。故に貴官は明日にても独乙公使を訪問し、日本政府は同公使の提出したる覚書に対し可成早く回答する積りなれども、日清事件の初より常に一方ならず日本に好意を表し居たる独乙政府が、何故に此平和回復の時期に乗じ苦情を申立らるゝにや、又同政府が商業上の利益とは如何なる意味なるや。果して日清講和条件中に独乙の商業を妨碍するものあれば、日本政府は如何様にも之れをりょうじ[療治か]する方法を講ずべき故、淡泊に申聞けられたしとうちこみ[打込か]、幾分か彼れの意考を御探りありては如何。然し之れは貴官が今日迄の関係上発言し難き場合あれば止めても宜敷、全く貴官の御考に一任する故御収捨あるべし。又同公使をして青木を経て本国政府へ聞合呉れと云わしめざる様御注意ありたし。

             舞子 陸奥外務大臣
 林外務次官

 それに対し林次官はドイツ公使の態度とその感触から以下のように私見を電信。

(「同上」p31)

 電送第三六〇号 明治廿八年四月廿五日午前〇時二五分発

舞子
 陸奥外務大臣         林外務次官

 独逸公使は先日面会の時も何事を問うても覚書にある語[ことば]の外に答えは出来ずといえり。故に御申越の事を問うも益なからんと思う。独逸が烈しき言葉を以て他に率先して干渉せんとするは、露国の鉾を東方に移し、露国の歓心を得ながら併せて欧州の禍を我に嫁するの政略ならんと愚考す。仏国公使の挙動及び電信往復の様子を見るに、露国の歓心を失なわざらんが為に不本意ながら後に付て歩むが如し。故に我政府外交手段にて此度の局を結ばんとの方略ならば、英政府を確かめたる上にて仏国政府に依りて計ること肝要ならんと考う。
 右の仏国の有様は公使の言う処にても明かなる故、此度の御回答も其主旨によりては仏国を余り敵視せざる様の添言詞あること緊要なりと信ず。

 何とつまり三国干渉とは、露国の目を欧州から極東に向けさせる為のドイツの工作であるとな。

 有り得る話であろうが、この辺は筆者としては当時のヨーロッパ事情まで知る由もなく・・・・

 さて同日林次官から再び陸奥外務に電信。今日仏国公使がきて以下のような談話を交わしたと。

(「明治28年4月25日から明治28年4月27日」p1)

電送第三六三号 明治廿八年四月廿五日午後六時五分発

舞子 陸奥外務大臣      林外務次官

 本日、仏公使来省。談話の砌、仏公使曰く、過日三国公使より提■したる宣言中、独逸公使の分は語気最も強硬にして、若し三国に対し釁を開くに至らば日本は到底敵対出来ざるべしと云いたるやに聞及たるが事実なりやと。
 本官は此問を受け寧ろ有体に告る方良からんと存じたる故、極内々に告て曰く。

 独逸公使の語気は最も強かりし故、本官は同公使に問うて、此宣言に対し日本に於て承諾せざる時は即時に釁を開くと云う意なるや。然らば殆んど「アルチマトム(最後通牒)」に似たり、と云いたるに独逸公使は、
 夫迄なるや否やは知らざれども、本国より別に内訓ありたるには、若し日本に於て「コンフェレンス(談判)」にても催す意あらば、早速報知せよとありたり、と云われたりと答えたるに、仏公使曰く。
 仏国は敢て如此手強き意味にあらず。此三国連合は如何なる場合に起りたるかは知らざれども、多分欧州に於ての政略より出でたることならん。尤も已に先日申出たる「コンフェレンス」の一条は其実、本国より私の意見として勧告せよと電訓ありたるが故なり。又若し日本に於て此勧告を承れらるゝ時は、自ら諸大国と並立して協議を遂げらるゝことなれば、却て日本の位置を一層高める訳にして、不利益ならざるべし。固より仏国は日本に対してはどこまでも厚意を保つ意なり、と。且つ此意を内々大臣に伝えられんことを乞えり。

 つまりは仏国公使もまた、ドイツの欧州上における政略より出たものと見ていると。
 要求に応じることになれば諸大国と並んだ姿で協議することになるから却って日本の地位を高めることになろうと。すごい理屈(笑)
 どう見てもヨーロッパの大国の前で小さくなって膝を屈するアジアの一小国の図となるだけじゃん。

 同日また陸奥は先の英国の問いに対して以下のように回答。

(「明治28年4月23日から明治28年4月25日」p40より()は筆者)

四月廿五日舞子発
 在英加藤公使           陸奥外務大臣

 貴電九十五号領収す。閣下は英国外務大臣に面し左のことを申さるべし。

    日本政府は此時に当り英国政府が執る所の挙動を見、甚だ満足に思い且つ其の友誼ある意嚮に対し感謝の意を表す。

 先日本大臣の電報に記載ありし此細の修正と云うは即ち左の二項なり。

   一、平和条約原案にては、日本人は無税且つ清国官吏の干渉なしに清国内地に於て倉庫を借り入るゝ権を有せり。然るに之れを改めて[清国官吏の干渉なし]と云うこと丈けは刪除したり。
   二、日本の円銀は其の表価にて清国総ての納税に用い得ることになり居りたれども、右の特権を放棄したり。

 陸奥としては干渉問題に尚も英国を引き込まんとの望みは依然としてあったろう。
 また、在露国の西徳二郎公使には以下のように電信。

(「明治28年4月25日から明治28年4月27日」p7)

明治二十八年四月二十五日発

在露 西公使         陸奥外務大臣

 茲に閣下に訓令するに、露国政府は日本国の奉天半島の領有に関する忠言を再考すること承諾すべきや否や窃かに外務大臣に問合せらるゝことを以てす。閣下は条約は既に皇帝陛下に於て御批准あらせられたるにより、事態極めて困難に陥りたることを説明せらるべし。閣下は両帝国間の友誼に久しく継続したる所なるを以て、我政府は今更ら此善隣の関係を薄弱ならしむるが如きなからんことを熱望すること、又た該譲地の為め東洋に於ける露国の利益を危害に陥らしむるが如きことは決して許さず。是れ其実日本国の利益と并立すべきものたること、及び日本政府は朝鮮国の独立問題に付ては露国政府に満足を与うることを難しとせざることを述べらるべし。
 猶お又た閣下は、日本政府は此件に就ては未だ独国へも仏国へも照会せざる所なれども、露国政府にして好回答を与うるに就ては照会するところあるべしと、外務大臣に告げらるべし。右訓令を実行さるゝは閣下畢生の外交手腕を振わるべし。

 西徳二郎は既に露国駐在公使として10年になんなんとする。ニコライ皇太子遭難事件に於ても充分にその外交手腕を発揮した人である。陸奥外務、その西に以下の点を露国外務大臣に告げよと。その際には一世一代の外交手腕を振るえと。

・ すでに日本皇帝陛下は日清講和条約に批准をしており、変更は困難である。
・ 日露両国の友誼善隣の関係を薄弱なさしめることがないことを熱望する。
・ 遼東半島の割譲によって東洋に於ける露国の利益を損なうことなく、また日露両国でその利益を両立させる。
・ 日本政府は朝鮮国の独立問題について露国政府に満足を与えることを困難なものとはしない。
・ この件について日本政府はまだドイツ国政府にもフランス国政府にも問合わせてはいないが、もし露国政府が好回答を与えるなら照会するだろう。

 

広島御前会議と舞子会議

 さて、伊藤総理が舞子に向かう前の24日、広島に於ては伊藤総理、山縣陸軍大臣、西郷海軍大臣とで三国干渉問題についての御前会議が開かれた。そのことを陸奥の「蹇蹇録」では以下のように述べている。

(「蹇蹇録」の「第十九章 露独仏三国ノ干渉(上)」p3)

 ・・・・然れども、広島の御前会議は[当時広島に滞在する者、伊藤総理の外、山縣西郷陸海二大臣のみ]固より余が再度の電報を待つ迄に猶予すべきに非ざれば其商議を進行し、而して当日伊藤総理定義の要領は、

 [第一]仮令新に敵国増加の不幸に遭遇するも此際断然、露、独、仏の勧告を拒絶する乎。
 [第二]茲に列国会議を招請し遼東半島の問題を該会議に於て処理する乎。
 [第三]此際寧ろ三国の勧告は全然之を聴容し、清国に向い遼東半島を恩恵的に還付する乎。

 の三策の中其の一を撰ぶべしと云うに在り。

 出席文武各臣は孰れも反覆丁寧に討論を尽したる末、伊藤総理の第一策に就ては、当時我征清軍は全国の精鋭を悉して遼東半島に駐屯し、我強力の艦隊は悉く澎湖島に派出し、内国海陸軍備は殆ど空虚なるのみならず、昨年来長日月の間戦闘を継続したる我艦隊は固より人員軍需共に既に疲労欠乏告げたり。今日に於て三国連合の海軍に論なく露国艦隊のみと抗戦するも亦甚だ覚束なき次第なり。故に今は第三国とは到底和親を破るべからず。新に敵国を加うるは断じて得策に非ず、と決定し、次に其第三策は意気寛大なるを示すに足る如きも、余りに言い甲斐なき嫌ありとし、遂に其第二策即ち列国会議を招請して本問題を処理すべしと廟議粗々協定し・・・・

 つまりは露独仏三大強国と戦う余力はもうない。かといって干渉を全面的に受け入れるのは余りに不甲斐ないので、第二策の列国会議を招請して処理すべきと。

 伊藤がそれを携え舞子に到着したのが25日朝。陸奥の所には、京都から松方正義大蔵大臣、野村靖内務大臣も来ており、病床の陸奥外務を共に囲む形で協議がなされたという。

(「蹇蹇録」の「第十九章 露独仏三国ノ干渉(上)」p4)

 ・・・・伊藤総理は即夜広島を発し、翌廿五日暁天、余を舞子に訪い御前会議の結論を示し、尚お余の意見あらば之を聴かんと云えり。
 此時松方野村両大臣も恰も京都より舞子に来会せしに由り、孰も余が病床を繞りて鼎坐し、茲に再び協議は開けたり。
 余は一昨日来両回伊藤総理に発電したる趣意を再演し、兎も角も露、独、仏、三国の勧告は一応之を拒絶し彼等が将来如何なる運動を為すべきやを視察し、深く彼等の底意を捜究したる上、尚お外交上一転の策を講ずべし、と云いたれども伊藤総理は、此際予め其結果如何を推究せずして卒然三大強国の勧告を拒絶するは事頗る無謀ならずや。且つ露国が昨年以来の挙動は今更に其底意の深浅を探る迄もなく、甚だ明白なることなり。然るに殊更に我より之を挑発して彼等に適応の口実を与うるは、其危険甚だ多く、況や危機将に機微の際に暴発せんとするに臨み、所謂外交上一転の策も亦之を講ずるの余地なかるべきに於てをや、と余の説を論駁し、松方野村の両大臣も亦均しく伊藤総理の論旨に左袒したり。
 衆論右の如くなる上は余は自説を撤回することに吝ならざれども、然れども伊藤総理が御前会議の結論として齎らし来れる列国会議の説は余の同意を表するに難しとしたる所たり。その理由は今茲に列国会議を招請せんとせば、対局者たる露独仏三国の外少とも尚お二三大国を加えざるべからず。而して此五六大国が所謂列島会議に参列するを承諾するや否や、良しや孰れも之を承諾したりとするも、実地に其会議を開く迄には許多の日月を要すべく、而して日清講和条約批准交換の期日は既に目前に迫り、久しく和戦未定の間に彷徨するは徒に時局の困難を増長すべく、又凡そ此種の問題にして一度列国会議に付するに於ては列国各々自己に適切なる利害を主張すべきは必至の勢にして、会議の問題果して遼東半島の一事に限り得べきや。或は其議論枝葉より枝葉を傍生し、各国互いに種々の注文を持ち由し、遂に下ノ関条約の全体を破滅するに至るの恐なき能わず。是れ我より好んで更に欧州大国の新干渉を導くに同しき非計なるべし、と云いたるに、伊藤総理、松方野村両大臣も亦余の説を然りと首肯したり。
 然らば如何に此緊急問題を処理すべきかと云うに至り、広島御前会議に於て既に方今の形勢新に敵国を増加すること得計に非ずと決定したる上は、露、独、仏、三国にして其干渉を極度迄進行し来るべきものとせば、兎に角我は彼等の勧告を全部若くは一部を承諾せざるを得ざるは自然の結果なるべし。而して我国今日の位置は目前此露独仏三国干渉の難問題を控え居る外、尚お清国とは和戦未定の問題を胎し居る場合なれば、若し今後露独仏三国との交渉を久しくするときは、清国或は其機に乗じて講和条約の批准を抛棄し、遂に下ノ関条約を故紙空文に帰せしむるやも計られず、故に我は両国の問題を確然分割して彼此相牽連する所なからしむべき様努力せざるべからず。此を約言すれば、三国に対しては遂に全然譲歩せざるを得ざるに至るも、清国に対しては一歩も譲らざるべしと決心し、一直線に其方針を追うて進行すること目下の急務なるべしとの結論に帰着し、野村内務大臣は即夜舞子を発し広島に赴き右決議の趣を聖聴に達し尋で裁可を経たり。

 陸奥としては、敵を増やすことは出来ないとするなら、その干渉を全面的に又は一部を受け入れざるを得ないだろうと。第二策では却って三国以外の干渉まで招き、遂には清はそれに乗じて講和条約の批准すら抛棄することになりかねないし、つまりは第三策では不甲斐ないとか何とか言っている場合ではなかろうと。ただし清国に対してだけは決して譲歩することなく、一直線に方針を貫かねばならないと。
 陸奥ならではの冷徹な分析である。

 

なおも続く外交工作

 ただし速攻で干渉を受け入れるわけではなく、最後の最後まで百方手を尽くすは勿論のこと。
 陸奥は続けて「然れども此結論は畢竟今後百方計画を尽したる上、万々已むを得ざる時機に及で施すべき最後の覚悟なれども、夫迄には尚お種々の談判も懸引もあるべき事にして、且つ五月八日即ち講和条約批准交換の期日迄は尚お十有余日を存すれば、先ず一方に於ては三国の勧告に対し再三理を悉し、情を述べ其勧告を撤回せしむるか、或は之を寛和せしむるかの方策を講じ試るべく・・・・」と述べているように、なおも外交に手を尽くした。
 しかし結局は、英国の加藤公使と露国の西公使からの電文次第によって方針を決定する外はなかった。(「明治28年4月25日から明治28年4月27日」p16)

 4月26日、陸奥は在英国加藤公使に以下の電文を発した。

(「明治28年4月25日から明治28年4月27日」p21)

四月廿六日発

 在英加藤公使     陸奥外務大臣

 日本国に於て奉天半島を永久に占領することに付、三国政府が唱うる所の故障は左の四項とす。

  一、 朝鮮独立は有名無実となるべし。
  二、 欧州各国の商業上の利益を妨碍す。
  三、 清国の帝都を危うす。
  四、 東洋の平和を危うす。

 日本政府は歩み合の方法として左の弁明を提出す。

  一、 日本政府は朝鮮国独立に関しては事の自国に関わる限りは誠実に欧州各国を満足せしむべし。
  二、 日本政府は奉天半島に於て営口及び外一港を自由貿易港と為すべし。斯くすれば、国境通過税は普通、海関税より税率低くして且つ一港は終年氷結するの患なく、船舶の出入自由なれば、奉天半島の占領は欧州商業上の利益たること疑うべからざるなり。
  三、 該半島の占領は北京を危うするものとすべからず。然れども一歩譲りて之を危うするものとするも、是は清国に関する問題なれば、清国に於て鉄道を布設せば其の危難に対する防禦には余りあるべし。
  四、 区画明瞭分界正確なる境を清国に接し居る欧州諸国の経験も徴するに、東洋の平和を危うすとの畏あることなし。故に国境の境界線を確実に定めたる以上、日本政府は清国と善隣の交を結て平和を保持し難き理由あるを視ず。

 閣下は前記の譲歩提出案を内密に英国外務大臣に示し、左のことを申さるべし。

 日本政府は本件に関し、英国の利害は他の欧州各国の利害に超越し居るの事実を認め居るが故に、第二項に於ては特に此等の利益を調和することを勗めたり。

 閣下に於て都合宜しと思われなば左のことも申出し、英国政府の意中を聞かるべし。

 満州東北部及び朝鮮の北部に対する露国の窺覦は此度同国の為したる要求に因て之を察するに足れり。故に目下の状況稍迫り居るに付ては、日本に於て前に記する所の如く、三国に返答したるときには日本は何程迄英国の助力を待受け得べきや。

 英国の鼻先に貿易利益を突きつけての露骨な誘いである(笑)
 また同日、米国の栗野公使にも国務長官に次のように申し出よ、と指示。

(「同上」p24)

明治二十八年四月二十六日発

 在米 栗野公使    陸奥外務大臣

 左の通り国務大臣へ伝えられたし。

 日本国政府は此際米国の好誼ある意嚮に対し深く感謝する所なり。日本国政府敢て友邦の条理ある異議を度外視せんと欲するものにあらざるとも、今にして奉天半島を抛棄すること至難にぞくすせり。何となれば清国より該半島を割与したる条約は、已に我皇帝陛下の御批准を経たるのみならず、日本国政府は又事情斯かる抛棄を必要とするものなりとも思考すること能わざればなり。若し米国に於て已に是迄平和の為め好誼ある斡旋の労を執られたる序に、今一歩を進め殊に露国に向て奉天半島の永久占有に対する異議の再考を勧告せらるゝに於ては、満足に当事件の局を結ぶを得んこと、日本国政府の信ずる所なり。日本国政府は露仏独三国の運動は清国を誘うて条約を棄却せしめ再び戦端を開かしむるに至らんことを恐る。而して此の如き結果は成る可く之を避くるを要す。日本国政府は密かに米国友誼の援助に依頼するものなり。

 そして、これらの返事が来るまで、東京外務省の林次官に対しては、露独仏の三公使が要求の返答を求めても、それを引き延ばせと再三指示。
 一方、27日、イタリアに居る高平公使から以下のように電報が来る。

(「明治28年4月27日から明治28年4月29日」p1)

四月廿七日発

 陸奥外務大臣        在伊 高平公使

 伊国外務大臣曰く。
 欧州交渉政略上に於て、英国の意嚮一定せざるは今回独逸をして干渉を企てしめたる原因の一なり。故に「ローズベリー」伯の優柔不断の内閣をして容易に日本国と共に働く様、誘導すること能わざれば、英国をして働かしむる為めには、独逸国の底意の在るところを告ること可なるべし。此事は伊太利に於て独逸の歓心を失わずを失わずして能く之を為し得べし。且つ若し必要なれば伊国は其の軍艦を東洋に派遣すべしと。

 貿易上の利にさとい伊国(笑)
 高平公使は続けて、伊国外務大臣との談話を以下のように打電。

(「同上」p6)

 四月廿七日午前十二時五分露京発

 陸奥外務大臣     在伊 高平公使

 講和条件に対する独逸の意向に関し、本使は伊国外務大臣と長時間に亘るの会見をなしたり。其節同大臣は密かに本使に告ぐるに左のことを以てせり。

 独国は伊国の共同を望みたれども、伊国は之を拒絶したり。今回独逸をして動かしめたる底意は、全く之に由りて欧州大陸の政略上に於ける仏露同盟を断ち、遂に仏国をして孤立の地位に立たしめんとするにあり。然れども独逸をして露国と合同して余り威力を逞うせしむるは許すべからず。或る程度に於て其勢力を遏止せざるべからざるなり。斯る事情なるが故に、若し英伊米の三国をして結合せしめ、日本の味方たらしむるを得るに於ては、干渉問題も由々敷大事に至らずして済むを得べし。然れども、若し之をなさんとせば日本は先ず此三国の協同を請求せざるべからず。其上に於ては伊国は悦んで英米両国を引誘すべし。元来今回の事件は頗る狂言的なるがゆえに、独国と伊国は毫も「三国同盟[トリプルアリアンス]」と抵触せずして反対の地位に立つを得るなり。

 又、伊国外務大臣は此事件を決了すべき日本政府の方策及目今新聞紙の報告する所の独仏露三国より公然日本政府へ提出したる事柄の詳細を知り得たしとのことなり。

 つまりは伊国外務大臣は、林次官と同様な見方をしていることになる。独逸の欧州に於ける政略上の狂言だと。

 なお三国干渉に於ける独国の謀略と強硬姿勢の経緯を記した独国外務省外交文書が後に刊行されており、それを日本政府が入手したのは大正12年(1923)のことであった。(原文テキスト

 さて、この高平の報告を受けて、陸奥は一点の光を見出したか、28日に以下のように伊藤総理に打電。

(「同上」p8)

二十八年四月二十八日前八時一〇分発

京都 鍋島外務書記官     舞子陸奥外務大臣

 総理大臣へ
 昨夜の高平の電報に拠れば、欧州各国の議論も遂に一致せざるが如し。今一歩進めば独逸は或は露と分かるゝやも知れず。今日は西及加藤の回答もあるべし。其上にて我々の決心を定けることを得べし。此形勢に就ては我々は間際まで推し行き、愈々已むを得ざるの場合に及びて一転するの外交策をとるを得策と思う。本大臣の病気も時今大に快き方なれば、時機次第何時も上京することを得べし。

 陸奥ほんとに病気から快復しているんだろか。一時的に症状が上向いただけでは。
 で、陸奥は在伊高平公使に以下のように打電。

(「同上」p12)

 四月廿八日舞子発

 在伊高平公使       陸奥外務大臣

 貴電五十号領収す。閣下は伊国外務大臣に面会し独乙国政府内実の意嚮を英国に告げ、同国をして日本に助力することの決心をなさしむること、及び清国をして速に条約の批准をなさしむることに付き、尽力あらんことを同大臣に請求せらるべし。此事は内密に在英公使、在米公使へ通知せらるべし。

 つまり伊国から英国に働きかけさせよと。

 で、陸奥の電信を受けた伊藤総理も高平からの情報に一縷の望みを見出したかのように、

(「同上」p16 )

二十八年四月二十八日 前十一時三五分発 后十二時二〇分着

 舞子 陸奥外務大臣     京都 鍋島外務書記官
 総理大臣より

 高平の電報にて原因分明なる以上は速に英米伊三国に我れの為めに働くことを要求するは焦眉の急なり。如何の手段を執られたるや。

 と打電。
 そこは陸奥、すでに高平や青木(在独)、栗野(在米)、曽祢(在仏)、西(在露)の各公使に尽力するように命じたことを伊藤に打電していた。(「同上」)
 伊藤は答えて、気分が良いなら京都に出てこないかと尋ねる。(「同上」p20)

 しかし、この4月28日午後3時、在露国公使西徳二郎より以下の電報が来る。

(「同上」p22より()は筆者)

四月廿七日露京発(第33号 4月27日午後8時30分発 28日午後3時着)

 舞子 陸奥外務大臣    在露 西公使

 四月廿五日付貴電に基き本使は力を尽して露国政府より提出の勧告に関する我請求に対し、都合よき同政府の回答を得んことを努めたり。

 四月廿六日、本使は露国外務大臣と長時間談論に及びたるに、同大臣は大に感ずる所あるが如き色あり。而して再び露国皇帝陛下の叡慮を伺うべきことを約せり。
 然るに今日に至り同大臣は、露国皇帝陛下には露国の勧告を翻回すべき充分の理由なしとの故を以て我政府の請求を承諾し玉わずとの旨を本使に回答したり。

 本使は露国より提出したる抗議の程度を確知し能わざれども目下露国政府は運送船を遣り「オデサ」に於て軍隊派出の準備中なりとの風聞あり。故に予め露国の干渉は重大なるべしと覚悟し居る方安全ならん。

 おそらく西公使渾身の説得であったろう。しかし前年に即位したばかりのロシア皇帝ニコライ2世は、それを拒否。ニコライ2世とは、あの大津事件の人である。
 西公使は、すでにオデッサにて露軍派遣の準備中の風聞もあり、日本政府は露国の干渉が重大なことであると認識した方がよいと。

 また、東京外務省林次官からは、露国公使と仏国公使が以下のように述べたと打電。

(「同上」p25より()は筆者)

電送第三七四号明治廿八年四月廿八日午後四時発

 舞子 陸奥外務大臣     林次官

 先刻露公使は左のことをも申したり。

 勧告一件に付日本は[イニシエチヴ(initiative)]を取り却て面倒を惹起されぬ様になされたし。又仏公使も同様の意味を述べ且つ此件に付き外より種々の深切らしき事を云う者もあるべけれども、うかと之に乗られぬ様篤と御勘考ありたと信実らしく申したり。

 昨廿七日露公使宛にて本国より二ページの電信二通来り居るなり。御含迄に報告す。

 さてしかし、陸奥外務はなおも血路を見出さんとする。また露仏公使の言動には彼等こそが焦っていると見える。

(「同上」p31より()は筆者)

二十八年四月二十八日后五時発五〇分発

 京都 鍋島書記官     舞子 陸奥外務大臣

 総理大臣へ

 西公使の三十三号電信に拠れば、露国政府は猶お我に対し多少相談の余地を与え居る故、俄に「アルチメートム(最後通牒)」の来ることあるまじ。何とか我より口実を設け懇合い居る中に欧州各国の形勢一変するやも計られず。本大臣は兎も角明朝九時神戸発の汽車にて上京すべきに付、総ての御決定は夫れまで御見合せ下さるべし。

 今日露公使及び仏公使より林次官に忠告したる模様にても欧州各国の挙動が如何に彼等の心配し居るかを見るべし。而して独逸公使が御忠告に加わり居らざりしも亦奇なり。

 その後、伊国の高平公使からは、伊国政府が英国と米国へ介入の勧告を始めたと打電。

(「同上」p33)

四月廿八日露京発
 陸奥外務大臣    在伊 高平公使

 本使の請求に由り伊国政府は同政府の意向及伊国外務大臣と本使との談話の模様を在英国及び在米国伊国大使へ電報したり。又在日本伊国公使へは在日本英米両公使に図り共に和合の策を講ずべき旨電訓せり。

 一方、東京外務省林次官からは以下のような電報が来る。

(「同上」p35)

 電送第三七五号 明治廿八年四月廿八日午後九時五分発

 舞子 陸奥外務大臣      林外務次官

 先日より各国公使は此大事件に際し外務大臣が東京に帰られぬ事に付き頻りに苦情をとなえ居る故、外務大臣は病により舞子に在り。寝床の中にて事務を見らるゝ位なり、と申し置し間、明日京都へ御出になるとも、新聞紙には病を推て強て行かれしように記載するよう御取計いありたし。
 又、伊太利は東洋に少しも関係なき国故、高平より申し来ることは余り頼みに為し難しと存ず。

 林次官、なかなかクールなお人らしい。
 しかし陸奥外務は以下のように返電。

(「同上」p41)

 電受第五六〇号 明治二十八年四月廿九日午前六時五五分発 十時三八分着

 本大臣愈々今朝此地を出発し京都に行く。又た昨日貴官が高平の電信には余り価を措かずとあれども、伊国政府が俄かに動き出したるには欧州の関係上に何か新しき事情起たるやも計られず。故に昨日も申進したる通り在東京伊国公使に御面会の上、彼れは果して本国政府の訓令を受け居るや御尋ねあるべし。

        舞子 陸奥外務大臣
林外務次官

 林が言うように伊国のアジアに於ける地位から見ればそうであろうが、動き出したという事実をこそ重視したい陸奥。

 さて、在英国の加藤高明公使からは以下のような報告が来る。

(「同上」p38)

四月廿七日午后十一時五十五分倫敦発

 陸奥外務大臣     在英 加藤公使

 四月廿六日付貴電に基き本使は同廿七日英国外務大臣に面晤したるに同大臣は頗る懇篤なる容子に見受けたり。本使は同大臣に対し、我政府より提出したる譲歩を以て今回の事件を結了せんとするに当り、日本は予め英国の協力を期し得べきや、と問いたるに同大臣は本使に答うるに、「英国政府は此事件に関し一切干渉せざることに決したり。而して英国が日本に協力することは抑も亦一の干渉に外ならず。為めに事体に一新面目を啓くことなるが故に総理大臣ロースベリー伯と相談の上ならでは返答しがたき」旨を以てしたり。又同大臣は此度我より提出の譲歩にては到底露仏独三国を満足せしむる能わずと思考するが故に、英国は該譲歩を基礎として日本を補助すること頗る難たかるべしと云いたり。而して多分明日其決答をなすべき旨本使に約したり。

 又同外務大臣は、露仏独三国にして果して如何なる程度まで其異議を主張する意向なるやを知らずと雖も、形勢頗る容易ならざる有様なるがゆえに、日本は之に対し十二分の覚悟ある方得策ならん。又英国は平和を望むを以て日本が欧州諸国と干戈を交ゆるを好まざるは勿論、日清戦争をして継続せしむることをも欲せざるなり。故に英国は此際に処するに当り彼是酌量の上其威厳上決断と責任を以て運動するの必要ある旨を申述べたり。

 本使は兼て在伊高平公使よりの通知に由り伊国政府の執らんとしつゝある方針を知り居るを以て、英国外務大臣に向て此際当事件を結了するの好案ありやと問いたれども、同大臣は否と答え再び前述の言を繰返し英国政府は刮目して当事件の成行に注意すべき旨を述べたり。尚同大臣の決答を得次第更に電報致すべし。

 やはりつれない英国(笑)

 29日、三国公使が揃って外務省に来、本国から回答は条約批准交換前にするように訓令があったと述べる。林次官は、陸奥外務は病をおして京都に行き、最後の決議があり次第東京に戻って陸奥本人から回答するだろうと答えた。(「明治28年4月29日から明治28年4月30日」p1)
 また、在日伊国公使は林次官に、伊国政府は日本のために支援を惜しまないことを表明。(「同上」p2)

 また西公使から追って、露国外務大臣との会談の内容を報告して来る。

(「同上」p7)

四月廿五日午後二時三十五分露京発

 陸奥外務大臣     在露 西公使

 露国外務大臣は本使に告げて曰く。
 露国政府は講和条件の改更を日本に勧告することに付独仏両国に同意し、日本にて遼東半島を占領することは永久に北京を威嚇嘑するものにして且つ朝鮮の独立を危殆ならしむるものなるが故に、此事を日本政府へ提議すべき旨在東京露国公使に訓令したりと。
 是に於て本使は同大臣に向い、前露国外務大臣在任の頃より露国政府は屡々日本に朝鮮の独立を害せざらんことを望まるゝ旨述べられ、日本政府も亦勉めて其安全を計りたるも、本使が屡々露国外務大臣に述べたる如く、将来我国が清国に対し自衛の為め且つ朝鮮の独立を鞏固ならしむるに必要なる為め日本が遼東半島を占有することに対しては、未曽て露国の異議を聞きたることなきに、今日俄に之を承わるは誠に驚入りたることなる旨を答え、且つ露国政府にして斯かる意外の異議ありたらんには、疾くに之を言明せられざりしは遺憾のことなる旨を申述べたるに、同大臣は、三国決意の今日にありては東京よりの回答を待つの外なしと云い、該勧告を容るゝ様日本政府へ申立つべき旨本使に請求したり。
 本使之に答え、斯の如き申立は蓋し其益なかるべし。如何となれば日本政府は幸に大戦勝に引続き起りたる日本軍人の太過なる希望及国民一般の激論を抑制し、漸く其要求を遼東半島に限りたる今日にありて、更に又同半島を抛棄するは実に至難なるのみならず、且つ日本は既に同半島に於て種々の改革に着手し、又多数の本邦人民をも彼地に移植したりと申述べたり。
 又此外には別に本使に於て弁じ得べき用なきやとの本使の問に対し、同外務大臣は東京よりの回電を待ち居るを以て目下別に本使に依頼することなしと答えたり。

 是に於て本使は同外務大臣に向い、露国政府は余り硬く其勧告を主張し、日本政府をして遂に其勧告を容るゝに付国内に於ける非常の反対に抗するか、若くは我軍人の感情及び国内の世論に従い已むを得ず絶対的に外国の勧告を拒絶するかの二策の一を執らしむるに至らしめざらんことを希望する旨申陳べたるに、同大臣は暫時沈黙して稍々憂色あるものゝ如くなりしも、露国政府は其企画を容易に中止すべしとは本使思考すること能わず。露国政府が斯く俄かに意嚮を変更し独国と同盟するに及びたる結果、今日の如き大事の地位に至りしは本使の最も遺憾とするところなり。若し貴大臣にして、到底我国が干渉を排却するに堪えずとの御決心なれば、本使の考うるところにては、朝鮮に境土を接するところの土地を抛棄し、而して他の地方は手強く之を要求すること得策なるべし。

 西公使の悔しさの滲む報告である。
 更に、以下のような意見も提出。

(「同上」p31)

四月二十八日露京発
 陸奥外務大臣     在露西公使

 東洋に於ける露仏独同盟艦隊の全力は已に貴大臣に於て御承知のことゝ信じ、本使は戦端を開くに至るの危険をも省みず彼等の提議を排却するの果して我国に於て得策なるや否やを知るに苦むなり。而して之を要するに戦捷の如何によりては其得失を決すべければなり。
 然れども、彼我の兵力比較上貴大臣に於て到底彼に抵抗すること覚束なしとの御決心なれば、本使は過日既に上申し置きたる如く、朝鮮に接続の土地を放棄して目下の議論を結了すること策の得たるものなるべしと思考す。
 結局本使の意見は、此事件の平和結了を図る為め永遠に遼東半島を占有するを罷め、償金金額仕掛の担保として一時半島を占領することゝし、而して大に其償金の額を増加し、清国をして永く之を皆済し得ざらしむる様に為すこと上計なるべし。
 然れども、目下露国は其勧告の日本に容れられざるべきを恐れ、且仏国の其企画を貫徹し得ざるやを懸念し居る容子あるが故に、或は最後の場合に立至るまで礼を尽して彼の勧告を拒絶するも亦一策ならん。

 「東洋に於ける露仏独同盟艦隊の全力」と。それがどの程度のものなのかはよく分からない。しかし「到底彼に抵抗すること覚束なし」のものだったはず。西公使も判断に苦慮。また、日本が遼東半島を領土とすることに露国が反対している理由を以下のように説明。

(「同上」p21)

四月二十九日発
  陸奥外務大臣    西公使

 露国の勧告に対し貴大臣より回答を与えらるゝ為めの参考として左の事実に御注意を請う。
 近頃露国外務大臣と長時間面談の節、本使の探り得たるところにては、露国が我が大陸に於て譲地の要求に反対する所以の底意は、一旦日本が遼東半島に於て好良の軍港を手に入れたる後は日本の勢力は敢て該半島内に限らず、将来に於ては朝鮮全国及満州北部なる豊饒の地全体に及ぼし、日本国より夥多の植民之れに移住し、遂には日本国の藩図に帰し、海陸に於て露国領土を危殆ならしむることを恐るゝにあり。

 まあそうでしょ。つまりは裏返せば露国の極東覇権と南下政策の障害になると言うこと。

 29日午后、陸奥外務は京都に着。(「同上」p10
 その後、在英国加藤公使から英国政府の正式と言える回答を報告。

(「同上」p24)

 四月二十九日倫敦発

 京都 陸奥外務大臣      加藤公使

 英国外務大臣は本日左の通り確答を為したり。

 英国政府は曩に局外中立を守ることに決したれば、此度も同一の意向を維持せんと欲す。英国は日本国に向て最も懇篤なる感情を懐くと同時に、己れの利益をも考えざるを得ざるに付、提議の譲歩に関し、日本国を助くること能わず。而して該譲歩は各国を満足するに足らず。又露国は真に決心するところあるが如し。

 本使は外務大臣に向い、英国政府は伊国政府より何か通知を得たるやと問合せたるに、之を答えて、特に伊国より通知を受けざれども伊国も英国と均しく日本国に対し友誼を懐き居ることは承知ありと言えり。

 よって、英国政府は三国干渉問題に関与しないことを正式に表明と。
 しかし「己れの利益をも考えざるを得ざる」とは真に正直。

 

独露仏に一応回答す

 さてさて、これにより、先の24日の広島御前会議、25日の舞子会議に於いて三国干渉を受け入れる方針が決定していたのではあるが、尚も要求の撤回あるいは緩和に向けて全力を尽くした結果として、30日、ついに回答を提出。尤も、講和批准交換の期日たる5月8日までにはまだ若干の余裕がある。

(「同上」p42)

 四月三十日京都発

 在露 西公使
 在独 青木公使
 在仏 曽祢公使
                陸奥外務大臣

 在日本独国、露国、仏国公使より提出せし覚書に対する回答即ち左記の覚書を仏独文に訳し之を独露仏国政府へ差出さるべし。

 日本帝国政府は、独国露国皇帝陛下の、仏国、特命全権公使閣下が其本国政府の名を以て帝国政府へ差出されたる覚書を最も慎重に査閲し了せり。
 日本国皇帝陛下は、独国露国皇帝陛下の、仏国大統領の、
政府の友誼の勧告を熟考し、且つ茲に再び両国間に存する親密の関係を重視する証拠を表彰せんと欲するが故に、下ノ関条約の批准交換に因り日本国の名誉と威厳とを完うしたる後、別に追加定約を以て該条約中へ左の修正を加うことに同意す。

 第一、帝国政府は其の奉天半島に於ける永代占領権は金州庁を除くの外は総て之を放棄することに同意す。尤も、日本国は其放棄したる領土に対し之に代うべき報酬として相当なる金額を清国と協議して之を定むることあるべし。

 第二、然れども帝国政府は清国に於て日本に対する其の条約上の義務を全然履行するまでは担保として前記の領土を占領するの権あることと知るべし。

 右覚書を独露仏国政府に渡さるゝときに速かなる回答を要求せらるべし。

 独露仏国政府にして右にても尚お満足せざる模様ならば、閣下は閣下の意見として彼等が最初出したる覚書は其侭にして少しも変更すること能わざるや、或は又本件調停の方法に関し別に申出すことありや否や問い質さるべし。

 遼東半島の完全放棄とせず、金州区以外としたところに、「右にても尚お満足せざる模様ならば、閣下は閣下の意見として彼等が最初出したる覚書は其侭にして少しも変更すること能わざるや、或は又本件調停の方法に関し別に申出すことありや否や問い質さるべし」と書かざるを得ない。
 つまりは大連、旅順口という重要地は占領すると。しかしこれではおそらく満足はしないだろうが一応回答した上で更に交渉してみるかと(笑)

 5月1日、東京外務省林次官より、「もし外国公使が、そのうち休戦期間が満期となった場合はどうするのか、という問いがあったらどう答えましょうか」と。(「1895〔明治28〕年4月30日〜明治28年5月4日」p3)
 それに対し陸奥は、「貴官は、自分の考えでは期限を過ぎれば再び交戦となることは勿論であると思う。しかしその事については何も聞いていない、と答えるべし」と返電。

 同日、林次官より、仏国公使に覚書を渡した時の様子を報告してくる。

(「1895〔明治28〕年4月30日〜明治28年5月4日」p7)

  電送第三八八号 明治廿八年五月一日 午後五時五十分発

 京都 陸奥外務大臣     林外務次官

 仏公使に面会、覚書を渡し且つ大臣より特別の周旋を依頼する旨申述たる処、支那と日本と後来同盟することは決して之れなきや、と云うにより、後来のことは本官に於て確言することは出来ねども、今日に於ては決して左様のことなく後来に於ても両国の事情異なる故に左様のことは日本の不利益となるべしと思う、と言いたる処、仏公使曰く。
 此覚書の条件にて纏りの事を特に自分に御託しのことは身の面目且つ日仏両国友誼上の幸なれば、必ず尽力すべし。自分等の受取りたる訓令には、旅順口を日本にて占有することは支那を危うすとあれども、極めて内々に御話申せば、頃日屡々露公使と此事を話すに彼れの意見にては、大連湾と旅順口を日本が占領することは露政府も或は承知すべし、と云い居れり。其代りに朝鮮の独立に対しては確然たる保証を要求するも知れず。然し右保証は内々にて為し得る事故、与論を激するの恐れは之れあるまじ。是より又横浜に行き、露公使と相談せんとす。実は今朝三公使相談して厳しき電信を本国に送る筈にてありし、と。

 仏国は日本と中国が同盟を結ぶことを恐れているらしい。それなら干渉側でなく日本側に立ちゃいいのに(笑)。また、仏国公使によると、露国公使が内々の話として言うには、露国政府は大連湾と旅順口を日本が占領することは承知するだろうと。それで陸奥は在仏国曽祢公使に以下のように打電。
 しかし仏国公使が言ったことが本当なら、露国公使ヒトロヴォーは本国政府の空気が全然読めていないことになるが(笑)

(「同上」p14)

 五月一日京都発

 在仏曽祢公使 陸奥外務大臣

 我が提出の覚書に対する仏国政府の意向宜しき模様なれば、露国をして我覚書を承諾せしむるに力を用いる様、閣下は仏国政府を勧誘することに努力せらるべし。返電を待つ。

 

露国、対日戦争準備を本格化

 さてその露国の動向であるが、各国公使の保護と行動監視にあたる神奈川県知事中野健明の5月1日付報告の中に、
「同三十日 東京より露国公使の宿所に来りたる通訳官鈴木寿なる者、帰るに臨み、公使館雇人某に対し、露国が廿八艘の軍艦を東洋に派遣し運動する計画あり。随分と面白かるべし、との放言したりと云う」
とあった。また、横浜港の露国海軍防護巡洋艦アドミラル・コル二ロフ(Адмирал Корнилов)5800トンも出港準備中と。(「同上」p17)

 また、在露国ウラジヴォストークの貿易事務官は同日付で以下のように報告。

(「同上」p15より、()は筆者)
二十八年五月一日 后六時五分発

 京都 陸奥外務大臣     在浦潮斯徳 二橋貿易事務官

 浦潮斯徳港は「ステート、オフ、ウォール(state of war)」の地と宣言され、黒龍江地方は戦闘準備の命を受けたるに因り、日本人として必要の場合には当所を立去らしむる為め予め用意すべき様、知事より通知ありたり。

 つまりは戦争態勢下に入ったと。
 そこに、在英加藤公使から以下のような在英独国公使との談話報告が来る。

(「同上」p22)

 四月三十日発
 陸奥外務大臣は       加藤公使

 英国駐在の独逸国大使は其書記官を遣わし本使に面晤を求めたるゆえ、本月廿九日本使は同大使を訪えり。大使曰く。
 露国の感情益々激昂し、仏国は今となりては同盟を去らんと欲するも之を為し得べからざるなり。又独乙国は従来は勿論、今日も日本国に対し常に友情を懐き居るが故に、円滑に本件を結了せしめんと欲する情甚だ切なりと。

 本使は大使に向い、若し独乙国が斯くまで日本国に対し友情あらば何故に同盟に加わりたるや、と詰問したるに、大使は夫れとは明言せざれども、欧州交渉の政略は独逸国をして同盟に加わらしめたる真実の源因なりとのことを暗に言い顕わせり。
 又之と同時に大使は、独乙国が同盟に加わりたるは日本国の為めに幸なり。何となれば独乙国は露仏両国に説きて大に其要求案を軽減せしめたりと告げたり。大使は日本国が遼東半島の一時占領にい満足せらるべきを勧告し、所謂一時の占領は将来何時も永遠の占領に変換するを得べしと言い、其先例を示せり。且つ永遠占領とまで至らざるものにして日本国にて承諾すべき取捌方あれば、本使より通知次第本使結了に尽力すべき旨本国政府へ申立つべしと言えり。
 同大使の得たる報告に依れば、清国は多分条約を批准すべく、然れども批准は各国の抗議を減ずることなく却て日本国が其邦土を抛棄するに於て困難を加うべし、と言えり。

 露国感情は激化し戦争やる気満々と。それこそフランスが同盟から逃げ出したいほどと(笑)
 で、そもそも仏国を孤立させたいだけの政略であり、だから日本とほとんど戦争する気はない独国はここに至って友情云々と。
 でも、在日独国公使は干渉当初に「戦争するかコラ」という本国政府の言をうっかり林次官に伝えちゃったしねえ。
 それで「ドイツがそこまで日本に友情があるとするなら、なぜ干渉同盟に加わったのか!」と詰問する加藤公使。

 そもそも国と国との友情なんてのはねえ・・・・(苦笑)

 しかし陸奥外務は早速加藤公使に以下のように返電。

(「同上」p25)

五月二日 京都発

 在英加藤公使       陸奥外務大臣

 一〇二号貴電領収す。
 閣下は在英国独乙大使の話を利用し、同大使に三国に対する我回答の趣を告げ、独乙政府は右にて満足するあらんことを望む旨申さるべし。且つ独国政府は日本政府へ対する従来の友誼に基き、露国政府をして我覚書を速に承諾せしむる様尽力あらんことを望む旨申述べ、而して清国の条約批准は日本をして譲歩を為すに困難ならざるは勿論、却て本件の処置を用意ならしむべしとの事を同大使へ保証さるべし。
 貴電一〇二号及本電を在独青木公使へ通知せらるべし。

 また林次官も陸奥外務に対して、「仏国公使から、曽祢公使と西公使は露仏両政府への談判について互いによく打ち合わせをしていた方がよい、との助言があった」と報告。(「同上」p29)

 次いで以下のように露国公使と仏国公使との談話内容を報告。最後まで希望を持たせるかのような内容である。

(「同上」p38)

   電送第三九八号明治廿八年五月三日午後五時二〇分発

 京都 陸奥外務大臣       林外務次官

 仏公使の内話に拠るに、露公使は日本の回答に対し露国政府に於て充分満足するやの処少しく疑われ、其訳は曽て受取りたる訓令にもある通り、各国は日本の旅順口を占領することに付き元々異存ある旨申し来りたるが故なり、と云いたる由。
 依て仏公使は此に答え、今御互に日本の状態を察するに、土地の件に付ては此より多く譲ることは到底日本政府に於て与論其他民情に迫まられ事情の許さゞる所と察す。依て我々は可成此は此侭に承諾せられんことを本国に勧むること最も肝要なり。尤も露政府に於て朝鮮独立の件に付懸念あるなれば、之が為めに相当の保証を立てさすれば可ならん、と勧めたりしに、露公使も此意見に同意の旨を述べたりと。
 独公使の様子は別に御報告申すべきことなし。

 偖、我より回答を為したる後、露独二公使へは本国より今に何たる電報も来らず。仏公使は一昨夜以来長文の電報を以て数回本国政府と往復せり。独露公使への回答の遅きを以て察するに、三国より回答ある上は必ず彼我押引の談判となり、さそくの懸引を要するに至るべし。其場合には閣下は当地にて各公使と御面談ある方、彼等の感情をよくするのみならず、万事に都合よしと信ず。
 原[もと]より閣下の御病状如何によるべけれども成丈御帰京ありては如何。

 しかし何だか仏国公使、うまく立居振舞っているかのように見えるが(笑)

 で、陸奥は、林からの一報次第でいつでも帰京するが、今日あたり西公使から何か言ってくだろうから、その上で進退を決する積もりと、返電。(「同上」p40)
 さて、在独逸国青木公使からは5月1日付けの電報が4日に到着。

(「同上」p42)

五月一日 伯林発
 京都 陸奥外務大臣     青木公使

 本使、独乙外務大臣に面晤せしに、前回面晤の節よりも我に対し好意を懐き居るものゝ如くにて、直ちに返答して曰く。
 旅順口は直接に北京を危うする源因なるが故に、日本国の占領地は何程狭少なるも苟も其内に旅順口を含むときは其永代占領に対し各国に於て必ず抗議を為すべしと。
 右に対し本使に於て大に弁駁を試みたるに拘らず、独乙外務大臣は唯だ日本国政府にて一時占領と、放棄したる土地に代る所の報酬とを以て満足すること可ならんとの勧告を述べたり。云々。

 さもありなん。在日露仏公使は阿り過ぎるというか、まあ駐在国の人々から非難されたくはないだろうし。
 ところで、最後の「云々」にはなんだか笑った。原文の英語電報では最後に青木が意見を述べたりしているのだが、翻訳文では「云々」と省略。確かに「云々」だ(笑)

 上の電報からわずか20数分後、再び青木公使から5月2日付けの電報が来る。

(「同上」p44)

五月二日発
 陸奥外務大臣     青木公使

 独逸国外務大臣は本使の来訪を請い勧告して曰く。
 日本国は旅順口を放棄するに当り清国に向て旅順口の砲塁等を永久に取毀すべきことを要求するを得べしと。
 本使は之に答えて、右の勧告は全く必要なしと断然たる返答を為したり。

 「 公使館雇外国人「シイボルト」の報告に依れば、当地駐在清国代理公使は北京政府よりの訓令に因り本日独乙国外務大臣を訪い、講和条約批准の件に付其意見を尋ねたるに、独逸国外務大臣は之に答えて、該件は単に日本国と清国との間の事にして、独逸国に於て其批准拒絶のことを勧告すること能わず、と告げたるに清国代理公使は、右は已に露国の勧告したるところなりと答えたれども、独逸国外務大臣は其の容易に信用すること能わざる旨を告げたりと。
 因て清国代理公使は条約批准を可とする旨其本国政府に電報すべしと思わる。 」

 実は北京政府の方が講和条件に関して日本よりはるかに必死の対外工作をしていたのではなかろうか(笑)

 

露国、日本の回答を拒否

 さて、その4日の午後6時半、ついに在露国西公使から以下のような電報が来る。

(「同上」p46)

 五月三日露京発

 陸奥外務大臣      西公使

 本使は本月一日、我覚書を露国政府へ差出し力を極めて我が提議を貫かんと論弁せり。
 本月三日、露国外務大臣に於て露国政府は我が覚書は満足する能わざる旨を言明し、且曰く。
 昨日、内閣会議を開きたるに該会議に於て日本国が旅順口を所有することは障害ある故に其最初の勧告を主張して動かざるべしと閣員一致にて決議し、而して該決議は露国皇帝陛下の裁可を経たる旨申聞けたり。

 本件に関し本使は露国外務大臣に向い力のあらん限り手を尽したれども、遂に露国政府をして別に本件処理の方案をも提出せしむる事能わざりしは、本使の最も遺憾とする所なり。

 当然、京都ではこれを閣議に。

 

日本、奉天半島の永久占領を放棄

 で、翌日5日、終に日本政府は以下の電文をそれぞれ在露独仏の各公使に発した。

(「1895〔明治28〕年5月4日〜明治28年5月9日」p2)

五月五日 京都発
  在露 西公使       陸奥外務大臣

 閣下は左の覚書を仏文に訳し露国政府へ提出せらるべし。

 日本帝国政府は露仏独三国政府の友誼ある忠告に基き、奉天半島を永久に占領することを放棄するを約す。

 右提出のときに当りて閣下は左のことを申さるべし。

 日本政府が斯く誠実に三国政府の忠告を容るゝは、刻下の事体をして早く終局に至らしむるを望むが故なり。

 閣下は若し露国政府の抗議を惹起すの虞なしと思われなば、左記の二項又は一項にても申述べらるべし。

 第一、 日本政府は放棄したる土地に対し清国より報酬を要求するの権利を保有す。

 第二、日本政府は清国が日本に対する条約上の義務を履行する為めの担保として、暫時該半島を占領するの権利を保有す。


(「同上」p4)

五月五日 京都発
  在露 青木公使
  在仏 曾祢公使      陸奥外務大臣

 閣下は左の覚書を独仏文に訳し独仏国政府へ提出せらるべし。

 日本帝国政府は独露仏 仏露独三国政府の友誼ある忠告に基き、奉天半島を永久に占領することを放棄するを約す。

 右提出のときに当りて閣下は左のことを申さるべし。

 露国政府は日本政府の提出案を承諾すること能わざるが故に、且又刻下の事体をして終局に至らしむるを切望するが故に、最前提出したる覚書に対し、独仏国政府の決答を待たずして誠実に三国政府の初めの勧告を容るゝを以て良策と思考せり。

 左のことは閣下の心得迄に申進す。

 第一、 日本政府は放棄したる土地に対し清国より報酬を要求するの権利を保有す。

 第二、日本政府は清国が日本に対する条約上の義務を履行する為めの担保として、暫時該半島を占領するの権利を保有す。

 無条件での全面的受け入れであった。

 これを林次官から聞いた在日仏国公使は、「何か外に条件があるんじゃないの?」と却って怪しみ、独国公使は「とするなら、どうやって他に償いさせるの?」と不思議がり、露国公使は「清の賠償額は少ないからもっと要求したらいいのに。けど、この譲与は友誼の忠告を聞いて日本が積極的にしたことであって、他国の脅迫によってのことじゃないから、いいんじゃない?」と述べた。(「同上」p24)
 他の国々の在日公使たちも、この無条件の承諾を不思議がり、且つ次のように述べたという。
 「強国から脅迫されて止むを得ず譲与することは大国の場合でもある。しかし今度のは三国ともまだ脅迫があったわけではなく、ただ友誼上の忠告があっただけである。それなのに直ぐにそれに従われるのは正当とは見えない。おそらくは世界の眼は日本が一年間の戦争で得た栄誉を一朝にして失ったかのように見るだろう」と。(「同上」p25)

 つまりはびびりとな。これらを聞いた林次官、悔しかったろうなあ。

 当然、露独仏政府はこれを歓迎。ここに三国干渉問題は終結するに至った。
 しかし、これを歓迎しないのは日本国民。激怒を通り越して三国とりわけ露国への怨念とはなったと。というか、いよいよ日本が強大国になるしかない!!という執念をいやが上にもかきたてられた、ということだろう。

 

再びの三国干渉

 さて、遼東半島抛棄を決めたものの、どのような代償に変えるのか、またここからの撤兵をどうするのか、という新たな問題が生じてくる。

 5月30日、独露仏三国の公使が外務省を訪れ、陸奥外務大臣と会談をした。(「明治28年5月25日から明治28年5月28日」p16)

 三国の公使が本国政府から日本外務大臣と協議するようにとの訓令によれば、

1、遼東半島抛棄の報償として日本政府はいか程の金額を清国に請求するつもりなのか。
2、遼東半島駐留の兵士を何時頃に引揚げるのか。
3、三国の政府は、台湾と清国間の海峡における航海の自由を日本政府から保証を得たい。
と。
 なお、独国公使からは本国政府の要求として、「日本政府には、台湾と澎湖島を決して他国に譲与しないことを宣言してもらいたい」と。これは実は、仏国が台湾進出を目論んでいることに対する独国の警戒から出た要求であった。
 また、露国公使は、報奨金の金額のことで、「先頃、独公使は、その金額を夢に見られたることありたり。而してその金額は一千万両(テール)より一千五百万両なりとのことなり」などと述べた。

 これらに対し陸奥外務は、未だ確定していないので、いずれ正式に回答すると。
 この日は天皇陛下還幸の日であり、東京中が奉迎行事で沸き立っていた。そのような日に無神経にも、いやわざわざ外務省に会談に来た三国公使の、その意図が見えようというもの。

 その後、いくらか日本政府と三国政府との間で確認がとられ、やがて宣言という形で閣議決定したのは7月16日だった。
 同19日、三国公使に以下の宣言を通告した。(「明治28年7月16日から1895年〔明治28年〕7月29日」p13)

1、遼東半島抛棄の追加報償として、清国に庫平銀5千万両を要求する。
2、清国がその庫平銀5千万両を払い、且つ下関条約で規定した軍費賠償金第1回の払込みを終わった時に、占領軍を金洲半島境界内に撤回する。また、賠償金第2回の払込みが終り、且つ通商航海条約の批准交換が終わった時に、奉天半島から全撤回する。
3、該海峡は各国公共の航路と認め、日本国の占有、管轄に属するもでのないと宣言する。
 また、帝国政府は、台湾及び澎湖島を他国に譲与さぜることを約す、と。

 撤兵することにかくも慎重なのは、日本人にとって清国とは、全く信用できない国であると骨身まで染み込んでいるからでもあった。ただに日清間のみならず、他国との間においても、条約あって無きがごとく、約束あって守られることなく、とは清国政府の実態でもあった。

 しかし、8月1日発で露国駐在西徳二郎公使から以下のような報告が来た。

(「明治28年6月18日から1895年〔明治28年〕9月11日」p18)

廿八年八月一日午後十二時三十分 露京発

 西園寺外務大臣      西公使

 七月三十一日、露国外務大臣は本使に向い、同政府は我回答を以て満足すること能わざる旨を告げたり。
 同大臣曰く。
 露国政府の希望は、日本の速に遼東半島より撤兵することなり。而して日本政府は其回答をなすに当り、該撤回を以て毫も其事と関係なき償金支払及通商条約締結に従うべきものとし、該事件を混合したり。而して右償金支払と通商条約締結の事は、下ノ関条約に由て已に確定せられたるものなり。加之、日本政府は巨額の賠償を要求せざるべ旨、曩に東京に於て言明したるに拘わらず、今般提議の金額は甚だ過大なりと云わざるべからずと。

 本使之に答え、
 日本政府が三国に向ての盟約は、唯遼東半島の永久占領権を抛棄することにして、其撤回に対する条件の如きに至ては、素より日清両国間に於て処理する所ならざる可からず。而して之を処理するに当り、撤回の条件を以て下ノ関条約の履行に対する担保と別離すること能わず。何となれば、該条約に由り、同半島は我占有に帰すべきものたりしなればなり、と申述べ、且つ我が条件の至当にして且償金額の多過ならざることを説明したり。

 露国外務大臣は、我に於て全然同半島より撤兵する迄は、到底本問題を結了したるものと認めざるものゝ如く、又通商条約の未だ締結せられざる等を名とし、我に於て兵力専有を永続するを懸念するものゝ如し。又、同大臣は当事件に関し、両三日中在日本露国公使へ訓電を発すべしと言えり。目今、露国政府は独国政府の意見を待ち居るものゝ如し。

 その後のやり取りの中で、露国政府は無償で遼東半島を返還させようとの意向であることが判明。よって、陸奥外務は西公使に、「それならばなぜ三国公使を以って償金額を問わせたのか、また、かつて日本駐在露国公使は、遼東半島返還の代わりに多額の償金を取るべし、と言っていたこと」などを報せ、露国政府に交渉させた。
 その他の各国駐在公使にも交渉させていたが、やがて露国政府が日本の宣言に正式に回答したのは9月11日であった。

(「1895〔明治28〕年6月18日から1895〔明治28〕年9月11日」p3より、()は筆者)

[九月十一日、三国公使より外務省に交付]
(訳文)

 去る七月十九日付を以て外務大臣臨時代理西園寺侯爵閣下より三国の代表者へ交付せられたる覚書に対し、該代表者は左の通り日本帝国政府へ通知すべしとの委任を受けたり。

[一] 従来、日本帝国政府は節制と公平とを重ずるの精神を表明して、以て文明世界一般の尊敬を博したるは最も当然に属するものにして、今や前記三国政府は、此の誠心に訴うるものなるが故に、日本帝国政府に於て遼東半島還付に対し、定められたる金額を欣然減ぜらるべきは三国政府の信じて疑わざるところなり。随て三国政府の意見にして、日本帝国政府に於て之が為め要求せらるべき報酬は、三千万両を超過すべからず。
[二] 三国政府に於ては、半島撤兵の条件を定むることゝ、日清両国政府間、今将さに商議せんとする通商条約調印との間には、何等の関繋を設け得べしと認めず。因て三国政府は日本帝国政府に於て速に本件を確定するより生ずる所の各種の利益を確認せられ、前記三千万両の支払後、直ちに撤兵を実行し得る様、早日を以て該撤兵の期限を確定せられんことを希望す。

 高慢無礼な文章である。五千万両は高いから三千万に負けろ、さっさと撤兵しろ、というのである。
 そもそも、遼東半島返還問題の処理は当事国である日清両国間でまとめられるべきものであって、ここまで他国が露骨に干渉するか、というもの。文明世界がどうのこうのという一文がいよいよその高慢さを臭わせる。
 おそらく日本政府内の人々は断腸の思いであったろう。しかも交渉はなかなか整わず、やっと落着したのは10月25日であった。で、日清談判は更にその後となる。

 この三国干渉関連の史料には、いろいろと興味深い記述が各所で見られる。当時のその文明世界を自称する西洋列強国というものが、いかにおぞましいものであるかが窺えるものでもある。

 

 

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