日清戦争下の日本と朝鮮(9)
(参照公文書などは1部を除いてアジ歴の史料から)

 趙廷奎筆 絹本着色 魚介図 第六十二図 縦 三尺六寸六部 横 一尺三寸三部(「李王家博物館所蔵品写真帖 1912年 李王植蔵版」改訂版絵画之部「昭和8年出版」より、()は筆者)
「趙廷奎(1791〜1860頃)は琳田と号す。憲宗朝(高宗の2代前の朝、在位1834年〜1849年)の人なり。好んで魚介を書く。此画の構図甚だ奇にして、寧ろ滑稽に類せり。朝鮮画工の魚介を画くは多くこの種の構図にして、水陸の別界判然せず、故に魚山上に躍るが如く見ゆるもの比々皆然り。亦是れ朝鮮一流の画風と云うべし。」
 鯛が岩肌を昇り、海老は土草に遊び、蛤が宙を這い、小魚は草花に戯れ、而して烏賊は空中を泳ぐ。
 朝鮮で魚介を描く際の画風は皆同様であったらしい。空想逞しい朝鮮の人らしい絵画である。というか、まさに斜め上の・・・・・

 

再乱の東学党鎮圧までの経緯

 どうにも資料が大量すぎて、中々全体の流れが掴めなかったのだが、大体の経緯が見えてきたので、ちょっとここでそれを纏めてみた。

 9月の平壌戦前後から小規模の乱が再燃し始めたが、朝鮮の地方兵では鎮圧は覚束なく逆に乱民から兵器を奪われるような始末であった。日本軍も兵站部が襲撃を受けたり地方官民からの請願などもあって乱の鎮圧に着手したが、当初は兵站部の護衛隊小隊やその分隊などを充てていた。

 その頃大院君らが慶尚、忠清、全羅の3道に放った密使による教唆扇動は功を奏し、10月になって東学党巨魁は乱民を率いて蜂起し、各地で官庁を襲い民家を焼き、武器、食料、財貨を奪いながら移動し、全州は陥ち、公州、清州に迫る勢いとなった。

 それにより朝鮮政府では、日本軍の力を借りるべきであるとの議を決し国王裁可を請うに及んだ。
 しかし大院君と李呵Oは、
「東学徒といっても本国の民である。今その順序を誤ってはならない。まずこれを説諭するなら必ず王の下に良民とならないはずはない」
とそれに強く反対したが、議政府は尚も討伐を促した。よって大院君は自分の名を以って説諭文を作り、それを鎮撫使に持たせて3南の東学徒に下した。
 ところが大院君は同時に政府官吏に用いていた元東学党巨魁2人をそれに同道させ、裏で扇動工作に従事させた。

 やがてそのことに気付いた忠清道監司は2人を捕らえて牢に入れ取調べようとしたが、大院君腹心の部下が現れて2日後には2人は殺された。
 そのようなわけで鎮撫使の説得は役には立たず、一向に乱が収まる気配もないので、議政府は日本軍の借用を強硬に主張し、遂に大院君も折れて国王裁可を黙認した。

 それと前後して9月末頃、東学党に向けて李呵Oが与えた書面を政府警務庁が入手。政府内の大院君反対派は日本公使館にそれを通報し、なお大院君が平壌清将に通じていたことなどを告げた。警務庁は更に捜索し、東学党に関係して大院君の指示を受けた者等を逮捕。その供述から大院君と李呵Oの隠謀が発覚した。
 しかし大院君は直ちに警務庁の長の官職を剥奪して幽閉し、その威権を顕示。逮捕された者には役人に取り立てることを条件に沈黙を守らせた。
 それによって大院君反対派は身の危険を感じて多いに恐れ、日本公使館に保護を求めるに至った。

 しかし巷には、大院君と東学徒が関係しているとの風説が流れ始め、それより大院君と李呵Oは日本公使館を訪問して、風説を流しているのは自分らと日本公使館を離間させようとする者の隠謀であるから決して信じないように、と申し立てた。

 その頃井上馨が全権公使として赴任。大院君と李呵Oは井上公使にも、風説を信じないようにと説いた。しかし井上公使はそれを聞き流し、総理、外務、度支の3大臣を呼んで、国王、大院君、李呵Oが8月に平壌清将に送った手紙を見せて詰責。また、東学党掃討の日本軍に対して東学党巨魁の捕獲と書類一切の押収を指示し、大院君や李呵Oと東学党の関係を明らかにすべく、軍部と度々協議を重ねた。

 その頃、かつて大院君と李呵Oが、政府内開化派の人物すなわち、金宏集、金鶴羽、金嘉鎮、安駉壽、趙義淵、金宗漢、兪吉濬、李允用等を暗殺するように指示していた部下が、壮士剣豪を集めてそれに着手し、まず法務協弁の金鶴羽を自宅で殺害。しかしその後は警務庁の警備厳重により、また井上が大院君と李呵Oにその隠謀の事実を詰責したことにより、それ以上には及ばなかった。これは後に暗殺者たちが逮捕されるに及んで、李呵Oの指示によって金鶴羽暗殺のみならず、廃妃と王位簒奪を画策したという嫌疑を生じ、遂に李呵Oという王族が裁判審問に掛けられるに至ることになる。

 その頃、日本軍掃討部隊は乱の猖獗甚だしい全羅道に1大隊、また黄海道にも1中隊程度が派遣され、全羅道に向わせた大隊はそれを東進、中進、西進の3中隊に分けて進軍させ、各地の万、数千、数百の乱の掃討に当らせ、乱の巨魁を逮捕また書類などを押収させ、それによって大院君や李呵Oと東学党の関係が明確になり、また首魁の名簿なども作成されたりした。

 11月中旬には、国王、大院君が、平壌清将に手紙を出した件で日本政府に対して謝罪。また李呵Oは東学党に関係したことを謝罪(大院君は孫は部下に惑わされたのであると主張。自分の関係は否定)。よって井上は、そのことで譴責はせず、大院君と李呵Oら国王以外の王族が決して政治に容喙しないことを確約させた。

 その頃、西進の1中隊が東学党首魁全琫準の率いる1万余りの乱民と交戦してこれを撃退し、その後の追撃や他の中隊の掃討などもあって彼の率いる集団はほぼ解散した。全はその後民兵によって逮捕された。

 日本軍はその後も中隊或いは小隊を以って、或いはまた朝鮮兵との共同戦闘によって、各地の乱民を撃退し鎮圧し、乱の首魁も各地で捕獲し或いは戦死せしめた。日本軍は首魁は捕獲する方針であったが、せっかく捕らえても朝鮮官吏の方がその場で処刑してしまって日本側が残念がる場面もあった。また、乱の中に清兵40人ばかりがいるとの情報があり、後にその数人を捕獲したことがあった。或いはまた、全羅道に於いて朝鮮軍水営の依頼を受けて日本海軍陸戦隊が上陸して掃討する一幕もあった。

 しかし中々完全鎮圧までには至らず、翌年1月、2月を経て漸く乱の発生は下降線を辿って行く。

 やがて乱民は日本兵の姿を見ると即座に逃走するようになり、集結すること自体が難しくなっていった。また、乱民の掃討を目の当たりにした各地の地方官や人民等は一様に日本軍の駐在を望むようになり、また村民から義勇兵が起って日本軍と共に乱の掃討に当ったりもした。中には土民等が率先して日本軍の荷物の運搬を申し出、或いは官民共に天幕を張り小屋を建てて日本軍に供することもあった。

 東学党がいかに大義名分を掲げようと、どれほど忠君愛国の心で憤ろうと、やっていることは単なる強盗殺人集団と変わらず、農民を脅して乱に強制加入させたり、内部の悪質な犯罪者を浄化する能力も無いような組織が、多くの良民の支持を得られるはずも無かった。
 終に追い詰められて乱民自らが首魁を殺して投降する集団もあった。

(以上、簿冊「明治27年10月5日至同11月9日 「陣中日誌 南部兵站監部 第3号」」、簿冊「明治27年 「秘27、8年戦役戦況及情報」」、簿冊「明治28年1月 日記」、簿冊「明治27年自7月至12月 「情報 共3冊(一) 庶」」、簿冊「 韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第二巻」より)

 

改革要項20箇条の提出

 さて、公使就任半月経たない内に、大院君と李呵Oの政治への容喙を封印するという辣腕を振るった井上馨は、その後大院君と反対派つまりは日本党の金嘉鎮、安駉壽、趙義淵を和解させんと11月15日に彼らを大院君邸に誘い(この日、金嘉鎮は差支えがあって来なかったが)、まず今までのことを謝せしめた。
 大院君もそれに応えて、
「予も過失がないではなかった。既往のことは棄てて今後は一致協和して国家の興隆を図るべし。自分は政務のことは一切井上公使に任せたので、公らもよく公使の指示に従うように」
 と述べた。

 次いで金総理大臣に、全大臣に大院君邸に集合して会合させるように通知。
 よって18日に大臣全員が集合。同席した岡本柳之助が、大院君は政務に干渉することを辞退したに至ったことを述べ、また大院君は諸大臣に向って、
「岡本公は井上公使の意を受けてこの席に居る。予は政治に公務してすでに百余日となる。まだ実施ならない件があるが、以後は政府の各衙門がそれを行い、また互いに権限を侵越することなく事を進めれば協議は妥定に至るだろう。井上公使は日本維新の元勲である。東洋の先覚である。我政府は宜しく虚心坦懐に相談して事を進めれば必ず国家の治まりとなろう。諸公はこれに勉めよ」
と演説した。(以上「朝鮮国王及諸大臣ニ内政改革ヲ勧告ノ件/22 朝鮮政況ノ報告」p6、p7より)

 続いて、井上公使は国王内謁見を20日21日と行い、「改革に関する要項20個条」を奏上した。出席は、
 国王、王妃、諸大臣すなわち、
総理大臣   金宏集
外務大臣   金允植
度支大臣   魚允中
署理軍務大臣 趙羲淵
工務大臣   徐正淳
法務大臣   洪鐘軒
学務大臣   朴定陽
農商務大臣  厳世永
宮内大臣   李載冕

 また特に統営使李呵Oが参席を許された。(おそらく大院君は別間に控えていたろう)

 冒頭、井上は平壌清将への書簡の件で国王から謝罪があったことに触れ、謝罪されるからには清国に隷属する依頼心を絶ち、独立国としての基礎を強固なものにするために、内政改良という頗る困難な事業に取り組む決心と勇気があるかを問うた。

 それに対し国王は、

国王 「然り。朕は書簡のことは後悔する。朕はもちろん内政改良をして、熱心に国歩を進めていくことを望んでいる」

と答え、また井上は、

井上 「国歩を進めるとは即ち独立して歩むということであり、貴国の今の状態を見るに、数多の困難を冒して、どのような障害に逢おうとも、この中興の業を成就するために、決して挫けないという勇気と決心がなければならない」

国王 「然り」

 井上は大臣たちにも同様の問答を行い、更に、

井上 「ここに一言したいことは、日清の交戦もご承知のように我が軍の連戦連勝であり、したがって日本の威力が加わる今日、大君主はじめ大院君諸大臣に於いては、井上が公使として来て内政改良を遂行するのに強迫を以って国王に迫り威力に訴えるかもしれない、などという疑いの心を生じるようであっては、我皇帝陛下の誠意に背き我政府我全国民の願いに反することになり、貴国の前途は甚だ嘆かわしいことになろう。このことを予め御了解されたい」

 と述べ、それに対し国王は、

国王 「どうしてそのような疑惑を挟もうか。卿には深く考えられるな」

 と答えた。

 よって井上は以下の改革要項を述べ、1箇条毎に承諾と意見を求めた。(以上「朝鮮国王及諸大臣ニ内政改革ヲ勧告ノ件/18 第拾四号 〔清国ヘ親書送付問題並ニ内政改革ニ付韓国王ニ謁見〕〕」より)

 (「朝鮮国王及諸大臣ニ内政改革ヲ勧告ノ件/16 1894〔明治27〕年11月16日から明治27年11月24日」p13より、()は筆者)

清国に属隷するの心を断ち、今後朝鮮国の独立を鞏固ならしむることを図るに於て、緊要の条項大略左の如し。

一 政権は総て一の源流より出る事。
 大君主は政権を統一し、凡百の号令皆な大君主の親裁に出ずべきは理の当然なり。若し大君主の外、陰に陽に大君主と同等の政権を掌握するものあらんには命令数途に出て号令一ならず。廷臣何に頼で政を行うことを得んや。有司百官各忠良に職務を尽くすに由なし。凡百の弊害、皆之より生ずべし。当国にては是迄数人の君主ある有様なり。此の弊、速に矯めざるべからず。大院君は君にもあらず亦臣にあらざれば、決して国政上并廷臣の進退黜陟に喙を容られず、大君主の親裁に出ずること緊要なり。王妃も亦同様の儀、大院君并に宮内大臣に申込み置きたれば御聞取ありて御確守ありたし。


二 大君主は政務を親裁するの権あると同時に法令を守るの義務ある事。
 但し、法令とは別に定むる所の法令規則に従て制定公布せるものを云う。
 国政は、大君主之を直接に大臣に諮問したる上裁断し、百事并に官吏の進退黜陟も只大君主の専横に処断し其意志の侭にすべからず。百官人民をして遵拠せしむる為め、一たび法令を出すときは[其法令規則を変更せざる限りは]臣庶は申す迄もなし。仮令大君主たりとも擅に之を破ることを得ず。法令規則の範囲内に於て政を行うべし。


三 王室の事務を国政事務より分離する事。
 朝鮮国、従来の習慣にては人民の生命財産は王室の一命令の下に与奪せられ、上君主より下人民脳裏に王室の外又国家なるものなし。是王室一家の事務と国政事務とを混合するの源因より生ずる大弊害なり。承侯内官等の者が国政或は官吏の進退に干預するの弊は、宜しく速に廃止せざるべからず。此の如き弊は皆此の混合より生ず。王室事務は宮内府全く之を司り、国政事務は総理大臣各衙門之を行う。宮内府の官吏をして喙を国政に挟むことを得ざらしむ可し。故に大君主は法令規則に定めたる手続きを離れ猥りに国務大臣并に国務に預かる重職以外の者に国政上の事務を渉議すべからず。


四 王室の組織を定むる事。
 王室の鞏固は国家鞏固と相待て相離るべからず。依て王室に関する制度及其組織を定むること必要なり。


五 議政府并各衙門の職務権限を定むる事。
 議政府并各衙門の組織及職務権限を定むる為め法令規則を制定せざるべからず。


六 租税は度支衙門の統一に帰せしめ、人民に課する租税は一定の率を以てするの外、何等の名義方法に係らず之を徴収すべからざる事。
 従来当国にては、租税を徴収するの公署は宮内其他に七、八ヶ所もありて、其収入は各自に之を支出せり。右の外、春坊及明礼宮よりは憑依文を発して一種の特別の徴収をなすことを得るの習慣なり。此の如く各処にて勝手に徴収し各処にて自由に支出するは、第一王室と国政事務との費用の区別を混合し、第二に財政の統一を欠くものなれば、宜しく収入支出共に度支衙門の権限に属せしむべし。右租税の外に官吏が私に収斂し、甚きに至ては其の之を拒むものを恣に監禁処罰するの弊ありて、人民各々其業に安じ、其労働の利益を享有すること能わず。斯くては一国の富を致すこと能わず。人民をして各其業に安ぜしめんには、濫に人民財産を侵掠せざる様一定税則を定め、一に之れに拠らしむべし。而して富国基始めて立つことを得べし。


七 歳入歳出を計て財政の基礎を定め王室并各衙門に要する費用の額を予定する事。
 入るを量りて出を制せざるべからず。毎年の歳入を予定し、国家財政基礎を定め、之により王室并に各衙門等の経費額を一定せざるべからず。思うに当王室並に政府官吏は事務割合に比して過多に失するものなり。此等は費用の節減上宜しく適当の員数を定め冗費を淘汰すべきものなり。


八 軍制を定むる事。
凡そ兵権は大君主に属し一途に出ずるを要す。現今の如く之を多頭将帥の下に分属せしむ可からず。且つ軍備は国の基礎を立つるに欠く可からざるものなれば、少くとも内乱を鎮撫するに十分なる兵力を養うて以て要とす。依て歳入歳出の予算を立て、節減し得る丈の費用を節減したる上、歳入の幾部分丈を軍備費に充つるを得るやを算定せざるべからず。扨て軍備の基礎を立てんには先ず士官を養成するの途を開き、兵学の知識及経験を有する者を将校に任用し、漸次軍備拡張の緒に就くべし。然ども歳入を度らずして徒に軍備を拡張せんとするは財政を紊乱するのみ。鑑みざるべからず。未だ陸軍制度も立たざるに海軍などは元より無用ならん。是は他日陸軍の基礎を鞏固にしたる上、歳入の裕余あらば之に充つも可なり。


九 百事虚飾を去り誇大の弊を矯むべき事。
 凡そ百事王室より各衙門に至る迄、誇大を構え華飾自ら得意とするは当国の弊なり。之れが為め、王室并に国政上に於ける冗費頗る多からん。此等の弊は速に之を矯正し且つ目下不必要の物品を購求し並に前途維持の方法を攻究せずして不急の事業を起す等の事ある可からず。王室たるものは此際宜しく率先して諸事に節倹を勉め、以て冗費を除き臣民の模範を示すべし。


十 刑律を制定する事。
 刑法民法等の法律を制定すること必用なれども、民法制定は大事業なれば、一朝に成るべきものにあらず。先ず第一着に旧律を改正するには他国の刑法を参酌し、国情に適したる刑律を定むる事、差当必用なり。人民を罰するは総て此刑律に依り、此刑律以外には仮令大君主と雖ども濫りに人民を刑罰に処する能わず。従来諸官吏又は権門閥族が擅に人民を監禁懲罰したるが如きは、一切之を廃すべし。斯くして人民各其途に安じ、経国の基礎始を立つ矣。抑も裁判官の独立は裁判の公平を保つに最も必要なるが故に、漸次適当の人物を得るに随い、裁判官は行政官より分離して一の公署を設置すべし。


十一 警察権をして一途に出でしむる事。
 抑も警察は行政上并に司法上必要のものにて、国家の行政機関に欠くべからざるものなり。就中其要務と云うは人民の生命財産を保護し、犯罪を捜査するの具にして宜く一途に出でしめざるべからず。故に適当なる職権あるものゝ外、陰に陽に之を使用し又は其命令を受くることを得ず。現今の如く警務庁なるもの法務衙門の下にありて警察の職務を掌るの外に、巡捕[名別巡検]なる一種異様のものあるべからず。是等は職務の権限を紊乱するの基なり。須く廃止せざるべからず。警察の職務権限并に警察官の登用に関する規則は別に制定するを要す。


十二 官吏の服務規律を立て之を厳行すべき事。
 官吏たるもの宜しく其職務を尽し、且つ清廉を守る可し。賄賂行われ苞苴公けなるは政事紊乱の基なり。宜しく鑑みざるべからず。官吏をして清廉ならしめんには各々相当の俸給を与え、之に頼て位地に相当なる衣食住に宛つべし。現今の如く地方の官職を鬻買し若くは請負的の者となす如きは速に改めざるべからず。地方官吏組織の改正は租税賦課法の改正と共に必用なり。


十三 地方官の権力を限制して之を中央政府に収攬する事。
 従来の慣例にては地方官は其管轄地内に於て兵権及裁判権を有し、且つ中央政府に納むべき定税の外、苛税を随意徴収するを得たり。此等の弊は皆売官より来るものなり。地方官たるものが官職に就くには、皆巨額の金員を納めたるが故に、就官後には人民より収斂するの結果を生ずるものなり[売官の弊は改革の時、之を厳禁せるも尚お此等の弊を今後に生ぜしめざる為め、厳重なる制を設くべし]。右は過当の権力なるのみならず。従来之を恣に使用し、自民の疾苦を来すに付、宜く適当の度迄之を中央政府に収攬し、内務衙門及度支衙門等にて監督するの法を設定すべし。


十四 官吏登用并に免黜の規則を設け、私意を以て之を進退すべからざる事。
 賄賂苞苴の厳禁すべきと同時に官吏の登用并免黜の規則を設け、其進退黜陟総て公平ならざるべからず。官吏の進退に私を挟むは是自己の一身のみ顧みて国家を顧みざるの弊を来たす。左れば大君主が大臣を進退するにも、大臣が所属官吏を黜陟するにも、私恩又は私怨を以て之をなすべからず。只其職務の適否を鑑み、規則に照し公平を専一とし、苟も一点の私心あるべからず。


十五 勢力の争奪又は猜疑離間の悪弊は断じて之を止め、政治上に復讐的観念を抱くべからざる事。
 国政は宜く公明に之を処し、一点の私心を挟むべからず。勢力争奪及政治上の復讐は皆私慾私怨より生ず。国家の紊乱は是に基因す。故に今日より其念を断絶す可し。


十六 工務衙門は未だ必要を認めざる事。
 工務は現今の有様にては一衙門を設置する程の必要なからん。依て之を農商衙門若くは他の衙門に合併しては如何。


十七 軍国機務処の組織権限を改むる事。
 軍国機務処の権限稍々大に失するに似たり。依て今之れが組織を改定し法令は各衙門に於て之を立案し、大君主の裁可を乞う前に軍国機務処に諮問することに定め、軍国機務処自ら法令を立案することを得ざる事。


十八 事務の必要に応じ、各衙門の事務に練熟したる顧問官を聘用する事。


十九 留学生を日本に派遣する事。
 各科目に就き、之を研究する為め日本に留学生を派遣し、人材を養成すること必要なるべし。


二十 独立の基礎を鞏固にする為め、右内政改良に関する必要なる事項、国是を一定し、宜しく宗廟に誓い、之を臣民に宣布すること必要なり。

 なお、内謁見の記録原文テキストは、20日がこちら21日がこちら

 清国に隷属する心を断ち、今後、朝鮮国の独立を強固なものとすることを図る上に於いての緊要なる条項、と。
 この後、日清講和で清国が朝鮮の独立を認めることになる。しかし肝心なことは朝鮮国自身が果して本当に独立の意志があるかどうかということなのだが、

 それぞれ、近代独立国家としての歩みを強固なものとするための取り組みとして、極めて当然の条項が並ぶ。
 しかしまあ朝鮮は、中華の文物礼儀百般を模倣してここに至ると。朝鮮国にとっては天と地とが引っ繰り返るぐらいの転換を求められるものなのだが・・・・しかし国王高宗は条項全てに対し、
「然り。至極尤もである。誠に公使の言の如し。然らばそうすべし」
  と答えていった。また各大臣たちも唯々諾々と。

 謁見原文に目を通せば分るが、井上馨の箇条毎の説明は極めて理路整然。国王からも大臣からも殆ど異見らしい異見はなく、工務衙門の当面の廃止に魚允中が異議を挟んだぐらいである。1日目の箇条説明について井上は、
「陛下は御容顔麗わしく、始終微笑を浮べられ、公使言上の箇条一々御理解あらせられし体に見受けらる」
 と述べ、また説明終わっての休憩所での各大臣の様子を、
「休憩所にては各大臣何れも喜色あり。殊に金宏集、李載冕、魚允中の三氏を然りとす」
 とある。

 筆者個人として興味深いものを何点か挙げると、

 第6の「租税其他一切の貢納等は度支衙門の統一に帰せしめ、人民に課する租税は一定の率を以てし、外に何等の名義方法に係らず、之を徴収すべからざる事」とある。

 朝鮮に於ける租税というものは、実に苛酷なものであったが、その仕組みの内情の一部が、内謁見後の24日に井上が陸奥外務宛てに書いている書簡から窺うことが出来る。
 例えば地方官というのは総て請負的営業みたいなものであって、その官職は競売に掛けられて最高値を出したものに落札。例えば慶尚道監司の官職はおよそ当時の日本円にして10万円位であり、落札者はその地方に赴任した後に人民から苛税を徴収して先に官職代として払った値を償還するのが慣例であったと。

 また租税や公用金などを徴集する公署が7、8ヶ所もあって統一していなかったらしい。つまりは各衙門各部署で勝手に税を徴収していたということか。
 中でも井上が最も奇怪なものと言っているのが、「春坊及び明礼宮」なるもの。(20日の原文テキストの第六で採り上げられている)
 で、井上の24日の陸奥宛ての手紙によれば、
「就中尤も奇怪なるは春坊[東宮職]及明礼宮[皇后宮職]は各徴収賦課の特許証を与うるを得るの慣例あり。何人にても金を出すときは此特許証を得るなり。之を憑文と云う。此憑文を所持するものは、河川若しくは道路に於て自由に関を設け通過の貨物に課税することを得るなり」と。

 どうやら、王妃と世子宮の収入源となるものらしい。誰であろうと春坊や明礼宮という所に金を出せば、河川や道路上に於いてそこを通過する貨物の税金を徴収出来る特許証が手に入ったらしい。つまり私的関税徴収権を王室で販売していたということか。
 すごい話である。

 第9の「百事虚飾を去り誇大の弊を矯むべき事」

 見栄を張って虚飾を装い誇大に走ろうとする国柄なのは、今も改まってないぞ(笑) いやその上「妄想」が加わったりして・・・。

 まあこの時井上が具体例を挙げて意見したのは、世子宮が蒸気船が見たいというので漢江から態々運ばせて王宮内の園池に浮かべてオモチャにしちゃったことについてらしい。これは日本が贈ったものであって、確か花房義質が朝鮮兵の中に熱心に蒸気船を研究する者がいるのに気付いて、蒸気船の贈呈を当時外務大臣の井上に進言した事から研究用に送ったものではなかったろうか。
 もっとも、世子宮の結婚記念にという名目でプレゼントしたものだから、まあ玩具扱いされても仕方ないんではないか(笑)
 新式の回旋砲を王宮に飾ったり、電気器械を宮中に置いたり、無駄な造幣局を設置したりと、でそのまま何の役にも立たなかったらしいと。

 兎に角外見を飾る。これがこの国の人の顕著なメンタリティーらしい。

 第10の「刑律を制定する事」

 これは例の不平等条約云々ということでレッテルを貼ることが、全くの無意味なことであることを証するものですな。
 で、ここだけ謁見記録原文を現代語に。

「これは、刑法、民法などの法律を制定する必要があり、刑法とは主として悪事をした者を処分する法律であり、民法とは動産、不動産、人民相互の権利、義務に関して、人民間で、また政府や王宮での貸し借りなどのことを規定する法律を言う。まず、刑法は200箇条から300箇条で事足りるだろうが、民法は1000箇条余りも要するものである。ゆえに民法の制定は大事業であるから、一朝一夕に成るものではない。故に先ず第一に旧法を改正するのに、他国の刑法を参酌して国情に適した刑法を定めることが差当り必要である。」

 ここんところ、「笞刑」の存続と関係ありです。つまり「国情に適した刑」と(笑)

 「しかし完全なる民法等を制定することは、決してなおざりにするべきものではない。今や貴国の人も外国に渡航しているので、法律ということは最も注意を要すべきものである。つまり今の状態を言えば、自国の人は外国に行って外国の法律に従わねばならない。そうして外国人が朝鮮に居ても朝鮮の法律で支配することは出来ずに、在留外国人はその外国の法律によって支配されることとなっている。これは、この国の法律が不完全であるが故に、外国人がこの国の法律に支配されることは出来ないという原因による。もともと国の法律は、国内にある人は外国人であると否とに関わらず、一様にこれによって支配されるべきであるのに、そうはならずに外国人は外国の法律によって支配されている。つまりは治外法権の害を生じている。故に刑法、民法、商法等の諸法律を時勢に適合するように、外国の法律なども参酌して制定されるのは、いずれ治外法権を撤去されて国体を保たれる基礎なれば、決しておろそかにしてはならないことである。商法とは商業上に関する一切を規定する法律である」

 とまあ、分りやすい。これでも現代まだ「日朝修好条規」を不平等すなわち不当なる条約を強いた不当なる日本、というレッテルを貼り続ける気なのだろうか。

 国王は答えて言う。
国王「日本は現今に治外法権を回復中と聞く。すでに全てを恢復したかどうか」

井上公使「然り。近頃は英国との間に条約改正してこれを撤去し、またその他の諸外国とも交渉中なので遠からず皆これを撤去するに至るだろう。これは我が国が鋭意これらの法律を制定したことによる。貴国もまたこれを制定されて、いずれ治外法権を撤去されることに御務めなられ、以って国体を保たられねばならないだろう。しかしこれは中々大事業なので5年10年で成るわけにもいかないので、漸次されることとし・・・・又、裁判官の独立ということも裁判の公平を保つ上で最も必要である。・・・」と。

 井上の朝鮮国を思うての善意ある進言であろう。つまりはこれらを達成してこそ真の独立国となるのであると。
 また、朝鮮における司法こそ実に勝手気ままなものであって、地方などはそこの官吏が人民の生殺与奪の権を全く侭にしていた。
 そのような国と条約を結ぶにおいて、治外法権となるのは真に止むを得ないことであろう。それを撤することに至るか否かは朝鮮国の努力次第と言う他はない。


 さて、国王並びに大臣たちはこの改革要項を全面的に支持し、繰り返しその実行を誓ったのであるが・・・・。
 陸奥宗光は「蹇蹇録」でこう言った。
「余は初より朝鮮内政の改革其事に対して格別重きを措かず。又朝鮮の如き国柄が果して善く満足なる改革を為し遂ぐべきや否やを疑えり。然れども、朝鮮内政の改革は今や外交上一種の活問題となり、我政府は兎も角も、之が実行を試ざるを得ざることゝなりたれば・・・・」と。

 で、白羽の矢が立ったか貧乏籤を引かされたか分らないが、京城に来たのが井上馨であった。一説には井上自らが志願したと言われているが。
 どちらにしろ、そこはそれ井上のこと、引き受けた以上は寸分も手を抜かずに進めていったようであるが、尤も、これも後の24日の陸奥宛ての書簡で次のように言っている。

「・・・第二の内政改良こそ中に非常の難事に御坐候。数百年来習慣となりたる悪弊の根蔕は、中々一朝一夕にして之を革除する能わざること、元より当然の理には候え共、内政の改良に干しては官庁の職務権限及君主権等の事に説及すも、其文字の意味すらも理解する能わず。君主権と云えば恣に人民の生命財産を与奪するの権と■解し、此の如き専横なる権力は宜しく制限すべしと説けば、直に国会を開設し、諸事人民の承諾を要することと誤解するなど、其の蠢愚なる、実に意想外なり。胞裡只自己あるを知りて国家の何物たるを知らざる頑愚に向い、内政の改良などを説くは、宛も小学校の児童に向い政治談をなすと一般なり」

 実にまあ井上の苦労が忍ばれる言葉である。この後、井上を激怒させることがあって雷を落とすことになる。もちろん怒るのも考えがあってのことであるが。

 

国王専断の内閣人事

 かくて井上馨全権公使は、24日付で陸奥外務宛てに報告を送り、26日には国王に内謁見して改革要項の漢訳文を提出した。

 席上、井上は国王に対し、「朝鮮国の中興の大業たるこの度の改良を中途で放棄したなら、朝鮮は将に内乱外患を惹起し遂に収拾できない重大の局に至るだろう」
と警告し、その決意を再確認した。

 国王は、
「自分をはじめ大臣たちも奮発一番して断然内政改良をしない時には国家の前途もどうなるか知れないことは承知している。自分はすでに決意した。幾多の困難があろうとも冒進すると覚悟した」と決意を述べ、更に「せめて壬午年(明治15年)以来、上下一致して国政の改良に熱心に取り組んでいたなら、今日には多少の進歩も見て、貴国から称賛を受けるようなことにもなったであろうに、嘆息する外はない」
と述べた。

 その後、井上は清国旅順口に於ける日本軍勝利の様子を述べ、
「かつて朝鮮が上国と呼び或いは大国と呼び隷属すらした清国は、もう頼むことの出来ない境遇となった。これよりは眼を東洋の全局に注ぎ、進んで自国独立の基礎を強固とする外はない」
と念を押した。
 更に井上は、「君子の徳は風、小人の徳は草。草は風に必ず従う」と述べて、国王が王宮内の率先改良の断行を大院君や宮内大臣と共に行うことを勧め、王宮内の清浄潔白をまず計ることなどを述べ、退出した。

 翌27日には杉村書記官を議政府に派し、国王から各大臣を召集した日に公使参同した上で同主義の人を集めて大臣協弁を任命することを協議させた。

 ところがその日国王は突然、度支協弁、法務協弁、工務協弁、内務協弁、農商協弁を新たに任命した。
 内務を除いた4協弁任命のことは、総理大臣はじめ諸大臣らも事前に相談に与った者はなく、まさに寝耳に水のことであり全くの国王専断の人事であった。(「朝鮮国王及諸大臣ニ内政改革ヲ勧告ノ件/22 朝鮮政況ノ報告」p8)

 

王妃傀儡の高宗

 井上は直ちに事情を調査。
 その探聞によれば、大院君が政事参与を辞退したことにより、閔党は王妃によって権勢を回復しようと企て、以前閔泳駿と勢道を争った前兵曹判書閔泳韶が、先ず大院君の様子を見るために王妃に勧めて国王の専断で協弁を任命させたものであった。(同上)
 或いはまた閔一族は地方に退き、陰に政府転覆を図って東学党を扇動しているとの説もあった。
 井上公使は後の国王との謁見で、次のような問答をしている。
本使(井上)「・・・聞く、閔氏の或者は東学党を教唆して已失の権力を回復せんとする如き隠謀を企つるものありと。[此に於て、閔氏其他のもの内密に王宮に出入して、王宮内外の連絡を付け種々の手段を施すものゝ、人名を記載したる紙片を取り国王の御覧に供す。](略)又、閔烱植、閔應植、沈相薫などは東学党を教唆すと云えり。」

大君主「東学党に閔氏が通じて隠謀を為すとは不可思議なり。如何となれば東学党の起るや彼等は揚言して曰く。閔氏は国賊なり。之を殪さゞるべからずとて閔氏とは氷炭相容れざるの徒なり。然るに此両者が結托して以て隠謀を逞せんとするが如きは有得べき筈なきに似たり」

本使 「東党の始め起るや或は口実を此に借りたるならん。然れども本と是れ一の不平党にして其主義も必らず一定せざるなり。閔氏の一旦政権を失うや其一門は満腔の不平を抱いて野に散在し、主義を以て合うと云うより寧ろ不平と不平は意気相投ずべきは所謂なきにあらざるなり」

大君主「然り。姑く其動静を察せは其手掛を得べきなり。(略)」
(「朝鮮国王及諸大臣ニ内政改革ヲ勧告ノ件/22 朝鮮政況ノ報告」p50より、()は筆者)

 いずれにしろ、もぐら叩きのように、大院君や李呵Oが引っ込めば今度は閔一族が頭をもたげてくるのであった。

 そもそも国王高宗すなわち李熙という人は、この時42歳。人が善いのか怯懦なのか、どうにも優柔不断の人であり、常に他人の意見に左右されて凡そ信念なく英断なく、かつて明治18年に井上馨が国王の風采を初見しての印象は、
「拙者前日朝鮮にて王と対顔を得しとき親しく風采を窺うに、今年約三十四、五歳と見ゆ。此年齢にして其事を処する此の如ければ、仮令他より賢良なる人を送て諄々と勧諭すれども其進善去悪する能わざること知る可きなり」(「第四冊 第十四編 至 十六編/3 第一五編 善後商議」p3)
であった。

 今また、これだけ念を押して確約した改革要項中の第2、「国政は、大君主、之を直接に大臣に諮問したる上裁断し、百事并に官吏の進退黜陟も只大君主の専横に処断し其意志の侭にすべからず。」
を一両日の内に実にあっさりと無視するに至る。

 つまりはこの人は何ら成長していないのである。
 その上、安駉壽の内話によれば、「大君主陛下には、時勢の不可を悟られざるにあらず。乍去(さりながら)、王妃殿下は、左右を離れられずして機密に参与せらるゝ故、到底御英断の御処分あること能わざる次第なり」と。
 要するに王妃の言いなりの人であったと。

 この頃の朝鮮政府を、後世の人は日本による「傀儡政府」と評する人多し。しかし筆者に言わせれば、国王高宗こそ閔妃傀儡の人であった。常に王妃閔族に指示されて右往左往する人柄は、大院君という、まさに権力志向の豪放磊落型父親の支配下に育った男子らしく、いわゆる指示待ちタイプの人であったと思われる。

 大院君と李呵Oの干渉を封印した今、政府運営の統率に対する最大の障害は、王妃の政治への口出しであった。もちろん王妃を動かすのは閔族である。
 朝鮮は血族を頼みとする社会である。この古臭い部族社会も同然の集団は、当然血族を越えた即ち部族間を超越して共同体意識を持つようなことはまずないだろうし、つまりは国家意識というものは極めて希薄なはずである。
 「保国愛民」という言葉こそ知って、それを唱えながらも、自ら作る事も耕すこともせず民のことも忘れ、自己の不平のままに行動し、要するに単なる強盗集団に堕してしまった東学党や、日本民間人を殺害して荷物を奪ったに過ぎなかったことを、いかにも抗日義挙の如く虚飾する後の義兵と称する類と、同様の思考の典型を閔一族を代表とする人々に見る思いがするのであるが。
 そういう朝鮮の人々を井上は、
「胞裡只自己あるを知りて、国家の何物たるを知らざる頑愚」
と喝破した。宜なるかな。

 

井上の大喝

  翌28日、政府官報により27日に4協弁の任命があったことを確認した井上馨は、直ちに金宏集総理大臣宛て書面を送った。

「官報に載った貴歴十一月初一日(陽歴11月27日)付で度支、法務、工務、内務、農商の各衙門の任命のことを読んで本使は甚だ驚いた。前に本使が大君主に謁見した時に、本使を顧問と見て一々諮詢し、そして政事を施行するとのことであった。しかし本使はこれら廷臣の任命のことは何も聞いていない。どうしてこのような事があったか、国王に奏問した上で返答ありたい。なお、もし返答がないか延引した時は、前に提出した改革要項を撤消するに至るだろう」(「朝鮮国王及諸大臣ニ内政改革ヲ勧告ノ件/22 朝鮮政況ノ報告」p13)

 と、いきなり改革要項20箇条を撤回することに触れている。それは当然、内政改革を支援しないことであり、東学党鎮圧の日本兵も引き揚げるということであり、同時に朝鮮政府への決別の意味も含むことになる。

 翌29日、金総理は、
「昨日の協弁任命の事に付いては、未だ奏問を経ていないが、政府ではこれら協弁の出仕を不許可とした(「同上」p14)」と一応返答し、午後になって金魚金のいつもの3大臣が国王の意を奉じて公使館に来て、井上に謝罪した。しかし井上はそれを斥けて受けず。

 翌30日、井上は杉村書記館を議政府に派し、大臣らはこれをどう処分するのか、と意見を問わせた。
 金総理は、再び王命を奉じて公使館に行くと答え、午後になって来館し、再び前日のように謝罪を繰り返した。しかし井上は再び拒否。
 その後、宮内大臣から12月1日に国王からの内謁見を望む旨通知があった。

 よって12月1日午後1時、井上は参内した。列席は総理、外務、内務、度支の4大臣。

 まず井上から口を開いた。(以下、「同上」p15より、要旨)

井上 「・・・そもそも官吏の黜陟は政府組織整わない前には軽々しく行わないことと先日も奏上して御同意を得、総理大臣にも篤と勧告していたにも拘わらず、このような更迭を見るのは甚だ奇怪である。大君主には最早本使を信用されないようであるから、勧告も水泡に帰した。このようならば貴国の将来は望みはないと断念した。当国の形勢を察するに改良のことも阻喪するのは明らかである。ついては先日漢訳文を呈上した20箇条は廃案と帰したので、本使に返還を請う」

 国王はそれに対し、

国王 「各衙門の協弁に欠員があってはいけないので、4人は学識もあり民間の評判もよく、総理大臣の同意もあったので命じた。敢えて朕が専断に出たのではない。公使が不可ならば頃を見計らって停止する。また20箇条のことは朕は国家の為めに断然これを実施するので撤回しないように望む」

 と弁解。

 しかし、欠員を生じていたのは、暗殺された金鶴羽の法務協弁のみであり、他は他職に移して新たに任命したものであった。また金総理は国王がその人物を称賛するのを聞いただけで、任命に関しては何の相談も受けていなかった。この国では国王もまた平然と嘘をつく。

井上 「組織の基礎が立たない前は容易に更迭しないように注意していたはずである。本使は着任以来、当国の内部に関して聞くところは事毎に不快を感じる事が多い。表面では内政改良を断行せんと説くも、裏面の妨害があり、終に中途で阻喪するのは必然である。様々な陰険手段は、どれほど陛下が決心されても巧みに陛下を動かすだろうことは本使が信じて疑わないことである。貴国内政改革の事は終に無効に帰すべきは当然である。これまでの事も考慮し、内部の弊害の多いのも鑑みて、充分将来を察して余りあることである。どうして軽挙に断念の語を吐こうか。陛下にはこれを諒されよ」

国王 「王妃が内政に干与するようなことは今からは決してない。必ず政府大臣と審議するだろう。また卿の勧める20箇条は断じて実行する」

 王妃の干渉によるものだったことを自分でばらしたも同然(笑)

本使 「陛下には反省されよ。言うは易く行うは難しである。言って行わず、行って達しないなら、最初からしない方がよい。いかに陛下が改革を断行すると仰せられても、では明治15年はどうであったか。明治17年はどうであったか。また本年7月23日はどうであったか。その時その最初には陛下の御決心はあったであろう。しかし事実は果してどうか。毫もその成績を上げなかったのではないか。本使が聞くところによれば、貴国が上下崇拝する清国の使臣、袁世凱がこの国に居る時、内政について時々勧告し、李鴻章もまた袁氏から忠告させたことがあり、しかし陛下はこれを容れないだけでなく、これを嫌い、密かに人を北京に送って北京政府の有力なる親王に賄賂を贈り、袁氏を帰国させんと企てるなどの卑劣の手段に出たことがあると。李鴻章の威権を以ってしても忠告は容れられず、袁世凱は終に貴国のことはどうすることも出来ないと匙を投げて嘆息したと聞く。貴国の内政改良はこのように難しい。本使の苦心も水泡に帰して終には本使が世間の笑いものになろう。我が皇帝陛下にも恐れ多いことであって、本使が貴国の改良に従事したなら、その責任は免れられない。むしろ今断念した方が本使もよいのである。ゆえに提出した20箇条は還されて、陛下がそれでも改良を必要とするなら陛下自ら着手されればよい。民の父母たる君主が一国の民生の疾苦を救うのは当然の職務である。しかし本使とは関係ないことなので20箇条の還付を求める。陛下が前から内政改良に意があるとしたら、本使が奏言する前に既に着手されていたろう。しかし何もなく今日に至るので、陛下の意は内政改良ではないことを知る。しかし改良のことは本使が言い出したことによって初歩を起したが、20箇条を基本として採用して施行しようとするようなことは、本使は甚だ迷惑である。このことはお断りしたい」

 明治15年事変は軍の腐敗が大院君の乱を招いたものであり、これを期に独立の実を挙げんと図ったはずだが。17年朴金のクーデター失敗は国王の変節によるところも大きい。本年7月23日、閔政権崩壊は改革のチャンスであったが、結局は大院君の専横に唯々とし、貴重なる忠臣金鶴羽を失ったのみならず、大院君らの東学党への扇動も防げなかった。
 全てこの人の優柔不断がもたらしたものであるとも言える。
 しかし北京親王に賄賂まで送って時の北洋大臣の忠告をも封じるとはねえ。並に永年中国の属国をやってるんじゃねえぞ、ということか。そんな所だけはさすがである(笑) 今の中国政府と北朝鮮の関係にも案外似たところがあるのかも。

国王 「貴国には前から隣誼を厚くし、特に卿は貴国の元勲であって、我国に臨むと聞いて朕は卿が我が国の為めに充分に尽すと深く信じた。我が国は殆ど上下の者が領(えり)を引いて卿が画策を施すのを望むものである。しかし卿が今は全く我が国の為めを断念したとするなら、大いに我が国の人の希望と反するものである。願わくは意を転じて我が国の為めに尽くすことがあらんことを朕は深く卿に強いたい」

 そもそも朝鮮人の殆どが上下挙げてそれ程改革を望んでいるのなら、さっさと自主的に改革すればよいだけであって。

井上 「貴国の内政のことは効はない、と断念するに至ったのは、一朝一夕の浅慮によるものではない。百方熟慮した後に断定したものなので、今更意を翻すことは出来ない。物には表裏の別があるが、陛下が表面上断行すべしとされても、裏面の情況は決してそうではなくて、終に妨害されるのは火を見るよりも明らかである。よって今より本使は決して貴国内政に関する事務に顧問官という資格で干与しない。陛下には中宮なり大院君なり、その他何人なりと結託して勝手に国政を議されたらよい。また閔氏は東学党なり何人なりとも謀って権力を回復するもよいだろう。本使はその代わり、貴政府の要請に応じた東学党討伐の兵も引き揚げ、一兵たりとて貴国のために尽力することを停止する。尤も、本使は当然の職務として、貴政府と交渉して我が国の人が東学党の為めに殺害され、利益を害されてもいるので、貴政府がある限りは談判をせねばならない。もし貴政府がこれに応えないなら、止むを得ず我が兵力を以ってその罪を問う手段に及んで遠慮なく、貴国に対する誠意も今からは全く擲つ外はない。予めこれを諒解されたい」

 と井上は冷たく突き放した。う〜ん、もともと日本は朝鮮に対しては隣国の情だの義侠心だの出さずに、クールに応接していればよかったのではなかろうか。
 もとよりこの言は大君主というよりも、背後の障子の陰で聞く王妃に向けたものであろう。

国王 「今日の東洋の形勢はこのように進み、我が国の頼むところは貴国にある。然るに卿の言葉はどうしてそのように無情なのか。よろしく再考して朕の望みに副わんことを。古に曰く。唇の亡きは則ち歯寒しと。貴我両国の地勢は唇歯輔車の関係にある。我が国の興亡は実に貴国の利害に関係なしとすべからず。まして東洋の局面に国をなすものは僅かに数えるほどである。我が国の存立が危ういならば東洋局面に影響せざるを得ない。はたしてそうならば寧ろ東洋のために貴国が奮発して我が国の強固たる独立の位地に措く必要がないか。兎角に充分の考慮を煩わしたい」

 でたーっ(笑) 分る人は分るツボです(笑)

井上 「ある場合には唇が滅びる時節があることを予期すべきである。貴国の衰退は結局は自らが招いたものであって、他の忠告を容れない結果であるから他を怨むには足りない。もちろん本使が貴国の独立に熱心だったことは一朝一夕のことではない。しかし厚意は貴国に容れられず、寧ろ貴国の内情はこれを忌憚する傾向にある。たとえば貴国の人は言うだろう。今は井上が公使として来て内政改良を強迫し、これに従わないならどのような手段に出るか分らないから、しばらくは言うままを聞いておくことにしよう、と。これが貴国の内情である。一時は勧告を採用してもすぐに従前の習慣悪弊がその本性を顕すのは確実である。これは所謂内部の病患であって、一々その病原を挙げればどれほどあるか数知れないものである。今はそれを言う必要も無いので省略する。もし本使が様々の弊害を知っていると言えば、陛下には思うだろう。つまり政府大臣で井上に密告する者があるからだろうと。また今の大臣は日本党だから、との疑惑も生じるかもしれないが、本使は諸大臣を相手に内部の病根を探ることはしない。否、諸大臣のような、本使が胸襟を開いて貴国の内政を談じるにも拘わらず、ややもすれば国辱などという狭隘なる考えから事実を覆い、或いは言い訳をするような傾向があって、一つも事実を本使に明かさない。それで大臣からは知れないことが分った。しかし本使は他に手段もあれば、どれほど諸大臣が覆わんとしても無駄である。また本使を嫌悪の余りに暗殺などの陰険手段に出るかもしれないが、そのようなものに恐れて主義を曲げるものではない。また本使に危害を加えることある日は、朝鮮が亡国となる日であるのを記憶されてよい」

 もう井上、言いたい放題。
 この時、金総理大臣が姑く国王に耳語することがあった。

国王 「王妃が内政に干渉されることは今までは兎も角、今後は決してない。朕は誓って明言する。また20箇条は明日から各大臣に施行を命じ、内政のことも各大臣に諮議することとする。卿もこれを諒解し我が国の為めに充分補益を与えるよう希望する」

 金宏集は、もっと王妃のことをはっきり言って下さい、とでも言ったろうか(笑)

井上 「何程陛下が繰り返されても、本使は断じて貴国内政改革は成功しないと信じた以上は、この決心は容易に動かない。また本使の信じないことをさせて中途で躓くならば本使個人は兎も角、日本国を代表する公使の面目に関わる。本使は貴国の内政改良に従事するが如き愚を学ぶものではない」

国王 「朕がいかに不徳であるにせよ、諸大臣もこの席に居る。内政改良に決心した以上は卿にも少しく意を曲げて朕の言を信用してはどうか。再考を望む」

井上 「以上奏したように、何分にも本使の決心は動かない。20箇条の還付を強いて求める外はない。尤も一旦呈上したものなので敢えて下付の必要はない。御採用ないなら強いて求めない。その代わりこの20箇条を基準として採用されないように申し置く。なお再考しても決心は変らない。本使は厚く決心したものは、軽易に変更できない性格である。この席の魚允中氏は頗る強情な人であるが、恐らく本使の強情には及ぶまい。また直言して何等憚ることはしない。実に貴国の内部の腐敗は一朝一夕のことではない。一方で病根を治せば一方にある病気を刺激して却って命脈を縮める。切断しようとすれば痛みに耐えられず、途中で止めれば死を早める。寧ろ自然に任せてその病の為めに漸次衰弱死する方がよい。とにかく本日は他に奏上することもないので、これで退出したい」

国王 「それでは当惑する。折角の今日は公使を招いて種々有益の奏言を聞こうとする趣意であって、なにとぞ改めて他の奏言に及ぶことを切に望む」

金総理「我が主上には恐れ多くも誓って中宮殿が内政に干渉されないと明言され、また内政改良のことも臣に速やかに着手すべしとの命があった。公使にも御承諾あって我が陛下の翼賛をして大業成就に尽力されたい。日暮れにはまだ時間もあるので緩々御退出あってしかるべきかと」

井上 「貴官はじめ諸大臣も反省されよ。本使がここまで決心に固執するのは謂われがないと思われるか。諸大臣も内心では今回の改革が成就すると確言出来まい。否、寧ろ無効に帰すだろうと認めていると推測する。それならば何を陛下の御前だからとてこれに追従するような軽率の挙動をするのか」

 もう井上は手が付けられない状態。誰も止められませぬ。

金総理「予は昨日も閣下に御面談の時に申述べたように、父母に病あり、これを知って医薬を施さない理があろうか。たとえ我が身を裂き流血があるを以ってするも、予は敢えて辞さないものである。閣下にも宜しく予等の孤忠を憐れみ一片の力を貸し、この大局を全うするよう御尽力を希望する」

井上 「諸君は朝鮮の臣民としてそうもあろう。しかし本使は外臣の身分であるから、限りある権能を以って内部に起る弊害までも革除できるか否かは明らかで、外臣の力ではどうすることも出来ないことは諸君も容易に分ることであろう。この難局に打開の策があるかというと、今までの経験から照らしても甚だ覚束なく、特に当国の慣例として君臣の間には頗る厳格なる虚礼が行われ、何事も君主の命令とさえ言えば、ただその命に従う有様で、事の是非曲直の区別無く、上が令するところ下は遵奉せざるを得ず、国家の利益は顧みずに唯々諾々とすることを以って臣下の分としている。このようならば内政改良は見る事は出来ないのは明らかである。ゆえに本使の決心は最早動かない。この上はそのように本国政府に具申する外はない」

国王 「我が曽祖定祖大王の時代は、大諫大臣その他微官末職に至るまで君主の非行失政に関しては諫言を容れたが、上下弊風久しく終に今日の有様となった。朕はここに旧習を一新し、努めて臣僚の諫言を容れよう。卿にはこれを諒解されよ」

井上 「本使はもう奏上することもないのでこれで退出する」

国王 「それならば強いて止められない。ただ尚一回の熟考を願うのみ」

井上 「再考せよとあれば再考いたす。しかし他に道はないと本使は深く信ずる」

国王 「強いて再考を望む。是非何とか思慮を煩わしたい。そうでなければ朕も甚だ遺憾に堪えないことである」

 これにより井上は帰館した。

 まさに井上の叱咤と怒声の内謁見であった。しかしまあよくもこれだけ、国王に向って全く歯に衣着せぬ直言を呈したものである。まるで日朝交渉以来の積年の憤懣を吐き出すかのように。
 しかしこれ位で井上の怒りは収まらず、2日には金外務大臣、3日には金総理大臣が、王命を奉じて来館し井上の意志を翻さんと頻りに懇願したが、井上は全く取り合わず、却って、その日の内に金両名宛てに書簡を送り、

「本使は繰り返し考えたが、愈々本使が決した念を翻すことは出来ない。陛下には改革に熱心でも、その背後から阻害する者あって断じて成就し難いことである。よって本使は断念した。また貴政府が委託した東学党討伐の我が国の軍隊で既に派遣した兵は適宜引き揚げる。貴両大臣にはこれを諒解されたい(「同上」p28)
 と、決心の堅い事を述べた。
 尤も、暗に国王背後すなわち王妃の妨害がある以上は応じないという意味でもあろうから、国王も読むことを想定しての書簡であろう。

 翌4日、金総理外務の名で井上宛書簡。

「貴書簡には、我が国の内政改革は断じて成就し難いと、改革綱領稿本の返還と東匪討滅の軍隊を引き揚げるとのことであるが、我が大君主陛下の言われるには、『朕は井上公使の厳しい決心に甚だ悩む。改革綱領稿本は政府各官に示して令した。これを還すことは出来ない。兵を借りての匪賊討伐の事も、朕の不徳の為めに国内大乱となって隣国の兵を借りることになったが、願わくはこの力を以って妖気を清めて新政治を布きたい。もし途中で止めればいよいよ危難となる。公使には忍んでもらいたい。』とのことであり・・・(「同上」p29)
 と、国王の切々たる懇請を伝えるものであった。

 しかし、井上はその日の内に、前回内謁見での自分の意見の大要を書簡として送り、決心は変らないことを断言。
 その後、宮内大臣より再び内謁見することを促してきたが、井上はこれも病気と称して参内しなかった。

 大体この人の言葉は厳しいが、誠意から出ているものであることが濃厚に感じられる。

 6日、金総理、李宮内、金外務、魚度支、趙軍務代理の各大臣が、連名で改革への誓願書(誓約と続条)を作り、これを井上に提出した。(「同上」p38)

 これらを間に立って周旋したのは兪吉濬であり、誓約の端緒を開いたのは趙義淵軍務大臣代理であったという。
 で、井上はその誓約と続条を若干修正して以下のものとし、それを7日に返却した。

(「朝鮮国王及諸大臣ニ内政改革ヲ勧告ノ件/22 朝鮮政況ノ報告」p38)

惟我輩朝鮮人粛然其誓

一 曰以脱清国之駕馭建独立之根基翼賛中興之鴻業奉護王室定為国是確秉不撓不屈之心排百難而力行不已事

二 曰国家之基礎不固則不足以安王室上下同秉此義一念無怠事

三 曰室室戚里敢行干渉大政政府各大臣共斥絶以矯政出多門之宿弊事

四 曰政府各大臣対大君主陛下担着国務之責成事

五 曰推挙潔正賢能之人其進退黜陟不敢容私事

六 曰立国民同等之法事

 右六条之誓政府各大臣先行倡論必固守勿失永遵毋違堅協同之心去傾軋之習天死靡他不敢言退各掌現任の職期有実施之効署名于下質之神明後来任官亦%ッ此署名服受誓言有渝此誓天必殛之

開国五百三年十一月十日
        総理大臣
        宮内大臣
        外務大臣
        度支大臣
        軍務署理大臣

 続条

第一
  各大臣以下至勅任之官一心設誓廉潔守正忘身扶国事

第二
  大君主陛下以及各大臣為本国独立丕基期臻鞏固視井上伯爵顧問官其所陳釐革二十条必期次第修挙但方其実施或自我有所諮詢或自伯爵有所勧告則当傾心聴受事

第三
  凡当政府議大小政事以及政令之時大君主陛下親臨聴其会議経上裁後施行雖係出自大君主陛下聖慮之事項先下政府審議之得其協賛方可施行即如進退勅任奏任之官以及同品相待之招聘員亦須依此而行事

第四
  制定
 王室典範以昭
御極継承宗戚分義事

第五
  王后陛下雅守坤儀止内助大君主陛下聖徳毋或干渉大政事

第六
  政府会議依将来所設規例不可撓奪変改事

第七
  交渉事務一任外務大臣弁理責成不得稍渉傍岐事

第八
  刑律一依定例裁処自王室以下毋或侵越干渉事

第九
  凡募借内外国債事宜須先由度支大臣付之政府会議相孚奏候上裁方可施行除此以外不可妄図借欸或訂政府担償之約事

第十
  各大臣以下勅任官選択知時務者久任責成毋或挟私移換改差而現任者如有不堪其職之人亟行政差事

第十一
  軍制将行改正先将宮中兵一千五百人扈衛禁軍武芸庁別監皆帰軍務衙門管轄令照法編制事

第十二
  警務択可堪人授任責成一洗従前捕庁陋規事

第十三
  凡徴収国税統帰度支衙門掌管而明定王室費額至従前王室之私蓄財貨須於此時覈計明確定為王室財産統帰之宮内大臣掌管事
但王室財産未至覈明整理以前宜暫由度支衙門監督事

第十四
  宮内府制度亟行改正先将宦官罷遣至宮女亦可量宜節減事

第十五
  以上所開各条項講究宜如何実行弁法務期不遺後弊事

 「我ら朝鮮人の粛然たる誓い」と。

 第一に「以て清国の駕馭を脱し独立の根基を建て」とある。
 つまりは「清国に使役されることを脱して独立の基礎を建てる」と。井上が言うような「隷属」という言葉を使わずにうまく表現。
 二は、国家の基礎固めに全員で取り組むと。
 三は、要するに王妃とその親戚が政府に干渉するのを斥けると。
 四は、王や大臣の職責とその権限のこと。
 五、清廉潔白有能な人材の登用、そして私的都合で進退をしないこと。
 六、国民平等の法を立てる。

 でそれを、天地神明に誓うと。
 また「続条」では、
 国事献身の誓い、井上公使の勧告と改革20箇条の実行、国事決定の手順、王室典範、王妃の政事不干渉、法制を定めて政府運営、外国交渉部門の特定、刑律と王室不干渉、内外国債の責任、官吏黜陟、軍制度、警務一本化、徴税部署の限定と王室財産の整理と管理、王宮内官の整理などを制定実行する事を約束。
 その全てが、井上がこれまで談判で語ってきたことや改革要項20箇条に基づくものである。

 金総理大臣はその日の内に参内してこれを国王の賢覧に供したところ、国王も大いに賛成した。
 よって井上公使は直ちに宮内大臣を経て内謁見を奏上し、同8日午後2時参内した。

 

王妃、内政不関与を約束

 つまりは王妃に会ってそれを確めねばならない。(以下、「韓国内政改革ニ関スル件、第二 2」p1より現代語に)

 同席の大臣は、金総理、李宮内、金外務、魚度支、趙軍務など。

 冒頭井上は、
「前回謁見の後、4大臣が繰り返し公使館に来て本使の意を翻すことを促し、ほとんど脅迫同様の強談判であった。また誓約と続条もあり、その意見に同意して改良に従事することにし、本日は内謁見を請うた次第である」
 と述べた。「脅迫同様」とは井上のジョークか(笑)

 国王はそれに対し、
「我が国の上下の者はこの際同心協力して改良に従事せんと団結して最早動かない。幸い卿もこの大業を翼賛するとは朕の満足この上ないことである」
 と堅い決心を示した。

 これに於いて国王は各大臣らにしばらく退出を命じ、井上公使を側近く招いた。井上は側に寄り、5大臣の誓約書と条目を台の上に広げて修正個所を説明し、国王も、それは道理であると答えた。

井上 「本日は充分秘密も保たれると思うので、本使もまた赤誠を吐露し、両陛下にも虚心平意にお聞きありたい」

 この時、王妃は国王背後の一間にあって傾聴した。

井上 「本使がよく王室の内部を見ると、両陛下には常に憂心懸念に堪えられないかのようである。様々な事が疑惑の種となっていないかということが本使の胸中に浮かぶ。」

国王・王妃「然り」

井上 「それは、大院君の孫の李呵Oが本年6月21日[日本歴7月23日]の事変後、時々大鳥公使、杉村書記館に対して王妃を廃することを図り、ついに公使の同意を得られなかったので、却って公使らを疎んじ、また己の隠謀を知られたのを悔い、大院君をして清国に通じさせ、また東学党を教唆して内外併せて日本兵を排斥し、その後の欲望を逞しくせんと計った証拠は歴然たるものである。[東学党への往復書簡で明らかになった]それで、彼の陰険手段は廃妃のことだけでなく、或いは世子の位を奪おうとの下心もあったようである。これらの密計は何時か両陛下の耳にも達して聖意を多く悩ますのは必然である」

 この時点で、井上はまだ大院君も主犯であるとの確証は得られていなかったと思われる。先の会談に於いても大院君は東学党への教唆は否定していたし。しかしそれが明らかになるのは翌年に東学党書簡や捕虜の供述などによる証憑が揃った時である。

国王 「然り」

井上 「また朴泳孝が帰国した時の風説もまた驚きの種となったと」

国王 「然り」

 これは当時、朴泳孝が日本兵を率いて王宮に入るという風説があったことを指すのだろう。

井上 「このようにして両陛下の意を逡巡させ阻喪させた結果、中宮には御一族つまりは閔氏を引き寄せて不意の災禍を避けんとされるに至ったものであろう。畢竟すれば両陛下の御身上は孤独の姿であって、頼む者が少ないので信用できる者即ち外戚に依頼するということになってきたのであろう」

国王・王妃「然り」

井上 「御心痛はそうもあろう。しかしながら閔氏が勢道として国政を主宰した当時は、そもそもどうであったろうか。閔氏は多くの無辜の良民をして悲惨の境遇に沈めさせ、生命財産を奪うような非道を行った。しかし両陛下は当時思われていたろう。[事実を列挙するが記述は略す](それらの収益は)宮内の需要を充たすものであると。しかしどうしてそうであろうか。これらは全て不正に得たものであるから、民間の感情は直接に閔氏を怨み、また間接には王妃が怨みの府となられないことはない。そうであるから今この時に閔氏を頼ろうとして内政に関与させんとの思召しならば、これは民心をして更に王室への怨みを深くさせるものである。事理すでにこのようである以上は、両陛下は何によって安心を得られようか。本使はすでに屡々奏上したように、中宮殿には、宮中にあってただ大君主の徳を輔け、内政には関与されるようなことがないなら、本使は両陛下と世子の地位の安寧を保護しましょう。だからといって本使一個人としてはなんの力もないが、本使はすなわち日本国を代表するものなので、この日本政府が有する勢力は必ず両陛下を安心させるに足ると信じる」

国王 「然り。卿の言の通りである。李呵Oのことについては朕は頗る疑わざるを得ない。彼は6月の事変後に朕にしきりと告げるのに、『日本公使は廃妃に意がある。そして公使の考えは量られない。或いは朝鮮の国土を略奪する意がないとは言えない。宜しくその挙動に注目し、苟も軽率な挙があってはならない云々』と。朕は当時深く彼の奏言を怪しんだので、彼に対して『いや、日本政府はそのような悪意あるものではない。我が国の独立を助けて富強に導かんとするもので、何の懸念もないだろう』と。また彼が言うのに、『いえいえ、自分が公使館の内部を調べるとどうも野心を持っているようである。故に朝鮮宗社のために考えると、速やかに清国に通じてこれと結託して我が国の安寧を保持せねばならない』と奏すること再三、ついに朕に迫るのに清兵の平壌に来るを幸い親書を送って歓心を迎える方が得策である、と勧め、終にこれを信じて朕も一片の書を送るに至った。今日は公使と隔意なく真情をなげうって秘密を告げたいと思う。故にこの事実を明かすのである」

王妃 「李呵Oはかつて袁世凱と共同して、廃妃だけでなく直に国王を廃して自分がこれに代わろうとするとの隠謀もあったと聞く」

国王 「彼はまだ若年で前後の利害得失の考えもなく、ともすれば陰然として密計を企てるようなことがあるのは嘆息である。今、卿の言によれば彼は相方の間に立って感情を傷つけようとした跡は歴然である」

本使 「李呵Oのような隠謀家をそのまま京城に居させるのは不得策である。故に時機を見計らって外国に出て少し識見を広める方がよいと思い、前日謝罪のために来館して面談の際に、同人からも統衛使を辞職し、外国に出て新知識を得たいと言う。そして日本駐箚公使ならばどうかとのことであるから、直に同意した。また言うのに、大君主の許可を得られるかどうか、と。それで充分尽力して御許可あるように周旋すると答えておいた。なお渡海の上は8年位は滞在して充分学問して知識を伸ばさねば無用であるとも。彼は、『実にそうである。ついては間もなく辞職しようと思って1度辞表を提出したが聞き届けられなくて終に今日まで勤めている』とのことである。彼は表向き外国公使を希望するをように装い、その実、なおも現職に恋々としているのではと疑う。それゆえ今回軍務を軍務衙門に統括するのはこの上ない好機なので、全く兵権を同衙門に収めることが得策と思う。しかし一旦辞表を呈したものを聞き届けないとはどういう意味があることなのか」

国王 「李呵Oが辞表を出したので朕は早速聞き届けようと主張したが、大院君は、敢えて他国に遣るのは本心ではない、是非そばを離したくないとのことで、その切望は余儀ないものだったので仕方がなかった次第である。同人を日本公使として駐箚させようとの卿の言は朕も最も同意なので追ってそのようにすることとする」

王妃 「丙子和約(明治9年日朝修好条規)以前にあって、両国の情意疎隔しているのを憂い、朴定陽を暗行御使として東莱釜山に行かせ、また朕の一族閔承鎬をして密旨を以って慶尚道に至る等、熱心に日本との交通を暖めんとした。しかしこれらの風説は何時しか斥倭主義の者を刺激し、終に隠謀を企てた者があり、一夜の内に朕の三代は火薬爆発のもとに倒された[ちなみに、王妃の実父閔致禄父子の居室に床下に火薬を爆発させた者があって、一家はこのために亡くなったという]。しかし丙子年、江華に彼我全権大臣の会談があって両国の講和の儀は成り、朕及び朕の一族の希望も達することが出来た。このように朕が貴国との交際を親密にさせ、以って我が国の富強を図らんとしたのは一朝一夕のことではない。今や卿は我が国に就いて大いに尽すところがあろうとしている。これ以上の幸いはない。朕は卿の奏言に従い、内政への関与をしないことは勿論、朕はひたすら内政のことが着々と歩みを進めて国家の隆盛に赴くことを希望する。卿が奏したように、我が国は何時どのような椿事があって王室に危険を生じるか知られないので、常に危惧の念は知らず知らずに種々の疑惑を生じ、女性が浅ましくも同族の庇護を必要とするとの念を起させるに至った。もし王室が万全を得て始終安寧ならば、どうして外戚に国務を掌握させる必要があろうか。卿はこれを諒されよ」

 閔妃の興味深い発言。爆殺事件は明治7年11月である。当時大院君が失脚し、閔妃の義兄である閔升鎬が国政全般に参与していた。それに対する暗殺事件である。大院君派によるとも閔氏内部の者による仕業とも言われていたが、閔妃の認識としては、斥倭主義つまりは大院君によるものと。ここで閔妃が言う「三代」とは当然実父も含めたものであろう。井上も「王妃の実父閔致禄父子の居室に床下に火薬」と言っているし。しかしそうすると通説に言う、8才で両親と死に別れて孤児となった云々、と違うことになるが・・・・。
 とにかくもし実父がそのような殺害をされていたならば、娘である閔妃には計り知れない衝撃であったろう。この人の人間不信、疑心暗鬼の原点とも言えようが。
 ところで、「朕が貴国との交際を親密にさせ、以って我が国の富強を図らんとしたのは一朝一夕のことではない」と。
 しかしそれを言うなら清国とも露国とも親密となることを図っていたのだが。
 イザベラ・バードの「朝鮮紀行」にある、国王・王妃と謁見した時の記述を読んでも、王妃の興味は国家国民などではなく、ただに王室の存続つまりは自分と夫と実子のことを思うのみであったのは明らか。ま、宮中を出たこともなく狭い世界の中で生きてきた人であるから、経歴ともども考え合わせてそれも無理からぬことではあったろう。しかし国母という立場としてはどうだろうかということはあるが。
 とにかくもここでは内政には関与しないと約束。

井上 「とかくこの際、御不安の点から閔氏に御依頼なりたいとの御考えも一応は無理ではないことであるが、如何せん、貴国の臣民は全て閔氏の従来からの残酷な施政の行為は嫌悪するところなので、今再び閔氏を陰に王宮に引き入れて密議を凝らすようなことがあっては、人心に疑懼を生じ、向背を定めることが出来ず、またひいては王室の安全を妨げるなど、再び困難を惹起するのは必然である。そして聞く。閔氏の或る者は東学党を教唆して失った権力を回復せんとするような隠謀を企てる者があると」

 ここで井上は、閔氏その他の者が内密に王宮に出入して王宮内外の連絡をとって種々の手段をなす者の人名を記載した紙片を取り出して国王に見せた。

井上 「閔烱植、閔応植、閔泳韶、閔泳煥、閔泳達、沈相薫、李載純、李畊植の諸氏らは常に密かに王宮に入って国王に接近し、種々の企てをすると聞く。中でも、閔泳韶は玄興沢、金主事某、李寅栄、金学均、金鳴陸などの諸人を使って各国公館との間を往来させていると言い、又閔烱植、閔応植、沈相薫などは東学党を教唆しているという」

国王 「東学党に閔氏が通じて隠謀をするとは不思議である。なぜなら東学党が起るや彼等が言うのには、閔氏は国賊であり、これを倒さねばならないと。閔氏とは全く相容れない間柄の徒である。それなのにこの両者が結托して隠謀を逞うするようなことはあり得ないこととなるが」

井上 「東学党が始めに起るや或いは口実をそうしたようである。しかしもとは一つの不平党であって、その主義も必らずしも一定していない。閔氏が一旦政権を失うとその一門は満腔の不平を抱いて野に散在し、主義を以って合うというよりは、寧ろ不平と不平が意気投合するのは謂われがないことではない」

国王 「然り。しばらくは動静を観察してその手掛りを得るべきである。そして閔泳韶は嬪殿[世子妃]の叔父姪との間柄であり、閔泳煥は中宮殿と従兄弟、李載純は王族などの関係から、それぞれよく出入していることが多い。しかしこれらの者が出入するために一般の感情を害している恐れがあるなら今後はこれを止めよう」

井上 「そのような人物らが王宮内に出入したり御信任あったりするのは終に疑心暗鬼を生ずる種となる。すなわち内官の言を信じて、各大臣また各公使館へ御内意を通じられるようなことは宮内の秘密と秩序を保つ上で甚だ害がある。一例を挙げれば、先日に本使が謁見の際に、国政の改良は到底望みなしと断言して退出した翌日、宮中内官の使者であるとして或る者が英国館に行って日本公使の怒気を解く道がないかと語ったという。思うにこのようなことは大君主から御申し付けられたか、または内官らが大君主の御憂色を見て自ら命によると言って行ったかであろう」

国王 「然り。それについて思い当たることがある」

井上 「聞くところによれば、大君主並びに中宮殿はこれまで内官の主事らを各国館に直接に往来させ、外交上の事柄を密議させられたことがあるとか。もし当局者である外務衙門を差し置いて君主自らが外国使臣と交渉すれば、諸大臣を他国の外国人に向って御信任ないと表明されたのも同じであり、また事柄の次第ではこのために一つの大困難を生じることがあるだろう」

国王・王妃「なるほど、そのようなことが前にもなかったわけではないが、以後はきっと謹もう」

井上 「今や東洋の大勢を見ると、支那はすでに内部の腐敗から今日の交戦に連敗してほとんど収拾できない境遇に沈み、もはやこれに頼るも効果はない。はたしてそうならば、貴国はどこに依頼するべきかと言えば、我が日本国に頼るのを第一の得策とする。それならば日本は従前からの好意を引続いて出来るだけの御世話をするのは当然である。しかし貴国が終始疑惑の淵を彷徨って、却って我が国の歓心を失うような挙動があるなら、ついに日本の好意も水泡とならざるを得ない。たとえばここに一人の美しい婦人がいたと仮定する。その婦人が数多の男子に向って愛を説き媚びを呈するなら終には一人の男子も喜ばないだろう。国のことはこれとやや似たところがある。一意一心を定めずに各国に向って愛嬌を振りまこうとするなら終には一国の信も得られなくなる」

 ちょw その例えをここで口にするのはあんまりだと思うが(笑) そういえばかつて竹添進一郎公使も同じような例えをしていたが、そしてその女の器量が実はよくなかったのにと。ここでは美人に例えただけまだましか(笑)

国王 「卿の言の通りである。我が国の上下は共に今日は貴国によって国歩を進めんと期するものである。どうして他意があろうか。」

 この時王妃は国王に耳語した。

国王 「朕はまた近日に朴泳孝を採用する意がある。卿の考えはどうか。果して同意ならば着手したい」

井上 「朴泳孝の身の上に関しては本使も奏請するところがあるのに、陛下からまず寛大の御言葉があったのは幸いである。同人は他年他国に滞在し、多くの辛酸をなめて心胆を練り経験を積み、殆ど国家を憂いて寝食を忘れるほどである。同人が貴国の際に離間策のために頓挫したが、本使着任後は時々同人を招いてその意志を確めた。その頃朴が日本兵を借りて王宮に入り王妃を廃しなければ改革は出来ないと口外したとの風説を耳にしたのであるが、果してそうであるかと尋ねると、そのようなことは神明に誓って口外したことがないのに誰かが離間策として広めたのである、とのことであった。同人は一意王室に忠誠を尽くし、国家に尽瘁する以外に他志はなく、毫も疑われるところはない。それゆえにこの国家多事の時に当ってこのような人物を採用されれば頗る有益と信じる」

国王・王妃「卿がすでに同人をそのように信用するならどうして疑おうか。大臣に命じて復爵任用の義を取り計らおう」

井上 「早速の御採用に本使は満足に堪えない。なお将来彼が必ず王室に誠意を尽して決して異心のないことは、本使が敢えて両陛下に保証するので御信用あってしかるべきかと。また復爵の上は速やかに両陛下の謁見を賜り、『既往のことは朕は全くそれを論じない。今後は国家のために誠実を尽すように』との御言葉を賜るなら同人は両陛下の徳に感泣して必ず一身を擲って王室に忠誠を尽すとの思いを起すだろう。なお甲申年(明治17年)の役に関係あった人々は残らず御赦免あって、両陛下の寛大なる特典を受けられるよう願いたいと思う」

国王・王妃「朴泳孝を赦免して復職させる上は、その他もそうせざるを得ない。また、朴泳孝は国例として復爵後は粛拝を受けるのが例である。特に同人は先王の娘婿という身分なので朕は早速召見しよう。また中宮にも同人とは幼時から親しくしていた縁故もあるので一刻も早い召見を望んでいる。すでに昨日に玄興沢をもって礼服の胸牌[品位によって差がある]を贈与されたので同人は落涙して感領したという」

 さすがは閔妃、手回しのいいことである。或いは井上の意向を察知して先手を打ったか。いずれにしろ朴泳孝登用は国王夫妻の求めによるものであったということになろう。

井上 「さもあろう。両陛下に於いてこのように同人を御信愛されるならば同人も必ず両陛下の恩顧に感泣して必ず両陛下の安泰を計るだろう。なお本使もまた充分同人に申し聞かせておこう」

国王・王妃「今日の卿の奏言は朕を大いに釈然とさせた。なお朴泳孝を採用するについて同人には卿の忠告幇助を煩わせることである」

 これで井上は退出を奏した。

 さて、このようにして井上の内政改革要項は、国王の言によれば「朝鮮上下挙げて」取り組むことになったが、後世、「井上は内政改革を強要した」と言う人もある。どうしてこうも空想で日本を悪と決め付けたがる人が多いのであろうか。岩波日本使年表にも「1894/11/20 井上公使、朝鮮国王に内政改革綱領二十カ条に同意を要求。」とあるが、「提案」であってその後「脅迫同様」に同意を迫られたのは井上の方ではないか(笑)
 何より、井上馨は国王依頼の朝鮮政府顧問官の立場にあったを御存知ないらしい。

 

 

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