日清戦争後の日本と朝鮮(1)補足資料

 

(「明29.9刊 民友社 今世人物評伝叢書 第1編 『山縣有朋』の岡本柳之の項」p131、p137、p141より抜粋、()は筆者)

(中略)
 茲に宮女張氏と云う者あり。初め先王趙氏の侍女なりしが、後に王妃の侍女となりしものなり。性多情にして且つ弁慧謀を好む。是より先き大院君未だ志を得ざるの時、密に之と通ず。大院君、貴きに及びて張氏は、其侍妾たらんと請いしも、大院君は同く趙妃の侍女たりし徐氏を納れて、反て張氏を却けたり。是に由て張氏深く大院君を怨む。王妃乃ち之と相謀り、其族閔奎鎬、閔泳穆等に旨を伝えて、遂に大院君を黜け、兵曹判書[陸軍大臣閔升鎬、王妃の義弟]を挙げて勢道[執権]たらしめたり。

(中略)

 此張嬪は即ち前に記せる如く、初め大院君の愛を受け、其後王妃の侍女となりし者にして、又国王の寵する所となりて、義和宮を生めり。かねて妬心深き王妃なれば、一日匕首を以て張嬪を刺したりと云う。

(中略)

 王妃が其族類の手によりて夥多の財貨を私蓄せしは事実にして、現に数十万円の財を有せしと云う。而して其之を施与するや其族党に限り、他に及ばず、或は長夜の宴を張り、醜声時に外に洩るヽとあり[王妃は張嬪を害せし以来、大抵夜間臥寝することなしと云う]、其費用甚だ多し。

 

 

(「鉄道電信其他ニ関スル日韓条約締結方交渉一件/分割3(レファレンスコード B07080194900)」p30より、()は筆者)

   廿八年七月三日接受
機密受第五三三号

[(欄外)井上公使より直に西園寺大臣へ差出■■・・・]
[(欄外)本書は井上公使より大臣へ手交の上、廿八年七月一日の閣議に提出■■・・・]

 本官在任中の事情大要は過る廿二日、内閣に於て陳述致置候。就ては尚左に急要の条件に付、本官意見申出候。至急何分の決議有之度候。

   公債の事

 朝鮮政府財政の窮迫は追々報道なしたる通り、数百年前より執政の失当に由り種々悪弊の極に達したるは、今更申す迄もなき事ながら、抑、遠く壬辰の役後、八道の困窮に加うるに、王室の困迫より止むを得ずして負担を増し、困弊を累ね、殊に昨年に至り、朝鮮の米廩とも称する慶尚、全羅、忠清の三道は旱魃に加うるに、東学党の為め蹂躙せられ、黄海道、平安の二道亦東学党の騒擾と、加うるに日進の戦争場となりし為め、幾んど荒廃に帰したる姿となり、此等の為め一層困難に陥りたるものなり。
 昨年、我誠実の忠告を以、内政改革に着手せしめんとするや、政府の金庫全く空乏。王室の経費を始め、兵隊に与う可き給料凡三ヶ月も不渡の有様にて、終に旧暦十二月に至り、官吏は漸く愁訴を起し、兵隊は窃に激昂の色あるより、政府憂懼の余り、金員借入の義を本官に歎訴するに依り、止むを得ず我第一銀行より金十三万円を貸与せしめたるも、是僅に未払延滞給一ヶ月分を払わしめ、終に騒擾の萌芽を鎮圧せしめたり。
 弥々改革を実行せしめんには、第一必要なる財源を得ざるに因り、一も着手すること能わず。去りとて其侭経過せば復収拾可らざる境に陥り、折角帝国政府が世界に向て公言したる朝鮮の独立を扶持し其内政を整理すと云うことは、其結果を得ずして反て其滅裂を促がしたる如くならん歟と憂慮の余り、五百万円の公債を興さしめんとし、或は電信或は信書を以て政府の御配慮を乞い、終に岡本を帰国せしめ、其事情の困難と切迫を陳述したり。我政府に於ても、財源救護の必要を認められ、先ず三百万円丈貸与の事に御決定相成、尚右貸与に付条件有之趣を以て、末松法制局長官を派出せられ、又日本銀行役員、鶴原首藤の両人を伴い来着するや、朝鮮政府は朴内部魚度支の両大臣及安度支協弁を以て委員とし、談判を開きたるも、我注文の条件に対しては彼不同意を唱え、彼の提議は我亦允従するを得ざるの条件なるを以て之を聞かず、猛寛種々の手段を以て交渉数回の後、一時我主旨に屈服せしめ、約款を終に訂結するに至りたり。
 然るに訂約通り初三ヶ年据置き利子を払い、後二ヶ年間両度に全額三百万円の数を償還することは事実困難なり。近来仮に調査したる彼政府歳入出予算に就き、考按を下すときは、到底履行し能わず。訂約の当時、各大臣等切に延期を懇求したるは、誠に将来を懸念したるものにして、正当の良心を以て推諒すれば、不道理の請求とも存ぜられず。
 就ては、本償還期限を既訂約条の通り其期に至り履行せしむるは必然彼をして苦境に陥らしむるのみならず、我政府に於ても之を実行せしむる為めには、度支部の全歳入を差押え強還せしむるの止むを得ざるの圧迫手段を取らざるを得ざるに至らん。
 尚、外観に於て彼に屈従の貸方威迫の返却手段たる嫌いも有之。且方今外交の事情に際したる場合なれば、左に二案を書し建議候間、孰れか其一を御採用相成候様致度候。尤も、本官の希望は第一案、清国償金の内より五百万円より少なからず、六百万円より多からざる金額を恵与相成候方是非御採用有之様致度候。
 依て左に先ず其理由を概陳せん。

 昨年我政府が朝鮮を独立せしめ、且内政を改革せしむと声言し、終に日清戦争を発し、牙山を始め平壌義州は日清の修羅場となり、釜仁元の三港は我軍の上陸場となり、従って八道幾んど進軍の地となり、閭閻為めに驚擾し百姓離散す時、恰も収穫に際せしも、又之を顧みる能わず。如何にも無惨の境遇に立至りたり。是れ畢竟、彼政府失政に起因すると人民迷悞と当時彼政府按撫の到らざるに由ると雖も、是国柄に対しては、未だ望むべからず。
 故に今之に酬ゆるに清国より受くべき償金の内より五百万円より少なからず、六百万円より多からざる金額を付与するも敢て過当の恩恵にもあらざる可し。
 而して此結果は朝鮮人の感情を深くし、外見上に於ても又、我は独立を扶け財源を救護するの忠実を示す一手段とも相成候わんと相考え候。
 若し夫れ第一案にして行われ難き場合には、第二案の償却期限延期、海関税抵当、担保として税関監督に日本人聘用、等の条件を以て現約を改訂することに致度候。

第一案
 清国より受く可き償金の内より五百万円より少なからず、六百万円より多からざる金額を朝鮮政府へ恵与し、此内より先ず三百万円の貸与金を償還せしめ、残額の内其一半若くは三分の一を王室に与え、余は彼政府有益の興業費に充てしむ。即ち本官の所考にては右残額を基本として彼政府をして先ず京仁間の鉄道を布設せしめなば[王室の分は王室の特殊として出さしむ]、大抵其事業を完成し得べし。若し基本の不足を告たる場合には、既成の鉄道なり又は海関税を抵当とし、我銀行若しくは会社より資金を貸与せしむること。

第二案
 三百万円に対する償還期限は、元金を三ヶ年据置き、利子を払い、四ヶ年目より年賦を以て償却せしむ。正、其期限は二十ヶ年より多からず、十五ヶ年より少なからざる間に於て取極むること。又之れが担保には釜仁元三港の海関税を以てする外、税関監督として日本人を聘用せしむること[三百万円貸与約定の節は釜仁両港の海関税は既に清商何順泰と我第一銀行に抵当となり居り。他に抵当を禁ずるの約なりしを以て、担保とするを得ざりしも、今日にては第一銀行の方は償却済に付、担保とするを得べし]。

 要するに、第一案は三百万円を返却せしめ、残余の一半を王室に与え、国王并に王妃を心服せしめ且抱き込み、他の一半を以て朴魚の両氏をして安心我政府に依頼心を深からしむるの手段にして、且他国の容喙を惹き出す端緒を鈍からしむるの手段に外ならず。第二案は、第一案の如き充分なる効能は之れ無くも、前約に比較すれば余程寛厚なる返却方に付、幾分歟圧服の感情を薄からしむるならん。且又三百万円貸与の義は、議会の協賛を経て其貸付方法に至っては、政府に一任したるやに承知致居候。左すれば右貸与の条件、次の議会へ報告を要する事も可有之、然るときは現在成立の約条は前陳の通り到底彼に於て履行し能わざる、効果覚束なきものなれは、後日議会の論難を惹き起すが如きことありては一論難の端を議会に与ゆる道理に付、此辺も併せて御一考相成度候。

   鉄道の事

 条約案の如く実行せしめんとするには、尋常の手段にては迚も結局すること難し。且外観に於ても朝鮮を独立せしむるの名義を以て我利益を得るを唯一の目的とし、威迫力に因て得るやの嫌いも有之旁、以て今日の処、京城釜山間に於ける鉄道は差して必要とも見えず。惟京城仁川間は貨物の運搬旅客の往来頻繁なるを以て、差向必要を感じ居候間、第一按に決議相成候えば、先ず京仁間に於ける鉄道を朝鮮政府をして起工せしめ、要する所の機器材料技術者等は、総べて我に依頼せしむる様、裡面より手段施し度存候。

   電信の事

電信約案は鉄道案よりも一層異論多き由に付、是亦御希望通り結局することは困難至極に可有之、依て左の通り処置致度候。

 京城より元山に至る電線は素より朝鮮線にして仁川より京城を経て義州に達する電線も名義上亦朝鮮線なり[本線は最初支那より資金を借入建築し工事の監督は勿論、其管理も亦支那より為し居たるにより、支那線と称したれども、名義上朝鮮線なるは勿論、之に対する負債償却の後は全く朝鮮政府の所管に帰す可きものたり]。
 然るに日清開戦に際し、我に於て之を占用したるものなれば、平和の局を結びたる今日となりては、右両線は無論朝鮮政府へ返還す可きものなるを以て、直に之を返還す可し。
 京城釜山間并に京城仁川間に於ける我軍用電線は、成程非常の工費を費したるものには相違なきも、現今の侭我に於て之を管理せんには、相応に線路保護兵をも要す可く、然るときは彼此又面倒の事も起る可し。従って他国をして容喙の地歩を与うるが如きもの故、此際挙げて朝鮮政府へ恵与せば、彼に於ても未だ充分に自ら之を管理する丈の準備も調い居らざれば、要する所の技術者又は其管理方をも皆我に求むる様、是亦裡面より斡旋致度存候。

 右鉄道電信条約案、最初御廻付の分、不取敢朝鮮外部へ提出し熟考せしめ置候処、爾後同政府部内に於ても段々異論有之趣承知致し、又本官に於ても該案の結果は名実共に多少朝鮮の独立を損傷し、従って他国より批難の嫌いも有之候に付、彼此斟酌の上、再次鄙見申出置候義も有之候処、時態変更の今日となりては断然の処置を為すこと急要と認め、前陳の通り更に鄙見申述べたる次第に有之候。
 要するに此後の対韓策は先ず恩恵を以て彼を心服せしめ、自然に我を恃むに至る手段を取ること最も得策に可有之と相信候。

   京城守備兵の事

 朝鮮現今の有様にては、民乱其他不測の警戒に備えんが為め、我兵の駐屯を要するは無論の義と存候え共、現在京城守備兵は後備なるを以て到底常備と入替を要す可く、然るに引続き守備兵を駐屯せしむることは外見上干繋も有之義に付、先ず朝鮮政府の要否を聴き、同政府に於て是非共入用とのことなれば、大君主の命を受けたる上、外部大臣を経て我政府へ公文[公文中に大君主の命を受け依頼云々の文字明記を要す]を以て依頼する様致させ、後日他国より容喙の場合に十分答弁の余地を取置き候方可然と存じ、右等に付熟と朴内部大臣の心意を聴き、弥必要となれば所要の兵数及駐屯の場所等も内談の上通報候様此程杉村臨時代理公使へ申通じ置候。尤も本官の見込にては、所要の兵数は平時の二大隊も有之候えば、先ず充分と相考え候。

   渡韓者取締の事

 昨年已来各種の日本人、陸続渡韓し、種々の目論見を実行せんとし、動もすれば独立扶植の恩義を題し、戦勝の余光を藉り、以て種々の難題を持掛け、様々の注文を為すが故、朝鮮官民共に甚だ迷惑し、果は日本人に対し恐怖を懐くの情弊を生ぜり。
 近着の京城来電に拠れば、過る十五日、櫻間某、兇器を携帯、朴内部大臣の邸に侵入暴行し、又同二十一日、有馬某、金外部大臣の通行を見掛け、其乗輿を押止め甚しき無礼を加え、此等の為め凡朝鮮人、我人民に対し大に嫌悪の意を喚び起したるのみならず、兼て日本人の挙動を見て専横なりとしたるものをして、著るしく厭嫌の度を高めしめたりと。

 商界の有様亦然り。開戦已来、支那商人は挙げて帰国せり。我商人にして彼等の得意を占むる実に此時にありしも、奈何せん、我商人は親和と実直とを以て商業に従事するものなく、商界の強敵たる支那人の不在を奇貨とし、威迫的の商売をなし、戦争前よりも一層朝鮮人を酷遇するの観あるは、実に慨嘆の外なし。
 今や支那商人は続々又帰来せり。彼等は朝鮮人と歴史上の親和力を有する上、舗商にせよ、行商にせよ、団結力と忍耐と倹約とを以て従事する故、商戦上彼等の為め敗を取るは、昨年七月より幾層を加うるに至らんとす。

 従来、日本人の朝鮮人に対する種々圧迫手段を以てし、平和の今日となりては殊更人足共に至る迄、東学党は我之を退治せり、独立は我之を為さしめたり、との気焔を以て彼を威圧するにより、彼等厭嫌の意を益深からしめ、尚支那人に対する亦軽蔑暴行を以てするの情勢は、日一日より甚だし。
 此れ支那人と朝鮮人との間に有する歴史上の親和力をして一層増加せしむるの行為にして、将来日本人は、愈信用を失し、終に朝鮮官民共に我政府并に人民を嫌悪するに至る必然たり。
 又、近来の如く各種の日本人、商界を跋扈し、加うるに一方には料理茶屋芝居軽業の如き贅沢物の数多なるに従い、亦我商人等の驕奢を増長する故に、我物品も高値売却せざるを得ざるの理なり。

 故に此際内地に於て渡韓規則を制定相成、渡韓者を厳重に取締らざれば、今後如何なる珍事を生ずるやも料り難きに付、至急取締法を設けられ、将又我領事に行政上の権力を充分に与えらるゝ様致度候。

   木浦及鎮南浦居留地の事

 今度新開すべき木浦及び鎮南浦の両処に特別日本居留地設定の義に付ては兼て御訓令の趣も有之候処、右両処とも地区甚だ狭隘にして、我居留地を特設せんとせば、英魯仏独米清我国を併せて七区の居留地を区画せざるを得ず。然るに地勢狭隘の地区を七分せば、各其保つ所は一小区に過ぎず。目下朝鮮貿易に従事するもの日本人其多数を占め居ることは、釜仁元三港に徴し顕然たれば、右新開二港えの通商者も亦、我商人并に清国人民多数を占むるや必然なり。左れば狭小なる地区忽ち充満して不足を告げ、他国に属する居留地内に住居せんとするも、之を得ざるに至らん。将来各国居留地制度を設くるに至れば、第一警察上に於ける各自の制度を立て、其結果矛盾を生ずるは必然ならん。又費用上居留民の負担に付ても大なる不利益ある可し。斯くては折角我商民の便益を得ん為め、居留地を特設したる結果は反て不便不利の結果を来す場合に立至る可くと存候。
 故に寧ろ該地区を挙げて各国共同居留地と為し、「ミニシッパルコオンシュール」即ち居留地会制度を組織せば、将来の為め反て我国民の便益と相考え候。将又、共同居留地設定に付ては各国人民需用に応じ地区競売方法に約定し、尤も一人若くは一商店の名義を以て多くの地区を占買の弊仁川等に現在候に付、此等弊害を防止せんこと最も必要と相認め候故、大略別紙方案の通り取極め度存候。
 右は目下朝鮮政府勅令を以て開港を決行することに内定致居る趣に付、至急何分の御決定有之度候。

   法制局参事官石塚英蔵召喚の事

 石塚参事官は朝鮮へ出張已来同国内閣の依嘱を受けしめ、官制其他法文制定に従事し、励精尽職、今や改革に必要なる諸般の法文も制定発布に至り、且少しく事情も有之候得ば、帰朝を命ぜられ候様致度候。

   陸軍砲兵中佐楠瀬幸彦の訓練事務嘱托を解く事

 京城公使館付楠瀬砲兵中佐は時朝鮮軍部の依嘱により参謀本部の認許を得て韓兵訓練の事に従事し、■切に訓練、今や新式訓練大隊を編成し得るに至れり。然るに同官は公使館付にも有之。前に軍部改革の際、他に適当のものなき為め、参謀本部え照会の上、一時其嘱托に為せしめたるものなれば、一先右嘱托を止め候様其筋より通達相成致度候。


 以上の諸条件可成速に御決定の上、本官の帰任を要せられ候はゞ、何時にても帰任可致、又新任公使派遣の御都合に候えば、[本官の希望は公使其人の細君の交際向等に熟諒なる人物を特に御人選相成候様致度、尚又](欄外に[省くこと]とある。)適任者内定の上は御発表前、本官一名帰任致し、従前の行掛り及将来の措置等に付、熟と大君主并に王妃へ奏聞を遂げ、且各大臣の居合、新任公使の結び付け等に付ても、夫々遺憾なき様致度存候間、此義も御一考相成度候。

 右及具申候也。

 明治廿八年七月一日
      特命全権公使伯爵井上馨

 

 

(「鉄道電信其他ニ関スル日韓条約締結方交渉一件/分割3(レファレンスコード B07080194900)」p42より、()は筆者)

明治 年 月 日起草
同廿八年七月十一日発遣

在朝鮮
 井上全権公使      外務大臣

機密送第四五号
 本月一日御提陳相成候数件に付、左に項を遂て及御内訓候

  一、公債の事に関しては、現に貸与する所の三百万円の償還期限を十五年若くは二十年に展延し、而して別に大約三百万円を朝鮮政府に恵与し、之を以て永久記念と為るべき事業を起さしむる事。但し、右金円恵与の件は最近に開かるべき議会に提出して其協賛を求むる事に廟議決定致候。

  一、鉄道・電信の事に関しては、閣下御渡韓の後、順■の処分をなすこととなし、尚其時々の御申越之ありたし。

  一、京城守備兵の事に関しては、朝鮮政府より公然駐屯のことを依頼し越たる旨、杉村臨時代理公使より電報有之候に付、近■■公文接受の上は承諾の旨回答致可候。

(欄外)一、渡韓者取締の事に関しては、明治十六年三月十日付第九号布告を一層励行し、且適宜の取締法を設け、厳重に施行すべきことを各領事へ改訓令置候。

  一、木浦及鎮南浦居留地の事に関しては、尚取調の上、何分の義、近■訓令に及ぶべし。

  一、石塚法制局参事官えは已に其筋より帰朝を命じたり。

  一、楠瀬陸軍砲兵中佐の訓練事務嘱托の件は、参謀本部と協議の上、本人より嘱托を辞せしむることゝなせり。

右、回答申進候 敬具

 

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