日清戦争下の日本と朝鮮(14)補足資料 帝国議会議事録関連

 明治26年の第5回衆議院、明治27年の第6回衆議院に於ける「現行条約励行建議案」関連の一連の経緯の議事録を以下に記す。

 現行条約励行建議とは、日本が締結している現行の各国間条約を政府に励行させようとする建議である。これに関連する質問書も複数提出された。

(「第5回帝国議会・衆議院議事録・明治26.11.28〜明治26.12.30(解散)」p41、()は筆者。また、取り消し線の9字は後に取り消された。)

現行条約施行に対する質問
(中略)
左の三項を政府に質問する所以なり。

第一 政府は責任を以て現行条約は名実共に全うして有効なるものと明言することを得る歟。
 現行条約の不完全にして、且つ万国の通義に反するものあるは、既に公衆の認むる所たりと雖ども、如何せん其条約を改正せざる間は暫く之を忍ばざるべからず。然るに我が現行の条約なる者は、普通の法規の如く果して施行上制裁の権力を有し、又其制裁の権力は果して名実共に全く適用せられ居るものある歟。或は現行条約の範囲に於て更らに我が独立権を毀損せられたるものなき歟。彼の治外法権に付随する領事裁判権は、彼我司法上の訴訟判決に止るべきも、実際駐在の各国領事は彼の外国人居留地内に於ける行政権の幾分を占領し、其結果たる終に我が地方官は命令を直接居留地に敷くこと能わずして、其現況殆ど外国人共同植民地の体裁を為し、殊に神戸横浜の両居留地に於ける特別警察制度の如く、就中神戸居留地に於ては、行政上の執行権を内外人共同自治制に帰せしめたる事実の如きは、之を如何して政府は責任を負い、現行条約は名実共に全うして有効なるものと明言することを得る歟。

第二 政府は、現行条約の施行上に対し果して其指揮監督の責務を完うせりと明言するを得る歟。
 彼の公然たる秘密に属する外国人土地家屋の所有及其賃借内外人共同営業、内地の旅行及遊歩規定等の如き現行条約に明文ある制限犯則者を黙許し、曾て之に処罰を施さゞるは、果して現行条約の施行上其指揮監督の責務を完うせりと明言することを得る歟。

第三 政府は何故に現行条約を励行するの責に任ぜざる歟。
 前述は概して現行条約を違反し、我が独立帝国の権利を侵犯したる大なる者と云わざるべからず。然るに我が政府は何の理由あり又何の事情ありて如此犯則を質し、又此現行条約を厳施励行せざるや。素より締結の条約は締盟各国互に之を擁護して其効力を完からしめざるべからざるの責務あるものなり。今我が政府は何故に現行条約を厳施励行の責に任ぜざる歟。

右、議員法第四十八条に依り質疑候也。
  明治二十六年十二月四日
    提出者  川島醇
    賛成者  大東義徹 外二十九名

 現行条約を政府に励行させんがための質問である。それに対する陸奥外務大臣の答弁は以下のものである。

(「第5回帝国議会・衆議院議事録・明治26.11.28〜明治26.12.30(解散)」p100)

 川島淳君外三名提出に係る現行条約施行に関する質問に対し、陸奥外務大臣より答弁ありたり。
 衆議院議員川島淳君外三名より現行条約に関する質問に対し外務大臣より答弁書提出に付及御回付候也。
  明治二十六年十二月十三日  内閣総理大臣伯爵伊藤博文
 衆議院議員川島淳君外三名提出に係る現行条約に関する質問に対する別紙答弁書差進候也。
  明治二十六年十二月十三日  外務大臣陸奥宗光
   衆議院議長星亨殿
  衆議院議員川島淳君外三名提出現行条約に関する質問に対する答弁書

 第一の質問に対しては、政府は現行条約は名実共に有効なりと明言す。
 右質問説明中「各国領事は居留地に於ける行政権の幾分を占領し、其結果たる終に我地方官は命令を直接居留地に敷くこと能わず」云々と有之。然るに神戸大阪居留地制度に至ては慶応四年以来各国政府との約定に因りて成立するものにして、即ち現行条約の一部に属するものなりとす。而して前記両居留地を除くの外、警察権即ち安寧秩序の維持、現行犯逮捕、告訴、告発等の権は、総て帝国政府に於て現に之を施行し居れり。又、横浜長崎居留地に於ては幕府以来土木衛生警察事項に関し、総て特別の制度を存したるも、漸次之を廃弛せしめて遂に明治十年に及で全く其跡を絶つに至れり。
 第二の質問は質問の趣意明瞭ならざれども、其説明中所述に付ては外国人は居留地内と雖ども土地を所有する者あることなし。然るを況や居留地外に於ておや。又内外人共同営業に至ては、条約上別に制限する所なければ、之を以て制限反則者となすを得ず。尤居留地外にに於ける外国人の営業は条約の規定に違反するものとす。故に政府に於て豈之を黙許するの理あらんや。又外国人の内地旅行は従来政府に於て特許を与えし者に限れり。而して若し右の特許を受けずして遊歩規則外に出たるものある時は、政府は之を処分する為に一々相当の措置を執らざりしことなし。
 第三の質問に対しては、前述の外に更に答弁を要せざるべし。
 右及答弁候也。
  明治二十六年十二月十二日   外務大臣陸奥宗光

 

 次いで12月19日に、以下のように現行条約励行建議案が提出されようとした。しかし途中で議会停会の詔勅が下る。

(「第5回帝国議会・衆議院議事録・明治26.11.28〜明治26.12.30(解散)」p130右上段)

   現行条約励行建議案[安部井磐根君提出]
○ 議長[楠本正隆君]安部井磐根君。
  [安部井磐根君演壇に登る]
○ 安部井磐根君[二百六十四番]本員が本案を提出する所以は理由書に委しう述べてありまする。固より此理由書は、長うございまするけれども、諸君に於ては既に御一読を下されたものと信じまする。当壇に於きまして口で申す丈のことは書連ねた積りでありまするから、此他に贅言を用いるには及ばぬものでございまする。併し尚お一言しますれば、此現行条約は最前嘉永の年代に米国と取結びました条約は不完全なものには似たれども、左まで国権を害すると云う程のこともなかった様に見受けまするが、一転しまして英国の条約となり、再転して倫敦覚書となり、三転しまして改税約書となり、四転しまして墺太利(オーストリア)洪■利(ハンガリー)の条約となりまして、一転毎に国権を害し、税権を剥されましたことは今更言うまでもないことで、此一段に於きましては御同様此憤懣を忘るるの日はございませぬ。併し其条約以外即ち・・・・・

   [此時議長楠本正隆君、安部井磐根君の演説を中止す]

○ 議長[楠本正隆君]唯今、詔勅を拝しました。
    [各議員起立す]
      [水野書記官長朗読]
 別紙詔勅及伝達候也。
  明治二十六年十二月十九日  内閣総理大臣伯爵伊藤博文
    衆議院議長楠本正隆殿
 朕、帝国憲法第七条に依り、十二月十九日より十二月二十八日迄十日間、帝国議会の停会を命ず。
  御名御璽
  明治二十六年十二月十九日
(以下略)

 10日間の停会の後、12月29日に再開となる。いくつかの議題を経た後に、陸奥外務が以下のように演説を行った。

(「第5回帝国議会・衆議院議事録・明治26.11.28〜明治26.12.30(解散)」p132より、()は筆者)

  [外務大臣陸奥宗光君演壇に登る]
○ 外務大臣[陸奥宗光君]諸君。本大臣は今日維新以来政府が執り来った所の外交上の方針の大要を宣言するために出席致したのであります。[謹聴]本大臣は維新以来、国家の大計、国是の基礎として採用たされた所の開国主義を以て如何に国家の進歩を促し来ったるか。如何に国民の幸福を増進来りたるかを陳述し、併せて本日の議事日程に登って居る議案及之に関係する所の同一の精神なる両議案は如何に右の国是に関係を有するかを説明し、深く諸君の公平なる判断を得んと欲するのであります。
(中略)
○ 外務大臣[陸奥宗光君] 畏れながら、今上皇帝御即位の初に当り深く叡慮を悩まされ、断然開国主義を以て国家の大計と定められたのでございます。而して当時廟堂に奉仕する先輩諸氏も深く右の叡旨を奉体し、爾来国歩幾多の艱難あるにも拘らず、此大計此国是を奉体するの一点に至りましては、未だ曾て毫も躊躇したことがござりませぬ。

 諸君。試に維新の初め、聖天子が煥発されました所の詔勅若くは政府が叡旨を奉じて布告致した所の法令に徴せられよ。凡そ従来我国家が経営し来った所の大進歩若くは大改革は一に此開国の主義に基かぬものがないのでござります。維新の初、我国民中には尚攘夷鎖国的の気象隆んなるの間に於て深く国家将来の大計を慮らせ給いて、其時代の詔勅には、
 外国交際の儀は宇内の公法を以て之を取扱うべく、云々、又は、
 方今万国の事情始めて分明に相成候上は、広く公平至当の御条約を以て海外諸国に御交際相立ち、第一皇威弥よ振興候様との叡慮に候云々、又は、
 「列国と対峙すべし」とか「開化の域に進み富強の其随って立てば列国と駢馳する難からざるべし」云々等の文字を含有せらるゝ詔勅、若くは法令は一二にして足らない。殊に夫の有名なる明治元年三月十四日に煥発せられました所の御誓文の第五項には、
 広く智識を世界に求め大に皇基を振起すべし。と詔せられ給い、此御誓文に対しては、
 朕、躬を以て衆に先んじ天地神明に誓い大に此国是を定む、と仰せられ、当時総裁以下の奉答書には、
 勅意宏遠誠に以て感銘に堪えず。今日の急務永世の基礎此他に出づべからず。臣等謹んで叡旨を奉じ死を誓い黽勉従事、希くは以て宸襟を安んじ奉らん、と誓いたり。

 爾来国家に内外幾多の出来事もあって其間には種々の失敗もありました。又種々の国難もありました。即ち其失敗其国難の由来する所を尋ねますれば、政府の失錯もありましたろう[清水文二郎君「それはありました」と呼ぶ]。其通り――国民の誤解もありました[清水文二郎君「それはない」と呼ぶ]。しかし茲に既往の得失を追及するも益もない。

 諸君。試に明治初年に現在したる所の日本帝国を以て今日に現在する所の日本帝国と比較して御覧なさい。其進歩の程度は如何に大なるや。其開化の効力は如何に著しきやを知るに難からぬと思います。先ず経済の点より言いますれば、明治初年に於て内外交易の高と云うものは、其金高三千万円に足らなかったのが、明治二十五年には殆ど一億六千有余万円になり、又陸には三千哩に近い鉄道が敷き列れられ、一万哩に近き電線を架け列べたり。又海には数百艘の西洋形の商船が内外の海面に浮んで居る。軍備の点より言えば将士訓練機械精鋭にして殆ど欧州強国の軍隊にも譲らぬ常備兵が十五万も出来て居る。海軍も殆ど四十艘に近い軍艦が出来、将来尚お国計の許す限は之を増進せんと思います。若し之に加うるに人文の自由を拡張し、制度文物を改良し、学術工芸の進歩したるものを以てすれば、実に枚挙に遑あらぬと思います。
 特に一大特例として云うべきものは、立憲の政体茲に立ち、則ち今日、本大臣が諸君と国家須要の政務を論ずるに至るまでに進歩したるは、亜細亜州中、何れの国にありますか。斯の如く二十年来長足の進歩をなし来りたることは、欧州各国の人民或は政府が世界無比の国であると驚嘆をして居るが、我々は未だに之に満足せず、尚お今日に幾倍するの改革及進歩をなさんとするの気象あるは、吾れ人と共に自負して余りあることであろうと思います。是れ偏に今上皇帝陛下が夙に国是を定められ、先輩諸氏が是を輔翼し奉ったると、我忠愛なる四千万同胞が国是大計に従い、拮据勉励致して今日の開化を致した結果ではありませぬか。

 以上言う所は本大臣が空論を誇張して諸君を眩惑するのではありませぬ。則ち諸君、之を事実に徴せられたれば、此事実を誣いざることは御分りになるだろうと思います。

 さて、前にも申しました所の、先日より本日の議事日程に登って居る所の議案並に是と同一の精神を以て居る所の二つの議案は、其提出者は無論に多少の杞憂を抱かれ、所謂愛国の至情より之を発せられたるものたることは疑いを容れぬ。然れども不幸にして右の議案並に関係する議案の精神は上来述ぶる所の維新以来の国是に反対するものであります[「誤解々々」と呼ぶ者あり]。委しく言わば、進んで取るの精神にあらずして、寧ろ退いて守るの気象を顕わすものである。[鈴木萬次郎君「それは内閣だ」と呼ぶ]斯の如く自ら屈し自ら退くの気象を一と度人民に伝染しまするときは、内外国民の心想を紊し、二十有余念組織来ったる所の進歩の気象を沮喪せんとすることを恐るゝのである。

 茲に本大臣は今区々条目に就いて其得失を論ずるにあらずして、大体上斯の如き議案が本院の議場に提出されたことを哀しむものである。条約励行と云う、無論に政府は従来条約に違背したるものを等閑に付し去ったことはない。
 併ながら現今の条約と云うものは、諸君も御承知の通り、多くは安政年間より慶応年間に至るまでに締結され、又御維新の初めに外交の道未だ今日の如く進歩せざる間に締結されたものが多いのである。故に僅に墨斯哥(メキシコ)の条約を除くの外は一も完全なものはない。真に我国今日進歩の程度に適応せざるものである。さりながら、其現行条約にして未だ実行の効力を失わざる間は、外交諸般の取扱は之に依って――遵行せざるを得ぬは無論のことである。唯前にも言う通り、之を締結したる時代と今日とに於ては、内外の時勢大に変換し、又我邦の進歩は著しく変換したるが故に、明に条約の条文に違背せざる限は弛張操縦其宜しきを得て、内外臣民の利便を図るが外交上必要の得策と信ずるのである。

 茲に我邦開港以来今日に至るまで外交上の進歩の歴史を単簡に説きますことも又無用の業でないと思う。
 安政年間より王政復古に至りまするまでの間の幕府は、内外事情に迫られて、其外交手段として用いたる所のものは、外人遮断を以て目的としたるものゝ如し。成丈外国に近かず、外国人に触れないと云う手段を取った故に、国権の彼に移るに論なく、国利の彼に占めらるゝに論なく、苟も外人と相触れ相近かざるの道があれば、之を採用することに怠らなかった。彼の居留地制度の如き、遊歩規定の如き、無条約国人民の取扱の如きは此例であります。
 維新の初めに於ては、外交上別に言うべきなし。明治五六年の頃、即ち岩倉大使が欧州より帰朝されたる前後より、政府は既に失いたる権利を回復せんとし、又条約以外に従来放棄して居った権利を確めんとすることに就いては孜々汲々として務めたのである。
 幕府の時代には例の外国人遮断主義に依って成丈近けない様に人任せにすることが多い。故に無条約国人民を裁判管轄するには外国領事の干渉を許した取極めがある。然るに明治六年より政府は断然無条約国民を裁判管轄すことを以て、我が主権の下に属したのであります。
 又幕府の頃より横浜を始め各居留地には外国人を以て組織したる取締役若くは委員と云うものがありて、各居留地を取締して居ったのであります。是は明治十年より大阪神戸の居留地を除く外、総て我政府に於て之を取締ることになったのであります。
 一番甚しき例を此処に挙げますれば、幕府時代には彼の鎖国攘夷の徒が甚だ盛なるがために、其横行の結果として英仏両政府より横浜に若干の兵隊を上げて置いて、幕府は国費を以て此兵隊の居る兵営並に之に付属する病院を維持せねばならぬと云うまでに屈辱を受けたのである。維新後政府は数回の照会を重ね遂に此兵隊を撤去することになったのであります。

 其他尚数例を挙げますが余り長く言う必要がないと思う。それで外国人犯罪人引渡しのこと、若くは領事裁判を施行することを怠った国に対して、我が裁判権を適用することに関し、若くは外国人狩猟のこと等に関して我政府が国権を伸張したるの例は甚だ少なからないのであります。
 而して外国交際のことは其寛猛彼我共に均一ならんければならぬものである。故に政府は旧幕府の彼の外人の遮断主義を変じて開国主義となしました以上には、其結果として多少外国人に自由を与えるの必要が生じたのであります。即ち夫の病気保養若くは学術研究等のために我政府より旅券を渡して外国人内地旅行を許すと云うような自由が是であります。此外国人に内地旅行を許すに就いては無論外国人は多少の便利を得たに違いないが、是がために我国民は何等の損害を生じたとも思われませぬ。昨年中内地を旅行した所の外国人の数は凡そ九千人である。而して確な統計は無論此に得ませぬが、其筋に巧者なる人より聞くに、其外国人一人前が凡そ五百円ばかりの旅費若くは小遣を使うだろうと云うことであります。然らば殆ど四五百万円の金額は我国中の労働者若くは製造者を知らず識らずの間に富まして居ると云うことであります。

 そこで先ず夫等のことは措いて、条約を励行すると云う一事に就いて若し此条約を我に於て励行するとすれば、彼に於て励行するの虞なきを期せられませぬ。所が此に重要なる問題は日墨日清を除くの外は我国の条約は所謂一方に偏したる条約であります。一方に偏する条約と云うものは彼国人にして我国に在留する者のためには条約上許多の権利を確められて居るに拘らず、我国人の彼国に在留する者に就いては条約上殆ど何等の権利をも確められて居らぬと云っても宜しい。若し彼我共に条約を励行したる暁には、我国民の損害する所――損失する所のものは、彼国民の損失する所よりも大なることを恐れるのであります。況や此条約励行と云うことの精神を追究すれば、到底近日世間に唱道する所の非内地雑居とか、少くも旧幕府時代の外人遮断主義に外ならぬのである。[「無礼なことを言うな」と呼ぶ者あり]到底維新以来国家の大計国是の基礎たる開国主義と反対するものである[「然らず、然らず」と呼ぶ者あり][「汝が反対するのだ」と呼ぶ者あり][「汝の如きは其目的を異にするから外国人が蔑視するのだ」と呼ぶ者あり]。故に条約励行と云うことを以て所謂国利民福を計ることになれば本大臣は却て反対の結果を生ずることを恐れる。

 然るに――もう少し御聴き下さい。然るに条約励行と云うことを以て一の手段とし、例の条約改正を促さんとするの希望を懐く人がある[「有る有る」「大有りだ」と呼ぶ者あり][清水文二郎君「しっかり言え。分らない」と呼ぶ]。是等の冀望を懐く人は以為らく、条約励行するならば、外国人に沢山の不自由を与えるであろう、外国人に沢山の不自由を与えたならば其結果として彼より条約改正を促し来るであろう、と想像するのであります。本大臣の考に於ては此現行条約となるものは、前にも言った通り一方に偏する条約であるものを、矢鱈千万に励行した時に外国人に何程の不自由を感ずると云うことを知らないのである。又多少の不自由を感ずることがあるとしても、それがために外国政府より条約改正を促し来るなどと云う想像は付かぬのである[此時早川龍介君「一寸・・・・事外交に渉りますが余り公会も如何と思う」と述ぶ。「否々」と呼ぶ者あり。「大公会」と呼ぶ者あり][笑声起る]。

 条約改正の目的を達せんとするには畢竟我国の進歩、我国の開化が真に亜細亜州中の特例なる文明強力の国であると云う実証を外国に知るくらしむるに在り。是が条約改正を達する大目的であります。而して右等の実証は今日迄幾分か知らしめたと云うことは先程より述ぶる所の我政府が従来執来ったる所の開国主義を実際に行うたる結果であります。
 条約改正の目的、否な外交上の目的は第四回の議会に於て総理大臣が宣言しました通り、凡そ国として受くべき権利を受け、凡そ国として尽すべき義務を完うすると云うにあります。是が実際より言えば則ち此日本帝国が亜細亜州中にありながら、欧米各国より一種特別なる待遇を受けんと云う趣意である。既に外よりして一種特別なる待遇を受けんとするものは、内にあっても一種特別なる政略を行い、其人民も一種特別なる気象を現わさなければならぬのである。故に今日の外交の要務は自尊自重何人をも侮らず、何人をも怖れず[「然り」と呼ぶ者あり]、彼此互に相当の尊敬を尽して文明強国の侶伴に入らんとするのである[「其通り」「それに外ならぬ」と呼ぶ者あり]。

 諸君。近来の歴史、近来欧州及亜細亜に関する歴史を御覧なさい。或一国が外交のことに関し、其国の安危存亡の関る場合に於て、其人民中内心実に小胆臆病外国人を畏懼しながら、外には傲慢の意志を現わし、区々小事に就いて外国人を軽蔑するの形跡を存し、而して一朝事あるに当っては逡巡して自立することが出来ない[「逡巡したる者は誰か」「政府自らだ」と呼ぶ者あり]。何でも宜しい。まあ御聴きなさい。もうそう長くは申しませぬ[鈴木萬次郎君「一朝事あるに当って逡巡したのは今の政府ではないか」と呼ぶ]。即ち一朝事あるに当って逡巡して自立する能わず[「夫子自らだ」と呼ぶ者あり]。大に外交上の葛藤を生じ、一敗地に塗れて国辱を貽し、国運を縮めたる例は鮮なからぬ[「政府自らなり」と呼ぶ者あり][「今の政府常に然り」と呼ぶ者あり]。
 然るに、此外交政略と云うものは多くは其時代の国民の気象に応ずるものである。曩にも申す通り幕府は鎖国攘夷と云う気風に感染せられ、為めに其外交政略は事々物々外国人を遮断する主義に外ならなかったのであります。故に忍耐力あり。進取の気象ある人民を有する国にあらずんば、且つ大なる外交政略を執ることは出来ないのである。

 偖て最早大抵申尽し、余り長く時を取らぬを必要と思います。茲に最後に本大臣は政府を代表して言う。到底彼の条約励行若くは其他之に付随する所の議案は、維新以来の国是に反対し、政府は此国是を阻格するものに対しては之れを排斥するの責任あるが故に、苟も斯の如き議案の議場に提出せらるゝに当っては、之を論駁することに於て寸毫も仮借せぬのであります。故に茲に政府が外交上の方針を宣べて以て諸君の反省を求むるのである。

 かくて陸奥は条約励行案に正面から論駁を加えた。
 この後、議員は再び現行条約励行建議案を提出しようとする。再び停会の詔勅が下る。

(「第5回帝国議会・衆議院議事録・明治26.11.28〜明治26.12.30(解散)」p134より、()は筆者)

  [鈴木萬次郎君演壇に登る]
○ 議長[楠本正隆君]是より第一の日程に移ります。
  第一 現行条約励行建議案[安部井磐根君提出]
○ 鈴木萬次郎君[百八十九番]私は説明を求むると云うことで此演壇まで来たが、外務大臣が退いて仕舞ったから説明を求むることは出来ぬと云うのでありますが・・・・
○ 議長[楠本正隆君]諸君、詔勅がございます。
    [各議員起立す]
○ 議長[楠本正隆君]朗読致します。

 別紙詔勅及伝達候也。
  明治二十六年十二月二十九日  内閣総理大臣伯爵伊藤博文
    衆議院議長楠本正隆殿
 朕、帝国憲法第七条に依り、十二月二十九日より明治二十七年一月十一日迄十四日間、帝国議会の停会を命ず。
  御名御璽
  明治二十六年十二月二十九日
(以下略)

 その後、解散の詔勅が下った。

  かくて第6回帝国議会は、翌年5月に21日間の期日を予定として開かれた。しかし前回に条約励行案建議の提出もさせずに停会、解散とした政府への反発は強く、この議会では過激なまでの政府批判発言がなされ、終には第5回議会解散に伴う政府の行為に信任を置くことができない、との決議を圧倒的多数で可決した。

 まず、議会開会に於ける伊藤総理の演説に対して猛烈な野次が飛んだ。

(「第6回帝国議会(特別)・衆議院議事録・明治27.5.15〜明治27.6.2(解散)」p11より抜粋、()は筆者)

   [内閣総理大臣伯爵伊藤博文君演壇に登る]
(中略)
・・・此立法行政の衝突と相成りましたが、最も重きは励行案に置いたに相違ない。政府は之に絶対的の反対であった。[「どの点が」と呼ぶ者あり。又「何故に反対だ」と呼ぶ者あり]
 若し此建議案にして万一多数を占むるに至れば其余響の及ぶ所容易ならぬことゝ見たのである。[「えらい嚇し付ける」と呼ぶ者あり。又「私は肯きませぬ」と呼ぶ者あり。又「何処の点が害になるか明に言え」と呼ぶ者あり]

 今は即ち従来の方針に依り条約改正のことに断えず著手しつゝある時である。[「為し得るや否や」と呼ぶ者あり。又「六ヶ敷い(難しい)」と呼ぶ者あり]勿論、成し遂げる見込みなければ決して著手致しませぬ。[「今までの御手際はどうである」と呼ぶ者あり。又「信用しませぬ」と呼ぶ者あり]

 其為には諸君も勿論諸君の見る所があって(条約励行建議案を)提出されたのでありましょうから、政府に於て議会と衝突することは決して好むのではない。唯政府は之に対して所見を異にしたのである。決して非内地雑居にあらず、又尚早論にあらずと云えば、是亦政府の大に喜ぶ所である[「固より然り」と呼ぶ者あり]。
 対等の条約を結ぼうと云うことゝ非内地雑居と云うことは両立の出来ることではない[「ノーノー、固より非内地雑居にあらず」と呼ぶ者あり]。

 維新以来の方針は、諸君の御熟知の通に開国の主義をとっていくと云う以上は、独立国の得べき権利を得ようと云うのであるが、それを得れば即ち万国公法の条規に従って交際をしようと云うのである。其万国公法の条規に従って交際しようと云うことになれば、万国普通の慣例に依って交際するの必要がある[中村彌六君「普通よりは譲って居る」と呼ぶ]。今日の条約は即ち時体に適せない。今日の条約が則ち時体に適せぬ。故に改正をしなければならぬのである[「改正が出来ないではないか」と呼ぶ者あり]。
 改正の事に就いてはそう容易く行く訳のものではない[柴四朗君「朝鮮が怖い位ではとても出来ない」と呼び、笑声起る]。

 一説に承りますけれども、条約励行を以て改正を促すの手段とされると云う説も承りますけれども、政府は其方法を取らぬのである[「それがいかんのだ。取得ないのだ。政府は条約を励行する能わず、然らば廃棄する積か」と呼ぶ者あり]。政府は条約の励行に必要なることは励行して行きつゝある[「大ノー」と呼ぶ者あり]。又政府が維新国是の方針に依りて条約の改正をすると云うことは政府の最も重きを置いて居る所の一大義務であると考える。[河島醇君「二十余年間、何回失敗したか。内硬外弱は政府の政略なり」と呼ぶ]故に此事に就いては孜孜として怠らず今進行しつゝあるのである[「大に怠る」と呼ぶ者あり]。
(以下略)

 明治の議会は実に自由の雰囲気溢るるものだったことがよく分る(笑)。
 しかしなんだか伊藤公カワイソス(´・ω・`)

 以下議員による政府批判の演説を抜粋して記す。彼らがいったい何に不満を持っているのかがよく分るものである。

(「第6回帝国議会(特別)・衆議院議事録・明治27.5.15〜明治27.6.2(解散)」p38左より抜粋、()は筆者)

  [犬養毅君演壇に登る]
(中略)
 若し今日の内閣の過失を数えれば、今日の内閣は、我帝国の政治を負担すべき真正な心、赤誠を持って居ないと云うことは彼に向っての大断案である[拍手起る。「自家撞着」と呼ぶ者あり]。何ぜ不親切であるか。今日の内閣は実に偸安姑息である。優柔懦弱である。善を見て為すことを為さず、悪を見て悛むることを為さない。唯己が今日の地位に眷恋してそれを守るがために生ずる所の事柄が悉く悪事になる。悉く過失になるのである。此立憲的動作にあらずと諸君が譴められ、発案者が譴めらるゝ所の非立憲の仕事を現内閣は沢山してある。併ながら独り内に対する非立憲の事のみならず、外国に対する仕事はどう云うことをして居るか。
 昨日も段々諸君の御説があった通、外国に対しては怯懦に諛佞して居る、――媚びて居ると云う事柄は沢山出て居る。凡そ此世界諸国の強大な国に向って彼(伊藤総理)が柔弱な懦弱な政略を取って居ると云うことは驚くに足らぬ。世界で最も優柔なる弱国である所の朝鮮。最も弱い支那に対して、どう云うことをして居るか。
 諸君。今の藩閥内閣の最も元老と呼んで居る現内閣総理が、天津条約を結んで、其墨の未だ乾かぬ間に朝鮮に向って支那は如何なる事をして居るか、十七年の変、大院君の変、近来に至るの始末、金朴――金玉均事件等、悉く日本の顔に泥を塗られて居りながら、之を拭うことを為さない。
 殊に防穀事件の事に就いては殆ど公然の秘密になって居る事柄がある。防穀事件に就いて此柔弱なる朝鮮が無礼にも、日本に対して抵抗すると云うことの技倆を出させたのは誰であるか。誰が教唆したか。支那政府が之を教唆し、之が後ろ楯になって居ると云う証拠事実は沢山ある。然るに日本政府は其教唆者たる支那の李中堂に向って――李鴻章に向っての仲裁を頼んだと云うことは実に公然の秘密になって居る事柄である。唯然るのみならず、此談判の結了を為すに就いて殆ど最後の決心を以て公使が日を限って其日迄に朝鮮政府が決答をしなければ引還すと云うまでに決心した。其後にどう云うことをしたか。世間に流布して居る公然の秘密に依れば、此時に当って此伊藤内閣は更に膝を屈し、更に腰を折って、再び日本より駐箚して居る公使をして、此一番の教唆者たる袁世凱に向って再び期を延べて呉れい、延期して呉れ、と云うことを先方より言わすように取計えと云うことを言ったと云うことが世間に流布して居る。
 斯様な柔弱な、斯様な怯懦な(日本政府である)。世界中一番弱い国、一番微力な国と云えば朝鮮である。其朝鮮に向ってすら相当の力を伸べることが出来ない伊藤伯である。世界中で一番人の卑しいのは支那である。朝鮮である。之に向ってすら外に力を伸べることが出来ぬものが、どうして条約改正が出来ましょうか。彼が西洋諸国と見れば何時でも頭を下げ、唯媚諛って居ることは、怪しむに足らぬ。斯様な弱国にすら懦弱の政略を取って居る。是に至りましては殆ど党派の別を問わず、凡そ国民たるものは最も親切(深切)に考えなければならぬ時である。凡そ斯様な優柔懦弱な、斯様な不始末の政府に、此国事を任したならば、不祥なことを云うのは私は好まぬが、殆ど又言うべからざる有様に立至るであろうと思います。
(以下略)


(「第6回帝国議会(特別)・衆議院議事録・明治27.5.15〜明治27.6.2(解散)」p56より抜粋、()は筆者)

   [大岡育造君演壇に登る]
(中略)
 条約励行と云えば随分此意味の中には様々な反対者もあったに相違ないが、大きな問題でもなかろう。兎も角も法律が自分の国に於て適当に行われることがなければならぬと云う意味には、自由党の諸君も改進党の諸君でも是は反対はない筈である。
 明治六年の布告には、地所を外国人に売渡すことは相成らず、と定めてある。而して実際はどうであるかと云えば、実際地所を外国人が持って居る。実際左様なことがあるとすれば、日本の法律が日本国で行われて居らないのである。政府は随分選挙法も励行する、郵便法も励行する、日本人には出来得べき限、励行を致しますが、併し日本にある外人が日本の法律を蹂躙したる場合に正しく食止めることをし得ないと云うことは、それでも宜いと云う人は別段、我輩共の解するのは日本国の利益を保つために正しき途を履むと云う丈に於ては誰も異論を言うことはない。それを何と云うて居る、それは外人遮断主義である、陸奥外務大臣が、条約励行は外人遮断主義であると申された。外人遮断主義であるから国是に反すると云う時には、第一是が分らぬ。[山田東次君「吾々は励行案の演説を聴くのではない」と呼ぶ]議会を解散したる顛末を申すに就いては励行案のことを言わなければならぬから暫く御清聴を煩したい。

 畢竟是は第四議会が始めて成立したる時に当ってそこに臨んで演説したる政府の趣意に於ても国論を開くと云い、国と国との条約に於て日本の国が保つべき所の権利を保ち、尽すべき義務を尽すと云うことを勤める約束があるのである。之に対して日本の国として保つべき権利を主張するのである。励行と云う言葉が耳立てば其言葉で宜しい。

 外人遮断主義が何で悪るいのであるか。外人遮断と云うことは強い国でなければ出来ないことである。既に自主の権利を持って居って自主的の外交方針を定めたる以上に、己の国の不利益の場合に於て、他人を謝絶する位の権利がなければならぬのである。即ち亜米利加人が支那人を放逐せられたことに於ても、又昨年でございましたか伊太利人が現に仏蘭西で放逐せられたことに於ても、近頃戻られた奥君に聞いて見られても能く分る。露西亜人が猶太教の人を自分の国の社会に入れない、それは皆苟も己の国の利益に反対すると見ました以上は之を遮断する位は適当の仕方である。それが即ち自主ある所以である。若しそれがなくては仕方がない、外国人の方がえらい、何事も御願い申さなければならぬと云うならば、是は自主的の政策に反するものである。則ち外に向って大に国光を宣揚せよと云う御諚に背くものと言わなければならぬと思うのである。[喝采]

 現行条約励行論や治外法権撤廃論、また反対に治外法権擁護論、あるいは外人遮断主義など、様々な論となって表れた政府批判(批判の根拠としては誤ったものに基づくものもあるが)の根底にあるものは、要するに、政府は外国に対して弱腰過ぎる、という批判であったことが窺われると思う。

 5月21日、議会は、「現内閣の行為に対する本院の意志を表明するの件[緊急事件]」即ち「第五期帝国議会に於て本院未だ其意旨行為を表発せざるに当て、政府が之を解散し且つ其理由を明示せざるは立憲的動作にあらずと認む。依て本院は第五期議会解散に伴える政府の行為に信任を置く能わず。茲に之を決議す」を、274票中253票という圧倒的多数で可決した。(「同上」p45 p56 p60)

 その後、5月31日、衆議院は内閣批判の上奏案を審議した。その大要は、
「内閣は内治外交を誤り、ただ外国人の歓心を失うことを畏れるのみに至る。内閣のすることは常に和協の道に背き、衆議院の臣に大政翼賛の重責を全うさせることができなくした。このままでは内閣と衆議院とは並び立つことが出来ない。よって闕下に陳奏する」
という天皇への上奏案であった。これを賛成153、反対139で可決し、衆議院議長名で上奏。(「同上」p192 p193)

 しかしこれに対し6月2日、明治天皇は宮内大臣を以て沙汰した。すなわち、「衆議院の上奏は御採用に相成らず。上奏に対せられては別段書面を以て勅答あらせられず」であった。次いで、衆議院解散の命の詔勅が下った。(「同上」p222)

 しかし、かくも政府と議会との乖離はどこから来るのであろうか。情報の精度とその量の違いであろうか。彼ら憂国の衆議院議員たちに現実は見えていない。

 

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