日清戦争下の日本と朝鮮(14)補足資料




(「日清修好通商条約締結一件/修好条規通商章程締結間題 第一巻 分割1 B06151018600」p47、()は筆者)

[別紙一]
    ○ 長崎府在留支那人へ布令書

当府開港以来、条約未済の国民共、結盟国人に付属し、窃に渡来有之趣、就中支那人の義は旧来唐館の商業廃絶してより其管轄を逃れて猶唐館新地の内に居住し、又は外国人居留地に入込、開店営業致居、且又極貧の者に至ては往々不良の行をなし、害を他人に及し候者も又不少。是等は都て其支配する所無之故、事ある時に臨んで不都合甚しく、去り迚是を逐て其本国え差帰すも聊か不仁類するべく、且、万国の民互に客土に来住営生す当今の常事、且当十一月中、支那の道台応■時より我政府へ送りし書翰にも、両国の商民各其本地を離れて両国の内に居住する者は都て地方官の仕置を以て罪を科すべき事、各自国の民に異なる事なしと有之。因て我政府も此意に同じ、以来支那人の此地に在る者、其本分を守り生計を営む者は扶助して其商業を遂げしめ、若又行い奸悪なるは是を罰して将来を戒しむる等の事一々我子民と均しかるべし。是に因て支那人の長崎府に滞留する者は縦令外国人に付属するもせざるも総て、来る巳年(明治2年)正月十五日を限り悉く外国局に来りて、無洩其姓名生国及年齢を報明し、本局の籍票を申請、其正当なる事を証すべし。万一其期限を越えて籍票所持不致者は我国典を犯せる者と視成して罰譴逭(のが)るべからざる者なり。
  明治元年辰年十二月
   外国管事役所

 中国人がひそかに渡来したり、管轄を逃れて居住したり店を開いたり、また極貧の者で不良の行いをして害を他人に及す者も少なくない、とある。明治26年4月刊の「長崎小史」には、天保年間に幕府が長崎で一度に中国人180人を捕えて75人を禁固刑にし、後に本国に追放する事件があったことが記録されている。しかしこの明治元年の日本政府としては、「だからと言ってこれを追放して本国に帰すのもいささか不人情なことであり、また世界中の人間が行き来しているが今の現状である」と述べ、また、支那の上海道台から日本政府に送ってきた書簡にも、「両国の人間が国を離れて両国の内に居住する者は全て、その国の地方官の取締まりによって処置するべきである」とあることからも、日本政府としてもそのように取り計らい、真面目に生計を営むものは扶助してその商業を維持させ、また犯罪の者は罰して戒めるのは日本国民同様に扱う、という内容の布告である。この取り決めは後の日清条約に生かされたようである。

 

日清修好条規 原文

(「第一冊 第一編 至 六編/6 第三編 修好条規及通商章程ノ締結」p6より、()は筆者)

(明治4年(1871)7月29日調印)

大日本国と
大清国は、古来友誼敦厚なるを以て、今般一同旧交を修め、益邦交を固くせんと欲し、
 大日本国
欽差全権大臣従二位大蔵卿伊達(宗城)
 大清国
欽差全権大臣弁理通商事務太子太保協弁大学士兵部尚書直隷総督部堂一等肅毅伯李(鴻章)
各奉じたる
上諭の旨に遵い、公同会議し修好条規を定め、以て双方信守し久遠替らざることを期す。其議定せし各条左の如し。

  第一条
 此後
大日本国と
大清国は、弥和誼を敦くし、天地と共に窮まり無るべし。又両国に属したる邦土も各礼を以て相待ち、聊侵越することなく、永久安全を得せしむべし。

  第二条
 両国、好みを通せし上は、必ず相関切す。若し他国より不公及び軽藐すること有る時、其知らせを為さば、何れも互に相助け、或は中に入り、程克く取扱い、交誼を敦くすべし。

  第三条
 両国の政事禁令各異なれば、其政事は己国自主の権に任すべし。彼此に於て、何れも代謀干預して禁じたることを取り行わんと請い願うことを得ず。其禁令は互に相助け、各其商民に諭し、土人を誘惑し聊か違犯有るを許さず。

  第四条
 両国、秉権大臣を差出し、其眷属随員を召具して京師に在留し、或は長く居留し、或は時々往来し、内地各所を通行することを得べし。其入費は何れも自分より払うべし。其地面家宅を賃借して大臣等の公館と為し、並に行李の往来及び飛脚の仕立書状を送る等のことは何れも不都合なき様世話いたすべし。

  第五条
 両国の官位何れも定品有りといえども、職を授ること各同からず。因て彼此の職掌相当する者は、応接及び文通とも均く対待の礼を用ゆ。職卑き者と上官と相見るには客礼を行い、公務を弁ずるに付ては職掌相当の官へ照会して其上官へ転申し、直達することを得ず。又、双方礼式の出会には各官位の名帖を用ゆ。凡、両国より差出したる官員初て任所に到着せば、印章ある書付を出し見せ、仮冐なき様の防ぎをなすべし。

  第六条
 此後両国往復する公文、大清は漢文を用い、大日本は日本文を用い、漢訳文を副うべし。或は只漢文のみを用い其便に従う。

  第七条
 両国、好みを通ぜし上は、海岸の各港に於て彼此共に場所を指定して商民の往来貿易を許すべし。猶別に通商章程を立て、両国の商民に永遠遵守せしむべし。

  第八条
 両国の開港場には彼此何れも理事官を差置き、自国章民の取締をなすべし。凡、家財、産業、公事、訴訟に干係せし事件は、都て其裁判に帰し、何れも自国の律例を按じて糺弁すべし。両国商民相互の訴訟には何れも願書体を用ゆ。理事官は先ず理解を加え、成る丈け訴訟に及ばざる様にすべし。其儀能わざる時は、地方官に掛合い、双方出会し、公平に裁断すべし。尤、盗賊、欠落等の事件は両国地方官より召捕り吟味取上げ方致す而已にして、官より償うことはなさゞるべし。

  第九条
 両国の開港場に、若し未だ理事官を置ざる時は、其人民貿易何れも地方官より取締り世話すべし。若し罪科を犯さば本人を捕えて吟味を遂げ、其事情を最寄開港場の理事官へ掛合い、律を照して裁断すべし。

  第十条
 両国の官吏商人は諸開港場に於て何れも其地の民人を雇い、雑役手代等に用ること勝手に為べし。尤、其雇主より時々取締を為し、事に寄せ人を欺くことなからしめ、別して其私言を偏聴して事を生ぜしむべからず。若し犯罪の者有らば、其地方官より召捕り糺弁するに任せ、雇主より庇うことを得ず。

  第十一条
 両国の商民、諸開港場にて彼此往来するに付ては互に友愛すべし。刀剣類を携帯することを得ず。違う者は罰を行い、刀剣は官に取上ぐべし。又何れも其本文を守り、永住暫居の差別無く必ず自国理事官の支配に従うべし。衣冠を替え改め、其他の人別に入り、官途に就き、紛わしき儀有ることを許さず。

  第十二条
 此国の人民、此国の法度を犯せんこと有て、彼国の役所、商船、会社等の内に隠し忍び、或は彼国各処に遁げ潜み居る者を、此国の官より査明して掛合越さば、彼国の官にて早速召捕りらえ見遁すことを得ず。囚人を引送る時の途中、衣食を与え凌虐すべからず。

  第十三条
 両国の人民、若し開港場に於て兇徒を語合い盗賊悪事をなし、或は内地に潜み入り、火を付け、人を殺し、劫奪を為す者有らば、各港にては地方官より厳く捕え直に其次第を理事官に知らすべし。若し兇器を用て手向いせば、何れに於ても格殺して論なかるべし。併し之を殺せし事情は、理事官と出会して、一同に査験すべし。若し其事内地に発りて理事官自ら赴き査験すること届きかぬる時は、其地方官より実在の情由を理事官に照会して査照せしむべし。尤、縛して取るたる罪人は、各港にては地方官と理事官と会合して吟味し、内地にては地方官一手にて吟味し、其事情を理事官に照会して査照せしむべし。若し此国の人民、彼国に在て一揆徒党を企て、十人以上の数に及び、並に彼国人民を誘結通謀し、害を地方に作すの事有らば、彼国の官より早速査拏し、各港にては理事官に掛合い会審し、内地にては地方官より理事官に照会せしめ、何れも事を犯せし地方に於て法を正すべし。

  第十四条
 両国の兵船、開港場に往来することは自国の商民を保護するためなれば、都て未開港場及び内地の河湖支港へ乗入ることを許さず。違う者は引留て罰を行うべし。尤、風に遇い難を避るために乗入りたる者は此例に在らず。

  第十五条
 此後両国、若し別国と兵を用ゆる事有るに付、防禦いたすべき各港に於て布告をなさば、暫く貿易並に船隻の出入を差止め、誤て傷損を受けざらしむべし。又平時に於て大日本人は大清の開港場及び最寄海上にて、何れも不和の国と互に争闘搶刼することを許さず。

  第十六条
 両国の理事官は、何れも貿易を為すことを得ず。亦条約なき国の理事官を兼勤することを許さず。若し事務の計い方、衆人の心に叶わざる実拠有らば、彼此何れも書面を以て秉権大臣に掛合い、査明して引取らしむべし。一人事を破るに因て両国の友誼を損傷するに至らしめず。

  第十七条
 両国の船印は各定式あり。万一彼国に船、此国の船印を仮冐して私に不法の事を為さば、其船並に荷物とも取上ぐべし。若し其船印、官員より渡したる者ならば其筋に申立、官を罷めしむべし。又両国の書籍は彼此誦習わんと願わば、互に売買することを許す。

  第十八条
 両国議定せし条規は、何れも預め防範を為し、偶嫌隙を生ずるを免れしめ、以て講信修好の道を尽す所なり。是に因て両国欽差全権大臣、証拠のため先ず花押を調印をなし置き、両国御筆の批准相済に互に取替わせし後ち、版刻して各処に通行し、彼民に普く遵守せしを永く以て好を為すべし。

 全体を読むと、あまりすっきりとしない文章という印象を受ける。やたら違反行為や犯罪に関する対処が各条で書かれ、第十七条では船印についての条文の中で唐突に「書籍の売買」のことが出て来たりする(笑)。治外法権であったり、場合によってはそうでなかったり、犯罪の種類で対応も変わったりという、何だか奇妙なもの。そして、第二条に至ってはまるで攻守同盟の条文である。

 実はこれ、清国側草案に基づく条約である。当初、日清双方で草案を提出してどちらを基礎とするかで議論となり、で、李鴻章は決して譲らず、日本草案では談判決裂するしかないということにまでなり、終に日本側が譲歩して清国草案を受け入れたのであった。まさに第二条こそ、李鴻章が日本を外援となさんとした目論見をよく現したものと言えよう。
 案の定、この第二条を横浜の仏字新聞紙がすっぱ抜いて記事とし、在日の米・独・蘭などの各国公使領事も、「この条文では日清は攻守同盟となり危険である。清国が外国と戦争となった場合に日本が清国を助けることになれば、日本も敵国と見做されよう」と忠告したりなどした。よって日本政府は翌年には第二条などの改正を申し込んだが、李鴻章が憤怒して拒んだという、いわくつきの条約である。よって後にはこの第二条は、日清両国の交誼の厚いことを表現したものに過ぎない、という説明で対処した。
 明治27年の日清開戦により失効。

 

森有礼と李鴻章の談話  服制、経済などについて

 明治9年(1876)1月25日、森有礼と李鴻章との会談に於いて日本の服装が変化したことについての話などが交わされている。多分に森個人の考え方でもあったろうが、当時の日清を代表する人物によるものだけに、その違いが伺われて興味深い資料となっている。

(「第二冊 第七編 至 十編/5 第十編 第一回朝鮮事件」p24より現代語に)

 「近来、貴国で挙行されることは殆ど賞賛すべきものばかりである。しかし一つだけそうでないのは、貴国が旧来の服制を変えて欧風を模した一事である」

 「その理由は甚だ簡単であり殆ど弁解を要しない。そもそも我が国旧来の服制というものは、閣下も見られたことがあろうが、広くゆるやかで爽快なものであり、無事安楽に世を渡る人には極めて適当なものであるが、多事勤労な人には全く適しない。それで旧時代にはよかったが、今日の時勢に至っては全く不便である。故に旧制を改めて新式を用いたが、そのため我が国では利益となることが少なくない」

 「だいたい衣服制度というものは、人に祖先の遺志を追憶させるものの一つであって、その子孫たる者はよくこれを貴重のものとして万世に保存すべきである」

 「もし我が国の祖先が今日にいたら、このことについては同様のことをしたろうとは一点の疑いも容れない。今から一千年前にも我祖先は貴国の服式に優るところがあるのでこれを採用した。何事にも善いところを模擬するのは我が国の一つの美風と言うべし」

 「貴国の祖先が我が国の服を採用したのは最も賢いことである。我が国の服は織るに大変便利であり、且つ全て貴国の出産物(絹)でこれを製することができる。現今の洋服を模擬されるような莫大の冗費を必要としない」

 「そうであるが、我等からこれを見れば、貴国の衣服は洋服の精緻且つ便利であることに比べれば半分にも及ばない。頭髪は長く垂れ履物は大きく粗雑であり、殆ど我が国の人民に適応しない。その他貴国のものが我が国に合うとは思われない。しかし洋服はそうではない。たとえ経済のことを熟知しない人がこれを冗費に思おうが、勤労は富の基であり、怠慢は貧の源であることは閣下の知る所であろう。旧来の服はゆるやかで爽快なものであるが軽便ではない。すでに申したように、怠慢にはよいが勤労には適していない。我が国は怠慢にして貧となるのを好まない。勤労を以って富むことを欲する。それゆえ、旧を捨てて新を採用した。今その費やすところは将来に年を追って無限の報いとなるを期待している」

 「そうであろうが、閣下は貴国の旧来の服制を捨てて欧風に倣い、貴国独立の精神を欧州の制度に委ねたことにも聊か恥じるところはないのか」

 「毫も恥じるところが無いだけでなく、決して他から強迫されたのでもなく、全く我が国の自ら好むところによる。殊に我が国は古よりアジア・アメリカその他いずれの国であっても、その長所あればこれを採用して我が国に施すことを求めるのである」

 「我が国にあっては決してそのような変革を行うことはないだろう。ただ武器・鉄道・電信その他諸機械などは必須の品であり、かの国の最も優れているところであり、これを外国から採用せざるを得ない」

 「凡そ将来のことについては、誰が予めその好むところを確定できようか。貴国は四百年前には、清朝の初めから行われたその服制を好んだ人はなかっただろう」

 「これは我が国での変革であって、決して西洋の風俗を用いたのではない」

 「しかし変革は変革である。殊に貴国のこの変革は強迫によって出され、貴国人民から忌み嫌われたのではなかったか」

 「これは我等が勤皇の篤志からこのようにしたのである。さて、アジアとヨーロッパの交際は、将来どのような状態となるか、閣下はどのように明察されるか」

 漢人である李鴻章にとっては、森有礼の最後の一言は苦いものであったろうか。清朝となって、辮髪と称する頭髪と共に服制を満州族様式に強制的に変えさせられた悲劇の過去が漢民族にはあるのだから。

 さて、そこで李鴻章が話題を変えたのだが、対話はアジアの文化論から経済の話にまで及んだ。

 「これは大なる問題である。このことは各種の人民、各種の宗教、互にその権威を争い、また世界の2大州が互に人智と富強を競うことに関するものと察せられる。ならば拙者もアジアの人であるが、アジアはヨーロッパと互角に並ぶ日はまだ遥かに幾百年の後にあろうか。およそを言えば、今日のアジア人は、下賎、野卑、禽獣と遠くはない」

 「何故そうなのか」

 「そもそも婦人の貴重なことは天の定めるところである。即ち婦人は人間の母である。一国一家の母である。それなのにアジア州の中でどこにあっても婦人を卑しみ見てこれを待遇するに非道であることは、殆と獣類に等しいものである。拙者がアジア人は下賎であると論じたのも理の無いことでないことは多言を要さず。閣下にも了解されよう」

 「これは甚だ奇論である。閣下はキリスト教徒か」

 「拙者はキリスト教、仏教、或いはイスラム教その他のもの、一つでも宗教の名が付くものは奉じてはいない。現にこのように俗人である。ただ平素に正道を守り人を害さぬことを一身の目的としている。しかしまた我心に我心を迷わされてなかなか行い難いことであるが」

 「閣下の大才能は実に驚くべきである。孔子と言えどもこの話を謹んで聞くことを望まれるべきである。閣下のような大才を以ってどうして貴国の征韓論などの浅慮の軽挙のないようにされなかったのか。まして貴国は今甚だ負債を欧州に負う時勢であるのに」

 「かりにも思慮ある人ならば予め計画するところ無くて妄りに事業を起こす者はいないだろう」

 「勿論である。しかし今日のような莫大の経費を顧みず、益々外債を積むならば、遂には貴国は滅亡を招くに至ろう」

 「負債の一事は方法さえよいならば敢て忌憚すべきものではない。現に我が国が欧州に負債を持つようなことは甚だ実益をもたらすものである」

 「何を以ってそうなのか。負債は決してよいものではない」

 「我が国は前に外債がない時は、人民は経済の方法を知らず、国家の形勢も知っていなかった。しかし今日では甚だ小額ではあるが、外債がある故に、人民は経済の方法を会得し、その可否をも論じ、深く事に注意して特に経済上については、少しでも便宜を失すると見ると様々に議論をするに至った。また百般の工業を興し、その利潤を以って外債の支払いに充て、今は大いに実効を見るものがある。すでにこのようなことなので、我が国の負債は我が国の財政を善良なものとしていると言える」

 「貴国に於いて負債と服制の変換が貴国人民に幸福を得させる原因となるのは実に喜ぶべきことである。しかし負債が益々増加するなら、貴国の独立は益々束縛されるだろう。よって今よりも更に欧州に負債を求めるようなことがないように貴国の為に希望さぜるを得ない」

 「閣下の懇情に感謝する。どうぞ閣下が日本に来られることを希望する。もし来られるならば閣下の知友及び我全国の人民は欣然として閣下を歓迎せん」

 「感謝する。時機があるなら必ず来遊しよう」

 かくて、李鴻章が来日したのは明治27年の日清講和談判の時であった。大発展する日本を象徴する東京などを見ることなく、下関の閑静なホテルに泊まっただけであり、ピストルの弾という歓迎を受けることになるのであった。

 

 

第1回帝国議会に於ける山縣有朋総理演説(明治23年12月6日)

(「第1回帝国議会・衆議院議事録・明治23.11.29〜明治24.3.7」【 レファレンスコード A07050000300】p32)

官報 号外 明治二十三年十二月七日 日曜日 内閣官報局

○ 衆議院第一回通常会議事速記録第四号

  明治廿三年十二月六日[土曜]午後第一時十五分開議
    議事日程 第五号 明治二十三年十二月六日
     午後一時開議
  第一 窮民救助法議案[政府提出] 第一議会
  第二 窮民救助法議案の審査を付託すべき特別委員の選挙

○ 議員一同着席

○ 議長[中島信行君] 議員諸君に申します。本日は議事に掛る前に、昨日御報道申した通りで、国務大臣の演説申込がありますから、此の段を御報道致します。御静聴あらんことを。

○ 総理大臣[伯爵山縣有朋君] 議長、音声を痛めて居りますから、演壇に上らんことを望みます。

○ 議長[中島信行君] 宜しう御座ります。

  [総理大臣[伯爵山縣有朋君]演壇に上る]

○ 総理大臣[伯爵山縣有朋君] 諸君、我が天皇陛下は至仁なる聖慮に依りまして、曩きに千歳不磨の大典を立てさせられ、茲に諸君と相会するを得たるは、誠に国家の為慶賀に堪えざる次第で御座ります。又本官の幸栄とするところで御座ります。
 本官は今、内外の政務に就きまして、諸君に其の方針の在る所を陳述致しまするの機会に遭遇致しましたるが、既に政府の執る所の政策に於きましては、先日開院の勅語に於きまして、其の大体を明示致されました以上に、今更に本官が事々しく弁明致しまする必要を見ませぬで御座ります。さりながら、二三の要点に就き、其の概略を陳述致しまして、諸君の公平なる判断を煩わさんことを望みます。

 顧みるに、旧政府が鎖港の政略を執りたる以来、我が国三百年間の無事太平を保続致しましたに相違御座りませぬことで御座ります。併し、此の政略は宇内の大勢に背馳致しまして、我が国三百年間の進化を遅く致したる結果を生じたるは、甚だ遺憾の至りに存じます。
 偖、明治大政維新の時に膺りまして、世運の変遷を察して一旦此の方向を変じますると、過去数百年間滞るところの負債を償還せねばならぬと云う事に気が付きました故に、我々が此の短日月の間に於きまして、其の負債を償還することに努力致しましたで御座ります。然るに僅二十有余年間の短日月なるが故に、今日に至るまで我々諸君と与に、背上に負担するところの至重の義務は、未だ其の半を終うるに至りませぬで御座ります。併しながら幸に上は聖天子の宏遠なる皇謨と、下は先進諸氏の翼賛計画するところに依りまして、其の大体の標準を一定することを得ました。故に漸次其の順序を追うて今日までの運びと相成りました次第でありまする。勿論政府の実務上に就きましては、或は之を緩にし、或は之を急にし、又は此の法を執り、又は此の法に依ることに至りまして、人々各々其の見るところに依りまして、各々出入異同あることは是数の免がれざるところと存じます。今其の小異は姑く擱きまして、施政の大局上に就いて観察を下すときは、我々一様に同一の軌轍の上に進み行きつゝあり、決して此の一大環線の外に脱出することは致しませぬ。是は本官が断言するに更に憚からぬところであります。

 偖、政府より二十四年度の総予算を提出致しましたるは、此歳計予算に就きまして、我々憲法上及び法律勅令を奉事するの義務者で御座ります。此の歳計予算に就きましては本官は諸君が慎重公平なる審議翼賛のあることは信じて疑いませぬ。予算帳に就きまして最歳出の大部分を占めるものは、即陸海軍の経費で御座います。是に就きましては本官が政府の観た所に就いて、将来の為に一言吐露して、諸君の注意を冀わんことを望みます。
 抑々今の時に方りまして国家の急務とする所のものは、行政及地方制度を整え運用を敏活ならしめることである。又農工及通商の業務を奨励作進して、国の実力を養成致すことが最必要のことと思います。されば、内治即内政は一日も忽にならぬことは、勿論申す迄もないことゝ存じます。又是と同時に国家の独立を維持し、国政の伸張を図ることが最緊要のことゝ存じます。此の事たるや、諸君及我々の共同事務の目的であって、独、政府のなすべきことで御座りますまい。将来政治上の局面に於て何等の変化を現出するも、決して変化することは御座りますまいと存じます。大凡、帝国臣民たる者は協心同力して、此の一直線の方向を取って、此の共同の目的に達することを誤らず、進まなければならぬと思います。

 蓋し国家独立自営の道に二途あり。第一に主権線を守護すること。第二には利益線を保護することである。其の主権線とは国の疆域を謂い、利益線とは其の主権線の安危に、密着の関係ある区域を申したのである。凡、国として主権線、及利益線を保たぬ国は御座りませぬ。方今列国の間に介立して一国の独立を維持するには、独、主権線を守禦するのみにては、決して十分とは申されませぬ。必ず亦利益線を保護致さなくてはならぬことゝ存じます。
 今果して吾々が申す所の主権線のみに止らずして、其の利益線を保って一国の独立の完全をなさんとするには、固より一朝一夕の話のみで之をなし得べきことで御座りませぬ。必ずや寸を積み尺を累ねて、漸次に国力を養い、其の成績を観ることを力めなければならぬことゝ存じます。即、予算に掲げたるように、巨大の金額を割いて陸海軍の経費に充つるも、亦此の趣意に外ならぬことと存じます。寔に是は止むを得ざる必要の経費である。

 以上演べまする所の数個の要点は、縦令小異はあるとも、其の大体に就きましては、諸君に於て必ず協同一致せられんことは、本官は信じて疑いませぬ。大凡、是等の事に就きまして、今申述べまする様に成るべくは速に払尽さねばならぬ共同義務である。然らば此の重大の義務を尽さんが為には、我々境遇に伴う所の一個の利益を犠牲に供して、公平無私に相倶に胸襟を押開いて、腹蔵なく相談し相議するに於ては、互に意見を一致することに於て、決して難きことはないことゝ存じまする。本官は幸に諸君の了察あらんことを望みます。

 

 

第1回帝国議会に於ける山縣有朋総理演説(明治24年2月16日)(部分)

(「第1回帝国議会・衆議院議事録・明治23.11.29〜明治24.3.7」【 レファレンスコード A07050000500】p92より抜粋)

 「熟々宇内の大勢を洞観致しまするに、列国の間に立ちまして、其の国権を完全に伸張すべきものは、国富み兵強からざるものはないである。故に列国と対立致しまして、和親懇篤を完うして、国権を一歩も枉ぐることない様にと申せば、其の国権を保護する丈の実力を保たないではなりませぬ。しかのみなりませず、現時、列国相競うて武備を張り、漸く進んで眼を東洋諸国に注ぐの形勢は、諸君に於ても洞知せらるゝことと存じます。宇内の大勢斯の如きの傾向に於きましては、日一日も武備を拡張すべきを緩慢に付する訳には参りませぬと存じます。且又列国と交際を為さんとするには、其の仲間入を致さなくてはならぬ。其の仲間入を致すには、共に権利を保全致さなくてはならぬ。権利を保全致すには、列国と均一の義務を負担せなくてはなりませぬ。其の義務は如何様のものであるかと申せば、即国是の定る所に従って百般の制度を整え、単に国家に対する義務のみなりませず、列国の尊敬を受け、且威信を繋ぐに必要の義務である。然らば我国に於きまして此国是を完全ならしむるには、義務を履践するは勿論であって、又此の国権を保護するに於きましても、実力を養成致さなくてはなりませぬ。而して緩急機に応じ、其の措置の宜しからんことを為すは当然のことゝ存じます」

 

 

 

 

 

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