日清戦争下の日本と朝鮮(13)補足資料

 

 

(「明治28年6月12日から大正12年12月5日」p26より()は筆者)

 16796平 伯林(ベルリン)発 大正十二年十二月五日后、六、二〇、  本省着 七日、前、七、五〇、

  伊集院外務大臣     大野代理公使
 第三四三号 大正十二年十二月廿弐日記録係接受

 独国外務省外交文書の続編、近日発刊の筈の処、其第九巻に三国干渉当時の日独外交関係文書収められある趣にて、Jageblatt(ベルリン新聞か)は註釈を加え、日清戦役に当たり独逸は厳正中立を守りしが、後に仏国が台湾に対する野心ありとの故を以て、「カイゼル」は独逸の台湾併合をHohenlohe宰相に電報したるに、在支公使Schenkより、寧ろ膠州湾を併合すべき旨、意見上申ありたるは、独逸と同地との因縁端緒なる処。
 其後三国干渉問題発生し、英国は全然之に関与せざるべきの態度を宣明せるに、「カイゼル」之を嘲笑し、三国の議纏りたる際、在本邦Vongutschmid(当時在日独国公使)に対し、二通の訓令を与えられ、其第一は東洋平和の為に遼東を[脱]勧告にして、第二は右勧告の際、口上振に関する含迄の内訓として「日本は三国相手に無謀の戦を為すが如きことなかるべきも、必要の際は之に所要の圧迫を加うることとなるべし云々」なる語句ありしに、之を其侭文書に認め林次官に手交せる為、最も利害関係少なかりし独逸が日本に対し却て仏露以上に乱暴に出でたる結果となり、同公使は直に本国政府より叱責せられ、林次官は十二年後在本邦大使Schwargensteinに対し、当時独国公使唯一人率直に戦争を以て日本に脅迫せる旨を語れり云々。

 在欧各大使に郵報。

 日清戦争時、当初ドイツは厳正中立を守っていたが、後に仏国が台湾に野心を抱いていることから、それでカイゼル(皇帝ウィルヘルム二世)は、仏国に対抗して台湾を併合するようにドイツ宰相Hohenloheに電報を打ったと。しかし在清国公使が、それより膠州湾を併合した方がいいですぜと、それで後にドイツがそれを手に入れた因縁ありと、などといった陰謀話である。まさに弱肉強食の爪牙を隠そうともしなかった当時欧州列強の姿の一端を見る思いがするではないか(笑)