(「韓国内政改革ニ関スル件、第二」p10より)
○明治二十七年十二月十九日井上公使朝鮮国王に謁見記事
十二月十九日午後二時公使参内謁見
寒暖の奏上了って、
大君主「朴泳孝、一昨日参内せり。久々にて朕始め中宮世子にも進謁姑く談話を為し退きたり。其容貌等著しく従前と異たる所なし。惟うに彼れ久しく貴国にありて智識を博め経験を積みたる事なるべし。朕は深く信ず。彼れが将来国家の為め忠誠を尽すべき事を」
本使 「謁見後同人は公使館に来り。本使と一回面見せり。同人は陛下の仁徳に感泣し、国家王室の為め殆んど一身を犠牲に供するの決心を為せるものの如し。且つ是迄同人は久しく我国にあって多年辛酸を嘗め心胆を錬りたれば、従前とは異なりて前後の思慮も生じ、這般の改革事業にも定めて便宜多かるべしと察せらる」
大君主「一昨日謁見の際に於ても同人は云う。臣図らず聖明丕徳を荷い今日再び天顔を咫尺に拝す。死して怨なきなり。今より身を邦家に捧げ、敢て死力を尽して国恩万分の一に報ぜんのみと、涕涙数行其言語赤誠より発す。誠に頼母しく感じたり。[此時王妃は国王の背後より、朴泳孝邸宅は朕已に之が準備を為し置きたれば、下賜すべし云々と]只今中宮の言の如く、同人は前代国王の駙馬にして、其邸宅は王家より下賜するの習慣なり。故に此節中宮より特に下賜の事に夫々準備せられたりと云へば、孰れ其筋より本人に沙汰すべし」
本使 「今両陛下にして同人の前過を赦さるるのみならず、却て之を至遇せらるる夫れ如此くんば、同人は必らず王家の為に粉骨砕身忠誠を尽すべし。又た両陛下已に如此く臣僚を優遇せらるるときは、焉んぞ貴朝廷に忠臣なきを憂んや」
大君主「同人は日本語に通ずれば時々召見して諸事を詢り、或時は公使に打合せを為さしむるに便宜ならん。又同時に朕が不徳に関するが但しは国家の為に有益なる事柄は卿遠慮なく直言諫争して苦しからずとの事を申聞け置けり」
本使 「本人の気質として巧言非を飾り甘言媚を呈すると云う如きものにあらず。寧ろ硬直にして言語偶々忌諱に触るも諫争して憚らざる人物なりと察せられれば、両陛下にも其思召にて同人に充分依信せられて可ならん」
大君主「朕も亦之を信ず」
本使 「李呵Oを日本公使として派遣すべしとの事に付同人は或る人に向って言わるる様、自分は切に日本公使を望むも、如何せん中宮には之を好ませられざる様子にて思い止まるべしとの御沙汰なりと語れりとか。果して右様の事実ありたるや否、本使は以為らく、是れは同人が他国行を好まざるが故に口実を此に借りたるものにあらざるかと存ずれども、聞か侭を聖聴に達するなり」
中宮 「否、決して左様の事を以て拒みたる覚えなし。恐らく聊か推測せし如く、同人の托辞に出たるものならん」
大君主「去るにても過日卿入謁の時奏上したる、同人を日本公使として派遣すべしとの件は何時しか大院君の耳に入り、朕に向って外国使臣と内輪話を為し、却て内輪の自分に相談を避けたるは如何とて、語気頗る不当なりし。朕は曾て此事を口外せざりしに、卿は之れを他に告げたる事ありしや。[本使大略秘事を除き、同人を公使として派遣せば可ならんとの意を宮内外務両大臣に申込み置きたる事あり]其故に然るならん。朕は大院君に向っては過日日本公使入謁の時、成程去る奏上をなしたるやとも思わるるも、当時朕は折柄五大臣の誓約書に注目し居りしかば、更に意を此に傾けざりしと漠然答え去りたり。尚お其含にて卿よりは宮内大臣に勧誘し同人より転じて老父を説き其考を動かす手段を執らしめては如何ん」
本使 「其辺の事は御憂慮に及ばず。本使に於て何とか都合能く取計うべし。軍務衙門の組織並軍隊の教育上に関して一言可致。此回四営門を全廃して、総て之れを軍務衙門の営轄に帰せんとするは、是れ軍事上尤も必要とす。凡そ一国の兵制は一途に出て号令一斉なるべきは一般の原則なり。現今貴国の如く四営に分ち、己の陰険を遂ぐる利器に使用する大弊を妨止せざるべからず。則ち一国の兵権は君主之れが大元帥として収攬し、苟も兵権をして他の操縦に放任すべからざるは普通の事例なり。然れども兵は本は兇器なり。軽しく動すべからず。陛下と雖ども、其出兵の必要あるに当っては先ず政府大臣と諮詢したる後にあらざれば、動かされざる様致度し。[大君主然り勿論]扨て軍務行政の処務と軍隊との間は自から相貫連すると雖ども其事務は区分せざる可らず。夫れ軍務衙門大臣に在っては軍務上に関する行政事務即ち軍隊の被服兵器糧食将校の進級と云う如き事を管掌し、又た参謀官にありては軍隊編制兵士の訓練教育兵制の如きを管理し、両者相待って軍事上の完全を期すべきなり。就ては本使は此二者共に適当なる人物を選び、貴政府の為め顧問官たらんしめんとす。即ち其一は公使館付少佐楠瀬なり。是れは法独魯の諸国を経歴し、多く軍事上の経験を有するものなれば、之をして軍隊の教育兵制上に関する方面に当らしめ、其一は岡本にして之れは曾て軍務上に経験あるものなれば、軍務衙門の顧問官として専ら組織に関する取調を為さしむべし。而して貴国の兵隊なるものは未だ充分取調べざれば委しくは承知せざるも恰も日本旧藩時代の士族と稍類似せるものにして一旦兵籍に入りたるものは之にて子孫に世襲すると云う習慣あるに似たり。故に這般の改革に当り其中壮丁格当するものを撰びて兵役に充て、其老巧用に堪えざるものあれば除かざるを得ず。之れを罷役するには即ち何月分の給料を一時に支給するか或は禄券証様のものを付与するか、何にしても此等の多数が直様飢餓に迫らざる丈の事は措置を施さゞるべからず。若し然らずして之れを棄て顧みずとせば、是れ亦た恵政の道にあらざるなり。而て恐る、彼等の不平心は結んで終に他の不平党に投じ、王家を怨望して一の悶着を起す種子となるべし。之に反して政府は充分の施置をなしたるにも拘わらず、敢て不義を企て名義名分を誤るものあらんか、其時こそ大に懲罰を加え、場合に拠ては兵力を用ゆるも何の不可あらん。第一陛下は全国の兵権を掌握して国の大元帥たるべきは前に延べたる如し。第二は世子宮は陛下万歳の後代って大元帥の任務に当らせらるれば、今より身体の御強壮を務めらるるは勿論、軍務上に於ける学問より実地の職務を御実践せられざるべからず。[大君主曰く、貴国の近衛大将は親王なりと聞けり]然り。貴国現今の事情に於ては近衛総督は兵制組織の律に因りて世子宮自から任に当らるる事最も適当たるべし。左すれば王室以外の宗戚何人も此兇器を以て自己の意志を達する為、兵権を操縦するの恐れなく、王室の鞏固を保つ上に於ても最適宜なるべし。凡そ軍隊の事は第一士官を養成して後ち勇壮活発なる士卒も其動作をなすべし。清兵一個人として左程弱きものにあらざれども、如何せん、之を卒ゆる士官が軍事上の教育なきと紀律厳粛ならざるに帰因す。我と交戦するに当って連戦連敗終に一回の勝を得ざるもの職として之に由らずんばあらず」
大君主「軍務上に関する総ての事柄は卿の考に一任し、楠瀬、岡本をして顧問官たらしむる事は朕も同意なれば左様すべし。又た世子をして近衛総督たらしむる事は、事体然らざるを得ず。就ては世子にも来春早々より軍隊の職務に従事し、士官学校と云う如きものを王宮の近処に設置し士官生徒の養成を為さしめ、世子にも之れに臨んで自から士官生徒と同様の教育を受けしむべし。近衛兵組織に関する事柄に就ては公使を煩し起草の上に一覧致度し。回顧すれば、去る壬午年貴国より堀本中尉を聘し、我士官生徒及軍隊の調錬を受けしめたることありし。若し彼れにして引続き今日に至らしめなば、我軍隊も長足の進歩を見しならん。纔に一歳ならずして廃止せざるを得ざる機会に遭遇せしは返す々々も残念なりし」
本使 「貴国は何事に付ても只外部又は常に枝葉に渉って根本を究めず。故に始めありて終を全する能わざるなり。之れを草木に譬うれば、其根底を固めず枝葉を繁茂せしめんとするに異ならずして、其竟に枯死せざるもの殆んど稀なり。凡そ軍隊訓練の事の如きも之に類するものあり。兵権は挙て宗戚の指揮に因り進退し、又は一将臣に委して顧みず。去れば此軍隊が発達して精兵と為るの日は危険是れより甚しきはなし。今陛下堀本中尉訓練の成就せられざりしを歎ぜらるるも、彼時の兵にして精練せられたらんか、壬午の変、甲申の乱、其惨毒は何等の点に達したるやも知るべからず。果して然らば此の訓練の中途にして止めたりしは不幸中の幸と謂わざる可からず。是の故に本使が只管ら国家の為め望んで止まざるは、兵権をして他の操縦に委すべからず。必ず大元帥即ち陛下の掌握に帰するの必要あり。又た世子宮の近衛大将として軍事に慣熟せられん事を要するの意も陛下万歳の後に裨益あらんことを欲し、王家百年の計を予定し置かざるを得ざるなり」
大君主「然り。扨て這回弊政改革に臨んで先ず其一着として宮内の改革を行わんと欲して内侍の内官を悉く廃遣したるに、頗ぶる不便を感ぜり。内侍の職務は三殿[国王、王妃、世子宮]に近侍して内外使役に供するものなり。然るに一旦之れを廃すれば忽ち使役に差支え、薬を服せんとするも之を命ずるに人なく、温突を焼き、薬を命ずる等、君主と使役を兼ぬる始末にて可笑し。君主が如此不自由を為すにも拘わらず、大院君の処には召使も随分多きは不権衡にあらずや」
本使 「貴国の総て如此し。何事も直ぐに極点に奔り易し。本使は曾て如此突然改革を実行せられたしとは云わず。凡そ物には秩序と準備ありて内官の如き多年王室の御用を勤めたるものなれば、今不用なりとて直に罷職と為し、翌日より路頭に彷徨するも顧みずとは、余り苛酷なり。否斯ては君主の慈仁に欠く所あるなり。宜しく彼等の勤務上の長短を察し、在職年限等を取調べ、相当の手当を与うる事無らざるべからず。又た之を廃すれば是迄内官の行い来りし職務は何人か之に当るべしと云う準備を要するなり。唯だ本使が主として論じたるは政治上に関し、内官等中間に居て干渉を試みるが如きは陛下各大臣との間に親政を施さるる上に妨害ありとせしも御召使の内官を惨酷に突然放逐すべしと云う意に非るなり。故に格別御不自由ならざる丈の内官は姑く従前の通り御使役相成、追て宮内府の官制制定の日、内官に代って職務を行うものの定まる日に於て之れを罷遣せらるる方、穏当ならん。乍去、此内官とても充分人物を選び敢て宮中の秘密を保つに足るものを御残し相成て可ならん」
大君主「併し大臣等は云う。一日も内官を宮中に止むべからず。是れ日本公使の意なりと。故に公使の考えも必らず然らんと信じ、早速断行せしなり。今公使の奏言を聞き、其意のある所を悉せり。故に今姑く内侍として十人、外部の使役として十人都合弐拾人程呼び入るべし。又近日宗廟に行幸の節に当っても内官なくしては第一衣服の着替万端に差支を生ずる事ありて、心痛中なりしが、先ず好都合なり。[同時に今日よりは君主の務に復し使役を兼ぬるに及ばず、とて哄笑せらる]」
本使 「二十人三十人の内侍を姑く置かるるればとて幾程の事あるべき。宮内府官制の発布せらる迄は、其侭御使役相成も差支なかるべし。其辺の事は本使より尚お宮内度支両大臣にも左様に極度に奔らざる様申込み置くべし」
大君主「来る冬至日に宗廟に行幸して誓文式を挙行したる後、八道臣民に向って右誓文を発表すると同時に新政の意を勅諭し一般臣民に下す方人心の帰向を明する上に就き、都合宜しかるべし。之に対する卿の考は如何」
本使 「御新政の勅語一層此際に必要なれば是非左様ありたし」
大君主「宗廟への誓文全く従来の弊政を更め新政即ち開化の意に外ならざれば、当日は中宮にも輿を共にし夫婦式場に臨み千載唯一の礼典を挙ぐる事とせば如何ん」
本使 「両陛下の行幸は大典を挙げらるる上に於て至極御同意なり」
大君主「我国慣例として王室に慶典を挙ぐるに当っては八道に大赦を布き、無官の者には特に幾人を限り官位まを授くるの典例あり。之れを如何せば可ならん」
本使 「全国に大赦例を布かることに就ては篤と勘考致度ければ今日此席に於て即答に難及孰れ熟慮の上何分の儀奏上可致。[本使以為らく、今全国に大赦を施すときは、這回事変後閔氏中罪名を負て謫廃中と、東学党に関係ある者等皆一体に赦免せざるを得ず。然るときは是れ亦た弊害あり。故に答うること然り]
大君主「然らば此事は卿の熟慮に一任すべし」
此時大君主は榻上に我宮内省官制の繙訳書を開き、本使に向って外事課とは如何、文事秘書局とは如何とて、二三の御下問に対し本使一々奉答せり。/p>
本使 「貴国宮内府官制の事は、一々宮内大臣の担任するところなれども、是れも多少内外の事例を参酌して其宜しきを折中し制定するの要あれば、岡本柳之助を宮内府に差出し同大臣と協議酌定せしむることに致し度し。陛下には御異存なきや」
大君主「朕も岡本柳之助の名を聞く。[陛下この時低声にて]此人は大院君と交通し、懇親の間柄にあらずや。若し然らば又た何か弊害の生ずる憂なきや」
本使 「否、左様のものにあらず。実は同人は本使の腹心にして御懸念に及ばず。其国太公と往来するも内々本使の意を含んで斡旋する所あるなり」
大君主「果して然らば朕毫も憂慮せざるなり。且つ卿に一言致し置きたきことあり。此後御互の間は一家内同様なれば、朕が不徳其他何事に拘らず卿に於て不可なりと思わるることあらば、敢て忌憚なく直に忠告を受けたく、朕も必らずや卿の諫を容れ、非を改むることとすべし」
本使 「天性挙直若し心に不可なりと思うことあれば直言して憚らず。已に陛下も本使が屡々進謁の節奏上せし所に鑑みられば自から明かなるべし」
大君主「然り。尚お将来と雖ども斯く望むなり。且つ各大臣の奏上に拠って裁可すべき諸法令其他の整理の事柄は、先ず以て卿に詢議したるや否を確め度、見認印にても有之らば便宜ならんと思う。卿以為如何」
本使 「御尤の御注意なれば何とか各大臣に相談致すべし。各衙門大臣は其主務上に関する事務の速成を企図し、諸法令を濫発する如き弊ありては各衙門の事務進歩の度合に異同を生じ、或るものは非常に進み、或るものは甚しく遅れて終に併行の進路を執る能わざるに至るも計りがたく、又諸大臣もより奏上裁可を請うの事柄に付、御了解に難き次第も有之ば、何時たりとも本使を御招き相成て御下問ありたし」
大君主「爾今は左様致すべし」
本使 「世子宮には兎角御柔弱にして常に健康ならずと聞く。将来多望の同宮にして其れ斯の如くんば遺憾に堪えざるなり。此際充分療養を加えられ、速に強壮に渉らせらるる様致し度、就ては来春にも至るらば折を見計い、本使の知人にて有名なる医者も多く有之。就中、橋本、ベルツ、と云う如きは医者中の大家なれば、其等の中一人を呼寄せ、一応診断の上、摂生法を講究せしめては如何や被存」
大君主・中宮「卿の信切斯く迄周密なるは朕が深く謝するところ。然るに世子は目下何の点に病症ありとも判定しがたく、差当り薬用の法も如何かと懸念せらるるなり」
本使 「否、医者が診断したればとて直に服薬を用ゆると云うにあらず。先ず其病原を究め、而して第一適当なる摂生法を施さざるを得ざるなり。他日世子は近衛都督として軍隊の職務を躬らせらるるに当り、身体に故障多くては到底其職務を行わせらるる能わざるべし。又明春にもなれば、勇壮活発にして軍隊上の学問を講究せられ、他の武官の勤むべき職務并戦事上の学をも尤必要なるに付、同宮の御健康を望む所以なり」
両陛下「何卒一回其等の大家に診断を受けたければ是非卿の周旋を請う」
右にて奏上を了り退出す。本日の謁見は両陛下共前回未曾有の満悦にて何事も打解けて最と爽快の容貌に見受けられたり。
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