日清戦争下の日本と朝鮮(10)補足資料

(「韓国内政改革ニ関スル件、第二」p10より)

  ○明治二十七年十二月十九日井上公使朝鮮国王に謁見記事

  十二月十九日午後二時公使参内謁見

 寒暖の奏上了って、

大君主「朴泳孝、一昨日参内せり。久々にて朕始め中宮世子にも進謁姑く談話を為し退きたり。其容貌等著しく従前と異たる所なし。惟うに彼れ久しく貴国にありて智識を博め経験を積みたる事なるべし。朕は深く信ず。彼れが将来国家の為め忠誠を尽すべき事を」

本使 「謁見後同人は公使館に来り。本使と一回面見せり。同人は陛下の仁徳に感泣し、国家王室の為め殆んど一身を犠牲に供するの決心を為せるものの如し。且つ是迄同人は久しく我国にあって多年辛酸を嘗め心胆を錬りたれば、従前とは異なりて前後の思慮も生じ、這般の改革事業にも定めて便宜多かるべしと察せらる」

大君主「一昨日謁見の際に於ても同人は云う。臣図らず聖明丕徳を荷い今日再び天顔を咫尺に拝す。死して怨なきなり。今より身を邦家に捧げ、敢て死力を尽して国恩万分の一に報ぜんのみと、涕涙数行其言語赤誠より発す。誠に頼母しく感じたり。[此時王妃は国王の背後より、朴泳孝邸宅は朕已に之が準備を為し置きたれば、下賜すべし云々と]只今中宮の言の如く、同人は前代国王の駙馬にして、其邸宅は王家より下賜するの習慣なり。故に此節中宮より特に下賜の事に夫々準備せられたりと云へば、孰れ其筋より本人に沙汰すべし」

本使 「今両陛下にして同人の前過を赦さるるのみならず、却て之を至遇せらるる夫れ如此くんば、同人は必らず王家の為に粉骨砕身忠誠を尽すべし。又た両陛下已に如此く臣僚を優遇せらるるときは、焉んぞ貴朝廷に忠臣なきを憂んや」

大君主「同人は日本語に通ずれば時々召見して諸事を詢り、或時は公使に打合せを為さしむるに便宜ならん。又同時に朕が不徳に関するが但しは国家の為に有益なる事柄は卿遠慮なく直言諫争して苦しからずとの事を申聞け置けり」

本使 「本人の気質として巧言非を飾り甘言媚を呈すると云う如きものにあらず。寧ろ硬直にして言語偶々忌諱に触るも諫争して憚らざる人物なりと察せられれば、両陛下にも其思召にて同人に充分依信せられて可ならん」

大君主「朕も亦之を信ず」

本使 「李呵Oを日本公使として派遣すべしとの事に付同人は或る人に向って言わるる様、自分は切に日本公使を望むも、如何せん中宮には之を好ませられざる様子にて思い止まるべしとの御沙汰なりと語れりとか。果して右様の事実ありたるや否、本使は以為らく、是れは同人が他国行を好まざるが故に口実を此に借りたるものにあらざるかと存ずれども、聞か侭を聖聴に達するなり」

中宮 「否、決して左様の事を以て拒みたる覚えなし。恐らく聊か推測せし如く、同人の托辞に出たるものならん」

大君主「去るにても過日卿入謁の時奏上したる、同人を日本公使として派遣すべしとの件は何時しか大院君の耳に入り、朕に向って外国使臣と内輪話を為し、却て内輪の自分に相談を避けたるは如何とて、語気頗る不当なりし。朕は曾て此事を口外せざりしに、卿は之れを他に告げたる事ありしや。[本使大略秘事を除き、同人を公使として派遣せば可ならんとの意を宮内外務両大臣に申込み置きたる事あり]其故に然るならん。朕は大院君に向っては過日日本公使入謁の時、成程去る奏上をなしたるやとも思わるるも、当時朕は折柄五大臣の誓約書に注目し居りしかば、更に意を此に傾けざりしと漠然答え去りたり。尚お其含にて卿よりは宮内大臣に勧誘し同人より転じて老父を説き其考を動かす手段を執らしめては如何ん」

本使 「其辺の事は御憂慮に及ばず。本使に於て何とか都合能く取計うべし。軍務衙門の組織並軍隊の教育上に関して一言可致。此回四営門を全廃して、総て之れを軍務衙門の営轄に帰せんとするは、是れ軍事上尤も必要とす。凡そ一国の兵制は一途に出て号令一斉なるべきは一般の原則なり。現今貴国の如く四営に分ち、己の陰険を遂ぐる利器に使用する大弊を妨止せざるべからず。則ち一国の兵権は君主之れが大元帥として収攬し、苟も兵権をして他の操縦に放任すべからざるは普通の事例なり。然れども兵は本は兇器なり。軽しく動すべからず。陛下と雖ども、其出兵の必要あるに当っては先ず政府大臣と諮詢したる後にあらざれば、動かされざる様致度し。[大君主然り勿論]扨て軍務行政の処務と軍隊との間は自から相貫連すると雖ども其事務は区分せざる可らず。夫れ軍務衙門大臣に在っては軍務上に関する行政事務即ち軍隊の被服兵器糧食将校の進級と云う如き事を管掌し、又た参謀官にありては軍隊編制兵士の訓練教育兵制の如きを管理し、両者相待って軍事上の完全を期すべきなり。就ては本使は此二者共に適当なる人物を選び、貴政府の為め顧問官たらんしめんとす。即ち其一は公使館付少佐楠瀬なり。是れは法独魯の諸国を経歴し、多く軍事上の経験を有するものなれば、之をして軍隊の教育兵制上に関する方面に当らしめ、其一は岡本にして之れは曾て軍務上に経験あるものなれば、軍務衙門の顧問官として専ら組織に関する取調を為さしむべし。而して貴国の兵隊なるものは未だ充分取調べざれば委しくは承知せざるも恰も日本旧藩時代の士族と稍類似せるものにして一旦兵籍に入りたるものは之にて子孫に世襲すると云う習慣あるに似たり。故に這般の改革に当り其中壮丁格当するものを撰びて兵役に充て、其老巧用に堪えざるものあれば除かざるを得ず。之れを罷役するには即ち何月分の給料を一時に支給するか或は禄券証様のものを付与するか、何にしても此等の多数が直様飢餓に迫らざる丈の事は措置を施さゞるべからず。若し然らずして之れを棄て顧みずとせば、是れ亦た恵政の道にあらざるなり。而て恐る、彼等の不平心は結んで終に他の不平党に投じ、王家を怨望して一の悶着を起す種子となるべし。之に反して政府は充分の施置をなしたるにも拘わらず、敢て不義を企て名義名分を誤るものあらんか、其時こそ大に懲罰を加え、場合に拠ては兵力を用ゆるも何の不可あらん。第一陛下は全国の兵権を掌握して国の大元帥たるべきは前に延べたる如し。第二は世子宮は陛下万歳の後代って大元帥の任務に当らせらるれば、今より身体の御強壮を務めらるるは勿論、軍務上に於ける学問より実地の職務を御実践せられざるべからず。[大君主曰く、貴国の近衛大将は親王なりと聞けり]然り。貴国現今の事情に於ては近衛総督は兵制組織の律に因りて世子宮自から任に当らるる事最も適当たるべし。左すれば王室以外の宗戚何人も此兇器を以て自己の意志を達する為、兵権を操縦するの恐れなく、王室の鞏固を保つ上に於ても最適宜なるべし。凡そ軍隊の事は第一士官を養成して後ち勇壮活発なる士卒も其動作をなすべし。清兵一個人として左程弱きものにあらざれども、如何せん、之を卒ゆる士官が軍事上の教育なきと紀律厳粛ならざるに帰因す。我と交戦するに当って連戦連敗終に一回の勝を得ざるもの職として之に由らずんばあらず」

大君主「軍務上に関する総ての事柄は卿の考に一任し、楠瀬、岡本をして顧問官たらしむる事は朕も同意なれば左様すべし。又た世子をして近衛総督たらしむる事は、事体然らざるを得ず。就ては世子にも来春早々より軍隊の職務に従事し、士官学校と云う如きものを王宮の近処に設置し士官生徒の養成を為さしめ、世子にも之れに臨んで自から士官生徒と同様の教育を受けしむべし。近衛兵組織に関する事柄に就ては公使を煩し起草の上に一覧致度し。回顧すれば、去る壬午年貴国より堀本中尉を聘し、我士官生徒及軍隊の調錬を受けしめたることありし。若し彼れにして引続き今日に至らしめなば、我軍隊も長足の進歩を見しならん。纔に一歳ならずして廃止せざるを得ざる機会に遭遇せしは返す々々も残念なりし」

本使 「貴国は何事に付ても只外部又は常に枝葉に渉って根本を究めず。故に始めありて終を全する能わざるなり。之れを草木に譬うれば、其根底を固めず枝葉を繁茂せしめんとするに異ならずして、其竟に枯死せざるもの殆んど稀なり。凡そ軍隊訓練の事の如きも之に類するものあり。兵権は挙て宗戚の指揮に因り進退し、又は一将臣に委して顧みず。去れば此軍隊が発達して精兵と為るの日は危険是れより甚しきはなし。今陛下堀本中尉訓練の成就せられざりしを歎ぜらるるも、彼時の兵にして精練せられたらんか、壬午の変、甲申の乱、其惨毒は何等の点に達したるやも知るべからず。果して然らば此の訓練の中途にして止めたりしは不幸中の幸と謂わざる可からず。是の故に本使が只管ら国家の為め望んで止まざるは、兵権をして他の操縦に委すべからず。必ず大元帥即ち陛下の掌握に帰するの必要あり。又た世子宮の近衛大将として軍事に慣熟せられん事を要するの意も陛下万歳の後に裨益あらんことを欲し、王家百年の計を予定し置かざるを得ざるなり」

大君主「然り。扨て這回弊政改革に臨んで先ず其一着として宮内の改革を行わんと欲して内侍の内官を悉く廃遣したるに、頗ぶる不便を感ぜり。内侍の職務は三殿[国王、王妃、世子宮]に近侍して内外使役に供するものなり。然るに一旦之れを廃すれば忽ち使役に差支え、薬を服せんとするも之を命ずるに人なく、温突を焼き、薬を命ずる等、君主と使役を兼ぬる始末にて可笑し。君主が如此不自由を為すにも拘わらず、大院君の処には召使も随分多きは不権衡にあらずや」

本使 「貴国の総て如此し。何事も直ぐに極点に奔り易し。本使は曾て如此突然改革を実行せられたしとは云わず。凡そ物には秩序と準備ありて内官の如き多年王室の御用を勤めたるものなれば、今不用なりとて直に罷職と為し、翌日より路頭に彷徨するも顧みずとは、余り苛酷なり。否斯ては君主の慈仁に欠く所あるなり。宜しく彼等の勤務上の長短を察し、在職年限等を取調べ、相当の手当を与うる事無らざるべからず。又た之を廃すれば是迄内官の行い来りし職務は何人か之に当るべしと云う準備を要するなり。唯だ本使が主として論じたるは政治上に関し、内官等中間に居て干渉を試みるが如きは陛下各大臣との間に親政を施さるる上に妨害ありとせしも御召使の内官を惨酷に突然放逐すべしと云う意に非るなり。故に格別御不自由ならざる丈の内官は姑く従前の通り御使役相成、追て宮内府の官制制定の日、内官に代って職務を行うものの定まる日に於て之れを罷遣せらるる方、穏当ならん。乍去、此内官とても充分人物を選び敢て宮中の秘密を保つに足るものを御残し相成て可ならん」

大君主「併し大臣等は云う。一日も内官を宮中に止むべからず。是れ日本公使の意なりと。故に公使の考えも必らず然らんと信じ、早速断行せしなり。今公使の奏言を聞き、其意のある所を悉せり。故に今姑く内侍として十人、外部の使役として十人都合弐拾人程呼び入るべし。又近日宗廟に行幸の節に当っても内官なくしては第一衣服の着替万端に差支を生ずる事ありて、心痛中なりしが、先ず好都合なり。[同時に今日よりは君主の務に復し使役を兼ぬるに及ばず、とて哄笑せらる]」

本使 「二十人三十人の内侍を姑く置かるるればとて幾程の事あるべき。宮内府官制の発布せらる迄は、其侭御使役相成も差支なかるべし。其辺の事は本使より尚お宮内度支両大臣にも左様に極度に奔らざる様申込み置くべし」

大君主「来る冬至日に宗廟に行幸して誓文式を挙行したる後、八道臣民に向って右誓文を発表すると同時に新政の意を勅諭し一般臣民に下す方人心の帰向を明する上に就き、都合宜しかるべし。之に対する卿の考は如何」

本使 「御新政の勅語一層此際に必要なれば是非左様ありたし」

大君主「宗廟への誓文全く従来の弊政を更め新政即ち開化の意に外ならざれば、当日は中宮にも輿を共にし夫婦式場に臨み千載唯一の礼典を挙ぐる事とせば如何ん」

本使 「両陛下の行幸は大典を挙げらるる上に於て至極御同意なり」

大君主「我国慣例として王室に慶典を挙ぐるに当っては八道に大赦を布き、無官の者には特に幾人を限り官位まを授くるの典例あり。之れを如何せば可ならん」

本使 「全国に大赦例を布かることに就ては篤と勘考致度ければ今日此席に於て即答に難及孰れ熟慮の上何分の儀奏上可致。[本使以為らく、今全国に大赦を施すときは、這回事変後閔氏中罪名を負て謫廃中と、東学党に関係ある者等皆一体に赦免せざるを得ず。然るときは是れ亦た弊害あり。故に答うること然り]

大君主「然らば此事は卿の熟慮に一任すべし」

此時大君主は榻上に我宮内省官制の繙訳書を開き、本使に向って外事課とは如何、文事秘書局とは如何とて、二三の御下問に対し本使一々奉答せり。/p>

本使 「貴国宮内府官制の事は、一々宮内大臣の担任するところなれども、是れも多少内外の事例を参酌して其宜しきを折中し制定するの要あれば、岡本柳之助を宮内府に差出し同大臣と協議酌定せしむることに致し度し。陛下には御異存なきや」

大君主「朕も岡本柳之助の名を聞く。[陛下この時低声にて]此人は大院君と交通し、懇親の間柄にあらずや。若し然らば又た何か弊害の生ずる憂なきや」

本使 「否、左様のものにあらず。実は同人は本使の腹心にして御懸念に及ばず。其国太公と往来するも内々本使の意を含んで斡旋する所あるなり」

大君主「果して然らば朕毫も憂慮せざるなり。且つ卿に一言致し置きたきことあり。此後御互の間は一家内同様なれば、朕が不徳其他何事に拘らず卿に於て不可なりと思わるることあらば、敢て忌憚なく直に忠告を受けたく、朕も必らずや卿の諫を容れ、非を改むることとすべし」

本使 「天性挙直若し心に不可なりと思うことあれば直言して憚らず。已に陛下も本使が屡々進謁の節奏上せし所に鑑みられば自から明かなるべし」

大君主「然り。尚お将来と雖ども斯く望むなり。且つ各大臣の奏上に拠って裁可すべき諸法令其他の整理の事柄は、先ず以て卿に詢議したるや否を確め度、見認印にても有之らば便宜ならんと思う。卿以為如何」

本使 「御尤の御注意なれば何とか各大臣に相談致すべし。各衙門大臣は其主務上に関する事務の速成を企図し、諸法令を濫発する如き弊ありては各衙門の事務進歩の度合に異同を生じ、或るものは非常に進み、或るものは甚しく遅れて終に併行の進路を執る能わざるに至るも計りがたく、又諸大臣もより奏上裁可を請うの事柄に付、御了解に難き次第も有之ば、何時たりとも本使を御招き相成て御下問ありたし」

大君主「爾今は左様致すべし」

本使 「世子宮には兎角御柔弱にして常に健康ならずと聞く。将来多望の同宮にして其れ斯の如くんば遺憾に堪えざるなり。此際充分療養を加えられ、速に強壮に渉らせらるる様致し度、就ては来春にも至るらば折を見計い、本使の知人にて有名なる医者も多く有之。就中、橋本、ベルツ、と云う如きは医者中の大家なれば、其等の中一人を呼寄せ、一応診断の上、摂生法を講究せしめては如何や被存」

大君主・中宮「卿の信切斯く迄周密なるは朕が深く謝するところ。然るに世子は目下何の点に病症ありとも判定しがたく、差当り薬用の法も如何かと懸念せらるるなり」

本使 「否、医者が診断したればとて直に服薬を用ゆると云うにあらず。先ず其病原を究め、而して第一適当なる摂生法を施さざるを得ざるなり。他日世子は近衛都督として軍隊の職務を躬らせらるるに当り、身体に故障多くては到底其職務を行わせらるる能わざるべし。又明春にもなれば、勇壮活発にして軍隊上の学問を講究せられ、他の武官の勤むべき職務并戦事上の学をも尤必要なるに付、同宮の御健康を望む所以なり」

両陛下「何卒一回其等の大家に診断を受けたければ是非卿の周旋を請う」

 右にて奏上を了り退出す。本日の謁見は両陛下共前回未曾有の満悦にて何事も打解けて最と爽快の容貌に見受けられたり。

 

 

(「朝鮮国王及諸大臣ニ内政改革ヲ勧告ノ件/26 第二十号 〔朴泳孝任用、軍隊教練等ニ付奏上 3〕」より、()は筆者)

第二十号

  一月十七日午後二時参内謁見

大君主「去月二十五日、卿を引見したる翌日即冬至日に於て宗廟に詣り誓文式を挙行すべき筈なりしに、愛憎面部の腫物は一層脹を増したる為め、朴泳孝始め諸大臣も延期する方、可然との奏聞に依り、無余儀一時中止する事とし、其より洋医を引いて治療を施し、漸く治療に及びたれば、過日全く誓文奉告式を挙行したり」

本使 「已に宗廟社禝へ御誓告文も無滞相済み且つ各衙門の官制も目下着手中なれば、追々国政改良の実を挙ぐるに至るべければ、先ず以て貴国の為め至幸と云うべし」

大君主「誓文中にもある如く、政治は各大臣に諮詢し、又各衙門大臣の職権内に属する事務は各主任大臣を統斉し之をして責成せしむべし」

本使 「先日各大臣と議政府に相会し評議したる結果、軍隊の組織は尤も今日の急務に属すとは各大臣共同一の意見なり。然れども老弱混合なる今日の如き兵丁が、何程多数なればとて国家の為め何の役にも立ざるべし。且従前の例に拠れば、軍服も兵丁各自の家に於て調整すると云い、又給料として受くる銭穀も各家に持去ると云う如き、区々不規則なる始末なれば、是等は宜しく速に改良を加え、其兵丁中に就き老朽用に堪えざるものあれば、帰休を命じ、三年間扶助料として三分一の俸給を与うるか、或は幾分を減ずるとか相当の方法を設け処置を施さゞるを得ず。将又武官の始末をするとせば、随て文官にも及ばざる可からず。若し文武官の間に於て彼此不公平に厚薄の区別ありては一に又紛擾の種子なり。扨手兵士の種族には八道各地方官に属する水陸兵あり。文官には数多の非職官并に各衙門の小吏輩[員設]に至るべし。去れば此両者に対して一旦手を着くれば頗る煩雑なるべしと思わる。故に決行前に於て予め充分綿密なる取調を遂げ、杜撰なからんことを期せざるべからず。尚お此外王室各衙門の御用達とも云うべきもの[貢人と称す]の上納したる物品代価の未払金も多額なりと聞く。是れ等の諸口を積算すれば実に百万円の巨額に垂んとす。去れば当年中には到底此が始末を付くる能わざるは当然なれば、先ず以て其中に就き第一急務と思考せらるゝものは、兵丁并に各衙門の小吏輩の給料なりとす。歳末に臨み人事の常として多少超歳の準備を為すには給料を望まざるはなし。尤も、是迄の滞り給料の悉皆渡すと云う訳に至らざるも、せめては歳越の手当として一ヶ月分なりとも支給する方可然とのことに評議一決し、其金額凡そ十三万円は本使より第一国立銀行に相談し、借入の約束を整え置きたり。此他一般文武官の始末方に至ては、篤と調査を要するを以て来春に譲ることとせり」

大君主「金銭のこと迄、卿に斯く迄周旋を煩すは寔に気毒に存するも、今日の場合外に方法もなければ一々卿に依頼せざるを得ざるなり」

本使 「否、本使一たび貴国改革事業に尽力すべしと決心したる以上は、敢て其苦労を辞せざるなり。兵役の事に関し本使一言する所あらんとす。貴国に於ける将来の兵備并に兵制は如何なる方法に於て定むべきやは、目下の問題に属するなり。縦令えば全国に鎮台を排置するには、第一地形の険要を相し、隣国の兵備如何を察せざるを得ず。又兵隊を養うには日本の現行徴兵令に拠るべきや否や、借に日本の組織に拠るとせば、一国の壮丁は悉く兵役に充つると云う仕組にて、現に常備兵は三年の現役を了え、予備兵に編入せら、又予備兵を了えたるものは後備兵と成る。縦えば此に常備兵三万人ありとせば、先ず戦事に際し第一に其三万人を繰出し、次で予備後備を以て補充するを得るなり。去れば貴国の編制も是れと同一にすべきや、将た又幾分の差違あるべきやは充分研究を要する儀なれば、孰れ来春着手の事とすべし。右編制前は従来の兵丁中より壮丁を選び訓練隊なるものを組織し、一時之を以て近衛兵に充つることに致したし」

大君主「然り。兵制の事は尤も適当に制定せられざるべからず。而して鎮台を設置するには、朕は咸鏡平安の両道最も目下の焦眉に属するものゝ如し。是れ隣境の関係もあり、且又此の二道の人民は古来剽悍の聞あり。現に平安道人が往古唐宋の時代に遼東を抄掠して著しく彼の寒心を来したるが如きあり。徴兵令に至っては我国は工商の発達兎角遅として進まざるの観あり。故に余り厳重なるに於ては或は一層此等の点に影響を及ぼし其発達を妨ぐる事なきかを懸念するなり」

本使 「鎮台を排置するには独り咸鏡平安を主として諭すべからず。凡そ鎮台の位置、全国に幾所を要し、復た其兵員は何万を要すべきやにあるなり。徴兵令の如何に拠ては陛下は商工の発達を妨ぐるなきやの御懸念なるも徴兵令中にも自から免役の方法あり。仮令えば戸主にして老父母を有し、専ら其扶助を為すものゝ如きは免役の部に居るが如き是れなり。尚お一層進んで寛大なるものを求めば、所謂戸主長男の如きものを免除の部に入るも可なり。凡そ貴国に於ける商工業の不発達は已往積弊多かりし結果にして、将来政治の改良着々歩を進むると共に、之れを誘導奨励するには自から途あり。即農商衙門の設けある所以なり」

大君主「然り。卿の言洵に理あり。我国も地方官吏及小吏輩が租税を私し、或は隠田等の弊あり。[隠田は官署の記録内に公に記入せられざる田地]又権門家なるものが地方小吏と結託し、所有山地の地租を軽減し、成規の租税を払わざるが如き、一々之を徴発し正租に就かしめば、敢て軍備上の費用を得るに難からざるべしと思わる。孰れにせよ此際全国の田地を丈量するの要あり。抑我国朝の初にあっては八道の田結は[地租を納むるもの]四百万結なりしに、中古屡兵革を経るに従い今や纔に八十万結に過ぎず。豈驚くべきにあらずや。今を距る十年前、鄭秉夏に計り、貴国人なり若くは西洋人を聘用し充分の丈量を為さしめたしと語りたる事ありしも終に実行に至らずして止みたり」

本使 「夫れ等も略取取調を為したり。貴国の地方官なるものが一方に水潦旱災の為め一たび土地の荒廃に帰するものあれば、直に之を免税部類に編入し、他日其復耕と否とに拘らず、永遠国庫の欠損たるを免れず。一方に新墾地の生ずるときも亦同じく、其税は国庫に収まらざるなり。去れば此二者共に免税なるやと云えば否らず。是れ必竟地方官の私嚢を肥すものたるや明なり。夫れ地方官の権力、今日の如く漠然過大なるは宜しからず。過日も奏上したる如く、之れが幾分を削って中央政府に収攬せざるを得ず。然るときは国税徴収の事の如きも自から中央政府の直轄に属すべきなり。従来地方官并に小吏輩が何故に斯く地方民を虐げ民財を貪るやを究るに、即ち売官買職の結果に外ならず。王室は地方官を売り、地方官は小吏を売る。之を買いたるもの其元資の償還に汲々として民血の吸収に遑なきものゝ如し。斯の如くして安んぞ国民の富強を望むべけんや。聞が如きは京城の各衙門の下吏、各倉庫の庫直[庫番人]に至る迄、悉く売買せざるはなし。[大君主 然り官隷に至る迄売買せらる]と云う。而して何故然るやを探ぐるに、給料はさて措き、内々私贓あるが為めなり。一利あれば一害之に伴うべきは数の免がれざる所なれども、売官の弊害たる民生に禍毒を流す実に尠少にあらず。売官を為せば一時に王室には財を生ずべし。去れば一の財源の如き考もあらんかなれども、其延びて国民一般に流布する惨禍は殆んど国民をして枯死せしむるの悲境に陥しむるものなり。豈寒心せざるべけんや。土地丈量の事の如きも理財上必要なきにあらず。然れども是れ亦た其方法宜しきを失すれば不可なり。否却って地方民心を動かし終に之が為め席旗を翻すの恐なき能わず。故に之を行わんと欲せば、先ず充分地方の情形を審にし、極めて地方民弊を避くるの方法に則らざるべからず。又た其着手前に於て地方警察の仕組を整え、其実力の生ずる上にあらざれば無暗に着手すべきにあらず。我日本に於て明治初年土地丈量に着手して全く其完結を造る迄には殆んど官民の財産二千万円以上を費せり。而して其結果は尚お各処に不平の声を聞き、或二三のものは竟に竹槍席旗に訴うるものさえありたり。貴国丈量の事必らず事前に慎重を要するもの経験上本使微衷の存する所以なり。尚お此の事柄に就ては度支顧問官仁尾にも詳細取調をなさしめたる上、其着手すると否とは警察権の実行否と諸般の準備を経たる後にあるべし」

大君主「丈量の事、地方の人気に関し民擾を挑起すべしとの言、左もあるべし。我国に於ても或は人民より寧ろ地方の小吏などが従来の所得を失わんことを恐れ、率先して地方民を使嘱し之と結託して紛擾を生ずべきは必然なり」

本使 「其故先刻中央政府の集権が必要なり。又た地方警察の組織が必要なりと申せしは此等の妨害を予防するには是非共此二件を先にさぜるべからず。然る後、適当の方法に拠り土地丈量を為すに於ては果して実効を挙ぐべし」

大君主「地方官売買の一事、従前は成程此弊ありしに相違なきも、本年六月以来は全く政府大臣の手に於て地方官の任免を為せば、断じて此事なし。然るに此頃仄かに聞く。[低声]政府大臣中密に地方官を売買するものありと。為之朴泳孝は切に嘆息話を為し居れり。尤も此事は充分秘して各大臣にも口外せざる様望むなり」

本使 「曾て此事を薄々洩れ聞かざるにもあらず。殊に過日朴泳孝氏よりも地方官一般に大改革を行わんとの提議ありたれども、本使謂らく、目下何程清廉潔白なる人物を採用して地方官たらしむるも、地方官制等の組織整わざる以上は、矢張従前と著しき差等あらざるべしと信ぜらるゝれば、未だ大早計たるを免れざるべしとて拒み置きたり」

大君主「此頃尚お売官の行われたりとの事は朕が口より出たりとの評判高まりては、甚だ迷惑致す次第なれば、只卿の含み迄に止置きたし」

本使 「委細承知致せり。曾て奏上致したる如く世子宮が此後近衛都督として近衛兵を統率せられんとならば兵制の紀律又は兵学を修め軍事上の事に通暁せられざるべからず。就ては軍務衙門の顧問官なる楠瀬中佐を時々召見せられ、軍事上に関する御下問あらば、大に有益なるべし。又た訓練隊の練習にも臨まれ、親しく実地練兵の模様を御一覧あらば如何」

大君主「来春少しく暖気に赴かば左様すべし」

本使 「来春に及ばゞ壮年者流中逸材を選び、二十人位の士官生徒を我国に送り、戸山学校に入学せしめ軍事上の学問を為さしむる様御詮議ありたし。又た京城には士官学校を興し専ら士官を養成せしめられたし。何程多数の兵士を募集するも士官となるべき人物を養成せざれば是れ亦た無用の長物なみならず、大害物たるを免れず」

大君主「士官生徒を貴国に派し留学せしむる事は甚だ好し。是と同時に京城に士官学校なるものを興さしむる様致度、宜しく卿の周旋を煩すべし」

本使 「将官士官の進級并に其待遇の如きも自から普通文官と区分せられざるべからす。此武官なるものは終身官にして其老衰に堪えざるに至れば退職を令する等、一定の制を立つる必要ありて、退職後と雖ども俸給の幾分を与うるを要す。若し然らずして他の文官と同様に其進級黜陟にも内閣に於て干渉するが如きあらば、武官の感情を害い且つ之をして一定軍紀の下に安然服する能わざらしむるの憾なき能わず。凡そ兵制に関しては軍務衙門あり。軍の行政を掌り、参謀部ありて大元帥に直隷し、一切軍事上の計画に任ずるの例にして、毎歳一回参謀官会議を大元帥の下に開き、各鎮台の参謀官は之に参会して将校進級のことの如きも会議に付せらるゝなり。去れば貴国に於ても目下軍制改革の時期に於て参謀部の設あるを要するも、如何せん、未だ之に充つべき将校も揃わらざれば当分軍務衙門に於て之を兼握し、追て人員の養成せらるゝを待って組織するの外あらざるべし」

大君主「近衛兵の編制は如何。聞く所に拠れば貴国に於て各鎮台より尤も技術優等に位するものを選抜して之に充つると、果して然るや」

本使 「否、我国に於ける近衛兵は矢張り東京に於て第一師営の徴兵適齢者中より選抜して之に充つ。其帰休を命ずる等の手続も毫も常備兵と異なる所にあらず。貴国の近衛兵も当分軍制の整理緒に就かざる以前の訓練隊を以て一時之に充て、追て一定の編制法の設なからざるべからず。又軍隊組織上に関しても貴国は我国の現行法に基くか、但しは当分の中聯隊迄の組織に止め、一聯隊は二大隊を以て組織し、一大隊は二中隊を以てするとか、其辺は適当の法に於てすべし。必らずしも我国の現行法に拠らざるべからずとの限にあらざる事と思考致すなり」

大君主「近衛兵の編制等に就ては、卿、其宜を察し我国情に適する方法に拠り組織する様尽力ありたし。宮内府官制の事は急を要するが故に、宮内大臣に協力して速に調査を遂げ編製することを望む。其に就き貴国宮内省の現行官制を一覧したく存ずれば、卿の手許に於て翻訳に付し、閲読に便ならしめられたし」

本使 「我宮内省官制の儀は公使館の書籍中に就き取調べ、若し無之ときは宮内省に電報を以て送付方掛合可申、又貴国宮内府官制編纂のことは顧問官に命じ可成急がせ可申、尤も是れに就ては充分貴国の典例慣習を参酌するの必要有之ことと存ずれば、本使にも一層綿密に貴国の古典等を参照致度存ぜり。終に臨んで尚お一言奏し度き事あり。聖聴を煩すを得べきや如何」

大君主「毫も無差支、緩々暢奏すべし」

本使 「夫れは貴国の法律に関するなり。抑貴国に於ける現行法律なるものは何に拠るべきやと申せば、即彼の大明律是れなり。之を閲するに行政処分も軍律も普通刑法中に錯間し居るなり。斯ては今日の事務に適恰したるものにあらず。宜しく之れを分別して曰、刑法、曰行政処分、曰軍律と、明に規定せられざるべからず。縦えば租税の滞納者は行政処分を受け、軍人軍律に触れば軍法会議に付せられて軍律に処せられ通常罪犯は普通刑法に拠り、裁判所の審問を受け、其裁断に拠る等各法律の主能に於て制裁を与えられざるべからざるなり。以上は今日開明国に行わるゝ所の制法なれば、貴国も愈々旧弊を矯め陋規を蝉晩して開明の治に就かんと欲せば此等法律とても改正を要するなり」

大君主「然り。是の種法律も孰れ改めて編纂せざるべからず」

 陛下は此時我国普通刑法并に陸海軍刑法の対照表を取出し、是れは過日義和君を貴国に差出したる節、司法大臣よりの寄贈品なり。是に拠るも貴国の法律の整然として秩序あるを知るに足る、とて称賛せらる。
 右にて奏上を了り退出せり。

 

(「朝鮮国王及諸大臣ニ内政改革ヲ勧告ノ件/27 第二十一号 〔朴泳孝任用、軍隊教練等ニ付奏上 4〕」より、()は筆者)


第廿一号
  二月十二日内謁見始末筆記

本使 「貴暦元旦には進宮祝賀に及ぶべき筈なりしも、折柄有栖川親王薨去の訃■(報)に接し、遠慮中にありし為め、参内伸賀の礼を欠くに至れり」

大君主「親王の逝去は寔に惜むべし。聞く、親王は貴国維新より依頼、身を国事に委子、勲労ある御方なる由、嘸ぞ貴国皇帝陛下にも遺憾に思召すなるべし」

本使 「親王は皇室の柱石にして、参謀総長の重任を負せられ、而かも日清の交戦央にして薨去あらせられたるは返す々も遺憾の事なり」

大君主「本日各大臣参内の上奏事を為すの定日なり。已に各大臣も皆進宮せりと云えば、卿にも同席して奏上の模様等一覧せば如何[昨夜来聞得たる処は、昨日議政府会議に於て内務大臣朴泳孝突如として一の提議を為し曰く、各衙門勅任官は改革事業の不進歩の尤を自ら負い、総辞職を為すべしと論ずるや、二三大臣の異議ありたるも、其多数は之に一致し、本日奏事の定式日なるを幸い一同は直に大君主に奏聞すべし云々との事、左れば本日本使の謁見は諸大臣の奏聞に当って其処置に叡慮を悩まされ、暗に本使を其席に列せしめ調理を為さしめんとの意に外ならざるが如し]」

本使 「承れば各大臣には総辞職を為すべしとの目論見有之由、先刻休憩所に在って本使は痛く各大臣の浅慮を非難致し置たり。此国家多事の時に当って当局者たる国務大臣たる者が、児戯に類する挙動を為し、国家を忘れ一身の安逸を計らんとするが如きは抑何事ぞ。惟に諸大臣最初の決心は、時候温暖に連れ、漸く解怠し、春風和気の為め揺動せられたるにあらざるか。何ぞ其れ豹変することの速なる、殊に大臣中の年長者に向っては其の霜為す白髪に対しても前後の考は出そうなものにと本使は此に至って殆んど貴国の事は慊厭に堪えざらしめたり。申さば諸大臣は此国の主人、本使は客なり。自から主客の別なかるべからず。然るに主人其人にして到底見込なしとて厭気を催し去らんとする場合に臨み、客たる本使が如何に貴国の改良に熱心なればとて、此国の臣民にもあらず。亦た義務の存せざる以上は其れ之を如何すぺけんやと詰り、並に諸大臣の如きは区々たる小節に拘泥して終に国家を滅亡の淵に沈淪するも顧ざるの動作なり。且つ詰り且つ戒め置たり。扨手本使は先是各大臣と議政府に相会し諸大臣に責むるに、法を無視し、互いの権限を犯し、或は軽忽事を処し、毫も意に介せざるが如き傾ある事実を屡発見したるを以て、其の廉々を審に論挙し、斯くなる上は、官制職務権限又は法律規則の制定頒布を見るも、徒に虚文に過ぎずして更に実効を見ざるべしと察せらるれば、如何に本使が貴国の為めを思い刻苦経営するにせよ、必竟徒労たるべくんば寧ろ事前に止むの優に若かず。故に最早諸大臣を助けて改革事業を為さゞるべく決心せり。故に爾今全く各大臣と改革上の関係を絶ち、各大臣も亦た本使に向っての御相談は爾後無用たるべしとの申込を試みたり。惟うに諸大臣が此回の総辞職なるものが之に原因するか、将亦然らざれば、例の疑心暗鬼を生じて互に猜嫌の情、嫉妬の心を起し、此に至りしか、孰れにせよ二者其の一に出たるや明なり」

大君主「卿が議政府における席上諭したる事柄が総辞職の主因と為りたるにはあらざるべし。又卿が国政改良に一切関与せざるべしとの事は、朕始め諸大臣も当惑致すなり。何んとなれば此国歩多難の時に当って改革事業を進捗せしむるは偏に卿の尽力に頼らざるべからず。去れば諸大臣の事務に不慣れなる点は一々卿の忠告を容れ、其開道を請わざるを得ず。卿も其労を吝まずして教導の責を負い、和衷協同之をして成効せしめんことを朕が重て卿に望む所なり。諸大臣総辞職を為さんとするに至りし原因は、朕も未だ知悉する能わずして転た(うたた)疑訝に坐するものなり。就ては幸卿も同席の上各大臣をして其意見のある所を以て具に奏せしめ、聴聞しては如何」

本使 「今日は他にも少々奏上致度事有之に付、幸に陛下の左右をして姑く退席せられんことを」

 於是宮内外務の両大臣は陛下の命に拠り退出し去る。

大君主「威海衛に向いたる日本軍隊は大捷を得たりとの報知ありたりと。朕之を聞く甚だ快絶。勇猛なる日本軍隊の為め賛美に堪えざるなり」

本使 「我軍隊の勇猛なる此厳冬朔風を冒し到処偉大の奏功を見る。帝国の為め大慶の事なり」

大君主「然り。大慶々々」

本使 「各大臣が総辞職を為すとの事に付き、陛下は如何に被成るゝ御思召なるや」

大君主「総理大臣は兎角清国崇拝の傾きあり。度支は頑固、軍務は金銭上に関する醜聞あり。此三大臣は如何すべき或は其辞表を聞届け、其他は従前の通り勤続を命ずべきや。其辺は卿の考案に聞かんとす」

本使 「多少其等の不都合も可有之。乍去本使が抑事の初発に於て奏上せし如く幾たび大臣を交迭せらるゝも本来事務に老練に才能卓絶なる人物のあらざる限りは到底無益たるべし。否寧ろ進歩を阻喪せしむるなり。何となれば新任大臣なるものも矢張同様の人物にて尠しも事務に慣熱せざるは勿論なれば、又是に向って初に遡り事新に教訓を始めざるを得ず。而して其人物が僅に慣習し得たる時分には再び交迭するとせば国務は緒に就くの遑なくして終に逡巡不振の時期中に埋没し了るの外なきなり。故に本使が前日屡々貴国の為め得策とする所は各大臣たるもの少くも四五年は国事に従事するの決心なかるべからず。又陛下も其思召あって必らず軽率に各大臣の交迭を行わせられざる様望たる所以なり。朴泳孝を以て両陛下に御信用相成度と奏したるは本使なり。同人は王室の宗戚にして直き中宮殿にも自由に謁見し諸事都合宜しかるべしと存じたるなり。然れども当時本使は思う所あり。朴氏に向って曰く。『其身王室の近親なるが故に常に王室に出入りせば或は他の人は云わん、再び世道こそ出来たりとて一時頗ぶる物議を来すならんか。然れども此等の批評を受くるも決して厭うに足らず、即ち苦心の人となりて毫も屈撓せざるの決心覚悟なかるべからず』と申したるに、同氏も甚だ困難なる場合多々ならんと再応苦情を訴えたることあり。果せる哉此頃説を作すものは曰く『内務大臣のみは王室に親近し其権力甚だ強し。殆んど昔日の世道第二閔泳駿の再来に相譲らず』と。則ち本使が曩に予想せし所と異ならざるを。而して此等の感を惹き起すに至りし原因は如何と熟考するに、朴泳孝氏が軍務大臣の職権に立入たるの一事なり。先是軍務大臣は訓練隊を組織するに当って申泰休なるものを挙げて其隊長に命じたるに、朴氏は是に向って不服を声し、其職を他に移さんとせり。然るに之に関係ある我楠瀬中佐は大に不平を抱き、其処置を避難して本使に告げ曰く『軍隊の事は他の文官と異なりて左様に軽易に交迭せしむべからず。特に調練隊長の如きは組織尚お浅く漸く其訓練に着手するや否や早く已に其移動を見る如くんば、到底其技に熱するの遑なかるべし』と。其言う所大に理あり。故に本使は其移動の極めて不可なるを以て軍務大臣に向って忠告せし事あり。之を聞く軍務大臣は其主唱者にあらずして寧ろ不同意を唱えたるも朴内務は立入って其不可を論難したり。是れ明に他の権限内に容喙を試みたる不当の事と云わざるべからず。即ち朴氏を疑うものは云わんとす。『渠独り権力を事にして他の職権を蹂躙せんとするものなり』と。

大君主「申泰休をして隊長の職にあらしむべからず、移動せしむべしとの説は朕が意に出て即朴泳孝に命じたるなり。其故如何と云えば、申は甲申年に於て其所為穏かならざることあり。次で又丙戌年に於て袁世凱は大院君其他二三の者と相結託して隠謀を企てたる節、今の江華中軍黄憲周、京幾監司申献求などと気脈を通じ、先ず其一着に火を大院君の邸宅に放ち、之に口実を借り大院君曰く『閔族は己を害せんとの隠謀に出て火を我屋に放てり。危険云うべからず。宜しく大闕に入って国王と安危を共にすべし』とて大闕に入るや之に内応するものありて、朕並に中宮を擁して避乱を名として東小門に出でしむ。此に申泰休は手勢[壮衛営の領官]を率い門外に埋伏し、朕の一行を襲い戕害せんとの謀略を為したる一人なり。而して大院君は一の咨文を北京に送り事実を捏誣し、『国王の不徳に出て国政紊乱終に其身乱軍の中に斃るるに至れり。国一日の主なかるべからず。故に孫李呵Oを建て王位を継がしめたり』との事を以て段落を付けんとせり。其可恐の密計隠謀は閔泳翌(閔泳翊)の手に於て見出されたり。然れども泳翌は是れと同時に其身上に害の加わらん事を恐れて脱して香港に走り、姑く其凶手を避けたるなり。已往の事如此。今是に国家の干城たるべき、而かも其原素たるべき、訓練隊の隊長たらしむるは甚だ不安心に思わるれば、密に朴泳孝をして之れが改移を促したる始末なり」

本使 「去る御懸念あるものを何故最初軍務大臣が奏上するに当り拒否せられざりしや。甚だ訝し。蓋し右は趙軍務大臣が奏上するに当り、拒否せられざりしや。甚だ訝し。蓋し右は趙軍務の専断に出たるや如何」

大君主「趙軍務より任用の事を奏上したるは事実なり。然れども当時は可否の言を発せずして只だ一に首領したる迄なり」

本使 「陛下が殊更に可否の御言葉を発せられざるも已に御首領ありたる以上は最早其にて御裁可わ与えられたるものと認むるに充分なり。又た従前世道なるものが一国の政治を専握したる場合と異なりて、今日は各大臣なるもの各其職務権限を有するなり。故に事の軍務に関するものは軍務大臣に、法務は法務大臣に、内務は内務大臣に、各其主任者に就き御相談あるは当然なるに左なくて筋違いなる内務大臣に軍務にまれ法務になれ其他各衙の事を御相談ありては勢い偏狭に渉り、事公平なる能わざれば、以来は屹度御注意あらん事を望むなり」

大君主「然り。以来は左様すべし」

本使 「陛下の御前に於て甚だ憚り多き事ながら、過日議政府に於て大院君と云う御方は姦雄なりとの言を披露せり。同君は本使が内政干渉の不可なる事を忠告致したる後、口には再びせずと云わるるも、其実内々誰某を何の役に採用し呉よなどとの注文を出さるる由、又農商大臣などは直に自身は往来せざるも中間に人ありて議政府の議事の模様などを切りに内報すると承たり。兎角此御方は無事に苦むと云う如き観ありて何か変事あらば一躍して世道でも握り度しとの考は始終胸中に浮ぶなるべし。去れば兵制改革の際などには多数なる不平心の兵丁をも出すことなれば、此等が忽ち大院君の意を迎い、十五年の覆轍を再演せまじきものにもあらず。故に本使が各大臣に向って頻りに注意を与うるは、法は厳粛ならざるべからず。若し一度法を無視するに於ては、法は死物と選わざるなり。夫れ法にして厳行せられんか、到底非違の横行すべき余地あるものにあらざるなり。之を聞く先頃大院君は朴泳孝を招き観相家をして暗に其容貌を相せしめ亦た両陛下にも其観相者を紹介して観相せしめ、然る上其者の言に両陛下には険難の相ありとか申上げたる由、果して此事ありしや」

大君主「然り観相の事ありし」

本使 「是れ可笑児戯に較しき事なしとも大院君には何か為にする所ありて然るならんか。何れにせよ同君は不平党の一人たるを免がれざるなり。何には兎もあれ、各大臣上奏辞職の事は差掛りたる問題なるが此議に付、陛下の御思召は如何」

大君主「各大臣の交迭は卿の奏言に拠れば不可なりと云う。然らば先ず此侭にすべし。其とも度支は平常の固執家又た此回も其辞職を固執するも図られず。果して然るときは此分なりとも許すべきや、卿の考は如何」

本使 「此際縦令如何なる事ありとも大臣の交迭は宜しからず。況んや総辞職などは以の外の事にして、国体上にも関係致すなり。故に本使は一人の大臣も変更なき様致度し。成程度支大臣は強性なる人物なり。然れども自今各衙門の官制も整頓し、各其主管の事務を進捗せしむるに当り軍務衙門は兵丁を増すべし。兵舎を建築すべし。工務は鉱山を起し、郵便電信を布設すべし。法務は何に、内務は何に、皆銘々其れ々に仕事を始むるに際し、財政は此等多数の出費を許さゞるに遇うては度支大臣の強性堅執にあらざれば誰が能く之を拒否すべき。是れ度支の強性は以て此等の難局に応ずるに足るべし。今日の場合幾程撰んで大臣を変更すればとて貴国人中理財に長じ、経済に秀たる人にして強性能く事に当る人を得んと欲すも得べからざるなり。由之観是は大臣を動かすことの不得策たるや論を竢ざるなり」

大君主「卿の考案誠に宜し。只だ今日各大臣の上奏に当って将た是れを如何せば可ならん」

本使 「各大臣も皆揃って入闕したりと云えば、孰れ御前に奏するに総辞職の事を以てするならん。果して然らば陛下は之に答えらるるに幸、『今日井上顧問官に総辞職の事を諮詢したるに、同顧問官は各大臣が法律を無視したる事柄より起り、議政府の席上各大臣に忠告したる所を以て具に奏し、斯の如くなる以上は、最早貴国の事如何ともすべからず。況わんや此危急の時機に当り一身の安固を計らん為め総辞職を企つるなどとは、国家の重きを負い之れと興亡を共にする大臣たるべきもののすべき事にあらずと大に駁撃し不満の色ありて容易に折合う気色なかりしも、朕は強いて其再考を促すに至って、然らば熟考すべしと答えたり。朕思うに諸大臣が此国家危急の時機に坐しながら、之を顧みずして職を辞するが如きは国家に対して忠実なる所以にあらず。朕は此際大臣の辞職は一切採用せざるべく決心す。諸大臣たるもの宜しく身を国家に委ね、朕が旨を領し各其職に鞅掌し、一日も其職責を空うすべからず云々』又た諸大臣退出後、殊更に総理大臣を召し出され、陛下は同大臣に、明朝公使館に往き井上を見て意見の有る所を何となく探り試むべしとの事を御含め相成度し。然る後、金総理、我館に来訪せば此回の発動に関する原因等篤と相糺し、本使の卑見をも被陳致す可し」

大君主「然り。左様すべし。此期は兎角卿の尽力に拠り調和を望むなり」

本使 「尚お此に一言閣下に望み、併せて其採納を得度き事柄は、稍破格の慊ありと雖ども、此大政改革に際し区々の小節を顧みるに遑あらず。中宮陛下は其宗親にのみを限り謁見を許さるるときは、是れ取りも直さず疑惑の種子たれば、寧ろ各大臣にも一様に謁見を賜わるの門を開かるる方公平にして諸人の疑惑を解くの一方便と為るべし。乍併是れは貴国の旧慣を破らるることなれば、容易の事にあらざるべければ、姑く時機を見計い御決行相成方可然、又た大院君が宮内に御同居ある間は最も困難にして不便ならんと察せられば、同宮にも其中本邸に引取らるる日もあるべし。其上にて御実行せられては如何や」

大君主「今より百年前の王妃は即ち今の金総理大臣の家より出てたる金氏が入輿後間もなく宗廟に参詣の節、輿簾を捲き市民の拝観を許されたることあり。其の詞に、『陳、国母と成る。安んぞ赤子を見ることを厭わんや』と。後世大に其美徳を頌す。今や我国一新に当り而かも国家の重きを負う国務大臣を面見するに何の不可あらんや。追々左様に致す可し」

本使 「今日は已往世道なるものが一人の手に国政を専横したる時代と異りて、各衙門大臣なるものは孰も平等の権利を以て国政に参与し其職務権限に因り事務を主宰するの責任を有せり。故に陛下は此等大臣に対せらるるには尤も公平に同一の殊遇を与えられざるべからず。若し互の間に親疎厚薄の別ありとせんか、其感情を害し終に其統一を欠くに至るらん。而して是より種々疑惑を生じ、政府部内は常に風波の止む時なかるべし。例えば[此時陛下の前なる卓子を指し]陛下の御前に横わる卓子を以てせんに、其中心点は常に四偶の卓脚均一なるに拠りて保たれ、重力を載せ得るにあらずや。若し夫れ然らずして其一隅にのみ重力を偏倚せんか、忽ち中心点を失い卓子は顛覆或は破壊するに至らん。其れ如此、陛下の諸大臣に於けるも亦宜く偏せず党せず、終始其和合統一に御注意相成たし」

大君主「卿の切当なる忠告、朕敢て軽々に付せんや。必らず充分の注意を加うべし」

本使 「然る上は一般の疑惑も自から釈然たるべし」

 右奏し了って退出す。

 

 

(朝鮮国王及諸大臣ニ内政改革ヲ勧告ノ件/28 1895〔明治28〕年4月8日から明治28年6月15日」のp2〜p10より)


廿八年五月十五日接受
機密第四五号
   朝鮮内閣の分離并総辞職動議の件

 朝鮮の現内閣は嘗て報告に及びたる如く、客年十二月十七日を以て組織せられ、其人々は、総理大臣金宏集、外務大臣金允植、度支大臣魚允中、農商大臣厳世永、学務大臣朴定陽は旧任の侭にして、内務大臣朴泳孝、法務大臣徐光範、軍務大臣趙義淵[元代理]、工務大臣申箕善は新任の人々に有之候。但し、工務大臣申箕善は久く忠清道某邑に居住せし処、再三の勅命に因り一度上京出勤したるも、直ちに帰郷したるに付、協弁金嘉鎮氏は始終其代理を為せり。右内閣員に就き之を色分するときは、
 金総理  金外務  魚度支
の三氏は保守派にして多少支那臭味を帯び、大院君とは客年夏已来の旧縁もあり前内閣に在っては有為の人々なれば、権力自ら此に帰するが如く、而して内閣書記官長の地位に当る兪吉濬は其参謀たるが如し。

 朴内務  徐法務
の二氏は新に外国より還帰したる廉を以て改新派と称せられ、朴氏の如きは国王の駙馬として名位は各大臣の上に居り、且つ俄かに両陛下の御信任を得たるに付、其権力は幾んど保守派を凌駕する勢有之。

 其外旧日本派なる金嘉鎮、安駉壽、趙義淵の三氏は、自ら一党を成して中立の姿を有せり。

 全陳の有様なれば若し平常にては万々共和一致して同内閣に立つべき見込なきも、目下国歩艱難恰も胡越同舟とも申す可き時節、殊に各大臣は嚮きに協同一致以て国事に従う可き旨を誓約し、本官も亦内閣組織の初め、新旧両派の人々に向い厳重に忠告して分裂を防ぎ置きたるに付、容易に不和を来すことなかる可しと考居り候処、新内閣組織後、二三週日を経ても猶お「旧派の人々は依然諸事を専断して新任各大臣に相談せざる旨」新派の人々より苦情有之候に付、一月初旬、総理大臣に向て「毎三日に一回、内閣会議を開き、主要の政務は内閣会議を経たる後、上裁を得て施行候方可然旨」勧告し、当分其方法に従て行い来りし処、新派の議論は往々過激に渉り、熱心に事大の旧例を破壊せんことを勉め、急派は之に反して差支なき限りは旧例を維持せんとする傾きあれば、双方の間に漸く衝突を生ずるに至れり。

 今双方の内幕に立入りて之を分析するに、旧派の人々は朴徐二氏を疑い、此二人は新に外国より帰来して海外事情に通じ居る上、背後に日本政府の援助を有すれば、早晩政府内に跋扈するに相違なしと速了し、且つ嚮きに二三大臣にて専断したる文武官の進退黜陟も今は新派の諸大臣を憚りて自由ならざる廉もあり。旁以て新派の人々を疎外し、三度に一度は相談に及ばずして、事を決行することあり。

 又、新派の人々は金魚の旧大臣を以て事大の余臭を帯び、陽に改革を唱うるも内心大院君の指呼に従て事を処分するものと速了し、早晩之を政府外に逐出し、政府は新派の一手に掌握せんと企画したるは衝突の根源にて、猜疑離間又外より之に乗じ、大院君此機に乗じ混雑を興さしめんと謀り、屡々人に向い、総理、外務、度支の三大臣は我党なれば、能く我指揮に従うものなりと物語りたるを、新派の人々聞伝え、扨こそ旧派の諸大臣は大院君と結託し居るに相違なしと益々疑を属したる処、「忽ち又大院君は窃に旧派と通謀し朴徐二氏殺害の計画を為し居ると伝うる者有之し由にて、其疑惑益々相高り、所謂ゆる疑心暗鬼を生ずる勢に陥り申候。

 之と同時に反対派の疑惑も益々相高り、以為らく、朴氏は頭に国王王妃を戴き傍ら日本公使の勢威を藉りて政権を専にせんと企図し居れば、取も直さず第二の勢道なりとて其専横の廉々を挙げて之を攻撃するに至れり。

 抑々、朴氏の国王王妃に親近を得たることは、最初本官の忠告に出でたることにて、当王室の習慣は常に国王王妃の側に伺候若くは奉仕するものは宗室外戚内官若くは親狎の近臣にして、国務大臣などは国王に於ても引見を賜うこと甚だ稀なり。
 況んや王妃へは古来の慣例に於て全く謁見を許されず、又国王の引見とても儀式一遍に止まり、政事上の奏問は皆な承政院に出で、夫より内官の手を経て之を為す例となれり。故に国王王妃の周囲には所謂宗室外戚の外、狎邪小人の集合なれば、両陛下は恰も霧中に彷徨せられ、疑惑危懼の四字を胸中より去らせらるゝ能わぬ次第なり。

 幸に朴氏は純良の性質にして外国の事情に通じ居り、且つ其身駙馬なれば王妃に拝謁することを許され候に付、同氏を両陛下に紹介し中外の事情を通ずる堦梯と為さば、内官狎臣等は浮言虚説を逞うして両陛下を惑わすを得ず。所謂暗夜に灯を掲げたる位の効能ある可しと予期したる処、外間にては其実情を悟らず却て之を以て朴氏を攻撃する口実とは為すに至れり。[但し朴氏宮中に出入したる以来、中外の情意を稍疎通したるものゝ如し]

 本年二月初旬、訓練大隊長申泰休の進退に付、朴内務と張軍務との間に一の衝突興れり。右申泰休は嚮きに内閣の同意を以て上奏を遂げ、参領[少佐に当る]に任ぜられたる処、其後、朴内務大臣より、同人は去る甲申年<明治十七年>冬の変乱に、袁世凱の先鋒として王宮に攻入りたる方なれば、之を隊長とするは不都合なりとの議論出て、若し同人を免職せざることならば、内務大臣自ら辞職す可しとの決意を示したるを以て、軍務大臣は大に当惑して当館へ来り内々本官の意見を尋ねたるに因り、本官は内務大臣として武官の進退に干渉するは職権外なりとの意を以て朴氏に忠告し其事一旦落着に帰せしが、夫より趙軍務は全く意を決して旧派に身を寄するに至れり。

 其前後に当りて内閣に於て新に年号を立て、在松坡の清帝功徳碑を仆し、迎恩門を除き、清使接待の為め古来設けたる慕華館、弘済院を毀つの議ありて、新旧両派の争論題に上れり。

 其内、功徳碑を仆し迎恩門を除くことは旧派の同意を得たるも、年号は既に清国の年号を廃し、開国何年と称する已上は新に年号興すに及ばず。且又慕華館、弘済院の両建物は故らに之を毀つに及ばず。其名を改めて他に使用して差支なしとの議論を以て、旧派の人々は之に同意せざるに付、遂に一場の問題となり、国王にも新に年号を興すことには稍々御同意の傾きありしも、本官は目下の急務は独立の基礎を鞏固にす可き実務を挙ぐるに在り。瑣々たる虚名に拘泥する時にあらず、との趣意を以て両派の人々に忠告したる処、新派の人々は不満足ながらも一時本官の説に服したりしが、引続き法務参議張博氏の進退に付、両派の間に再び小衝突興れり。

 抑々張博は法務衙門に於ては羽利の一人にて、曩に同衙門協弁金鶴羽の暗殺せられたる後は、同衙門の権力は幾んど同参議の一手に帰せし有様と為り、同氏又旧派兪吉濬等と親交ありて、至大なる裁判事件は皆之と相談したるが如し。従来法務衙門に於て大院君又は閔氏に関係ある罪犯取調の際には、掛官皆危懼を懐き之を避くるもの多かりしに、張参議は独難局に当り、我領事の立会を得て取調を為せし人物なりしが、其後同人は収賄の評判高きに因り、警務庁にて探偵を尽し、聊か端緒を得たるに付、本官は内務法務の両大臣に向い相当の手続を践んで厳重に取調を為す可しと忠告したるに拘らず、徐大臣は敢て其罪を査実せず直ちに同人を諭し、辞表を奉呈せしめんと試みたる処、同人は其説諭に服せず、徐大臣に対し却て不敬の言を■み、若し収賄の嫌疑あらば法廷に於て取調わ受けたし、と申募りたるに付、朴徐両大臣も幾んど其処分に困惑したり。<当時、内務法務の両大臣は王妃の内意を奉じ収賄に言寄せて張参議を斥けんとしたり、と云うて切りに両大臣を攻撃せしものあり>

 然るに本官窃かに張博の人と為りを聞くに、剛強にして稍々事理に通じ、殊に明律に精く、裁判官としては難得人物のみならず、収賄事実の有無不明瞭なりとの事に付、徐朴両大臣と内談を遂げ、同人をして不敬の辞を謝せしめ、旧に仍り法務参議として使用することに相成り候え共、此一事も幾分か亦新旧両派の分裂を助けたるものゝ如し。

 又之れと略ぼ同時に、政府は慶尚道鎮撫使李重夏の報告を軽信し、総理内務度支の三大臣より奏上を経て同道内某々邑の租税を免じたること官報に相見え候に付、本官より斯く一官員の報告を信じ、重大の租税を減免するは不都合なるのみならず、嚮きに度支大臣と約束したる財政上の諸事、本官の意見を聴く可しとの趣意に背くものなりと云て、右三大臣に詰問の書面を送り候処、右奏上は三大臣の名を以てしたるも、其実内務大臣の同意を待たずして奏上を遂げたること相分り、其結局は新派に向て旧派を攻撃する一の材料を与えたり。

 右の如く、新旧両派軋轢の熱度漸く相高り、陰に陽に相互擠排せんとする気炎盛なるに付、二月八日、本官、議政府に赴き、各大臣列席の前に於て二三大臣処務の不都合を挙げて之を咎責し、且つ今日国歩艱難の時に当り、新旧各々党を立て相軋轢するは当初の誓約に背き、国家を以て己が任と為す国務大臣の心得と思われず。此際須らく一致協和して国事に従う可し、との趣意を以て痛く攻撃を加えたる処、新派の人々如何に感じたりけん、同十一日朴内務大臣の発議として各大臣皆之に同意し国王に向て辞表を呈する運と相成り申候。[此時新派の内意は内閣総辞職を為さば、国王より必ず本官を召して御下問ある可し、然るときは本官は新派の肩を持つに相違なければ、次期の内閣は新派の人々にて組織するを得可し、との妄想を画き、旧派の人々は亦内閣総辞職を以て本官の内意に出でたりと誤了し、遂に辞表奉呈に一致するに至れりと聞けり]

 翌十二日午後本官は国王の御招きに応じ、参内候処、各大臣扣所に相揃居り候に付、本官は一同に向い、痛く総辞職の不心得なる所以を説て之を責め、尋で謁見候処、国王より「内閣各大臣一同辞表を奉呈すべき様子に付、如何にす可きや」との御下問有之候に付、本官は右上奏は御採用相成りては宜しからず、依て陛下の思召を以て之を斥けられ猶お本件に付、総理大臣をして本官に就き相談する様、御諭相成候て可然云々、委細<二月十二日内謁見始末筆記第二十一号御参看>奉答に及候処、翌十三日総理大臣金宏集来館に付、内閣に於て辞職協議に至りたる顛末熟と相尋ね、之に依て同発議の新派即朴泳孝氏の口より出でたること并に総理大臣も全く誤了し居りし事、確と相分り候に付、翌十四日は新派の二大臣即朴泳孝、徐光範及び署理大臣金嘉鎮の三氏を招き、其不心得を責め、且つ目今国家多難の際、協同一致して其局に当らざる可からざる旨、厳重忠告致候処、同三氏は聊か抏論を試みたるも、結局本官の忠告に従う可き旨申出候。依て翌十四日は総理外務度支軍務四大臣を相招き候処、総理外務軍務の三大臣来館して、素より本官の忠告に異議なきも、独度支大臣は疾と称して来会せず。門を閉じ客を謝し、辞職の決心を相示し居る趣致伝聞候に付、総理外務両大臣に托して同大臣の来館を促し候処、翌十六日午後来館に付、本官より「目下国家多難の際に当て重責を担う国務大臣は容易に其職を辞す可からず。右は客年冬各大臣の相約したる『確秉不撓不屈の心排百難而力行不已』并に『一心設誓廉潔守正忘身扶国』等の誓言に違背する旨、説明して厳重相詰候処、同大臣も遂に其決心を翻し、本官の忠告に従うことと相成申候。

 右の如く新旧両派の重なる大臣は一同本官の忠告に従う可き旨申出でたりと雖ども、猶お新派の諸大臣は果して改心したるや否甚だ被疑候に付、斎藤、杉村等を派して裏面より之を説かしめたる後、同十八日午後再び朴徐二大臣并金署理大臣を招き、更に忠告を加え候上、其決心を相尋ね候処、右三氏も愈々本官の忠告に服し、旧派諸大臣と将来一致協力して国事に従う可き旨確答に及び候に付、夫にて総辞職の議相止み、内閣の折合旧に復し申候。依て乍延引別紙相添右事情及内報候也。

 明治二十八年五月一日
     特命全権公使伯爵井上馨
 外務大臣子爵陸奥宗光殿

 

(朝鮮国王及諸大臣ニ内政改革ヲ勧告ノ件/28 1895〔明治28〕年4月8日から明治28年6月15日」のp12〜p22より、()は筆者)

第廿二号
  二月二十五日謁見始末筆記抜草

 本使入謁、例により寒暄を叙え了って宮内大臣等退出す。

本使 「先般内閣大臣総辞職の儀興りし已来本使は新旧大臣の間に処し
調定方取計の末、漸く協和の政局を告くるに立至りたり。依て今日は右に関し一と通りの顛末を奏上致すべし」

大君主「諾」

(本使) 「本使は調定の第一着として朴内務、徐法務、金署理工務を我館に招き其辞職の提議を為すに至れる理由を問答致せり。其問答の大概はは如左」

朴内務「昨今の如き内閣諸大臣の間柄折合悪しく協和を欠く様にては、改革事業も到底好結果を見る能わざるべしと思わる。故に寧ろ本大臣等幾人は現職を去り、他の一派をして主義同じき人、政府に立って共に国務に従事せば、部内の一致結合を得るの便宜あるべければ却て国家の為め至幸と云うべし。是れ本大臣等が姑く退いて徐に其成績如何を傍観せんと欲する所以なり」

本使 「貴大臣等辞職の意は姑く之れを可なりとせん。而して其善後策即ち其後任者たるべきものは如何、果して適当に満足なる人物を獲べき見込ありや。本使の所見を以てすれば、貴国人にして而かも経倫の大才を抱きて国家の枢機に処すべき人物は、八道の野に鍾太鼓を敲きて尋廻するも恐らく之れを得るに難からん。若し諸君にして此の人物ならばと目指すものあらば試みに之れを聞かん。[三大臣黙然答うる所なし]其人材の容易に得べからざる事を之れ思わずして一朝の憤りに国家の重きを忘れ退隠せんとするが如きは恰も児戯に類するものと云わざるべからず」

朴内務等「辞職の原因は前段の如く独り自他協和し難きのみならず、聞く処に拠れば旧種家なる某々大臣は大院君と暗々裏に結託し、密に我々を陥擠せんとするものの如し。斉しく新政府に立つものにして、其れ如此裏面に陰険的手段の伏在するありとせば、到底是等の一派と終始を共にする能わざるは必然。結局彼れ存するか、我れ亡うるか、早晩一波瀾を生ずるを免がれざるべし。而して吾々の最も釈然たる能わざるは、内閣の公席に於て相見るや、彼所謂老成者と唱うる連中は表面和気温容にして、議論相衝突し口角沫を生じて相争うが如きこと曾て之れあらざれば、外見上主義一致するかと思わるるも、其裏面に至っては大に之れと相反し、実に氷炭相容れざるの言行多く顕わるるあり」

本使 「諸君曷ぞ其れ暁らざるの甚だしきや。新旧大臣の一致協和は却て或る者の為めに忌まれ、其離間者は常に鼻息を窺いつつある事を、今や又半ば其術中に陥りつつあることを。本使が毎々諸君に忠告せし如く、所謂疑心暗鬼の為めに誤まること勿れと。蓋し之を謂うものあり此頃大院君は切に来訪者に向って『総理、外務、度支、軍務の四大臣は昨年事変後予と同腹にして、今日と雖ども互に気脈を通じ、予が命令となれば一も二もなく服従して背からざるものなり』と得意に吹聴せりと。惟うに是れ大院君が今日巧に新旧大臣の間に風波を起さしめ、竟に両党派をして闘争の余り一混雑を政府内に起さしめんとの魂胆に出たるものにして、諸君は之れを是れ暁らずんば終に其術中に陥らんのみ。豈深く戒心せざるべけんや云々」

朴内務等又云「彼れ等の或者は密に刺客を放って暗殺を隠謀するものありとか」

本使 「何れの国と雖ども国政改革等の行わるる時代にあっては多少凶暴者を出すは数の免れざる所なり。其例を挙ぐれば、我国維新以来先きには廣澤参議あり、後には大久保参議あり、比々皆然り。近くは文明国の首班たる仏国に於てさえも、其大統領の凶手に斃されたるが如き、深く恠むに足らざるなり。抑国務大臣として国家と存亡を共にするもの死を恐れて何事か成るべき。宜しく肚胸を据え、死を甘んじ、国に殉ずるの覚悟なかるべからず。又た此回の衝突は年号を新に起すべし、迎恩門、慕華館(中国使節の接待儀式を行った館)を破毀して清国崇拝の念を割断すべしとは、新大臣の主張したる所なるが如し。本使は最初より此説に感服する能わず。何となれば虚を去って実を務むべしとは、本使が主して貴国の為め忠告する所なり。年号を作り家屋を毀ちたればとて、何程か人心に感動を与うべきぞ。所謂旧大臣連中なるものが、此等児戯に類する処置を拒否したるは強ち無理とせざるなり。之を要するに新大臣は兎角何事も軽忽に失し極端に奔逸するの慊なき能わず。本使は又我日本が維新以来如何に刻苦経営せしやに付、証を援き例を挙げ一条の歴史話を為し、朴氏等が意見の投合せざるを以て不耐忍にも直に職を退かんとするが如きは、国家に忠誠なる所以にあらずと説き、何には兎もあれ、大臣総辞職の原因は他の離間策の為め疑心暗鬼を生じたるものと思わる故に、若し為之辞職を決行せんとするが如きは国家を誤るものと云うわざるを得ず」

朴氏等「成程左様云わるれば、一応道理なきにあらず。然れども由し一歩を進めて仮に吾々が疑惑を解き、和衷協同国政の改良に従事せんとせんか、果して彼の老人株なる大臣たるもの吾等と同情を表し、釈然事を共にすべきや否やは頗る疑うべし云々」

本使 「他の疑心を解くと否とは暫く措き、先ず以て自己の疑惑より去るの考を為すこそ必要なるべし。倩々(つらつら)当国人の習慣を察するに、世道なるものが国政を専握したる時代にあっては離間策なるものが大に流行し、是を以て唯一の処世手段為したるが如し。縦えば或る者は自家の位地を求むる為め之を以て他を擠陥し、又或る者は他人の為め之れを売り廻って陰に助成する等、事々物々此筆法を用いて互に相争闘するの有様なりし。必竟するに離間なるものが買わるるればこそ売り廻るものがあるなり。縦えば[此時本使はマッチの一個を執り]此マッチを買手があればこそ売手のある所以なり。若し然らずして何程売り廻らんとするも之れを買う人なければ瓦礫と何と撰ばん、之れを放擲して顧みざるに至らんのみ。之を総うるに諸君も向後決して此悪習慣の為め此の離間策の為め誤られざる様、即ち何程離間を鬻ぎ行くものありとするも、一切頓着せざる事とせば、終に斯る弊害を一掃するに至らんのみ」

本使) 「と、酔々乎として説き去り、説き来るに及んで、朴徐金の三氏は曰く『兎角此回の事は本使の調定に一任し、我々は疑惑を去り公正に就き専心国務に従事すべし』との事なりし。是再び金総理、金外務、魚度支、趙軍務を招き、[但し魚度支は病気と称して不来、依て翌日之を招きたり]本使は略前段に均しき口調を以て説破する所あらんとしたるに、此四大臣には最初辞職等の考えもなかりしに、朴内務は突如として辞職の上、上疏を為さんと事を提議したりと云えり。其理由として」

(金総理ら)「同大臣(朴泳孝)は、『昨年六月以后新に組織せられたる政府なるものが改革上一事の能く決行して寸効を奏したるものなし。斯くては我々は上は大君主陛下の聖意を奉答する能わず、下は国民の輿望と相反するものなれば、宜しく自ら咎を引き総辞職を為すを可とすべし。若し諸大臣に於て異議あらば本大臣独り先ず上疏して印綬を解くべし云々』
 夫れ内相の就職僅に二ヶ月に過ぎず。而して其職責の挙らざるを歎ずること此の如し。我々の如きは昨年六月中内閣組織以来引続き重職にあるの身なれば、自から曠日の多きを知るべし。殊に謂らく、此提議の起る恐らく内相自身一己の意見にもあらざるべし。大君主始め貴公使とも熟議に成りたるならんと毫も怪む所あらずして、直に之に同意を表し斉しく上疏退職を為すべしとの議に一決せしなり。将又謂らく朴氏の提議にして、深き魂胆ありとせば勿論善後策などに至っても疾に成算あるべし。果して然らば是ぞ却て国家の為め至幸と云うべし。本大臣等は寧ろ喜んで之に賛同するものなり。何となれば嘗て声言する如く吾々は決して官職に恋々するが故に此の重職にあるを好むものにあらず、去ればと云うて自家の力善く此難局を医済すべきやと云えば、不才不能敢て当らずと云うの外なきも、坐して国家の危亡を傍観するは忍びざる所故に可及丈けの心力を振って局に当らんと決心したるものなり云々」 

と。本使、之に対して、

(本使) 「諸大臣の辞職沙汰は是れ全く相互の疑惑より生じ、他の離間策に陥らんとするものなり。貴大臣すら謂らく本使にも総辞職は同意の上の事なるべし云々。是亦一の疑惑心に外ならざるなり。本使は初めに提言せし如く不偏不党虚心平気を以て諸大臣との間に均一の交際を保たんとするものにして、安んぞ彼れに厚く此に薄きの理あらんや、其れ之れを思わずして本使に向って敢て一言の相談なく直に邪推を下して総辞職を為すべしとは余りの軽挙と云わざる可からず。何んとなれば、本使は目下貴国国債の為め如何に苦心焦慮しつつあるかは、諸大臣と雖ども必ず御承知の事ならん。然るに政府部内に起りたる今番の風波は如何に本件に向って妨害を与うるか、京城に滞在する我新聞の通信者は電報を発して此出来ごとを通報せり。最早総辞職の噂は我国の新聞紙上に掲載せられ、忽ち議論は嘖々たり。我政府は謂らく朝鮮の国事変幻当なしと。我人民は謂らく事已に如此朝鮮前途察すべしと。之を聞くもの恐らくは朝鮮政府は不安心なり、信ずべからずとの感情を起さざるものはなかるべし。果して然らば本使が貴国国債の為め折角幾十回の書翰電信を発したるも、空しく水泡に帰すべし。本使は固より朝鮮の臣民にあらず。又た朝鮮に尽すべき義務も存ぜざるに尚お且つ然り。然るに諸君は天にも地にも朝鮮の国家を負い之と興廃を与にすべき、而かも国務大臣の地位にありながら、偶国政の少しく緒に就かんとする片端から破壊せんとするが如き挙動を為すとは、如何にも国家に不信切に、否却て国家をして益(ますます)否運に導くものにあらずして何ぞや。諸君は徐ろに熟考せよ。硝烟空を掩い砲声耳に響き剣花眸を射るにあらざれば未だ以て国家の危亡と為さゞるか。何ぞ時局に通ぜざるの甚だしきや。世に禍機の伏する時節こそ恐るべきものはあらず。是れ其の何の時、何の処に発動するやを予期すべからざればなり。貴国の事甚だ之れに類するもの有り。若し夫れ今の時機に於て国政革新せられずして猶お旧時の観の如くならんが、其の亡びざらんことを欲するも豈得けんや」

金総理等曰く「其れ之を知らざるにあらずと雖ども、若し世間流伝する如き候補者すら已に指名せられ、善後策も充分備わるものとせば、強て我々が官職に恋着し位地を固持せんとするが如きは潔しとせざる所なればなり[朴泳孝総理大臣に其他二三の新任大臣を出すべしとの評判を指すものならんか]」

本使 「折返し候補者なりと世間に伝うるものの姓名は、抑も何人なるや」

総理答「閔泳達、沈相薫、李載純、閔泳煥諸氏は即ち大臣候補者中にありと云う」

本使 「予も已に之れを聞かざるにあらず。然れども深く信を措かざりし。何となれば、是れ坊間伝うる所の臆説にして、其出処の程も略聞込みたればなり。若し夫れ諸大臣にして是等の巷説を信じ終始想像を逞くし、彼れ我を害するに意あり、彼れ我れを悪めりとの意を挟んで胸中毎に疑団の纏綿するあらば、政府部内は殆ど波瀾の絶間なかるべし。宜しく大臣たるもの卓絶の意見を持し、容易に他の離間策に陥らざる様、又互に猜嫌の念を去り、公心秉彝一図国務に尽瘁せらるる様望まし」

(本使) 「との意を以て忠告に及びたる末、総理始め三大臣にも大に暁る所ありて此に新旧大臣間の風波も一と先ず調和に帰し、再び相提携して従前の如く国務を執ることとは相成りたり。之に因て一言陛下の御注意迄で奏上し置きたきは、過日陛下の御前に横わる卓子を指し比喩を引きたる如く、陛下が諸大臣に対せらるるには充分公平に彼此厚薄の区別なき様、又国務上に関する御諮詢には総理大臣なり。又は必らず其主任大臣を直に御呼出相成て御下問相成度、殊に出来得べけんか、過日も奏したる如く、中宮陛下にも大臣中誰某の区別なく斉しく御引見相成らん事を。是れ国務大臣たるものは他の官吏と異なりて一国の政務を司どり、国家と休戚を共にするものなれば、此丈は特別に両陛下の厚遇を加えられざるべからず」

大君主「政府部内における始終の詳話、朕、具に之を悉せり。其れに就ても卿が苦心の程察するに余あり。過日金総理が[貴館に往きたる翌日]進宮したるに付、朕は新旧大臣間の調和は如何やとの問いを起したるに同大臣は其儀は何なりとも片付くべき見込みれども、始終気掛りなるは清国に於ける日後の交渉なり云々。兎角同大臣が寤寐忘る能わざるは事大の旧夢ならんか。諸大臣に対する対遇の一事は卿が屡々忠告する所、朕深く心に銘じ忘れざるべし。又中宮へ謁見の事は是迄と雖ども金嘉鎮、趙義淵、安駉壽は、時々許され、徐光範の如きは李氏祖先の血縁ありて、是亦た時々拝謁を允さるるなり」

本使 「今、中宮陛下に於て各大臣に斉しく謁見を賜う事を允されたしと望むものは、即ち政治上に関しては、勿論中宮陛下の御容喙可相成筋にあらざる儀は業に已に縷述して残す所なし。去れば国政に関する場合にあらざる事は御得心なるべし。唯だ儀式日或は時候の御見舞等に当って大君主陛下に参賀を為す折には中宮にも各大臣を其謁見席に一同召見せられん事を希うの意に外ならず」

大君主「然り。左もあるべし」

 

(「朝鮮国王及諸大臣ニ内政改革ヲ勧告ノ件/23 朝鮮ノ財政」より、()は筆者)

明治廿八年三月六日接受
機密第一四号

   朝鮮の財政

 朝鮮をして独立の基礎を鞏固ならしむるの実を挙行せしめんとせば、従来の積弊を掃尽し健全なる制度法律を設定し、之に因て事務を整理し、一方に改良手段を立て、其目的を達することを得るならん。他語を以て之を言えば、今にして根本的改革を行うにあらずんば独立の実を挙て之を永遠に保持せしむること能わざるべしと存候。
 本官着任以来、一々聖意の爰にあるを以て之を奉戴して朝鮮の独立の実を挙げんしめん為め、日夜汲々計画を怠らず、苟も此目的を達するの障碍たるべきものは務めて之を閉鎖して余力を遺さず。大院君不韙の謀を企てたるを察知し、之を圧服せしめ、李呵Oの教唆あるを知れば、亦従って之を説服し、又王妃の如きは簾内に在て百方播弄巧詐陰議多し。曩に釐政二十個条の上奏後、尚其慣手段を陰然施すを察知し、右上奏を引下け手を引くことを申出し、終に又説服せしむる等、或は激怒し、或は緩言を以てして、其弊害の源流を遏止するの術を施したり。
 凡此等百般の弊害は従来朝鮮の痼疾にして、一難を抑ゆれば更に一難を生じ来るを以て、其弊害を挙げ根本的改革を旦夕の間に行わんことは、到底期す可らざるものなるに拘らず、今日に至り遂に久しく其脳裏に没染したる清国の隷属するの念慮を絶て、剰へ従来の勢道なる権力を藉て以て一身又は一家一族親友又は已に党する者の私を営み欲を逞うするに便なるの弊習をも■然脱却するの決意を喚起せしめん■め、茲に大君主をして社禝宗廟に誓告せしめ並に内閣各大臣相互間の決心に付、本官に対して盟誓を行わしむるに至り、大体改革の謀略等相企たり。

 就ては、今後の事業は右の大体に基き改革の実を挙ぐるに外ならず。然るに此目的を達するに当り、最も困難なるは朝鮮政府の国庫匱乏して現に韓暦越年に際し、文武官の俸給すら其未払類平均三ヶ月に及び、怨言苦情囂しく、動もすれば一時騒擾の恐れあるを以て政府の狼狽一方ならず、屡々本使に向て救済の手段に付相談ありたるも、本使は只管ら之を斥け其依頼に応ぜざりしが、事情切迫如何にも傍観し難き形勢に立至り候に付、不得已在仁川第一国立銀行支店長をして朝鮮海関の収入を抵当とて十三万円金額を貸与せしめ、一時の急を救いたる始末に有之候。
 乍併、右は単に当国政府越年の資を弁じたるに過ぎずして、漸く新年に入るや当月分の俸給も再び延滞して無用の人を免じ度候事も、金なくしては第一改良に着手せしむる事も不出来、加之追々申進候通り、朝鮮八道の刑況を視れば、東徒の擾乱全国に蔓延し、且つ国の宝蔵とも称すべき三南地方即ち全羅、忠清、慶尚の三道は旱魃の為め飢饉の災に罹り、就中慶尚の如きは全道を通して其災を被むり、又全羅、忠清の両道は旱災其一部分に過ぎざるも東徒の擾乱此地方を以て最も甚しとなすを以て、政府は啻に該三道の租税を収納するを得ざるのみならず、却て十五万乃至廿万円の巨額を抛て之が救恤を施さゞる可らず。更に北道の情況を見るに、黄海、平安両道は日清戦争の兵燹を蒙むりたる為め、納税に堪えず。又咸鏡の一道は古来北門の鎖鍮として其出す所の租税は挙げて該道辺境の防備に充つるの制例なるを以て、是又政府の収入となすを得ず。

 以上の事情なるを以て、政府本年度の歳入は僅かに京畿、江原二道の租税あるのみ。要之新政府は改革を実行し政治機関を運転するの費用は、租税外の収入に依るの外其方法なき場合に陥りたる義にして、是れ本官が曩に安廣秘書官に携帯帰国せしめたる提案の生ずる所以、則ち五百万円の公債を急促する次第に有之候。

 尓後本官は朝鮮財政の従前習慣現在及将来に関し、充分詳細なる調査を遂げ、可及以報道心算にて精々力を尽して調査したるも、諸般乱雑を極めたる上、朝鮮人を対手の事故何分速かに捗取り兼候。則仁尾主税官来り日夜勉励したる其結果も充分精確なるを得がたく候得共、当国現在財政上の情況に付ては、粗略ながら調査を得たり。其内借財の分は確実なるものにて、歳入の分は粗略なるものに有之。即ち左表を以て供貴覧候。

(「朝鮮国王及諸大臣ニ内政改革ヲ勧告ノ件/23 朝鮮ノ財政」p3、4より、()は筆者)

   朝鮮国内外債現在訊[甲子(明治27年)12月末]

第一号
外務衙門
 
  外国債元利未済高
  雇外国人給料滞り高
     計
688,992
22,933
711,925
000
000
000
度支衙門    
  戸曹各貢未下
  宣恵庁貢価及各様未下
  各庁料禄及恒式未下
  貢未下調査未済見積高
     計
157,121
285,231
453,713
50,000
946,066
230
604
734
000
568
  総計 1657,991 568

 

第二号
区別 借入金高 利率 元金償却高 元金償却未済高 利子延滞高 以上元利未済高合計
正金銀行
120,500

96,400

癸巳条12,050
甲午条12,050

1,928
〃 964

26,992
招商局
210,000
8
90,000

120,000
換算171,429

19,800
換算 28,286

199,714
清政府より借入電信公債
100,000
無利息
41,500

58,500
換算 83,571
 
83,571
同順泰
100,000
6
32,500

67,500
換算 96,429
 
96,429
同 上
100,000
〃 〃
27,000

73,000
換算104,286
 
104,286
ホンコンシャンハイバンク 墨銀
50,000

75

28,000
22,000  
22,000
第一国立銀行 130,000 百円に付
日計
22
・・・・
130,000
 
130,000
釜山借款
未詳
未 詳 未 詳 未 詳 未 詳 25,000
          687,992
グレートハウス給料滞り           16,933
ダイ 同上           6,000
合計           710,925

(招商局〜ホンコンシャンハイバンク)清政府及び清英商社よりの負債高共計50万6千円

 右の表中にて差当り償還を要するものは文武官の未払の給料等にして、其高四十七万六千円余なり。又清国政府及商社に対する負債五十万六千円の金額は、今直ちに償還の要なきものなれども、右の内には税関の収入を抵当として之れに先取権を与えたるものもあり。旁当国の財政上に於ける外国との関係は単に右清国政府及び商社に対する負債の一項に止まるを以て、平和終局の上は之れを完済せしめ置くときは他国との関係全く絶ち、将来の我財政監督上に於て最も緊要に有之候。

 又、次の二項即ち戸曹各貢未払及び宣恵庁貢価及び各様未払[貢米未払とは従前宮中にて買上げたる物品にして即ち代償未払の意なり]とは是迄商人に命じて上納せしめたる物品代償の未払の額にして、総計四十四万二千円余なり。尤も、此項の内には十年若くは廿年を経たるものも相混じ居り候え共、多分は昨年来の未払に係るものにして、当国従来の慣習に依るときは、此等は一々精確に受取ることを得ざる事情も有之候に付、此際之を処分するに当りても通常債務履行の例に拠ることを要せざれば、之を無利足の公債様のこものに仕換え、大凡七ヶ年賦を以て払渡さしむることをも得可く候。

 今仮りに此外国債六拾八万八千九百九十二円と、之れに加うるに文武官未払給四拾七万六千六百四十六円、慶尚、全羅、忠清、三道の救恤金凡弐拾万円小計百三拾六万五千六百三拾八円、再び之に加うるに今般新たに借入すべき金五百万円を合算すれば、総計六百三十六万五千六百三十八円と相成り、是即朝鮮政府の内外に対する負債金額に有之候。右の内にて若し我国にて税関の監督権を掌握せんとするには、前記清政府及清英商社に対する負債五十万六千円は、外に金主を求めて税関を抵当として負債を興さしむる見込に有之。先般来本官より第一銀行に勧諭して借入を為さしめんとしたるは此趣意に外ならず候。

 更に右公債の利率を平均九分とし、二十個年賦を以て完済するものと仮定するときは、初年度の元利金償却高八拾九万千百八拾九円となる。猶此外前記物品買上代未払高年■金七万三百三十六円を前項の外債年賦金に合算するときは、総計九拾六万千五百二十六円となる。是れ則ち当国政府が財政整理後、初年度に於ける内外公債償却の為め支出すべき総額なりとす。

 以上は朝鮮政府の負担となるべき金高を表示するものなり。尚左に政府歳入の概算を掲げて参考に供し候。但此歳入に関する調査は今暫くは精確なるを得ざる儀に有之候得共、度支大臣其他の調査に基き編製したるものに有之候。

種目 金高 (円)
地 租 5,000,000
平安道の地租 500,000
紅参(朝鮮人参)税 180,000
漁業及塩業税 12,000
火田 蘆田 屯田税 300,000
戸賦銭 1,000,000
海関税 500,000
  計 7,490,000

 本表に掲げたる歳入総計七百四十九万円は現在の姿にて政府が徴収し得べき税金の概算なり。而して此内、内外債償還年額九拾六万千余円を扣除すれば粗六百五拾万円の余剰あり。是則ち当国政府の政費に宛つべき概額にして政府事務の旧を改め、新事務を起さしむる範囲も自から之れに由て程度を制限せざるべからず。本官の見込にては先六百万円以内を以て程度とし、急激なる改革を企てざる限りは当国政府の歳費を充たすに足るべしと存じ候。

 当国政府の歳出は六百万円以内の金額を以て充すを得べきこと前既に之を述べたり。而して曩きに本官が申込みたる五百万円の公債は銀貨若くは銀塊なるを以て之を兌換基金として其四割即ち弐百万円なり故に、五百万円に対して則ち七百万円の紙幣を発行せしめ、以て細言すれば、実際七百万円の効用を為すべきものに有之候。即当政府をして計画せしむるところの改良事務を実行するの費途に充つべきものに有之候。

 茲に財政を整理し、紙幣を発行すると同時に改良を要すべきものあり。即ち貨幣制度是なり。抑も現今当国の貨幣制度は殆んど皆無にして其法貨として見るべきものは銅銭の一種に過ぎず。故に諸国に於て価格の標準と定まりたる金銀貨すら一たび此国に入るや通常の貨物に均しく、銅銭の相場に依て其価格を左右せられ居れり。然るに此銅銭たるや其量重く其質粗、到底価格の標準となり、貿易の媒介たるを得ざるものに有之。従て此貨幣の法貨たる以上は物品に対し一定の価格成立するを得べからず。此れ則ち財政を整理し、紙幣を発行すると同時に其改良を要する所以にして、之れに由て内外貿易の発達を助け、金融を円滑ならしめ、金利をを低廉ならしむる等、其経済上に及ぼすべき効果も亦た少なからざるべしと存じ候。去りながら、今直ちに之を実行せんとせば、政府は多少の損耗を招くの恐れあり。何となれば日清戦争と東徒の擾乱とは共に著しく韓銭の需用を増加し、従て其金銀に対する相場を暴騰せしめたり。事変前に在ては銀壱円に対するの韓銭三貫五百文なりしも、嗣後漸次騰貴し遂に一時は一円に対し壱貫五百文迄の高価を現わすに至りたるも、我征清軍は益々北進して朝鮮の国境を踰え、東徒の勢焔も幾分か減少するに従い、韓銭の需用逐次減少したるも尚目下銀一円に対し弐貫五百文迄低落したる。然れども之を事変前に比すれば猶壱貫文の差ありて、未だ平常の相場に復したるものと謂うべからず。今日の情況より推すときは本年五六月の頃にも相成候て此改良を実行するの時機に到達可致乎と相考候。

 前記凡そ七百五拾万円近くの歳入は先ず政府が徴収し得べきものなれども、其整理次第に因り多少増加するの見込なきに非らず。例せば、古来■境防備の費用に充てたる咸鏡道の租税を中央政府に徴収するが如き、或は権門に因り名族土豪の輩が租税を免がれん為め、廃田に帰したりとて地籍を没したるもの、及び権門に■縁して徴税を免がるゝもの、又は新田を開墾して政府に届出をなさゞりしもの、或は地方官の隠田と称え、同じく免税に帰し居るもの等、徧く調査を遂げたらんには、縦令現在地籍に存する者にして、実際廃田となりたるもあり。然れども尚幾分か課税地の面積を増すことを得べし。実に此田籍を隠蔽して免租を謀るの弊は近年に至り益々甚しきを加え、政府は之れが為め年々租税地の面積を縮小するに至れり。之を六典条例に徴するに、往昔当国租税地の面積は四百万結の収穫を以て計えたりしに[結とは田租賦課の為め定めたる収穫高にして一結の収穫は凡我五石に当る。而して之を三等に分け、我貨幣に換算して逓次六円五円四円に当るの税を課するなり]後、三百万結となり、次第に減少して今日に至りては僅かに百万結を地籍に存するのみ。如此有様なるを以て、若し概略の調査を施さば、縦令遽かに増して四百万結の往昔に復する能わざるも、二百万結内外に達せざるとも言いがたし。果して然らば此一種目に於て既に一余万円の収入を得ん。

 尚お右の外、政府の歳入を減少する原因亦尠しとせず。今其一二を挙ぐれば売官の陋習貢米の運輸上に於ける弊害の如き是れなり。当国売官の一事は御承知の通り、■て地方官の官職に就て行わるゝものにして其価格は官階の高卑、任地の肥痩に依て同じからず。慶尚官司の如きは、先ず十万円以内にして、其尤も廉なるものも尚壱万円に価いす。此代価は赴任に先ち王宮内にある別庫閣官庁と唱うる所に納付するの例規なり。斯くて買官者が其任地に於て関門税其他種々の名目を付し勝手に税金を取立つることは、政府之を黙認し去るなり。而して此地方官の任期は通例四年なるを以て、此期限内に於て先きに支払いたる納金を収復し、其上一廉の財産を蓄積するの風なるが故に、其管下人民に苛税を課するも亦自然の勢に有之候。此れ但だに地方長官の一職に限りたるにあらずして、其属僚吏胥雑役等に至る迄、各相当の価値を有する一種の株と相成居り上は、長官より下は小使に至るまで、大は小に取り、小又小に取る。其勢羽翼の互に相重りて圧迫するも、結局其重荷は最下層の羽翼に加わると同然買官の重荷を負担するは唯人民あるのみ。

 更に貢租上納に付帯する弊も亦た驚くべきものあり。例えば茲に百石の貢租を漢城に持来り納むるものあり。其上納者は実際百五十石を出さゞるべからず。而して此内五十石は収税官吏及其他雑役人等が貢租上納に際し種々の難題を構うるを防ぐが為めの賄賂となりて消失するものなり。
 将亦、貢米の運搬に付ては、一層甚しき弊習を存せり。地方米廩の蓄積米を回漕するに当り、地方官は之を回漕者に命じて運漕を受負わしむ。而るに此受負者は故意に老朽船舶を選び之を積載し、最寄の港湾に寄航し茲に積荷を卸し、舟を打毀して難破船の体を装い、当該地方官に訴出て、表向き正式の検査を受け、裏面より彼れに賄賂し、中央政府に向て難破船の報告を為さしめ、以て其積込みたる貢米を悉皆窃取するの狡猾を施すもの不少由に有之。

 以上、叙述せるはこれは聊か当国悪弊の極度に達したる弊害に就きき、一二を挙げるものにして、猶此外にも右様の類例は許多あり。而して今若し厳重に此等の悪習を革除したらんには、一方に於ては人民の負担を軽からしめ、又一方に於ては政府歳入の幾分を増加することなるべしと存候。

 由是観之、当国政府は税率を改正し、若くは実業を奨励して人民の負担力を増加する等積極的方法を取るよりも、寧ろ消極的の古来因襲せる諸般の弊習を矯め、制度の頽廃を整理するに因て歳入の増進を計るならん。

 右の如き概略故、本官が周旋者の地位に立ちて公債を勧誘する以上は充分確実なる担保を朝鮮政府に負わしめざるべからず。就ては彼五百万円の公債を愈々貸与するに当り、朝鮮政府をして左の条件を約定せしむる考に有之候。

 第一条 公債の抵当は全羅、慶尚、忠清三道の租税[尚お不足なりと思惟するときは更に黄海道の租税を加うる事を得]を以てする事。

 第二条 右の抵当には先取権を与える事。

 第三条 公債の償却を結了する迄は、日本政府の官吏一人を朝鮮度支衙門に出張せしめ、財政に付条件を付し、全体の監督を為さしめ、並に其租税を抵当に充てたる地方に日本官吏を派遣して租税の徴収わ監督せしむる事。

 第四条 公債の償還には全額完済の年限を定め、毎年度末に於て其年度に償還すべき元利金を払わしめ、若し抵当に充てたる地方の租税事故に因り此償還額に充たざるときは、国庫収入を以て其不足を補償せしむる事。

 第五条 公債の抵当に充てたる地方の貢租収入の手続に付ては、朝鮮人民中の財産家と日本債主の代理人との間に共同組合の約束を立たしめ、朝鮮政府の命を受けて国庫金の取扱を為さしむる方法を定めしむる事。

 第六条 日本人を以て朝鮮政府の総税務司に任ずる事。

 右第一条に於て全羅、慶尚、忠清の三道の租税を抵当としたるは、此三道は当国中最も豊饒の地方にして、前已に述べたる如く、国の宝蔵とも称する程なるが故に、之を撰びたるものなり。而して此三道に次ぐは黄海道なるを以て右三道にて不充分なるときは此一道をも加うることを得るものなり。
 第二条に掲ぐる先取権の実行を確実を確実ならしむる為め、第五条に記載の方法を設け、日本人と朝鮮人の組合に於て租税の収納を取扱うに当り、其収入金より直に償還に充つべき元利金を支払わしむる趣向なり。
 第三条に記載せる日本政府官吏は純然たる日本政府の出張員として当国財政の全体を監督するものにして、又財政の改良に付、条件を具えて容喙せしむるの必要あり。何となれば今日の朝鮮人の如く疑惑離間を事とし、最も財政の事に未熟なる官吏を信任して此大金を貸与するを危険と為すが故なり。又抵当地方に出張すべき日本政府官吏は其地方租税の徴収を監督し、傍ら地方の弊害を矯め、地方官吏事務の熟練を得せしむる為め、地方官の処理に容喙せしむるものとす。何となれば、現今の如く地方に於て売官鬻爵等の弊害広く行わるゝのみならず、官吏の事務に不熟練なる以上は到底公債担保の取扱を彼らに一任することを得ざるが故なり。第五条に朝鮮財産家と日本債主の代理者との共同組合をして公債の抵当に充てたる地方の貢租を取扱わしむることと為さんと欲するは、若し日本人のみをして内地に在て右等の事業を行わしむるときは、他外国人に於て最恵国条款に拠り多少の難題を申出るの恐れあり。故に日本人と朝鮮人とを合同せしめ且つ朝鮮政府の命に拠り国庫金の取扱を為さしめんと欲する次第なり。
 第六条にある総税務司は日本人を以て位することは既に昨臘年越金貸付の時に当り、当政府をして領納せしめたり。併しながら目下英人ブラオン氏、同職に在って尚お一ヶ年間勤続を望む由に有之。此際強て之を解雇するも英領事に対し面白からざる感情を与うるの恐れ有之に付、今年中に雇満期となるを待ち、日本人をして其後任者たらしむることを約束致し置きたる次第に有之候。

 近来我邦新聞紙の説く所并に続々渡韓し来る有志者の論ずる所を聞くに、何れも皆日本の利益をのみ主とし、或は鉱山を我手に於て開くべしと云い、或は我人民を内地に移植すべしと云い、或は製魚場を設立すべし等、工業に商業に只管ら我利のみ是れ図るを唯一の目的とするもの多々増加せり。本官は我国の利益を増進せしめんことは希望する所なれども、唯一図に日本人民の利益のみを啚(はか)るときは則ち朝鮮の利益は悉く日本人に帰するの結果を来す。斯の如くに至るときは、朝鮮独立の実は何に依て成立するを得るや。是れ則ち日本政府が朝鮮を独立せしめんと公言したる趣意と矛盾するに至らん。因て本官は朝鮮に対し将来彼れの利を奪わず、我の利を失わず、相互の利益を並進せしむるの方針を取らんと欲する考に有之候。猶仔細の事情岡本氏より御聞取相成度候。

 右報告旁申進候也
明治二十八年二月十七日
     特命全権公使井上馨
  外務大臣子爵陸奥宗光殿

 追て一般歳入額并に当年歳費額等確実なる取調出来次第御送付候可度候。

朝鮮公債廿ヶ年賦償還額計算表[但、利息年九分の割]
(略)