日清戦争下の日本と朝鮮(7)補足資料

 

 

(「朝鮮国王及諸大臣ニ内政改革ヲ勧告ノ件/2 第一号 〔内政改革ニ付外務協弁トノ談話」より現代語に)

第一号
明治二十七年十月二十五日仁川着の当日、仁川領事館に於いて公使出迎えの為めに特派された外務協弁金嘉鎮氏との談話筆記。

 一応の挨拶終わり、

 「今回貴政府は我が国のためを思われ、特に我が国の事情に明らかなる閣下を駐箚公使として簡派されることになったと聞くや、我が政府は[政府というのは彼等の党の意味であろう]切に閣下の来着を待ち設けている。なにとぞこの上は何事も閣下を頼り、及ばずながら我々も我が国家の為めに尽すことがあらんとす」

井上「貴官は久しく我が国に駐箚されてよく我が国の事情に通じられるが、実に今日は一方には日清開戦中にあって国事多端の時である。拙者も内務大臣として国政に参与暫くも暇のない身であって、枢要の職にあったにも拘わらず、我が天皇陛下の命を奉じ、貴国に駐在するに至りたるは抑も日清間交戦の原因は、即ち貴国の内政改革にある。しかし、もしも貴国内政改革に独立の実を挙げさせる目的を達することが出来ないならば、せっかく我が国が数万の軍兵を出して血を流し、幾千万円の財を費やすも全く水泡に属するだろう。それゆえに貴国の内政の成功如何は大いに我が国の目的に関することなので、畏くも我が皇帝陛下はこれを以って叡慮を悩ませられ、国家多端の際にも拘わらず、拙者を広島に呼ばれ、是非渡韓の上、貴国大君主はじめ当局者に勧告して何処までも貴国内政を改革し、独立の実行を奏せられるよう致したいとの御思し召しよるものである。それなのに、拙者が貴政府部内の事に関してこれまで聞き得たところによれば、随分紛雑を生じて改革のことは容易に捗るべき見込みがないという。思うに改革のことは頗る困難の大業なれば、宜しく王家の一致ならびに当局者の同心協力一意を以ってこの難局に当る決心がなければならない。かりにもそうならずに互いに私怨を挟んで、或いは私利を営み或いは権勢を争うようなことがあっては、到底改革の実効は望むべくもない。拙者は貴国に対しては最も公平の意見を抱き、これは何党、彼は何党だと言って、何れの党派に左袒し、何れの党派を助けるというような偏頗な処置をするものではない。第一に王君主陛下、第二に中宮陛下、第三に大院君と、この間柄が最も親密にして少しも疑念のなく釈然和衷であるということにならないなら、王室の強固なることは望むべくもない。王室が強固でないのは政府が強固でないからである。拙者はこの点について充分大君主陛下はじめ各大臣にも勧誘いたす覚悟である。貴官にも篤とそのへんを注意されてこの度は一層国家の為めに尽力されたい。実は拙者も着任早々でまだ貴政府部内の実況を知り尽くしていない。したがってまだ何の定案もない。いずれ追々諸君の意見を叩き、鄙見をも披瀝し、以って我が皇帝陛下の誠意を貫通し、漸を追って着々と歩みを進めて改良の効を奏して独立の実を挙げんとするに外ならない」

 「今日に於ける我が国の事実に歎息に堪えないのである。我々同志数人の者は、切に内部にあって奔走し改革を広めるも、種々刺撃に遇い何事も中途にして阻喪することが多い。それに加えて当局者の中にも口には開明主義を説くも、その内幕に入るなら必ずしもそうではない。目下はなかなか以って我輩数人の力では如何ともすることが出来ない。殆ど絶望の域に沈むものである。しかし幸いにも閣下の来往を得た以上は驥尾に付し、我々も及ぶ限り国家の為めに一層奮発すべし」

井上「最早今日の好機会は再び来ないだろう。徒に猜疑離間、或いは朋党の争闘と旧怨の復讐に日を送り、改革の実効を見ることもできないなら、貴国の前途は察するに国歩艱難の極に再び至るだろう。拙者も貴国内政改革の助援に与り、如何に力を尽しても到底望みないものであると見做すなら、せっかくの我が天皇陛下の御思し召しに背くが致し方ない。拙者は状況理由を奏請して進退を決するだろう。実に今日は大切の場合なので貴政府の当局者も熱心に事に当り、かりにも逡巡して日時を移して時機を失うことは出来ない」

 「真に貴意の如し。この時機を失うならば再び我が国のことは望むべくもない。されば何分にも閣下に頼んで改革の実効を挙げたい。また閣下の御注意に我が政府部内にも一々透徹するよう拙官から取りなすべし。拙官も今日の地位は外務協弁の重職にあるが事実は無才無能甚だこれを恥じる。これによっても閣下には我が国には人物が少ないことを察せられたい。云々」

 右にて金氏は、いずれ京城で委細面談すべしと辞して去る。

 

 

(「朝鮮国王及諸大臣ニ内政改革ヲ勧告ノ件/8 第六号 〔韓国王ニ謁見顛末〕」より、()は筆者)

第六号   謁見顛末

 明治二十七年十月廿八日[即本使着任の翌々日]午後三時新宮、大君主陛下へ謁見、国書を奉呈したる迄の儀式は前例に異ならざれば、茲に掲載せず。惟当日大君主陛下の勅語并に本使の言上を左に載す。

本使 「嘗て尊顔を配して以来此に十年、今日復た我皇帝陛下の命を奉じ来って闕下に駐箚するに当り、大君主の隆昌に渉らせりるゝを拝し、国書を奉呈するは尤も光栄する所なり」

   於是、大鳥公使の御解任状を始め御親書共都合三通を順次奉呈す。

大君主「貴国皇帝陛下の国書は朕一々躬ら之を収覧す。曩に卿を見てより已に十年を経て今再び卿を此席に見るを得たるは朕が大に満足する所なり。卿本国を出るの日、貴国皇帝陛下は御健康に渉らせられしや、亦政府大臣も壮栄なりしや」

本使 「我皇帝陛下も宝祚旺盛に渉らせられ、政府大臣も亦壮栄なり」

   右にて一と通りの儀式を了りたれば、世子宮内外務両大臣并に杉村書記官の外は退席を願い、通弁は国分書記生なり。

(以下談話が長文なので、読みやすいように適当に改行段落を付す)

本使
 今や日清両国干戈を交え、之が為め我政府頗る多事の秋なり。馨(井上のこと)、亦国務大臣の一員にして国家の重職に任じ、身、須臾も国を離るべからざるの地位なるにも拘わらず、特命全権公使に転じ来って闕下に駐箚するに至りしは、我皇帝陛下の聖意たる貴国を助けて宿弊を除去し、独立の実を鞏固ならしめざるべからずとの御趣意に外ならざる次第なり。

 抑、現今日清の間干戈を動かすに至りたる事の主たる原因を先以て奏せんに、去る明治九年に於て江華の出来事たる貴国の兵隊、我軍艦を砲撃し、吾上下一般憤激に堪えざるに、我皇帝陛下は尚平和の局を結ばせんが為め、黒田全権大臣并に馨を副大臣として貴国に簡派せられ、当時江華島に於て陛下の全権委員と相会し談判を重ねたる末、陛下の委員は明言して自主独立の邦国なりと。又我政府も貴国の独立たるを望みつゝありし故、此国と対等の権利を以て修好条規を訂結し、則ち率先して貴国を独立国と認定し、尓後他外国も続々対等を以て結約するに至りたり。是れ恰も貴国の独立国たるを世界に紹介したるが如し。

 去る十五年に至りては、再び貴国の兵隊は吾公使館を不意に砲撃し、我公使を辱かしめ、終に止むを得ず直に公使に兵隊を率い大君主委員と談判を遂げ、漸く平和の局を結びたり。
 又十七年は則ち十五年の役に起因し、貴政府の望みに応じ、多少貴国の独立を補益せんとしたるに、或は自ら猜疑を起し又は清国に依頼し、終に干戈を動かすの不幸を来たし、再び馨自ら大兵を率い貴国に来り、陛下の委任大臣と交渉弁論を重ね[当時清国は呉大澂を派したり]、終に平和の局面を維持し帰国の上、我皇帝陛下に復命するを得たり。嗣で我政府は清国と天津に於て談判を開き、成るべく貴国の後害を防止せんことを努めたり。

 尓後動もすれば時々平和の基を動揺せざるはなし。過去を回顧し現今清国と開戦に及ぶも、貴国に対し怨に報ゆるに徳を以てしたるは其蹤跡を篤と御考究あれば明了ならん。
 然るに豈ぞ図らん、清国の行為之に反し、頻りに貴国の属邦を主張し、且日韓両国事件の生ずる毎に陰に陽に内政に干渉する度を嵩め、之れが為め屡日韓両国隣交の基と両国人民通商の益を害し、常に動揺の中に漾々たる姿なり。故に為之東洋の局面常に陰晴定まらず、今日迄漸くにして弥縫しつゝ来りし有様は、之れを衣装に譬えば恰も取繕いたる弊衣を補綴しつゝありたる形と■■、寧ろ新衣に更ゆるか、将た又大作断を行うて之れを修補し、其妨害の原因たる一怪物を除去せざるを得ず。

 先是我政府は事の此に至らざらんことを慮かり、清国に謀るに彼我協同して貴国の内政を改良し、因て以て後来の患を除かんことを欲し、文書に弁論に具に勧告して遺す所なし。可惜彼清国は、却て之れを除去し、頑然図を改めず、不幸にも今日の■合に推し移れり。抑も誰人の罪ぞや。

 去れば行き掛り上、我国は貴国内政改革の事は飽迄大君主陛下并に陛下の政府に向って勧告し、独立の実効を奏する丈の幇助は是非共達せざるを得ざるなり。

 抑当今東洋の大勢は日に月に多事■■の情■を顕しつゝあり。
 魯西亜は欧羅巴、亜細亜中の大国なり。其壇域の拡き其版図の大なる、遠く亜細亜に身を近く貴国の越境に接せり。又其建造中にある鉄道線路は七、八年を出ず。中央亜細亜を横断して浦塩斯徳に達せんとす。邦土夫れ彼が如く広大に国力彼が如く強勢なるも、其地北陲に偏在するが故に、亜細亜中四時の季候船舶の繋泊に便ならず。冬期の結氷に不自由あり。故に彼れ英国と東洋に衡て争わんと欲せば、勢一の良港を東洋に求めざる可からず。英は又之れに反して、東洋已得の商権は成るべく之れを永久に維持せんことを欲し、魯を拒んで独り専有せんとす。夫れ魯英の東洋に駆馳拮抗すとの形勢已に如此く、隙あれば機に乗じ、利あれば直に之を収めんとす。

 豈啻に魯英のみならんや。法もあり、独もあり。皆、国として自国利益と勢力を経営するに汲々たるは当然の務たり。
 此時に当って清人の蒙昧なる、世の趨勢を顧みず、徒らに旧弊を墨守し、自大是れ屡自家の力を計らず、曩に法と事を構えて忽ち福州の一敗地に塗れしも尚自ら暁る能わず。去れば先に仮言せし如く、所謂弊衣の補綴一度破綻したる上は、将来何点迄に止るや知る可らず。故に東洋局面も何の日何等の椿事を生ずるやも逆視すべからず。

 果して然らんか、貴国の内政速に改良を加え、独立の実を挙げ、其基礎を鞏固ならしめざるに於ては、前途何等の不幸を来すやも知るべからず。否悔いて及ぶ能わざるの歎あるべし。又た一歩を進めて貴国の内政改革が我に於て如何に必要なるかと申せば、政略上先ず姑く措くも、貴我商業上直接の関係を有する故に貴国に留まって商業を営む数多の我人民の、云う可からざる不幸に沈淪すること再三にして足らず。現に十五年にまれ十七年にまれ、其他幾多の損害を受けたる実例は屈指に遑あらず。是れ必竟貴政府が力微弱にして振わず、紀綱廃れて■らず、宿弊湧出せるに因れり。之れを匡正するの法は内政改革を措て他に手段を講ずべきなし。

 我皇帝陛下は帝国臣民を保護せらるゝと同時に、其利益を保護せらるゝの責任あり。帝国の利益は帝国臣民の利益に因るものなれば、将来貴国にある帝国臣民の利益を保全し、平和を永久に維持せんと欲せば、勢亦大君主陛下に対し其内政の改革を勧告せざるを止むを得ざるに出づるなり。

 王室の鞏固ならんことを要す。第一国政改革の実を挙げさせられんとならば、須く先ず王室の鞏固ならんことを要す。[此時陛下は宮内大臣を顧みて、然り々々王室の鞏固、と幾たびも繰返し、大に御満足の体に見受けらる]
 王室の鞏固とは如何。即ち上は大君主を始め中宮、世子の御三人と大院君との御間柄は、尤も親密に少しの隔り少しの隙間なきを云うなり。若し不然して御互の間に彼此疑念を抱かせられ、他の覬覦を招かるゝ如きこと万一にも有之りては、到底王室の鞏固は望むべからず。本固からずして枝栄ゆるものなし。
 王室の方々にして協和親密なる能わざらんか、下って陛下の政府并に下臣民も亦猜疑離間各其徒を樹て、新と云い旧と云い、只勢権の地位を争い、現今の如くんば貴政府の鞏固も是亦望むべからずして、国政改良の実、終に見るべからざるに了らんとす。

 去れば王室の協和が王室をして鞏固ならしめ、政府の協和一致の政府をして各其職を守り堅牢不壊ならしむ。我皇帝陛下特に此事を望ませらるゝ次第なれば、大君主陛下に於ても必ず聖意を此に注がれんことを切望せり。
 聞くが如きは、已往十二、三年前より陛下と大院君との御間柄、兎角御疎遠勝に渉らせられしとか。
 [此時宮内大臣傍より、世間に云う如き程の事はあらざりし、と弁疏す]
 又た近日中宮陛下との御間に於て厭う可き風説すらありし。
 是れ等は王室の安寧に取って頗る痛歎すべきものにして、向後共決して此等のこと無き様切りに願わしけれ。何となれば、中宮陛下とは御夫婦の間柄、又た大院君とは御父子の御間柄なれば、人倫の上に於ても最も御親密ならざるべからず。又た世子宮は向来王位の御相続者即陛下万歳の後の大君主に渉らせらるゝれば、申迄もなく此間柄は最も御親愛ならざるべからず。斯の如にて而して朝鮮の国利民福共に享くべきなり。

 [此度事件後三ヶ月間国政改良の実未だ毫も挙がらず。]陛下の百僚は兎角協和一致の賢を欠き、互に私党を樹て相争い、或は猜嫌の念相反■し、或は勢権争奪に忙しきなど、徒に時日を費し、此頃に及ぶも改革の実、更に挙らずと聞けり。
 申も如何しきことなれども、貴国人の性情として某々陰謀を企て、暗に己を傷くるの意あり、誰々は意中図られずとなし、互いに相疑うの極、所謂疑心暗鬼を生じて相鬩ぐに至ると云う。
 斯くては陛下中興の大業も到底望を絶たざるを得ず。尓今宜しく釈然啚(はかる)を改め、各々猜疑の念を一掃し、国事に尽瘁し、内政改革の実を奏せられんことを望む。
 若し然らざるに於ては、我日本が今日迄、尚此終局迄、幾千の精兵を失い人血を流し、億を以て数うるの軍資を惜しまず事に従事したる素志も水泡に帰せり。殊に我皇帝陛下は大元帥の職を尽されんとて大本営を広島に進められ、軍事の計画は都て躬親からせられ、並に目下国務多端の際にも拘わらず、重要の職に在る馨を特に使臣として闕下に駐箚せしめられたる陛下の御趣意に適わず。

 故に、馨必らず偏せず党せず、今貴政府部内に存ずる幾個の党派中、何党を助けんとか何党を排斥せんとか云う如き偏頗の見を執るものにあらず。要するに貴政府をして公平無私協同一致以て国務改良の実を挙げしめんと務むるのみ。
 古来因襲の久しき幾百年を経て終に今日の頽敗に沈める貴国をして、一朝一夕所謂晴夜日光の灼然たるを観る如き目覚しき改革を行わんとするも得べからざれば、先以て出来得る限り其度に応じ緩急宜しきを量り、漸次進行せしめ、中途敢て蹉跌退歩の患なからしめたし。
 去れば使臣闕下に在る以上は、誠意誠心貴国の為め努力して陛下中興の大業を暗に翼賛せざるを得ず。

 就いては屡々内謁見を請い、何事に依らず貴国の為め言を進むることあるべし。或は馨、単樸の性質、陛下の御思召に逆うことも侭々多かるべしと雖も、夫は良薬口に苦きも病に利ありとの譬えもあれば、恐らく陛下の為め裨益なしとせず。請う予め諒察せられんことを。
 又大君主陛下に於ても馨を一般の公使とのみ見做し給わず、即ち我皇帝陛下の特別なる御親任に依て簡派せられたる馨なれば、充分御信用相成り、一の顧問官として何時も直に御召あって御下問あらば、馨不肖なりと雖も赤誠を注いで奉答致すべし。上陛下に於て馨の御信用如何は大に全局に影響致す儀なれば、先以て陛下の御信用を得、然る後貴政府全般の信用を受くべきなり。
 斯く申せばとて、使臣が貴政府部内に大なる勢力を得様などゝ云う如き野心は決して無し。其辺は少しも御念慮に及ばず。惟だ左なくらば折角我皇帝陛下が馨をして当国に派せられたる御趣意と相齟齬するの恐れ少なからざれば、予じめ茲に一言奏上致し措ざるを得ざるなり。


大君主
 貴国多事の際、殊に卿が要職に在るの身を以て我国に駐箚するに至りたるは、卿が已往屡々彼我交渉の難局に折衝し適当に処弁したるの結果にして、貴国皇帝陛下が我国に対せらるゝ厚き聖意の程推測られて感佩に勝えず。実に斯くまでとは思わざりしに、卿の奏言に拠って殊更に之を諒するを得たり。
 聞く、卿は貴国維新に当って力を国事に致し、国家の元勲として其名夙に高し。今我国創業の際に当り卿を此国に見る。惟うに卿必らず曾て其自国に試みたるの実験を以て我国改良の実を挙げ、独立の基礎を固うするを得ば何の幸か。加之れ朕は卿の奏言を嘉役し、今後顧問官として屡々卿を引見するの日多かるべし。卿も亦朕が政府大臣と交際し、隔意なく緊要の勧告と裨慮を与えんことを望む」

[陛下は此時宮内大臣に命じ、時に特に椅子を本使に賜わりたれば、本使に陛下が御椅子に■ける様■せり]


本使
 聴明なる陛下の御言葉は感銘せり。又我皇帝陛下の聖意を使臣の奏言も因て具に諒察を垂れ給えりとの事、馨の光栄之に過ぎず。直ちに其由を具して我皇帝陛下に転奏すべし。

 而して尚お一言奏上致置たきは、我政府は去る明治九年已来、貴国に対する主義は終始一貫にして決して変ずる所あらず。即ち今日と雖も矢張初発の目的を引続けつゝあること是なり。約言すれば、我政府は貴国に対して無限の好意を表するものなり。去れば何事に拘わらず貴国の不利益と思う事柄は飽迄之を矯むることを努め、貴国の利益と思惟せらるゝ事柄は、強て御勧めせざるを得ず。
 然れども馨、此地に在る已上は、已上の目的を達せんが為め兵力を一徒党に借し、其事を成さしめんとするかの如き事は決して致さゞるなり。其辺は叡慮を安んぜられて可なり。之れを聞く、先頃朴泳孝より此際我兵力を借り、王宮に迫らんとするやの風説ありしよし、御心情を悩まさるゝに至り、大に宮中の恐怖を来したりとか。是れ全く猜疑と離間の致す所に外ならず。惟うに一事の流言に過ぎざるべし。大鳥公使は如斯軽率なる人にあらず。然れども若し大君主陛下の御依頼もあらばいざ知らず、只だ通常一個人の間に兵力を貸し、以て其の者の欲を逞うせしめんとする如きことは決して聞召候筈なし。

 是れ迚も大君主陛下始め陛下の政府の人々が我国に対して疑惑未だ釈然たらざる所ありて然る所以にして、歎息の至りなり。然れども最早前段奏上したる如く、我陛下并に政府の誠意の存らん所は御了解在らせられたる事なれば、此の先き決して此等の風説の惑わされ御驚動あらざる様願わん。尚又風説の疑わしき点もあらば直ちに馨を召し、御下問相成るに於ては必ず誠実を以て奉答すべし。之を要するに馨は陛下に御不安を与うる如き陰険事を謀る人物にあらざるなり。左すれば陛下の顧問官にして充分御信用あって然るべし。
 然れども世間不意に何等の出来事なきを保せず。縦わば匪徒外に顕わるゝか内訌内に起るか、苟も王宮の安危に関し叡慮を悩まさるゝ様の事ありて、馨に其保■を御托し相成るの日もあらば、不肖馨必ず応分の力を致し、陛下の為め叡慮を安んずることを努むべし。


大君主
 卿の奏言一々切当せり。朕も卿が懇切なること夫れ如此くんば、大に安堵の念を為すなり。


本使

 聖聴に達したるや否や知らざれども、我北征軍は已に貴国の国境を踰え、乕(虎)山の戦を之に捷ち、九連城を占領し、尚お進攻しつゝあり。日清間の戦争は如此着々歩を進むるに、顧りみて貴政府改良の進行如何を見れば、前已に陳奏する如く徒に優柔不断。此れ三月余の久しき一事の実行を得るものなし。斯くて如何が被成るゝ聖意なるや、将又、陛下の政府大臣は何事を為しつゝありや、軍国機務処の如き幾多の法案裁可を経たるも其議案は殆ど文具と異なら■るなきか、一々其根源を推せば事頗る多岐に渉る恐れあり。又此に至る迄の仔細に就ては確かに聞込みたることあれども、今殊更に奏上するの必要なし。


大君主
 屡ゝ此事を憂て政府大臣を督責し、已規の法案中、民度の適否を察し、緩急に応じて速かに実効を挙げんことを命じ置けり。


本使

 東学の匪徒昨今益々猖獗を極むるとの事なり。然るに右東学中、或る者の口供に拠れば、地方官の苛斂貪■に堪えずして憤懣の余、竟に匪徒に加わるもの多きに至りたり。是亦宿弊の増長紀綱の弛みたる一端なれば、兎に角国政の改良は今日の焦眉に属し、一日も速かに良民を塗炭に援うの途に就かんことを切望せざるを得ず。


大君主
 東学匪類、宗教を以てするものあるも、中には卿の言の如く、地方官の失政に起因するもの往々あり。是れ朕が不明に出て畢竟官紀の厳粛ならざるの致す所にして、慙愧の事共なり。


本使

 啚(はか)らず今日微衷を披瀝して長時間に渉り多く聖聴を冒疾す。惶懼に堪えず。


大君主
 否々、朕は却て卿と相見て其奏言を聞くを嘉々す。

 右にて退出を言奏し階を下り更に別殿に大院君に面会したるも、時已に点燈に及べるを以て一と通りの挨拶を為し、単簡に王室の和親協和に関する勧告を試み、程なく退出せんとすに当り、同君は、明日午後二時答礼■に公使を訪うべきことを約せり。其れより随行員一同共に宮を出て帰館せしは六時過なりし。

 

 

(「朝鮮国王及諸大臣ニ内政改革ヲ勧告ノ件/6 第五号 〔内政改革ニ付英国総領事トノ対話〕」より現代語に)

第五号
明治27年10月29日午前、井上公使は同僚を訪問した。その節、英国総領事兼外交事務官ヒリイヤー氏との対談概要は次のようなものである。

 寒暖の挨拶終わり、
ヒリヤー「閣下のお話を聞いて我が政府に報告する事を得るなら幸いである」

井上 「拙者の性質は最も単純であるから、貴下に対してもその天真を曲げないで言おう。そもそも我が日本の朝鮮国に対する真意は終始一貫変わることなく一意専心ただ当国が中央及び地方の政治を改良させ、その独立の実を挙げさせること、などを切に希望する以外に他意はない。なお詳らかにこれを解説すれば、明治9年に当り交渉事件発生し、拙者も全権副使臣としてこの国に渡航し、協議を経て立約せんとする際、当国政府全権委員は主として独立国であることを称え、我が日本国に於いてその独立国たるを認め、且つ日本政府も朝鮮国の独立国たるを最も翼望した。これにより我が政府は東洋の大局の平和に着目し、終にその決約をした。以来1882年、1884年の騒擾の外は年々多少の面倒が起きない年は殆どなかった。その都度我国通商上の利益及び我が臣民の貿易上の利益に困難と損害を与えないことがなく、すなわち陰に陽に清国政府の干渉の度を漸く高める一大原因であった。遂に今回のような一大紛擾を生じ、その極遂に我が臣民の利益を保護するため、朝鮮の独立を確立せしめ、永く東洋危乱の種子を絶たんが為め、朝鮮政府に止むを得ぬ手段を施さざるを得ざるの機会に遭遇し、その際我が政府と協同して朝鮮内政改良の考案を清国に提出したが、不幸ならずもその提案は清国政府の排斥するところとなり、終に不幸にも日清の開戦となったのは、拙者の最も遺憾とするところであるが、一旦開戦した以上は、戦争はその極限にまで至らざるを得ない。しかし朝鮮政府の現今の状況如何を察するに、幾多の朋党互に相争い、猜疑離間互に権勢を争い、議論に日時を費やし、最も緊要なる改良の事業にいたっては爾来三ヶ月となるも何等の成績なし。このままでは今後も不慮の災害を再生して折角我が日本が切望する東洋全局の平安を害する種子を絶たんと欲する目的も水泡に属するのみならず、却って新たにその平和を害するの一大種子を生じる虞がないとは言えない。例えば朝鮮は一大病人である。故に何人かこれをよく診察し、病根のあるところを診断し、適当なる薬料を与え健全の身体に復させねば、自身自ら健康体に復するは遂に望むべくもない。そして医者の薬料は時に或いは服用に苦しむ苦味のあるもまた当然のこととして、このために朝鮮自身もまた他の外国も不要の干渉をなすが如く推想を起さんも図り難い。要するにこれ一に病人の健全体に復することを希望するの良意たるに外ならないのである。以上の次第を以って拙者はここに改良の真意は一に朝鮮を指導し、確乎たる独立国たらしめ、東洋全局の平和を永久に維持せんと欲するの外他念のあることがないのを明らかにするのである」

ヒリヤー「閣下の言は甚だ好い。且つ詳らかに貴意を了解した。閣下の単純なる言明を深く謝す。今ここに1、2点閣下に質疑せんと欲するものがある。その第一は今この国は最も貧乏にして財源なきを以て何等の事業を成し得ない有様である。閣下は今この国の改良を指導されるに当り、国債でも起こそうと欲せられるや」

井上 「現在の宿弊の現存する上は、たとえ何ほどの財源があるとしても、決して有益のことに費やすことなく、却って無益費用のみであろう。故に先ず中央の組織並びに地方の政治を改良し、歳計の如何を明瞭にした後、財源の有様も深く研究し、果して急用欠くところがあるとするなら初めて国債のことも勘考しようと欲するのみである」

ヒリヤー「閣下は今この国の改革を指導されるに当り、この国をして数種の顧問官を用いさせる必要を認められるだろう。そしてこの点について日本人が大部分を占めるのは勿論理の当然であろうが、いくらまでその他の外人を許容される考えなのか」

井上 「拙者目下の観察は一般に亘る大局であって先ず大局上に一段落を結び、そして更に進んで各部の行政及びその他の事情を詳らかに研究しない以上は、顧問官などのことについて何等一定の考案をなすことは出来ない。故に今日は急に顧問官を推薦するような考慮は急ぐものではない」

ヒリヤー「閣下は已に拙者に対して単純明快である。拙者もどうして閣下に対して淡白とならないでいられようか。実は当国関税のことである。閣下も已に御承知のようにこの国は政府の各部に於いて税関のみ整頓していると言い得るものである。そして税関を管理するものは清国総税使ハアト氏の部下より分派したもので、多くは英国人であるとする。これを以て拙者が本国政府から受領したところの訓令には税関組織を変更するのは英国政府の大いに不快とすることなので、その趣旨を当国政府に申し込むべしとあった。当政府は已にこの一部は決して従来の有様を変更しないことを明言した次第である。当国税関事務長ブララン氏は実に有為の人であって、閣下の真意を知るなら必ず当国改良の事業に於ても充分閣下を補助することを信じる」

井上 「税関のようなことは急にこれを着手する必要はないと信じる。追々事業の進捗に於いてはこの点について貴下並びにブララン氏とも意見交換する事を喜ぶだろう」

ヒリヤー「なお一点は閣下の御参考に申し置きたい件がある。則ち拙者は先役在任中、当政府と英国の1シンジケートとの間に1つの鉄道を布設すること、鉱山開発すること及び外債を興すことの約定を結んだ。しかし拙者が帰任の後、すでにその約定期限は経過したので、これを機会として拙者はこのことを全く放棄した。要するに拙者は日本が指導者となり、この国を開明に導くの初めに当って、なるべく他から手を出すのは利益とならないと信ずる。当国の改良事業が已に一段落終わり、万事緒に就いた日には、各国互にその通商の利益を均有することは最も望むところであるが、今日はなるべく事端を単純の緒に採らせることを望んでいる」

 

 

(「朝鮮国王及諸大臣ニ内政改革ヲ勧告ノ件/9 第七号 〔大院君トノ対談顛末〕」より()は筆者)

第七号
   明治廿七年十月廿九日、公使館に於て井上公使、大院君と応接筆記
   杉村書記官参席、領事館書記生塩川一太郎通弁及び筆記。

一応寒暄の儀了りて、
大院君「貴国の公使とは是迄追々交際して親密にしたるも、孰れの公使も在任久しからざるが為め、其交際も永続するを得ず遺憾なり。独り杉村書記官は[此時杉村書記官を顧み微笑して]久く仕勤すれども、同氏は余と反対の人なれば余は同氏を好かず。何卒閣下は永く御交際せんことを望む」

公使 「閣下と親密の交際を為すことは余も希望せり。抑々杉村とは反対の考を有すとは、同人永く仕勤して能く貴国の衷面の事情を知り居るが為め、閣下が御嫌なされしなるべし。余も永く仕任して内部の事情に通暁したらんには、或は閣下より嫌わるゝに至るも計られず」

大院君「[苦笑して]余の杉村を悦ばざるは同氏は余に贈物少きが為めなり[と辞を他に移す]。又此回貴国が我国の為斯く御尽力降さるゝは感謝に堪えざる所なり。去れど熟ら思うに、御尽力降さるゝに平和の手段を以てせられしならんには一段の都合なりしに、事茲に出でずして兵力を以てせられ、遂に民心を沸騰せしむるに至りしは返す々々も残念に存ずるなり。閣下の御高名は予て承知せり。以後は閣下の御尽力に依り、一層事の成就せんことを望む。余の意見は多弁を須せずして閣下に申上げる事を得」

 此時大院君、杉村書記官に向て紙筆を求め、杉村書記官、之を進む。大院君筆を執りて「漢高帝之得天下心也先以約法三章合執応可知也」と記し、公使の前に差出し、

大院君「是れ即ち余の意見なり」

公使 「今回、我皇帝陛下の特に重要なる国務の任に当り居る余を貴国に御派遣ありせられたるに付ては、深き叡慮のあらせらるゝ次第なるは閣下に於ても篤と御承知のことと存せらる如し。余は是れより我皇帝陛下の叡慮のあらせらるゝ所、及び我政府の意向を閣下に申上ぐべし。就ては閣下に於ても御腹蔵なく意見を述べられたし。此回我政府が億を以て数うるの財を吝まず、人命を賭して此挙に及びたるは実に貴国の独立を鞏固にし、以て東洋の平和を保全せんと欲するに外ならず」

大院君「此回の挙は貴国が我国を自主の国とし独立の国となし、以て欧州に対し東洋三国の安全を謀らるゝに出でたるは、余の已に業に承知致し居る所なり。閣下は只今貴国皇帝陛下の御覚召云々を説かれしが、斯は余に於て余り惶悚の至りに堪えず。又閣下の御説は宛然豪傑の士説く所にして、規模小なる余輩が之を聞くも只々恐怖の念を生ずるのみにて御答の致し様なし。且事の前後を鑑るに貴国政府の意向と貴国皇帝陛下の御覚召とは或は相違する事もあるべしと思い候」

公使 「陛下の御覚召は即ち政府の意なり。陛下御叡慮の外に政府の意あること更になし。此議は閣下に於て堅く御承知相成置かれたし。扠手、余は閣下と胸襟を開き毫も腹蔵なく事を議せんと欲するに閣下が皇帝の御覚召は恐多しと云い或は恐怖の念を生ずる抔に唱えらるゝは是れ即ち余の説を妨阻せらるゝに異らず。閣下に於て斯く城壁を設けらるゝ限りは余は閣下と倶に事を議し難し。我政府が億を以て数うるの財を吝まず、人命を賭して此挙に及びたるは何の為なるや。余は恐る、閣下と余との意見の相合を期し難きを」

大院君「否決して然らず。只余の規模の狭小なるが為めなり。余の意見は只今此に記したる漢高法三章を約すと云うに外ならず、識らず。閣下の御高見は」

公使 「今の天下は往時と異れり。二千年前後の政事を今の世紀に行わんと欲するは誤れり。多事の当世人事繁雑なるに当りては法の四章五章ではなく、千の法章万の規律を要し、即ち政事の多門に出るを防禦する為、組織権限を明にせざるを得ざるなり。閣下は斯ることにて今の国政を監理し得らるゝと思わるゝや」

大院君「余の言う所、法三章と云うは法の三個条と云うの意に非ず。民心を収攬せんと云うに外ならず。秦の世、民心撹乱、漢皇起て先ず法三章を約せるは民心を収攬せんが為めなり。余は之に則り先ず民心を収攬せんと欲するなり」

公使 「今の時は往時に異れり。試みに問わん。二千年前の時に当り外国を修好通商等の事ありしや。人民の権利義務等の事ありしや。千章に足らず万章も尚お足らざるなり。此の国家多事の時に当り、二千有余年前の昔を論ずるが如きは無益なり」

大院君「余は頑固なり。世人は余を見て頑固の張本人と迄称せり。然れども開化の必要なる事は篤く之を知悉せり。縦令えば鉄路を通し鉱山を開く等一として余の願う所に非るはなし。故に余、既に之が計画をなせり。然れども事は急速なるべからず。急速は如何に民心を撹乱するや計り難し。故に漸次之を為さんことを望む。然るに事茲に出でざる者多し。熟ら六月廿一日[我七月廿三日]以来のことを見るに、機務処、議政府等のなす事は日本が二、三十年間になしたる事業を直ちに取て此回に行わんと欲する者の如し。故に今日に至る迄、既に百日を経るも一も為す所なく只衣服の狭袖となりしと警務庁の設ありしのみ。然れども巡査の服制を変更せしが如きは事は好しと雖も痛く耳目を驚し、民心を乱せり。就ては巡査服制の如きも漸次に変更し往かば大に都合ならんと思わる」

公使 「余は今日区々たる巡査服制抔の細事を談ずる者に非ず。貴国王座の鞏固を計り、貴国々本の確立を論ぜんと欲するなり。閣下の御説の如く百日間為す処果して何事ぞや。其間種々の風説もあり。或は徒らに権力を争い、或は党与狐疑離間を擅にする等の事のみ。此の如くにして如何して国本の確立、王室の鞏固を画するを得んや」

大院君「余は齢既に七十五に達し老憊せり。国政は一切議政府及び機務所にて挙れり。故に余は国政に干与せざりし」

公使 「然らば閣下が如何なる御考にて邸を出でて宮に入られしや。閣下が即ち出でられし即ち閣下の意思国政に当らるゝの御決心なることは争うべからざるに非ずや。然るに今閣下は国政に干与せずと述べらるゝは如何なる御考えなるや。抑又国政を議するに齢の高下を論ぜしや」

大院君「然れども機務所あり、議政府ありて事を処し、毫も余をして国政に当らしめず。議政府機務処にて議して啓するものは直々に裁可することとなりおれり。然れども此間余がなせし一個のことあり。即ち報聘使派遣の一事なり。初め朴定陽と定ありしも、斯くては西園寺侯爵と地位如何わしきより更に余の孫[李呵O]を差遣わす事となりしに、聊か都合ありて遂に王子義和宮を特派せらるゝ事となれり。是れ余が日本に対するの好意なり。願くは閣下之を以て余の意を諒せられたし」

公使 「閣下が兎角城壁を築て、余の言を聴かれざるは、閣下は余と対談するを好ませられざるや」

大院君「決して然らず。余は閣下の御経歴をも略ぼ承知致し居、且閣下が日本維新以後の政務に鞅掌せられ能く開化の政治を御熟知のことを存じ居るが故、閣下の来られし以上は将来の我国の事、極めて好結果を見んと心竊に期し居りし程なり」

公使 「然らば是より御話致すべし。抑、此回の事の起りは決して一朝一夕の事に非ず。先ず其来歴を説くべし。我国と貴国との間に条約を結びしは実に明治九年にして、該結約は決して事なきに成立せし者に非ず、即ち貴国陛下が養わるゝ所の貴国兵士が故なく我帝国の軍艦に向け砲撃せしに依る。此挙に付き貴国が我国に対し如何に侮辱を加えしやは云う迄もなき事なり。然れども当時我政府は両国間の平和を保つが専意なりしかは我皇帝陛下は黒田全権大使とし、余は副使として派遣せられ、遂に修好条約訂結するに至りたり。閣下は定めし当時の事情を御記憶あらんことと信ず」

大院君「余は当時地方に居住せしかば親しく承知せざりしも委細は後にて承知せり」

公使 「当時貴国君主の命を受け余等と開談せし貴国全権委員に対し、余等は貴国は果して清国の属邦なるや、将た独立国なるやを問えり。同委員はは答うるに独立国なる旨を答えられり。且我政府も貴国が独立国たるを望みつゝなりし居る当時、該貴国の委員等が清国の属邦なりと答えられたらんには、当時如何なる事を惹き起せしや、実に知るべからざりし。然るに事茲に出でざりしは、貴国の幸福と言うの外なし。尓来通商をも開始し両国間の交際漸次其緒に就けり。然るに明治十五年に至り、又も貴国陛下の養わるゝ兵士は、両国交際上の為め我国より派遣して当地に駐箚ありし我使臣を襲えり。此事が如何に非礼に如何に我国を侮辱せしやは閣下に於ても勿論御知得の事なるべし。是れが為め我国は遂に大兵士を派遣し[(欄外)■かに其局を結び尓後公使館と人民保護の為め兵隊を]駐在せしめる事となり。而して清国も亦是より兵士を貴国に派遣駐在せしめる事とはなれり」

大院君「当時国人未だ開化の何者たるを知らずして該事件を惹起せしは誠に遺憾とする所、余のみならず。該事件が誠に申訳なき儀に属するは当時より既に国民一般の公論とする所なり」

公使 「然り。誠に不埒千万のことなり。而して該事件が全く貴国官吏の教唆に出でたるは事実なり」

大院君「事の既往に溯るは言うも益なし。願くは現今及び将来の事に付、御尽力あらん事を望む」

公使 「然らず。抑、今回の事に付、事の全局を論ぜんと欲せば、須らく既往の歴史に論及せざるべからず。何となれば事の原因を極めざれば如何にし事の茲に至りしやに付、真相を知ること能わざればなり」

大院君「余は本日答礼として参上せしなり。少々身体の工合宜しからざるが為め、御話は後日に譲られたし」

公使 「昨日御面会を約せしが故、本日は りと各胸中の域府を聞く御対談致さんとせしなり。若し本日御困憊とあらば御老体の事にもあり、強て本日御話せねばならぬ云うに非ず。然らば後日再会の期日を御約束致し置くべし」

大院君「本日は昨日の答礼として参上致せし姿なり。実は今回御来任に付、先ず外衙門に於て席を清めて御招待致し、尚お宮内府にても御招待致し、然る後続々御話を承知致さんと存じ居りしなり」

公使 「右等は悉く儀式なり。余は此際儀式等に齷齪するを■しとせず。余は東京にありて枢要なる国務の任に当り居りしに、陛下より至急来るべき旨の勅令に付広島に至りしに、陛下余を召して仰出さるるには、征清軍が着々戦捷進行するにも拘わらず、朝鮮の現況は朋党の争権互に相猜忌するのみにて、今に至るも毫も内政の挙りし実なし。急々同国に赴き事を処すべしと此命を受くるや、余は私家にも帰ることをなさず、単に二、三の衣類を取寄せたるのみにて、直ちに発程赴任せし程なり。是れ貴国々家の事なるが故なり。然るに当地着任後、徒らに儀式等の為め事の遷延するは余の尤も不快とする所なり。九連城は已に陥れり、既に我有となれり。然るに貴国の現況を顧るに改良の実一も挙行なし。閣下は今日の場合を如何なる場合と認めらるゝや。国家の為め最も危急の場合に非ずや。幾千万の財を致し生霊を賭して我国が此挙に及びたるは如何なる理由と閣下は認めらるゝや。余は故に一刻たりとも芳潤に過すへき者ならずと認め、斯くは本日談茲に及びたる次第なり」

大院君「場合の危急なる事は余も亦承知致居れり。人心回復の如きは実に目下の急務なり」

公使 「此危急の時に際し、何ぞ儀式を須するを要せんや。抑、余の意見を述べ、閣下の御意見を聴き、双方互に腹蔵なく胸襟を開かん事は、余の望む所なり。若しも両者の意見の相合すること能わざる事もあらんには、夫れこそ事の如何に成り往くべきや予め計り難し。余は信ず。貴国々家貴国王室の如何に成り往くべきやは一々閣下と余の和衷協同にありと。故に余は一つ成、閣下と和衷協同以て事に当らん事を欲す。事の成就に付ては余一個としては或は多少の名誉なるべけれども、夫れとても権利の利害を有せず。只其成否は一々貴国々家と貴国王室の利害に関するは閣下に於て、呉々も御承知置相成たし」

大院君「勿論、余も亦閣下と意見の相合わんことを熱望するなり」

公使 「然るに閣下が兎角余と対談するを好ませられざるが如き傾あるは、余が閣下と果して和衷協同の実を挙ぐるを得るや否やに付き、釈然たる事能わず。本日は御困憊との事に付、他日の再会を期し、茲に予じめ御約束致し有之時は、閣下と御協議の後、貴国各衙門大臣等に、大臣御不在なら代理協弁と一堂に会して、余が意見を述べたきに付、其節には閣下にも御臨席ある事に致たし」

大院君「其儀は相叶い難し。何となれば、余は朝士にあらざれば、勿論政府に出でて各大臣と事を議する事能わず。是れ余が国法なり。又閣下が各大臣に話されし事は勿論一々余に知る得るなり」

公使 「然らば閣下は大臣と国政を議せられざるや。又個々別々に話すべきことなれば、何ぞ各大臣の会合を要せんや。必意各個に御話することは或は互に疑心を起すの掛念なき能わず。是れ余が一堂に会するの必要を感ずる所以なり」

大院君「否、勿論各大臣と政を議せり。然に大臣、余の許に来り、事を稟するを例とす。又余が各大臣と一堂に会する事は地位甚だ違い、且各大臣は余の面前にて坐すること能わざる等の不都合ありて、到底行い難し」

公使 「国政を議するに何ぞ地位を論ぜん。況や今の時々危急の時なるをや。昨、余が貴国陛下と謁見の時にも内外務大臣は列席せられ居りし。是れ事の国政に関するが故なり」

大院君「謁見とは自ら異れり。兎に角、余が政府に出ずることは法に於て能わざるなり」

公使 「然らば閣下は、余が協議するを好ませられざるなり。此の如くんば、余が再び閣下と会見するを要せず。余は閣下の和衷協同は即ち貴国々家と貴国王室との運命に関する程のことなり。然に閣下が兎角余と協議するを好ませられざるは、余の遺憾とする所なり。閣下は又法なりと云われしが、区々たる小儀式物を以て法律と云うは誤解も亦甚だし。余は日本に於て数十年来国政に参じ、尚お欧米諸国を巡廻して頗る国家政務に通暁せり。豈閣下が云わる如き者を指し法と云うの理あらんや。若し仮に之を法と云ば、目下東学党の各地に跳梁するに当り、貴国政府が自国の力を以て之を鎮圧すること能わずして、日本の派兵を請われしが如き者、是れ果して国法なるや」

大院君「日本兵派遣のことは余の意に非ず。大臣が意に出でたるなり。大臣より申出でたるが故、余は単に首肯せし迄のことなり」

公使 「閣下の首肯は即ち閣下が責任を以て許可したる命に非ずや。閣下は之を知らずと云わるゝや」

大院君「閣下に予じめ願い置く。二個の条件あり。一は内政上に付、徐々に改革をなさるゝこと。一は朴泳孝等の事なり。同人等の事は余既に充分之が斗劃をなし置けり。故に閣下は之れ等に付て可成猶余せられたし」

公使 「目下の処にて予じめ御約束を致し置くことは難し。凡そ事は次らく急なるべきあり。緩なるべきあり。緩急は到底覚るべからず。此の如き事は余が意を述べ閣下の意を聴きし後に非れば、何とも決すること能わざる議と御承知相成たし。閣下が各大臣と同席して国政を議すること能わずと云わるゝは別其理由を見ず。閣下が如何にするも為し能わざる議と主張せらるゝなら、余は閣下と何とも協議すること能わず。閣下は余と協議するを好ませられざるや」

大院君「否、余は閣下と協議せんことを願うなり。余は決して好まずと云うに非らず。金宏集、金允植、金宗漢、兪吉濬等は何れも余の■を受け居る者なれば同人等に御話の事は勿論余に於て承知し■る筈なり」

公使 「否、個々に付て御話あるは無益なるのみならず、却て害あり。余は閣下が各大臣に一堂に会する事を拒まるゝ間は到底閣下と事を議する事能わず」

大院君「然らば一堂に於て屏風の影から拝聴すべし」

公使 「此の国家危急の時に際し屏風の影にて聴くと云わるゝが如き児戯に均しき■■の如きことは余の解し得ざる所なり。閣下は如何なる時と御承知あらるゝや、今や児戯を談ずる場合に非らざるなり」

大院君「余が宅若くは別荘にて余と閣下と御話致すは毫も差支えなきが、政府に出づる事は到底難し」

公使 「政府に出でらるゝこと難ければ、場所は余の撰ぶ所にあらず。宮中なり閣下の邸なり別荘なり何れにても宜し。又閣下の前にて各大臣が坐すること能わずと云うが如くんば、起つも坐するも何の差支あらんや。坐するなり立つなり、斯る事は余に於て何をかあらん。兎に角、余は一堂に会して国政を論ずるの要を認むるが故、一応閣下と会し互に意衷を悉したる上、各大臣を集め事を議し、然る後、閣下及び各大臣と会見せんことを欲す。閣下は飽迄も之を拒まるゝや」

大院君「各大臣と会するは如何にも若し閣下が各大臣に談ぜらるゝ事は、即ち余に談ぜらるゝ事なれば、格別同席するの要なかるべしと思う」

公使 「否、甚だ違えり。閣下に説く所と各大臣に説く所とは自ら差異あるを免れず。兎に角閣下の断然之を拒まるゝや。然し場所は余の関せざる所、而して各大臣が起立する場合にも余は椅子を得んことを欲す」

大院君「然らば貴意に従うて会同すべし。扠手、余は閣下の説を聴けり。閣下は余の申述べし内政の事、朴泳孝等の事は御承知相成らるべきや。右を御承知せられざるに於ては人心弥々乱るべし。余は人心を鎮定するを以て目下の急務と信ずるが故、是是非二件は御承知相成置かれたし」

公使 「先にも述べたるが如く、本日は是非閣下と互に意衷を悉知せんと欲せしに、閣下は御困憊なりとて之を拒まれしが故、他日再び会同する事となれり。故に他日再会の上、余の意見を述べ、閣下の御意見を聴きし後ならでは右等の事に付、予じめ御約束をなすことを得ず。是れ必竟大体の定まらざるに先ず枝葉を定めんと云うに異ならず。事の枝葉に渡る者は今日に於て之を如何ともすること能わず。又閣下は切りに民心云々を陳述せらるゝも、彼の東徒の四面に蜂起するを看よ。必竟地方官吏輩が強■誅求を擅に苛政に憚らざるに起因せし者なり。民心の穏ならざるは素より其所なり。故に先ず改良の実を挙げ、国基の確定を計らざるべからず。国の基礎確立せば、民心は自然鎮定に帰するは至て■客中の理なり」

大院君「余は民心の鎮定を先にせんと欲す。然るに閣下は之を後にせんと欲せらるゝや」

公使 「勿論の事なり。諸改り革釐せば、民心自然に鎮定すべければなり」

大院君「兎に角後日再会の時、委細の御意見を伺うべし。本日は実に答礼として参上せしに、斯る御議論を承り、論責を蒙るは誠に面白からず」

公使 「余も亦甚だ不快なり。何となれば閣下が兎角に余の言辞を蔽れんとせらるればなり。余は昨日閣下が来らるべき旨、御約束相成られたるが為め、且つ事を危急に擯(瀕)し一日も猶余すべき場合にあらざるが故、斯くては本日御話し致せしなり。然るに談、枝葉にのみ亘りしは甚だ遺憾なり。後日再び御面会する事と致すべし。正路を執り直ちに進むは余の性なり。不正不当は余の決して取らざる所なり」

大院君「余とても亦然り。以後は度々会見して互に意衷を悉さることを期す」

公使 「余に於ても亦然り。余は信ず。余の意見に付ては自然閣下の御賛同せらるゝ事を。若し不幸にして閣下と議の相容れざる事とあらんには、今後如何の結果を生ずべきや予め計り難し」

右にて了る。

 

 

(「朝鮮国王及諸大臣ニ内政改革ヲ勧告ノ件/7 1894〔明治27〕年10月29日から明治27年10月30」p3)

廿七年十一月十二日接受

親展
 昨二十八日、国王殿下に謁見を賜り、国書及御親書を奉呈し、終りて本官は殿下に向い、我皇帝陛下の叡旨のある所及我国方今国家多端の時なるにも拘わらず、殊に本官を全権公使として派遣せられたる所以より、明治九年、十五年、十七年の騒乱の両国間の関係上に及ぼしたる顛末等、肺肝を吐露して続々懇切に奏上し、殆ど二時間余の長きに渉り、殿下には余程感激あらせられたる様見受申候。終りて大院君にも面晤せり。猶大院君には本日我公使館に来訪し、種々談話せしに、聞きしに違わず中々の老猾なり。右に関する顛末は詳細筆記せし次便にて御郵送可致。猶今後朝鮮政府官吏等又は各国外交官との談話は委細筆記の上、御郵送可申筈に御座候間、遂序御覧可申被下度。

 朝鮮国に対し本官が施すべき方針は未だ目途相立不申候得共、今後篤と内外の情況を視察し、直接に間接に彼我の関係を偵視したる上、対朝鮮政府改良の方針相立候上は、地方政務の改良も最も必要の事と被存候。抑々頃日、東学党及類似の兇徒が蜂起する其原因の中には地方官吏が人民に向い濫りに租税外の私費を課し、虐政を行うが故に人民は此虐政を逃れんが為め、竹槍席旗兇徒に加わりて、地方官吏に迫るもあり。就ては地方政務の改良を図るは尤も必要ならん。第一番に一定の租税を課するの外、寸毫も侵掠することなく、人民をして各々其業に安んぜしむるにあり。右に就ては其取調を為さしむるため、収税并に地方事務に熟練したる官吏の派遣を要することもあるべければ、予じめ其啚御含置可被下度。

 右申進候也
 明治廿七年十月廿九日
     井上特命全権公使
  陸奥外務大臣殿