日清戦争下の日本と朝鮮(3)補足資料

 

(「明治27年6月29日から明治27年9月8日」p6、()は筆者。)

廿七年八月十三日接受
機密一四四号 本八四

  俄公使ウェバー氏、大院君へ面謁の件

 本月二日、俄公使、王宮に於て大院君に面謁したる旨承知致し候に付、其後国分書記生を派し、内々大院君に相尋ね候処、其問答の顛末左の通りに有之候。

 俄公使、先ず大院君の入闕して政務に参ずるを悦び賀詞を相述候処、大院君曰く、

 此度日本は隣国の好意を以て、労費を惜まず我国の為めに尽力せり。我国は其好意に対し深く感謝するの外なしと雖も、唯日本が望む所の改革は余り急激に過ぐる故、是には少々当惑せり。
 聞く処に拠れば、日清両国は既に開戦に相成りたる由。両国永く戦争を続くる事は大に東洋の平和に妨害あることなれば、何卒各国の周旋に依て調和させたきものなり。
 茲に貴公使に向て申述度事は、是迄貴我両国間の交渉上、我大君主より貴国皇帝に送りたる国書、若くは我外務督弁より正式に従て貴公使若くは貴国外務大臣に送りたる公文を除くの外は、我官員より送りたる文書中如何なるものあるとも、其に対し我政府は一切其責に任じ不申候。此段兼て御承知候下度云々。

 俄使は右に対し、前に何等の答を為さず。最後に李仙得氏(米国人リゼンドル)は有用の人物なれば御使用相成りて可然との一言申述たる趣に有之候。

 俄公使ウェバー氏帰韓前は朝鮮政府にて切りに之を待受け、偏に同氏の力を頼んで我兵を撤回せしめんと試みたるも、同氏は快く之に応諾せざりしが為め、諸閔氏は一時失望したるに相違無之、乍去同館の通弁[韓人]は事変前迄、幾んど毎日の如く王宮に出入したる由なれば、其間閔氏と何事の相談ありしや難斗と存候。

 依て同氏は大院君の為人を観察旁々李善(仙)得を推選し、以て自家の便利に供せんとの考案に出て面謁を請いたるものと被推得候。
 右及び上申候也。

 明治二十七年八月四日 特命全権公使大鳥圭介
   外務大臣陸奥宗光殿

 

 

(「明治27年6月29日から明治27年9月8日」p9)

明治廿七年八月十三日起草  同日発遣

   京城大鳥特命全権公使   陸奥外務大臣

 機密第一四四号を以て露国公使ウェバー氏と大院君との問答顛末御具報相成候処、右に付ては本日已に第八十号電信にて申進候通、其節大院君の談話中、

「日本が望む所の改革は余り急激に過ぐる故、是には少々当惑せり。」又「日清両国は既に開戦に相成りたる由。両国永く戦争を続くる事は大に東洋の平和に妨害あることなれば、何卒各国の周旋に依て調和させたきものなり。」等の語有之候まで之処、

 同君に於て、日清両国の交戦を以て対岸の火を観るが如く相考え、斯く無味淡泊に他外国の公使、特に露国公使抔に向て其様の口気を被吐候ては、我が為め不利益少からず。
 左なきだに露国政府の如きは、何がな好き口実を求めて喙を容るゝ理由となし、以て漁夫の利を博せんと熱望致居候折柄■有之候得共、同君抔に於て、若し屡々此種の談話を為され候節は、竟には其望む所に陥いり、不意の干渉を招致するの懸念不少。

 就ても閣下には重て其辺に深く御注意相成、同君其他朝鮮高官をして、仮初にも右様の言語を吐かしめざる様致度、抑朝鮮政府に於て業已に清韓間の条約を廃棄し、牙山駐留の清国兵を駆逐することを乞い、其他正朔を奉ずることを止むる等、着々清国に対する宗属の関係を打破し来りたる以上は、最早日清両国の間のみ交戦国に非ずして、朝鮮も亦た一ヶの独立国として我同盟となり、清国に対し抗敵する地位に有之。

 加之、今回帝国にて清国と開戦の理由は、詔勅にも有之候通り全く朝鮮国の独立を維持鞏固ならしむるに在りて、何処までも其独立国たることを確むる為に有之。

 然るに前儀清帝の宣戦公告の如きに至ては、始終朝鮮を以て藩属と視做し居り、我に向て開戦するも全く朝鮮人民を塗炭に救うが為めなる旨も記載有之、飽迄も朝鮮の独立之権を蹂躙■現れたるものなれば、今若し朝鮮政府に於て之を黙々に致置くときは、執り来りたる清国に対し、敵意を表したる措置と全く相矛盾する義に付、朝鮮政府に於ても此際清国に向て宣戦すること、是迄の行懸上最も適当なる順序と存候。

 但し、若し其宣戦の難き事情も有之候えば、宣戦に代るべき丈の言動を公然発表せしめ候事最も必要に有之。

 就ては此等の理由も大院君及其他の者に厳く御談判相成度、要之朝鮮の独立を保全する為め日清両国にて干戈を交えるまでに至りたるにも拘らず、其主なる朝鮮国に於て、此釁を視て、恰も他人の事の如く考居候ては、大なる心得違に有之候得共、朝鮮よりも清国に対し又他各国に対し常に日韓両国にて清国に抗対する形跡を事実の上にも、言語の上にも為相顕候様致度。
 否らざれば日清両国の間のみ交戦国の地位を占め、朝鮮は恰も中立国の如き有様を保ち居ることと可相成、左するときは、第一には、他外国の干渉を招くの恐あり。第二には日本政府が大兵を同国内に派遣するの名義なく、遂に他の非難を受くるの虞なき能わず候為、其辺篤と御含の上、此際朝鮮国をして我国と同盟して清国と交戦するの実証を挙げしめ候様充分御尽力有之度候。

 兵器返還の義に付、前便及訓令候旨意も矢張■■述来候所の精神に外ならず候。
 右及訓令候。敬具。

 

 

(「明治27年8月1日から明治27年8月31日」p13)

明治廿七年八月九日起草、同日発遣
在京城大鳥公使
      陸奥外務大臣
 七月廿三日の事変以来、一時の権宜を以て朝鮮軍隊の兵器を取上げ、且つ其警察権をも幾分か箝制したる姿と相成居り、事実上の一国の独立権を侵犯せし形跡有之処、抑、帝国政府が兵を同国に派遣せし目的は、全く其積年の秕政を釐革せしめて党争内訌の源を絶ち、以て其独立主権を維持し、自主を鞏固ならしめんとするに在りて、毫も其独立自主の権利を侵害せんとするの意に非ざることは始めより廟議の決する所にして、亦た本大臣が欧米各国政府の所問に対し、政府を代表して公然言明する所に有之。

 就いては、一時の権宜に出たる行為をして此末何時迄も継続せしむるときは、
第一、外国政府の猜疑を招くに至るべく、殊に露国政府の如きは、已に帝国政府に向て、帝国政府が朝鮮政府より受くる所の譲与にして、苟も朝鮮が独立政府として各国と締結されたる条約に違反することあるときは、有効のものと不相成ことを帝国政府に注意を促す旨を明言し、其底意たるや、即ち苟も朝鮮の独立に関し変動を生じるが如きことあるに於ては、露国は決して之を黙視せずとのことに外ならざるべく又、
第二には、若し朝鮮と域外国との間に於て或る事端を生ぜしことありて、之に関し朝鮮政府警察権の行動を要する場合ありとせんか、目下の状態の存する間は、或は朝鮮政府に於て他国に向て其警察権は日本の箝制(束縛)のため、自由の行動を為すこと能わざる旨を答うることなきを保せず。若し然るときは帝国政府は朝鮮の自由(主)権内に侵越せりとの責を免れざるべく、其極意に他国の容喙を招くの恐有之。然るに今や一方には朝鮮は我同盟たるの事実を挙げ、又一方には、天津条約も已に一片の廃残に帰したれば、右取上げし所の武器を悉皆返還し、朝鮮政府をして帝国陸軍士官を聘して専ら兵士の訓練に従事せしめられ候様致度、追て時機を見計らい王宮其他の場所を守衛兵の如きも可成朝鮮兵の多数をして之に当らしめ、漸々朝鮮兵のみにて之を守衛せしむること被成度、将又、警察制度の如きも此回派遣の巡査百名をして其常務の外、同国の警察官吏を誘導訓飭するの労を執らしめられても不苦。

 要之勉めて其独立の維持するの要具を備えしむること、最必要に有之候。但し、前記武器返還の時機の穏当を見計われ候ことは全く閣下に御一任可致候。
 而して此の如くするときは、一は以て朝鮮国人に対して帝国政府が公平主義の意を表示するに足るべく、又一は以て他外国に対しても帝国政府の行為を防護し、彼等をして喙を容るゝの地を作らしめざるに足るべき義に有之。
 尤、目下清国と開戦中のことなれば、百時を挙げて皆な平和の時に於てするが如きことは、固より情勢上許さゞる所ありと雖ども、同時に、苟も朝鮮国独立の体面を全うし併せて同盟の実を挙ぐることは眼前の急務に有之候間、閣下にも能く此意を体し万事御措置相成度、又今日まで帝国政府が執り来りたる此等臨機応変の行為に付、其地駐在の外国外交官より万一閣下に向て疑問等も有之候節は、閣下此訓令の意味を以て口頭の御答相成不苦候。尚此義に付ては当該軍衛よりも其地え派遣の帝国軍隊総指揮官へ同様の旨訓令相成候。右及訓令候。敬具。

 

 

(「明治27年8月1日から明治27年8月31日」p12)

  大島少将へ電訓案
 朝鮮軍隊の兵器を取上げたるは、固より一時の権宜に出て、帝国政府の意思は全く其独立自主を鞏固ならしめんとするに在り。毫も其独立主権を侵害せんとするの意にあらず。因て公使と時機を協議し、取上げたる武器を悉皆返還すべし。又同政府をして帝国陸軍士官を招聘し兵士の訓練に従事せしめ、我より誘導して其独立を鞏固ならしむることに勉むべし。尚詳細は郵便を以て訓令す。

 

 

(「明治27年8月1日から明治27年8月31日」p18、()は筆者。)

機密第一四六号 本八六 (8月13日接受)
  七月廿三日事変前後に執りし方針の大略并将来に向ての鄙見内申

 内政改革の勧告朝鮮政府より拒絶せられたる時、我が取るべき手段に付、去七月十日付機密第一二二号信を以て伺出候処、同十六日に至り朝鮮政府より我勧告に対し不満足なる回答致来候付、余儀なく前記機密信にて伺出たる乙案の手段を執ることに相決し、其第一着手として一片の通知を以て釜京電線の架設に着手し、第二、兵営の設置を督促し、第三、清兵の撤回、第四、清韓条約の廃棄を請求し、而して第三の請求に対しては同月二十二日中に決答を為す可き旨、日限を立てゝ及厳促候処、同夜十一時に迄外務督弁より我請求に適当せざる曖昧なる返答有之候に付、直ちに之を反駁し、時宜に因ては我権利を伸長せんが為め、兵力に依頼せざるを得ざる不幸に立至るべき旨申送り、遂に二十三日朝の事変を促致したる次第に有之候。

 扨、本官は前述の手段を執りし決心は、第一、当国執政者の更迭を促して内政改革の端緒を開かしめ、第二、日清開戦に先ち、韓廷を改革派の手に属せしめ、以て我運動に利益せんとの考案に外ならず候。
 而して第一の希望を達せんが為め、閔泳駿を始め、諸閔氏の有力者を除き、国王の城外に移御せられんことを予防し、大院君を推して政府に立たしめ、之と同時に改革派の人々を挙げて政務に参与せしめ、以て内政改革の実効を奏せしめんと計画したるものに有之候処、諸事我計画の如く都合能く行われ、今日迄差したる遺算無之候。

 目下韓廷の官民は猶お日清両国の勝敗に付、窃に両端を観望する者有之候得共、牙山大捷後大勢は既に定り、且つ改革事業日々進歩するに付、昨今に至り人心漸く静謐に趣き、非難の市民等日々帰城し、市中の賑い半ば旧に復し申候。
 又、韓廷近日の模様は大院君政事の局面に当ると雖ども、凡百の政務は領議政金宏集に委任せられ、而して領議政は一面軍国機務処会議の議長なれば諸事会議の輿論を集め、上奏裁可を得て之を施行する手続きを執り、毎日之議案は孰れも重大事件にて、既に新官制を議定し且つ重なる旧弊は、大抵廃除することに決定相成候。

 委細は追々報告にて御承知相成度候。依て此上は実務を挙ぐ可き政府組織せられ、我より各部門に従い、顧問官相雇わせ候わば、内政改革の実行疑なく相上り可申存候。目下、朝鮮の形勢前陳の如く相傾き候上は、今後我が執るべき政策は如何に相定む可きや鄙考に拠るときは、

  第一 外国に対し飽迄朝鮮の独立を保護する事。
 今日の場合は朝鮮を隠然我保護の下に置き、我より之を扶掖して独立の基礎を固めしむるは騎虎の勢、不可已次第なれば、此際我目的を達せしが為めに、両国間に秘密軍事条約を訂結し、朝鮮の陸海軍は必要に従い何時にても我使用に供する約束を為す可し。

  第二 務めて朝鮮官吏の心を懐柔し、彼等をして万一にも他の外国に傾意する掛念ならしむる事。
 朝鮮政府は既に改革派の手に帰し、諸事我勧告を容るゝ傾向ある以上は、我より強硬主義を以て之に対するは不得策なり。要するに我が朝鮮を取扱う寛厳の度合は、従前清国が朝鮮を取扱いたる度合に比較して一層朝鮮を利益することを考えざる可からず。然らざれば朝鮮の君臣は其苦悶に堪えずして終に第三者に依頼するに至るべし。

  第三 朝鮮の外交事務に向て特に注意を与え、将来各国と面倒を生ぜざる様予防すること。
 外債償却等の為め、金員を要するときは、一時之が繰替を為す可き必要可有之と存候。

 已上陳述したる前半段は、本官が是迄執りし方針の大略に有之。後半段は将来我対韓政略に定むるに付、鄙見を陳述したる者に有之候。併せて御参覧相成度候。尤も、将来朝鮮を如何なる地位に置き、我は如何なる地位に立つ可きや、素より一定の御廟算有之義とは存候得共、鄙考には朝鮮を独立国と推立て、少くも彼が独歩の実力を得るまでは、我保護の下に置き、万事扶持するの外有之間敷と致愚考候に付、不取敢前陳の鄙見を御参考に供し候。廟儀確定の上、何分の御訓示相成度右及内申候也。

 明治二十七年八月四日
    特命全権公使大鳥圭介
 外務大臣陸奥宗光殿

 

 

(「明治27年8月1日から明治27年8月31日」p51、()筆者。)

(8月14日)

  朝鮮内政改革勧告に付、我政府の執るべき方針大概

一 朝鮮内政改革は、此際一時に各種の弊政を廃除し、根本的の革新を断行するに在りと雖ども、行政諸般の制度を立つるに至ては、其国情を詳にし、民智民力の程度を量り、之に適応したる制度を立て、然後、国民の智力増加するに従て、漸次之を改進するを要す。我に高尚に過ぎたる法律を制し、民情に適当せざる制度を設くべからず。

二 旧来の制度と雖も、之を存して害なきもの、又はこれを廃革して得る所の効益少く却て之が為め痛く民心に逆う者は暫く之を存すべし。

三 改革事業は可成丈、朝鮮人士の手に任せて之を行い、我より深く干渉せざるを肝要とす。何となれば則我より深く立入りて之に干渉するときは、或は支那の咎に倣う■りも免れず。随て朝鮮人士に我国を厭忌する心を生ぜしめ、他日第三国をして其隙に投ぜしむる不幸なしとせず。但だ我国は朝鮮に対して常に威信を保ち、諸事忠誠を以て勧告するときは、殊更に深く立入らずとも、彼等をして永く我目的の如く運動をせしむることを得べし。

四 朝鮮政府の招聘に応ずべき、財政、兵制、及法律等の顧問官は、我政府にて之を推薦し、其身分は我政府の非職又は派遣の為め特に非職を命ぜられたる誠実老練の官吏、若くは政府と内約ありて始終我政府と同一の方針を執るものたるを要す。
 然るときは、朝鮮内政の改革に向て本館は余り関係せず、専ら右顧問官に任ずるを得可し。又右顧問官に対しては、政府より内訓を与え、諸事駐在公使と協議せしめ、公使の意見に抵触せざるを要す。

五 欧米人の感覚を損ぜざらんが為めに米人の顧問官一二を雇わしむる方、得策ならん。但し隠然我より保護を与え、必ず我方針を賛成せしむること重要なり。

 

 

(「明治27年8月1日から明治27年8月31日」p42、()筆者。)

明治廿七年八月二十日起草 廿一日付 廿三日達

  在京城
    大鳥公使
            陸奥外務大臣

 帝国政府が朝鮮政府に対する行為の義に付ては、本月九日機密送第三十七号信を以て及訓令置候義有之候処、即今の形勢に就いて言うときは、帝国は已に清国と交戦中に有之。而して軍略上の都合よくして総ての陸兵は釜山を以て上陸地となして縦横に朝鮮国内を通行し、尚今後の戦闘の進行に依りては、単に其国に屯在する清国軍兵を同国境外に駆逐するに止らず、或は道を同国に仮りて直ちに清国疆域に攻進するの已むを得ざるに至るべきやも不被計、実際に於ては朝鮮国は恰も日清両国の戦場、若くは戦場に達すべき通路の如き姿なるを以て、之に対して全く平和の時に於けるが如き手段を執居ること能わざることは勿論の義に有之候得共、本問題に関しては
本問題に関しては帝国政府は已に欧米各国政府に向て公然言明したる所も有之候得共、其外交上及軍事上の行為に至ては、総て右等各国に向て其責に任ぜざるを得ざれば、外交上に於ても、将た軍事上に於ても、著しく国際公法の範囲外に軼出するが如き行動無之様極めて慎重を加えざるべからざる義に有之。

 尤今日の場合、一方に於ては朝鮮国内にて頻りに戦闘の設備を為し、又同国未曾有の改革を挙行せしむる等の権変を行いつゝ、他の一方に於て国際公法の常軌に遁守せんとすることは時に或は牽掣を生じて不便を感ずること少からざるべけれども、去迚又之が為めに他強国の非難を招き、帝国政府をして殆ど答辞に苦しむが如き地位に陥らしめ候ことは決て策の得たるものに無之、要之、今日朝鮮国の地位は我が同盟にして敵国に無之候得共、終始同国政府及人民の敵意、若くは怨心を引起さゞる様、注意を加うること最も肝要に有之。

 又第二には、我は已に朝鮮を独立国と公認し、且つ其疆土を侵略するの意なしと明言したる以上は、言行の一致を保つため、其独立国たる面目を著しく毀損するが如き行動及其疆土を実際に侵略したるが如き形跡は可成之を避け、我軍隊の運動の如きも総て朝鮮政府の同意を得たるか、若くは朝鮮政府と一体の運動を為すかの実を挙ぐること肝要に有之。

 又帝国政府に於て朝鮮政府に向て其政治上の改革を勧告するに付ては単純なる勧告に止まらずして、時宜に依りては多少強勧勉従せしむることも可有之、又軍事上に於ても種々の補助を要求する場合も可有之候得共、此等の勧告要求も時としては同政府又は人民に於て、堪え得ざるの感を生ずるの恐なしとせず。
 無論今日の処にては、同政府も到底我に倚頼せざれば其独立を保全すること能わずとの観念を有するものゝ如くなれば、我勧告、我請求に対しては万事勉強して相応じ居候には相違無之候得共、我要求、過度に至ては彼竟に堪得ずして不本意ながらも情を他欧州各国よりの駐在官に訴え、我勧告要求を猶予し、若くは延展せんことを求むるに至らざるを保せず。

 殊に或国政府の如きに至て常に其乗ずべきの機会を待居るこ判然たれば、若し一旦如此機会、若くは口実を与うるときは、必ず巧みに朝鮮政府を篭絡し、竟には日韓間の関係を封じて其国に渉る関係となし、朝鮮政府に代わりて、我に抗議を試みるに至ることなきやも難計。

 就ては此際、帝国政府に於ては務めて事を慎重にし、第三国をして用意に容喙干渉の端を得ざらしむる様注意を加うること肝要に付、左記の三ヶ条を本大臣よりは閣下え又、当該軍衛よりは其国出張の陸海軍総指揮官え各訓令を発すべき様廟議決定相成候。

  第一、苟も朝鮮の独立権を侵害するが如き行為は軍事上不便、若くは不経済に渉ることあるとも可成之を避くべき事。

  第二、朝鮮政府に対する請求は時に已むを得ざる場合可有之と雖ども、其請求の程度は、朝鮮政府独立の対面に対し、及び新設政府に伴う経済上の関係の関係に対し、堪え得べき度合を限とし、竟に朝鮮政府をして我要求に堪えざるの感を起さしめざる様、充分注意する事。

  第三、朝鮮は我が同盟にして敵国に非ざれば、同国に於て軍事上及其他に必要物品あるときは、成丈其満足すべき代償を与え、決して侵掠の形跡無之様、深く注意する事。

 前述の通、廟議決定の旨に従い、此義に付当該軍衛よりも其国出張陸海軍総指揮官え綿密なる訓令可有之筈に付、閣下にも能く右廟算の在る所に従い万事充分御注意御措置相成度候。

右及訓令候。敬具。

 

(「渡辺砲兵少佐附属 横山又三郎通信」より抜粋。()は筆者)

秘 新聞紙に掲載を禁ず   大本営十八

   渡邊砲兵少佐付属横山又三郎通信    陸参三二号

 朝鮮政府が内政改革の急務に逼りながら、徒らに両党相軋り、政権争奪のみに狂奔し、未だ一として改革の見るべきものなきことは既に是迄の通信上にて御承知の通りなり。然るに近頃は一層其度を高め、其極遂に開化党の総辞職となり、目下殆ど無政府の有様とはなれり。今其由来の一端を韓人より聞き得たれば、御参考迄に左に申述候。[辞表を出せしは陰暦九月初六日(日本歴10月4日)なり。未だ裁可あらず]

一 開化党即ち日本党を困めんとするは、彼の頑固党所謂大院君派の一味にして、其原因に至りては種々ありと雖も、最も近因として力あるものは、大院君の孫李呵Oの非望に基けり。彼れは大院君と云う尤物を控え、且つ門閥的尊敬を受くる所より傲慢心を起し、此際世子の暗弱に乗じ、我替て王位を継承せんことを謀り、内、同志を糾合して之を要路に推挙し、外、東学党と相結び、頻りに策略を施しつゝありたり。然るに笑止にも事未発に於て警務使李尹(允)用の知る所となり、終に積日の画策も水泡に帰したるのみならず、事開化党一般も知る処となりたれば、彼れ慙愧の憤懣の余り、近来は陽に陰に一意改革を妨害せんことにのみ努め居れり。[東学党と往復密書及其使人は警務使にて押えたり]

 斯る罪状顕然たる奸物は宜しく法に照すべきなるに、事、大院君より出でたると又一つには開化党に人少なく候て、其勢力の微なる為め、其れ丈けの運動も出来申さず。それのみならず政府は李尹(允)用を責めて失政となし、終に警務使の職を免れて之を城外に放逐し、直ちに李呵Oをして其後を継がしめたり。実に何共申様のなき次第ならずや。

 以上李呵Oの行いしことは一として大院君の預からざることは無之、現今にても大院君の東徒と結托し居ることは事実に候。已に先日平壌の戦争にも、若し日本の不利なる場合とならば、対清政略上、直ちに在留の日本人を攻撃する手筈にて、東大門及南大門外には数多の無頼東徒を集め居り。当時守備隊をして無用に隊を動かさしめたることありき。

 事実右の如くなれば、大院君派の邪間物は開化党なり。語を替えて申せばまだまだ日本がきらいなり。
 されど今日は日本の強盛を憚りて目覚しきことはなし得ず。つまり継子いじりの方法によりて以て開化党を除かんとせり。而して其目的や全く効なきにあらず、終に開化党の総辞職を見るに至れり。左に其辞職の種子となりたる上疏の大要を掲げん。

 

 

(「壮衛正領官禹範善の上疏大意」より、()は筆者)

    ○ 壮衛正領官禹範善の上疏大意

一 軍国機務所は無要の長物なり。亟かに廃すべし。
二 軍国機務所の議員は一人として其器にあらず。

三 ・・・・・不詳

備考 軍国機務所は内政革新の樞府


    ○ 守門将金基泓の上疏大意

甲申の歳には四兇現わる。今歳又八奸あり。泳孝等と符同す。此等売国の奴輩を亟かに誅戮せずんば国家千年の患を遺さん云々。[全文は別紙にあり(「9月初1日我9月29日守門将金基泓の疏」テキスト化省略)


 右二通の上疏は已に殿下の下に達し居れり。而して上疏者金基泓の如きは、一丁字を解すること能わざる者にして、縦令誅に遇うも其実を言わずと申し居れり。実に怪しき事に候。

 

(「明治27年 「秘27、8年戦役戦況及情報」12月12日 釜山 今橋兵站司令官 川上兵站総監」より、()は筆者。)

 秘 新聞に掲載するを禁ず

電報 十二月十三日午後一時五十五分 釜山発
同同同四時四十五分 着

 慶尚道に在る「サイブンジョ」と云う者、目下暴徒を嘯集しつゝありとの情報を得たり。
 此者は永く大院君の許に在り。今回、兵を挙ぐるも亦大院君の密命を受けたるなりと云う。
 此事は大邱府に在る開化党の一人「ジョショウリョク」と云う者、財産家にて元と大院君に愛されたる者なるが、其後意見を異にし、目下大院君とは全く反対にて、大院君より大邱府監司へ内命を下し、「ジョショウリョク」を殺し、財産を取上げんとなしつゝあり。大邱監司は、大院君の親族なり。「ジョショウリョク」は遁れて昨夕釜山に来り居れり。
 「サイブンジョ」は「ジョショウリョク」の大院君と反対なることを知らず、同党派の者と思いて軍用金の事を相談せしより顕われたるなり。
 此事は領事よりも井上公使に報告する筈なり。「サイブンジョ」が暴徒を集むる地名は、尚州(慶尚道)なりと云う。尚お取調中なり。

   釜山
     今橋兵站司令官
 川上兵站総監