(在朝鮮国山ノ城管理官建白書ノ件)から現代語にし、分かり難い表現や旧語は意訳した。また括弧の内、[ ]は建白中の小文字による補足文であり、( )は筆者に依る。


 釜山港貿易景勢及び朝鮮国情に付き建白

 本港貿易の景況を見るに、条約の改約以来、やや輸出入の増進に向かっているとは言え、これまでの輸出入の貿易高は年間凡そ42、3万円ぐらいである。[我が輸入物のうち、本港の日本人が消費しあるいは貯蔵して年を越える分である凡そ3、4万円を差し引いた額である。](黒田全権派遣時の明治8年では約30万円ぐらいであった。対韓政策関係雑纂/黒田弁理大臣使鮮日記

 商人達はあくことなく種々進歩の目的を立てて励んでいるが、その目的というのが例えば、朝鮮の国俗である素衣(白衣)から、染め布を用いるようにさせれば、我が国の物品は自然と需要が多いようになるだろうとか、或いは、砂金や金銀などをこの一年の内には取引できるようにしようとか、その他いろいろの望みを立てるが、これらは勿論、夢想に過ぎず、本港だけでその望みを達することは出来ないものである。

 それで、金銀はかねてから我が国の商人がいずれも買わんと欲し、まずこれを買うことが当面の目的と見えて、朝鮮人商人も随分とこれを持ち込む者もあるが、彼らは金銀と穀物は、韓銭(朝鮮貨幣)で買わないなら売る事をしない。[金銀は金巾(カナキン・細く上質な綿糸で目を細かく薄地に織った綿布)に替えることもある。しかし金巾に替えるのもすぐに交換するのではなく、まずその場で金銀を韓銭で何貫文と言い立て、金巾を何貫文と定めて売買するので、利益が無いことが多い。]

 最近、金巾類は朝鮮の洋銀相場の都合により兎角に購入し難く、したがって(朝鮮側の)輸入も少なく、日本人が蓄える僅かの韓銭は、朝鮮米を小買するに足りないぐらいで[居留地では韓銭が常に少なく高価である。それゆえ全体の貿易に差支えるほどである。]、今のように我が国の貨幣と交換する相場が二十四半掛け[すなわち1円につき408文である。これは我が邦人同士の相場である。]の高価で、朝鮮人はまた金銀などは定価があるらしく、我が国の交換相場の高低に拘らずに売り出そうとするから、引き合わないので買い入れも出来ない。朝鮮人もまた金巾類は需要が甚だ多いのに、交換する物貨も少なく、また全国的に貨幣が融通していないと見えて、その不足を補うには足らないようである。[あるいは言うのに、国中の韓銭総数は8百万貫と。しかしこれは甚だ不束な説である。朝鮮人の説からでたのであろう。この国では官吏達ですら国の人口を知る者はいない。まして貨幣の数をどうして知っておろうか。朝鮮は小国であるといえどもどうして8百万貫文ぐらいに止まろうか。思うに、貨幣が不融通なのでそう言うのであろう。たぶんに官庫貯蓄及び官吏ならびに富家の密貯などに埋もれているものが甚だ多いであろう。これはみな栄を隠し貧労の体を装い、収斂の甚だしきなどにより察するところである。]

 また、貿易物貨を運搬する道も開けず、また銅貨のみの国であるからこれを運搬するのも[牛馬を使うときもあるがたいていは人が運んでいる。物貨の運搬も多くはそうである。]また容易ではない。為替の手段が全く無いわけではないが、その手数料が不当に高くてこれに頼ることは難しいと言う。[思うに不規則にして恐るべき事情もあるだろう。]

 これらの事情により貿易の振興は甚だ期し難いものである。

 しかしながら今後、東莱府中などを自由に往き来し、貸し売り等の方途が開け[東莱府中には諸地方から公館に貿易する者は多いが、日本人に慣れ親しんでいないところから東莱府の人に託して貿易をすることがあるが、仲買人などで日本商民が門を出て直接に責め到る恐れが無いのをよいことに詐欺をする者があり、ために日本商民は危ぶんで存分の貿易をする事が出来ない。]又は韓銭相場が自然と下がれば金銀なども買って引き合うことに至り、諸物貨も併せて今日よりも進歩する日もあろうか。

 官吏の貿易を障害する者を排除し[甚だ難しいが]、我が国の商民を近村の人民と互いに往来自由にさせれば一層の進歩となろう。しかしそうなっても予想するに、朝鮮政府はひとつの変革もしないので、本港だけの所では出入り物価の高も年間6、70万ないし8、90万円を越すことはないだろう。

 今朝鮮が最も需要の多いのは金巾類であり、それでも年に僅かに13、4万円の高を輸入する。思うにこの国は全体に綿花の産が少ない国柄であり、国産の木綿は粗悪であり、[上品もあるが頗る高価である。]晴れ着などに使うのは金巾類を要するのが一般慣習となっている。されば、当面国中の人民およそ8分の1ぐらいは年に一揃いぐらいの衣裳は必ず用いるものと思われるにより、ここに国中8道の人口を少なくとも1800万人と仮定し、そのうち慶尚、全羅、忠清、江原の4道は日本から輸入するとすればこの人口は900万人であるから、この8分の1の人口すなわち112万5千人にて、金巾1本を4人で用いるとするなら、[我が国で(1人)1着と称するが、朝鮮は1人分には2着分以上なければ不足となる]その数28万1250本であり、その値[朝鮮での相場]は102万4500余円である。それであるから、朝鮮が今輸入するところの金巾類一年分の需要の額を引いても[8、90万円分の金巾類が不足していると見積もって]なお日本から輸入する金巾類が4道の需要から甚だ不足していると見る事が出来る。

 そのほか、我が国の物貨を朝鮮の商人が求めていて得られず、我が国の商人が売ろうとして出来ない、などの事情が勝っていることは言うまでもない。[朝鮮の民は皆貧しさに落ち着いていて何も強く求めない情実がある。しかし勿論これらは生産者でもあるが、金巾であれ何であれ、鼻先に商品を突きつけて見せねば買う意欲も出ないところから、我が国の商人が朝鮮の小商人を使って仕入れと称して貸し売りをするが、この者どもは甚だ悪弊あって、その為に我が国の商人が倒れるに至る者がある。]

 今、これら貿易が進展しない理由をまとめれば、朝鮮は国産品が多くない上に運送の便がなく、金銀貨の通用がなく、政府は外国人が多く入国するのを忌み、新珍なる物を嫌い[賄賂用には奇なる物を求める者が無いわけではないが、もっぱら庶民のそれを扱うことを嫌うと見える。]、日朝人民の交際を妨げ、本港の全体は昔の人家離れて和館内で固まっていた時と異ることがないなどによる。

 そもそも、貿易振興の為に緊急を要する事は、朝鮮の官吏に条約を信守遵奉させて[朝鮮側は日本を拒む事においては(条項を楯に)「条約金石の如し」と言ってその他の条項はないかのように言いつのってしきりにこちらを弱めようとする。]、東莱府および遊歩範囲内は両国人民往来を平均化させることにある。

 しかし、古来から朝鮮の吏民は日本人を忌み嫌い蔑視するの情がある。今なおそうなのでこの件は殊に至難である。

 その原因を察するのに、初めは、古昔の三韓時代の時から我が国はしばしばこの国に事を起こし、中古には倭寇の患い、豊臣氏の激討下り、或いは宗氏の家臣らの亡状の弊害があってここに至ったか、と思ったが、よく観察すると真の原因は必ずしもこれらの為に生じたものではないようである。
 もっとも、豊臣氏の討伐は今に怨み言のないわけではないが、これらはもはや数百年の久しきことにより自然と消失したと言ってもよい感がある。
 また、宗氏との交際上に「横目(監視人)」と称する者が跋扈しなかったわけではないが、これらは結局は和館の中に閉じ込められて、朝鮮人がそれに会うのも僅かの雇い役人、あるいは朝夕の魚菜販売の賊奴にとどまり、館司をはじめ代官方の者は、ひたすら米穀などを朝鮮側に仰ぐの事情により、実はかえって朝鮮側から苦しめられた者多く、ただ訓導なる者は交際を担当しながら私的に取引をして時々違約などが多いので、代官方に呼んで強く脅したまでに過ぎない。
 また、渡海船が「脇乗り」と唱えて他の港に行き「五日次[オイリ]」と称して朝鮮側から糧米を受けた上に取って故意に碇泊を永くするなどの弊があり、もっぱら朝鮮側の支給を貪る事は常であるそうだが、この糧米は朝鮮の官庫から支給したものであり、その時には官吏が中間に入って私有し、かえって(官吏が)その役得を喜ぶぐらいで、これらの数件は未だ朝鮮の国人が挙げて日本人を忌み嫌い卑視する根本原因とするには不足のものであるだろう。

 私が、この地に滞在することすでに年久しく、今一々証拠を挙げるを得ないが、これまで朝鮮の官民に接する上に於いてこの原因を観察するに、この国はもっぱら支那の傲慢自尊に倣い、且つ清国の主はかえって北の狄種(野蛮の異国人)をもって立てたれば、今はもはや宇宙間において唯独り聖教賢伝の宗匠と自負し[日本に対してはなお支那を頼みとする気配を顕している。]、四方を夷狄視するの情、およびその内腹の微弱なるを見透かされることを恐れ、つとめて人民が他国の人を忌避するように仕向けることに起こり、我が国の人間が自尊に居ることを心よしとしない情があるのを自然と感ずる。

 それのみならず、朝鮮は我が国の国力が上にあるのを嫉むの情に成るものであり、古来我が国の人間の(朝鮮での)跋扈は、その忌嫌心を幾分か増させたと言うことも可能性としてはある、ぐらいのことである。

 今や、よくよく探偵して朝鮮一帯を観察すると、政府が人民を虐げること実に極めて、人民塗炭の苦しみ真に見聞するにも忍びない惨状である。

 目下、見聞するものを一二あげると、その監使と称し、府使、僉使と称する者よりその下の小吏に至るまで、もっぱら土民の膏血を絞るの[商人も少しくの有力者は、品位、五衛将などの官位を買い、且つ官吏にへつらい、その威勢をかりて土民を圧迫して押し買いなどをする者ばかりであり、そしてそれらは皆また官吏に掠め取られる。]一事に汲々として[暗行御史(官吏を監視する役人)もまた多くそうである。]種々に事寄せて罪なき者を入牢させ謝宥銭(免罪金)を出させるなどは常務のようで、どうもすれば厳棍酷責を加える如きは皆その収斂私貪の手段であることは述べ尽くすことが出来ない。

 府使の如き官吏が着任すれば、まずその地の人民は債主が責めに来たような思いをすると言う。
 地方官はその地の者に高利の[およそ10ヶ月で倍となる、あるいは1斗に付き6、7升もあり、また4、5升なるものもあると言う。]貸し付け米をし[官米を以ってする。これを還納米と称する。これは公然、地方官の務めのように聞こえる。この事は元は善根から生じたものであろう。最近聞くところによれば、もっぱら官吏の私営であって貧窮の者には決して貸さない。また、これを貸し付けるときは籾米の至極悪しきものを以ってあらかじめすり替えて置き、この悪品を貸し付けて上品を納めさせるなどのある上に、一体に圧迫甚だしく人民の至って迷惑するものであると聞く。]、これを収めさせる時に至れば、自ら行列を厳装して催促に巡回し[官庫が諸所にあってこれに寓宿して攻めると言う]その責迫は実に厳重なものと聞く。

 このような情勢により、人民は間々蓄財の者があるも、皆その床下の土中などに隠匿し、真に赤貧の体をなし、その禍を避けると言う[その実状は目下現に観るものが多い]。

 また、官吏の職位につく者は悉く苞苴(おみやげ・賄賂のこと)を以って就く。

 水陸軍統営の主将すなわち統制使から各水陸の節度使のような者に至っても、私営のために一つの武備に心掛ける暇もないものと見え、釜山鎮を始め、未だかって武器類を求めるなどのことなく[賄賂おおいに行われる国であるから、もし求める事情があるなら刀剣、短銃などいずれ我が公館から幾分かこれらを買い求める者があろうに、かつてそのことがない。ただし、京城からは小銃、大砲など少々求めることはある。(例えば明治11年7月に臼砲1挺を弾薬付属品と共に購入している。(朝鮮国政府ヘ臼砲払渡ノ儀伺))]、何かの備えをしたということを聞かない。現に水営(海軍)の常備艦を見るに悉く朽ちくずれて使えなくなってから久しきものと見える。しかし大典会通などの(重要儀式)が展開すれば形の如く整頓する。
 いったいこの国の制典は紙上に徒列するのみで実際とは違うものである。

 (官位職位などの)試験に合格することも銭の力によってなり、「丁年、輩一書を習い、一つ文を読み、一つ弓を引く(成年男子の習い)」も皆ことごとくその志は、行く行くは随意に土民を絞るの資とするにあるのみ。
 ゆえに人民の苦しみの思い遣られて憫然たる状は今まで見聞するところなるが、一昨年に稀有の飢饉に際し、餓死者の路に横たわるに至っても政府は、こちらから勧めた買米にも着手せず、ただ天命なりと言って救済をせず、近頃に至っては色々新規の課税が多い。[租税は田畑、船舶、芦田、塩田などの他に収米と称するものがあって、これは我が国の区入費(地方税)というようなものから、官吏出張などから種々の臨時に収めるという「今新規」の税というものも多くはこの取立てのかさむを言うのであろう。また項願納米と言うものもあると聞く。]

 今は早や我が館に出入りする小前の者ども(平百姓のことか)は曰く。「早く日本から兵を向けてこの政府を倒さんことを」と。また「日本の軍艦はなんぞ徒に来ては一つ事をなすことがないのか」と。
 そのほか普通の人民も我が国を敬い慕うにはもとよりないが、今は「日本から兵端を開かば開け、誰人か謀叛を図らば図れ、もしそれがあるも人民は誰が国家の為に死を軽するものがあろうか」という情が国中の官吏を除いて他は恐らく8、9分あるだろう。[近来、我が国の制度まさしく人民を愛護するを羨む者あるを聞く。しかし全くの無気力の民情なればその官吏に駆使せられる姿はあたかも犬の子の如くして尚よく我が国の人に吠える。]

 そして文学のことを言えば、この国また我が国の如く仮名字あれどもそれで書きたるものは諺文と唱えて小説本あり、且つ卑しむものなればそれぞれの著書なども無いも同然である。とかく学問するといえば漢文学すなわち一字一画を一世にしらべるものであるから資産潤沢の者でなければ学ぶ暇はない。無論馬鹿げたものであり、おのずから教育が行き届かないから下民は国中でたいがい野蛮にして、加えて古来からの圧政にひしがれてその無気力さは言葉にならない。

 しかしながら官吏は官吏だけ、下民に至るまで狡智にはすこぶる長けている。
 それで少し学のある者は意味もなく「先王の道」と称して、いかなる説を聞いても決して変わらず、文は巧みで且つ頑癖であることが甚だしい。

 ああ、この国の人の不霊(魂がないも同然の意味か)なる、何れの世にか五官中一牅を開かん。団々たる一つの古い凝結物なり。

 以上のことは、実地に伝聞観察するところのおおよそであって、その万事に我が国とは反対の国柄であることは言うまでもない。
 それなのになおこの国を唇歯の国(朝鮮のことを強い結びつきある隣国であるとして昔からこのように言う。)と言うべきや。

 いずれ朝鮮の国内動向は分裂の他無いであろう。そうであるなら、たとえ如何なる条約を結んでも仕方のないことで貿易が振興することもないだろう。

 ここに熟考すれば、我が国は穏当に条理をもってこれを追及しその覚醒を待って誘導せんと欲するも、如何せん、朝鮮は日に月に破滅の闇に疾駆して、且つ先年には我が国の維新の報を容れず、森山、広津等は寛猛の術(寛大さと厳しさ)を尽くしてここに従事すること6年間、なお朝鮮の曖昧模糊の策に弄されて遂に成らず。

 しかして、江華島の一件があっても、なおその古い体質を改革することはせず、修好条規の第一款の「寛裕弘通」の趣意にそむいて、理事官(宮本小一)の穏当優裕の講定を狭め、なお且つ欺いて[初め、朝鮮は理事官に言うのに、東莱府中および釜山城下に遊歩する日本人の為に休憩所を設けると言って、我が国の人の行歩をしばらく断り、後にその設けたのを見れば府中のものは「口ノ別武士庁」で日本人を篭絡する所、釜山城下のものは「譏察所」と称して暗に本港貿易を制限する一つの関所である。これらは一交際官の所為のようであるが、実は官吏がこのような奸計をしたのではないから、何か問題が起こればもちろんその罪は朝鮮政府にある。]始めから条約を実践せず、こちらが幾度これらを弁論するも、諺にあるいわゆる「糠に釘」[故意である。]であり、決して通じることはなく、(花房)代理公使の入京の時以来、その彼らの挙動は今更ここに枚挙におよばないほどであり、その所為を何と言わん。

 そして、朝鮮で我が国の言葉に通じる者いわゆる陪通事は小通事であってこれらは元は魚菜販売者から成り立った賊奴にして我が国の文字は一つも解さないのはもちろん、真の通訳者と称すべき者でなく、今なおそれぞれ稽古させることに着手せずに、後7年たてば日本から送る書に漢訳文を添えないことは条約に記載されているが決して意としないようである。
 これらはもとより日本人を蔑視し条約を軽蔑しているからである。
 これをどうやって誘導する道があろうか。

 ただ掣肘鞭撻(肘を引き鞭を打ち=きびしく監督する)を以って文明に向かわせるの一路あるのみ。

 願わくば、我が政府はこのような醜悪なものを隣国に置くべきではないという義心を込められて断然これを破解されんことを。

 まさかの時には以上のような国情なので人々は実に怯懦にして真に刀剣が頭上に迫らんとする状況になれば、必ず驚愕狼狽逢迎を厚くし我が意に従順し一時に氷解の色を見るであろう。そして再び事の治まるに至ってまた凝結するに違いない。故にこの凝結をよく解かんとするなら、冒頭から戦意を決して非常の要請をし、再び凝結を固くすることができないようにして、ようやく開化させるの図画をなさざるべからず。
 そして廟堂の宏謨(朝廷の大きなはかりごと)は格別猶この上にあらんことを。

 これらの事はいまだ尽くし得ない所があって、すなわち事を好むに属し、また微弱なる草昧国(弱く未開で人知未発達の国)を処するに厳しく迫れとの世評如何というに至っては、私が如きがまた言うべき事を知らず。
 誠に身分を越えた出過ぎたことであるということを恐れるといえども、いやしくも職を海外に奉ずる者が殊更に敢えて実況の観想を併せて献じないわけにはいかないのである。

 以上、謹んで建白する。

       在釜山港管理官
明治十二年一月十五日 外務三等属山ノ城祐長
   外務卿寺島宗則殿

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