14日午前1時55分発
内閣松方総理大臣へ、京都御所伊藤貴族院議長より。
天皇陛下は暫く京都に御駐輦。将来の形勢を見定め御帰京の積り。(露国)皇太子は神戸の軍艦に移れとの(露国からの)訓令のみなり。一両日の内には大体分るべし。貴官此地に御越のことは、明朝評議の上、返事に及ぶべし。
(「大津事件○来信電報」p66)
14日午前3時40分ガチナ発
日本皇后陛下へ、露国皇后陛下より。
陛下は余の親愛する太子の容体に付、好報を送られたるは余の幸福にして感謝す。又皇帝陛下は太子を兵庫迄御同行されたる御厚意の程は、余等の最も感銘に堪えざる事なり。
マリー
日本皇后美子陛下
(「大津事件○皇室御往復書信」p21)
14日午前7時発
京都 西郷内務大臣、青木外務大臣へ、松方総理大臣より。
榎本は六時の汽車にて発す。新橋にて別れたり。
(「大津事件○発信電報」p20)
14日午前8時25分発
京都 黒田顧問官、伊藤議長、西郷内務大臣へ、松方総理大臣より。
井上伯、野村子、昨夜乗車、其地へ行く。
(「大津事件○発信電報」p21)
14日午前8時25分発
京都 伊藤議長へ、松方総理大臣より。
返答請取る。今般の処分順序に付、至急御直談致し度。拙官其地へ参ること御許しを頼む。
(「大津事件○発信電報」p22)
14日12時発
西郷内務大臣へ、松方総理大臣より。
沖滋賀県知事及斎藤警部長進退伺提出せるに付ては、速に免官の御取計相成然るべくと存候。御意見如何にや。
(「大津事件○発信電報」p23)
14日12時50分発
内閣松方総理大臣へ、京都御所西郷、其外より。
貴官、此地御越の事は相談したる後、奏問せしに、万事掛引の為め其地に止まれとの御沙汰なり。
(「大津事件○来信電報」p69)
14日12時50分発
内閣松方総理大臣へ、京都御所黒田、伊藤より。
皇后陛下、皇太子殿下御同道、露国皇太子殿下を軍艦に御訪問の義、上奏に及びたる処、既に昨日帰艦相成たる上は、更に其義に及ばずとの御沙汰ありたり。
(「大津事件○来信電報」p72)
14日午後1時30分発
西郷内務大臣、青木外務大臣へ、松方総理大臣より。
平井賞勲局書記官、勲章を携帯し只今出発せり。露国皇太子随行員叙勲の義は、貴官より直に天皇陛下へ御上奏にて可然御取計あれ。
(「大津事件○発信電報」p24)
14日午後3時35分
内閣松方総理大臣へ、西郷内務大臣より。
沖知事処分の義は、(露国)皇太子殿下より陛下へ御懇話の次第有之。伺中に付、追て御回答致すべし。
(「大津事件○来信電報」p76)
14日午後3時35分発
松方総理大臣へ、京都御所 青木外務大臣より。
露国ニコラ皇太子及希臘ジョージ親王へ御進贈なるべき菊花大勲章も平井氏持参するや。然らざれば、今夕の便を以て御郵送ありたし。
(「大津事件○来信電報」p79)
14日午後5時30分発
宮内省花房次官、香川大夫へ、神戸 三宮式部次長より。
露国皇太子殿下御容体は御乗艦後少しも御障なし。本日始めて繃帯を換させられたれども御痛もなく、御熱もなし。亦、威仁親王殿下并に接伴員を午餐に召され、御機嫌麗しく御話しあり。追々御平癒に趣かせらる。
(「大津事件○各庁通信」p40)
14日午後6時30分発
青木外務大臣へ、松方総理大臣より。
平井書記官、菊花顕飾章一組、菊花大綬章二組持参せり。
(「大津事件○発信電報」p25)
14日午後6時40分発
内閣周布書記官長へ、京都多田書記官より。
上奏物、今日の運びに至らず。明朝評決すと外務大臣の命あり。
(「大津事件○来信電報」p83)
14日午後7時半発
西郷内務大臣、伊藤顧問官、黒田顧問官、青木外務大臣へ、松方総理大臣より。
くつしまちうけたる露帝陛下より我陛下へ本日の電信、誠によき望みある様思う。ついては御予定通、東京御出の運びを望む。
(「大津事件○発信電報」p26)
14日午後10時発
露国皇后陛下へ、日本皇后陛下より。
皇太子殿下御容体は御乗艦後も御障りなく、追日御快方に赴かせられ、本日始めて包帯を換えさせられたるも御痛みなく御熱もなきよし、神戸より電信を領せしを御通知致すは最も悦しき事なり。
皇后宮
露国皇后陛下
(「大津事件○皇室御往復書信」p11)
14日午後10時25分発
宮内省花房次官へ、京都 土方宮内大臣より。
露国皇帝陛下より左の通電報ありたり(12日午後8時10分発か)。総理大臣へも通知あれ。
(天皇陛下へ、露国皇帝陛下より。)
「陛下、余が男に対し、特に懇情を表彰せられし候。余に於て深謝の至りに堪えず。朕は『グランシュックセザルウヒッケ』が大津に於ける痛憤すべき災難により自ら陛下を訪問する為め、予期したる総ての歓娯を失うことなきを余に於て希望する所なり。」
アレキサンドル
日本国皇帝陛下
(「大津事件○皇室御往復書信」p18)
14日午後11時5分ガチナ宮発
天皇陛下へ、露国皇帝陛下より。
朕が太子の報道を朕及皇后に送られたるの厚意を感佩し、且皇太子身辺に囲繞せる厚情と注意とに付ては、朕は鳴謝の至りに堪えず。
アレキサンドル
睦仁皇帝陛下
(「大津事件○皇室御往復書信」p17)
14日午後11時5分発
松方総理大臣へ、西郷内務大臣より。
大山、高島の両中将、至急当地へ罷越す様御命じ相成りたし。
(「大津事件○来信電報」p88)
14日発、16日着
青木外務大臣へ、在露国西公使より。
露国政府の意向は、余程宜しき方に傾けり。ギエールス(ギルス)氏曰く、
「皇太子殿下の予定の路程を変更することなく進行せらるべきや否は、一に凶行者の性格及び兇行の原因等を吟味し、其結果如何に依りて決定すべきものとす」と。
当地の或る役人社会及其他の部分に於ては、本件は外人の教唆に胚胎するなきや、殊に露人の教唆に係るやも知れず、と疑念を抱く者あり。
(「大津事件○外務省発受電報翻訳」p22)
14日発
青木外務大臣へ、在露国西公使より。
本日の露国官報に掲載せし事項の直訳は左の如し。
「皇太子殿下は、二日間西京に御滞在後は最も健全にして御機嫌宜しく、殿下は本日帰艦あらせられたり。日本皇帝陛下は、西京に於て皇族及び顕官を率いて皇太子を御訪問あらせられ、且つ神戸波止場迄御同判遊されたり。日本の官府及人民は殿下の御遭難に付、痛悼慨歎に堪えざるの意を表せり。」
(「大津事件○外務省発受電報翻訳」p28)
15日12時30分発
西郷内務大臣へ、松方総理大臣より。
大山、高島両中将は、今夕の汽車にて御地へ向け出発の筈なり。
(「大津事件○発信電報」p29)
15日12時30分発
西郷内務大臣、青木外務大臣へ、松方総理大臣より。
天皇陛下は当分京都へ御滞在の御積りなるや。露国皇太子殿下は当分神戸港に御滞在なるや。又は近々東京へ御来遊の御模様なるや。
(「大津事件○発信電報」p30)
15日午後1時40分発
西郷内務大臣へ、松方総理大臣より。
矢島海軍大尉より左の通、海軍大臣へ電報せり。
「(露国)政府は非常に遺憾の様子なり。併し現今の模様は困難ならず。」
14日露京彼得堡(ペテルブルグ)発。
(「大津事件○発信電報」p31)
15日午後3時45分発
内閣周布書記官長へ、京都御所多田書記官より。
只今枢密院へ御諮詢の御裁可、侍従長より電報ありたり。右勅令案御回しあるべし。
(「大津事件○来信電報」p90)
15日午後4時30分発
松方総理大臣へ、京都御所西郷内務大臣より。
陛下還幸の御日限未だ定まらず、露国太子神戸去留の事も同様なり。
(「大津事件○来信電報」p97)
15日午後5時30分発
松方総理大臣へ、京都御所西郷内務大臣より。
沖滋賀県知事及斎藤警部長進退伺届分の件に関し、小官の意見御問合に付熟考するに、右両人は単純なる免官にては処分軽きに過ぐるを以て、懲戒例に依り免官処分に及び然るべしと存ずれども、沖知事は就任以来、日浅きに付、寛容の取扱に相成様希望せらるゝ旨、露国皇太子殿下より天皇陛下に親しく申上られたる次第も有之。陛下も其御沙汰に相成度思召に付、沖知事だけ懲戒例に依り官職を免じ、位は其侭差置かれ、斎藤警部長は免官位記返上申付られる様、言上に及びたる処、其通御裁可相成たるに付、迅速前文の通御処分相成たし。
(「大津事件○来信電報」p102)
15日午後7時20分発
内閣書記官へ、西京御所多田書記官より。
別紙電報、司法大臣へ訳の上、至急御伝えありたし。
山田(司法)大臣へ、三好(検事総長)より。
本日の御決議に依り、管轄違い訴を大津地方裁判所へ提起することゝなれり。依て急速指揮ありたし。
(「大津事件○来信電報」p94)
15日午後7時20分発
松方総理大臣へ、京都御所西郷内務大臣より。
今日、青木、黒田、伊藤、井上、榎本、土方、三好、相会し、決議の上奏聞を経て被告人を、刑法第二編第一条適用の見込を以て、検事より管轄違いの訴えを、大津地方裁判所へ提出することを司法大臣より検事長に命ぜらるゝことに決定せり。司法大臣と御商議の上、陛下の思召を徹底せしめられよ。
(「大津事件○来信電報」p99)
15日午後7時55分発 16日午前6時5分着
松方総理大臣へ、京都にて野村より。
津田を死刑に処することは、陛下より直ちに三好に御命令あり。依て大審院判事へも亦其思召を貫徹せしむ様御尽力ありたし。
(「大津事件○来信電報」p107)
15日11時25分発
花房次官へ、土方大臣より。
威仁親王を露国へ差遣わさるゝにつき、枢密顧問官海軍中将榎本武揚へ特別随行を仰付られたり。又能久親王へ、露国皇太子殿下御相伴仰付られたり。右夫々言上通知あれ。
(「大津事件○各庁通信」p41)
15日発
青木外務大臣へ、在露国西公使より。
露国外務大臣の機関新聞なる「ジュルナル・ド・サン・ヒートルスボル」は其記事中、特に左の一項を掲げたり。
「皇太子殿下は、研究の為め、東洋諸国を漫遊し、到る所敬愛と懇切を以て待遇せられ、現今日本国に御滞在中なり。而して殿下には該帝国の或る都府に於て盛大熱心に歓待せられ、且つ不慮の兇変に遭遇せられたり。此兇行の原因は未だ判別せずとは雖も、狂者若くは精神惑乱せし者の所為と見做して可然と信ぜらる。」
(「大津事件○外務省発受電報翻訳」p24)
15日発
青木外務大臣へ、在露国西公使より。
ノヴォエ・ウレミヤ新聞に左の論説を掲げたり。
「本件の要点は、今回の事変たる、異教徒信者或は狂者の所為なりや、将た其他の者の所為なりやの問題是れなり。此点に関しては目下吾人の判断に苦む所なり。又今回の事件を惹起するに至らしめたるは其罪何人に帰すべきや、是亦未だ確知するに由なし。吾人と親懇なる日本国が、我太子に危害を加えしことを防ぐ為めに充分なる取締りを為さゞりしは解すべからざる事なり。露国は日本政府が該犯罪に関し、周到厳密なる求刑処分を為し、且つ兇徒及其連累者を厳重に処罰せられんことを期望するの権利を有するものなり。」
又或る一新聞は、今回の本件に就き沈黙を守りしが、今日に至って左の如く論ぜり。
「即ち、日本は充分なる満足を与うるの義務あり。因て此義務を尽すに躊躇せざらんことを期望す。」と。
(「大津事件○外務省発受電報翻訳」p37)
16日午前2時40分着
青木外務大臣へ、在墺(オーストリア)国維納(ウィーン渡邊公使より。
今回の凶変は大いに驚駭を惹起したれども、左迄に情感を撹動せず。是れ幾分かは露国がユダヤ人を待遇する素振とバルカン半島に於ける謂わゆる露国密謀とに対して、目今世に存する感情に起因するものなりと思惟せらる。
我国が大賓に対するの好意と待遇適当なりしことは全世界の公認する所にして、今般、一狂人[即ち鎖港主義の復活を計るが如き念慮なき者]の作為せし出来事に関して、殆んど其責任を負うに及ばざるものと見做さる可し。人民は一般に露国皇后へ皇太子并に希臘親王ジオルジに対して深く休情を表せり。且つ、同皇后は予て両殿下遠路の旅行を好ませられざりしに両殿下、今回の御遭難に付ては殊に宸襟を悩せらるゝとなり。
(「大津事件○外務省発受電報翻訳」p23)
16日 勅命
明治二十四年五月十六日、内閣総理大臣、各省大臣へ。
「朕茲に緊急の必要ありと認め、枢密顧問官の諮詢を経て帝国憲法第八条に依り、新聞紙雑誌又は文書図書に関する件を裁可し、これを公布せしむ。
御名 御璽」
16日午前6時20分発
内閣周布書記官長へ、西京、寺嵜より。
御用書類持参、今日出発す。手紙のことは御取消しありたし。
(「大津事件○来信電報」p111)
16日午前8時55分発
内閣周布書記官長へ、京都多田書記官より。
今朝汽車にて寺嵜にもたせ帰京を命ず。枢密院の議に付せられたる勅令議決の上、電報にて言上の手続書も入れ置く故、同院へ協議ありたし。
(「大津事件○来信電報」p109)
16日午前11時30分発
青木外務大臣へ、松方総理大臣より。
皇太子御帰艦後、艦内景況、野本海軍大尉より聴取りの侭報告す。
艦内乗員の人気は御帰艦後は平常に変ることなし。艦内警備は充分に兵器の用意整頓せり。
昨日午前十時、御本艦に坊主呼寄、御祈祷あり。
皇太子御進退に付、本国に御伺なりしに、皇后陛下より返信ありたれども天皇陛下(露国皇帝陛下)よりの御返信に依りて御進退を決する筈なり。
来る十九日、浦潮斯徳へ向け直航の命令ありし由し。
露国公使に無名の郵便数通到達せり。其意味は、東京地方に皇太子を暗殺せんとするものありと云えり。
露国軍艦シウチ号、近日浦潮斯徳より来着の筈。出艦前日、皇太子を慰めの為め端舟競争の催しある由。
(「大津事件○発信電報」p36)
16日午後4時35分発
西郷内務大臣、青木外務大臣へ、松方総理大臣より。
露国公使館へ投書せし者は、以前より売込に出入せしもの、近頃出入りを止められし怨ならんと。不審の者あり。五人を拘引したり。筆跡も似たるよし。
(「大津事件○発信電報」p40)
16日午後5時発
内閣周布書記官長へ、京都多田書記官より。
津田三蔵、加納順一、二人の勲位剥奪并に島立正三郎位記返上は、唯今御裁可済たり。
(「大津事件○来信電報」p116)
16日午後5時30分着
青木外務大臣へ、在米国 建野公使より。
当地に於ては日本の為め不利なる評論なし。諸新聞は詳細の報道を掲載せしことを切望するを以て、日本の為め利益となるべき事実、殊に兇徒の性格及兇行の原因等に関する事項は、之を掲載せしめて日本の利益を計ることを得べし。
(「大津事件○外務省発受電報翻訳」p27)
16日午後6時着
青木外務大臣へ、在伊国臨時代理公使
当国に於て悪感なく又誤認なきを報道するは欣喜する所なり。当国の新聞紙をして、訛聞を伝えざらしめん為め尽力中なり。在伊露国大使は、我天皇陛下及人民より満腔の哀情を表せられし為め、大いに満足せり。
(「大津事件○外務省発受電報翻訳」p25)
16日午後6時着
青木外務大臣へ、在仏国臨時代理公使
今般の犯罪は果して巡査の所為なるや、又真個の迷信的狂人[ファナチック]の所為なるや、或は露国虚無党の陰謀に関するや、当地にては未だ判然せざるを以て、今日迄は一般の感情、我々の為め左程悪しからず。乍去、皇太子に対し悲歎の情深し。
(「大津事件○外務省発受電報翻訳」p26)
16日午後7時30分発
露国皇后陛下へ、日本皇后陛下より。
露国皇太子殿下には御熱も在らせられず、且つ御疵処も御全癒の上、痕跡を留めざる様御付医の診断に付御安心を乞う。
皇后宮陛下御名
露国皇后陛下
(「大津事件○皇室御往復書信」p14)
16日午後7時40分着
青木外務大臣へ、在独国西園寺公使より。
独逸に於ては露国皇太子遭難の報に接し、更に激昂の模様なし、然れども皇太子及露帝に対し一般の痛惜の意を表せり。
兇行の原因未だ判然せざるを以て、諸新聞は深く哀痛を吐露せず。数個の新聞紙は虚無党の所為なる旨を断言せり。独逸外務大臣は左程重大の事件に看做さゞるものゝ如し。兇行者は巡査なりとは果して事実なりや。
(「大津事件○外務省発受電報翻訳」p34)
16日午後8時30分着
青木外務大臣へ、在露国西公使より。
諸新聞の論説は、一般に甚だ穏当なり。
甲の新聞は曰く。「此凶変は全く前知する能わざる一個の不幸事件に外ならずして、其地方の民情に関係せざること、恰も野獣の侵害又は狂人の暴行、之に関係せざるが如し。」と論ぜり。
乙の新聞は曰く。「世人の最も友情歓待を予期する所の国に於て、皇太子の遭難ありしは驚歎すべき事なり。仮令左程甚しき兇暴残虐の罪業にても、其説明の理由を有するものなれども、此暴行は不法無道にして其原因及目的を断定するは人知の能く及ぶ所にあらず。而して此非挙の理由を説明する所の詳況を知悉せざる間は、其原因を以て発狂又は急変の瘋癲に帰するなるべし、云々。」
丙の新聞は曰く。「此驚怖すべき報道の達するや、到処として恐痛と最深き厭悪を発せざるなし。最初の簡短なる電報のみにては此暴挙に関し確言する能わざれども、茲に明確なる一事は、日本人は善良にして露国に対し友情を表する人民なれば、其平生に反して此罪業あるべからざる筈なり。而して此罪業は狂人又は悪人の行為なること固より疑を容れず、云々。」
丁の新聞は曰く。「暴行の詳況は未だ之を知るを得ざれども、其外観の如何に拘らず、従来日本の人民は露国に対し友情を表する者なれば、今般其国土を汚涜せる罪業に関係を有し得るものに非るは論を俟たず。惟うに、今回の事件は単一の出来事にして、日本人民は之が為めに憤激すること恰も露国人民と異ならざるべし、云々。」と。
其他の新聞は概ね同一の言辞を以て同一の意趣を陳述す。
(「大津事件○外務省発受電報翻訳」p35)
16日午後11時25分発
花房宮内次官へ、土方宮内大臣より。
聖上[露国皇太子殿下より左の通り電報あり。夫々言上及び総理大臣へも御通知ありたし。]
「余が父たる皇帝は、余が西比利亜(シベリア)を経ての旅行をなすの前、浦潮斯徳(ウラジオストック)に於て暫時休養すること必要なりと判断し、日本を辞し去るの命令を余に与えたり。依て余は来る五月十九日、即ち火曜日、露国に向て直に出発することに決定せり。陛下に暇を乞の時に際し、当国に於て陛下及其臣民より受けたる懇篤なる待遇に就き、更に真実感謝の意思を述べざるべからず。余は陛下及皇后陛下が過日来表示せられたる厚情は決して忘却せざるべし。且つ余は自ら皇后陛下へ、尊重なる敬礼を呈する能わざることを深く遺憾とす。陛下よ、希くば余が日本より持ち帰る処の記念は、毫も隔意を交えず、唯日本の帝都に於て両陛下に拝顔する能わざりしを遺憾となすことを推察し賜わらんことを。」
(「大津事件○皇室御往復書信」p31)
17日午前5時発
青木外務大臣へ、松方総理大臣より。
露国皇太子殿下の東京に着せらるゝの期、正に近きにあるを以て、内閣各員は親しく敬礼を表するの光栄を得んと希望せしに、殿下は俄然浦潮斯徳へ発艦せらるゝの報に接し、閣員等拝謁の光栄を失し、実に遺憾に堪えず。茲に謹で殿下の海路安全を祈る。右内閣各員に代り宜く御転奏を乞う。
(「大津事件○発信電報」p41)
17日午前5時発
青木外務大臣へ、松方総理大臣より。
露国皇太子殿下の吉辰に際し、余は内閣各員に代り恭く祝賀の意を表し、併せて殿下の万福を希望す。右宜く殿下へ転奏を乞う。
(「大津事件○発信電報」p42)
17日午前11時5分発
松方総理大臣、山田司法大臣へ、京都西郷内務大臣より。
三好検事長、昨夜出発、今日の五時には到着と存候に付、委細御聞取にて速に御取計いありたし。
(「大津事件○来信電報」p124)
17日午前11時25分発
松方総理大臣へ、京都御所 西郷内務大臣より。
今日、大山中将は陸軍大将に任じ、又大臣大将にて枢密顧問官兼議定官に任ず。高島中将は陸軍大臣に任ず。此旨通知す。
(「大津事件○来信電報」p125)
17日午前11時30分発
西郷内務大臣、青木外務大臣へ、松方総理大臣へ。
過日小官出張の儀、御許可を得ず。然るに露国皇太子は最早御上京ならず。就ては其前一応御伺方に出張致し度に付、尚お御評議被尽、御許可相成候様、至急折返し返信ありたし。
(「大津事件○発信電報」p43)
17日午後1時15分発
松方内閣総理大臣へ、京都 西郷内務大臣より。
貴官出張の儀、伺候処、其儀に不及、三好、今日其地着に付、御聞取りの上、其事に充分力を御尽し相成る様に、との御沙汰あり。
(「大津事件○来信電報」p127)
17日午後12時50分発
京都御所 西郷内務大臣へ、総理大臣より。
今朝の電報中の大臣大将とは、大臣待遇の誤りならずや。至急知らせ。
(「大津事件○発信電報」p44)
17日午後1時50分発
内閣松方総理大臣へ、京都 西郷内務大臣より。
大臣大将はあやまりにあらず。陸軍大臣陸軍大将にて就任のことなり。
(「大津事件○来信電報」p129)
17日午後2時45分発
内閣書記官長へ、京都 多田書記官より。
陸軍中将位勳爵名にて、陸軍大将に任ず。陸軍大臣兼議定官、陸軍大将位勳爵名にて枢密顧問官に任ず。兼議定官故の如し。右辞令二通なり。陸軍中将位勳爵名にて陸軍大臣に任ず。副署は皆内務大臣なり。
(「大津事件○来信電報」p131)
17日午後3時20分発
松方総理大臣、花房宮内次官、香川皇后宮大夫へ、土方宮内大臣より。
皇后陛下御登京のこと伺いたるに、最早時日も無之に付、御上京に及ばせられずとの御沙汰ありたり。
(「大津事件○来信電報」p134)
17日午後4時25分発
内閣周布書記官長へ、京都 多田書記官、平井書記官より。
内務大臣より総理大臣へ、左の通報告す。同件は賞勲局総裁へも通知ありたし。委細は郵便。
露国皇太子殿下、大津御災難の節、行兇者を取押えたる人力車夫、京都府平民向畑治三郎、石川県平民北賀市一太郎の両人を特旨を以て勲八等に叙し、桐葉賞を授与し、各年金三十六円を賜りたり。右報知す。
(「大津事件○来信電報」p136)
17日午後10時30分着、16日午後3時30分発
青木外務大臣へ、在英国公使の電文、在露国西公使より。
十二日付の貴電信に接し、島村を当府駐紮露国全権大使の許に遣し、惑乱者が皇太子に兇刀を加えたることを詳述せしめたるに、同大使は之を聴て驚愕したると同時に、憂愁の意を言表せり。
島村は、昨日該大使に十三日付、貴電信の大要即ち陛下の御面晤、皇族及大臣訪問、人民の憂悶の深きこと等を開示したるに、大使は親切なる報告に謝し、且つ好通音に接したることを歓喜せり。
本官は前記の談話を未だ何等の説も発表せざる所の各新聞紙に記載せしめたり。併、一般の感覚は、寧ろ日本政府が惑乱者の為めに、斯る位地に陥りたることを憐惜するが如し。
(「大津事件○外務省発受電報翻訳」p39)
18日午前11時5分着
青木外務大臣へ、在露国西公使より。
皇太子御旅行御継続の義に付、ギィルス氏曰く。
「同氏は我人民の願望を皇帝陛下に奏聞すべしと雖も、同殿下の御身上の十分御安全なることは、予て日本政府にて明らかに保証せられ、且在日本露公使にも確認せしことなれども、之に拘わらず今般の兇変ありしを以て、右の願望は同氏にて強て言上する能わざるべし。而して右は一に皇帝と皇太子との御協議に一任すべきことなり。」と。
最後の電信にて申し述べたる理由に依て、特使派遣を見合せられんことを勧告す。
(「大津事件○外務省発受電報翻訳」p42)
18日午前11時55分発
松方総理大臣、山田司法大臣へ、京都御所 西郷内務大臣より。
被告人津田三蔵、速に処分すべき旨御沙汰あり。至急御取計いあるべし。
(「大津事件○来信電報」p140)
17日午後8時50分発、18日午後1時着。
青木外務大臣へ、在露国西公使より。
唯今ギイルス氏来訪し、本宮の斡旋を謝し且曰く。
「日本皇帝陛下にて政府及人民と共に、皇太子殿下の兇変に対し、真実なる病嘆と深切なる感情とを表せられたるを以て、皇帝及皇后両陛下は、充分に本件の成行に満足あらせられたり。且皇帝陛下には日本に於て百方可及的の事を尽したるを以て、本件に関し何等の補償を要求するは、朕の忍びざる所なりとの旨を述べられたり。又、皇帝は、威仁親王特派の事に付、御躊躇の御様子にて、此上尚お通悼の表訟を受るの必要ありや、との御訊問あらせられたるを以て、自分も亦た同一の旨意にて陛下に奉答せり。」
右は公然の通告なり。次にギイルス氏は私の談話に移り、曰く。
「皇帝陛下は実に特使を歓待せらるべし。然れども、陛下は誠実に陛下将に旅行の企画あらせらるゝが故に、若し特使の派遣せらるゝときは、無余議御在京あらせられざるを得ざる旨の御訊もありたり。且特使派遣の目的は日本政府の為めにも、又本件に関係ある我輩両人の為めにも協意の事にあらざるが如し。」と。
是を以て本官は、露政府にては特使の来航を希望せざることゝ思考す。
(「大津事件○外務省発受電報翻訳」p40)
18日午後10時発
青木外務大臣へ、在露国西公使より。
露国皇太子が引続き日本国内御旅行の儀に付、露国皇帝陛下は、我政府の吐露せし衷情を十分に感佩し謝意を表せらるゝに拘わらず、右旅行を許容すること能わざるに至りたるは、深く遺憾と御思召さる。
(「大津事件○外務省発受電報翻訳」p45)
19日午前
露国皇后陛下へ、日本皇后陛下より。
陛下の親愛せらるゝ太子の遂日御快方に赴かれ、不日東京に於て御面会の歓を得んことを切に希望せしに、今度皇帝陛下より示命に依り神戸より直ちに浦潮斯徳へ御回港可相成旨の通報に接し、此歓を得能わざるは実に遺憾に堪えず。此上は一日も速に御全快にて陛下の膝下に御安着相成、幸福多祥にして、且つ皇室の益繁栄ならんことを祈念するのみ。
皇后陛下御名
露国皇后陛下
(「大津事件○皇室御往復書信」p15)
19日午前10時15分発
花房次官へ、京都宮内書記官
天皇陛下、本日午前九時御出門、九時三十分特別仕立汽車にて神戸へ行幸。露国皇太子殿下より午餐の御招待を受けさせられ、零時三十分、同殿下の御乗艦に成せらる。
(「大津事件○各庁通信」p43)
19日午前10時20分発
黒田伯 伊藤伯 松方総理大臣
榎本子へ御伝言並びに書面は正に落手承知せり。今暁の司法大臣の電報にて委細御承知相成たることと思考す。裁判官は今夕の汽車にて出発の筈に決定せり。尚お諸事御注意を乞う。
(「大津事件○発信電報」p52)
19日午後3時発
花房次官へ、神戸 土方宮内大臣より。
聖上、十二時三十分露国皇太子殿下の御招艦に成らせられ、午後二時十五分、御滞りなく御用邸へ還御あらせられたり。夫々言上あれ。委細後とより。
(「大津事件○各庁通信」p45)
19日午後5時40分発
香川大夫へ、神戸山田書記官より。
露国皇太子殿下御乗艦、四時四十分当港を抜錨す。右上申す。
(「大津事件○各庁通信」p46)
19日午後5時55分発
花房次官へ、京都 宮内大臣
天皇陛下は本日露国皇太子殿下を午餐に御招請、神戸御用邸に於て御会合在らせらるべき筈の処、左御返電ありたり。
「医師の命に依り、不本意不得止明日、陛下の優渥なる招待に赴く事の光栄を失す。特に陛下に就き親しく別を告げずして日本を去ること遺憾に堪えず。因て当方軍艦内に於て、陛下随意の時間に全く懇親なる午餐を呈し度、陛下の厚情をして望外に深からしめ、佳良の一報を賜らば、余の感悦至大なるべし。ニコラス」
依て、陛下には皇太子殿下の御招待を受けさせられ、本日午前九時御出門。同九時三十分、京都御発車、神戸御用邸より端船へ乗御。午十二時三十分、殿下御乗艦アゾー号に成らせられ、御会食あり。尋で御告別の上、午後二時、当艦を辞せられ、御用邸御休憩の後、同三時、神戸御発車五時十五分、御機嫌能く還幸あらせられたり。
(「大津事件○各庁通信」p47)
19日午後6時10分発
内閣松方総理大臣へ、京都 土方宮内大臣より。
露国皇太子殿下へ菊花顕飾章御贈りの儀、相伺候処、其儀に及ばずとの御沙汰にて、御贈進あらせられず。
(「大津事件○来信電報」p142)
19日午後6時30分発
花房宮内次官へ、京都 土方宮内大臣より。
威仁親王殿下并に榎本枢密顧問官、露国へ差遣わさるゝ義、免ぜらる旨御沙汰あらせらる旨、御沙汰あらせられたり。斎藤の随行も免じたり。委細は郵便。
(「大津事件○各庁通信」p48)
19日午後9時25分着
松方総理大臣へ、青木外務大臣より。
左の電信を露国公使より受取りし。
「威仁親王は拙者に、日本皇帝陛下は同親王を露国皇帝陛下の輦下に差遣さるべき旨命ぜられたりと、仰せられたり。此事柄は閣下[青木外務大臣]に於ても拙者へ確かめられたり。然るに拙者が今日ギェールスギ(ギルス外務大臣)より接受したる電報によれば、日本皇帝皇后両陛下の御親切に付ては、兼て露国皇帝皇后両陛下は至極御満足あらせられたり。就ては今般、有栖川親王殿下が露国へ派遣せらるゝ義は、御見合せさせられんことを懇望せらるゝ旨なり。」
此電信及西公使より来りし右同様に重要なる報告により[其写は此電信と同じく岡部子より閣下に提出すべし。]皇帝陛下は威仁親王及榎本を露国へ派遣の義は御見合のことに御決定あらせられたり。
青木
岡部(岡部長職外務次官)
(「大津事件○外務省発受電報翻訳」p43)
19日 司法省告示第65号
津田三蔵被告事件の審問裁判を為す為め、大審院は裁判所構成法第五十一条に依り、大津地方裁判所に於て法廷を開く。
司法大臣伯爵山田顕義
(「大津事件○雑」p102)
20日午後2時15分ガチナ宮発
日本皇后陛下へ、露国皇后陛下より。
余等の親愛する太子の貴国に滞在せし間、陛下が余等に尽されたる御配慮及び御好意と、陛下の御懇信なる電報を深く謝し、同太子が陛下に咫尺し、自ら謝詞を述べ能わざりしは、余の最も遺憾とする所なり。爰に陛下の幸栄福祉を祈る。
マリー
皇后美子陛下
(「大津事件○皇室御往復書信」p23)
20日午後6時25分発
松方内閣総理大臣へ、京都 西郷内務大臣より。
大審院長児島、検事総長三好、以下八名(判事、検事など)、只今御前へ召され、厚き御沙汰あり。ソワヨソワ(意味不明。暗号電文内の更に暗号である可能性もある。)より、下官始め面会打合したり。此旨通告す。
(「大津事件○来信電報」p146)
20日午後8時15分発
内閣書記官へ、京都 多田内閣書記官より。
左の電文、三好より山田司法大臣に直ぐに通知すべし。
大審院長始め拝謁勅語を賜り、諸事都合宜しく済みたり。
(「大津事件○来信電報」p144)
20日午後11時45分発 馬関発
当番書記官へ、馬関 三宮外事課長より。
今二十日、八重山、武蔵、高雄の三艦、馬関六連島に先着。露国皇太子殿下御召艦の至るを待ち、午後七時、御召艦の我が各艦の右舷を徐ろに過ぎらるゝに際し、三艦代る代る二十一発の礼砲を発行し、御召艦よりも是れに答砲あり。又、彼我の各艦登桁式を行い、八重山に於ては楽隊露歌及送別の樂を奏して進行を送り参らせ、御召艦よりは、我が国歌を奏して、音楽の中に滞りなく我が海岸を別離せられたり。
(「大津事件○各庁通信」p49)
21日午前6時10分発
警保局長へ、京都府警部長より。
作午後八時頃、千葉県長狭郡加茂川町畠山文治郎姉ユウ子(勇子)なる者、当府庁門前に於て自殺せり。其趣意は露皇太子殿下が御遭難のため東京に御出でなきを愁い来京したるも、御発艦の後なるを以て死を決したるものゝ如く、数通の書置あり。委細郵便。
(「大津事件○各庁通信」p49)
21日午前6時30分発
宮内書記官へ、静岡行在所 供奉宮内書記官より。
聖上、御機嫌能御予定の通、午後五時五十五分、当地御安著在らせられたり。
(「大津事件○各庁通信」p50)
21日
松方総理大臣へ、駐日露国公使より。
拝呈、然■、在聖彼得堡(セイント・ペテルブルグ)日本公使閣下より、我至尊なる皇帝の外務大臣閣下へ、五月十一日大津の兇行に対する滋賀県人民の感情を陛下に陳述する所の電信を■致相成候処、皇帝陛下は甚だ其所為を感ぜられ、電信の発送者へ、陛下の謝辞相伝うべき旨、拙者へ勅命有之。依て右之■■■及■通■■条可然其筋へ呈達■■■■■。
シエウイッチ
内閣総理大臣松方伯爵閣下
(「大津事件○雑」p104)
22日
露国公使へ書翰案
拝啓陳は、五月廿一日付貴翰、正に受領致候。我大津人民より貴国皇帝陛下へ奉呈せし電報に対する陛下の優渥なる謝辞は、閣下御照会の通速に其筋へ達方取計置候。右御回答傍ら此段貴意を得候。
総理大臣。
(「大津事件○雑」p103)
26日午後6時50分発
内務次官、警保局長へ、大津 大浦次長より。
両大臣は正午より県庁にて、大審院、検事総長と内談あり。夫より判事の固めも稍見込立ちたる者と見え、明後二十八日、公判開廷のことに内決したり。内務大臣は、明日午後より京坂間巡回の為め、出張せらるの予定なり。尚委細は追々御報す。
(「大津事件○各庁通信」p52)
26日午後6時55分発
松方内閣総理大臣へ、大津市庁 西郷内務大臣、山田司法大臣より。
児島、三好、に面会せしに、裁判官に直接面会は然るべからずとのことに付き、両人より充分意旨を通せしめたり。
(「大津事件○来信電報」p150)
26日午後10時発
警保局長へ、大津 大浦次長より。
公判は更らに明日(27日)正午より開廷のことに決す。
(「大津事件○各庁通信」p53)
27日午前零時35分大津発
松方内閣総理大臣 西郷内務大臣、山田司法大臣
明日(27日)午後公判を開くに決す。此上は裁判官の意思に任すより外なし。
(「大津事件○来信電報」p151)
27日午前8時発
大津 西郷内務大臣、山田司法大臣へ、松方総理大臣より。
二つの電報請取る。御見込み通にて然可し。
(「大津事件○来信電報」p152)
27日午前9時15分発
小田原 伊藤伯、山縣大将 松方総理大臣
大津より両大臣の電報にて、裁判官の意思に任せる外なし。今日午後より公判を開くと。
(「大津事件○発信電報」p55)
27日午後1時10分発
内閣総理大臣へ、滋賀県知事より。
本日津田三蔵公判開廷に付、傍聴人六七十人、裁判所に出掛けたるも、午前九時傍聴禁止の掲示あり。傍聴人構外へ退く。三蔵は午前十一時二十分監獄を出て、途中見物人群集したるも、十二時十五分裁判所へ無事着く。十二時三十分訊問あり。別に異状なし。
(「大津事件○来信電報」p153)
27日午後3時40分発
内閣総理大臣へ、滋賀県知事より。
三時二十分、弁論終決す。
(「大津事件○来信電報」p156)
27日午後5時発
松方総理大臣へ、大津支庁 西郷内務大臣、山田司法大臣より。
只今、謀殺未遂罪として、無期徒刑の処断あり。
更に為すべきの道なし。
(「大津事件○来信電報」p158)
27日午後7時35分発
内閣総理大臣へ、滋賀県知事より。
本日津田三蔵の公判は、十二時三十分開廷、傍聴禁ぜられ、午後三時二十分弁論終結、六時三十分通常謀殺未遂犯にて無期徒刑に処すべき旨宣告ありたり。別に異状なし。
(「大津事件○来信電報」p159)
28日午後2時55分発
内閣総理大臣へ、大津 西郷内務大臣より。
今夜一時十五分発車、明午後五時半着京す。
(「大津事件○来信電報」p162)
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