日清戦争前夜の日本と朝鮮(11)
(参照公文書は1部を除いてアジ歴の史料から)

京城城内、遠く王宮正門光化門などが見える。1900年。瓦と藁葺の屋根の家がひしめく朝鮮国の王城都市である。なお、林錘国/林海錫・姜徳相訳 平凡社 1987「ソウル城下に漢江は流れる:朝鮮風俗史夜話」にも同じ写真が使用されている。

 

もう一つの日清会談

巨文島占拠をめぐる危機

 井上馨も、朝鮮政府に事前通告無しに巨文島占拠に出た英国や露国の朝鮮接近など、列強国の進出があるにも拘わらず朝鮮政府内が相変わらずであることに相当危機感を抱いたようで、6月15日に清国公使徐承祖を官邸に招いて次のような会談をしている。

(「日清交際史提要」の「第四冊 第十四編 至 十六編/3 第一五編 善後商議」のp1より現代語に、一部意訳、<>は文中で井上馨による注釈、()は筆者。

井上「前日もお話した通り、朝鮮国の君臣共にその政治の体制は殆ど小児のなす類であり、従来から貴国と我が国が意を注いでも朝鮮はそれに沿わず。深く憂慮するところである。昨日は在韓の我が代理公使からの報告によれば、朝鮮国王は金繻ウ外一名を密使として露国に送り、金等は露国ウラジオストックの地方官と会談した上で、地方官から朝鮮国王への密書を持ち帰って密かに国王に呈した。議政府諸重臣達はもとより王が密使を出して如何なる返書を得たかを知る者はいないということを探偵人によって聞いた。その後、統理督弁金允植から近藤の所まで密かに人を以って同じ事情を知らせて言うのに、密書はまだ見ていないが漏れ聞いたところによれば文中には『日清天津条約に両国が朝鮮から撤兵し、また将来朝鮮に事があった時に日清両国が派兵するなら互いに先ず通知をするべしとあるなら、我が露国も日清と同じく貴国と隣邦であるので日清と同様の権利を有するのは勿論である。日清条約批准した後を待って我が国から早速日清両政府にそのことを申し入れるべし』などと書いてあったという。よって閣下を御招きいたし此の報告書を御一覧にいれる。」

 井上は近藤報告密信と京城近況の二冊を示した。

 「前月に朝鮮から使を派して東京に来た時に、モルレンドルフは我が公使館にも(3月に)参って朝鮮国王から密使を露国に遣わせたことなどを言ったので、直ぐに李中堂(李鴻章のこと)に報告しておいた。」

井上「風聞は早く知っていたが確証がないので言わなかった。今はこの報を見るなら片時も捨て置くことは出来ないと急ぎ閣下に会って防ぐ方法を考えないなら、朝鮮国の外交の拙さから禍を貴国と我が国に惹起するのは切迫していることである。我が国は好んで朝鮮の内事に干渉するわけではないが、現今英国と露国が入り乱れているだけでも東洋に影響を来たしているのに、朝鮮がもし外交上に失策あって他国から攪乱されるようなことが出来れば、これによって日清両国に無数の障害を生じさせ、恐らくは東洋の事はどうにも為すことがなくなろう。故に朝鮮王の政治を少しく拘束して外交上に妄動がないようにするのが必要である。いかがお考えか。」

 「御所存はそうあるべきであるが、朝鮮の内事外交とも王の独裁になるものではない。概ね逼迫から出る事が多く、強く王を責めることは出来ないだろう。故にこれを拘束するということは甚だ面倒となる。内事に干渉して嫌を取らせるよりは我らの国から適宜有用な人物を選抜して朝鮮国に派遣し、君臣に懇々と説諭させ自ら改良するようにさせるのがよいと思う。どうだろうか。」

井上「その策は平時にあっては佳いであろうが、今日の情勢に当っては恐らくその効はないだろう。今京城の近況を聞くのに、あの六蘖と称される内官どもが昼夜に王の傍にあって昼は奸事を為し夕には人を薦めれば、金玉均と同罪たる尹雄烈なども王はなおもこれを重用し、朝夕に讒言を進めて金宏集を冷遇して遠ざけ、魚允中を庶人として放逐した。わずかに金允植一人が統理督弁を保っているが、これも風前の灯の如しと言えり。されば人あって無きに等しく為すすべもない。そして拙者は前に朝鮮で国王と対面して親しくその風采を窺ったが、今年およそ三十四、五歳(当時数え年34才)と見える。この年齢で事を処するのにこのようであるなら、たとえ他から賢良なる人を送って諄々と説諭しても、善を進めて悪を去るということは出来ないことは知るべきである。そもそも又奸侫なる六蘖の為に誤らせられるだけである。今貴国が露国と国境を接するは正に幾万里あるを知らず。ただ黒龍江の下流に沿う所だけでも七百有里に亘るも露国はなおも志を逞しくすることを止めていない。英国はインド以東の海上の権を益々拡張し、すなわち英国が軍艦を巨文島に繋げば露国も又まさに元山津か或いは釜山浦を借らんとする意があるようである。貴国と我が国の両国が東洋中で独立を強固にせんと勉励の際にあって、これを攪乱する根源はこの朝鮮にあらずして何であろうか。我が国は海の中の一つの島国であり他国と陸続きではない。そして小国なれば西洋人はまだ必ずしも垂涎の的とはしていないが、貴国は広大にして遥かに欧州に連なっており、どうして西洋国が不当に窺い狙うことがないと言えようか。西洋人の講ずる万国公法は恃むべきでない。西洋人は利を見て義を忘れ、競って人の物を取る。その時に当ってこちらから公法を論じても西洋国はただ答えるに腕力を以ってする。我が国は実にこれに困却した。現今西洋国はすでにその色を朝鮮に挙げる勢いを表し、貴国と我が国両国に関係するところは最も大なり。紛擾を受ける日となった場合は、日清韓は決して連合せずに只各々その国の利益に妨害あらんことを防ぐために、銘々に西洋人の請いを拒み相離れて談判するを必要とする。たとえば巨文島を占拠しているのを貴国から開談するには、切迫の海境によって危害を中国の利益に及ぼさんとするものである、ということを以って拒絶の論拠とし、もし日本に対する海境によることならば我が国もまたこれを以って拒絶をし、そして朝鮮にもこの意を勧めて心得させ、ひたすらに自国の利益に妨害ありと断言させることを希望する。もし貴国と我が国両国から朝鮮のために成り代わってこれを拒むようなことをすれば、予想外の幾らかの面倒を負担する患いがあるだろう。前に伊藤大使が貴国から帰って自分に告げるのに、李中堂は東洋の情勢に注意していたとの話であるが、その趣旨は正に我が国の今日の所見と色々と同じく符節が合うものである。故に閣下からこれを李中堂に話し、必ず中堂の明察をもって朝鮮政府大臣の中より両三名の賢良にして有能な人を選ばせ、国王に令してこれを挙げさせて外交・軍事・会計の事務を委任し、内事を決裁させ、別して外国と通使行文することは一々李中堂に尋ねて決裁を請い、その上でこれを送りこれを発し、決して私的妄動を許さず、且つ戒めて慎ませ、奸侫の徒を遠ざけ賢良なる臣を勧めるなら、外交上に於て大きい失策を免れるだろう。もしそうせずに今日の妄動に任せてこれを是正する機会を失えば、大院君が帰国するのも近いことから在野の者等の勝手の議論が再び興り、モルレンドルフが事を露国に売ってその身に利するような事が起こり、その為に外患を来たして禍を貴我両国に招くようなことが間近に迫っているのではないか。この意を李中堂に話されたい。」

<全て雇い外国人は使う人によって変わるものではない。事あれば利に就き義を去ること古靴を棄てるがごとし。どうして雇主を愛することがあろうか。たとえ李中堂がモルレンドルフを退けて別の信用する外人を連れてきても、今日の朝鮮に行かせて執務させるときは再び同じことになると思う。>

 「この報告書二冊は拝領してよろしいか。大院君の帰国云々については帰すかどうかはまだよく知らない。」

井上「お持ちなられてよい。」

 「漢文に訳して御談話の趣旨を逐一添えて李中堂に飛報し、返事あり次第速やかにお知らせする。東洋の為に御画策の深きを始めて承った。感服の至りである。自分は閣下に師事致したいので今後も万端ご教示を祈るところである。」

 会談と言うよりは井上馨の渾身の説得と言える。

 「西洋人の講ずる万国公法は恃むべきでない。西洋人は利を見て義を忘れ、競って人の物を取る。その時に当ってこちらから公法を論じても西洋国はただ答えるに腕力を以ってする。」

 けだし名言であろう。公法遵守は西洋列強が付け入る隙を与えないためにするのであって、公法を以って列強の非を責める道具たり得ないという極めて現実的な認識である。
 結局は腕力を振りかざす者に対抗できるのはまた腕力のみという意味でもあろう。

 

李鴻章への提案  非公然たる日清合同の朝鮮国指導

 この後、井上は北京の榎本公使に対して天津の李鴻章に日本の考えを伝えるように指示し対談させた。井上はその指示書の中で、英国が朝鮮政府の承諾無しで巨文島を占拠し、その後4月24日付け書簡で通知した事に触れ、

(「日清交際史提要」の「第四冊 第十四編 至 十六編/3 第一五編 善後商議」のp5より要約。)

 英露対立から生じた事ではあるが、東アジア州全体の利害に関係して困難の種子となり、露国が釜山や済州島を占拠することを朝鮮政府に開談する意向もあり、もしそのような事態に至るならその結果として遂に朝鮮国を分割して他国に贈与するようなこととなるだろう。その時には各国は競争して日本海近海は騒乱紛議の中央となり、東アジアの平和は殆ど保持することが出来ないこととなるに至るだろう。
 英国は一時の占拠であると言っているがその一時と言う語は最も曖昧で、九十九年まではテンポラリー オキュペーション(temporary occupation)即ち一時占拠と称するらしい。
 英韓両国の問題であって我が国が喙を入れることではないが、我が国に於てもまた清国に於ても重要の影響があるものなので注意するよう論議されたい。
 李中堂に詳細を論じて、清国から英国政府に対して抗議させるようご尽力されたい。我が国からは今は日英関係上働きかけはし難く何かするのは得策ではない。清国をして直接の衝立としたい。いずれ機会を見て我が国からも英国政府に公然でなく我が政府の苦慮を伝える形で陳述し、巨文島からの退去を促すつもりである。

と述べ、李鴻章への提案を次のように箇条書きにしている。

(「日清交際史提要」の「第四冊 第十四編 至 十六編/3 第一五編 善後商議」のp8より要約。)

第一 朝鮮に対する政策は全て最高度の秘密の手続きをもって、常に李鴻章と本官(井上馨)と協議の上で李鴻章氏がこれを施行すべし。

第二 朝鮮国王に今のような政務を執らせずに且つ内官の執権を剥いで、その政務に関する途を絶つべし。

第三 国内第一等の人物を選んで政務を委任し、これを進退するには国王は必ず李鴻章の承諾を得るべし。

第四 右の第一等の人物は、金宏集、金允植、魚允中の如き人なるべし。

第五 出来るだけ速やかにモルレンドルフ氏を退け至当の米国人を以ってこれに代わらせるべし。

第六 陳樹棠は篤学の人であるが力量足らず、他の有力者と代わらせるべし。

第七 陳樹棠の後任者を李鴻章から任命し、米国人を朝鮮に推薦した上は将来の政策についての十分な訓令を与えてその者を日本に送り本官と面会させるべし。

第八 陳氏の後任者は京城に在留の日本代理公使と深く交誼を結び、諸事協議して事を執るべし。

 右は全くアジア州全体に虎狼の侵襲を防ぐを以ってその静謐安寧を保全する一点から出るものであって、朝鮮政府の政治に干渉することを主意とするものではない。その趣旨を李中堂には明らかに諒知されるように御陳述ありたい。

 なお、この前に榎本公使から「朝鮮を日清合同保護の下に置く」との提案をしていたようで、それに対しては井上は、
「我が国は朝鮮の独立を認め、清国はなお属国視し、これを両国で公然保護するとなれば各国をして清国の属国主義に賛成させることともなり我が国の不利となるので我が国の方針が代わらない以上、それは出来ない。」
と言っている。

 この箇条書きの井上の提案は、清国が朝鮮の宗主国を自認するなら清国が朝鮮の動向に責任を持って東アジアに不安定要因をもたらさないようにせねばならない、との日本政府の強い意向が感じられるものである。
 更にまた清国政府のその政治手腕に対しても疑念を持っていることが窺え、公然ではないがほとんど日清合同で朝鮮国を指導せんとする提案であった。

 

天津会談  露韓密約、巨文島、朝鮮内政、金玉均

 7月2日(午前)には、井上の命を受けて榎本公使が天津の総督衙門で李鴻章と会談をした。

(「日清交際史提要」の「第四冊 第十四編 至 十六編/3 第一五編 善後商議」のp10より現代語に、一部意訳・要約、()は筆者。)

榎本「我が国は朝鮮に干渉するのを好まないが、今の状況では朝鮮国の為にならないだけでなく、その害は貴我両国にも及ぶだろうことから、我が外務卿は徐公使にその所見を述べられたが、中堂には既に御承知あると思う。」

 「貴外務卿から徐公使へのお話並びに示された書類は受けた。ただ近藤代理公使の報告と予が得た報告にやや違うところがある。」

榎本「どこが違おうか。」

 「陳樹棠からの報告によれば、事変後は中日は必ず開戦するだろうと韓国は上下を挙げて恐れ、中国は仏国との事があるから大勢の兵を出して戦うことが出来ないであろう、その時は韓国は孤立して存亡測り難いこととなる、と。それで金繻ウ等四人が韓王に、今は露国と結ぶのがよいと説いて、それにより密使として露国に赴き、ただし国王派遣の証拠も全権も持たずにウラジオストックに至った。露官に面会して先ず陸路通商の事を約し、その後に何か計ったようであるが分からない。恐らくは露韓同盟の密約であろう。また露官への府からの命令には、明年四月に露国から漢城に使者を派遣してその時に協議する、とあったらしい。」

榎本「その使者はウェーバー氏であろう。」

 「そうである。貴国に駐留する露国公使の書記官で、井上外務卿が朝鮮に行った時に漢城で会った者で、再び来ると聞く。」

榎本「本使もそのことは聞いた。また近藤氏の報告によれば、それまで露国書記官スペーヤなる者が代理と称し、挙動粗暴にして大言して言うのに、『英艦がもし巨文島を去ったら、露国は巨文島よりも十倍の韓国領土を占拠すべし』と。これは近藤氏に対しても忌憚なく吐いた言葉であるという。」

 李鴻章は微笑して、

 「予もまた同様の報せに接した。またその書記官は韓王に語ったことに、『朝鮮の兵は日本と中国の教練を受けてきたが、今は中日両国の兵は相互に撤回するとのことであるから、以後は露国人が来て教練すべし。これはモルレンドルフ氏の依頼による』と。それで韓王と政府大臣達は、そのようなことを依頼した覚えは無いと答え、これによってモルレンドルフ氏を免職したと。」

榎本「モルレンドルフ氏の免職は確実なのか。」

 「確実なり。ただしモルレンドルフ氏が免職されたのは、そもそも露韓密約について、当地の英国領事と他の英国人が予に言うのに、『モルレンドルフ氏は露国の友にして韓王に対して露国との同盟の約を結ぶことを勧告した。』と。また、貴国日本人民も同様の説を言っていると徐公使から報告があったので、これにより予は前日から使者を韓に派遣し、韓王に対してその真偽を糾した。」

 この時李鴻章はやや得意気の色があった。

榎本「その使いは密約のことはモルレンドルフ氏の勧告によるものであると復命したろうか。」

 「この使者は船便がないのでまだ帰ってきていない。」

榎本「露韓密約のことを本使は初めは信じられなかったが、近頃聞くところによれば実説なようであるが、どうか。」

 「予はおよそ二ヶ月前(4月)にその風聞を聞いて直に韓王に問い糾したが、王は『別に密約を結んだことはない。ただ露国と陸地通商のことを図っただけである』と答えた。」

榎本「本使が得た情報によれば、露韓の密約なるものは六ヶ条から成ると。ただその何たるかはまだ知らない。中堂は多分御承知あろう。」

 「予もまた六ヶ条あると聞いた。」

榎本「密約の要旨は御承知ないか。」

 「承知している。しかしこの密約は韓王は無いと言い、その上締約した使臣は微賎の者で全権の証拠もなく国王の批准もないので、初めから成立していないにも等しい。その意を以って御聴き取りありたい。

第一条 金玉均がウラジオストックに渡来したら露官は捕らえてこれを朝鮮に引き渡すべし。

第二条 朝鮮から日本に払うべき十三万円は、露国から日本に対して要求しないように勧めることを努めるべし。

第三条 何れの国を問わず、朝鮮の土地を侵略するときは、露国来てこれを保護するべし。」

 李氏はこれに言葉を添えて、

 「朝鮮政府は既に貴国に償金を完済したか。」

榎本「幾分かは払ったろうが、貧乏国ゆえにまだ完済したとは聞かない。」

 李鴻章微笑して、

 「必ず全額を催促して払わせるのが良い。そうでないなら露国は己の尽力によって日本から催促しなかったと韓に対して誇るだろう。また、この第三条も実は貴国を指して言ったものである。」

第四条 露国は欽差大臣を漢城に駐留させるべし。

第五条 朝鮮は三面が海に面するので、露国の軍艦をもってこれを防守すべし。

第六条 陸路通商の事。

 以上の密約なるものは、もとより全権の無い使節が結び批准もないので、露国からこれを実施せんと迫っても、韓王はこれを破棄しなければならない、と予から韓王に申した。しかしもし露国が俄然威力を以って必ずこれを実施するように言い張って韓王の抗論を承諾しないときは、中国から露国に向かって駁弁(抗議)<プロテスト>する見込みである。露国は果たしてそのように出ようか。貴意はいかに。」

榎本「本使は露国が必ず言い出さないとは保証し難い。なぜなら、たとえその使臣が正当の権を持つ者でなくても、全く韓王の使いであり王の旨を奉じて締約したことが事実なら、露国はこれを口実にするとも測られない。しかしながら、このような所業は脅迫に属し、万国普通の正理に悖るものなので、まさかこのような不条理を言い張るとも思われない。」

 「朝鮮を露国保護の下に置くようなことは、実に特に朝鮮の禍であるのみならず、中国と貴国の利益に関するところは甚だ大である。ただ貴国は、朝鮮を独立国と認めているので抗議しても露国は貸す耳を持たないだろう。これに反して中国は朝鮮の宗主国たるは天下の共に知るところなれば、露国も中国の抗議を無視する事は出来ないだろう。そもそも朝鮮は英米独などの国と条約を結んだ時に必ずその成文を中国朝廷に奏聞して来ている。それを今度の露韓の密約の如きは正当の使者によるものではなく韓王の批准もないだけでなく、韓王がこの約の成ったことを奏聞したことがないのであるから、中国はこれを以って無効の条約と見なすも不当のことではないだろう。貴意は如何に。」

榎本「貴論は甚だ理がある。ただ貴政府が抗議の論拠に宗主国の権を提出する時には議論は別論を生じて却って面倒となろう。なぜなら露国は必ず言うはずである。『朝鮮は独立国なればこそ我が皇帝に対等の資格を以ってこれと約を結んだのである。その結約の成文を清国朝廷に送るなどのことは我が国の関するところではない。清国に送るも英国に送るも朝鮮政府の勝手であり、我が国と朝鮮と対等の資格に対して毫も権利を有するものではない』と。ゆえに本使が思うのには貴国の論拠は、『朝鮮は支那における枢要の地に接近するを以って、その痛痒は直に貴国(中国)の利害に関するにつき黙許することは出来ない』との意を主張するを良とする。」

 李鴻章は久しく黙り、やがて、

 「その点から論を立てれば貴国もまた露国に向かって抗議することが出来る。貴国が抗議するかどうかは知らないが。」

榎本「それは我が政府の意中にあることであって、本使は果たしてそうするかどうかは予言できない。ただ本使一人の私見をもってすれば抗議できる理があると思う。ただ朝鮮と貴国の関係は、我が国とは世人の知るように軽重の差があるので、貴国は主唱者でなければならないと思考する。」

 李鴻章は黙っていた。

榎本「巨文島の一件は如何に。」

 「予は英国領事に対して英国軍艦の巨文島からの退去を請求したが、英国領事が言うのに『露英の事件が妥結に帰するなら退去することになろう』と。予が『露国もまた英国の行為に倣って朝鮮の或る場所を占拠するならどうするのか』と言うと、英国領事が言うのに『それは英国の関するところではない』と。」

榎本「露英の紛議が平定したらその軍艦が巨文島から退去すると考えておられるか。」

 「今度の露英の事件が妥結に帰すれば又他の紛議が起るだろう。そして英国はこれを口実に到底退去するとは思われない。」

榎本「本使もまた同じ見方をしている。現に英国は巨文島からサヅルアイランドまで海底電線を連結した。」

 この時、津海関道台の周馥が傍らにいて独語して言うのに、英国は巨文島から上海まですでに電線を布いたと。

 「予も同じである。この件に付いて露国公使は貴殿に対して何か語ったことがあろうか。」

榎本「中堂に限り密語しよう。ボホフ氏は英国艦が巨文島を占拠した報せを得た時に本使に語ったのに、『英国政府は清国朝廷の許可を得たに違いない』との疑念があった。本使は答えて『清国政府はこのようなことを英国に許可すべき理由は無い』と。露国公使は、『それなら全く英国政府が自侭になしたのであろう』と言って、その不条理の非を鳴らしていたが、べつに露国もまた英国の行為に倣うような口振りではなかった。ただ露国公使館内の人々は、『英国の行動は直に露国の利益に関することなので、露国もまた朝鮮の一地を占拠してから折衝をするべきである』と語る者がいた。前日から本使が天津を去る時に中堂に、英国艦の行動は露国をして同様の行動を取る扉を開かせた、と言ったのは中堂も記憶されていよう。これは実に一難題である。」

 「まことに然り。そのいよいよの時に至るなら、どのように処置すべきか。貴意はいかに。」

榎本「この問題は実に緊要なことなので我が外務卿は中堂の意見を聞き、以って共に図ることを欲している。」

 「先ず貴使の意見を承りたい。」

榎本「実力(腕力)があるならこの難を排するのは難しくはない。しかし実力がない以上は外交上の手続きを踏む外に本使には他の意見は無い。その手続きは種々あろうが、先ずはとりあえず直接の関係がある朝鮮国王から英露両国政府に抗議書を送らねばならない。両政府がもし退去の意志がない時は更に各締盟国に書を送って同情を請うほかないだろう。ただその効能ははっきりしない。」

 「朝鮮政府は既に駐箚の各領事に書を送ってその手続きに従事している。」

榎本「本使も既にその事を知っている。ただ朝鮮統理衙門から各領事に送った書簡は、言葉遣いが適当でなく、外交上の体裁を為しておらず且つただ巨文島のことのみに止まっている。露国がもし英国の行動に倣うなら事件は更に重大になる、とおのずから各国に感触を与えることも大切である。この時に当って朝鮮から正当の請求を英露両国に提出し、併せて他の国に尽力を乞えばいくらかの効果があるかもしれない。」

 「予が見る所では、米政府の政略はただ貿易のこと一点に止まるを以って、右等の件に尽力するとも思われない。ドイツと英国との交渉に於ては、両国は努めて厚誼を傷つけないことを主としているので、ビスマーク氏は英国に向かって異議を唱えないだろう。露英二国は当事者であるから論外である。残る貴国と中国あるのみ。」

榎本「この問題は暫く次会に譲って、本使の専任の事務のことに移りたい。さて、朝鮮内政の近況も大いに懸念がある。最近の報告によれば韓王の暗愚に乗じて内官は権威甚だしく、既に韓廷屈指の人物と聞こえた魚允中は官職を奪われて庶人となり、金宏集は要職になく、金允植一人がいるが他の二人に比べて強気の人ではないと聞く。今内官のなすがままにすればやがて内乱が起り次いで外患が起るだろう。貴国と我が国の利益との関係も浅くはない。ゆえに何とか方法を設けて制限せねばならないだろう。朝鮮の内政に干渉する趣意でなく両国の利益を保護するためである。」

 「予もその事を思わないわけではないが、従来から中国は朝鮮の内政を不問に付している。今中国から賢才を挙げて小人を遠ざけるべしと命じても韓王の軟弱且つ闇愚ではたちまち左右の者に篭絡されて、表では我が言を容れて裏ではこれを実施しないだろう。」

榎本「実施するかどうかは、貴国の理事官が京城にいるから、これに検査させるべきである。」

 「理事官一人ではよく監督は出来ない。」

榎本「これはその人の能力如何による。」

 この時既に昼の十二時を過ぎたので、なお尽くすべきことは次回に譲ることにした。

 「明日午後四時から貴領事館に答礼としてまかり出る。」

榎本「願わくば粗飯を差し上げん。」

 「予が主なので先に招きたい。願わくば支那料理を供したい。原領事もお伴あるなら幸甚である。」

榎本「諾」

 諸将らも退出せんとする時に、

榎本「朝鮮人閔泳翊が当地に逗留しているとのこと、必ず御面会あったであろう。」

 「然り。」

榎本「これは何の用で渡来したのか。」

 「漫遊のために来たと言う。前日から面晤した時に、閔が言うのに『京城を出た後に中日両国の撤兵のことを聞いて一書を国王に奏じ、中国が撤兵すれば内乱が再び起るべし、と極めてその不可を述べた』と。それで予は、撤兵の条約はすでに成立しているので変更は出来ないと答えておいた。」

榎本「閔泳翊は三十五日前に三名の官吏と共に牛荘に着いたようであるから、本国を出る前にすでに撤兵のことは知っていたと思う。」

 「閔は無役の身でまた他道にいたので遅れて聞いたのだろう。」

榎本「閔は何道とかの御史(監察官)と聞いている。漫遊しているとすれば辞職したのか。とにかく、撤兵の件以外のことを中堂に話したろうか。」

 「予は露韓密役の有無如何を糾したが、閔は全く知らないと答えた。」

榎本「風説によれば、大院君の帰還を見合わせるように中堂に懇請するために来たと聞く。何かそのようなことがあったろうか。」

 「大院君に帰国しても朝鮮の国事に関係しないように諭してくれ、と予に申し出た。」

榎本「近日、閔種黙なる者が大院君を迎えに来ると聞く。真であろうか。」

 「予もまたそのように聞く。」

榎本「大院君が帰るなら韓は紛擾が再び起ると思われないか。」

 「反対党は不快を抱くだろう。しかしもしこの人が朝鮮に居るなら、露国に密使を送るようなことはしないだろう。朝鮮の紛擾を再び起こさせる者は、現に貴国に潜伏する金玉均の徒である。これらは人心を攪乱するためにこのような書を密かに朝鮮に流布している。」

 李鴻章はその書を出して示す。榎本は一読して微笑した。

 「朝鮮の内乱は貴国と我が国と両国共にその余波を蒙り、よってその禍根を絶たないわけにはいかない。貴国は何故に彼らを朝鮮に引き渡さないのか。」

榎本「我が国と韓との間には罪犯引渡しの条約がないだけでなく、国事犯は文明各国で互いに引き渡さないものである。これは特に憐憫の情に止まらず独立国の権利である。」

 「朝鮮に引き渡したくないなら中国に引き渡されたい。中国はこれを決して刑せずに、ただ幽閉しておくだけであるから。」

榎本「朝鮮人を貴国に引き渡すべき謂れはない。」

 「それならば貴国でこれを幽閉して乱の起きる兆候がないように御処置ありたい。」

榎本「貴国に於ては大官の判断を以って人を幽閉することが出来ようが、我が国に於ては皇帝陛下といえども無罪の者を幽閉することは出来ない。」

 「彼は貴国の治安を妨げる者ではないのか。」

榎本「間接にはその理はないわけではないが、直接には罪名を下すことは出来ない。ましてこれを捕らえて幽閉することが出来ようか。」

 李鴻章もまた罪犯引渡しに関する法理を理解していないことは全く北京総署の大臣達と同じで、通訳の伍廷芳は法学者(清国官吏。かつてフランスに留学)であるが頗る通訳に苦労しているようであった。

榎本「我が政府は金玉均等が逃れ来て我が国土に居るを許しているが、決してこれらを保護しているのではない。朴泳孝と他の一名は前日から米国に行ったとのこと。金玉均は現に京都摂津間にあって落魄の身となり衣食にも不自由と聞く。中堂には彼の復活を図るを憂えられるのは思い過ぎである。」

 「朝鮮の民は上下を挙げて暗愚により金玉均の流言を信じて動揺するのは明らかである。ゆえに井上毅氏はかつて我が清国の徐公使に、もし大院君が帰国しても金玉均を用いないように注意せよ、と語られたのである。後の患いを思えばこれ以外にない。貴使は井上氏の注意を伝聞されなかったのか。」

榎本「たとえ金玉均が後日に事を挙げる恐れがあっても、これは推測の事である。推測を以って幽閉することは出来ない。ただ中堂がそれほど苦慮されるなら本使はその旨を我が外務卿に報せ、彼が流言を朝鮮にして人心を攪乱するなどのことがないように、相当の手段を施されたいと要請しよう。」

 「なにぶん御依頼申し上げる。」

 この時殆ど午後一時近くとなり、これで談を終わる

 なお、韓とも韓国とも朝鮮とも記述しているのは原文による。

 

天津会談  露国の虚喝、井上論文、指導提案

 翌3日の会談は午後四時から再び総督衙門で行われた。
 李鴻章はこの日も金玉均らの朝鮮攪乱を防ぐことを繰り返し要請し、榎本も昨日述べたように外務卿に伝えることを約した。次に再び露韓密約に関する話題に移った。

(「日清交際史提要」の「第四冊 第十四編 至 十六編/3 第一五編 善後商議」のp22より現代語に、一部意訳・要約、()は筆者。)

榎本「昨日中堂の語られた露韓密約の条中には『露人を雇って兵を教練する』との箇条がない。しかし本使が接受した二つの電報によればそのことがある。」

 「予が朝鮮から受けた電報にはその事はない。貴使のは外務卿からの報か。」

榎本「一つは外務卿からであり、一つは他所からである。」

 「拝聴できようか。」

榎本「密示しよう。

第一条 図們江を開くこと。

第二条 露国の士官を雇って韓兵を教練すること。

第三条 ウラジオストックに朝鮮の理事官を置くこと。

なお第五条には、或る地方に郵便の道路を開いて以って露韓両国の便を計ることとある。

 以上は通報者によればその実否は分からないと言っている。」

 「第二条を除く外は皆陸路貿易に関わることである。」

榎本「外務卿の報によれば、現に漢城にいる露国書記官スベーヤなる者が朝鮮政府に迫って言うのに、『韓廷がもしモルレンドルフが約束した露人を雇って韓兵を教練するの条款を履行しないときは、露国は済州島を占拠すべし』と。」

 李鴻章は微笑して、

 「その報は予も英国人から聞いた。恐らくは一つ所から出た報であろう。済州島は碇泊所がないようなので露国は必ず占拠しないだろう。予はその報は信じない。」

榎本「済州島は占拠しても無益なので占拠しないだろう。この事は本使も同意見である。おそらく韓廷を恐怖させる為の虚喝であろう。ただ密約中に露国民官を雇い入れることの有無は如何に。」

 「予が聞く所によれば、露人を雇うことは先にモルレンドルフ氏が貴国の東京に行った時に露国の書記官にそのことを約束したと聞いた。」

 この時、李氏はこの密約が無効である事を昨日同様に反復弁論した。

榎本「本使の意見もまた同じである。外務卿と徐公使が面談した事を以って中堂は我が外務卿の論旨をとくと諒解されたであろう。ところで、徐公使の報告は長文であったであろうか。」

 「徐氏の報告は簡単であった。願わくば貴使から承りたい。」

榎本「これは外務卿が徐公使に語られた筆記である。本使は英語でこれを訳読するので意味不明のところは直ぐに質問されたい。」

 「諾」

 これにおいて本使は訳読する。李氏は頗る耳を傾けて聴く。彼の通訳は羅豊禄である。本使が十分に訳読出来ないところは呉書記生をして支那語でこれを助けさせる。
 原文中の、
『西洋人の講ずる万国公法は恃むべきでない。西洋人は利を見て義を忘れ、競って人の物を取る。その時に当ってこちらから公法を論じても西洋国はただ答えるに腕力を以ってする。<但しここのところは原文が過激なのでやや斟酌して翻訳した。>』に至っては李氏は眉を上げ気を吐いて「真に快論なり」と賞賛した。さて大略読み終わって、

榎本「徐公使との報告と比べるとどうであろうか。」

 「徐氏の報告はこの半分も要領を得ない。粗略なだけでなく自分の意も交えた所もある。これは外務に熟練していないので貴外務卿の論旨を悉く了解することは出来ないのだろう。困った人物である。」

榎本「もしくは本使が読んだ趣意と徐公使の報告と齟齬するところがあろうか。」

 「いや、大意は同じといえども貴使が読んだように適切なものではない。徐氏はよい外交官ではない。」

 李氏の表情に失意の色があった。

榎本「報告が簡単であることで徐公使を咎めるなかれ。入り組んだ論旨を漏れなく報告するのは頗る難しいことである。ただ大意を失わないなら良い。本使から見れば徐氏はほぼ英語も解し、人となりも活発で前公使の黎氏よりも勝っている。我が国の受けも前公使よりも善いと聞く。」

 李鴻章は寡黙になり久しく答えなかった。

 「ただ今読まれた貴外務卿の論は漢文に訳して贈られることを乞う。」

榎本「漢文に訳するのは容易ではない。また訳して呈するものでもない。」

 「貴外務卿の懇篤なる論を貴使が訳して贈られるのを拒まれるのは何故か。貴使がもし漢訳が難しいなら羅豊禄をして漢訳させよう。」

榎本「秘すべき書類なればこの種の書付は目前で読み過ごすことを以って外交上の慣例とする。中堂は本使が読んだ事を以って既に我が外務卿の論旨を悉皆了解されたのではないか。それを何故漢訳を望まれるのか。」

 「他意はない。忘却に備えるためのみ。」(李鴻章この時62才)

榎本「備忘のためならば忘れないうちに書きとめ置かれるべし。本使は漢訳を呈する事は出来ない。」

 李鴻章はそれ以上は強いて言わなかった。

榎本「さて、今読んだ外務卿の論のように、外国の脅威はかくなるに朝鮮の内政はこのままでは貴我両国共同利益のために座視傍観することはできない。故に外務卿は今度本使に中堂と面議すべしとの命があった。即ちその条款は八ヶ条である。」

 これより本使は英語で訳読し李氏は黙って聞いた。

 「ご尤もの立案である。ただ当方から勧告する大臣を朝鮮国王が必ず登用するかどうかを確かめる事が出来ないのはどうしようもない。だからと言って当方から強いて登用させることは出来ない。ただ勧告に止まるだけである。」

榎本「このように重要な件をただ勧告に止めると言われるのは本使は解せない。どうして強いて従わせない。」

 「朝鮮は我が国の藩服であって国王は予と同等の地位であるが、我が政府は従来から彼の国の内政には干渉しない政略なので、必ず我が国の言に服従させることは出来ない。まして前日から伊藤大使との約条に基き、我が駐韓の兵はまもなく全て撤しなければならないので、国王の行動を監督するのは甚だ不便だと思う。」

榎本「貴国は朝鮮の内政に干渉しないと言えるのか。また貴国は自国の勧告を韓廷の取捨に任せるということが言えるのか。この二つは本使の信じられないところである。」

 李鴻章は微笑して答えなかった。

 「貴外務卿の立案は羅豊禄を貴館に遣って漢訳させたいがどうか。」

榎本「諾。」

 これより晩餐の饗となる。道台周馥等もまた座にあって、食事中雑話のみで別に記すべき程のこともなし。

 迷走して東アジアの安定を壊しかねない朝鮮の尻を叩くのは清国、密かにアイデアを出すのは日本、ということになろうか。
 大言壮語をして虚喝する露国書記官の姿は、当時のロシアの国柄を表してもいよう。

 小国日本がいかにロシアの進出を恐れ、それを必死で防ごうとしていたかを窺うことが出来る秘密会談であった。

 

李鴻章の心変わり

 井上外務卿の提案を漢訳する際に、いくらか文章は訂正されたが、李鴻章は井上の対韓政策に大いに満足して大賛成であると表明し、それにより榎本公使もその旨を日本政府に報告した。(「日清交際史提要」の「第四冊 第十四編 至 十六編/3 第一五編 善後商議」のp26)

 ところが、後日榎本が北京公使館に帰る日になって李鴻章は、八ヶ条の大要は異議無いが、第三と第七の案は受け入れ難いと、前言を翻した。

 李鴻章が言うには、
「人物を選んで朝鮮に送り込むとしても、井上外務卿と自分とで人選の意見が合わないならこれを実際に施行することは難しい。また、外務卿との協議を経なければ出来ないとするなら、自分は井上君の指揮を仰ぐ地位に落ちるも同然である。」と。

 榎本は、それは全くの誤解であると、言葉を尽くして説得したが李鴻章はそのことに固執して遂に肯かなかった。

 そのことの報告を受けた井上外務卿は、榎本への8月15日付機密信で、
「貴官御電報の趣に依れば、李氏に於ては全体の利害に暗く、梢々たる体裁曲節に拘泥し、本官が主眼とする亜細亜全州の平和を保持せんと欲する誠意を了解せざるものの如し。今日迄多少の匠意も為に徒爲に属し候は実に遺憾と存候得共、浩歎に付するの外無之。元来本官がこの政略を彼をして実施せしめんと欲するは、只管我方に於てその責任を取ることを忌避するに非ず。専ら亜細亜全局の利害得失を考量せしより右の画策に出候ことに有之候。」
と述べ、一方は属国と見、一方は独立国と見るその差異はあるが、これらの困難を越えて、朝鮮国に萌芽しつつある問題を消去せんとの精神以外に他意はなく、良策もないと、終に、
「彼の如き管見を持し疑念を抱き候ては縦令共同事を謀るも到底其良結果を不可期と存候に付、此上は我に於ても朝鮮に対する政略を一変して之を放任して自然の成行を傍観するの外致方無之。」
とした。


 なぜに感嘆賛同していた李鴻章が急に態度を変えたのであろうか。北京総署の大臣達が異議を唱えたからであろうか。

 結局、李鴻章と云う人物は、「全体の利害に暗く、梢々たる体裁曲節に拘泥し、亜細亜全州の平和を保持せんと欲する誠意を了解」出来ず、「管見」且つ「猜疑」の人である、とした厳しい評価から井上馨の落胆振りが覗えよう。

 もっとも、その後李鴻章がとった朝鮮政策は、井上馨の立案した8ヶ条にほぼ沿ったものであった。
 即ち、召還したモルレンドルフに代わって米国人を朝鮮国王に薦めて顧問とさせ、京城駐在の清国総弁商務の陳樹棠を罷免して袁世凱を置き、朝鮮政府の内政外交に深く干渉させるなど、いわば井上の提案から日本政府と協議するという部分だけを外しただけである。

 アイデアだけは貰うが日本の指図は受ける気はないと。中華のプライドとはそんなものと。

 

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