日清戦争前夜の日本と朝鮮(9)
(参照公文書は1部を除いてアジ歴の史料から)

 清国からの勅使を迎えるための門、迎恩門。倒れぬための綱が張ってある。現在ではこの歴史的な門の存在とその意味を知る韓国人は稀であるという。「迎恩門あり。支那より勅使の来るや国王みずから出て、これに迎うという」(宮本大丞朝鮮理事始末 四/1 朝鮮理事日記/3 八月六日)

 

事変処理と清政府

 朝鮮事変の第一報は清国政府から日本に伝えられたわけであるが、経緯が明らかになるにつれ日本政府は北京や天津に駐在する公使領事を通してその都度清国政府に詳細を伝えてはいた。

 しかし井上馨外務卿が朝鮮と談判して条約調印のことが済むと、北洋大臣李鴻章は在天津領事である原敬に対して「これで朝鮮事件は全く終わった。貴国と我が清国の間にはもとより何事もないはずである。真に同慶の至りである」と言った。(在天津原領事報告日韓清事情ニ関スルノ件)
 どうやら清国政府は朝鮮事変のことはこれで全て解決したとするつもりだったらしい。

 清国政府からすれば、先に発砲した日本兵によって40数人の死傷兵(李鴻章の言によれば死者8名、負傷者30数名(同上))が出たとして日本政府に責任を問うてもよいところであろう。まさか現地武官の報告よりも日本人の言うことの方が一貫して合理性があると思ったわけでもなかろうが、先の原領事に対して李鴻章は、日清両兵の誤解から戦闘状態となった、と述べている。
 清国政府としても日本と事を構えたくないのは同じであったと思われる。

 以前より清国が西洋国から軍艦や兵器を購入するたびに西洋白人達が必ず風評として流すのが、「清国は日本と開戦の準備をしている」であった(録事第一号日清間交戦予備ノ件外一件、臨事第十九回日本ニ備フル為メ大砲軍器購買ノ件外一件)
 もちろん清国としては西洋列強から侵食されつつある中華圏防衛のためのものであって、日本との戦争を目的としてのことではないはずである。

 かつて竹添公使はこのような風評に対して事変前の明治16年7月に朝鮮駐在清軍提督呉長慶と対談した時に、「西洋諸国は日清両国の和交を好まず、覇権と貿易利権の専権を得んと日清の分断を画策し、日本にいる西洋人は清国のことを悪し様に日本政府に言い、清国にいる西洋人は日本のことを悪し様に清国政府に申し入れるなどしている」と述べ、更に清国がベトナムのことで事態が切迫していることについて、「東洋の状況を観察すると日清両国の間は平時から互いに好意を尽くさねばならない。まして他国との戦時においてはなおさらである。自分は我が政府に上申して朝鮮に駐留している日本兵を引き揚げるように言おう。そうすれば清国は後顧の憂いなくフランスとあたることが出来るだろう」と言った。呉慶長は満面に喜びを表して感謝したという。(在朝鮮国弁理公使竹添進一郎内申安南事件切迫ノトキハ我兵引揚ノコトヲ呉長慶ト談話ノ件)

 すでに公使館護衛兵は2中隊から1中隊に減じたばかりでその竹添の上申は叶わなかったが、日清両国が対立すれば漁夫の利を得るのは西洋国であるという認識は清国政府にもあったろうし、フランス政府が日本政府に「色気話」を持ち込んだことも恐らく把握していたはずである。

 したがって世界の中心を自負する中華の盟主も、日本に対しては柔軟な対応をせざるを得なかったはずである。

 ところで余談になるが、今日では、「竹添たちが、清国はベトナムのことで手一杯で朝鮮に兵の増援が出来ないだろうとみて独立党の反乱に加勢した」などとまことしやかに述べる者がいるが、その根拠は何であろうか。空想論ではなかろうか。上記竹添の親中ぶりとはあまりに違いすぎないか。

 

日清談判と各国の思惑

 明治17年朝鮮事変の処理を巡っての日清談判については、ただ日清朝のみならず各国もその成り行きを見守っていた。

 前述したように清国と戦争状態のフランスは日本に接近せんとしており、またこの頃アフガニスタン国境を巡って露国と対立している英国は露国が朝鮮に進出する事を最も危惧しており、伊藤が清国に向かっている3月に北京の英国特命全権公使ハーリー・パークスは榎本公使に会って次のような話をしている。(「第四冊 第十四編 至 十六編/2 第十四編 天津会議」p9)

 「日本から清国の撤兵を請求してもし清国が承諾し、また日本も駐留兵を帰国させることになるなら、これは即ち露兵を越境させて朝鮮に入らせるのと異ならないことである。実に憂うべきこと甚だしいものであって、今度も在日本露国公使が自国の軍艦に書記官を乗せて朝鮮に派遣したことは最も注意を要するものである。日清両国の兵が朝鮮に駐留するのが紛争の種であると雖もなお露兵が朝鮮に入ることの禍根に比べれば全くましである。朝鮮人は今は到底自主独立の気風はないから、以って日本も実力でこれを保護さぜるべからず。でなければ寧ろ清国の実力をもってこれを保護せざるべからず。なぜならば実力の保護を離れれば直ちに内乱を惹起し、その結果は隣国(露国)から干渉するに至るは必然だからである。よって日清両国がその兵を退けるに於ては我が英国も一思案なくてはならないことである」

 この時パークスは日清撤兵案のことを聞いて思案し、急ぎ厳寒北風の中を馬を駆って日本公使館を訪れ、並々ならぬ熱意でそのことを力説したという。(パークスはこの直後に高熱を発して3月22日に病死している。58歳であった。)

 英国の「一思案」はこの後天津条約成って日清撤兵の事が決定的になった時に、即座に朝鮮の巨文島に水兵を上陸させて占拠し英国艦隊の拠点とせんとの行動となって現れている。
 また、南進を開始している露国もそれに対抗して対面するモンテベロと呼ぶ島を占拠したとの情報もあった。(露国新ニ朝鮮近海ノ一島占領ノ儀)(ただし6月30日付け香港デイリーニュースによる記事であり、真偽は未確認。)

 朝鮮は朝鮮で、日清両国の兵が駐留することになった場合の対立紛擾を恐れ、露国に保護を依頼するべしと評議して(近藤代理公使報告京城事変後国情ノ件)朝露秘密協定を結ばんとしたり、あるいは政府内部で日清両党の者が国王を掌中にせんとするを防ぐためにその保護の兵を英国に求めんとパークスに書簡を以って派兵を依頼したりした(在朝鮮近藤臨時代理公使報告朝鮮政府ニ於テ清国ヘ使節派遣等ノ件)。しかしパークスは無視したらしい。

 かつて福沢諭吉は、
「百巻の萬國公法は數門の大砲に若かず。幾冊の和親條約は一筐の彈藥に若かず。大砲彈藥は以て有る道理を主張するの備に非ずして無き道理を造るの器械なり」(「通俗國権論」九六頁 明治十一年八月 慶應義塾出版社)
 と述べているが、まさに各国の思惑は武力に基づいて動いている。しかし他国の侵害の不当を有る道理もて各国に訴えるその国権主張の依拠たるものもまた公法であろう。

 日清談判の中ではじめ清政府は日本政府の要求を悉く受け付けず、李鴻章は榎本公使との内談で、「我が国は戦争の用意に取り掛かる。我が国はフランスに向かってすら戦争を開いたではないか」と武力に言及して憚らなかった。しかし伊藤はついに清国から大幅な譲歩を引き出している。
 武力のみにあらず、その正当なる道理を前面に立てて渾身の弁舌を駆使した伊藤の力量とも言えようか。

 

伊藤大使、天津・北京に
(以下「日清交際史提要」の「第四冊 第十四編 至 十六編/2 第十四編 天津会議」、「対韓政策関係雑纂/日韓交渉略史」、「朝鮮暴動事件 二/2 〔明治18年1月19日から明治18年5月21日〕」、「在北京榎本公使報告伊藤全権大使来清始末書ノ件」より)

 清国派遣の者は伊藤と西郷の外に随員として井上毅参事院議官など12名、随行武官として野津・仁禮陸海両少将など10名、計24人の特派大使一行であった。

 ところで、日本政府としては何故伊藤博文を選んで派遣したのであろうか。3月27日に清政府の王大臣と会談した時に伊藤自ら次のように言っている。
 「本大臣の職務は常に宮廷に参じ、直接に陛下の命を受けて事を執る者である。本大臣を派遣されたのは、永遠の両国和好を厚くし遠謀を以って将来を計り誤りなくするためであって、ただ両国間の案件を談判するだけではない」(「第四冊 第十四編 至 十六編/2 第十四編 天津会議」のp12)
 伊藤博文は当時宮内卿である。つまりは日本国皇帝の明確な意思によるものと知らしめるための格別の配慮があったということであろう。

 明治18年(1885)2月28日、薩摩丸・駿河丸に分乗して横浜港を出航、長崎、上海を経由して天津に向かう。

 3月14日に天津に到着。北京駐在の榎本武揚公使らが迎える。
 清政府は李鴻章を全権大臣に、呉大澂を立会委員に任じ、諸事情により李大臣が天津を離れるわけにはいかない事であるとして天津で談判のことに及ぼうとした。
 しかし、伊藤大使は国書奉呈のことを以ってそれを断り17日に天津を発して北京に向かう。
 21日北京着。

 23日、榎本公使は伊藤大使が皇帝謁見を請う照会文すなわち、
「伊藤特派大使はすでに京に来れり。恒例により国書をまさに貴国皇帝に面呈するべし。どのように対談すべきかは貴王大臣から奏上あって答えられることを望む」
との照会文を王大臣以下諸大臣に示して回答を求めた。

 王大臣は、皇帝は幼くして未だ親政ならざるをもって謁見のことを辞退した。榎本はそのことで争わず、その理由を書面に作り復答することを約束させた。
 この時また、北京で談判を開かんことを要求した。それに対して王大臣は、
「李鴻章は既に全権委任を受けており協議決定調印の権がある。故に天津に於て開談せんことを望む」
と答えた。それで榎本はそのことを照会書に明文化して互いに交換することを望み、王大臣は承諾した。
 しかしこの時の王大臣の言は穏かでないものがあり、また本当に全権による締約が出来るのかどうか、その言葉には曖昧なものがあった

 24日、榎本公使は再び王大臣の居る総署を訪れ、全権のことを記した照会書交換のことを伝えた。しかし、王大臣は昨日と打って変わってこれを拒み、談判の筆記を作ってこれを交換することを望んだ。

 (つまりは清国政府としては李鴻章を取次人とし、事実上の全権は政府内としたかったのだろう。即ち明治9年の日朝修好条規付録締結の談判で朝鮮政府は講修官をもって宮本小一と対談させ、その対談内容を政府内で協議して回答したのと同一の方式である。しかしこれは日本側にとって、真意が伝わらぬ、時間もかかる、という最も忌むべきものであった。)

 榎本はこれを断固として拒み遂に決せずに辞別して帰った。

 25日、榎本公使は再び総署を訪れ、諸大臣に対して伊藤大使の意として次のように説いた。

 「大使は本来は清帝陛下のもとで談判を開く権あり。しかし李鴻章大臣が命を受けて大使と同一の全権があるなら、その便宜を考慮し請求のままに天津に下向して李氏と談判をせんとするものである。これ結局は我が方の好意をもってその求めに応じることに他ならないことである。それなのに今は前言に反して全権の証明をも拒むということならば、大使自ら総署の王大臣に面晤しこの地に於て速やかに開談せんことを請求する。

(これまた宮本や花房の時と同じパターンである。即ち直接廟堂に赴いて直談判すると言い出すことである。討論することが苦手な貴族官僚たちはこれを嫌がって大抵考えを変えるものである。)

 何度か討議の後に、王大臣は遂に全権を証明する照会を承諾し、徐用儀大臣が筆を執り草案を作成して公使に示した。榎本はそれを携えて帰った。

 26日、清政府から先の謁見辞退の理由を述べた書面が来る。よって国書奉呈のことはせず。

 27日、伊藤大使は王大臣と会談。東洋の和局の維持を述べ、李鴻章全権のことを確認する。

 28日、この日大使のもとに英国代理公使オコールが来て頻りに談判を北京で開かないことの不利を説き日清間を周旋せんことを告げる。伊藤はこれに応じず。

 31日、北京を出発して天津に向かう。


 清政府の事変総括

 会談に先立つ3月11日、李鴻章と呉大澂が談判者として任じられた時の上諭文に次のようなが言葉があった。

「この度の朝鮮乱党が事を挙げた時に、呉兆有等が述べたところに理に合わないものはない。日本に出使する徐承祖(日本駐在清国公使)の電信によれば、日本人は朝鮮駐留の我が武官を懲罰することを欲し由とのことであるが、断じて曲げてその要請に応じる事は出来ない」

 また、3月16日の京報に掲載した上諭文では次のように述べた。
「朝鮮国王は使いを派遣して我が国の恩を謝する表文を奏した。該国王によれば、昨年十月十七日(日本歴12月4日)の夜に逆臣らが乱を為して王宮に突入し大臣六人を殺した。十九日(日本歴6日)に朝鮮政府は清国の防営提督に出兵を要請し入宮させた。乱臣は銃砲を放ち四十余人が死傷した」
と、乱党が清兵を死傷させたとの認識を示し、また死傷の兵の恤給は朝鮮国がするべきであるが恩情を示すべきであるとして不問にし、先の事変で乱があったことから従属国を護るために軍を派遣したが、武官兵卒達はよく勤めたとしてこれを賞賛する文章となっている。なお、日本兵との戦闘や日本民間人殺害のことには全く触れていない。

 国内向けの報ではあるが、これが清政府の朝鮮事件総括ともいうべきものであろう。
 ようするに清政府は朝鮮に駐留する武官を懲罰するどころか功労を賞せんとしていたのである。したがって、日本が要求する将官責罰の実行は最も困難なこととなった。

 4月2日、伊藤大使は榎本公使を同伴して天津の日本領事館に到着。榎本は李氏を訪問して明日の談判を約定す。

 

日清両巨頭の談判

 談判は4月3日から15日までの、計6回に渉った。
 談判冒頭に於いて、いつものように日本側は、相手に対して全権の委任状があることを確認。また清国側は李大臣が署名して清皇帝がそれを批准するという形を要求し、伊藤はそれを容認した。

 次に伊藤大使は議題を2つに別け、第1に過去のこと、第2に将来のこととし、先に将来のことを決めたいとした。
 それに対し李鴻章は撤兵を提案し、伊藤も了承して両国同時撤兵することで早々に合議した。

 次に過去のことであるが、伊藤大使としては、王宮での清兵による日本公使と兵への攻撃日本人居留民殺害などについて、清将の処罰を求めると共に補償問題の協議も要求した。
 当然、事の詳細を問うことになり、容易に一致点が見つからない困難なものとなり、また永久撤兵か一時撤兵か、朝鮮の独立問題なども含めて大議論となり、談判破裂の危機に瀕したりもした。

 以下談判記録からの抜粋である。

(「天津条約ノ締結」B06150031800 のp77より、()は筆者。)

○伊藤大使、李鴻章と談判記事
       明治十八年四月三日

一千八百八十五年四月三日午後三時天津直隷総督衙門に於て談判筆記

伊藤大使   榎本公使   伊東大書記官  鄭権大書記官
李鴻章   呉大澂   續 昌   伍廷芳   羅豊禄

  筆記[英文并和訳]伊東大書記官

大使「<英語>閣下には、本大臣と談判の任を受けられたる趣、公然確知したるに因り、乃ち昨日一書を寄せ、本日面晤せん事を望み、敢て閣下の便否を問いたるに、閣下幸に答うるに支障なき旨を以てせられたれば、本日談判の手続き協議の為め、且双方全権の憑証照合の為め参趨せり」

 「<清語、羅豊禄英訳>先ず以て閣下の高論を承りたし」

大使「他事は偖て置き、差支なくば閣下全権の憑証を一覧せん。此事は唯だ一の式法に過ぎざれども本大臣の全権憑証も亦貴国に供すべし」

 「謹で貴命に応ずべし」

(略)

(以下、p82より、現代語に。)

 「撤兵の事は、貴国の兵も同じく徹せられるだろうか。幸いに貴答のある事を望む」

大使「閣下が貴国の兵を撤回することを肯諾すれば、即ち我が駐在兵は元々条約上の権利に基くものに拘らず、同じくこれを撤回することを承諾するだろう」

 「その条約には、将来貴国の兵を撤回するとの約があるか」

大使「その条約には、将来朝鮮の情況に応じ、我が斟酌裁量するところにより、我が国の安堵が得られる度に従って、全数を撤回し、又はその幾分かを減じる事を約している」

 「それならば閣下は、唯だ我が国の兵を徹すべしと主張して、貴国の兵は条約上の権利に基づくものであるが故に、共に撤回せずというか。もし両国が均しく撤回しないなら、本大臣に於いては何等商議をするを得ないことである」

大使「本大臣は、もとよりそのような無理の要求を貴国にするものではない。貴国が幸に撤去するなら我が国もまた撤去するだろう」

 「それならば明らかに貴意のあるところを理解した」

 将来、日清両国が朝鮮国に出兵する時は互に通知するという「行文知照」のことは後日合議した。

 さて次は最も困難な、過去のことについての談判である。

(「天津条約ノ締結」B06150031800 のp83より現代語に、()は筆者。)

大使「過去に属することは、過般、朝鮮の変乱に際し、我が(竹添)公使は、該国王の求めに応じ、兵を率いて王宮に入った時、貴国将官が我が公使が王宮に在るのを知りながら、大兵を率いて王宮に突入した。この時不幸にも、貴我両兵の間に争闘を惹き起こした。当時、貴国将官が相当の時間内に於いて双方協議を尽す為に何らかの処置をすることがあったら、必ずこのような争闘は避けるに難しくなかったが、貴国将官はそのまさに尽くすべきことを尽さなかったゆえに、遂に貴国の兵は我が公使並びにその護衛兵に向かって攻撃を加える結果を顕すに至った。この時にあたり、我が公使及びその護衛兵は王宮内に屯在し、貴国の兵は王宮外から闖入した。唯だこの一事のみを見ても、貴国の兵は攻進の地位にあり、我が兵は防守の地位にあったことを証するに足りるだろう。そもそもこの攻撃は、我が国威に対して直接に非常の損害を加えたものと我が政府に於てはこれを認めるのである。これを以って止むを得ず我が政府は、このような攻撃をなすべく不当の指揮をした貴国将官を責罰することを貴国政府に要求せざるを得ない。その他貴国の駐兵が朝鮮に居る我が国の臣民を残酷に殺害し、或いは財物を略奪したなどの暴行を加えた事について、また相当の満足を与えられることを望む。この事は、等しく貴国の将官がその職権を使って阻止することなく、兵士の凶暴をほしいままにさせた直接の結果なので、すなわち閣下はこのような要求が妥当であって止むを得ないものであると了解されるであろう」

 「ただ今、閣下の言われる両国兵の間に争闘があったこと、並びに在朝鮮貴国臣民が受けた暴行のことは、頗る錯綜した事案なので、細密に渉って談話するが肝要と信ずる」

大使「この事に付き、閣下の高説があるなら本大臣は耳を傾けて聴くだろう」

 「ついては、清語で陳述して閣下の通訳を煩わすべきか、または本大臣の通訳を使って英語で述べるべきか」

大使「いずれにも閣下の便宜に従おう。清語でするも、英語でするも双方の便宜に従ってよいだろう」

 「<清語、羅英訳>我が兵の朝鮮に駐在するものは全てで3営である。本大臣はことさらに我が兵のしたことを繕い、又理不尽に排撃するものではなく、全く偏りを去って公平に陳述する。先の京城での事変は、初めその事実を知らず、やや時が過ぎた後に現場にいたものの実況報告を得て聊かその顛末を知った。本大臣はひとたび我が国駐兵の、或いは進攻の勢いに乗じたことはないかを思い、特に顕官数名を派遣しても実地の事実を査明させ、そして後、明らかに事実を知ることを得た。事は頗る錯綜にわたるので、なるべく煩雑を避けて簡単に述べよう。ついては閣下には、我が方に在る官吏の報告書、内報、朝鮮国王の書簡、呉続両大臣の報告書、その他朝鮮使節の供述を見られることを望む。この事に付き本大臣の所存は、素より公平中正を旨として、その是非のあるところを明らかにし、その何人たるを論ぜず、務めて公明に処理することを期するにある。貴国皇帝陛下が遠く閣下を我が国に派せられた叡慮もまた我が素懐と異ならないと信ずる。しかし、今閣下に一言せんとすることは、竹添公使はもと本大臣の親友であるが、如何せんその挙動に至っては決して軽率の科を免れないと断言せざるを得ない。実に竹添公使の罪を数えることは万止むを得ないものである。既に閣下の述べられるのを聞くと、貴国兵の朝鮮に駐在するは、その実は公使館護衛のためであって条約上の権利に基づくのであると。しかし竹添公使はその兵を率いて国王の求めに応じたと言う。そもそも竹添公使は京城に在ってから久しい。当時の朝鮮の形勢はどのようなもので、また変乱とはどのようなものかは、公使がどうしてこれを知らないだろうか。また竹添公使が自ら兵を率いて王宮に赴くに当っては、先ず統理衙門にそのことを通知しなくてはならない」

大使「竹添公使は朝鮮国王の再三の依頼に応じた以外は一つもしたことはない。また朝鮮国王のような依頼は正当であって、少しも違法の跡を見ない。まして事情が切迫している場合においては。かりにも国王の懇請である以上は、また必ずしも統理衙門に通告する必要はない。まさに一国の君主たる者の勅命を以って求めるに当り、我が竹添公使は交誼上必ずこれに応じざるを得ない。当時、公使の目的はただ王命に従うことにある。また我が兵は公使館護衛のためであるとは言え、国王の再三の求めに応じて、王の一身を保護せんとしてこれを率いて王宮に入ったのは、公法に照らして決して違法の行為ではない」

 「竹添は職として朝鮮京城に駐箚する公使である。その時勢の傾向、現在の状況がどうかを熟知しているのは明らかである。そして変乱が何であったかを知悉しているのは疑えないことである」

大使「急激の際にどうしてその実情を明らかにする暇があろうか。貴説のように竹添公使は久しく京城に居るとはいえ、途中で帰国して変乱の1ヶ月ばかりに前に任地に赴任した。故に思うに、同公使は当時の状況を知悉していなかったことは明らかである。閣下がもし疑念だけで事を論じるなら、遂に止むことはない。竹添公使の行為は少しも道理に反していないことをただ信じるべきのみである」

 「朝鮮国王が本大臣に書を送って言うところに拠れば、今、閣下が暗に指摘された朝鮮国王の親書は、王自らが書いたものではない。すなわち乱党が偽作して竹添公使に送ったものであると、王自らがその偽書であることを証明した」

大使「朝鮮国王がそのような書を閣下に送ったことは、本大臣のまだ聞いていないことである。その実否がどうかは我が国に於いては何ら関係のないものである。竹添公使に与えたる親書には王の玉璽があることを以って、その真正であることは論を待たない。とりわけ同公使が護衛兵を率いて王宮に入った時に、国王は同公使に向かって懇篤なる謝辞を述べられた。時勢が全く一変した今日於ては国王は言を左右にするだろうが、我が国に於ては朝鮮国王の親書は断じて疑わない。畢竟、時勢の一変した今日に至っても、国王が口にし或いは筆にしたことは何らこれらの事実を変える効力はない」

 「本大臣は閣下に対してただ厚誼を尽くさんとする以外に望みはない。本大臣は敢えて外交上の権謀を用いて言を巧みに事を飾るのではない。直言するなら即ち金玉均等は今日の問題を起こした乱の首魁である。そして竹添公使はその謀に誘導されたものであることは更に疑いないことである。朝鮮国王もまた自ら幾らかは罪を免れない。なぜならば国王は性格が柔弱であって決断に乏しく、当時の行いは優柔不断の甚だしいものであるからである。同国使節もよく国王の柔弱を言い、また竹添公使が金玉均と組んでいると言っている」

大使「今回の問題を起こした乱の首謀者が誰であるかを調査するのは、要するに詮無いことである。たとえ朝鮮国王自らが首謀者であっても、或いは金玉均であっても、その事は全く朝鮮の内事に属し、全く我が国に関係するところではない。故に本大臣はまたその事を論じる必要はない。ただ本大臣がここに断言することは、竹添公使はかつてその密謀に与った等の事実があることはないという一事にある。本大臣は確固としてこれを明言する。しかしながら閣下がなおも疑うならまた何を言おうか。ただ我が国に於ては既に同公使を糾問して何ら謀に関与した跡がないことを知り、更に疑うところがないだけである」

 「本大臣はもとよりかつての変乱に関して、徒に瑣末の点にわたって論ずることは欲しない。しかし閣下は既にこの問題を提出して、罪を我が将官に帰してその処罰を要求されるに於ては、またその事に遡って論究せざるを得ない。ついては尚陳述するところがあるので、説が終わるまで聴聞されることを希望する」

大使「了解した。閣下の所説が終わるまで聴聞しよう」

 「朝鮮に我が兵は3営を駐屯することは、閣下が既に知悉するところである。4年前の京城の変(大院君の乱)に際し、貴国の公使館は乱民が焼くところとなり、我が兵は力を尽してこれを鎮圧し、その党首たる大院君を幽閉したように、我が兵は貴国人民に対して職を尽して力を出した。在朝鮮の兵は、我が直接の命令の下にある者であるが故に、本大臣から命令がないなら自ら寸歩も動いてはないらないものである。それなのに昨年の変乱に際しては、貴国の兵は堅く宮門を閉鎖し宮闕内に於ては、その護衛の力を頼って6大臣を屠戮した。当時の朝鮮の官民共に我が兵営に来て、王宮に行くために補助をあたえられることを嘆願した。勢いそのようなことなので、我が将官は止むを得ずにその嘆願を聞き入れる外なかった。本大臣はもとより竹添公使は6大臣謀殺の事に連累していたとは信じないが、しかし6大臣を屠戮したのは当時王宮を守る貴国兵の力を頼んで成し遂げられたのは疑いない。なぜならば貴国兵は城門を堅く閉ざして何人も進入することを許さず、その間に乗じて王宮内に於て6大臣を謀殺したからである」

大使「閣下の所説に拠れば、6大臣を惨殺したものは我が兵の力に拠って成し遂げられたと言われるが、よく虚心に熟思ありたい。そもそも暗殺は必ずしも兵力の助けを借りる必要がない。何時でも容易に成し遂げられるものであることを考えられるべし。あの6大臣暗殺のことを以て、我が兵が直接に補助したということは出来ない。或いはその結果において、間接に多少の効があったと言おうか。間接の結果に至っては、我が国にこの責任がある理はない。これに反して、貴国の兵は我が公使を攻撃する前にあたり、貴国将官は力を尽して争闘を避け、防ぎ、以って今回の件のような非常の損害を生じさせないように注意すべきであったのに、敢えてこれを尽さなかった」

 「本大臣は事実の詳細に渉って論断することを欲しないが、あの6大臣の首をはねたのは決して国王の真意に出たものではないことはここに一言せざるを得ない」

大使「本大臣はその事がどうかは知らない。6大臣を殺したのが王の意であるとそうでないとを問わない。或いは国王がそのことを知っている知っていないを論じない。今日の問題は更に全くその事に関係することではない。閣下の談論がこのようであるなら、貴我双方の談判がいつの日か止まることがあろうか。その6大臣を惨殺した原因は、我が国にとって全く関係はない。我が国に関係して重大にして不問にすることができないことは、ただ貴国の将官が大兵を率いて我が公使に銃撃を加えた一事である。今、閣下の説に貴国の兵は3営であると言う。仮に1営を500人としても1500人である。なおそれを減算してもなお1千人を下らないだろう。反対に我が兵は120人であって、これに士官を加えても140人を超えない。このような寡少の兵が内を守り、貴国の大兵が外から攻める。その兵の多寡を見ても、また双方の位置から察しても、両兵の内でどちらが進攻の地位にあったかは、問わずして知るべきのみである。我が兵は防守の地位に立つことは更に疑いを入れないことである」

 「6大臣惨殺の事は、今回の問題の原因であるから話はたまたまその事に及んだ。たとえ貴国の駐在兵が6大臣の惨殺に連累したのではないにせよ、貴国兵の守備があったからこそその力に頼って成し遂げられたではないのか。ただその咎めるべきは国王の優柔不断と金玉均の謀と竹添公使がそれに誘導されたとの3項があるだけである。その事について、我が方に於ては2点の論拠がある。第1に我が将官は当日の朝、竹添公使に書を送って我が兵が王宮に進入するのを報じ、貴国兵が王宮を退かれることを請求したのに、竹添公使はその書簡を受領して読む暇がなかったと言い、その時開封するや否や既に発砲したというのも、反対においてこの書簡を送って以来、何らの返信も与えなかった。よって我が将官は士官の1人をして名刺を持って王宮に到り、竹添公使に面会を乞わせたのに、その我が士官は内に入ることも許されず、却って内から不意に銃撃にあった。そしてその弾丸は4人の兵卒にあたり、たちどころに斃された。この時偶然にも弾丸がその士官の手にする名刺にあたり、片々として地に落ちた。遂に止むを得ず我が兵はこれに応撃するに至った」

大使「貴説の要領を挙げれば、第1、竹添公使に書簡を送ったこと、第2、名刺を持たせて士官を王宮に至らせたことである。しかしどうして我が兵が貴国の兵に向かって発砲することが出来ようか。試みに考えよ。当時、貴我両兵の間に韓兵があった。先ず韓兵を撃ち斥けた後でなければ、銃丸が貴国の兵に達する理はない。これを以って見ても、我が兵が決して先に発砲せず、却って貴国兵が先に発砲したことを証明するに足るだろう。まして貴国兵は韓兵と結んで相共に我が兵に向かって発砲したのを目撃した者があるのであるから。勢いこのようなことなら我が士官は令を竹添公使に請い、公使答えるに止むを得ず応撃するの外すべがないことを以ってした」

 「本大臣は先ず銃を発したものは、貴国兵かまた韓兵かを知らない。ただ4人の我が兵がたちどころに斃されたのを以って止むを得ず正当防衛の権利に立って応撃せざるを得ないことに至った」

大使「論点は即ちその間にある。もし閣下の説のように、かりに韓兵が先ず発砲したにもせよ、我に向かって直接の損害を加えたことについては関係することではない。本大臣は自ら求めて問題を大きくすることは欲しないが、事実このようなことなら我が国の権利のあるところは、どこまでも主張せざるを得ない。すでに我が兵は(王宮の)内にあれば、貴国の兵は外から進攻し、我が方が防守となったことは明らかなる証拠ではないか」

 「本大臣は職は武官の末に列していて20年になるので、臨戦合図の事は聊か知らないわけではない。その銃丸がいずれから来たかを定めることは頗る難事である」

大使「[微笑して]例えば2人が行き会って、そして1人が、自分に害を加える意のない1人を突然打ち倒したと仮定すれば、その罪がどちらにあるかを閣下に問おう。[皆笑う]」

 「[微笑して]この難問に答えるには甚だ窮した。また閣下の述べるところを聞くに、両国兵の間に争闘があった後に、両3日の間貴国臣民は我が兵のために暴殺されたというに至っては、本大臣は前もってそれは真実ではないと弁ぜざるを得ない。現に我が兵は貴国臣民に害を加えなかっただけでなく、その変乱の際に貴国臣民男女数人を救って仁川に護送したではないか」

大使「いかにも貴国兵が我が臣民数人を仁川まで護送した善行は厚く謝すべし。しかし同時にまた貴国兵の暴行の罪を問わざるを得ない。貴国兵は我が居留臣民を襲って財物を毀損略奪し、甚だしきに至っては夫を殺し妻を辱め、凶暴至らないことなし。本大臣は一面においては閣下に貴国兵の厚意を謝し、一面においてはその凶暴の罪を正すことを欲するにある」

 「我が兵は陣営からみだりに外出することが出来ないことは閣下の知るところであろう。先の変乱の時に朝鮮国王は3日間我が陣営にあった。故に我が兵は1人たりとも営門から出てはいない。或いは在留貴国人民は、韓人と清人とを区別することが出来ないかもまた知れない」

大使「貴国人と韓人とは何の紛らわしいことがあろうか。衣服を見れば明らかである。閣下も考えられたい。我が人民が韓人より暴行を蒙って貴国兵であったと偽る理があろうか。貴国兵であることは明瞭である。

 「何と言われても決して我が兵ではない。或いは清人であったかは知らないが、決して清兵ではない。ともかく既往に属することであって、貴国には貴国の報告があろう。我が方には我が方の報告がある。いずれにしても協議を遂げてあまり瑣末に渉って論争しないことを望む」

 これにおいて当日の談判終わる。李鴻章は伊藤大使との食事を請い、伊藤は応じた。供膳は清国風であって殊に珍なるものであった。食事中重要な話はなかったが、李は大使に対して甚だ慇懃であった。
 午後10時に辞別し、伊藤が次回会合の日を問い、李は翌々日と答え、伊藤はこれを承諾した。

第2回会談は4月5日午後3時に在天津日本領事館に於いて開かれた。

(「天津条約ノ締結」B06150031800 のp93より現代語に、()は筆者。)

 「閣下は前回の陳述に於て、全て貴意を尽されたか」

大使「本大臣は前回に於いてその大概を述べた。更に詳細に渉って陳述するところがある」

 「閣下が詳細に渉って談論されるときは、本大臣はまた止むを得ず詳細に渉って談論せざるを得ない」

大使「先の変乱の際に、貴国将官が我が公使に対して理不尽にも銃撃を加えたことに付き、本大臣は貴国政府に要求するに、該当将官を処分されんことを、その証拠と理由とを一昨日に述べ尽くしたと信じる」

 「その証拠及び理由とは何を指されるか」

大使「その証拠とは他にあらず、貴国兵は攻進の地位を占め、我が兵は防止の地位にあったこと、これである」

 「幸いに閣下の許諾を得るならば、ここに甚だ強固な論理を提出しよう。そもそもこの事はもともと朝鮮に関することなので、この事について同国王の陳述した事柄は、即ち事実の証拠として法理上に効果を有しないわけにいかない。閣下はこの提案に同意されるか」

大使「朝鮮国ははたしてどのような事を述べ、また誰に向かってこれを述べたのか」

 「変乱の後、朝鮮駐在の我が将官は当時の顛末を我が皇帝陛下に報告して細大漏らさぬところはなかった。しかし我が皇帝は将官自ら報告するところのものは或いは公平を失うかと疑い、殊に悩まれて遂に呉続両大臣を朝鮮に派して実地について事情を厳重調査させられた。すなわち両大臣はその事実について朝鮮国王に照会した。故にその照会に対する国王の答弁書は、本案について完全なる効力を有するものと認めなければならない」

大使「我が方にも朝鮮国王が竹添公使に対して述べられた又は行われた等の事柄は、すなわち我が要求の論拠を補完する証拠の一部分と認めざるを得ない」

 「これに朝鮮国王が自ら玉璽をツして送った公文がある。同国王が我が将官に向かって述べた事は公然たる効力を有しないとしてしても、この国王の親書は公文であって公然の効力ある証拠である。凡そ証拠の軽重を論ずるに当っては、たとえその証人は一国の王にせよ、一貧民にせよ、その立証の効力においては相違はない。閣下幸いこの公文を一読されよ」

大使「我が竹添公使はまさに朝鮮国の王室に派遣された駐箚使臣である。故に公然ということを言う時は、すなわち同国王が公使に向かって行い、または書き送った事柄は、法理上に於ても確固として動かすことの出来ない証拠として認めるべきは勿論であるとする」

[この時、李中堂は、「照録朝鮮国王<呉、続>欽差咨文」と題する公文を大使に示した。その文は以下のものであった。]

朝鮮国王公文(漢文要約)

 変乱当時に乱党の金玉均と朴泳孝等が日本兵を招致することを本国王に要請したが、本国王はこれを許さなかったので、ついに自分たちで四文字を書いて玉璽をツしたのである。王宮内では本国王を始め皆が日本兵の撤退を望んだが、竹添公使は保護を口にするばかりで撤兵せず、また乱党は清軍が反乱をしたと言い募った。日本兵は全て王宮内にいて門を出る隙もなかった。中国兵は営にあって変を見、巷では人民らが憤慨し、後に呉提督らが兵を率いて来た。この時に本国王は外の動静を知らない。日本兵は王宮内から発砲し、聞くところによれば中国兵は門に至って数人が撃たれ、それによって初めて反撃の発砲を始めた、云々。

 「もし朝鮮国王から書を竹添公使に送り、また公使に対しての証拠があるなら、このように立証するべきである」

大使「今この書簡を読んだが、この書簡を以って今日の議論を決するに足る十分の証拠と認めることは出来ない。殊に我が方に国王の親書があり、それは国王が竹添公使に対して述べられた勅語と共に、我が国の要求する証拠として提出して決してこれを放棄しない」

 「貴国の公使に送った朝鮮国王の親書その他の証拠を見ることが許されるなら真に幸いである。我が方には国王からの書簡は2通あって、1通は本大臣に宛て、1通は呉続両大臣に対する回答書である」

大使「本大臣は既に一昨日も述べたように、時勢が全く一変した後に国王が言ったこと、また書いたことなどのものは、本案件を協議する上において更に何らの効力があると認めることが出来ない」

 「朝鮮国王が竹添公使に送った書簡は、同国王が我らに送ったものと、その効力において違いがある理はない」

大使「本大臣は閣下に対して静思熟慮あることを願う。そもそも竹添公使の身は、朝鮮国の王室に派遣された特派公使である。ゆえに同国王が公使に書き送り、あるいは言ったことなどは、我が日本国に対して書き送り、あるいは言ったことと同一と認めなければならない」

 「変乱の後に我が政府から朝鮮に派遣した委員は、京城においてその事実を調査する任を帯び、京城にあっては我が国を代表する特派使臣である。本大臣は閣下に忠告するものである。他ではない。貴我双方が努めて議論が錯綜するのを避け、共に協議を尽すことである。本大臣の所見によれば、貴国公使もまた我が将官と共に幾分かの咎めを受けざるを得ない。初め変乱が起ったときに我が政府は実にこのような事があるとは思わず意外のことであった。よって報告を得て初めてその顛末を知った。思うに、貴政府もまたそうであろう。貴我両政府は同じ立場にあるからなるべく協議を遂げて葛藤を避け、そして双方意見の異なるところを纏めて妥協を得ることに注意しなければならない」

大使「そもそも本大臣がこの地に来たのは平和の手段を以って案件を妥結し、双方誠を開いて後日に疑いを残さないことにある。この事はよく記憶されることを希望する。しかし本大臣は我が公使の行為の正当であることは画然立証せざるを得ないが、双方協議してこの案件を終了することは閣下のその意見に全く本大臣は同意を表するところである」

 [この時大使は、朝鮮国王宮の軍事図面を提出して両国兵の位置がどうであったかを示し、図面の各所を指して言った。]

大使「我が兵員は全て120人に過ぎず、そしてこの付点の所を守衛した。そこは第1の位置、ここは第2の位置である。我が兵の守備線からそう遠くない距離で、前面に韓兵がいた。つまりこの付点によってその地位を見るべきである。そして貴国兵は第一門に向かって進軍し、後に3方面から王宮を攻撃した。すなわちここに彩色したのが貴国兵の位置である。これにより閣下は貴我両国兵の間に韓兵がいたこと、及びそれぞれの位置を占める所の位置を知るべきである。故に貴国将官が我が公使に向かって軍事攻撃をしたことは自ずから顕然である」

 「閣下が知るかどうか、我が朝鮮駐在の将官は平生から竹添公使とは交際があった。したがって互いに往来もあった。故に我が将官は当日朝の8時に書を竹添公使に送って予め兵を率いて王宮に入ることを報じた。まさしく我が将官の意は、万一貴我両国兵の間に紛争が生じてはと思ってのことからであった。よって午後3時に至るまでは敢えて王宮に進入することをしなかった。もし竹添公使が直ぐに我が将官に返書をすれば、事がここに至らなかったことは必然である」

大使「竹添公使に送ったその書簡は、果たして閣下が示した時刻に届いたという確証があるか。また言われる時刻に竹添公使がその書簡を落手したことについて、清人或いは韓人によって証明できないうちは、その書簡のことは少しもその効力を有しないものである。まして閣下が云々と言われる書簡には日付も書いていないのであるから」

 「否どうしてそんなことがあろうか。竹添公使に出した書簡の写しがここにある。どうかこれを一見せよ。この写しは我が将官から本大臣に送ってきたもので、しかも明らかに日付がある。これによって思うのに貴方にある本書に日付が載ってないという理はない。どうか本書があるなら一覧することを許せ」

[この時李中堂はその写しを大使に示した。すなわち明らかに日付を載せていた。]

大使「今本書を携えてここにあるかどうかは知らないが、とにかく日付を載せていないことは本大臣が保証するところである」

[この時伊東大書記官は他室に行って証拠書類の中から本書を探し出して大使に渡す。大使は一覧して、]

大使「この本書には果たして日付がない。しかし閣下はこの書簡は貴将官の手になったものではないと言えようか。本大臣は必ずそうではないと信じる」

[この時大使は本書を李に手渡しする。李は眸を凝らしてこれを見たが、その写しにあった日付をそこに発見することが出来なかった。頗る驚愕の顔色となった。そしてしばらく呉大澂と耳語した。]

大使「[李の躊躇する雰囲気を見て、]請う。閣下は深くそのことを以って念頭に懸かることのないように。もとより大事とするには足りないことで、本大臣はこのような瑣末のことで徒に問題を加えるものではない。閣下あまり意に介するな」

 「もとより我が将官は軍籍のものであるから、極めて外交の事務には疎い。結局はそのためにこのような手落ちがあった。彼らはかつて本大臣に報告した時にこの写文を出した。そしてこの書簡はその写文の日付で竹添公使に送ったと言える」

大使「貴国将官が我が公使と協議するために相当の時間で相当に尽すべきことを尽したならば、決してこのような紛争を醸さなかったという形跡は、すでに今日判然した。朝鮮に駐在する貴国理事官は12月5日に米国公使フート氏を訪れ、その時理事官はフート氏に、貴国将官が兵を率いて王宮に進行することの意を告げた。これに対しフート氏は、もしはたしてそうならば如何なる大事を引き起こすかも知れない、兵を率いて王宮に入ることはよくない、と忠告した。それなのに貴国将官はフート氏の忠告を容れずに兵を率いて王宮に入り、遂に我が兵に向かって攻撃を加えるに至った」

 「このような紛争を両国兵の間に避けるために、我が将官は書を竹添公使に送ったのである。当時王宮内に於いては朝鮮の大臣数人が殺戮されたことがあって、その事情が切迫したことで遂に我が将官は止むを得ず兵を率いて入城せねばならないことに至った。その時朝鮮の官民は皆我が営門に来て救援を乞うた」

大使「いかに事情が切迫したにせよ、予めその結果がどうなるかを察せずに遂に兵を率いて王城に入ったのは当然の行為であると思うことは出来ない。たとえ勢い切迫しても兵を率いて入場したことにより生じた結果は、もとより貴将官の責任であるべきである。本大臣に於いてもまたその罪を問わざるを得ないところである。既に数回弁じたように、その結果は単に両国兵の間に軋轢紛争を醸しただけでなく、我が公使及びその護衛兵に対して王宮の3面から軍事攻撃を加えたものである。かりにも1日でも身を軍籍に置いた者にこれを判じさせるなら、貴国兵が進攻したことは歴然、軍隊の攻撃であったと結論するだろう。請う。閣下は貴国兵が大数でしかも進攻の地位を占め、我が兵は寡少であって防守の地位にあったことを記憶されんことを」

 「朝鮮駐在の我が兵は3営に分けてあるから、あるいは3方から進行したかもまた知れない」

大使「いやいや、決してそうではない。貴国兵は初め第1門から進入し、後に分かれて3面から銃を並べて攻撃したのである」

 「竹添公使は平素我が将官と交誼浅からず。公使から予め我が将官に告げるところがあったなら、果たしてこのような紛争を生じなかっただろう。惜しむべし。竹添公使はそのことをせずに遂に両国の大事を醸すに至った。竹添公使はその地位は駐箚公使たる故に頗る得意の顔があった。且つ常に傲慢、人を侮った風があった」

大使「[微笑]竹添公使の胸中の如何を是非するは、本大臣の職にあらず。そしていずれの点からみても貴将官が、容易ならない結果に陥ることを考えずに相当の時間内にまさに尽すべきことを怠った事実は既に疑いようのないことである。これをもって我が国においてはその罪を不問にすることは出来ないのである。その竹添公使の心中がどうであったかなどは、上帝(天)の他に誰が知る者があろうか」

 「[微笑]閣下の見識を以ってすれば、どうして竹添公使の心中を看破されないであろうか」

大使「今かりに貴国将官が自ら兵を率いて王宮に進行したのは、事情切迫したことにより止むを得ないことであったとしても、なおまた我が公使及び護衛兵に向かって不正の攻撃を加えるような非常の結果を来たしたことはまた争うことの出来ない事実である。この結果はすなわち貴将官の行為軽率であることから起り、理不尽にも我が公使及び護衛兵に攻撃を加えるに至り、我が兵をしてこのような急遽不正の攻撃に対して防禦せざるを得ない危険に陥らせた。貴国の将官にしてこの行為あるは、これは日本国の国旗を汚辱したものと認めざるを得ない」

 「ひとり竹添公使のみならず、その書記官もまた我が将官と親交があった。公使及び書記官は我が将官の書翰を接取したにおいて深く注意すべきにこれを捨てて顧みず、既に本大臣の陳述したように我が兵は午後4時に至るまで決して発砲したことはない。王宮第3門に到った時に初めて我が兵は応撃するの止むを得ぬに陥った。その初めに於て、我が将官は士官1人に名刺を持たせて王宮に至らせたが、恰もその士官が宮門に入ろうとする時、銃丸が飛来してその名刺に的中した」

大使「ああ、その人を傷つけずにその名刺に的中するようなことは果たしてどのような名手なるか」

 「もし我が兵がその発砲した者が貴国兵であることを知れば、必ずこれに応撃していないだろう。我が将官といえども決して冒険を犯さないであろう。貴国公使に向かって発砲する意があろうか。昨年京城の変報に接した時に、榎本公使は総理衙門の大臣らに請うて言った。『この度の事実、貴我両国政府の意の外に出て僅かに両国兵の間に起った一時の紛争に過ぎないだけである』と。なお直言すれば両児のけんかに父母が敢えて口を出さないようなものである。どうして両国政府に関することがあろうか」

大使「本大臣の言は閣下の説の如きではない。本大臣がかつて述べた意は、この変は両国政府の知るところではないから、決して両国政府に咎めを帰すべきではないと言ったに過ぎない。しかし貴国の将官が不正にも我が公使を銃撃した罪は将官の逃れることの出来ないものである。これを公法に照らしても違法の行為であったと認めざるを得ない」

 「閣下は竹添公使が我が将官の書翰を接収しながら直ぐにこれを開封しなかったことは、同公使の過失であると思考しないのか」

大使「もし竹添公使が相当の時間内に於て接収したなら必ず読んでいただろうが、如何せん、その書翰は時すでに経た後に公使の手に手渡された」

 「竹添公使は早くから漢学を修め文詞に富む人である。思うにこれぐらいの書翰を読み下すのに1秒も費やすことはないだろう」

大使「或いはそうだろう。しかし貴将官は初めから我が公使と協議する意思がなかったのをどうしようか。貴国の将官が果たしてこの厚意を抱いていたなら、何故に貴将官が公使に書を贈った時に、使いを留めて返書が必要であるとさせなかったのか。これまた貴将官が初めから協議を尽して平和を傷つけない念慮がなかったことを証立てるに足るだろう。すでに時々詳述したように我が兵は僅かに数えるに寡少である。貴国兵はこれに反してその多さは殆ど我が兵の20倍である。ただこの点から見ても、我が兵から銃を発するの道理があるはずはない。まして百を以って千に対する勝算のないことは、数においてこれほど分かりやすいものがあろうか」

 「王宮に行った我が兵は決して千人内外の大兵ではない」

大使「いずれにしても我が兵に比べれば遥かに大数であるのは疑いを容れないことである」

 「ともかく貴公使を銃撃するような意思がなかったことは明らかである」

大使「[微笑]閣下にその意思がないのは本大臣は既に了知するが、貴将官には必ずその意思があったことはどうしようか」

 「我が兵を朝鮮に駐在させて以来、本大臣は時々命令を我が将官に伝え、且つ厳命して決して訓令の域外にわたることをなからしめた」

大使「果たして貴諭のようならば、貴将官は常に閣下の再三の命令を少しも恪守しなかったのだろう」

 「本大臣は閣下と本案件を協議するに当り、少しも偏った念はなく努めて中正を旨とすべしといえども、ひとり竹添公使の行為に至っては批難せざるを得ないものがある。同公使は朝鮮統理衙門に予報することなく、また我が将官と親交あるにも関わらず、一つの通知を与えず、自ら兵を率いて王宮に入ったのは、その罪同公使に帰せざるを得ない」

大使「それならば、竹添公使が統理衙門に予報せず、貴将官に通知を与えなかった2事は、閣下これを認めて、かりにも一国の公使たるものに向かって銃撃を加えた理由とするに足るとされるのか」

 「決してそうではない。ただ本大臣は竹添公使のその当時に於て尽すべき順序を述べたのである。実に変乱の日は朝鮮官吏と人民とを問わず、竹添公使が王宮にあって如何なる事をするか、また王宮にはどのようなことがあるか、これを知る由なく、焦心していても立ってもおられず、我が営門に来て救援を乞うた。且つ嘆訴して言った。『そもそも清兵が京城にいるのはその用は国王を保護するにある。そして今国家は乱れ、朝廷は傾き、王の一身の安危も計り知れないのである。それなのになお将官は救援を拒めるのか』と。勢いすでにこのようなことなれば、我が将官は彼らの願いを容れ、遂に兵を率いて王宮に進入するに至った」

大使「貴国兵が王宮に入ったのは何が原因かは今回の案件について何ら関係するところはない。もとより貴国兵が王宮に入るのに妨げがないのは、我が兵が王宮に入るに妨げがないとの一般に同じである。結局この点については疑いあることではない。ただ本大臣がまさに罪を問うべきは、貴将官が我が公使に銃撃を加えた一事にある。確かにこの事は明らかに我が国威に対して非常の陵辱を加えたものと認めざるを得ない」

 「しかし、決して我が兵から発砲したのではない。却って反対の事実に於いて、王宮内のやや小高い地にある一堂の楼上から不意に連射をされ、たちどころに我が兵4人が斃された。これに於いて我が兵は止むを得ずに応撃した」

大使「閣下の言う通りならば、貴国兵4人を斃した弾丸は、果たして我が兵が発射したとする証拠があるか。またその楼上から連射したのは果たして我が兵と認められる証拠があるか。殊に我が兵は楼上に登って他の標的となるような自ら愚を招くことがあると思うか。また我が寡少の兵から貴国の大兵に向かって発砲することありと信ずるか」

 「弾丸はどの地から飛来したかはもとよりこれを証明する術はない。しかし、王宮内には地雷火を設けてあり、我が兵はその線内に入るや否や爆裂して、数名を斃した。その他、前殿の側にも地雷火の設けてあるのを発見した」

大使「貴国官吏の具申書を読むと、日本兵は多く野戦砲をもって云々とある。これは全く架空の妄説である。変乱の際に我が兵の朝鮮に駐在するものは僅かに1中隊である。まさに1中隊は単に小銃のみであって野戦砲の設備があることはない。我が陸軍の制1大隊に野戦砲6門を具すが、これを中隊、もしくは小隊に分与するものではない。まして地雷火のようなものは、全く別の搆設に属し、1中隊が処置できるものではないのであるから」

 「それならばその地雷火は恐らくは韓兵が布設したものであろう。しかし地雷火の銅線の端に2振りの日本刀があるのを発見した」

大使「その日本刀は何に付着していたのか」

羅豊禄[清側通訳]「地雷火の導火線の端に結び付けてあった」

大使「導火線の端に日本刀を結びつけたのは果たして何のためか」

羅豊禄「何のためか知らないが、ともかく導火線に結び付けられてあるのを発見したのである」

呉大澂(大臣)「閣下に一言を呈せん。論語に曰く。『成事不説既往不咎』」

榎本公使「閣下は長髪族の役(太平天国の乱)に時々戦場にも臨まれたから地雷火の効果はよく知るところであろう。本使の聞くところによれば、王宮内の地雷火で僅かに貴国兵が2人斃れたと。どうしてその地雷火は効果が少なかったのか」

李鴻章と続昌「いやいや、その地雷火の爆裂した時に、9個の房室を破壊した。幸い我が兵がそこに居たのは僅かに2人にとどまって害をこうむるのが少なかっただけである。もし多数の兵がここにいたら恐らくはその数を挙げて鏖殺されただろう」

大使「これより、貴国兵が京城居留の我が臣民に向かって凶暴を逞しくした件にうつるべし」

続昌(大臣)「今閣下は我が兵が貴国人民に向かって凶暴を逞しくしたと言われるが、決して朝鮮に於いてそのような事実があることはない。却って我が兵は貴国臣民殊に婦女数人を併せて仁川に護送している。どうして凶暴を加える道理があろうか。幸いに了察を仰ぐ」

大使「貴方にはそうではないという証拠を出せ。我はそうであるという証拠を示すべし」

[この時大使は遭難人民の口述第1枚を朗読してその漢訳を李中堂に渡した。]

 「清人と韓人の常服は全く異なるが、軍兵の正服に至っては甚だ類似する。或いは狡猾な韓兵が清兵に扮装したかもまた知れないだろう」

大使「閣下には先ずその遭難人民の口述を読了し、その後に貴意を述べられたい。その口述によって事情明瞭である。この口述は貴国兵から現に暴行を蒙った我が臣民の提供するところにより、仁川に於いて我が官吏数人の調査を経たものである」

 「惜しいかな、この口述には一つも加害者の名が記されてない」

大使「閣下に請う。一考せよ。およそ凶悪を犯す者が誰が自ら名を告げて、その後に手を下すものがあろうか」

呉大澂(大臣)「本大臣は京城に於いて竹添公使と面接した時に、公使は一語もこの事について(話が)及ばなかった。

大使「もとよりそうである。足下に限ってこの事を告げる必要はない。足下は必ず自ら朝鮮に於いて明言したことを記憶しているだろう。足下は言った。『日本とは何ら議すべき交渉の件はない。またこれの全権を有しない』と。故に竹添公使は何ら足下に告げることがないのは当然のことである。先に井上外務卿が全権大使として朝鮮に派遣されるや、朝鮮及び貴国に対して案件を協議する全権を帯びていたが、貴国の委員はその全権を有しないので止むを得ず一方の朝鮮と約を定め、貴国とは何ら事を議する便を得なかったのである。このようなことなので、竹添公使はただ足下に文学詩文のことを語っただけで、敢えてこの事は話さなかったのは、もとより竹添公使にとって至当の行為であると言わなければならない」

呉大澂(大臣)「本大臣は京城に1月余りいたが、交際多く接する人も極めて多かった。しかし1人も我が兵が害を貴国臣民に加えたことを語っていない。たとえ井上全権大使と案件を議定する件を帯びずといえども、一言この件に及んでもまたよいことである」

大使 「かりにも両国間の案件である以上は、竹添公使が足下にこれを漏洩することが出来ないことは勿論である。つまりこの件が私事でないことはまた足下はよく知るところであろう。また足下が京城にある時に面接する人が極めて多かったことは疑わないが、足下が面接した人は概ね足下に向かって事実を告げなかった者だけであろう。なぜならば、日本臣民に加えた暴行を極めて隠微して足下に知られないようにするのは、その一身の安全を求めるに急であるからである」

羅豊禄[清側通訳]「朝鮮には各国領事も駐箚している。彼らがその事実を知らない理はない」

大使「各国領事は果たしてその事を知らないかもまた計られない。よし知っていたとしても、必ず貴方にこれを通告するの義務を有しない」

呉大澂(大臣)「この遭難口述なるものは、一方の証拠すなわち日本人の供述である。我が方にもまた一方の証拠があるといえども、本大臣が調査を遂げた時には、全く我が兵が害を貴国臣民に加えた事実を発見しなかった」

大使「貴国兵から暴行を加えられた臣民は、万死を免れて仁川に逃れた者共なので、足下が京城にあった日は彼らに出会わなかったからである」

呉大澂(大臣)「閣下が提出された証拠はまだ確証とはし難い。なぜならこの証拠の多くは貴国婦女子の供述であり、よく清兵韓兵の区別をする者ではないので、先の変乱の後、1日に我が兵たまたま王宮近くに於いて1人の貴国兵に会った。もとより我が兵は和語を解しない。手を口に代えて近日は韓人が日本人を怨む情が強いので、故に王宮に入るのは出来ないとの意味を示したのに、貴国兵はその意を誤解して思ったことには、清兵は日本兵を攻撃せんと企画すると。結局このような些細のことはあったが、かりにも我が兵が貴国臣民を惨殺し、または凶暴を加えたことがある理はない」

大使「その事は井上全権大使が仁川にいた日にそれを聞き知ったが、もとより些細なことなので敢えてこれを意に介さず。却って巡査兵卒などに厳に命じて温容を主として軽率の行為をしないようにさせた。細事は措いて問わない。本案件のようなその関係するものは重大なので我が国においては到底不問にすることは出来ない」

呉大澂(大臣)「かりにこの案件を以って1個の訴訟とするなら、今閣下の提供された証拠はすなわち原告の一方的な主張なので、まさにこれに対する被告の証拠がなければならない」

大使 「この案件は我が臣民から貴政府に対して直接に提出した訴訟事件ではない。まさしく本大臣が提供した証拠書は、我が政府が貴国政府に向かって我が要求を貫徹せんがためである。故に本案の如きはこれを以って訴訟と同一視することなかれ」

呉大澂(大臣)「閣下の述べる所は貴方の証拠である。これに対する我が方の反証がなければらないが、今その準備がないので追って我が方にもまた立証するところがあろう」

続昌(大臣)「朝鮮に滞在していた時に呉氏と共になるべく詳細に事実を調査した。その時に同国王に、我が兵がかつて暴行をした事がないか否かを尋ねたときに、『決してそれはない』と言った。実に閣下が提供された件などは本大臣らがかつて聞き知らないことである」

大使「たとえ朝鮮国王がこれを知っていないと言うも、まだそれで事実の有無を証したとするには足らない。本大臣は更に呉、続両氏に問う。貴国兵が凶暴を行った事実の有無は、何らかの手続きによって査明を遂げられたのか」

続昌(大臣)「本大臣らは特に国王に諮問しただけでなく、なお独逸国領事ボットレル氏に対してこれを問うた。すなわち同領事が言うことには、韓人が変乱の機に乗じて日本人の居宅に闖入して凶暴を逞しくしたようなことは、韓人の為めに深くその非を挙げるも惜しまない、と。しかし我が兵が重罪を犯したとは一語も言及しなかったことは、以って氏がかつてその事実を知らないと言う証とするに足る」

大使「本大臣はまだかつて独逸国領事が京城の巡査長に任じられたのを聞かない。同領事はどうして我が臣民の居宅に乱入した暴徒が特に韓人でのみであって、1人も貴国兵が連累していないと知ったのか。足下は同領事の一席の談を以って本大臣が提出した確乎動かすべからざる証拠を排斥するに足ると思惟するか」

[この時に続は答える所を知らず、頗る狼狽の状があった。]

大使「本大臣が既に貴国兵が我が臣民に加えた凶暴に関して詳述した事項、及び我が被害臣民の供述した証拠は、我が政府の止むを得ず貴政府に対して相当の満足を与えるべきことを要求する趣旨を明確ならしめるものである。しかしもとより我が政府は求めて難問を講じる意思があるのではない。すでに貴国兵が我が臣民に凶暴を加えたのは現に形跡を残した事実に関わることを以って、これを貴政府に提出して協議妥結するところがあろうとするのに外ならない。本大臣は必ず明らかに拠るところない証を提げて強いて要求を試みるものではない。請う。閣下、これを了解せよ」

 「要するに重大の件ではない。なぜならば遭難者の中の1人も死亡した者があるのを見ないからである」

大使「閣下は僅かに口述の冒頭2、3行を一瞥して速了されたようである。書中に載せたものは各々に事情を異にする。先ず最後まで読まれた後に初めてその事の軽重を論ずるべきである。閣下がもし熟覧を経れば却って甚だしく重い件であることを明知するに至ろう。且つ貴国兵が我が臣民に加えた凶暴について我が政府がこのために非常の損害を蒙ったことを以って、敢えてこれを不問に付し去ることは出来ない。閣下が我が国の止むを得ない事情を諒察されるべきことは本大臣の確信するところである」

 「既に閣下が述べられた朝鮮国王から竹添公使に送った親書があれば一読を乞う」

[この時大使は伊東大書記官に向かってその親書がここにあるかを問う。書記官は声に応じて出して大使に渡す。大使は李に手渡しし、李は細かに見終わって、]

 「この親書には王の名が署してある。朝鮮の例として国王の名を署することはない。

大使「竹添公使が王宮に行ったのは結局はこの親書にある求めがあったことによる。この書翰の真贋如何に於いては誰が疑いを容れるものがあろうか。当日、竹添公使は王宮に入った時に国王は直ぐに引見して懇篤なる謝辞を賜い、喜悦容顔に溢れ、これに加えてその翌日米国公使フート氏その他各国使臣らが共に謁見した時に、国王は竹添公使の友誼の厚いこととその尽力の多いのを語り、且つフート氏に下問されて、『米国に於いてもかつて政治上に大変革を施す時に、殊に国歩を文化の域に進めんとするに際して、鮮血を濺(そそ)ぐようなことがあるかどうか』と」

 「かりにも一国の進歩を謀るのにどうして鮮血を濺ぐことを必要としようか」

大使「もとよりそうである。かりにも一国たるもの、その改進を求めるには平和の手段に拠らねばならないのはまた貴諭を待たないところである」

 これにて当日の談判終わる。大使は書記官に書類を収めさせ、李以下は他室に移り且つ言う、共に食卓に就こうと。皆は一列食堂に入った。

 

 いやもう突込みどころ満載。地雷の導火線に日本刀が結び付けてあったとの言には爆笑。何だそりゃである。呉大澂が横から論語なんぞを垂れる。おまえはすっこんでろっと言いたくなる場面。ほとんど伊藤1人で李鴻章のみならず4人ばかりの者を相手に説き伏せていく様は圧巻である。しかも李鴻章は提出の書類をちゃんと読んでいない。そして論に詰まると竹添の人柄に対する誹謗中傷を始める。よくあるパターンである。

 一国の進歩に鮮血は必要でないと李鴻章が言う。伊藤も、もとよりそうであり平和の手段に拠らねばならないと答える。ふっと悲しくなった。事実はそうではない。日本がこの時代に進歩を遂げるのにどれほどの鮮血を注いできたかをここで一番知っている者は、まさに吉田松陰門下生にして奇兵隊隊員であった伊藤俊輔その人であったろう。血を流さずに平和の手段で一国の文明の開化と進歩ができるならと、そのことを一番望んだのはまたこの人ではなかったろうか。

 なおも伊藤大使渾身の談判は続く。第3回は4月7日午後3時10分、天津水師営務処に於いてであった。

 冒頭、李鴻章はすでに充分議論を尽くしたとして同意を求め、伊藤大使もまたそうであるとして、李の回答を求めた。
 李鴻章はそれに対して日清両国の和好隣誼の必要を大所高所から述べ、伊藤もまた同様のことを述べ、暫くは互いに大義を述べ合うような展開が続いた。要するに李鴻章は両国間の友好を保つために小さな事を問題にすることはないと述べ、対する伊藤博文は友好の為めにこそ互いに譲り合って妥結を見るべきであると述べた。

 中国人は大の前の小は問題としないのが解決であると言い、日本人は互いに譲歩することが解決であると言う。そこに文化の違いがある。

 やがて伊藤が問題点を箇条にして述べたところから再び議論となった。

(「天津条約ノ締結」B06150031800 のp115より現代語に、()は筆者。)

大使「本大臣は前回に於いて陳述した事項についてなお数言を加えたい。前回に本大臣は、貴将官が我が公使に銃撃を加えた行為は公法に背き我が国威を陵辱した重大問題なので、閣下には深く意を留めて考慮されたいと望んだが、それに閣下が答えられたところは4点であった。それを挙げれば、1、朝鮮国王の親書は真正ではないこと。2、竹添公使が国王の求めに応じて兵を率い、また入城するにあたって、予め統理衙門に通知しなかったこと。3、貴将官は当日の朝に書を竹添公使に送ったこと。4、王宮の内部から先ず銃を発したこと。以上の4点は閣下の論点の主なものである。よって本大臣は順を追って論駁するところがある。

第1、朝鮮国王はその一身の保護を竹添公使に求めるために送った親書は、国王の御名を署し玉璽をツしたものであって、その真正を疑うべからず。もしこれを疑うなら世間で何か信ずるに足るものがあろうか。これに加えて竹添公使は王宮に赴いた時に国王は直ぐに引見して、その速やかな来衛の厚誼を深謝するとの勅語があった。同国王はひとり竹添公使に向かってこの謝辞があっただけでなく、京城駐箚の外国公使などの謁見の時に、また竹添公使が命に応じて来衛した厚情を満足するとの勅語があった。このように親書に加えて2個の証拠を添える事実があることを以って、その真正であることは論をまたない。これに於いて竹添公使の行為は終始国王の求めに応じて他にはないことを知り、よって本点の論旨を明確にするに足る。

第2、尋常の事件を処するには、もとより外国公使たるものはその国の外務官衙を経なければならないが、昨年の変乱の時のような非常時の場合に臨んでは、まだ必ずしも常規を履んで統理衙門に就いて通常の手続きを経る必要はない。まして事情は切迫し、竹添公使は同衙門に通知する余暇がなかったことは明らかである。たとえ通知する余暇があったとしても、かりにも駐箚するところの国王から依頼されたに於ては、また統理衙門に通知する義務があることはない。そもそも国王は一国の首領にして統理衙門は外交事務に関して国王を代表する所であるに過ぎない。当時の情勢に臨んでは、竹添公使の処置は皆正当であって、更に違法のところはない。なおこれを分ければ、1に竹添公使は報を統理衙門にする暇はない。2に国王の命だけで直ぐにその求めに応じるに足る。どうしてまた統理衙門に通知する必要があろうか。

第3、閣下は当日の朝に貴将官から竹添公使に書を送ったと言うが、同公使は遅く昼後に至ってその書翰を接手したと言った。もし閣下が言われる時刻に於て、果たしてその書を竹添公使に送ったというなら、閣下はその書翰をもたらした使丁によってこれを証明することが出来るか。それなのに閣下はこれを証明できないだけでなく、その使丁は公使の回信(返書)も得ずに帰ったと言うではないか。もし貴将官にして初めから誠信実意を以って竹添公使に書を寄せたのならば、必ず使丁を留めて回信を求めさせ、以って協議を遂げるところがあろう。それなのに貴将官の計には、さらにこれに出ることはなかった。要するに貴将官の行為は、時機に応じて正当の手続きを尽したものと認めることは出来ない。

第4、王宮の内から先ず銃を発したと言うが、閣下は、先にその銃を発した者が果たして我が兵であるか、また韓兵であるかは詳らかでないと言い、また或いは韓兵かも知れないことであると言った。たとえ閣下の言のように初め韓兵から発砲したとしても、韓兵の行為はまた以って我が公使及び護衛兵に向かって理不尽にも銃撃を加えた理由とするを得ず。貴国の将官のこのような軽率な行為を公法に照らすと、実に不正の所業であることを免れない。言うならば仮に韓兵から貴国兵に発砲したものとしても貴将官の不正は免れないものである。また、京城に居留する我が臣民に対して貴将官が暴行を行った事実に関しては、前回に於いてその万死を出て一生を得逃れて仁川に来た我が遭難臣民の口述を貴覧に供したことにより再び重ねてここに立証弁論するのを要しない」

 「我が兵が京城居留の貴国臣民に対して凶暴を行ったこと、及び我が将官が貴国公使を銃撃したことは、本大臣の聞知しないことである。殊に当日に竹添公使は朝鮮国王と共に王宮にあり、もし我が兵が貴国公使を攻撃しようと欲するならば、勢い国王をも攻撃せざるを得ないことになる。請う。閣下少し察するところあれ」

大使「本大臣は朝鮮国王の全権大使ではない。故に事が同国王に関係するものは本大臣の敢えて一言も要することではない」

 「しかしこの事は朝鮮で起ったのではないのか」

大使「おそよ事を議するに当ってその事端を生じた地を見る必要はあっても、また誤って本大臣をその事変の起った朝鮮国の使節とすることなかれ」

 「本大臣は第一回の会談に於いて、韓兵の正服は甚だ我が兵の正服に似ていることを述べた。その果たして凶暴を貴国臣民に加えた者が韓兵でないなら或いは我が商民かもまた知れない。そしてその被害貴国臣民は我が商民を誤って我が国の兵と思ったのではないか。しかし閣下の詳述されたように我が国の駐在兵が果たして凶暴を犯したとの事実があるならば我が将官の責任であるが、遭難の口述を見れば多くはその清韓両兵の別を弁知できない婦女子の供述に関わるものである。清韓両兵は単に服装が似ているだけでなく、その携える銃のようなものもまた異なることがない」

大使「ちょっと聞きたい。貴国の習慣に於いては、婦女子の供述は一つも証拠と認めないのか」

 「もとより証拠立てるのに男女の区別があることはない。しかしかれこれの争論を決するには、先ず双方の述べるところを審議して偏った言は必ず信じてはならない。結局は原告被告両方各々の供述するところを審議するのは世界普通の常則ではないのか」

大使「貴説を待たずして明らかである。本大臣は一言を以って忠告しよう。本案はまさしく両国交渉の事件となった以上は、普通の法廷における訴訟を審議する常則によるべきではない。今仮に我が国が原告となり、貴国は被告となっても、この両国の上にあって裁断を下す国はないのである。更に今一言忠告しよう。我が遭難臣民の口述は決して婦女子の供述したものだけではない。身を以って貴国兵の暴殺を免れた男子の供述に関わるものが却って多いのである。ついては熟覧するなら即ち明瞭であろう」

 「今閣下の説にもこの事は両国の交渉案件となった以上は、貴国は原告であって我が国は被告であると言われた。被告であってもまだ全く原告の要求を承服していない間は被告はまた自ら弁護論争をせねばならないのである」

大使「閣下は本大臣の提出した証拠を消滅するに足るべき反対の証を出し、貴国兵が凶暴を犯さなかったと明白に証明しない間は、我にある証拠は確乎として天地と共に動かすことの出来ないものである。ここに一通の書翰がある。もとより本案に関係はないが、幸いに閣下の一覧を望む。まさしく本大臣の意としては貴将官の言を信じるに足りないことを閣下に証明せんためだけである。前回に於いて、続氏は、貴国兵が我が臣民を仁川に護送したことを以って、貴国兵が少しも害心がない証であるとして言った。つまり清兵が日本臣民に凶暴を加えなかったことはこの清兵の厚意から推理しても加害の事実がないことを証明するに足るだろうと。しかし今この書翰によって見れば、貴説のいわゆる厚情は、全く貴国兵の意からだけ出たものではない。すなわち米国公使その他京城駐箚の各国使臣の厚意からのが多いようである」

[この時米国公使フート氏から竹添公使に送った書翰の写しを示す。その全文は以下のものである。]

12月9日
竹添公使閣下
 余は我が国の海軍士官エンサインベルナード氏に託し、かつて閣下の厚意を以って余に付属させられた護衛兵の4人、余の家僕、その他来て余に保護を求めた者など数人を閣下に引き渡す。余は独逸皇帝陛下派出のゼムブッシュ氏、及び英国皇帝陛下の総領事アストン氏と協議を遂げた後、この数人に安全なる保護兵を付けられることを要求しておいた。故にこの数人は安全に閣下所在の地に到着せんことを信じて疑わない。閣下、先日来の変乱後の余勢を経過して、今すでに安泰であることを深く祈る。 拝具
                              フート自著

 「[詳細にフート公使の書翰を見て、]これはもとより外交上の慣行であるが、我が将官がこの書翰の委託に応じたことは、また我の厚意を示すに足る」

大使「これがどうして外交上の事に属するものであろうか。貴国将官もまさしく人道を知らない者ではないだろうから、どうしてこのような委託に応じないでいられようか。文字を解しない人夫のような者でもまた人道を知る。まして貴国将官に於いてはであろう。そして本書によれば、その人道に基づく情誼もまた全く当日の貴国将官の意思だけだったのではなかった事実は明らかなことである」

 「ともかくその求めに応じたのは、我が駐在兵が貴国臣民に対して害心がないことを見るに足るだろう」

大使「既に前回にも述べたように、本大臣は我が臣民への厚意を貴国兵に蒙った事項についてはもとより謝辞を述べねばならない。しかし本大臣は、同時に貴国兵が凶暴を犯した事実については貴国政府に対して相当の満足を要求せざるを得ない」

 

 この後、清兵による朝鮮居留日本人の被害に関して、すでに第2回会談で議論となった「呉・続両氏を朝鮮に派遣した時に日本側がそのことを話していたならその調査が現地で出来たのに、どうして井上も竹添もその事を話題にもしなかったのか」という李の問いと、伊藤が「呉氏が全権でなかったこと、もはや国家間の問題となっており、その権なき竹添が話すわけにもいかなかったこと」と答えるなどの問答がここでもまた繰り返された。

 よってこれらの議論の記載は省略し、その後、李鴻章が「今まで全く聞いたことがなかった」との発言が問題となってくる部分から掲載する。

(「天津条約ノ締結」B06150031800のp123より現代語に、()は筆者。)

 「本大臣は実に閣下が提供されるまでは、全く我が兵が貴国臣民に凶暴を行ったことを聞かなかった」

榎本公使「今、閣下の話を聞くと、かつてそれを聞かなかったと。しかし変乱の後にまだ何日も経っていない頃に本公使は我が外務卿から電信を接収した。その時に外務卿が本公使に命じるに、その写文を総理衙門に交付するべしとあった。この電信は即ち京城駐留の我が臣民が貴国兵から凶害を受けたことを明らかに記したものである。そして本公使は自ら総理衙門に行ってその写文を王大臣に交付したので必ず今もあるだろう」

 「その時に総理衙門は閣下にどう答えたのか」

榎本公使「本公使が電信の写文を総理衙門に交付したのはその事を通知させるためであった。我が臣民が貴国兵から凶暴を加えられた者が何人だったかは詳細には記憶しないが、総理衙門は本公使の通知によって当時その事があったことを知ったのは明らかである。その時に総理衙門は本公使に答えて言った。『この事はまだかつて聞知しないことであるが、果たしてこのような事実があるなら即ち総理衙門の深く驚き嘆くことである』と。その時は丁度呉氏が事実を調査するために特に朝鮮に派遣される話があった前である。閣下がもしそれを見たいなら参考の為めにご覧に入れる」

 「それならば閣下は自ら総理衙門に行って王大臣に会ってその写文を渡したのか。また総理衙門は閣下に答えたことに、まだ聞かないことであり、もしそうなら最も驚き嘆くことである云々との言があったか」

榎本公使「然り。閣下の言われる通りである。本公使の記憶によれば、王大臣はなおも続けて、近日に委員を朝鮮に特派して事実を調査させよう云々をも述べられたと思う。しかし今はその詳細を記憶しない。追って本公使の手記によって証明するところがあるだろう」

 「本大臣は麾下の将官に対する公平を旨として少しも偏った念はない。故に彼らの内で罪を犯すものがあれば、その軽重に従ってこれを責罰し少しも容赦することはない。それなのに本大臣が京城にあって事実を調査したが、一人も閣下の言われるような重罪を犯したと嫌疑すべきものを発見しなかった。営中の規律は最も厳粛である。そのような事態を生じることは万々なかったと自ら信じて疑わないことである」

大使「本大臣は少しも呉氏を責める気はない。氏もまた少し顧みられよ。麾下の兵を審議するに、このような重罪を犯した者が自ら訴えて罪を待つだろうか。殊に本案は我が遭難臣民のために補償の道を求めるにあり、またそれを韓人が我が人民のために本案を以って同氏に提出するはずもない。殊に我が遭難臣民は、乱後は仁川に避けて京城にはいない。呉氏が京城に到着した日には、凶害を貴国兵に受けた我が臣民は既に僅かに身を以って免れた後に京城を去り、その他は不幸にも貴国兵の暴殺にかかって命をとられた者であって、呉氏が京城に於いてこれらを発見しなかったのは実にその理由による。事実はすでにこのようなことであって、貴国兵は厳罰を受けることを恐れて努めて隠蔽し、呉氏の耳に達しないようにしたのは疑いを容れないところである。呉氏は兵営の規律最も厳粛にして少しも隙がなかったと誇称した。昔、孔明は涙を揮って馬謖を斬り、以って軍律を正したとの美談は貴国の歴史にあって永く消滅せず。呉氏は麾下の将官に於てもまた孔明の馬謖におけるが如くでなければならない」

 「本大臣はまだ我が方の証拠を得ていない。したがって本案を決定する由はない」

大使「[微笑]呉氏は平素より閣下の眷愛される人であるといえども、本大臣に対しては極めて公平に事を処弁されなければならない」

 「終始閣下の意を満たそうとすれば呉氏の心中に背き、呉氏の意を満たそうとすれば閣下の意に快くない。本大臣の困難を諒察されよ」

大使「[微笑]本大臣に対して情誼を尽されることを要求する。本大臣は体躯は矮小であるとはいえ、また一小国の使節である。閣下少しは諒するところあれ」

 「もとより閣下の官位の並び高いことは以前から本大臣が知るところであるので、誠意尊敬を表するものである」

呉大澂「本大臣は既に李中堂の恩顧を蒙る。願わくは均しく閣下の恩顧を辱くすることを」

 「このような案件は差し障りないように消し去るのがよい」

大使「本件案の事は京城に起り、現にその形跡を残していないなら決して我が政府はこれを提出することはない。およそ一個人に徳義があるように、即ち一国の上にもまた徳義の心がある。列国との交渉の場合に於いては邦国たるものの徳義は更に一個人の徳義より重いものがある。いずれの国であっても証拠のない要求をしてその徳義を破るものがあろうか。一個人の間に於いては徳義を破って互いに欺くことがないとは言えないが、いやしくも国家の間で妄証を提出して徳義を破壊し、以って不法の要求をすることがあろうか」

 「本大臣は、閣下が拠るところのない証を提げて我が国に要求を試みる者と思っているのではない。本大臣もまたいやしくも一国の徳義を破るような行為があってはならないことを知る。それでも変乱後まだ幾日も経っていない時に我が国は特に両名の委員を実地に派遣した。そして調査報告に拠れば、却って閣下が述べられたように我が兵が貴国臣民に対して凶暴を行ったことはない。既にこの両委員もまたその事実を知悉しない。故に今我が方に於いて本案を結了するに足る証拠を有してない」

大使「貴政府の委員に於いては閣下の説のような事情があるだろうが、本案は既に貴我両国の案件となった以上は、貴政府が我が国に対して努めて公平に処分をし、以って我が国をして満足させられることを要求せざるを得ない」

 「[微笑]それでは閣下は少しも呉氏を憫察せずに、同氏に対して情誼も表さないものと言わねばならない」

大使「もし呉氏が後日に公使となって我が国に駐箚したら、その時を待って充分の情誼を尽くそう」

 「仮に我が方を被告と認めるも、被告がもしまだその訴訟に関して答弁する準備を終えていないときは、これの証拠を調査して全く事実を明白にするまでは、何ら原告の要求に応じることは出来ない」

大使「貴論のようならば、即ち我が国は貴国に対して和好を重んじる誠心を表白したにもかかわらず、閣下に於いては全く我が要求を拒否されんとするか。もし果たしてそうならば、閣下の行為はすなわち本大臣の使命を無効に帰させるものと言わざるを得ない」

 「閣下が使命を全うするか否かはただ閣下の心にあるはずである。それに閣下は重大の権力を掌握されている。使命を全うして功を立てるか否かは閣下が自らよく選ぶ所のものである。今閣下が称して効というのは、必ず報いを得ることを指すのだろう。もし閣下が初めから報いを得る気持ちはないと言っていたら、どうして貴政府及び貴国臣民も不満を鳴らすことがあろうか」

呉大澂「閣下の権力は李中堂を遥かに越えるものである」

大使「今回の案件は、閣下と本大臣との間で妥結するものであるが故に閣下と本大臣の権は互いに軽重があるとの理はない。ただその一方に於いて終局のことを考慮しない議論が主なら他の一方は満足を欠き、その要求が自分の求めるものを得られないならば徒に弁を弄して止まるところがない。そして遂に双方の間に妥局を得るに至らないだろう」

 「我が方に於いて事実を調査するために委員を京城に派遣し、そして委員らが戻って報告したものを見ると閣下が提出されたような事実はなかったと繰り返し申すほかない。もし委員の報告にその事実があれば、我が国はその将官を罰して正すだけでなく、その被害者の貴国臣民に対して相当に補償することがあろうが、全く我が方に証拠がないに於いては何によってこれを処分することが出来ようか。もし本大臣がこれを究明せずに直ぐに処分したなら、御史(監察官)から告発されるだろう。故に我が方の証拠を得るには当然その事実を調査せねばならないことである」

大使「御史の告発は閣下の一身に関する事である。何も言うことはない。そもそもこの案件を協議妥結するのは、ただに貴我両国全権大臣をおいて他にはない。御史のことは本大臣には関係ないが、貴国の御史は必ず公義公道に基づいて何人を問わず偏ることなく公平中正を旨とする官吏であると信じる」

 「もとよりこの案件を議する権は閣下と本大臣のみであって、御史の告発ぐらいのことは敢えて顧みることもないが、我が国から委員を派遣してその実地に就いて調査し、我が政府に具申させた報告に至っては、本大臣は顧みないわけにいかない。即ちその報告には一つも閣下の提出された事実に関することはない。これは本大臣が被告の述べるところを明らかにする便を得ていないのであって、本案を判定するに足る反証を有してないという理由による。朝鮮に派遣された呉続両氏をここに列席させたのはこのためである。両氏が朝鮮に1ヶ月以上に亘って調査をして報告してから今日に至るまで、このような事実があったことを知らなかった。故に我が方に於いては双方の妥結を得る事実の証拠がないと弁じざるを得ないのである」

大使「本大臣はただ事を閣下と協議するに止まる。今、本大臣が閣下と議するものは、本大臣と呉氏と所見を異にする点について閣下の裁定を要するためではない。究極、この本案は貴我両国に関係する重大事である。たとえ呉氏が閣下に何を報告したかは本大臣の敢えて関わり知ることではない」

 「ただ閣下と本大臣との間でこの事を協議するべきことは論を待たないが、しかし本大臣は天津に居住しており、自分で朝鮮の変乱を見聞したのではない。故に委員を派して実地の事実を調査させたのに、その報告中にさらに閣下の言われるような事実があるを見ない。これにより我が方に於いては猶も調査を遂げない内は、ただ閣下の提出された証拠のみで直ぐに正確な事実であると認めることは出来ない」

大使「この事は両国間に於いて決着をつける事件である以上は、両国の代表で妥結せねばならない。このような場合に於いては必ずしも証人の召喚を必要としない。貴国委員の報告だけで本案の効力を左右すべきではない。閣下は有名な「アラバマ」問題を参考にすればおそらく瞭然とするだろう。両国間の事件は必ず両国間で自ら決着をつけねばならない」

 「双方の妥結を見るために、我が国も証拠を集めねばならない。呉続両氏を列席させたのは、閣下の提供された案件について事実の参考の便にすることにある。そして両氏はこの凶暴の事実を知らない。貴諭によればすでに貴方から総理衙門に告げられ、総理衙門はすでにこれを知るところであると。しかし総理衙門はこの事を本大臣に報じていない。故に閣下の所論を明確にするために猶この証拠を調査せねばならない。呉氏の責任のことなどは本大臣の敢えて意に介するところではないが、すでにこの案件の事実を究明してその事実の有無を調べないわけに行かない」

大使「貴方がまだ調査をしていないことは本大臣の過ちではない」

 「本大臣はもとより閣下が述べられた事実を全て拒否しようとするのではない。もし我が委員の報告にその事実があったならば、直ぐに閣下の要求に応じるのを本大臣は躊躇しないが、如何せん、我が方にそのことを妥結するに足る根拠がない」

大使「貴方に根拠がないことを以って、我が方の確実の証拠を斥け、その効力を軽重する理はないのである」

 「閣下の述べる事実は我が兵の行為に対するものであるから、我が方においてもこの事実を調査して証拠を集め、以って貴国臣民の口述と対照比較せねばならない」

大使「本案を以って一訴訟とするならばそうであろうが、既に両国交渉の案件となった以上は両国間に於いて自ら決着するべきものである。故に本大臣の述べるところを以って、貴国法衙(裁判所)で履行するような審理の順序によって行われる理由はない」

 「我が方に於いても事実を調査しないわけにいかない。そうでなければどうにも妥結することは出来ない」

大使「今日は双方が詳細に論究して互いにその意中を了解したろう。我が国に於いてはこの事を重大な問題であると認めるにより、閣下は深くこれを諒察されて潜心再考されることを望む。そして閣下の述べるところ及び本大臣の述べるところ共に談判筆記に載せて半句一言も洩らすことはない。故に本大臣は筆記に就いてなお貴意を詳らかにしたい。閣下はまた次回に於いて判然たる確答を与えられることを予め約束されることを乞う。本大臣はこのままいつまでもここに駐まることはできない。我が要求に関する事実証拠などは既に閣下に陳述して余すところがないと信じるが、敢えて本日にこの決答を必要としない。ただ望むは、潜思熟慮して次回に於いて明確な決答あることを」

 「閣下が希望されるところが、いずれの点にあるかを示されることを乞う」

大使「本大臣はただ妥当な協議を望む外はない。しかし貴方に於いて際限なく未定にするならば、閣下の決答を待たずに帰国して、本大臣は我が政府に報告するに唯今日の情勢を述べるだけである」

 「数日間互いに討論した上は、いずれかに協議を遂げねばならない。先日閣下は使命の目的は大別して2つあると言って、1つは既往に属し、1つは将来に関すると。そして閣下は2者いずれを重く、いずれを軽いとせられるか」

大使「かつて本大臣が述べた2つの目的は、両国の和好を保ち続けることに欠くべからざるものなので、2者に軽重があることはなく共に両方とも重大とする。その1つを欠くのも本大臣が喜ばないことである。ただ願うところは2者が並び行われて我が国の和好を重んずる素志に適うことにある」

 「2者同一に完結しようとするのは本大臣には頗る難事に属するところである。閣下に乞う。再考されることを」

大使「本大臣は本国に於いても、また貴国に到着してからも、そして今に至るまでも、寝ても覚めてもこの案件について考慮してきた。本大臣は全くこの案件を終わるまではそうせずにはおれない。願わくは閣下もまた同じく再考三思されんことを」

 「本大臣もかつて京城の乱の報に接して以来、深く考慮を費やした。その変乱の原因などは今日では概ね世人の知るところであって、決して罪を我が国の人にだけ帰すべきでないものがある」

大使「双方に困難の事情があることについては既に意を尽して更に残すところはない。本大臣は事を終わらせて閣下と辞別するまでは、到底互いに困難を免れないが、まさに国家の重大を担い政権に就いた責任により本大臣は堅忍して処し、以って本分を全うせざるを得ない。閣下もまた一国の重大を担う責任にある。本大臣は深く閣下の困難の位置にあるを知らないのではない。閣下が両国交渉の如何を洞察してこの大局を顧みられるなら、必ず我が国の要求を拒否する理はないはずである。本大臣がここに駐留する間は双方力を尽して議すべきは議し、努めて妥結を図らねばならない」

 「高論は誠にそうである。本大臣もまた力を尽してこの困難を排除すべし。もし全てを排除することは出来なくとも、またその幾分かを除いて困難の範囲を縮小する外はない。側聞すれば閣下には西洋に周遊して識高く見聞し、故に本案に関する困難を排除するに閣下に既に卓見があろうと信じる」

大使「本大臣は満足を得るために既に要求の件は貴政府に提出した。それならば困難を排除する発議は先ず貴方から提出して我が国に報告するところがなくてはならない」

 「閣下の見識を以ってすればこの困難を排する高説を持っておられるのは疑いない。閣下がその議を出すなら即ち本大臣も胸襟を開いて我が政府の容受するところを述べよう。閣下と案件を議する既に3回に及び、弁論を尽して余すところなし。思うに閣下が聞かれたものにより既に我が意のある所を判定されたであろう。閣下は北京を辞して再び天津に下られる時に、総理衙門の王大臣が本大臣に報告したのに、閣下は今度の案件について決めて高論卓説があったと。故に双方協議するのに甚だしい困難を見ないだろうと。本大臣は切に総理衙門の予想を空しくされないように願うのみ」

大使「本大臣は先に王大臣に面会し、今度我が使命の概略を述べた後に王大臣に言ったことに『李中堂は外交の事務に熟達し、如何なる重大の難問であっても明晰に妥結する識量を有すると。また閣下は我が国殊に我が国に対して和好を重んじられると聞く。それについては我が国も貴国に同じであり、また我が皇帝陛下の聖慮は専ら東洋の大局を顧全せられるにある』と。貴国は東洋の大局を顧念して両国の和好を重んぜられる時は今回の案件のごときも必ず妥結して和好に帰すことはないだろう」

 「閣下は王大臣と面晤して貴国の我が国に対する所見の概略を述べられた時、今度の談判を要することに関し、要求の点を述べられたか」

大使「然り。(本)大臣は大略をその要点を述べた」

 「総理衙門から閣下と王大臣の談判筆記を送ってきた。しかしそれには閣下が本大臣に告げられたところと異なるものがある。或いは疑うにこの筆記は誤ってこれを脱漏したのではないかと」

大使「その異なる点を示されるべし。もし誤謬があれば本大臣は即時に弁明する。本大臣が天津に於いて閣下に述べるところと、北京に於いて王大臣に述べたところに異なる点があるはずはない」

 「総理衙門王大臣の報じたことに拠れば閣下は僅かに2つの要点を述べられたと。第1は撤兵のこと、第2は我が国の将官を処罰すること、である。そして第1の撤兵のことについては、王大臣は本大臣に通知して言うのに『総理衙門に於いて閣下に答えるに、日本兵が撤回するならまた我が兵も撤回すべし。その事については敢えて困難はないだろうとの旨を伝えた。第2の将官処罰のことは、咎めを我が将官のみに帰すべき謂れはない。よろしく竹添公使も罰せねばならない』と。そして今閣下が痛論される我が兵が貴国臣民を凶害を加えた事件については、総理衙門の公文並びに閣下と談話した筆記に一語も載せていない」

大使「本大臣が総理衙門の王大臣に対して我が臣民遭難の1件を陳述したのは、本大臣が自ら堅く保証する。また我が方には当日の筆記がある。いつでも貴覧に供する」

 「故に本大臣はその意を得ないことがあった」

[(その李鴻章の)言葉がまだ終わらないうちに、]

大使「このような誤りは、時々総理衙門にあることらしい。本大臣は何の必要があって王大臣と閣下に告げるに要領を増減することをしようか。ただ王大臣に告げたところは摘要に過ぎないので、或いは本大臣の意を得ないことがあったのかも知れない」

 「或いはそうであろう。閣下はその事を簡単に陳述されたのであろう。これはまた我が方に1つの困難を増加したものである」

大使「王大臣と第1回面晤のときに概略使命のあるところを告げ、談話を終わった後に、更に本大臣が述べるところの覚書を作って王大臣に交付した。そして最後の面会時に我が政府の貴政府に対する要求する点を挙げて逐一陳述した。これらの事実がある以上は、決して王大臣が我が意を理解しなかったと言い訳をすることは出来ない」

榎本「既に大使が閣下に述べられた以外に、なおその他に議すべき事項があると、当時大使から王大臣に告げた」

 「しかし我が兵が凶暴を行った件は、総理衙門の公文並びに閣下との談話筆記に載せなかったのはどうしてか」

大使「彼らは何によって双方の談話を筆記したのか。本大臣が王大臣に面接したとき、伊東大書記官は筆を執って傍らにあって記した以外に、かれこれ共に1人の筆記する者を見なかった。畢竟この事件を協議決定する権は貴我両全権大臣にあるので総理衙門に何ら関係するところでないとしても、本大臣はまさに北京を出るに際して英国代理公使が本大臣を訪問して説くのに、『北京に於いて開談するように』と。しかし本大臣はこれに答えて、『総理衙門の王大臣はもとよりこの事を協議する権を持たない。故に本大臣は王大臣に意見を陳述する必要はない』と。そして本大臣は北京を辞する通報を王大臣に送ったが、王大臣は告別のために来て、閑話を以て協議することを望まれ、即ちこの閑話中に我が要求の点を詳述した」

 「総理衙門から本大臣に公文を出したのは2回あったが、皆伊藤大使の要求は2点に過ぎず即ち1は撤兵の事、1は将官処罰のことであって、この他はなかったと言える」

大使「本大臣は3点があると言い、その他議すべきことがあると言った。そして今逐一述べる必要はない。もし閣下が総理衙門と連絡すればおのずから明瞭となるだろう」

    以上で談判終わる。午後6時10分であった。一同は晩食をして辞別した。

 

 事変時に清国軍が日本公使や日本軍を銃撃したことについての清側の論点に対する伊藤の論駁は明快である。清側は更なる反論を放棄してその後は日本居留民虐殺の事の否定に終始している。それも知らぬ存ぜぬ聞いた事のない話であると言って。対する伊藤の追及は止まず、その要求は実に清側を辟易とさせるに充分なまでの、もはや執拗と言っていいほどのものである。
 ついに李鴻章は、総理衙門からの公文にはその事の記載がなかったという斜め上の論法で煙に巻き、この日の談判を終える。

 この談判に於いて李鴻章は「本大臣は実に閣下が提供されるまでは、全く我が兵が貴国臣民に凶暴を行ったことを聞かなかった」などと言っているが、1月に在天津領事原敬と会った時に既にそのことに触れているのでそうではないだろう。(「在天津原領事報告日韓清事情ニ関スルノ件」p3)
 この後の榎本公使との懇談で、李は側聞として(新聞などで)事件のことを既に知っていたことを認め、ないと言っていた総理衙門からの公文も、今日調べたら付属書の中にあったなどと言っている。補佐する属員らもいるのであるから総理衙門からの公文を見落とすはずもない。つまりは李鴻章は最初から何も無かったことにする積りであったのだろう。
 対する伊藤は李鴻章から、調査した上でこちらも証拠を集めてからのことでなければ結論は出せないとの意味の発言を引き出したのは1つの成果であったろう。端から採り上げようとしない清側の態度を改めさせたのであるから。

 もっとも、伊藤としては清国側が談判の決着をどのように目論んでいるのか、その真意が量りかねるところでもある。よってそれを探らせんと翌日4月8日に榎本公使を総督衙門にいる李鴻章に会晤させた。

 

榎本武揚と李鴻章

「日清交際史提要」の「第四冊 第十四編 至 十六編/2 第十四編 天津会議」のp20より、意訳現代語に。<>は原文中の括弧、()は筆者。

榎本「昨日の議席で貴殿は、北京総署からは『伊藤大使は在韓清将の件は何も申していない』と言っていると述べられたが、その時に伊藤大使は、『王大臣に科条を分けて談じてはいないが、撤兵の事、罰将の事、清兵犯罪処分の事を判然説明しただけでなく、なおその他の事柄もあれば、これは主任者と語るべし』と述べられた。我が方ではこのようにその時の(総署での王大臣との)会話筆記がある」
 と、その時の英文筆記を示し、清側通訳をもって李氏に聞かせた。

 「その件は今日よく調べたが総署からの書簡には見えなかった。付属の対話書の中にあった。ただ貴方の筆記ほど詳細ではない」

榎本「総署からの対話書の中に記載あればよい。しかし我が方の筆記を謄写して総署に送られる事を欲するなら貸すことも妨げない」

 「借用するを要しない」

 これより榎本公使は総署に於て三日間議論した事、並びに李氏の責任をなるだけ軽くしようとして王大臣らを頗る困却させた事などの内輪話をした。
 李氏は笑ってこれを領した。
 これにより榎本公使は暫く黙り、李氏から昨日の談判に対することを言い出すのを待ったが、李氏ももとより公使の来訪の真意は先の件のみでないことを察知しているので敢えて口を開かずにいた。両者黙して語らないこと久しかった。

榎本「昨日の談判に於て双方の本意は既に判然としたようである。ついてはまた込み入った談論を要する事がないようにするべし。次回に於ては貴殿は我が大使の請求並びに協議の案件に対しては諾否の一字を述べられるに止まるべし。そもそも本使(榎本自身のこと)は今度の事ではその立場は両者の中間にあって妥結を幇助するべき務めがある。それに加えて貴殿とは相知って既に久しい。よって貴殿もその内意を話し易いことであろう」

 「実は貴言の如し」

榎本「伊藤大使はこの地にあって無駄に日を過ごすことの出来ない身柄なれば、その提出せし案件に対して貴殿は諾了されるか或いは全棄されるかを速やかに知りたいとの望みがある。貴殿はもしその所見を語られるなら本使はこの度の談判の成否を推測することが出来る」

 「余は伊藤大使の請求<デマンド(要求)>を全棄しないし全諾もしない」

榎本「その詳細を聞くを得べきや」

 「請求中の一個条を諾すべきのみ貴使は知られるであろう。前日から貴外務卿は我が徐公使(日本駐在清国公使)との談判に於て撤兵の件を提出された。徐公使は直ちにその旨を総署並びに余にも電信で知らせた。総署は直ちに電令によって撤兵のことを拒否し、徐公使をしてこれを貴外務卿に伝達させたのである」

榎本「本使が更に知らないことである」
 但し、そのことは曾て英国故公使パークス氏から側聞したことがあるが外務省からは公私共にその知らせはない。

 「貴使が御承知なくば伊藤大使は必ず御承知のはずである」

榎本「大使が知っているか否かは知らないが、今度の日清交渉事件は伊藤大使こそその主任者である。我が外務卿が徐公使と公然の談判を開かれたとは聞かない。察するに我が外務卿が徐公使との閑話の序に撤兵の事を語られたのだろう」

 この時、鄭永寧(日本外務書記官。伊藤大使の随員。元清国駐在公使。)が側から李氏に語って言う。
 「その時に通弁した者は余である。外務卿は徐公使との閑話の時に、日清の交誼を保つためには何れ撤兵のことは貴政府に掛け合うつもりである、と語られただけである」

 「この時井上外務卿が徐公使に向かって語られたのは撤兵の外に別に出された問題はない。そして北京総署はこの一案も承諾しなかった。今伊藤大使は撤兵の外になお二個の案件を提出された。この件は今度はじめて承ることである」

榎本「外務卿と徐公使との対話は閑話の序に出たことであるからその他を語らないこともあったろう。しかし伊藤大使はこれと異なり今度の案件を公談する特派全権大使なので、我が国から貴国に請求する案件を詳述されるのは当然である。既に本使が昨日の議席で陳述したように、我が国の在韓人民が清兵のために多人数殺害されたとの電報は本使から正しく総署大臣に手渡している。即ち去年の12月16日であってしかも呉續両欽差が韓地に出立する前である。まして漢城の変に清兵及び清将の行為については我が国の新聞や他国の新聞にも記載した事は一度だけではない。徐公使は東京に駐在しながらどうしてこれらの件を貴政府に報告しない理があろうか。それなのに貴殿は伊藤大使の提出によって初めて知ったと言われるや」

 「それは全く側聞したことも無いと言うわけではないが、しかしこれを見られよ。(伊藤大使が提出した)兵の犯罪証書中に我が兵の手に罹って殺害された確証とては一つも無い。皆口述の者の推測に止まるのみ。例えば『福井は老年で気力支えられずに石橋の傍に至って地に倒れた』とあるが、地に倒れた者は再び起って難を避けたであろう(福井利助は死亡者名簿に記載された人である)。我が兵に殺されたとの証はない。また奥川嘉太郎の妻の供述の所で、『俄然銃声が聞こえ数回にして人の声が暫くして止む。これによって夫とその兄弟の死期を知った』とあるが、これまた推測に過ぎない。(奥川嘉太郎の兄弟共に死亡者名簿に記載されている。)いかにこれを以って実証となすを得ようか」

榎本「死人から供述は取り難い。また口供書は幸いにして難を免れた者の口述なので他の刑事裁判上に用いる口述調書のように詳細には出来ないことは察っしなければならない。我が人民の死体四十<内四人は兵士>を仁川に於て朝鮮官吏から受け取ったのは事実である。仮に殺害された者は無いと見做しても、本多の妻を汚辱した一件で既に重大の犯罪である。(本多は死亡者名簿に記載されている。即ち妻は暴行され夫は殺害されたということである。)」

 「伊藤大使は我が方からの証書を不十分のものとして排斥し、貴方の証書のみを実拠とされるが、それは公平を欠いている」

榎本「昨日の議席に於て在韓貴将の行為を弁護して貴殿が陳述した四点は、伊藤大使が逐次弁駁され、また清兵暴害の件に対して呉大澂がその証を得てないとの語には、それは我が方の過失ではない、と答えられたのを貴殿にも了解されたであろう。即ち言葉を変えれば呉大澂の不調法の致すところであるとの意味である」

 「我が方からは偏向したしかも不充分な証拠を以って人を罪とは出来ない。我が方の調べではこのような罪を犯した兵士は一人もいないと呉續両欽差の届がある。そもそも昨年漢城の変での竹添公使の所業は朝鮮朝廷を転覆せんと欲した乱党の奸計を幇助したに他ならないのは皆人の知るところである。余はこの事を面と向かって伊藤大使に語るを憚る。ただ貴使に向かって直言するのみである。例えば北京に於て同様の所業をする公使あるなら貴使はどのような見解を下されるや」

榎本「否々、竹添公使の所業は国王の要請に応じたもので我らがあれこれ非難できる点は無い。貴殿はなお異論があるならどうして談判の席で伊藤大使に弁駁されないのか。本使はただ全権について一言申さん。そもそも一国人民同士の犯罪はその国の裁判所があってこれを裁決するが、国と国との間に起こった事柄は自国で処することを例規とすることは出来ない。各国を管轄する裁判所なるものも無し」

 「伍廷芳(清側同席者)は英国で法学士の免状を得た者である。伊藤大使から示された口供書の英訳があれば渠に貸されたい。余は渠から(伍に)一閲させたいと思う」

榎本「諾。貴殿は伊藤大使の請求中の一個条を諾すると言われた。何を指して言われるのか」

 この時、李氏は榎本公使の顔を熟視して発言せず。

榎本「恐らくは撤兵の一件であろう」

 「然り」

榎本「これ(撤兵の件)は請求ではない。協議である。請求は罰将と殺害の二件である。撤兵の一件に至ってはこれは互いの交誼を将来まで固くするための一協議であって、これを諾することをもって譲歩と見なすことは出来ない。この一件を議するぐらいの役目なら我が国がどうして伊藤大使を特派しようか」

 「伊藤大使が請求されようが貴使がされようが、我が方の諾否に於ては一つである。そもそも貴国も中国も共に独立国である。貴国は貴国で自らを是とし、中国は中国ですることを是と認めている。互いに強がってはおれない。撤兵の件の如きは総署が反対していることではあるが、余は独断を以ってその責によりこの件だけは商議せんと欲する。これは一つは伊藤大使の荷を軽くし一つは両国の和を保つ懇情にでるものである」

榎本「貴殿が真にその所見ならば、次回に於てその旨を断言されるべきである。本使は思うのに、この度の談判が撤兵の一事の承諾に止まらせるなら大使の使命は不調となろう。大使はやむを得ずそのまま帰国して復命する外ない。事がここに至るなら両国の平和を保つことは甚だ難しいことになる。これ本使の憂えるところである」

 「撤兵を承諾するのは中国が貴国と和を保つを重んじる厚意によるものである。それなのに大使には不満足であるとして帰国されるならば是非なき次第である。我が国は戦争の用意に取り掛かるほか手段は無い」

 この時に李氏が伍廷芳と私語した言葉であると鄭書記官が言うのには、李氏は伍氏に対して「中国はフランスに向けてすら戦を開いたではないか」と言ったと。

榎本「それは貴方の勝手次第である。ただ惜しむらくは我が皇帝の御意は全くこれがために無に帰することである」

 「御同様である。貴使はなおこの他に御内話あるや」

榎本「否」

 

 

 下記の「薬局店主殺害事件と井上角五郎」にもあるように、清兵の暴行などは清将や李鴻章などの認めるものではなかった。金で雇われた規律も守らぬ無頼の者の類が清兵の実体であったし、そのような者達の行為まで一々責任を負う気はなかったということであろう。
 この後、明治27年の日清戦争時において、朝鮮の平壌に派遣された清軍がその道中で現地人に対して掠奪、婦女暴行、殺人、放火などを繰り返していることを知った李鴻章は激怒しているが、それは非道をしたことを怒ったのではない。暴行を加えれば現地人は逃散し、食料の調達も軍需物資を運搬する人夫を集めることも困難となるからであった。(「九連城及安東縣に於て押収せし文書の摘訳」p12p13。)
 それにしても日本人殺害の証言に対する李鴻章の反論の仕方は乱暴且つ粗雑である。端から問題として採り上げる気が無かったことがよく分かる。

 翌日4月9日、伊藤と榎本は井上外務卿に電信で報告した。伊藤は「将官処罰と我が人民への賠償の要求が拒絶されるなら使命全く無用につき速やかに当地を出発する」と(「天津条約ノ締結」B06150031800のp143)。榎本は「李氏に大使の使命が徒労となる時は両国間で非常なる関係を生じようと言うと、李氏はそれならば戦争の準備をする他はないと言った」と(「同上」p144)

 その夜に井上外務卿から返電。
 「将官処罰と損害賠償などについて強いて論詰する理あるを見ない。出発前の政府議論と皇帝陛下の叡慮ある御決裁によく御注意されたい。しかし閣下の電報を内閣に出すので、その決裁があるまでは談判破裂とならないように努められたい」と(「同上」p145)

 長州藩時代から屡々行動を共にした「聞多」と「俊輔」である。伊藤の性格を井上はよく知っていたであろうし、だからこそ談判破裂を恐れて戒めずにはおれなかったのだろう。井上はまた、事変詳細に属することについては談判妥結は無理であると見て、それらに関することは要求として次点のものと見ていたようである。

 しかし伊藤博文はそれで引っ込むような人物ではなかった。

 第4回談判は4月10日午後3時、天津直隷総督衙門に於いて開かれた。
 冒頭、李鴻章は双方が同意できる案はないかを尋ね、伊藤は清側のその案こそ待つと答えた。その後李鴻章は先ずは将来のことを決めたいとして撤兵のことを議題とすることを繰り返し求めた。対する伊藤は、過去も将来のことも軽重はないとしながらも、やがてそれに応じた。

 撤兵議題冒頭、李鴻章は前日に榎本に語ったのと同様に、「そもそも我が兵はもとより朝鮮を保護するために同地に駐在するものであって、我が国ではこれを徹することは出来ないので、このことに関しての協議は必要ないと遂に政府廟議の決した所を我が(在日本)公使に訓示した。しかし本大臣は、日本の全権大使は必ず撤兵の議題を提出するだろうから、大使とその事を議論せざるを得ないと述べ、総理衙門にそれを容れさせた。このようにして今回の協議が出来るようになったのである」と述べ、対する伊藤は「その事は井上外務卿からは何も聞いていない」と答えた。
 李鴻章は、「撤兵のことで妥結を得て両国が和好に帰するなら、これで閣下の使命は充分に効を表したことになり、貴国皇帝陛下に上奏して聖慮にかなうものであると言わなければならない。そしてその他の瑣末のことまで悉く満足を得られることを望むのは、こちらとしては受け入れられない」と、撤兵の議こそ重いものであり、その前には他のことは瑣末の軽きに属するとの意を述べた。

 つまりは、日本公使・兵を攻撃したことの非や日本居留民殺害などの事実は認めず、そもそも撤兵する気もなかったのを、撤兵には応じることにしたのだからそれでもう充分であろうというのである。
 伊藤は、ともかくも先に撤兵のことを正式に取り決めることにした。

(「天津条約ノ締結」B06150031800のp151より現代語に、()は筆者。)

大使「それならば閣下はいつ頃に貴国の兵を撤回される算段なのか」

 「本大臣は更に閣下に一言することがある。今我が駐兵を撤回する時には朝鮮国王は必ずこれを撤回しないようにと我が国に請求するのは疑いないことである。故に前もって公文を出して我が駐兵撤回の主意を朝鮮国王に告げねばならない。朝鮮国王が新宮に遷幸されたのは閣下も既に知られることであろう。おそらく国王が遷幸されたのは両国駐兵の間で争闘が起るかもしれないことを恐れて、旧来の王宮に留まることを懸念されたためであるという」

大使「そうである。その事を載せた上海新聞を本大臣も既に一読した」

 「朝鮮国王は当時我が将官に、兵を派遣して遷幸の式に臨むことを依頼された」

大使「上海新聞にもまたその事を載せている。この新聞は当時の国王のその儀式を詳しく報道しているが、それを読むと遷幸の式には国王の親近の者は皆国王に随従し、清国兵がこれを警護したとある。そして日本人は1人もその式に招かれなかったと。殊に最も笑うに堪えないのが、国王の儀仗列がまさに整然と通行する際に、日本代理公使(近藤真鋤)は公館の窓の隙間からこれを覗いて、この大礼に臨むことが出来なかったために怨みを含んで頗る鬱悒の表情があったと言っている。おそらくこの記事は我が邦人を貶める悪意で作ったもののようである」

 「愚かも甚だしいことである。本大臣は既に我が将官の報告を接収した。当時の実況も載せて最も詳らかである。その報告によれば貴国の代理公使の近藤氏もまたその式に招かれた。そして貴国の兵の凡そ3百人が経路の左右に整列して儀仗を警護し、近藤氏は鼓楼と称する小高い所にあってこれを監督したという。これを以ってしても、窓の隙間から覗いていたなどは全く架空の虚説であることを証するに足るだろう」

呉大澂「儀仗の通行に際して、貴国の兵は通路の左右にあって警護したのは、即ち国王に対して敬礼の意を表したからである。近藤氏が窓から覗いていたなどというのは虚妄もまた実に甚だしい。本大臣が居た時に近藤氏や貴国の将官を招いて共に宴を開き、互いに親密な交わりをした。そもそも新聞は信じるに足りないことはこの事だけではないことである」

 「撤兵のことは別に条を設けて、以って締約するを必要とされるか」

大使「今後貴我の間で協議した件は全てこれを書面にして整頓するべきである。すでに本大臣が述べたように我が国にあっては何時でも我が駐兵を撤回することが出来るだろう。閣下の説に、前もって公文を出して朝鮮国王に撤兵の主意を通告すると述べられた。しかし閣下は朝鮮国王の回答を得た後でなければ貴国の兵を徹しないと言われるのか。また朝鮮国王の回答を得るまでは、我が国に於いても撤兵を猶予するようにとの意なのか。貴意のあるところを聞こう」

 「本大臣としては朝鮮国王の回答を待たざるを得ない」

大使「閣下は帰国の兵を撤回する時期及びその方法などについてだけ朝鮮国王に照会される積りなのか」

 「本大臣は朝鮮国王に、我が撤兵の主意のみを告げるだろう。朝鮮国王は既に国を保護するために我が兵を派遣することを本大臣に請求したので、そのように我が撤兵の主意を予め通告することは誠に止むを得ないことであると信じる」

大使「その主意とはどのようなことを言われるのか。閣下が朝鮮国王に公文を送られるのは閣下の便宜であろう。貴我双方に於いては両国が撤兵のことを締約するのに何の妨げがここにあるというのか」

 「もとよりそうである。我が方に於いてこの事を決するのは本大臣の心中に属する。本大臣が朝鮮国王に通知するのはただ撤兵の主意のみである。少しもその他のことには渉らない」

大使「貴我双方の間で妥結したことで、閣下から朝鮮国王に通知されることは本大臣にとって何ら関係する所はない。閣下は果たして朝鮮国王に通知する必要があるなら、寧ろ双方の撤兵の約束を履行する前に通知されることを望む」

 「閣下は、貴国駐兵全ての撤回を行う意なのか」

大使「全てを撤回するのを善しとする。しかし貴国がもし幾らかの駐兵をなおも該地に留められる意である時は、我が国もまた同じく幾分かを留めざるを得ない。この撤兵のことに関しては両国の立約は相互に均一であることを主とせねばならない」

 「貴国は何時でも駐兵を撤回する用意があると言われるのか」

大使「然り。何時でも撤回するだろう」

 「撤兵の挙行は来年まで猶予されてはどうか」

大使「そのような猶予はし難い。すでに貴我両国の間で撤兵の妥結がなった以上は、更に永く駐兵させる必要がある理はない」

 「我が下士官数名が朝鮮兵を訓練するために朝鮮国王から雇われていることは、閣下も聞いておられよう。この者らはもとより今回の成約によって撤回すべき兵の中に算入すべきではない」

大使「その人員はどれほどあるのか」

 「彼らは皆朝鮮国王に雇われた者凡そ20名で、その職は専ら朝鮮兵を訓練するに止まり、更にその他のことに関わらない。現に我が仕官の訓練を受ける朝鮮兵は1500人あると云う」

大使「撤兵のことに関し、今後貴我の間で締約すべき条約は公平均一を旨とし、偏向することなく相互双務を以って締約の根拠とし、以って双方妬心を起こす状態のないようにすることを必要とする」

 「我が国の士官が朝鮮国に雇われたことで、閣下から見てまさに妬心を起こされるに当るのか」

大使「本大臣の一身にとっては全く痛痒ないが、しかし我が兵隊にとってはこれを見て妬心を起こすべきことは自然の勢いというものである。誠にこれを閣下には永年の経験によって考察されたい。従来貴国政府が西洋人を雇うのに、例えば貴国政府が多くの英国人を雇うときは、自ずから他の欧州人はこのために多少の妬心を生じ、また多くの仏国人を用いれば他国の人が自ずから妬心を起こすようなことは、勢い情実からも免れ難いところである。本大臣も我が国に於いてこのような経験をしたことは少なくない。貴我双方の間で締結すべき約束は、公平均一を主として少しも偏ることなく相互双務を以って成約の基礎とできるならこれ以上のものはないだろう」

 「そもそも朝鮮政府に於いて充分の兵備を設け、その兵員を適当に訓練し、以って自ずからその独立国たる地位を護るを得るに至ることは、本大臣のまた希望するところである。この事はもとより朝鮮の内政に関するので、朝鮮が自らそのことを弁理せねばならないことである。既に朝鮮政府は本大臣に懇請して朝鮮兵を訓練するために我が国の士官を望んで採用したのである。閣下もまた熟知されるように、本大臣直轄の下にある我が清兵は皆ドイツ士官の訓練を受けている。このドイツ士官は全く我が兵を訓練するために本大臣が特に雇ったもので、今また更に数名を雇用しようとしている。朝鮮政府もまた我が国の仕官を雇うのは専ら自国の兵を訓練するためで、決して他意があるのではない。その士官の職掌もまた朝鮮兵を訓練する外には他事に渉ることはない」

大使「朝鮮政府はかつて貴国の兵を雇ったのは何時から始まり又何年の期限と定めたのか」

 「別に年限の約束はない。まさに我が国の兵を朝鮮に駐留するに於いて年限はないからである。今回いよいよ我が駐兵を撤回するに決まったら、更にその士官の年限を定めねばならない。そもそも朝鮮政府に於いて西洋の仕官を用いず、殊に我が国の士官を選ぶのもその理由がないわけではない。それは第1に朝鮮人はまだ西洋の事に慣れていないこと、第2に西洋士官を雇うときは莫大の給料を必要として朝鮮政府は殆ど費用を賄えないこと。そして我が仕官を雇うなら1人に付き僅かに毎月12ドルの給料を払うに過ぎない」

大使「閣下は知っておられるように、朝鮮には2派の党がある。一方は日本に賛成し、一方は清国に賛成している。両派は互いに憎んで権を争い、氷炭相容れない勢いがある。貴我両国がこれを傍観して看過するなら、このままでは両党の軋轢は益々急激を極め、どのような事変を醸すに至るかは計られない事である。両国が力を尽してこの軋轢を排除するのはどうして朝鮮のためだけであろうか。実に両国の和好を重んじ隣誼を修める道に於いて、止むを得ない必要の処置であると認めざるを得ない。それでも貴国の士官を朝鮮に駐留させるのは、ことさらに軋轢を朝鮮国民の間で挑発するためであると言われるなら本大臣はどう言えばいいのか。万一もここに至るなら即ち我が国では貴国のするところを追って貴国と同一の轍を踏まざるを得ない。即ち貴国士官を朝鮮に留めるならば我が国もまた士官を漢城に留めるだけである。たとえ朝鮮政府が貧しくて兵を訓練するための士官を雇うだけの費用がないとしても、我が国の陸軍士官の内には、自費で朝鮮に赴いて朝鮮の兵を訓練して日本党の勢力を助けようと企てるような壮士がいないとも限らない」

 「貴国には朝鮮国王の依頼を待たずに朝鮮政府に仕えようとする士官が果たしているのか」

大使「我が国には陸軍士官の内、少壮であって剛勇剽悍にして、本国に於いて殆ど無事に苦しんで常に脾肉の嘆きを抱く者は数えきれない。この輩などは朝鮮国王の招きを待たずに自費で朝鮮に赴いて使途を求めるだろう。もしこの輩が朝鮮に赴いて朝鮮の士卒を教導するなら、朝鮮内の党派の軋轢は一層激烈を極めるに至るだろうことは燎原の火を見るよりも甚だしいものがあろう。朝鮮兵が貴国に来て訓練を受けることは本大臣はもとより異議を挟まないが、貴国の士官を朝鮮に駐留させるようなことは今既に述べたように今後更に事端を醸す憂いがないと言えない」

 「朝鮮政府は最も貧に苦しんでいる。兵を我が国に派して訓練を受けさせるようなことはもとよりその費用に堪えない。故に国内に於いて自国の兵を訓練することを望むのである。閣下にはこれを諒察されよ」

大使「我が国が先に朝鮮国王に40万円の金額を贈与した。それよりまだ日はいくらも経っていない。その額もまた甚だ軽少ではない。すなわちこの金で兵を貴国に派遣する費用とするならどうして資財の欠乏に困ろうか」

 「閣下はその金額の償還を朝鮮政府に迫るなら、朝鮮政府はその督促に応じることが出来ないことは間違いない」

大使「朝鮮使節が我が国に来る毎にその懐は常に乏しく、旅費ですら払うことが出来ないことがあるのは、全くその通りである。朝鮮政府及び人民が我が国に負う債額は些少ではない。朝鮮政府の最後の使節が我が国に渡来した時も懐中が全く尽きて帰途につく費用も払えなかった。朝鮮人の赤貧であることは本大臣がかつてよく知るところである。朝鮮が我が商民に負債する額だけでも殆ど4、5万円を下らない」

 「朝鮮の我が国への負債額は殆ど20万両[テール]にのぼり、とても償還の望みはない」

大使「はたして償還の望みがないならその金額を朝鮮人に恵与するべきであり、促すのも詮無いことである。雑談はしばらく置いて、貴国の士官を朝鮮に駐留されんとする事は、本大臣が断じて抗説するところであることを明瞭に了解されたい」

 「それならば閣下は将来に相扶助して朝鮮を向上させる望みを持たれないのか」

大使「朝鮮が自国の兵を教練するために外国士官を雇う費用も賄えないとするなら、いかにして朝鮮が自ら進んで文明を漸進する大計に就くことを得ようか。朝鮮兵が教練を受けるために貴国に来るのはもとより不可ではないが、貴国の兵を朝鮮に駐留させる一事に至っては断然前の説を主張せざるを得ない。本大臣が思うに党派の軋轢を除き、以って朝鮮の静謐を望む外ないことは、これを以って他にはない。本大臣が朝鮮の進歩を願う精神は或いは閣下の意中よりも更に一層切なるものがあるだろう」

 「朝鮮に駐留させようと欲する我が仕官の数は僅かに20名を超えない。彼らはもとより高等士官ではない」

大使「彼らは何の官職を帯びる者なのか」

 「下士官に過ぎない。尋常の兵卒もまたその内にいる」

大使「一朝その地に事を起こすには、すなわち20名の士官は朝鮮兵を指揮し、謀を成すに足る。閣下はこれを諒察されたい。本大臣の求めるところは、偏に将来の事変の再発しないかを憂え、専ら善後を協議することにある」

 「考え過ぎも甚だしい」

大使「両国の和好に関し事は特に重大である。もとより心を潜めて深く思い巡らさねばならない」

 「朝鮮国王が兵を我が国に派遣して教練を受けさせればよいが、たとえ我が仕官を朝鮮に駐留させても大したこともない卑官となるに過ぎないのである。その任は朝鮮兵を訓練することにある。また他に何をしようか。もし朝鮮国王が兵を我が国に派遣することを肯諾しないならば、一旦は我が兵を撤回した後に、両3年の期限を以って朝鮮に駐留する約を定めよう」

大使「貴国は士官を朝鮮に駐留させて、我が国に於いてはこれを駐留させることはできないというようなことならば、これは公平均一相互の約束を旨とする趣意に悖るものと言わねばならない」

 「本大臣は必ず朝鮮国王に我が仕官を解雇してその他の我が駐兵と共に帰途に就くことが出来るように勧めるが、しかし朝鮮国王がその任を解くのを肯かないことをただ恐れる。それならば我が仕官のために更に両3年の期限をもって朝鮮政府と約を結ぼう。この事は貴国にとって大きく関係するものではない。本大臣は幸い閣下の知遇を得る。本大臣はまさに誠心を開き更に腹蔵することなく閣下に告げるに、先の変乱の前にあっては、我が仕官の訓練を受ける朝鮮兵は2営あった。貴国士官の訓練を受ける兵もまた2営あった。しかし貴国士官の訓練を受ける兵は変乱の際に皆乱党に与した。これによって朝鮮国王は自国の兵を貴国士官に訓練を受けさせることを欲していない。今日に至っては偏に我が仕官の訓練に依頼するもののようである。閣下の話には2派の党があり、その1つは日本に賛成し、他の1派は清国に味方しているという。しかし今日に至っては朝鮮国内には1人も我が清国に反対する者はいない。まさに先の変乱を起こした乱賊は皆日本党であったことは、上は国王から下は庶民に至るまで皆よくこれを知っているからである。変乱の実際を目撃した者は皆竹添公使がその事に関係したことを信じて疑わない。まさに変乱を起こした者は日本党であり、支那党ではなかったことを以って、竹添公使がその事に関係したことは敢えてその理がないことはないのである」

大使「朝鮮の日本党は果たして先に陰謀を企てた乱党であったか否かは素より朝鮮の内事に属することで、本大臣の更に与り知るべきところではない。日本党がその力を尽して反対党と決闘することがあっても、我が国にとっては少しも痛痒相関することはない」

 「本大臣はただ変乱の原因を溯ってその事実を述べたに過ぎない。竹添公使は既に多少はその事に干与した以上はこれは貴国にとって全く関係がないとも言い難い」

大使「それは閣下の疑いに過ぎない」

 「本大臣の疑いではない。朝鮮国王が書を本大臣に寄せてそのことを告げた」

大使「日本党がはたしてその事を成功させていたら、朝鮮国王が閣下に告げたものは必ず全く異なったものであったろう」

 「日本党は朝鮮国民が与しないところのものである。その成功の望みは決してない」

大使「概してこれを言うなら、朝鮮国人は無知蒙昧にして、政治の得失に至っては言うまでもない。朝鮮国人中にどこによく政治の改良を図って旧来の積弊を一掃する長計を計画する者があろうか」

 「貴国がかつて名声を各国に轟かしたように、朝鮮国中の政治の改良を図る人がいないのは、本大臣もよく知るところである。朝鮮国の人民の中で、誠心から国家を憂い進歩改良を図る人士がいないことは、嘆ずるになお余りある」

大使「朝鮮は久しく鎖国に安んじていた。その外交を始めたのは実に近年である。俄かに国家の改良を任じることの出来る善良な為政家を輩出することを求めても、どうしてそれが得られようか。ただこの事はこの談判の件に関わりない。まずはこれを置いて他の要件を議すべきである」

呉大澂「朝鮮国人の中で少壮にして大いに将来に望みを託すべき人士は、先の変乱に於けるように無謀のことに与するに至った。実に朝鮮政府のために痛惜せざるを得ないことである」

大使「東西いずれの国でもこのような実情であることは免れない」

呉大澂「金玉均は米国公使フート氏と時々往来して互いに交際があった。金玉均が同公使に面会した時に言ったことに、『朝鮮政府は恰も衝立の裏の一点の灯火のようなものである。暗黒であってこれを見ることは出来ない』と。公使が答えて言ったのに『徒に衝立を除こうとして灯りを消す愚を招くことがないように』と」

大使「雑談で時を過ぎるのは惜しんで余りある。更に要件に渉って論議するところがあろう。朝鮮政府が貴国の仕官を任用するのに、その数を12名に止めるなら本大臣はまた敢えてそれに異議を挟まないが、20名内外とするに至っては本大臣は断じて抗議を提出せざるを得ない。実に士官20名は朝鮮兵を指揮して事を謀るに足る」

 「我が士官が雇われたのは朝鮮兵を指揮するためではない。その士官はもとより下等の士官であって、専ら朝鮮兵の訓練を掌るほかは、決して朝鮮兵を指揮するのではない。それはドイツ士官が我が兵に対するようなものに過ぎない」

大使「我が国の陸軍学校に於いてはまたドイツ士官を雇っている。もとより我が兵を指揮する士官とはその職掌は異なる。そもそも両国駐兵撤回の議は均一を主として偏ることなく相互双務を以って締約の根拠にせねばならない。貴国がもし朝鮮兵を訓練するために貴国士官を朝鮮に駐留させる必要があると言うなら、本大臣は閣下への考案として、双方が朝鮮国王に勧告して他の外国士官を雇うべきことを議題とせねばならない。他国の士官を雇うために要する費用は、概算するに1人に付き毎月2百ドルを超えないだろう。他国の士官は概ね皆よく兵事に熟練するので、これを雇って訓練用に充てれば便利である。朝鮮兵はもとより高等の学科を修めた教師を必要としない。その急務とする所はただ訓練の一事に止まる。即ち費用なども本大臣が概算するようなものに過ぎないだろう。要するに他国の士官を雇うのは朝鮮政府のためにも最も得策である。朝鮮は貧弱といえども既に一国の政府を建てているのであるから、僅かに数名の下士を雇うのにどうして深く費用を顧念することがあろうか。これは本大臣の信じて疑わないところである」

 「朝鮮国王に勧告するのに、他国の士官を雇わせて陸軍を精錬する用に供するとの話は、本大臣もまた甚だ賛成するが、ただ朝鮮政府がその費用に堪えられないことを恐れる。朝鮮政府の貧困の甚だしさは、僅かに数人の学生を海外に派遣して英国の語学を修めさせることすらその費用を弁ずることが出来ない。これにより朝鮮国人中に一人の外国語に通じるものがない。よって我が国人を雇って通訳の用に充て、それにより僅かに外国に関係する事務を弁理することが出来ている」

大使「朝鮮兵2大隊の訓練は3ヶ月で足る。よく訓練に勉めればその日数で足る。本大臣は先日我が国で穆仁徳(モルレンドルフ)に会った。閑話の際に他国士官を雇う話をして同氏の意見を聞いた。同氏個人の考えに拠れば、朝鮮政府は他国士官を雇う費用はよく堪えられると。おそらく同氏の意中を察するに、高等の士官でないならこれを雇うぐらいの費用は敢えて憂うまでもないようである。すなわち過般同氏が使命を奉じて日本に来た日にこのことを聞いた。本大臣が当時にまた同氏に問うたのに、両国の兵を撤回することは朝鮮政府の望むところなのかどうかと。同氏が答えたのには、朝鮮政府は両国の撤兵を望んでいることは甚だ切である。両国兵が駐留しないのは朝鮮政府は甚だ都合がよいとするものである云々と語った」

 「穆仁徳(モルレンドルフ)は朝鮮国王がまだ信任を置かない者である」

大使「そうかもしれないが、朝鮮国王が自ら信任を置く官吏として氏を日本に派遣したのはどうしてか」

榎本公使「この頃聞くところに拠れば、貴国の将官は閔泳翌のもとに清兵を派し、閔氏はこれを厭うも構わずに強いてその家を護衛させた。これによって遂に1つの事件が惹起されて閔氏の家僕某が清兵を殺したと。閣下はまだこのことを聞かないか」

 「それはまだ聞いていない。貴国の新聞並びに上海の新聞などに載っているが、しかし清兵を閔泳翌の護衛に充てたことはない。日本の新聞は虚妄誤報を載せて往々にしてこのように甚だしいものがある」

榎本公使「まだ貴国の新聞ほど甚だしくはない」

 「決してそうではない」

榎本公使「貴国は領土広しといえども、新聞は僅かに2紙に過ぎない。これを我が国の新聞の数に比べれば極めて寡少である。誤報を掲載するとしても自ずからその差を無くすることが出来ない」

 「もとこれは新聞に過ぎない。時に誤報を載せるのは免れないところである」

榎本公使「朝鮮国王がかりにも普通の感覚を備える人ならば、その国土に外国兵が駐留するのを見るのは決して快しとしないところである。おそらく朝鮮国王は両国が公平に兵を徹して全く駐留させないことを願っているのは本公使の確信するところである」

 「本大臣は今後はまさに朝鮮のことには干渉しないだろう。すなわち貴国が干渉しないなら我が国もまた敢えて干渉しないという意味である」

大使「双方が再びこのような干渉の事があってはならない」

 「或いは貴国の居留民が暴殺に遭うことを口実に、或いはその他の名義を構えて、貴国が再び兵を朝鮮に派するようなことがあるなら、我が国に於てもまた直ぐに我が兵を派すべし。これは双方の約束は相互均一であるからである」

大使「まことに然り。貴国が兵を派することがあるなら、我が国に於いてもまた必ず兵を派してその轍を同じとするべし」

 「貴国が兵を派することがあるまでは、我が国は再び兵を派遣しないだろう。ただ恐れるのは、我が兵を撤回するのを待ってその機に乗じて貴国が直ぐに朝鮮を併呑することである」

大使「請う。また恐れる勿れ。我が国はもとより朝鮮のような貧弱の1小国を併する念慮はない。日本は既に貧弱の国である。これに併合するのに朝鮮の貧弱をもってするなら、勢い自ずから貧弱の極みに陥らざるを得ない。人はそれぞれで富強を願っている。我だけがどうして独り貧弱に陥ることを願おうか。いやしくも1国を略取するに於いてはその領土に関して一切の責を負担せざるを得ない。閣下はこれをよく諒察されよ」

 「将来朝鮮に於いて再び事変を生じる時は、我が国は特に使者を派遣し、決して再び兵員を随行させないだろう」

大使「もとより我が国に於いても兵を派することはないだろう。しかし先の変乱の後に、呉氏が兵を帯びて朝鮮に赴くとの報を得たのを以って止むを得ず我が国よりもまた兵を派したのである。我が(井上)全権大使は最初は兵を随えなかった。下関に達して初めて呉氏が兵を帯びるとの報を聞くに及んですなわち我が政府に稟議して同様に均しく兵員を帯びることとした。呉氏が兵を帯びなかったら我が大使も必ず護衛兵を引率はしなかったのである」

榎本「これが当時我が政府が朝鮮に兵を派した所以である」

 「それならば咎めが帰すべきは呉氏帯兵の報にある。先般の変乱の後に至っては流伝百出し、殆ど真偽分別するいとまがなかった」

大使「幸いに我が国公使は貴国に駐箚する。前日のように変乱の時機に遭遇するに当っては、政府はみだりに信を風説においてはならない。我が駐箚公使がかりにも貴国政府に告げるのに実を以ってしないことがあるなら、我が政府は忽ちこれを召還するべし」

 「[榎本公使に対して言うのに、]当時に風説あり。閣下は貴政府に報じるに、この機に乗じて朝鮮を併せないなら何れの日かこれを略する時があろうか、との一事をもってされたと」

榎本「本公使はかつて書を著して我が国のために謀るに必ず朝鮮を征略するべき論をしたことがある」

 「本大臣が述べたのはその事に関してではない。閣下が前に朝鮮を略取すべしと言った密書を外務卿に送ったことを言うのである」

榎本「外務卿が東京に帰ったのは1月22日である。これを忘れる勿れ」

「閣下の密信は或いは途中で外務卿の手に達したのだろう」

大使「白河氷結の後に北京から日本に書信を送るのにおよそ幾日を費やすであろうか」

 「実にこの風説があったので今閣下に告げるのである。その実否に至ってはただ榎本公使と外務卿を除く外これを知る者はない」

榎本「閣下の挙措に関してもまたこれに類似する風説があるが、今敢えてここにこれを告げるを要しない」

 「閣下が敢えてこれを告げないなら、本大臣はまさに自らこれを告げよう。即ち伊藤大使の心中が決して主戦の意がないことである」

榎本「閣下の疑念の深いのには実に驚くばかりである」

 「これは疑念ではなく事実に及ぶ。本大臣は日本から密報を得てその事を知った」

大使 「諸君に請う。無用の雑談を止めて我が談判の要件に移れ。また徒に時を消費するなかれ。そもそも双方の間に今後の妥協を経る事項は、全てこれを書に筆した議を閣下に提出しよう。閣下の説に立約の後に必ず批准を要すと。はたしてそうならば画押蓋印の日から2ヶ月内に批准を交換し、4ヶ月内に双方駐兵の撤回を行い、以って批准と撤兵挙行との間に1ヶ月乃至2ヶ月間の猶予あることとしよう」

 「閣下の述べられたのは、画押蓋印の日から4ヶ月内に貴国の兵を徹っせられんとする意味か。撤兵の事は勿論双方で悉く議論の事項を終えた後に条を訂立して約束を定め、双方これに画押すべし。本大臣が画押蓋印の権あるのは閣下は既に知っておられるところである。本大臣は敢えて問う。撤兵の事は貴国が先にこれを挙行されるべきか」

大使「否、撤兵は同時に挙行せねばならない。ただ同時に撤兵を挙行するによって双方最も緊密の意を加えねばならない。閣下は願わくは命を朝鮮駐箚の貴国将官に下せ。本大臣もまたまさに我が代理公使に訓示するところあらん」

 「貴説はまことに善い。本大臣が我が将官に命じる詳細に関する事項は、近藤氏と協議して不都合ないようにする旨を以ってすべし。思うに、貴国兵は済物浦から、我が兵は馬山浦から撤回させるべきであろう。両国の駐兵がその撤回する場所を異にするのは甚だ得策と信じる。今や両国の全権は相遭うて意中の同じであることを知り、交情親密であるが、両国の将官に至っては、なお軍人粗暴の風を免れない。ために再び何らの紛争を起こすかも計られない」

大使「実に然り。この輩が遭うのは火薬を烈火に近づけるようなものである。貴我双方は既に交情親密である。無事に今回の案件を終わって、以って双方の素志を貫かねばならない。もし両国の兵員を以ってこの件を協議させれば、はたしてどのような結果を生じるか殆ど予想出来ないものがある」

 「両兵の遭遇は争闘の外ない。願わくは貴国将官に訓示して貴国兵が朝鮮に駐留する間は、事端を生じさせないように成るべく注意せられたい。我が方に於いてもまたまさに同じく我が将官に訓示すべし」

大使「本大臣が力の及ぶ限り両国兵の間に事端を生ずるのを防ぐべし。我が国にあってはなるべく速やかに我が兵を撤回することを希望する」

 「我が兵は貴国の兵を疑うの念が甚だ深い。我が将官の報じるところによれば、貴国兵のおよそ20人ばかりが一列を成して時々市街に徘徊し、以って我が兵と争闘を啓かんことを求める風があるようであると。よって本大臣は我が将官に厳命を下して厳正に規律を執行し、たとえ道で貴国の兵に遭って粗暴の行為を加えられることがあっても、決して争闘することなかれと言い、且つ更に言を重ねて、もし貴国の兵が我が兵営を襲うことがあるなら即ち我に於いてもまた事宜に応じて力を以てこれを防ぐべしと命じた」

大使「井上大使がかつて朝鮮にある時、我が兵員は時々些細な件で大使に訴えるものがあり、この時に当って大使の訓令を下した。その意は大略閣下のその貴国将官に下したところに同じ」

 「両国の官吏に下すに厳命を以ってし、事端の再生を防ぐ必要があるのと、且つ朝鮮に於いて今後再び事端を生じることがあっても、貴国は委員を派してその事実を調査するに止め、再び兵員を携帯させることがないようにと、以って閣下の注意を請わざるを得ない」

大使「その事は双方相互の約束によって成り立たせねばならない。かりにも朝鮮が我が国に対して開戦を布告するのではないから、我が国に於いて再び兵を派することはないだろう。向来前日のような事変があるに臨んで、我が国の行為は専ら貴国と同一の挙措に出る外はないだろう」

 「貴国が朝鮮を占領する意がないことは既に閣下の明言を以って確信するに足る。しかし他日に他国が朝鮮を睥睨するようなことがあるなら、我が国は兵員を派遣さぜるを得ない。その時に当っては貴国もまた貴国の便宜に従い兵員を派することが出来る」

大使「朝鮮独立の国体を維持し、以って他国がその領土を侵略するなどのことがないようにすることは、我が国の切に希望するところである」

 「貴国が果たして朝鮮を併呑せんとする時は、すなわち国力の及ぶ限りを以って貴国と戦わざるを得ない。我が国がもし朝鮮を併呑することがあれば、貴国はまさに全国の力を挙げて我が国と戦いを決すべし。もし他国が朝鮮の地を睥睨するものがあれば、貴国と我が国とは互いに連合して力の及ぶ限りその侵略を防ぐべし」

大使「話が他国のことに及ばないことを善しとする」

 「本大臣は敢えて公然とその事を言うのではない。即ち貴我相互の密約として互いに心に銘ずべし」

榎本「本公使を全権大使の地位にさせれば、すなわち今回のような約を成すことを承諾しないだろう。まさしく本公使の素志は朝鮮を略取するにあるらしいから」

 「これ本大臣が甚だしく閣下を疑う所以である。閣下が他日に1等使者の地位に昇るまでは宜しく伊藤大使の政略に従わねばならない」

榎本「勢い自分を枉げざるを得ない」

 「閣下はかつて書を著してから大いに貴国人民の心を惑わし、朝鮮はまさに日本の占領に帰させねばならないと論ずる者が漸く多くなるに至った」

榎本「或いはまた閣下も日本を併呑する志がないかどうかも知れない」

 「決してその志を懐くことはない」

榎本「その実否に至っては上帝を除くほか他によくそれを知るものはない」

 「本大臣はまさに上帝に誓おう。まだかつてこのような志望を懐いたことはないことを。貴国が朝鮮を併合する念慮がないのは本大臣の深く信じて疑わないところであるが、前年森有礼氏が貴国公使として我が国に駐箚された日に、余に告げて言った。『日本は朝鮮と戦を啓く口実を発見することが出来なかった』と。閣下はかつてこの事を聞いたことがあるか。これはかつて本大臣が先年に郷里の間に漫遊した際に、氏が本大臣を訪問して偶々告げたところの言である。時恰も貴国が朝鮮との紛議を生じた際である」

大使「我が国が朝鮮に於いて他意のないことは閣下の既に確信されるところである。我が国が果たして朝鮮を侵略せんと欲するなら、何ぞかつて朝鮮と条約を立てる等のことをしようか。まさしく条約を立てる等のことのないようにすれば、却って我が国としては謀として朝鮮を併呑するの易きを加えたろう。以前本大臣が曾候に面晤した日に、我が日本の朝鮮に対する所見を詳述した。閣下はかつてこれを曾候に伝え聞いたことと信ずる」

 「然り。他国が朝鮮を侵略せんとするようなことがあれば、全国の力を挙げてこれを防禦し、以って朝鮮をして独立を維持させねばならない」

 談判はこれに至って止む。午後6時30分であった。食堂に入って晩餐を共にした。

 

 撤兵についての議論なのであるが、まあいろんな話が出てくるものである。
 最初の方で新聞の悪意ある記事を双方が扱き下ろしているが、昔から国を問わず新聞に対する政治家の信頼は極めて低かったようである。読者は記憶されていようか。かつて日朝間で朝鮮が明治政府の交渉を拒絶していた理由として、幕末に清国の新聞が日本人「八戸順叔」なる人物が「日本は80隻の蒸気船を建造して朝鮮を征討しようとしている」と言ったという記事を書き、それにより明治9年の黒田全権派遣による日朝交渉時に於いても、この新聞記事のことが朝鮮側の交渉拒絶の口実として出てきたことを。ために井上馨が朝鮮大臣に「新聞の見方」なんぞを教示したのであるが(笑)。
 まあ古今東西、メディアは何かと罪作り少からずと。

 また、談判中伊藤博文の以下の言葉は興味あるものである。
(原文)
「請う。復た恐るゝ勿れ。我国素より朝鮮の如き貧弱の一小国を併するの念慮なし。日本既に貧弱の国たり。之に併合するに朝鮮の貧弱を以てせば、勢い自ら貧弱の極に陥らざるを得ず。人各富強を願う。我豈に独り自ら貧弱に陥ることを願わんや。苟も一国を略取するに於ては、其疆土に関し一切の責を負担せざるを得ず。閣下幸に諒察する所あれ。(「天津条約ノ締結」B06150031800 のp165)

 後の韓国併合に伊藤は反対であったとの説があるが、この頃からすでにその理由を見ることが出来る。つまりはもし併合すれば、この貧弱の国の一切の面倒を見らねばならなくなり、それは日本を疲弊させるに充分な負担となると。

 しかし談判は議題外に走りがちであり、後半には榎本が割り込んだことで余計議論が錯綜している。そういう中をこつこつと具体案を示して少しずつ纏めていっているのが伊藤大使なのであった。やれやれ。

 

 天津談判のことを日清両国が和好を念頭に置いて議論されたものであるという単純なる評価をする人があるが、そんなことは当たり前である。何時の時代にどこの国にことさら戦を好んで談判する国があろうや。まして日清両国は琉球や台湾の問題を抱えながらも双方の交際厚く官民共に良好な関係の頃である。明治17年12月の朝鮮王宮に於ける日本公使と日本軍に対する清将の不意討ちのような攻撃と居留民殺害に、忽ち日本国内から征清の声が轟々として挙がったのであるが、日本はただに大国清に戦勝するは覚束ないだけでなく、未だ宣戦布告するほどの理由がないということである。一方清国側にしてみても今ここで日本に戦勝しようなどという理由も必要もない。

 談判5回目に至って漸く撤兵に関する条約案が提出されて、それを元に議論する運びとなるが、その中で日清双方の基本的な対立点が浮き彫りとなり、天津条約の持つ意味もここに際立って来る。

 第5回談判は4月12日午後3時より、在天津日本領事館に於いて開かれた。

(「天津条約ノ締結」B06150031800のp171より現代語に、()は筆者。)

大使「撤兵のことについては、本大臣が条約案を起稿したので、これを閣下に御覧に入れて御意見のあるところを聞きたい」

[ここで漢文草案を朗読する。その文は以下のものである。]

一 議定嗣今不論有何等名義何等約款在朝鮮国内両国均不得有派兵師差兵弁建有兵営占有営地屯処港口之事以免有両国滋端之虞

(日清両国は朝鮮国内に派兵する名義や条約も有しないことは論を待たないことである。よって両国は均しく派兵などすることなく、以って問題を生じさせることを免れんとするものである。)

一 前条約款仍与両国交戦之権不相交渉

(前の条項は日清両国の交戦権にまで渉るものではない。)

一 将来在朝鮮国如有日清両国交渉事端或有彼此一国与朝鮮国交渉事端両国当均特派委員努依平和便法妥商弁理

(将来に朝鮮国で日清両国に係わる有事の際は、或いは朝鮮国で交渉すべき事があった場合は、両国は委員を派遣して平和的に解決すること。)

一 両国均允勧朝鮮国王使其団練精良巡兵足以自護其国兼保護駐留外国人又依両国所協同認可由朝鮮国撰他国武弁一員或数員委以教演練習之事

(日清両国は、朝鮮国が自国と駐留外国人を保護するため、朝鮮兵の教練として他国の士官1人或いは数人を置く事を受け入れる。)

一 両国均允遵第壱条所載将現在彼此派駐朝鮮国兵員於画押蓋印之後四個月限内均行尽数撤回大日本国兵由仁川港撤去大清国兵由馬山浦撤去

(日清両国は条約調印後4ヶ月以内に、日本は仁川港から清国は馬山浦から撤兵する。)

一 至前両条所載事宜節目彼此当於成約批准之後均簡委員派往朝鮮国漢城妥籌酌訂以便施行

(条約調印後両国は委員を漢城に派遣してそれらを施行する。)

 「[草案を熟覧した後に]草案中の第二項の文は本大臣はよくその意味が理解できないものである」

大使「第二項は別に深い意味のあるものではない。これは独立国が有する交戦の権利のことを言い、つまりこの約款は交戦権にまで干渉するものではないという意味である。例えば朝鮮が日本と戦端を開いて日本の港湾に進撃することがあれば、我が日本国は朝鮮に対して宣戦の布告をして朝鮮に兵を向ける権利を有するだろう。それでこれは万国公法に照らしても国が持つ宣戦の権利にまで渉るものではないということである。本条に疑いがあるなら、次のように修正すればどうか」

 前条約款仍与依準公法交戦之権不相交渉

(前の条項は公法に準ずる交戦権にまで渉るものではない。)

李 「なるべく的確な字句を用いて、その意味を明晰に書き定めていかねばならない」

大使「かりに貴国と朝鮮国とが戦を交えることがあれば、その時は貴国は兵を派遣する権利を有するのは明らかである」

李 「第一項に『不論有何等名義何等約款』はどのことを指すのか」

大使「第一款にこの文字があるのは、将来あるいは何等かの事でこの約束を破ることがあるかを憂慮し、用心を加える意味からである。閣下がもし将来の用心はもとよりのことなので明文する必要がないと思うならこれらの文字は削除してもよい」

李 「もし将来に朝鮮で内乱が起って朝鮮国王が我が国に保護を依頼して兵の派遣を請求するなどがある場合は、この草案に準拠してどうすべきなのか」

大使「この場合は双方均一を旨とするから相互に双務の約束を守る外はない。反対に朝鮮国が我が国に兵を請求することがあるなら我が国はどうすべきか」

李 「朝鮮国王がもし貴政府に貴国兵を派遣することを請求するようなことがあれば、朝鮮国王に先ず我が政府に通告させて我が政府に貴国政府と協議する機会を得させねばならない」

大使「もし朝鮮国王が貴政府に兵員を派遣することを請願することがあるならば、貴政府もまた我が国に通知するべきである」

李 「しかし貴国が朝鮮に対すると、我が国が朝鮮に対するとは、その地位において同じではない。閣下はそれが異なる点に於いて熟慮されるなら自ずと釈然とされるだろう。そもそも朝鮮は我が国に対しては古から我が付庸国であって、その国内であった件は必ずこれを我が国に報知する義務を有する。しかし貴国は朝鮮に於いては僅かに条約上の交際があるに過ぎない」

大使「よろしい。閣下が議論をそのことに渉らせるならば、重大な難問を惹起し、貴我双方で談判する事項は益々煩雑となるに至るのを恐れる。閣下の意はどうなのか」

李 「閣下はもとよりこの問題に渉って議論する権がないだろう」

大使「もとよりその権はある。しかし本大臣は心を静めて深慮し、ことさらにその論点を避けるのは、双方で難問となって議論は益々錯綜することになる恐れがあるからである」

李 「あえて請う。その問題に関わって議論となる煩いがないように」

大使「双方でその問題に関して議論するならば、徒に難問を挑発して事端を生じさせる以外になくなる。また詮無きことである」

李 「目下、その問題に関して議論する権は本大臣は有していない。本大臣は両国の駐在兵を撤回する議を協議する以外に決してその他のことに関して議論することはない」

大使「前回の会議に於いて、閣下の説に、我が国より兵を朝鮮に派遣しない間は、貴国は決して兵を同地に派遣しないことを締約するべきと。そもそも両国駐兵の撤回を挙行するのは、ただ相互に均等の約束によってのみ双方が始めて肯諾するのである」

李 「条約の草案は昨日に呉氏から御覧に提供したようなものであることを必要とする」

[この時に呉氏の草案を読む。それは次のものである。]

一 議定両国各徹駐朝之兵自画押蓋印之日起以四箇月為期四箇月以後中国将駐紮朝鮮各営尽数撤回日本亦将駐紮朝鮮保護使館之兵尽数撤回両国同時弁理不得違逾

(両国は条約調印後4ヶ月で日清両兵を朝鮮から撤回する。)

一 朝鮮練兵各営有中国教習武弁酌留十余人至二十人為度定立年限年満再行撤回

(朝鮮兵を教練するのに中国から士官10余人から20人を年限を設けて留め、満期後は撤回する。)

一 以後朝鮮商民或与日本商民偶有争端如日本派員前往査弁毋庸帯兵或中国有派員査弁之事亦不帯兵免滋疑忌

(以後は朝鮮商民あるいは日本商民の間で争いがあっても日本は委員を派遣するの兵を帯びず、また中国が委員を派遣するのにも兵を引き連れずに、もって問題が起るのを免れること。)

一 朝鮮国如有乱党滋事該国王若請中国派兵弾圧自与日本無渉事定之後亦即撤兵回国不再留防

(朝鮮本国で乱党が問題を起こすようなことがあり、国王が中国の派兵を請求して弾圧することとなるなら、必ず日本に渉らないことを定めて行い、またその後は即時に撤退して再び留まることはしない。)

大使「呉氏の草案第二項については、先日に本大臣が直ぐに述べたように、本大臣は断じてこれに抗論せざるを得ない。このことは前回で閣下に述べたことである。貴国に於いて朝鮮兵を訓練するために貴国の士官を朝鮮に駐留させようとすることに於いては、貴我両国は双方相互均一とするために我が国の士官を駐留させることを主張する。その草案中の第四項のようなものは、今回の条約中に加えることを本大臣は最も異議を挟むものである」

李 「呉氏草案の第三項は文としてよくまとまっており、その旨を尽している。貴案に比べれば更に一層明晰であるようである」

大使「呉氏の草案第三項は貴我両国商民の間で偶々争いがあった場合を言うに過ぎない。事は一個人のことに関する。双方で兵を派遣する必要の理がないことは更に論をまたないことである。これに反し、朝鮮の乱民が我が公使館を襲撃するようなことがあるなら、我が国は止むを得ずに兵を派遣さぜるを得ない」

李 「およそ約款の文は詳しく明晰で主意が判然とするものでなければならない」

大使「本大臣の草案第一項中の『不論有何等名義何等約款』の字句に異論があるならこれを削除する。閣下は果たしてこれを削除するのを望むか」

李 「然り。削除するのがよい」

大使「これを削除しても別に意義が異なることはないが、閣下の求めに応じてこれ削除しよう」

李 「屯所の2字は何の事を指すのか」

大使「兵士を駐屯させる所を言う」

李 「閣下が一度本条約に調印された後は、貴政府に於いても断然朝鮮を併合する志を捨てねばならない」

大使「我が国に於ては閣下が嫌疑されるような朝鮮を併呑する志を少しも抱くのではない。我が国の人の中に、或いは閣下の嫌疑を受けるものがあるか否かは本大臣が断言するものではない。また我が国の人各自の朝鮮に対する意思がどうかに至っては、もとより本大臣が閣下に証明するも出来ないことである。我が国の人の中に偶々閣下の嫌疑されるような意思を抱くものはないことはないだろうが、事は瑣末に属し、敢えて閣下の意を煩わすに足りない。我が皇帝陛下及び政府の朝鮮に対する意中はどうかに至っては、閣下は宜しく潜思熟慮するところがあるだろう。本大臣は既に繰り返しこのことを述べた。閣下はただまさに信をここに置くだけのみである」

李 「榎本公使がかつて著された書冊の序文中に、朝鮮を略取するべきは日本国人の世論であって決して一家の私言に非ず云々とある。この事は10年前の著述による。今閣下の証明によって見れば、貴国は爾来朝鮮を侵略する志を変じたものと推測すべきのみ」

大使「我が国人中にかつて朝鮮を略取せんと志す者があったか否かは本大臣が閣下に対して保証できないところである。しかしこの事はかりにも政府が志すものではない以上は、また閣下の痛痒に関しないことは明らかである。且つ貴国人中にもまた或いは我が国と戦おうと望む者があるのは本大臣がこれを知るといえども、本大臣はその言を直ぐに政府の志すものであるとは認めない」

李 「我が国人中にかつて1人たりとも貴国と鋒を交えようなどというような無謀を企てた者があることはない」

大使「或いは貴国人民中にこのような志を懐く者がないかもしれないが、貴国顕官の1人は現に貴国皇帝陛下に上奏して努めたことに、日本と戦を交えるべきとのことを以ってしたのを聞き、幸いにその奏議文の写しを得てこれを知ることが出来た。ただしその写しの正否は本大臣が保証するものではないが、貴国高官の1人が我が国に対して深く敵意を挟むものであることは本大臣の断じて疑わないところである。請う。事の曲折に渉るものはしばらくこれを言外に置かれることを」

李 「[微笑]本大臣もまた願うところである。貴案の第二項の『前条約款仍与両国交戦之権不相交渉』との字句は更に増補してその文意を明瞭にせねばならない。わずかな字数あるだけでは、我が国の人にこれを読ませるときには殆どその意を理解出来ない虞があるからである」

大使「少しく公法を読んだ者ならよくその事を理解するだろう。伍廷芳氏は法律家であると聞く。李中堂がもしよくその文を理解しないならばこれを中堂に説明すべきは伍氏である」

李 「日本、清国、朝鮮、3国いずれの間を問わず、将来永く開戦交戦のことがあってはならない。彼此相互の間に恒に和好を保続せねばならない。閣下がもし第二項を削除することに異議を懐かないなら、その文字を改めて『前条約款仍与中日両国戦時之権無干』とし、以って明らかに中日両国を指して特に朝鮮を除かねばならない」

大使「各国は必ず宣戦の権利を有し、且つ宣戦の後もまた一定の権利を有する」

李 「将来に朝鮮が貴国に対して宣戦をすることが決して無いことは本大臣の保証するところである」

大使「この件はもとより貴我双方の間で専断する私事ではない。およそ死生に常がないのは人生の免れないところであり、夕べに国の大事を議して朝に黄土の客となるのもまた知ることが出来ないことであるが、国は永く存して死なないものである。目下貴我双方の間に議論するものは永く基準を万世に垂れ、遠く効験を命数きわまりない両国の上に及ぼす大事に属する。請う。これを忘れるなかれ」

李 「試みに歴史をひもといて古来の成績を尋ねれば、朝鮮は常に防守の地位にあり、日本は常に進攻の地位を占めたことはまた覆うべからざる事績である」

大使「本大臣は閣下を待つのに清朝当代の政府を代表する全権大臣を以ってしたのに、今や閣下は往古の事績に溯り、ただに支那歴朝のみならず、遂に高麗朝も代表されんとする意があるなら、本大臣はまさにかつての元代に起った歴史上顕著の事績をこれに提出し、以って閣下より満足の決答を得んことを請求せんとする。すなわち元の時代に当って貴国の兵は我が国に襲来するもの前後2回。初めには貴国の兵は上海から来たり、後には朝鮮を経て来た。閣下は博く古今の歴史に渉る。このことはすでに閣下の知るところであろう。閣下はこの事に於いてまさに何等の言をもって本大臣に答えんとするか」

李 「往古日本を襲ったのは支那人であって朝鮮人にあらず。ゆえに言うのである。朝鮮人はかつて貴国に対して進攻の地位に立ったことはないと」

大使「決してそうではない。日本を襲ったのは元兵であっても、当時韓人は現に元軍を援助した。韓人が厳に局外中立を遵守するなら、元兵がその国土を通過することを許さなかったろう」

李 「本条約を調印した後は我が国において決して再び兵を朝鮮に派しないだろう。貴国もまた必ずその軌を同じにせねばならない。故に日本がもし将来朝鮮を経由して我が国を襲うことを望むなら、貴国のために言えば朝鮮を略取することが第一であろう」

大使「日清両国間に於いて戦を交えることがあるも、今まさに締約せんとする条約は、両国が有する交戦の権に渉らないのである」

李 「草案第二項の意は、はたしてその事を言うのか」

大使「すなわちその事を言うのである」

李 「もし他国が朝鮮の国土を犯すことがあるなら我が国に於ては必ず兵を派遣せざるを得ない」

大使「その時に当って兵を該地に派遣される権利があることは勿論である」

李 「その時に当って我が政府は必ず貴政府を誘い、共に兵を該地に送って連携の処置を施し、以って朝鮮を防禦すべし。閣下はまさにこの事を承諾されるか」

大使「未生の児には命名し難いのが如何に」

李 「閣下には他国を恐れられるか。また他国との何らかの密約があるか」

大使「他国のいずれも恐れないわけではない。そして本大臣は殊に貴国を恐れるのである」

李 「双方密約を以って閣下と特に締約することが出来ようか」

大使「まさに本大臣は貴国と秘密連合の約を訂する権を有しない。思うに閣下もそうであろう」

李 「閣下がもしこの約を訂するのを承諾するなら、本大臣はこのような密約を締約する全権を有する」

大使「それならば本大臣はまさに言おう。閣下の全権は本大臣が帯びるものに比べれば遥かに重いと」

李 「閣下は或いは他国の意を傷つけることを恐れるのだろう」

大使「その時期に遭遇し、断然処するところの必要があるまでは何等他国に渉って議論する必要はない」

李 「閣下は細心事を思われることが甚だ深い。雑談はしばらく置いて草案の第二項に『若他国与朝鮮或有戦争亦不在前条之例』の一句を加えるならやや本案に同意するに足る」

大使「上款の明文はただその大体を示すのを善しとする。本大臣が第二項に書いたものは大体を尽して余すところがない」

李 「しかしもし他国が朝鮮の国土を犯すことがあるに臨んでは、我が国はまさに兵を派すべき義務を負うものである」

大使「朝鮮に在って防禦を要する場合に臨み、今、閣下の述べられたような貴国の挙措を禁ずることは本項の趣意ではない。このような場合に於いては朝鮮に貴国の兵を派することが出来るのは勿論のことであって、本案に記するところに抵触するものではない。要するに本案の第一項に載せるところは、両国がその駐兵を撤回するために相互の約束を立てることにある。他日、朝鮮が外国の侵略に逢った時に、貴国が止むを得ずに兵を朝鮮に派せられるような場合に於いては本条約に載せるところは、貴国はもとよりこれに準拠する必要はない」

李 「故に本大臣は本条約には今一層の明瞭なる条款を設けることを望む」

大使「閣下が強いて第二項に異議を挟まれるならば、本大臣は寧ろこの項を全て削除することに同意する」

李 「本大臣は他国の侵略に対して朝鮮を防護するため、我が国に於ては朝鮮に兵を派することが出来る権利があるとの明条を本条約中に加えることを希望する」

大使「このよう場合に臨んで、貴国が朝鮮に兵を送る権利があるのは本大臣の承認するところである。しかし目下貴我双方の間に妥協を遂げようとするものは、専ら貴我両国兵の朝鮮に駐在するものを撤回することに関しての条約を締約する一事であって、さらにその他の事に関するものでないことを察せねばならない。[なお通訳の羅に対して言った。]朝鮮が他日に他国と交戦することがあってもなくても、今我が国と貴国とで締約する条約に加える事項に属しない」

李 「貴国と我が国との間に戦を交える場合に至っては、我が国に於いては兵を朝鮮に派すべし。そしてまた他国が朝鮮を朝鮮を侵す場合に於いてもまた同じく兵を派す」

大使「他日他国が朝鮮を侵し、ために貴国の利益を妨害する場合に於いて、貴国が朝鮮に兵を派すことが出来る権利があるのは、本大臣はすでに繰り返し弁明している。確かに本大臣が認めて貴国に権利があるとする所以のものは、朝鮮の独立不独立とも両方に関する問題に渉らないものである。もし他国が来て日本と朝鮮との間にある島々を占領することがあるなら、即ちこの侵略に対して防禦せざるを得ない。[ここで地図を示して、]もし他国がこの島を占領し、もしくはこれを攻撃し、我が国はそこに陸海軍の兵営を設けているようなことがあるなら、我が国力を尽してこれを防禦せねばならない。故に他国がもしこの島に即ち巨摩島と名づけるものを占領することがあるなら、貴国は同じく兵を遣って防禦せざるを得ない」

李 「閣下は他国を名指しして言うことを厭うのが甚だしい。まさにひたすらに他国の意を傷つけんことを恐れるようである」

大使「閣下が敢えて自ら恐れるところがないのは、貴国が大である故であるとは本大臣が既に諒解するところである。しかし我が小国に於ては敢えて他国の意を傷つけることを恐れざるを得ない」

李 「それは決して閣下の意中から出る言ではないであろう。本大臣はよくこれを知る」

大使「本大臣が今回の条約を締結した後に、両国政府は各委員2名を派して朝鮮に行かせ、以って条約の事項を施行し、兼ねてその項目の細目に渉るものについて彼此妥協酌定させる議をここに提出して閣下の高裁を得よう。本大臣は深く慮るのに、両国各委員を派して朝鮮に在って彼此と協議させ、両国駐兵の将官にはこのことを与り知らないようにさせることが得策と思うからである。閣下はどう思うか知らないが」

李 「委員を派遣することは我が国に於いて難事ではないが、本大臣から特に公文を発して我が将官に訓令を下せば事足りる。我が将官は敢えて本大臣の訓令に悖ることはできない。常に恭順であり従うものである。まして彼らは異国にあること久しく、故国を去ってからすでに3年恋慕の情自ずから禁ずること出来ず、いつか帰国の命が到るを佇み持つものたちであるから」

大使「閣下が人を疑うの念は実に深い。本大臣もまた少し閣下を疑わざるを得ない。事を生じる虞があるのを免れ、条約の事項を施行しやすいように、本大臣は両国政府から各委員を派遣することが強く必要であると思う」

李 「閣下の忠告に従って委員を派遣しなかったために、もし事端を生じることがあるなら、本大臣はまさにその責任を負う。すでに一旦約束を設けた上は、堅くこれを履行して少しも違うことはない。それらのことに関しては各国公使で何れも本大臣に信を置かない者はない」

大使「本大臣の忠告を容れなかったために、何等かの事端が起きるに至っても閣下がまさに責任を負わねばならない」

李 「どうして敢えて貴慮を煩わすことがあろうか。帰国の駐兵が既に朝鮮の地を撤回して、もし我が国の兵が本大臣の命令に違えて強いて該地に駐留せんとするようなら、本大臣はまさにその責任を追う。必ずそのような事の生じないことは本大臣の断じて疑わないところである」

大使「他日に事が生じることを防ぐには、なるべく細心の注意を要する。一旦事変が起るに及んでは、またどうともし難い。寧ろ初めから細心を以って事を処するのがよいことである」

李 「朝鮮に駐箚する我が兵は皆本大臣直轄の兵である。この兵は多くは本大臣の郷里から出ている。以って本大臣の命令することはよく遵守して少しも違うことがない。もし本大臣が我が政府の希望に沿うならば、両国が相互に撤兵する約束などは決して承諾できないものである。呉氏などもまた本大臣が閣下の発議に同意したことを喜ばず、頗る異論を唱えた。今回の条約調印の後に至るなら、我が政府枢要の職にある者は概ね皆、本大臣が閣下の為めにやむを得ずに条約を結んだことを不満に思い、本大臣に向かって非常なる攻撃をすることは必至である」

呉大澂「李中堂はすでに閣下の発議に同意した。本大臣はこの事に関し頗る異論がないとはいえないが、今日にあってはすでに容喙の権はない」

榎本「この条約はもとより両国のためにある。かりにも普通の感覚を持ち、将来を思う人ならば必ず容易にこの議を承服するだろう」

李 「他日、朝鮮に事があるときは、我が国は再び兵を派せざるを得ない故に、今我が国の兵を撤回するのは我が国のために別に利害痛痒はないと言うべし。もし他日に朝鮮に前日のような事変が生じたならば即ち我が国は義務として兵を派して朝鮮国王並びに政府を輔けざるを得ない。すでに朝鮮国王を輔翼することは我が国の義務である以上は、たとえ兵を派するを望まないでも派さざるを得ない。このことを明らかに条約中に載せることを要する。今、閣下の草案第二項に『若他国与朝鮮或有戦争或朝鮮有叛乱情事亦不在前条之例』」との文字を加えたい。

大使「閣下がこのような増補を主張される時は、我が国にとって相互均一の約束に成り立つものと認めることが出来ない。我が国が再び兵を派遣しない間は貴国に於いても再び兵を派することはないと、閣下は前回で述べられたのではなかったか。それなのに今また増補と。閣下が屡々新規の問題を提起して来て益々論難を生じることにより相互均一の主意を失うに至ろうとしている」

李 「朝鮮が他国と戦を開くか又は内乱が起ったときには、我が国に於いては兵を派して朝鮮国王並びに政府を助けないわけにいかない。これは我が国の義務にしてまた止むを得ないものである」

大使「それならば今閣下の承諾された撤兵の事は、ただ一時の約束に過ぎないとの意味か」

李 「他日に朝鮮に内乱が起ることがあるか又は外国から侵略するなどのような事変が現に生じない間は、我が国から再び兵を派することはないだろう」

大使「この条約案を見ても我が国が朝鮮を侵略する志を抱いていないことを察するに足るだろう。思うに、我が日本兵の現に京城に駐在するのを見て閣下が心に喜ばないことは、我が国が貴国兵の朝鮮に駐在するのを見て喜ばないのと同じである。閣下はかつて朝鮮を併合する意思はないと言うが、或いは却って自ら朝鮮内乱の機に乗じてその国土を侵略遷都するものではないのかとの嫌疑は、貴国もまた全く免れることは出来ない」

李 「閣下は既によく朝鮮政治の実情を知っておられるだろう。朝鮮には政治上多くの党派がある。それぞれで軋轢して互いに権を争う。この党派中に日本が朝鮮を略取せんことを恐れるものがある。本大臣が窃に思うに、朝鮮党(閔族)にこの恐れを抱かせたものは或いは榎本公使であろう。抑もこの党派は成って既に久しく、その権力も従って甚だ強大である。今日の日本党或いは支那党と称するものなどは、僅かに近年に起ったものであって、その実は虚名のみであって別に実力があるわけでもない」

大使「閣下の修正案に『或朝鮮有叛乱情事』の語がある。このような場合に臨んでは、我が国は予め貴国に知照せずに兵を派することが出来るという意味か」

李 「貴国が兵を派す時は、貴国は必ず我が政府に予め知照するを要する。我が国が兵を派すときも又同じく知照すべし」

大使「本大臣はその事に関して特に明条を設けるのを要せずとする。必要があるに臨んでは必ず双方互いに知照すべし。今この条約中に特にその明条を設けても何の益もないだけでなく、却って他日に難問を増すに過ぎない」

李 「それならばその事に関して別に条約を作ればよいだろう」

大使「いや、そのことも本大臣は異存あるところである」

李 「それならば将来朝鮮に於て叛乱又はその他の内乱が起った場合に於ても、我が国から朝鮮に兵を派することが出来ないという主意か」

大使「貴国が兵を派そうとする時は、兵を派する主意を以って直ぐに我が国に知照するのを要する。我が国はこの知照を得て、果たして朝鮮に兵を派する必要があるか否かを調べることが出来る。この事に関し別に条約を結ぶのは本大臣の断じて承諾することは出来ないところである。もし他日に我が国から兵を派することがある時は直ぐにその旨を貴国に知照すべし」

李 「すでに閣下の高論があった。本大臣は敢えて属国論に渉って議論しないだろう。ただ、ここに閣下に一言せざるを得ないものがある。朝鮮人は我が国を敬慕する念が甚だ深い。故にもし朝鮮に反乱などがあるに際しては、我が国はこれを鎮定するに便宜を有することが多いことである。これを以って朝鮮に事があって危急の際に於いては我が国は直ぐに兵を派してこれを救わねばならない。閣下がもしこれらの場合のために特に明条を設けて約束を結ぶのに抗論されるに於ては我が国にあっては僅々の寡少の兵を該地に派するために非常な困難に陥るだろう。我が国が朝鮮に兵を派する費用は少なくない。そしてこれは到底償還を得られないものであって、我が国の負担となるものである。我が国が何事を好んで徒に兵を派することをしようか。我が国はもとより朝鮮を併合せんとする志を懐かないことは又弁明するを要しない」

大使「或いはそうだろう。しかし本大臣にあっては閣下が述べられたところのものが果たして確実と認めることは出来ない」

李 「朝鮮人はかつて害を清国に加えていない。ただ日本を害せんとした」

大使「これまた閣下の憶測に過ぎない」

李 「朝鮮人が貴国人に害を加えたことは、本大臣が知るところ1回で止まず2回に及んでいる」

大使「それならば貴国は朝鮮と戦ったことは何回あるのか」

李 「閣下のその意味は昔日のことを問われるのだろう。朝鮮はもと独立の国であったが、明代の後に我が国は戦勝してその国を得た。今閣下には種々に異論がある。すなわち次の文を条約中に加えてはどうか」

 中国一面派兵一面知照日本事定後亦即撤兵回国不再留防

大使「その文には貴国の兵を駐留する期日を予め定めることは出来ない。他国の関係からして貴国が朝鮮に兵を派すのは本大臣がそれを承諾するが、その他のことによって兵を派すために特に条約を定めんとするのは本大臣が承諾できないところである」

李 「朝鮮の変乱に際してまさにその政府を輔けるのは我が国の義務である。例えば朝鮮国王が乱党に殺されることがあるなら、その警報が達するや否や我が国は直ぐに号令を我が軍隊に下し、瞬息の間に朝鮮に進軍させて国王の遺族を保護せねばならない義務がある」

大使「今閣下が発議されたように条項を加えることを固く主張するに於ては、本大臣は何等の条約を成すことなく、寧ろ今日の現状を保続して変えないほうがましである。このようであるなら双方の議論は到底帰着するところがないだろう」

李 「朝鮮政府に対して叛乱をおこす者があれば我が国は派兵する外はない。それをせずしてまた何をしようというのか」

大使「ただ朝鮮をまさに自ら護るに足る兵士を教練させて、徒に他国の援助を依頼させないようにするだけである」

李 「呉氏の草案第四項の明文に更に修正を加えれば必ず閣下の異議をなくし、本案の完結に至るだろう。よってその明文を次のように修正するなら閣下の意に沿うものがあろう」

[修正案]朝鮮国如有叛乱滋事該国王若請中国派兵弾圧中国一面派兵一面知照日本事定之後亦即撤兵回国不再留防

大使「今このような条項を加える時は、朝鮮は恰も日清両国に属する姿となる。朝鮮の内事に干渉するようなことは我が国の希望するところではない。朝鮮がまさに自ら弁理すべき事項は、必ず朝鮮がよく自らこれを弁理して敢えて他の干渉を容れるべきではない」

李 「朝鮮はまだかつて日本の属国であったことはない。これに反し朝鮮が我が属国である由来は実に久しい」

大使「朝鮮はかつて我が属国であったことがある。往昔に我が神功皇后が三韓を征服した後に朝鮮が我が属国であったことは、閣下はまだかつてこれを聞かないか」

李 「即ち明朝の代に日本の対馬及び釜山を占領した時のことを言われるのか」

大使「否、その時よりも遥かに数百年前のことである」

李 「対馬はもと朝鮮に属し、後世に至って朝鮮から日本に割譲した地ではないのか」

大使「否、決してそうではない。対馬は古より我が日本の国土内に属した地であって、釜山は当時我が人民の居留地である。我が国が朝鮮を侵略する意がないことは繰り返し証明したが、今閣下が提出されたよう条項は、断然これを条約中に加えることを抗論せざるを得ない」

李 「それならば閣下は我が国を見て果たして朝鮮を併呑する意があるものとされるか」

大使「それは或いはそうだろう。目下貴国を疑うべき証拠があるのではないが、また果たしてそのことかないとも言い難い。ただに我が国が朝鮮に望むところは、貴我両国が密着過ぎて却って軋轢を生じることがあるのを防ぐために、朝鮮を両国の間にある藩屏(垣)とさせようとするにある」

李 「我が国が果たして朝鮮を侵略する意があるならどうして今回のような条約を結ぶことを肯こうか」

大使「閣下は既に本案中に増補すべしと提出された呉氏草案の第四項の修正説は、実に貴我双方の間で妥協を妨げる一大障害であると言わざるを得ない」

李 「閣下は既に第一案について異論を起こされたので、今また呉氏草案の第四項に修正加え、事定まった後は即ち撤回することを増補せんと望む。我が国は兵を派するに当り、果たしてその必要があるか否か、また或いは鎮定したか否かを貴国駐在の我が国公使に問い合わせれば、その実情を得るだろう。もし鎮定した後に尚も兵を留めてこれを撤回させないようなことがあれば、我が国はもとより約束を違えた責を免れない」

大使「否、その増補説には決して同意することは出来ない。かりにも朝鮮の内政に関することは朝鮮に自らこれを措置させるべきである。朝鮮が常に易きに流れて、貴国に或いは英国に或いは露国に、一時の救援を求めるのを見るのは、本大臣が実に願わないことである。朝鮮がまさに自ら治めるべき事項は必ず朝鮮に自ら治めさせるべきである。今回の条約を成すのに相互均一の約束を以ってしないのなら、到底本大臣は承諾することは出来ない」

李 「朝鮮国内に叛乱あって、その為めに朝鮮国王が派兵を請うたときは義務として我が国に於いては兵を派せざるを得ない」

大使「それならば即ち貴国は更に全く駐兵を撤回しないことを可能とするものである」

李 「そのことが鎮定した後は撤回をするだろう。閣下が将来を慮られるのは、余りに甚だしい」

大使「今回の条約は必ず相互均一の約束に基づかねばならないことを主張せざるを得ない。閣下は我が国を疑う念は実に深い。余りに過慮とは閣下のことを言うのである」

李 「数年前には本大臣はやや貴国を疑うことがあったが、今日に及んでは全くその念を晴らすに至った」

大使「他国との関係から貴国が兵を派遣する権利があるのを容認して特に明条を掲げることは本大臣が承諾することが出来るが、その他の点に渉っては決して承諾することは出来ない」

李 「閣下の草案中の最後の二項を残し、意味を変えずに字句を少々修正を加えれば、果たして閣下の意に適うだろうか」

大使「閣下が本大臣の提出した草案の各項に対して異論があるに於ては、止むを得ず本大臣は条約によって朝鮮に兵を駐在できる権利を主張せざるを得ない」

李 「先ず一旦両国の兵を撤回すべし。そして貴国に於いては条約上朝鮮に兵を駐在する権利を保有することに妨げなし。そのときは即ち我が国に於いてもまた時宜に応じて何時でも兵を派すべし」

大使「それでは今日に至るまで彼此議論を尽くした効がない。今閣下の言うようなことは、一時の約束に過ぎず。一時の約束は以って貴我両国駐兵の間に将来の滋端を防ぐ主意に沿わない。且つ両国の和好を妨げんとする障碍を排除して前後の時宜を計るにおいて何等の効力がないことになる。これでは本当に中途半端となり、徒に易きに走るに他ならないことになる」

李 「我が国に於いては何時でも派兵できれば、将来該地において再び昨年のような変乱を生じさせないことは確実である」

大使「それならば即ち貴国に於いても朝鮮に兵を遣る必要はないだろう」

李 「本大臣はただ内乱を恐れるのである」

大使「今閣下の説に一旦我が国が兵を撤回した後は必ず再び変乱を生じないだろうと言われたではないか。それを信じるなら貴国もまた兵を遣る必要はないだろう」

李 「しかし朝鮮の内乱または叛乱がないとは断言し難い。閣下が本大臣の直言するのを許すなら、本大臣はまさに閣下に一言すべきものがある。過般一条の密報を得たのに、日本人はこの頃頻りに朝鮮政府を唆し、清国との関係を絶って、進んで独立の地位を取らせることに尽力すると。これはまさに政府の意ではないとしても、一旦このような場合を生じるに至るなら、我が国は勢い兵を派さねばならなくなるに至ろう」

大使「朝鮮政府に勧めるのに、清国に対して独立の地位を確かにするべしと言うのは必ずあるべき理である。なおかつ朝鮮人は自ら公言して、朝鮮人はなすべきこととして清国に対して独立の地位を維持することに力を尽さねばならない、と。これは要するにこれら瑣末の事項はこの席の議論に於て注意を要しないものである」

李 「日本は常に朝鮮を教唆するのにこのような不善をもってする」

大使「或いは我が国の一個人が朝鮮国王に国の独立を維持することを勧める者があるかも知れないが、その事は我が国にとっては更に関係ない。しかしただ閣下に一言すべきは、朝鮮は既に独立国の体面を全うして外国と条約を締結したことは更に争えない事実であって、閣下もまたこれを軽視できないであろう事である」

李 「我が国と朝鮮とに関する交渉の如何は敢えて尊慮を煩わす必要はない」

大使「本大臣もまた敢えて思慮を煩わさない。閣下がその事を開談したので閣下の論議に対して開陳しただけである」

李 「貴我双方の議論がこのようならば到底協議の好結果を結ぶことが出来ないことを恐れる」

呉大澂「雑談はしばらく置いて、今双方議論の要点に帰って議論を尽くさねばならない。我が方に於いては、閣下の草案第二項の増補を主張せざるを得ない。本項にこの増補をするのは将来に滋端の虞があるのを免れるためである」

大使「将来滋端の虞あることを免れるには、閣下の提出された増補説などは、更に何等の効があるものではない。かりにも善後の時宜を謀ろうと望めば、朝鮮国王に勧めて兵士を教練し、以って自らその国を護らせ、その自らまさに治むべき事項は徒に他国の救援に依頼せずに、自らこれを治めねばならない。これを以って本大臣の思考するところによれば、閣下の提出した増補説のようなものは、善後の時宜に於て更に何等の効があるものではない」

李 「もとより本大臣は朝鮮国王に、兵士を教練してその一身を護り、また国の治安を謀ることを勧めている。しかし朝鮮国王は自らこの計画を実施することは出来ない。数年経たずしてまさに我が国に再び派兵を懇請するの一事となるのは明らかなことである。さぞかし清国が朝鮮に派兵するのを見るのは、日本人には恰も清国が朝鮮の内治に干渉するように思うことがないではないだろうが、その実、我が国から彼の内政に干渉するようなことはない」

大使「その説は閣下の一家言に過ぎない。前きに朝鮮に貴国の兵を派遣された際に(清国)世論がこれを評したのは、大いに貴説に反するものだからである」

李 「先ず第二項の条款を改めて次のようにすればどうか」

前条の約款は従来朝鮮に於いて両国施行したる権利及び向後保有すべき権利と相渉るなし。

李 「このような明条を設ければ或いは貴意に適するだろうか。貴国は朝鮮を独立国と見、我が国は朝鮮を属国と見る。この両途に渉る問題は目下議論を要しない。ただ第二項の明文は以上の修正案のように大体の意義を掲げることで足りるとする」

大使「我が国は一たび朝鮮と条約を締結して以来、朝鮮の地位は我が国が判然として知るところである。貴国と朝鮮との交渉如何に関しては敢えて閣下に質す煩いをするを要しない。かつて外国政府から貴政府に質疑したのに、朝鮮の地位如何とあったのに対して貴政府がこれに答えたところの要領は本大臣が既にこれを知悉するを得た。外国侵略もしくは内乱などに際し、兵を派遣することを主張される間は、本大臣は閣下の発議を承諾することは出来ない。そもそも内乱の文字は何の事を指すのか。朝鮮のような国に於てはその域を判定するのは頗る難事に属するが、要するに派兵を必要とするような重要の事件ではないことは確かである。他国がもし朝鮮の国土を侵すようなことは、関係は甚だ重大なので本大臣はまさに閣下の議を容れるが、その他に渉っては断然これを拒否せざるを得ない」

李 「将来朝鮮に於いて何等の事変が再出するかは予め計れないものがある。故に今日無事の時に我が兵を徹して、将来に事があった時に再び我が兵を派せば、すなわち今日朝鮮におけるのと他日と異ならないことを得る」

大使「世界広しといえども未だかつて禍を好む国があるのを聞かない。他日にもし朝鮮に事がある日に当っては、両国相互に知照して共に妥協を遂げるべし。朝鮮の地に変が生じたときは、その事はひとり朝鮮のみに止まらず貴我両国共同の利益に影響することが軽くはない。これをもって本大臣は敢えてひとり朝鮮のためのみに謀るのではない。すなわち貴我両国の交渉を重んじ、大局を顧慮するにおいてそうせずにはおれない。しかしながら、禍のまだ起きない内にその事の如何を予定することは到底なし難い。故に条約中に特に明条を設けて相互に未定のことを約束するのも更に効のないことは本大臣が断じて疑わない。且つ徒に朝鮮の主権に渉って貴国の所見を論駁し、ために今日の難問を醸すようなことは本大臣がもとより願わないことである。願わくは閣下も徒に朝鮮の内政に干渉してみだりに紛糾の端を開くことのないことを。本大臣が命を奉じてここに来たのは、朝鮮の独立論を議し、貴国の主権を公認するためではない。閣下は宜しく我が意を諒察すべし。閣下は強いて朝鮮の主権論に渉って事を議されんとするなら、そもそも本大臣の使命を、閣下は貴国の朝鮮における交渉の事件を協議する為めであると思惟されるかを問わざるを得ない。これが本大臣が敢えて閣下の発議に承諾することが出来ない所以である」

李 「貴意の存するところは深くこれを諒解する。しかし、本大臣は敢えて我が国の朝鮮に於ける主権に関して閣下の公認を煩わさんとするのではない。そもそも朝鮮が我が属国であると否とは全く別事であって、今本大臣の今回条約書中に増補せんとする約款と少しも相渉ることはない。本大臣が増補せんとするものは、ただ旧来両国の朝鮮に於て施行したる権利は前条の約款と相渉ることのない云々の意を以ってせんとするにある。請う。これを諒解せよ」

大使「今回の条約書中に載せるところの約款は、旧来両国の施行した権利と相渉らないことが、果たして閣下の説のようならば特に明条を設ける必要はない。本大臣の見るところでは、将来に滋端の虞あることを免れるには、寧ろこのような明条を設けないほうが善い」

李 「閣下の高案第二項にその増補を加えるか、又は呉氏の草案第四項を転用するか、閣下はこの両方についてその1つを採択すべし。朝鮮に内乱があるにあたりては、我が国が兵を派して国王を保護するのは我が国の義務である。朝鮮国王がその位に登るのは、我が皇帝陛下が封するところによるものである」

大使「閣下の談論はかりにもその事に渉って特に朝鮮政治上の地位に渉るようならば、本大臣は閣下の言を以って朝鮮の主権論に関して本大臣の認諾を求められるものと見なす」

李 「如何せん、その実質は既に衆人のよく知るところなので」

大使「そのことはこの席で議論すべき要件ではない」

李 「その事は我が国の朝鮮における主権に関する。敢えてまた貴国政府の認諾を煩わせるものではない」

大使「以前に閣下は朝鮮国と合衆国との条約書の冒頭に、朝鮮は中国の属邦たり云々の文字を掲げようと謀った後に、遂に合衆国のためにその草案中のその字を削除されるに至った。閣下は何故その明文を削除することを承諾されたのか、敢えて問う」

李 「朝鮮は中国の属邦たりの数字はこれを条約書中に掲げずと雖も、当時米国公使と本大臣との間に互いに照会文を行い、以ってその事を書したり」

大使「その事を照会文に書して果たして何の効があるか。照会文は約束の効を有しない。まさに双方約束して後日に効果あるべきものは条約のみである」

李 「通常の照会文ではなく、まさに条約の一斑に属すべきものである」

大使「まことによい。苟も両国の間にこの類の条約を締約するにあたっては、各人民の上に効力を有させるために必ずこれをその国中に布告すべきものであることは、おそらく閣下が熟知されるところである。それなのに貴説の照会文は未だかつて朝鮮に於いて、或いは米国に於いて布告されたことを聞かない」

李 「請う。他事を談じるのを休め。談判の要件に移るべし。本大臣が今提出した発議はなお閣下の異論を挟むところであるに於ては、本大臣は閣下の草案中に僅かに最後の二項を残して悉くその他を削除する外はない」

大使「このような条約は本大臣の断じて調印することは出来ないことである」

李 「それならば条約でなくて専条をもってするべきである。今回のことに関して約を立てて両条の明文を以てその意を尽すに足る。またどうして徒に条項を羅列して文飾をしようか」

大使「たとえ閣下の発議に従って専條を以って立約したとしても、苟も両国のその各便宜に応じて、何時でも兵を派する権利を保有するに於ては、更に訂約する用はない。数日来から弁論を費やした結果は、一時両国の駐兵を撤回するに過ぎず、一時の撤兵は以って遠く朝鮮の将来の静謐を謀り、永く貴我両国の隣誼を保続する良計となすに足りない。果たしてこのようならば則ち本大臣は使命を奉じて貴国に来た結果が終に善後事宜を定めることが出来ず、徒に2ヶ月間の日時を浪費しただけと言う外はない」

李 「これは本大臣閣下の高案中の最後の二項を以って今回の訂約とするべしということである」

大使「その説は少しも本大臣の素懐にかなわない」

李 「両国間は常に和好を存続するので閣下の説のように必ず詳細の立約をするのを要しない」

大使「本大臣の草案に必ず修正を加えられんと言うならば、次のように文字を改めるに止めれば、本大臣はまさに肯諾することが出来るものである」

[修正案]朝鮮に変乱あり、朝鮮国が若し両国の内、その一方に兵を派して弾圧せんことを請うようなことがあるなら、両国は各その一方の承諾を得て、後に該地に兵を派することを得る権利を保有する。

李 「閣下の草案中最後の二款は甚だ簡約にしてよくその意を尽している。実に採るべきものである。我が国に於いては向来急変によって止むを得ない外は、更に該地に派兵することはないだろう」

大使「外国の侵略に渉るものに至っては事態は甚だ重大である故にこれを明条に載せることは本大臣はこれを承諾すべしであるが、その他の事項に渉るものに至っては断然これを拒否せざるを得ない」

李 「他国が朝鮮を侵略せんとするような場合に於いてはもとより派兵の権を有すればである。これを以って前条の約款を削除し、最後の二款を残すのを善しとする」

大使「今回両国の兵を徹した後に、貴国がもし兵を派することがあるなら今日の談論の効は果たしてどこにあろうか」

李 「両国は兵を徹した後は、その後に更に紛議あるべからず。そして朝鮮が常に静謐であるなら我が国から再び兵を派する必要はないだろう。我が国より兵を朝鮮に派する費用はまさにここから節約することを得るべきである」

大使「閣下は更に朝鮮に兵を派することを主張するに於ては、則ち更に談論を要することなく且つ初めからこれを撤回せざるに如かず」

李 「最後の二項を合わせて一項とし、以って今回の約とするに充分であると言うべし」

大使「双方の意見の異なる所は甚だ大なり。本日は論談をここに止め、願わくは諸君は本大臣と食を共にするの歓を尽されんことを」

 時に午後7時であった。

 

・ まず伊藤大使が提出した条約案を見ると、たとえ朝鮮国内に事があっても日清両国は委員を派すだけで、派兵はしないという点に特徴がある。
・ それに対して呉の案は、朝鮮兵教練のための仕官複数の駐在、また乱党による事件などがあった場合は朝鮮国王からの請求に応じて弾圧のための派兵をすると。
・李は、朝鮮を保護するのが中国の義務であり、他国が朝鮮を侵略した場合、また叛乱があった場合は、派兵するのも止むを得ないと主張。
・ 伊藤は、他国が朝鮮国を侵略した時は清国が派兵するのを認めるが、内乱の場合も派兵することには反対。朝鮮国は他国に依頼せず自ら護り自ら内治すべきである、と主張。
・「行文知照」のことは、派兵に拘る清国が主張したものであり、伊藤大使はそもそも派兵そのものに反対であり、ましてそれを条約文に載せることは「却って他日に難問を増すに過ぎない」と。まさにその警告は9年後に的中する。

・ 当初双方は、朝鮮の独立属国問題の議論は避けようとしたが、派兵を巡る議論の中についに正面から採り上げることに。
・ 李鴻章曰く「(原文)朝鮮に内乱の事あるに方ては、我国兵を派して国王を保護すべきは即ち我国の義務なり。朝鮮国王の其位に登るは我皇帝陛下の封する所に依るものなり。(「天津条約ノ締結」B06150031800のp196)」と。つまりは朝鮮は清国冊封の国ということですな。無論、冊封とは「貿易許可」を意味するのではない。皇帝命令書である冊を以ってその国の領土を与えて王とする位を、宗主国皇帝が授けるのである。それも皇帝の臣下の地位に。

 しかし次のやり取りは興味深い。

大使「以前に閣下は朝鮮国と合衆国との条約書の冒頭に、朝鮮は中国の属邦たり云々の文字を掲げようと謀った後に、遂に合衆国のためにその草案中のその字を削除されるに至った。閣下は何故その明文を削除することを承諾されたのか、敢えて問う」

 「朝鮮は中国の属邦たりの数字はこれを条約書中に掲げずと雖も、当時米国公使と本大臣との間に互いに照会文を行い、以ってその事を書したり」

大使「その事を照会文に書して果たして何の効があるか。照会文は約束の効を有しない。まさに双方約束して後日に効果あるべきものは条約のみである」

 「通常の照会文ではなく、まさに条約の一斑に属すべきものである」

大使「まことによい。苟も両国の間にこの類の条約を締約するにあたっては、各人民の上に効力を有させるために必ずこれをその国中に布告すべきものであることは、おそらく閣下が熟知されるところである。それなのに貴説の照会文は未だかつて朝鮮に於いて、或いは米国に於いて布告されたことを聞かない」

 「請う。他事を談じるのを休め。談判の要件に移るべし。・・・・」

 李鴻章怒ったか?w

 しかし伊藤のこの論法は、朝鮮が属国であったことをどうでも認めたくない現代の人も使えるかもw
 まあそれでも中朝条約があるから意味ないのだが。

 伊藤は最後まで派兵を認めることの条文に頑なに反対したのだが・・・・。然して井上外務卿の伊藤特派大使に対する調令にあるように、もし派兵を認めるということになるなら、「仮令一時目前の平和を保たんとするも歳月を出ずして漢城の変再三に発し、両国政府は其の預計する所の外に於て遂に看す看す大局を破るの不幸に陥るを免れざらんとす。而して事を滋し釁を啓くの責は即ち清国の自ら任ずる所とならんとす」とある如く、後の日清戦争の端はこの時に既に開かれたり。
 尤も清国にしてみれば、朝鮮はかつて戦勝して降した国であり、それをむざむざ独立させるようなことは出来なかったであろうし、まあ思えば朝鮮を服属させたこと自体が最も不幸なことであったと言う外はない。
 んー、併合した日本も・・か・・・orz

 とにかく朝鮮を属国として当らねばならない清国と、独立国として自護自治するを望む日本の、動かし難い基本的な対立点がここにあった。

 しかし議論の中で話が元寇高麗のことにまで及ぶとは。豊臣秀吉の朝鮮出兵のことを言いたかったらしい李鴻章が先に歴史問題を仕掛けたからであるが。属国問題では伊藤が神功皇后の三韓征伐まで持ち出したのには爆笑。史実はともかく百済新羅が倭に人質を差し出していたのは確かなのであるから、李鴻章の言説をとことん論駁して止まない伊藤の凄さでもあろう。しかし対馬の帰属問題まで出てくるとはねえ。

 

 翌日13日、榎本武揚公使は井上外務卿宛てに以下のように打電。(「天津条約ノ締結」B06150031800のp200)
・ 交渉は危機に瀕した。
・ 李鴻章は撤兵の事は恒久は拒否して一時的のことのみを承諾した。
・ 朝鮮で争乱があった場合には兵を派する権利を保有していると言い、朝鮮に対する宗主国としての権を主張した。
・今後妥協点がないなら交渉は決裂するだろう。
・他の点は仲裁のことを出せば同意があるかもしれない。

 井上外務卿からの電訓は4月9日以来何とも言ってきていない。おそらく、伊藤に任せておこうという判断だったのだろう。後の榎本公使の報告によれば、次回談判前日の14日夜、伊藤は榎本に、撤兵の件に付いて明日も前回のようならば愈々談判決裂も辞さず、との決心を述べたという。(「天津条約ノ締結」B06150031800のp238)

 ようするに問題点は、撤兵の後にもし再び清国が朝鮮に派兵した場合に於いて、日本公館や日本人居留民が再度どのような不測の事態を被るか分からないことにある。
 ただに朝鮮国における日本国の権益のみならず、在外居留民の生命と財産を守ることは国民国家たる日本がこの後も苦慮していくことになる重大責務であった。
 おそらくこの時点で、清兵に対する日本人の信用度は限りなくゼロであったろうし。

 かといって、永久に派兵を容認することはできないとは又言い難いものがある。これまでの中朝間の歴史上、朝鮮国王の要請によるなどの清兵派遣は無理からぬことでもあった。よって清国の派兵を容認するとして、それに対抗でき得る処置は日本もまた日本側保護の兵を派遣するということ以外にはないことになる。

 伊藤は、日清両国均等の処置として、当然日本もまた朝鮮に派兵する権利があることを清国側に要求することとし、それを草案に織り込んだ。聊か井上外務卿の調令とは違う方向となるのだが止むを得ないことではあったろう。

 ついに第6回目の談判は4月15日午後3時、天津水師営務処に於いて開かれた。

(「天津条約ノ締結」B06150031800のp200より現代語に、()は筆者。)

大使「前回に於いて、不幸にも撤兵の事は終に一定の帰着を得ずして止まった。よって愈々妥協を得る目的を以ってなお論議を尽さざるを得ない。以後本大臣はこの件について沈思熟慮するところがあった。思うに閣下もまた同じく潜心考案されたであろうと信じる」

李 「本大臣もまた細心留意するところがあった。そして先日に本大臣が提出した草案は現に双方の意に適うものであると益々感ずるに至った。然るに閣下は何故にこの草案を意に適しないとされるのか。本大臣が了解に苦しむところである」

大使「既に繰り返し討議して以来本大臣もまた注思再考したが、到底双方の意見の異なる所は閣下の主張されるところによって双方均一の主意を完備しない一事にある。要するにあの二項を増補することがないなら却って本案の各款は簡明となるを得よう。閣下の説によれば、本大臣が提出した草案中の最後の二項以外は悉くこれを削除しようとするにある。しかし最後の二項のみではまだ全案の趣意を尽すに足りない。故に幾分かこれに増補を加えざるを得ない。談判筆記を熟覧すると貴政府の意はこの約書中に相互均一の明条を設けるのに異論がないのは既に明瞭であって、本大臣がまた疑いを容れないことである。もし他日に事変が起り、両国が派兵する必要があるに於ては、前もって報知せさることを定めねばならない。そもそも我が国に於いて兵を派するは非常の場合に限り、両国の商民或いは一個人の間に争端を生じたなどで派兵しないようにするべきである。一旦、止むを得ない必要があって兵を派しても、事が治まった後は直ぐに撤兵せねばならない」

李 「閣下は更に草案を作られたか」

大使「然り。願わくはこの上に多少の故障がないことを」

[以下に草案の写しを載せる。]

一 議定、両国各駐紮朝鮮之兵、自画押蓋印之日起以四個月為期限内各行尽数撤回、以免有両国滋端之虞、大清国兵由馬山浦撤去、大日本兵由仁川港撤去。

一 両国均允勧朝鮮国王、使其教練兵士、足以自護治安、又由朝鮮国王選他外国武弁一人或数人、委以教演之事。

一 将来於朝鮮国、若有紛難、両国或一国要派兵、応先互行文知照、及其事定仍即撤回、不再留防。

李 「[草案を熟覧して]大体については異論がないが、聊か字句を修正したい。我が国に於いては朝鮮に重大なる変乱が起ったときは又兵を派せざるを得ない。故に第三項を改めて『朝鮮国若有変乱重大事件、中日両国或一国要派兵云々』との明文を掲げることを望む」

大使「第三項の修正は別に本大臣に於いて異論を挟むところはないが、そもそもこの草案の趣意は、両国共に朝鮮に兵を派する要があるのは最も重大な場合のみに限り、瑣末の事件では出兵しないことを両国が相互に約束するにある。おそらくこの事は閣下に於ても明らかに了解されねばならないものである」

李 「実にそうである。例えば露国が朝鮮を侵略せんとする時は、我が国は直ぐに出兵せざるを得ない。その他これに等しい重大事件が起ったときもまた兵を派すだろう。尤もこの場合に於いては直ぐに貴政府に通報しよう」

大使「よろしい。今閣下の述べられたことは永く記憶して忘れることはないだろう」

李 「今本大臣が述べた露国が朝鮮を窺うことは、ただ貴我両国全権大臣の密諾として互いに記憶することを希望する」

呉大澂「他日朝鮮に危急の変を生じたときは、本大臣は職が武官であるので必ず貴国の将官と協議することがあるだろう。しかし将来にこのような凶事がないことを願う」

大使「本大臣もまたその意に外ならない」

李 「この草案に加筆した点は僅かに字句を修正するに止まり、別に弁ずる要がないと信じる。その他の事項は皆本大臣に於て承諾する」

大使「承諾した。ただ文字の修正に止まり意義に変動ない以上は、本大臣もまた意義なし。これに於いて本案は全く協議が整った」

[字句の修正は、第一に大清国を中国とし、大日本国の大を削除し、第二項の「教練」の上の「使其」の2字を削り。その下に「以」、「選」の下に「傭」の字を加え、第三項の朝鮮国の上の「於」の字を削る。皆意義に異同ないので英文筆記には載せず。]

李 「この条約の手続きに付き、閣下と議するところがあろう。我が国の例として、およそ外国と訂約するに当り、我が国は先ず漢文を作り、その外国使臣は自国文を作るのである。故に今般のこともまた我が方に於て漢文を製し、貴方に於ては日本文を製されることを望む。又皇帝批准のことは互いに正式を守って交換の手続きを経るときは、徒に煩いを醸して時を費やすを以って、両皇帝批准の後に互いに通知するに止め大いに簡便を得るべし」

大使「まことに貴説の通りである。しかし漫然と批准の後と言うよりは寧ろ互いに時期を定めて通知することを約すべし」

李 「もとより謂われなく遷延することはない。今日まで討論を審議してほぼ閣下の意に適するために本大臣は非常の譲与をした。この上はただ批准を待つだけである。しかし我が政府が認可するや否やに至っては本大臣が甚だ危惧するところである」

大使「閣下のいわゆる批准は、一国の君主たる者が常に享有して信義を以ってこれを実行する批准であることと信じる。また閣下は画押蓋印の権を有するにより、ここに本大臣と本案を商弁立約するところのものは皆終局の決定であることを付言する」

李 「とにかく我が皇帝陛下の批准は必ずこれを要する。初め呉氏の起稿した草案によれば朝鮮に兵を派す権はひとり我が国のみ保有すべきとの意味であった。すなわち氏の草案第四条にある。そもそも氏の意見は誠に簡単であって明白なる理由があった。曰く『我が国は何時を問わず便宜兵を朝鮮に派す権を有する。これに反して貴国の朝鮮におけるのは条約上の交渉あるのみに依るを以って、再び兵を派す必要のないことである』と。事理は既にこのようになったので本大臣は呉氏を説いてこの非常なる譲与に同意させたので、本大臣の苦心努力は恐らく閣下の想像外にあるだろう」

大使「ただこの上は批准について一定の期日を約するを要する。貴方に於いておよそ何日の後にこれの知照を得られようか」

李 「この条約に蓋印した後に4ヶ月を期して両国の兵を撤回するだろう」

大使「その事は既に確定した。今本大臣が閣下に問うのは、およそ何日の後に批准を報知するのを得るという一事である。ただし批准の知照は両国兵の撤回を挙行する前にその方でこれをなさねばならない」

李 「既に貴我両全権大臣の間に議論した結果を総理衙門を経て我が皇帝陛下に上奏する時、北京に於いては顕職にある者を召集して会議させることを例則とする。故に我が国から批准を知照するにはかなりの日数を要する」

大使「貴政府において会議を尽さないのは全く貴政府の内事であって、本大臣の与り知るところではない。これを以って本大臣は予め期日を定めて双方の知照の日を約さねばならないのである」

李 「それならば先ず2ヶ月以内と約すべし。閣下の持つ委任状の旨に従えば、およそ閣下の訂約するところのものは後の批准を要しないとある。しかし本大臣の訂約するところは必ず批准を経ねばならない。これは閣下の帯びる権が遥かに本大臣の権を超えるからである」

大使「しかし既に貴方が批准を必要とせねばならないとするなら、双方均しく手続きを経ることを望み、我が国に於いても批准を経ることとしよう」

李 「貴国が朝鮮を併呑するの念は少しもないと保証されるも、もし他国が朝鮮の国土を侵したときは、貴我両国は連携して防護の方法を講じねばならない」

大使「朝鮮が今日の状況を永く維持することの希望に堪えない」

李 「もし貴我両国の間で密約を結ぶことがあるなら、露国は決して力を朝鮮に試みることはないだろう。かつて露国公使に面会した時その意見を聞くと公使が答えるのに、露国は少しも朝鮮に対して望みを繋ぐことはない。なぜならば露国政府はシベリア地方に施すべき政策がまだ全て終わっていないからである等の言を以ってした。しかし英仏独三国の公使らは本大臣に告げて、露国は朝鮮を侵略する意が勃々としてあると言った。二つはその主旨が全く反対である。閣下は果たしていずれを信じいずれを疑われるか」

大使「恐らくは英仏独三国の公使は、公然たる使節の資格で述べたのではないだろう」

李 「もとよりこれは閑談に過ぎない。決して公然たる資格で応答したものではない」

大使「本大臣はこの問題に答えるのに、露国公使の言を信ずると言わざるを得ない。およそ国と国との交際において互いに疑うときは、終にその間に事端を開き、容易ならざる変動を招くに至ることがある。故にその事の実績を顕さない間は、断じて露国が害心あると明言することは出来ない」

李 「朝鮮は我が国に接した国である。以前から朝鮮の警戒のことについては、我が国は深く心に銘じて疎かに出来ない」

大使「苟も一国たるもの、その国土を防護するために当然の警戒がなければならない」

李 「聞くことに、露国はウラジオストックに海軍屯所を設けているが、この地は氷結して四季なお融解することはない。これにより露国が東洋に良港を得ようとする意は頻りであると。露国の今日の急務は実に東洋に一良港を占領するにあり、勢いこのようなれば、或いは露国は数年を経たずして必ず東洋に大事を挙げることを疑う。もし一旦露国が良港を朝鮮海に得て海軍屯所をそこに設けるに至るならば、貴我両国に影響するは決して軽いものではない。閣下が露国の将来の挙動について見るところがあるなら、垂教を惜しむ勿れ」

大使「その事については流言の説が頗る多いと言えども、本大臣が自ら見聞するところによれば、いずれも確たる証拠がない」

李 「ウラジオストックは1年の内に5ヶ月を除く外は常に氷結すると聞く。元山津は果たして良港なのか」

大使「良港ではないと聞く」

李 「日ごろ米国人英国人で元山津を経てこの地に来た者は、本大臣に告げるのに良港であると言う」

大使「元山津のことを言われるのか」

李 「過日、英国水師提督及び米国水師提督は、2日間元山津を測量して帰り、報じたのに良港であると。閣下は必ずこの良港を忘れること勿れ。そうでないなら終に他の手に落ちるに至ろう」

大使「元山津はいかなる良港か知らないが、およそ港の良否を判別するのはその大小がどうかを知るにある。そして大小は大船巨船を繋泊するに適するか否かにある」

李 「元山津は船の舳艫が接しても差し支えない良港であって且つ年中氷結の憂いがないという」

大使「否、冬季においては氷結の憂いあると聞く」

李 「本大臣が聞くところによればそうではない」

大使「その事は貴我の問件ではないので、請う、しばらく話を休むことを。撤兵のことは既に条約草案も議決した。ついては、我が談判を要する3件の内、既に9分は妥協を経たが、他の2件は閣下には果たしてこれを処弁すべきか」

李 「その2件については、この上議論しないことを善しとする。そうでないならまた論争せざるを得ないことになる」

大使「撤兵の件は則ち我が要求の1であって、他の2件とは全く性質の異なるものである。既にこれらについては過日来閣下に詳述した。故に他の2件について貴方から断然決答があることを望む。本大臣は必ず我が要求に付き満足を得ないわけにいかない。過日閣下の説に、我が将官を罰っせんとするなら又竹添公使をも罰すべしと言われたことを今なお脳裏に記憶している。既に今日に至っては双方共に満足を得るべく妥当な局を結ぶことに力を尽さねばならない」

李 「それならば則ち撤兵の事に関し、閣下のかつて主張されたように相互均一を主としてこの問件を協定してはならないことになる。つまりはその均一というのは、咎めを我が将官及び竹添公使に均しく帰することであり、本大臣個人が見てもこの件を協定する道を他に求めることは出来ない」

大使「閣下の一家言を以ってするなら本件を協定するのに、その方法を以ってすることを望まれようが、本大臣が繰り返し詳論したものは、もとより本大臣一個の意見ではない。即ち我が国一国の所見であることは、閣下の既に了知されるところであろう」

李 「それならばこの件について閣下の見るところはどこにあるのか。幸い教えを乞う」

大使「本大臣の卑見によれば、咎めの帰すべきはひとり貴将官であることを信じて疑わない」

李 「閣下の高見が今述べられたよう事ならば、全く本大臣の所見と反対なので到底協議を遂げる望みはないようである」

大使「そうであるとしても両国の和好を重んじ、双方の意に適するべく協議を遂げる外はない」

李 「これを以って本大臣は閣下に懇請するに、報酬として我が方にもまた満足を与えられんことを。竹添公使はかつて貴国領事としてこの地に駐箚され、本大臣等、公使と相識ることが久しい。そして閣下は今我が将官の処罰を要求されるも、本大臣の旧識である竹添公使の罪を鳴らして処罰あることを主張するのは実に本心に於いて忍びないことである」

大使「或いは情においてはそうであろうが、今回のことは苟も私交に関しないことである」

李 「然り。故に閣下はこの一方に向かって主張される時は、本大臣はまた止むを得ず彼の一方に向かって主張せざるを得ない」

大使「何等の情があるも決してこの案件を放棄することは出来ない。既に閣下に対して反復詳論したように、貴政府は必ず貴将官の行為について処分するところがあらねばならない旨を主張する外はない」

李 「果たしてそうなら竹添公使も処罰せねばならない」

大使「その事については既に説明を尽して余りあることはない。そもそも何の理由があって本大臣がこの要求をするかは、既に閣下の知悉されるところである。竹添公使の行為は専心一意その駐箚国の国王の再々の求めに応じたものであって、いずれの点から論ずるも竹添公使の行為は1つとして正理にかなわないものはない。これに反して貴国将官はそもそも何等の理由があって竹添公使を銃撃したのか。将官の行為は1つとして不法の攻撃を加えたものではないと認めることは出来ない。その他貴国兵が京城居留の我が臣民に凶暴を行ったことに付き、現に惨状を目撃した我が臣民の供述を徴収して既に前回に於いて貴聞に供した。思うに閣下は深く意を留めてその詳細を知られたであろう。これらは本案自体に関する極めて重大なものであると諒察してなお潜心再考されんことを望む」

李 「本大臣は我が将官が竹添公使に銃撃を加えたことは更に事実と認め難い。なぜならば我が将官もまた国王を保護するために王宮に入った外に他意ないからである。当日朝鮮の官民は共に我が軍営の軍門に来て、兵を率いて王宮に入って国王を保護することを嘆願した。これに於いて我が将官はその願いを容れて国王の一身の危険を恐れ、止むを得ず兵を率いて王宮に赴くに至った。そして王宮に入らんとする時に不意に城中から先ず銃を発せられた。もとより我が将官は貴国公使及びその護衛兵を銃撃する思いはなかった。かつて閣下が述べられたように城内には韓兵の守備があり、そして貴我の兵は共に隔絶していた。故に我が兵が先ず発砲したとするときは、理はまさに韓兵を攻撃せざるを得ない。これに依って見れば、我が兵が貴国兵を攻撃することは出来ないことは瞭然たるものである」

大使「我が方に於てもまたそうである」

李 「これゆえに双方の咎めは帰するところはないと言える」

大使「そうであるが、当時の事実歴々として明らかにせねばならない。その貴国兵から攻撃を加えたことは明白となる。故に本大臣に於いては貴政府から相当の満足を得ることを要求するのである」

李 「我が将官が貴国兵を攻撃する念慮のないのは瞭然たる証拠がある。もし我が将官が初めから悪意を持つときは、竹添公使に書を送る謂れはない。そして我が政府は将官を罰することは躊躇することはないが、如何せん、当日の朝に書を竹添公使に送って予め告げたのは、貴国兵に向かって害心のないことを見るに足るものがある」

大使「本大臣は前三回の談判に於いて確証を提げて我が要求の基づくところを細大漏らさず詳らかに閣下に述べた。故にこの上議論を尽くすのも双方が固持するところを反復するに止まり、徒に日時を費やすのみである。依って本日は、単に貴将官の銃撃の事、並びに貴国兵が凶暴を我が臣民に加えたことに関し、相当の満足を求めることに付いて判然たる決答を得ることを請求する」

李 「既に弁明したように貴国臣民の提出した証拠はまだ事実を確定するに足りない。この証拠を熟覧するに、我が兵が現に暴行を行ったことを自ら目撃した証ではなくて、ただ伝聞想像に関わるものに過ぎない」

大使「請う。失言する勿れ。もしその供述を熟覧したら即ち実況を目撃した証人の供述したものであるのを発見するべし」

李 「京城変乱の時に当って、上下周章雑踏の間、殆ど清韓両兵を判別しなかったことに依ることがあるべし」

大使「我が臣民の朝鮮に居留する者で、よく貴国兵と韓兵とを識別しない者があろうか。本大臣はその点については毫末も疑いを容れない。仮にも韓兵が凶害を加えたとして、それを偽証して貴国兵と言うことに何の利益があろうか。この一事から察してもなお我が遭難臣民の供述は明白なる事実とするに足るべし」

李 「しかし貴国臣民は或いは我が駐兵と商民の識別を誤ったかも知れないのである。仮にも貴国臣民は凶害を我が兵に受けたとしても、その証拠を調べると一つも我が兵であるとの実証を挙げてない。これはその凶行者は我が兵であると立証出来てないことに由る」

大使「変は急激に起こり、残虐暴戻到らざることのない修羅の一場に臨んで、どうしてこの供述よりも更に綿密なる証拠を得るべきなのか。普通の感覚を有する人にこれを判断させれば、その証拠の不備を言う者があろうか」

李 「あるいはそうだろう。たとえ閣下が何と言われるも我が方に於ては1つの確証も有しないので、この案件を決定するに由なきなのは如何せん。ただ我が官吏にその事実を調査させ、そしてその後に証拠を募集する外に方途はない」

大使「仮に閣下が自らその事実を調査し、果たして貴国兵の中に大罪を犯した者を得たら、則ち閣下はまさに如何にこれを処分しようか。閣下は果たしてよく貴国の軍律に従ってこれを処分するだろうか」

李 「本大臣は我が兵の内に、果たしても犯罪人を発見するなら必ず処するのに、我が陸軍軍律を以ってするだろう。もしその犯人が通常人ならば直ぐに斬罪に処すべしであるが、先ず日本人に凶暴を行うのを目撃した者の証拠を得なければならない。そして一度その証に依って我が法衙の審理を経た後に、果たして有罪と判断された者は、決してその刑を免れることは出来ない。しかしこの事に関して提供された事実の証拠にして他に確然たる証拠があって、為めに他日に万一にも無効に帰することがあるなら、実に閣下の為めに惜しいことであると思うものである。その他の事は瑣末に属することである」

大使「閣下は今回の事件を以って、その関するところは重大でないと言うが、我が方にあっては実に重大の事と認めざるを得ない」

李 「本大臣は既に承諾した事項の外に、更に承諾することは出来ない。しかし我が兵の中に果たして有罪と決せられた者があれば、もとより刑に処すべし。これらの事に至っては、本大臣は専ら公平を旨とし、更に仮借するところはない」

大使「貴意を了した。それでは閣下が今陳述されたことを書にすることを得られるか。なおこれを詳述すれば、閣下は貴国の官吏に事実を調査させ、果たして兵営の中に我が臣民に凶害をくわえた者があるや否やを審議することを書し、その文を本大臣に与えられようか」

李 「もとより妨げなし。則ち公文を送って閣下に告げるに本大臣は尚この件の調査を遂げ、然る後に果たして我が兵の中に犯人を得れば必ず陸軍軍律に従って処分すべし、との意を表す」

大使「将官処罰の件に至っては、既に互いに議論を尽くしたが、閣下が本大臣の請求を容れないならば終に協議を遂げることが出来ない恐れがある」

李 「双方が固持する理由ある内は、到底協議の望みはない。例えば我が将官は当日の朝8時に於て書を竹添公使に送ったと言い、公使は午後3時に至るまでこれを接取しないと言う。その齟齬の甚だしさはこのようなものである。そしてこの書翰は本件を決定するに於て最も重大の証拠とする。なぜならば書中で公使に告げるのに、国王一身の安全を保護する為めに、且つはその護衛兵を輔けるために来る、等の文字があるからである。またそれは貴国公使並びにその護衛兵に対して少しも害心を含まないことを証明するに足るものである」

大使「貴将官が果たして害心がないのは今既に閣下の述べられたようなことかもしれないが、如何せん、現に形跡を残した事実により考えるときは、貴将官の行為は全くその書翰に言うものと表裏し、既に該書翰に述べるように貴将官の意が果たして我が公使及び護衛兵を輔けるにあるなら、必ず我が公使に向かって既に述べたように不正の銃撃を加えるには至らなかっただろう。これは要するに貴将官は書に筆したものと実に行うものとが全く表裏反覆したものであると言わざるを得ない」

李 「もし竹添公使にしてこの返書を送って我が将官に告げるに、兵を率いて王宮に入る必要があるか否か、或いはその他に渉って協議していたら、このような両国兵の軋轢を免れたのは疑いない。又竹添公使は人を遣って我が将官と協議させることがあったか。或いは自ら我が軍営に至って事を計ったらよいが、同公使は一つもこのような注意をしたことはない。殊に同公使は当時書記官を伴ったので自ら我が将官と協議出来ただけでなく、書記官にさせることも出来た。いずれも今日の難問を避けることに乏しからずも、同公使はこれらのことを尽さなかった」

大使「しかし一旦事が発した後に至っては、今閣下の述べられるような手続きは竹添公使においては尽す余裕があったとの理はない。まして同公使は貴国兵が王宮に入る前に於てこれを知るに由ないに於ては。また貴将官の当日午前に寄越したと言われる書翰は午後の時に既に移った後に、銃丸に伴って竹添公使の手に落ちた事実に於いてはなお更である」

李 「あるいはそうだろう。しかし竹添公使はその翌朝に至ってもなお返書を送らなかった。我が将官は更に書を送って何故に前日直ぐに返信しなかったのかと問うた」

大使「何に依って貴将官の書翰は当日朝に竹添公使が確かに接収したと証するのか」

李 「今述べたものは則ち我が将官の第2書のことである」

大使「第2書のことは本大臣は了知している。しかし第1書は、果たして閣下の言われる時刻に竹添公使の手に達したか否かは、何に由ってこれを証することが出来るのか」

李 「前日朝に第1書を送ったことは、その第2書を以ってこれを証するに足るだろう」

大使「第2書の書翰はその後に至って送られたと言うに過ぎないだけである。閣下はその1書を重要の証拠とするが、その書翰は果たして時機を失うことなく竹添公使の手に達しなかったことに於ては、何の効力があろうか。本大臣は既に数回弁論したように、該書翰は当日昼後にその時機に遅れて争闘が既に始まった後に、竹添公使が初めてこれを接収したものであることを以って、これに返信する由がない。殊に該書翰には将官がこれを発した当日の日付並びに時刻を記載しなかっただけでなく、誰に何時に携えてこれを竹添公使に渡したのか、未だ閣下の確証はない。幸いにその証拠があるなら請う、これを示せ」

李 「その事に至っては我が理事員の帰朝を待って調査するところがあろう」

大使「貴政府は既にこれ等の事を調査するために特に2名の委員を現地に派出し、作業すんで報告したのではなかったか」

呉大澂「王宮の中から先に銃を発した。その時に当って日韓両兵は共に王宮を守衛したのだから、まさに日兵は韓兵を指揮して我が清兵を銃撃させたに違いない」

大使「我が兵の指揮に依って韓兵が先ず発砲して貴国兵を撃ったというのは、何の証拠があるのか」

呉大澂「初め、朝鮮国王に対して無謀を企てる者があるとの報を我が陣営が得た時に、竹添公使は既に兵を率いて王宮にあった。そもそもこの報を得て以来、18、19日[陰暦(陽暦12月5日、6日)]両日間、我が兵は営中にあって厳正なる規律の下に立ち、寸歩も自ら動くのを許さなかった。故に竹添公使が19日の朝に於て王宮を退いていたら、このような不幸の闘争を醸すに至らなかったのは確実である」

大使「竹添公使は屡々王宮を辞することを請うたが、国王は懇ろにこれを留めて退宮を許さなかった」

李 「朝鮮人は上下となく竹添公使が王宮を退くことを希望した。それなのに竹添公使はこの望みに背いて、敢えて王宮から退かなかった」

大使「決してそうではない。今閣下の述べられたものは、悉く誤聞によるものである。聊か閣下の参考に供するために当時の事実状況を述べよう。閣下及び呉氏の述べるところを聞くと、論点は分かれて2つある。第1は、韓兵が我が兵の指揮に依って王城内から先に銃を発した事。第2は、竹添公使は宮中上下の希望に背いて強いて王宮に留まった事、である。先ず第1の点について言うのに、韓兵は決して我が兵の指揮の下にはない理由を了解されねばならない。我が兵は寡少にして貴国の大兵を攻撃すべき数ではない。これに反して貴国兵は三方から軍事攻撃を我が兵に加えた。これらの事実は既に閣下に屡々証明したところである。それなのに貴方にあっては我が兵が先ず発砲したとの事実証拠を1つも提供することはない。思うにただ我が兵を嫌疑するだけで更に事実がないからであろう。第2は全く誤聞に関わる。初め竹添公使は国王の再三の求めにより、兵を率いて王宮に入った時、国王は夜になって、『朕の求めに応じ速やかに来衛するは、朕の最も満足し且つ厚謝するところである』との勅語があった。そしてその翌日に米国公使以下各国使臣に謁見を許された時、竹添公使もまた王闕を辞することを請うたが、国王は固く留めて許さなかった。公使は止むを得ずに留まり、6日の朝に至って公使は再び辞することを請うたが、国王は尚も許さず、『今しばらく朕の側に侍すことを望む』との勅語があった。公使もまた辞別するに忍びなかった。これらの事実があるにも拘わらず、上下の意に背いて強いて王宮を退くことをしなかったと言われるのは、そもそもまた何の証拠があるのか」

呉大澂「変乱の初めに当って朝鮮国王は外に何等の異状があるかを知らず、偶々侍従が『御衣を脱いで民服に替え、庶民を装って以って難を日本国に避け給うべし』と奏するに及んで初めて事が迫っているのを知った」

大使「不可思議のことである。その日本国に避けるを奏聞した者は誰か」

呉大澂「当時国王の側に侍した者が数人ある。即ち竹添公使及び書記官、金玉均等の党である。その日本国に難を避けられんことを奏聞したのは誰なのかは国王もまた詳らかにしなかった」

大使「苟も一国の君主たるもの、その国都を去って外国に遁れるに至っては実に容易ならない事であると推察する。まさにまた呉氏は事実調査の為め特に朝鮮に派せられたならば、もとよりその顛末を詳らかにし、且つ全ての証拠物等も収集して帰国されたのだろう。望むらくはこれらの証拠物を一覧することを許されたい」

呉大澂「朝鮮国王を日本国に避けるについては、恐らくは日本政府はその事を聞いて喜ばれないと信じる」

大使「足下は国王にこの事を勧めたのは我が竹添公使の行為であるという意か」

呉大澂「国王はその日本国に請われたのを国王自ら本大臣に語られた」

大使「そもそも国王に請うた者は誰とするのか」

呉大澂「乱党である」

大使「足下は乱党と言うか。それ乱党は朝鮮の乱党であって事は内事に関する。我が政府と乱党と何等関与することなし。既に足下は韓兵は日兵の指揮に依って清兵に発砲したと言った。この事は既に一度足下の口から出た以上は、我が兵と韓兵と相結んで貴国兵に先立って発砲したという確実の証拠はあるか。本大臣は是非ともその証拠の有無を糺さざるを得ない」

呉大澂「17日(日本歴12月4日)の夜、郵政局に宴があった。この日に貴国兵はある場所に行って弾薬を運搬したと聞く。その夜に竹添公使は病と称して宴に赴かず、そして自ら兵を率いて王宮に入った等を以って見れば、当日竹添公使は全く仮病だったのは明らかである」

大使「本大臣は郵政局の宴及び弾薬運搬の事に付いて足下に聞くことを求めたのではない。今の足下の言うところは本大臣の質問に応じる答えではない。なおまた足下に問う。我が兵が韓兵を指揮して清兵に発砲させたとの確証があるなら、これを本大臣に示すことを請う」

呉大澂「韓兵が先に発砲したのが果たして日兵の指揮に依らないとするなら、則ち竹添公使は必ずこれを静止することが出来ただろう」

大使「発砲は先ず王宮の外面から起ったということに付いては本大臣はこれを陳述した。もし果たしてこの事が誤りとしないなら、竹添公使は何に拠って発砲を止めることが出来ようか。仮に貴説のように韓兵が先ず発砲して貴兵を撃ったと思考するも、なお韓兵は竹添公使の命令の下にある者にあらず。故に竹添公使がこれを制する権がないのは論を待たないことである。しかし真正の事実は則ちそうではない。貴国の兵が反って韓兵と相結んで我が公使及び護衛兵に不正の攻撃を加えたことであって、我が方に画然なる確証がある。それなのに足下は韓兵は我が兵の指揮に依って貴国兵を攻撃したと言いながら、未だ韓兵が先に発砲したとの証拠を挙げないのは何故か」

呉大澂「本大臣はその点に渉って細かに論じるのを欲しない。おそらくこれを論じるに当っては罪を竹添公使に帰せざるを得ないことに至るからである。本大臣はただその実況を述べたまでである。閣下は末節に渉って細論することなかれ」

大使「足下は既に日兵の指揮に依って韓兵は自ら攻撃を我に加えたと明言した以上は、必ずこの証拠がなくてはならない。そうでないなら足下の一言は我が国に対して失敬の過言である。殊に当時朝鮮にあって我が兵を指揮した士官に対して過言と認めざるを得ない」

呉大澂「韓兵は全てで5大隊ある。その内の3大隊は清式の教練を受け、2大隊は日式の教練を受ける。当時王宮にあった韓兵は即ち日式の兵である。故に貴我両兵の間に闘争の起る時に現に韓兵の間に2派に分かれて共に相戦うたことを聞いた」

大使「今足下の言われた韓兵2大隊の日式兵は我が士官が教練しただけであって未だかつて我が士官はこれを指揮したことはない。もし果たして我が士官が韓兵を指揮したことがあったなら、足下の駁説もまたその故があると雖も、我が士官はかつて韓兵の指揮に関係することはない。足下は教練と指揮とが相異することを判別されるが、もしこの2者を同一視するようなことがあるなら、謬見の甚だしいものと認めざるを得ない」

呉大澂「それでは貴国士官の教練した2大隊の韓兵は恐らくは当日金玉均等が予め召喚したものであろう」

大使「その韓兵が誰が召喚したのかは、本大臣はこれを答弁する義務はない。畢竟これらのことは韓廷内部のことである。本大臣はもとより朝鮮国の全権大使ではない。足下はすでに韓兵が日兵の指揮に依って先ず発砲したと言うので、本大臣は切に望む。我が兵が果たして韓兵を指揮したという確証を示されることを」

続昌「第1次会議の時に、閣下は貴国の我が国に対して和好を重んじ、善後の事宜を計画するとの意を述べられ、閣下が深く将来を慮られる一段に至っては本大臣末席にあって閣下の高論を聞き景仰の念は愈々切であった。ただ事が苟も既往に属するものに至っては、閣下が幸いに末節に拘泥することなく専ら大局を考慮されるべきことは、本大臣の願うところである。よって既往のことは円滑に拭い去って、細々と問難しないことを要す。閣下が若し微細に渉って議論されるときは、我が方に於てもまた末節に渉って議論するのも止むを得ないことに至ろう。よって既往の事よりも寧ろ将来に関してよく李中堂と協議されることが実に双方の為めに肝要である。なぜならば既往の事よりも更に将来のことを重んじるからである。先に井上伯が朝鮮に於いても又将来を重んじられたので、閣下は井上伯の意見と符節を合して同一の轍を踏まれることと信じる」

大使「請う。説くのを休め。それらのことは閣下等が容喙すべきことではない。李中堂にしてこの言があるならば心を静めて聞くべし。閣下とその事を断じる必要はない。本大臣は呉氏に向かってなお望まん。今論述された一件について証拠があるならこれを示せ」

李 「呉続両氏は結局は本大臣に代わって一言したのである。両氏は先に朝鮮に派遣され、実地に於て顛末を調査したことを以って、事実の点についてその材料を本大臣に与えるために特に政府から列席を命じられたので、閣下は幸いに両氏の言行については少しく寛容せられたい。過日、既に今回の件について瑣末に渉って論談されないようにと閣下に詳述した。到底この事は既往に属するので双方の為めに図るなら、細々これを問題とするよりも寧ろこれを棄却するのをよしとする。思うに閣下の権は本大臣より重い。たとえこの件を棄却された為めに何等の責があっても、閣下は自ら国家を荷って廟堂に立つ人なので、容易にこれに堪えると信じる」

大使「このように屡々論議を尽した後に、遂に双方が満足する結果に至らないのは、本大臣が残念に堪えないところである。しかしこの案件は我が国にとっては重大事件なので、このまま棄却することは出来ない。どのようにも双方で協議を遂げ、力を尽して両国の間に和好を保続する道を講じなければならない。貴方に於いては些少の事件と見られても、我が方にとっては関係最も重大である。故に閣下とこの事を議して妥協を結ぶことが出来ないなら、本大臣は止むを得ずこれを他の仲裁に託して双方その裁判に服すべき外ないと信じる。その何処の国へ依頼するかは双方の論議を経て後にこれを定めよう。もし貴国が我が国に争闘の満足を与えるのを承諾されないならば、ただこの事を仲裁に任ずる外に決定する道はない。本案件は貴方に於いて軽少であると言うが、我が方に於ては重大事件であって決して放棄することは出来ない。故に平和の手段に依って、いずれにか局を結ぶ方便を求めねばならない」

李 「貴国には貴国の公然たる証拠があろう。我が国には我が国の証拠があって相互に矛盾することが甚だしい。今これを仲裁に任ずる時は、その仲裁者は再び事件を調査して双方証拠の矛盾する点について判決を下さざるを得ない。本大臣は仲裁が決して満足すべき方法に依って事実の調査を遂げることができないのを恐れる。過日閣下が提出された遭難供述の小冊を熟覧するに、その述べる所と報告とは甚だしく異なる。このように矛盾の甚だしい双方の証拠を執って事を判決するのは頗る難事に属するようである」

大使「仲裁は容易の業ではない。しかし今日の問題を決するには、他にその道があることはない。閣下が別にその道があるのを知るなら乞う、教えを惜しむこと勿れ」

李 「仲裁はヨーロッパの1国に依頼するのか」

大使「本案件は貴我両国に起った事なので、その仲裁者もまた一国の首領でなければならない。そして不幸にして東洋諸国君子の内でこの事件を託してよく双方の体面を傷つけないものはない。朝鮮国王などはこの件に関係しているので仲裁の位置に居れない。ヨーロッパ諸国は或いは東洋に対して公平を旨としない恐れがないことはない。よってこの事を依頼すべきはただ北米合衆国の大統領、その人あるのみ」

李 「北米合衆国の大統領は自ら朝鮮に航海して事実を調査することは出来ないだろう」

大使「苟も一国の首領にして自ら外国に行って事実を調査することが出来ないことは論を待たない。仲裁人が実地に臨まずして事件が落着した例は乏しくない。およそ一国の首領たるものが仲裁を承諾した上は、双方から提供する証拠に就いて審理を経て裁決を下すのみ」

李 「欧州外交上の歴史を読むと、仲裁して満足な判決を降した例は甚だ多くない。加えるにこの件のようなものはヨーロッパ諸国又は米国の仲裁に任ずべき重要事件ではない。まして貴我両国は輔車唇歯の関係ある友邦なれば、このような甚だ重大でない案件を欧米に提出して仲裁を仰ぐのは、共に面目を施す業ではない。しかし事は甚だ重要なれば、直ぐに貴意に同意すべしと雖も、事件の関するところを審らかにすれば、まだ大事と言うべきでない。それなら貴説に従って仲裁を仰ぐのは聊か自ら慙愧するところである。結局は今回の事は両国間の一時の行き違いに過ぎない」

大使「閣下がもしこの事件の局を結ぶために尚他に方法があるなら、もとより両国の間に於いて自ら妥結することができることは本大臣の切に願うところである。事の軽重はしばらく論じない。苟も両国の間の事である以上は、いずれにか帰着するところがあらねばならない」

李 「ここに2条の意見がある。第1は、朝鮮にあって両国兵の間に紛争を生じたのは全く双方の行き違いに起ったのであるから、なるべくその曲折に渉らずして事を決着するのを善しとする。第2は、閣下が我が兵のことで提出された凶暴1件は、即ちその犯罪者を発見した上で本大臣がこれを罰すべし。この事については約束を設け、本大臣が肯諾するところとすべし。今両国全権大臣は既に数度の会議を開いて互いに意中を尽したのであるから、双方の意見の異なる点をなるべく縮小して妥協を得ることに力を尽さねばならない」

大使「貴説は全く本大臣の同意を評するところである。第2の点は貴国兵が我が臣民に加えた凶害1件に付き、更に事実を調査し、審議の上で果たして有罪と決せられた者があれば、これを罰すると言う閣下の説明は、本大臣は既に肯諾するところである。第1の点、則ち貴将官を罰することに付いては確乎たる返答を望む。本大臣はこの点の協議が難しいことを察し、則ち仲裁を企てた所以である。しかし今閣下が両国の事を以って他国の仲裁を乞うのを良しとしないに於ては、いずれか妥協を経る方法を本大臣に示さねばならないのは、おそらく閣下の義務であると信じる」

李 「閣下が均しく竹添公使を罰するのを約せば本大臣もまた我が将官を罰することを約するだろう。なぜならば、ひとり罪を我が将官のみに帰すべきでないものがあるからである」

大使「本大臣は決して厳刑を将官に加えるべしと請求するのではない。則ち貴国の法律に照らして相当する処罰を行うのならばよい。それなのにこれも斥けられるに於ては本案件は全く未定に属するを以って、いずれにか処分するところがなければならない」

李 「それならば則ち閣下は竹添公使を如何に処すべきか。閣下は我が将官の処罰を主張されるならば、本大臣もまた均しく竹添公使の処罰を要求せざるを得ない。これは本大臣は寧ろ本案を棄却して互いに波風がないほうが善いという所以である」

大使「閣下はこの案を棄却することを言われるが、我が方に於てはその関係するところは重大なるが故に、棄却することは出来ない。これを以って予め協議の望みのないのを察して止むを得ずに仲裁説を提出した。もとより仲裁者の決する所が曲直どのようなものであろうと、我が方はその審判結果に満足するだろう」

李 「今般の案件は、我が政府我が委員及び本大臣は勿論朝鮮人皆、我が方を見て正しいとする。故に曲直の点に至っては敢えて他人の仲裁を待たない」

大使「我が方は我が方を正しいと思い、貴方は貴方を正しいと思う。これ則ち双方の意見の相反する所以であって、互いに相争うときは終に協議は尽きる時がない。そして仲裁でなければ曲直を分ける術はない。我が皇帝陛下はこの案件を本大臣に託され本大臣をして仲裁者の前に進んで自ら道理と認めるところを供述させられるに於て、満足あらせられるは確実である」

李 「本大臣はこの件を以って他国の仲裁を請う権を有しない」

大使「それならば閣下はどのようにしてこの件を協定せんとするか」」

李 「閣下は我が証拠を悉く取るに足りないとしている。例えば朝鮮国王の書翰なども閣下はこれを拒否した。また何を以ってこの件を協定することが出来ようか」

大使「本大臣は貴我両全権大臣の間に於いて、この件を協議する望みがないと認める。ただ仲裁の一途があるのみである」

李 「今この件の仲裁を要請せんとする他国の首領はその身は千里の外にあれば、どうして事実を調査してこの裁断を降すことが出来ようか」

大使「本件よりも一層複雑な困難な件であっても、容易に適当の裁判を下した例は少なくない」

榎本「先年、横浜港に於いてペルー国商船一隻が来泊したが、船中に清国の奴隷がいて甚だしい虐使を受けている状を我が地方官に訴えて救助を乞うたので、以って直ぐに束縛を免れたことがある。後にこの事に関しペルー国と我が国との間に1つの紛争が起り、終に帰着することがないことを察し、これを露国皇帝に請うて仲裁を仰いだが、露帝は双方の供述を細かに考査して公平なる裁判を下されたことがある」(筆者注:明治5年7月発生の事件。詳細は「秘魯国裁判一件・秘魯国マリナルズ船一件書類」などにある。日本近代外交史上に於ても興味深い1件である)

李 「この事件を決定する最良の方法は更にこの上互いに議論を尽さないことである。たとえ他国の仲裁を仰いでも双方が満足することはないだろう」

大使「一旦仲裁を要請するに決した以上は、たとえこちらが悪いと認定されても、我が国は甘受するだけである。普通の訴訟裁判を見ても、どうして原告被告が均しく満足を得られる道理があろうか」

呉大澂「それでも双方とも自ら正しいと信じ、仲裁の判決があっても満足を双方に与えないことを知るなら、この仲裁を依頼するのを要しない。寧ろ双方が議論を避けて止める方が最も上策である」

大使「既に妥結する望みがなければ、この上下論をするのもまた詮無いことである。否、議論することは出来ないことである。しかしただ一言するところがある。閣下は常に一個人の所見に拘泥して変通するところがない。願わくはこの案件を決定することに於いて、互いに全力を尽して妥協を得ることを。それなのに今や双方は尽すべきを尽したのだから、余りあることはない。ただ僅かに仲裁の一方法あるのみ。およそ仲裁なるものは、終局の裁判であるから双方必ずこれに従わねばならないものである」

呉大澂「各国政府が日本国と和好を結ぶのは尚清国と和好があるのと異ならないので、双方の情誼に引かれて公平の裁判を得られないだろう」

大使「裁判の公平不公平は裁判を経た後でなければ論ずることは出来ない。もし双方が正しいと定まって誤りの者がないなら、双方の至幸ではないか」

李 「閣下は朝鮮国王の親書を証拠と認められない以上は到底局を結ぶ望みはない」

大使「故に閣下もその親書を提出して仲裁者の前でその効力の有無を論じるのみ。その親書が確かな証拠となれば、則ち裁判に於いては我が方が間違っていることになる。もし反対に証拠に足りない定められた時は、即ち裁判に於いて我が方が正しいことになる」

李 「親書には国王の玉璽をツしている」

大使「今更このような細微の点を論じる必要はない。今回の案件については、我が方は原告の地位を占め、貴方は即ち被告の地位にある。故に被告が原告の要求に応じないときは、原告は止むを得ず進んで一層の高等な法衙に訴え、以って終局の裁判を請うのみである」

李 「仲裁を訴える権は本大臣はまだ我が皇帝陛下から受けていない。故に閣下の協議に応じることはできない。過般、この地に於いて、パーテノトル氏と会合して仏国と交渉する事件を議するに当って、我が国から仲裁を発議したが、氏はこれに応じなかった。おそらく仲裁のことは必ず双方の承諾が要るからである」

大使「もとよりそうである。必ず双方の承諾を経なければならない。故に予め閣下の承諾を求めた所以である」

李 「本大臣はまだ我が皇帝陛下から仲裁の委任を奉じない」

大使「本大臣はその要求点を確固とするために証拠を貴国に供した。以って今日に至っては閣下の選ぶべき道は2つあるだけである。即ち貴方は我が方の要求を容れるか。或いは仲裁を請うことを同意するかの2つである」

李 「証拠とは果たして何を指すのか」

大使「即ち本大臣が貴覧に供した証拠書類並びに本大臣が口述したことを指すのである」

李 「我が兵が貴国臣民に凶暴を行った件については、即ち口述を証拠としてその事実を調査し、果たして有罪者を発見すればこれを処罰するを約束した。その他に何の証拠があるか」

大使「朝鮮国王が竹添公使に送った書翰はその1つである」

李 「それなのに閣下は本大臣の手にある朝鮮国王の書翰は、証拠として取るに足らないとされるのは、果たして何の理由があってか」

大使「まさしく双方の論点はここにある。これが本大臣が仲裁者の裁判に任せることを欲する所以である」

李 「本大臣は仲裁を請う権を有しない。故にこの事については何等応答することは出来ない」

大使「閣下が仲裁に係わる全権を有しないなら、宜しく貴国皇帝の旨を伺い、そして本大臣に答えることが出来る。現下互いに論弁を尽しても殆ど止むことがないだろう。本大臣は本月20日までここに留まるべし。願わくは閣下はこの事に関し貴政府に稟議を請けられんことを。そのことは閣下が自ら採択すべきことであるが、ここに一言する」

李 「我が皇帝陛下は特に本大臣に諭を下し、必ず罪を我が将官に帰することがないようにとした。これを以って本大臣は諭旨に違うことは出来ない」

大使「それならば閣下は本大臣の要求するところを、悉く承知されないという意か」

李 「実に本大臣の地位は困難である」

大使「地位が困難なのは本大臣も異なることはない」

李 「今回の事はもとより両国政府の意外であった。実にその不幸を嘆き惜しまねばならない」

大使「本大臣に於いてもまことに同感である。しかし一旦事が起った以上は、その局を妥結することに力を尽さざるを得ない」

李 「双方で堅く握って譲ることをしないなら、どうしてよくその局を結ぶことが出来ようか」

大使「仲裁の外に別に考案があるならば、直ぐに閣下の取捨を仰ぐが、不幸にしてこの方法を残すのみである」

李 「本大臣は他国の仲裁を願わない。なぜなら我が皇帝陛下は将官を見て正しい者とされるからである」

大使「我が皇帝陛下は貴国将官が竹添公使を銃撃したことで、不正不法の行為であると信じておられる。即ち両国皇帝陛下はそれぞれで正しいとしておられる」

李 「実に協議を遂げるに困難である。そして既に協議の整った件は蓋印すればよい」

大使「勿論のことである」

李 「我が将官処罰の件の外に他に要求の点はないか」

大使「他の件は既に妥協を経た。目下未定のものは将官処罰のみである」

李 「将官は皆本大臣の隷属なので我が皇帝陛下の勅命を要しない。本大臣からその行為について譴責すればどうか。閣下はまだ意に適わないとするか」

大使「将官は皆閣下の隷属である故に、閣下から直接に譴責すべしと言われるか。それならば閣下は公然たる公文を以って本大臣に照会することが出来るか」

李 「然り。閣下に公然たる照会を送り、我が将官譴責の事を約束しよう。そもそも今回の事件を閣下と協定するために、我が政府は本大臣に訓示したが、今本大臣がこれを肯諾するのは、実に閣下に対して友情を尽くし尊敬を表するに依るものである」

大使「それならば公然と本大臣に照会の事を為すか」

李 「然り。貴命に応じよう。そもそも本大臣が仲裁を拒む理由は、決して我が方が間違っていると憂慮するからではない。これを拒否するのはただ貴国と確かに妥結する事を願うからに外ならない」

大使「貴将官を譴責するのはどのような方法によるか。貴意のあるところを垂示するを乞う」

李 「将官を譴責するには、公文を行い、細心の事をしなかったことを以ってすべし」

大使「閣下は朝鮮駐在兵を悉く撤回する前に置いて、その将官を召喚することが出来るか」

李 「将官は現に我が駐在兵を指揮する者なので、必ず兵と共に召喚せざるを得ない。この頃帰朝した袁世凱もその将官の一人である。そして本大臣は既に袁を譴責するに免職を以ってした。閣下はまさにこの事を貴政府に具申すべし。思うに袁は竹添公使の政敵なのであろう。袁は平素から公使と相怨み互いに敵視したものだったろうか」

大使「本大臣はまだかつて竹添公使からその事を聞いたことはないが、恐らくはそうであろう」

李 「袁の稟質は、敏捷であって才幹がある。故に本大臣は平生から遠く韓地に駐在して事を過つことを懸念して、この頃から召喚した」

大使「閣下が本大臣に公然と照会することを約束したものは2件とする。第一、公文を以って貴国将官を譴責するに、細心の事をしなかったことを以ってする。第二、貴国兵の凶暴の件に付き、速やかに事実を調査して、その犯罪者を発見すればこれを処刑すること。以上次回の会議に於いて照会文の草案を一覧することが出来るか」

李 「来る18日を以って次回の会日と定め、その日の前に於いて、本大臣の書記官伍廷芳または羅豊禄を以って照会文の草案を貴閲に供するべし。そして次回会日に於て画押蓋印の事を遂げよう。よって貴方に於いてもまた漢文約書正副2通を調整すべし」

大使「他日の事端を防ぐ為に照会文中に、過般の変乱は閣下の深く惋惜(嘆き惜しむ)するところであって、貴将官が細心の事をしなかった故にこれを譴責するとの文意を加えるべし」

李 「諾了する。照会文中に、過般の行き違いは全く我が将官が細心の事を行わなかったことに由る、の文意を記入すべし」

大使「公文中、もし貴国兵の内で我が臣民に凶害を加えた犯罪者を発見した時は、陸軍軍法に従ってこれを処罰することを加えるべし」

李 「諾了する。必ず軍法に依って処罰する事を加えるべし」

大使「この2件の照会文は2通とするか。また1通に併記するか」

李 「1通にして2件を併記すべし。いずれ草案を起こして閣下の貴閲に供しよう。これに於いて今度閣下が奉じられたところの使事は悉く協議妥結した。倩々思うに、貴国皇帝が使命を閣下に下されず、我が皇帝陛下もまた本大臣をして閣下に対せられなかったらば、今回の事件は尋常の為政者では速やかによく妥結の局を結ぶことはなかった。まさに本大臣は敢えて諛辞を閣下に呈するのではない。また自ら誇言するのではない。ただ真実信じるところを吐露するだけである。呉続両大臣のように博識多聞は多く得難い人材であると雖も、その器量に至っては閣下と本大臣に及ばざること遠し」

大使「或いはそうであろう。重ねて問う。貴将官処罰のこと、及び貴国兵凶暴の件に関する事実の調査は直ぐに施行されるか」

李 「然り。公文は簡約にしてその意を尽すだろう」

大使「公文は純然たる照会文でなければならない」

李 「もとより然り。そして官印をツすべし」

 これに於いて今回両国交渉事件の談判全く終わる。

 

伊藤大使、要求を通す

 翌日16日、伊藤は直ちに井上外務卿宛てに以下の電報を発した。(「天津条約ノ締結」B06150031800のp232より要約)

1、両国撤兵の事は承認。18日を以って調印。4ヶ月以内の施行。ただし非常時には兵を朝鮮に送る権を両国とも保持。出兵の際には前もってお互いに通告。
2、李鴻章は、清兵暴行の件はこれを吟味し、もし有罪の事実あればこれを処罰する旨を公信を以って保証。
3、李鴻章は、事件に際して清国将官の不注意の行為に付いて、これを譴責するべき旨を保証。
 これで聖上並びに内閣に於て御満足と御認めあることを希望する。

 

 伊藤の議論に於ける応酬というものは殆ど隙のないものであったと思う。
 伊藤は議論の中で屡言う。「全く貴政府の内事であって、本大臣の与り知るところではない」「本大臣は朝鮮の全権大使ではない」「素より朝鮮の内事に属することで、本大臣の更に与り知るべきところではない」などなど、相手の議論の流れを切って捨てて容赦がない。
 要するに、相手に対して下手な思い遣りなど微塵もないのである。

 清将責罰、居留民被害の件についてどこまでも一致せず、よって伊藤は他国による仲裁を提案して飽くまで追及の手を緩めず、終に李鴻章が折れる。すなわち事件に際して清将の不注意の行為を譴責することを約束、また清兵の居留民への暴行に関してはこれを調査して、有罪の事実があれば処罰すると。
 しかしよくも李鴻章に対してこれだけの要求を通したものである。まさに伊藤博文でなければ為しえなかったことであったろう。
 尤も、清将官譴責と居留民殺害の件は照会文に書くに止まった。無論、清国側で再調査せねば答えられないことではあろう。
 普通、現代人の感覚で言うなら、被害の事実とそれを訴える者があれば加害の如何を調査してそれに回答するのは当然の事と思おうが、この国でしかもこの時代で、それは到底普通のことではなかったのである。

 例えば、明治17年陰暦1月2日(日本歴1月29日)、朝鮮で「薬局店主殺害事件」なるものがあったことを、井上角五郎が朝鮮初の新聞である「漢城旬報」に記事とした事により更に事件となったことがあった。

 

薬局店主殺害事件と井上角五郎

(「漢城廼殘夢」十九頁 井上角五郎著 明治二十四年十月出版 より抜粋要約。括弧は筆者)

 (明治17年陰暦1月2日)朝鮮国京城市内の朝鮮人薬局店に清兵が来て朝鮮人参を買い求めた。しかし代価を払わなかったので、店の主人が強く求めたところ、清兵は却って怒ってピストルで主人を銃殺した。
 それで被害者の子が朝鮮官吏に訴え出たところ、朝鮮政府も直ちに清兵営に問い合わせをした。しかし清兵営は捜索する様子も無く問い合わせに即答して言うのに、
「我が中国兵は規律厳正にしてこのような犯人が居る道理がない。朝鮮人か他国人が清兵の服装をして犯した行為に他ならない」
という傲慢なものであった。

 朝鮮人中にもこれを憤慨する者多く、「漢城旬報」の十号にそのことを記事にし、且つ「支那兵士の中には無頼の徒が少なくない。その挙動は往々にして殺伐粗暴を免れず。今回の事件は支那兵がこれを為せりと言うのを誰が怪しむ者があろうか」と書いた。
 しかしこれを発布してからは(井上は)支那人から不穏な態度をとられ、ある時などは二、三人の清兵が余(井上)の名前を大書した紙を剣に刺したのを捧げて散歩しているのを自分で見た。

 当時旬報の出版局である博文局には一人で居住していたが、この頃に毎夜訪れて同宿してくれたのが磯林真三大尉であった。日本公使館からは何等の保護もしてくれなかった。

 そのまま一ヶ月ほど経った頃、清国北洋大臣李鴻章から朝鮮政府と博文局に書を送って言うのに、「漢城旬報は官報である。民報のように聞き知ったことを記事にするものと同一ではない。今回の記事は過誤として抹消し難い。礼を中国に対して欠くものである」と。

 これによって朝鮮政府と博文局員の心配一方ならず、ために余は自分の考えで記事としたのでその責任は自分一人にあるとして、ついに辞職して京城を去った。この年の五月のことであった。

 これが朝鮮に対する清兵の姿であり、また李鴻章の政治であった。
 決して非を認めない、決して謝罪しない、そしてこの国は今日に於てもまた然りであろう。

 伊藤博文はこのような国柄の実力者を相手にして要求を通した。その卓越した外交能力と言いディベートの鋭さと言い真に後世の者の鑑としたいものである。

 

天津条約と照会

 4月18日、日清両特派全権は互いに調印を交わした。条約書並びに調査し将兵責罰する保証である照会文は以下の通りである。

(「伊藤全権大使清国全権大臣李鴻章ト朝鮮駐防営兵撤回并清国官兵戒飭等談判約書訂結ノ件」より、括弧は筆者。)

条約書

大日本国特派全権大使参議兼宮内卿勲一等伯爵伊藤
大清国特派全権大臣太子太伝文華殿大学士北洋通商大臣 兵部尚書直隷総督一等粛毅伯爵 李

各々奉ずる所の
諭旨に遵い公同会議し専条を訂立し以て和誼を敦くす有る所の約款左に臚列す。

一 議定す。中国、朝鮮に駐紮するの兵を撤し、日本国、朝鮮に在りて使館を護衛するの兵弁を撤す。画押蓋印の日より起り四箇月を以て期とし、 限内に各々数を尽くして撤回するを行い、以て両国滋端の虞(おそれ)あることを免る。中国の兵は馬山浦より撤去し、日本国の兵は仁川港より撤去す。

一 両国均しく允す、朝鮮国王に勧め兵士を教練し以て自ら治安を護するに足らしむ。又朝鮮国王に由り他の外国の武弁一人或いは数人を選傭し委ぬるに教演の事を以てす。嗣後日中両国均しく員を派し朝鮮に在りて教練する事勿らん。

一 将来、朝鮮国若し変乱重大の事件ありて日中両国或いは一国兵を派するを要するときは、応に先ず互いに行文知照すべし。其の事定まるに及んでは仍て即ち撤回し再び留防せず。

大日本国明治十八年四月十八日
大日本国特派全権大使参議兼宮内卿勲一等伯爵伊藤花押
大清国光緒十一年三月初四日
大清国特派全権大臣太子太伝文華殿大学士北洋通商大臣 兵部尚書直隷総督一等粛毅伯爵 李花押


  照 会
大清国特派全権大臣太子太伝文華殿大学士北洋通商大臣 兵部尚書直隷総督一等粛毅伯爵 李
照会の事を為す照し得たり。上年十月朝鮮漢城之変、中国の官兵と日本官兵と朝鮮の王宮に在りて争闘の一節は実に両国国家意料之外に出づ。本大臣殊に惋惜を為す惟だ念う中日両国の和好年久し中国の兵官等一時情急に已むを得ずして争闘すと雖も究に未だ小心に事を将る能わず。応さに本大臣に由り文を行り戒飭すべし。貴大使の送り閲する日本の人本多収之輔妻等の供状に漢城内に在りて華兵屋に入り掠奪し人命を戕斃する情事あると謂うに至りては但だ中国並びに的確の証拠なし。自ら応に本大臣に由り員を派し訪査し明確に供証を取具し、如し果して当日実に其の営の其の兵ありて街に上り事を滋し日民を殺掠せんことを確として見証あれば定めて中国軍法に照らして厳に従い拏弁すべし。此の為に備に具し貴大使に照会し調照を煩わすを請う。須らく照会に至るべき者、
右照会。
大日本国特派全権大使参議兼宮内卿勲一等伯爵伊藤
光緒十一年三月初四日

 もちろん照会は照会に過ぎず何ら強制力のある約ではない。それでも国家間で交わした文書にわざわざ証言者の個人名を記載させたことは具体性を持たせたものとしても評価できよう。しかし属国問題で伊藤が言い放った「その事を照会文に書して果たして何の効があるか。照会文は約束の効を有しない。まさに双方約束して後日に効果あるべきものは条約のみである」の言葉がそのまま還って来る照会文で止まったことは、これはこれで致し方のないことであろうが、謝罪も無い、償いも無い、ただ調査するだけという言わば口約束のようなものであることに、国民世論としてはやはり憤懣やるかたないものであったろう。

 なお、その後清政府が本当に将兵を罰したという話は聞かない。それどころか袁世凱はこの年の10月には朝鮮国駐在を命じられている。もっとも、袁世凱は談判前ではあるが、書簡を朝鮮国王に送り「自分は李鴻章と面会することになれば次第によっては辞職することになるかもしれないと考えるので、朝鮮国には帰らないだろう」と告げた。恐らく何らかの責任を問われる事を予想しての事と思われる。

 するとなんと朝鮮政府は、袁世凱在韓中の所為を賞賛する論を記載した国王署名の文を編纂し、事変の報告とする文書を使節と共に清国に送ったのである。(在朝鮮近藤臨時代理公使報告朝鮮政府ニ於テ清国ヘ使節派遣等ノ件)

 それはちょうど、上記3月16日の清国京報に掲載した上諭文「朝鮮国王は使いを派遣して我が国の恩を謝する表文を奏した。云々」と時期的に一致するので、おそらくこの時の表文と思われる。

 この後朝鮮国は袁世凱の強権的な干渉を受け続けることになるが、朝鮮の清国への媚諛もここまで来ると醜悪愚劣としか言いようが無い。まさに自業自得というものであろう。


 4月19日、伊藤大使一行帰国の途に就く。また随員を朝鮮京城に派遣して近藤代理公使及び駐在陸軍将校に条約締結の大意を告げる。

 28日、東京着ただちに参内復命。


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