(韓国官憲トノ応接及修好條規締結ニ関スル談判筆記/2
明治9年1月30日から明治9年2月19日)より
以下、その応対を所々は省略し且つ現代語に直して紹介する。また話者として、宮本小一を「宮」、同じく森山茂を「森」、司訳院堂上 呉慶錫を「呉」、訓導 玄昔運を「玄」と記す。
呉「これは打ち明け話であるが、自分は数回清国にも行き、その事情をも目撃し、我が国も到底外交を開かないわけにいかず孤立し続けることは出来ない事を朝廷にしばしば言上し、日本と交際するべきであると言っても、政府は少しもこれを採用することなく、大日本国を対馬一州ぐらいに思っていたのである。しかし今度の大事に至って却って自分に委託したと言える。(略)」
宮「誠にそのとおりである。ただ我輩から見れば、清国の外交も誠に拙いものである。しばしば失敗しては侮りを海外に遺している。しかし、いずれにせよ外交を開く貴国は、対馬の事情すら詳しくは知らない。まして海外万国のことも。ただ、君はすでにそのような志があるなら尽力せられよ。ともかく友好の増すことを願う。」
ここにて酒を出す。
呉「(我が政府の)人々は、突然来たからここは無視しようとか朝命がないから外国の官憲と会見する必要もない、などと言って逃げれば大なる罪となると思う。自分が清国に行って初めて全権の使臣ということを知った。決戦・講和がその手にあると。しかし我が政府は全権がどういうものかも知らない。しかも大院君は隠居して別に執政官が居るというのに、諸官は極秘に大院君の認可を仰いでことをすすめている。だから諸事が堂々巡りや遅延することが多い。ところでいつ頃到着されるか。」
宮「ここからどれくらいかかろうか。」
呉「仁川に至ってからはだいたい一日ぐらい。」
森「今はそのことはいつと言い難い。水深を測量しながら来ているから。」
(中略)
呉「先ほどから申すことは内情を話していることで、これが政府に漏れれば自分は再び5尺の体を容れる所はない。もっとも応接の仕方を問う以外の話は朝命ではなく自分ひとりの話であり、とにかく今度のことは諸事に不都合のないよう願うのみである。」
宮「これはまた私談であるが、先生はしばしば北京へも行かれたならその事情も熟知してあろうが、いったい国の大事を談ずるには必ずその国の首都においてするのが常例である。北京には各国の使臣が来往し我が国の使臣もある。このような状況からすれば、日本としても直ちに貴国の首都で会談するのは当然のことと思える。しかるに貴国は外人を内地に入れては風俗を見られるとか国勢を察っせられるとか言って、まるで婦人の身体を他人に窺わせるように思うのに似ている。これらの事を考慮したからこそ首都に行く前に江華府と定めたのである。しかし朝命がないから会おうとしないなど言うことがあれば、やむを得ず、仁川より首都まで1日と承れば陸行でもして直に入京出来るとも思える。日本側には、北京に使節が来往するのが普通であると思えるので、それが無理とも思えない。」
呉「先ほどより申すところは我が国情を打ち明けてのことで、当初はもちろん釜山においてもこの話が、もし少しでも我が国の人に漏れれば実に罪に当たるところを知ってほしい。故に今日の話は聞き捨てにして下されよ。聞き捨てにして下されればさらに話そう。」
宮「誠に然り。今日のことは相互に懇談ということになそう。深く考えられるな。」
呉「老婆心より申すが、江華島に至り、上陸の際にもし凶徒らの暴挙などがあったら何と思われる。」
宮「そのことがもし貴政府のなせることでなく、他の者の挙ならば、日本側では犬の吠えるくらいに見て深く無礼とは認めないであろう。」
呉「これは実に我が国に対して身を置くところない話なので、万一も漏れないことを願いたい。先年、まさにアメリカ船が来ると(1871年5月のアメリカ艦隊襲来)、大院君はその頃は全権を持つ最中であった。その時に自分は大院君に、開国せざるを得ないことを説いたが、米船はわずかの砲撃を受けて退去したので、それ以来自分は「開港家」と言われて、何を言上しても取り上げられることがない。貴国との交際も、これをするべきであると論じても、蛙の面に水で今日に至っているが、やはり米船が容易に退去したのと同じ事ぐらいに思っているのである。故に、江華に行かれれば、あるいは不慮の小暴動ぐらいはないとも言えない。また江華府の官吏もこれまで西洋型の艦船は打払うべきとの命令があったので、今回も別にそのことを制止する朝命がないからというので、結局は日本の艦船が来るのを拒否するかもしれない。今日の情勢を見ると、貴国の大臣は彼の地に到着したら直ちに上陸して威厳を示されるに越したことはない。でないと、また停滞延滞して釜山の談判と同じになってしまうであろう。自分らも皆に啓蒙しているが、信じる者がいない。今回のことでひとたび蹉跌すれば、実に万民に塗炭の苦しみを惹起することになるのを恐れるが故に、ここまで内情を打ち明けるのである。」
宮「こちらからもご注意申さん。8年前のアメリカ船のことは、北京駐留の米国公使と東洋滞航の米海軍将官との意見に出て事を挙げたのであって、本国政府の意向ではない。故にその後、再挙にも及ばないとのことである。フランスもまたその通りである。しかし、今回の弁理大臣の事は、厳に日本天皇の厳命を奉じられてのことなれば、これを8年前の事件と比較されては提灯と釣鐘、天と淵との差がある。これはついでの話であるが。」
呉「そのことは、自分もまたよく知っている。しかも今回、そのことを朝廷に報告しても信じる者が一人もいない。先年、自分が支那にいた時に、北京において貴国勅使が我が国と台湾とマカオの談判に交渉するのを見て、これを我が朝廷に報告したが信じない。それで台湾出兵の挙があったのに至って、それ見たか、この次には事が我が国に及ぶぞとまでに論説したが尚且つ信じようとしない。歎くべし。」
宮「それはまた常の用心深さには感服の至りである。」
呉「これは一つの意見であるが思うのに、海外各国より早晩手を我が国に出すに相違ない。そもそも我が国からこそ交際を貴国に求め、緩急に際して斡旋をも願うべきはずである。それに引き替え今日の現況なり。歎くべし」
森「それほどの御志ならば、この上ともお骨折りを願う」
呉「今回のことで万民の塗炭を惹起することを恐れる。自分は今、自国に対して叱り言を吐くは実にこういうわけであるが、貴大臣が江華に至られたら、なるだけ威厳を張られよ。自分はしばしば我が大臣に申すも大臣はさらに世界の形勢を知らず、今日に及ぶとも茫然として昨日の如し。江華に前進されたら或いは、小暴挙もないとは保証できないが、もう我が朝議で拒否することはとても出来ない。これによって精一杯に国威を張られよ。両君よく了解されよ。」
森「領意する。しかし大臣の意向はどう出るかは分からないが。」
呉「これほどまで説明すれば我が国の事情はたいてい洞察されよう。」
宮「左様。たいていは甚だ詳しく理解した。」
(中略)
以下、話者が重なって誰かが特定できない場合は、「彼」「我」と表記する。
呉「これより雑談に渉る」
呉「御両君の年齢は?」
宮「40歳」
森「35歳」
宮「両君は?」
呉「46歳」
宮「しからば余程永く力を国事につくされしと存ず。」
玄「自分は40才、すなわち大丞殿と同行なり」
宮「壬申でござるか」
玄「丁酉」
宮「しからば陰陽両歴の差あり。自分は君に長ずる1歳なり。」
玄「さて、これまで多年にわたって森山君の事に対しても、最初から自分の力が及ばなかったとは思われない。ただ力を尽くすことが足りなかったのであると思われる。しかし今日この地に対面した。心おのずから楽し。」
森「自分も然り。」
(中略)
森「趙寧夏氏はつつがなきや。」
彼「然り。」
呉「(中略)趙寧夏が書を森山公に贈った一連の事も自分はよくこれを知っている。それで、同氏はその書を贈ったために今日では却って不都合な目に会っている。当時、民宰相の(横死)事件があり、貴書(返事)を受け取らなかったのはもとより不当ではあるが、今日に至って公平にこれを見れば、かえってあの時に受けなかった事が幸いであった。何となれば、あの時に貴殿の書を受けても我が政府内には必ず不測の苦情が起こるはずであったからである。今日に至っては事一挙に決して、その効果が却って上がるであろう。」
(中略)
宮「(朝鮮から)北京に至るには山海関より牛荘にかかって行くや。」
呉「否、晋陽を経由する。貴殿は天津を通られた事があるか。」
宮「自分は彼の地方に行ったことがない。」
森「自分もまたそこに行ったことはない。」
宮「同行している者には行った者が多くいるが、自分ら両人はまだ機会を得ない。」
(中略)
呉「牛荘には領事館を置かれるか。」
宮「天津と兼務である。」
呉「領事館は支那の中で何処何処に在るや。」
宮「天津、上海、澳門(マカオ)及び英領なれど広東省の香港。」
呉「その辺の地方にはしばしば遊覧せり。」
呉は、いろいろと地理のことを談じた。
呉「貴国人の清国に往き行商する者はそう多くはないが、清人の貴国に往くのは殊に夥しいようである。」
我「近来極めて多く商客3千人もあろう。その他は召使や包丁人となり、或いは船舶の使役となる者が甚だ多い。」
呉「吾々の如きも家族を引き連れて貴国に往かば善く入られようか。」
我「決然として迎へん。」
2人は声を上げて笑った。
宮「日本の都に至れば世界の事情を悉く知ることか出来る。各国の人がいないことがない。」
呉「自分はよくそれを知っている。」
森「蒸気船が通航しだしてからは、貴国などは直ちに隣に並んでいるのも同じである。」
彼「誠に然り。汽船、軍船、貴国に幾多隻あろうか。」
我「日本形は数万、西洋形は300ぐらいであろう。自分らは内務に関せず、これをよく知らないが大抵このぐらいであろう。」
彼「陸路蒸気(蒸気機関車)は。」
我「神戸より大阪に至るのが1条。横浜より東京に至るのが1条、すでに成れり。今また西京と東京の中間に1条を架そうとしている。その長さは数百里。」
呉「電気が字を書くと。」
我「然り。電信機は全国に縦横して網の如し。東京より上海と一日中に座談すべし事を朝廷に啓陳するも、まだ東京に至るを要せず。」
呉「左様なり。左様にありてこそ人間が住むべき世界と云うのである。」
訓導が艦内を見たいと言う。(中略)
森「これよりなお小さい船舶があり、それの方が却って用をなす。」
呉「大も小もなく火輪船とさえ言えば此のようなものと思う。なるほど、小なる方が便利であろう。」
宮「貴国なども汽船を造り、島を渡ったり、天津などに通航するには、小さい方が都合が良い。」
呉「我が国が汽船を備えるように至るのは、中々程長き事であろう。いつともこれを見るの日あろうか。」
森「どこの国でも同じような形勢である。ただ開明の進歩にしたがって自ずから成るべし。」
呉「さりながら、世界中にても我が国などは殊に迂遠の国なれば如何せん。」
宮「石炭ありや。」
呉「有り。しかしこれを掘り、またはこれを用うるの方法を知らない。」
宮「石炭あれば大いに好し。」
呉「然り。我が国も鉄と石炭を掘る事を知らば国必ず富まん。」
我「然り然り。」
呉「開化の人に会い、開化の談をした。情意余さず述べた。今日は是にてお暇申さん。先刻より自分が打ち明けたことは一々真なり。更に虚偽なし。真実を告げておかねば、一方が(朝鮮側が)ただ茫然として熟慮も何もしてない相手であるから、事に大錯誤が生ずるのを恐れるのである。自分らが今日の事情を詳細に報告しても、我が政府にはこれを信ずる者もないからただ一通りを報告してその上に命令を待って帰京しよう。」
宮「先ほどからの種々の懇談は有り難いことであった。しかし一通り報告すると申されても、我々の江華府行きの事への応対は必ず遺漏されることがないように。」
呉「それはもとよりである。よって政府から直ちに江華府の責任者に下命があったら礼を欠くことはないであろうと思うが、もしその下命がある前に到着されるという事があれば懸念なくもないが、とにかくそれに関係なく直ちに上陸された方が自ずから道は明るくなるであろう。」
ここで呉は、私(この対談の筆記録者のこと)の官職姓名を問う。しかし私には、見合う官名などない。そこで太政官出仕末松謙澄と答え、また今回の弁理大臣の随行として書記官の後ろに従って行くので、今からも時々は応接の光栄にあうと思いますとの意味を言った。
呉曰く、江華迎接の日に及べば、しばし会晤の機会もあらん。
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