原文テキスト


 機密第二拾六号
   対韓政策に関し意見上申之件
アジ歴(レファレンスコード:B03030207400「明治27年6月20日から1894〔明治27〕年7月12日」p7〜p15)

以下p8より抜粋)
 従来我帝国政府は、当朝鮮国を以て一の独立国と公認せる而已ならず、欧米列国をして其独立国たるを公認せしめたるにも拘わらず、清国政府に於ては、陰に之を属邦と見做し、近年に至りては当国政府をして頻りに属邦たるの実を挙ぐるの政策を執り、着々其歩を進め、今や朝鮮国が清国に対し藩属国たるの姿を呈せるは、単に当国国王が清国皇帝に対する虚礼の上に止まらず、当地に於ける清国駐在官は、当国政府の内治外交に干渉し、当国政府も亦謹んで其命を聴き敢て之に逆うことなく、宛も属邦政府監督の為め本国政府より派遣せられたるが如き状を呈し、当国税理官吏も亦、清国政府に於て雇聘せる外国人を以て之に充て、且つ清国人と朝鮮人との間に起りたる訴訟事件は朝鮮人の被告たる場合と雖ども、清国の法衙に於て之が裁判を行い、其他朝鮮国と清国との間に締結せる諸条約書中にも亦朝鮮は清国の属邦たるが如き文句を記載致居候次第にして、今回清国政府が当国政府の請に応じ、東学党民乱鎮圧の為め数多の兵員を派遣したるも亦、朝鮮を以て其属邦とするの実を挙ぐる政策に外ならざるものと存候。


(以下p10より抜粋)
 熟ら当国内政の有様を観察するに、中央政府を始とし百般の行政機関は実に腐敗の極点に達し、民力の困弊実に名状すべからざるの有様に陥り候。
 今其一斑を述ぶれば、従来当国政治上の実権は常に国王又は王妃の近親たる二三の門族に帰するの例となり、各族互に権力を競争し、其競争に当りては各自家の利益を図るに汲々たるの外、国家の安危、王室の栄辱を以て眼中に置く者無く、現今の執権者たる閔族の如きも自家の勢力を維持する為め、清国政府の後援を借り、其結果として終に今日に至りては、其国をして清国属邦たるの実を現わさしめ、其君をして清帝の臣隷として之に事えしめざるを得ざるが如き勢に推移りたるも、自ら之に安んじ居る次第に御座候。
 然るに同族中にも亦互に権力を争う者有之。其最も勢力を得て顕要の位置を占むる者は、実際其位置に相当する丈けの智識才能を有する人物にはあらずして、唯最も奸佞にして、国王又は王妃に多額の財物を進献する者に過ぎざれば、苟も其進献をなさづる者は、仮い有用の人物たりとも相当の官職を授けらるゝ事無之、既に閔族中に於てすら尚且如此き有様なれば、閔族以外の者にして朝官たらんとする者は、独り国王王妃而已ならず、閔族の有力者にも亦贈賄をせざる可からず。
 而して右は独り中央政府の官吏を登用する場合に於て然る而已ならず、各道の長官たる観察使を始めとし、其他府県州郡等に於ける地方官を撰任するにも亦同様の方法によるものに御座候。


(以下p10〜p12より抜粋)
 右の次第に付、賢良跡を潜めて群奸頻りに進み、百官有志の職は皆此等鼠輩を以て充満致居候処、凡て此等の徒は在職中、皆其職権を濫用して貪欲を濫にし、公然賄賂を収めて私曲を行い、其威に逆う者があるに当りては、残忍酷薄の処置をなして毫も顧みる処なし。
 而して其最も酷たらしきは、即ち地方官にして、例えば茲に観察使の職を得んが為めの進献贈賄等に十万金を費消したる者ありとせんか、当人任所到着の上は右の失費を回復し、且つ自家の嚢中を充たさんが為め、猥りに威福を張って強索を行い、或は部下の官吏に対して賄賂を誅求し、或は二三の商人に特典を付与して多額の金額を貪り、或は種々の重税を賦課して細民を苦しめ、或は口実を設けて富豪を捕え、之を牢獄に下して其財産を掠奪し、或は凶歉を名として防穀令を布き、相場の下落するに乗じて多額の穀物を買占めたる後、卒かに其禁令を解きて奇利を博する等、乱暴狼藉至らざる所なきは少しく当国の事情に通ずる者の熟知する所に御座候。
 然るに観察使を始め、其他の地方官は皆、生殺与奪の権を有するが故に其配下に属する人民は、仮い多少の虐政に逢うことあるも、多くは之を忍耐して容易に抵抗する者無之候得共、虐政の度合漸く加わり、地方人民が最早忍耐する能わざる点に迄達するときは、即ち発して民乱となり地方の騒擾を惹起し、乱民共は直に地方官庁を襲撃して其官吏を殺傷すること往々にして有之候処、斯る場合に臨みては地方官は自ら之を鎮圧するの力なく、去りとて中央政府より一々兵隊を派して之を鎮定する暇あらず候に付、僅に其地方官の更迭を行うときは、直に静謐に帰するの例と相成居候。
 而して此種の民乱各地方に蜂起する者近年漸く其数も増加し、終には今度全羅忠清両道地方の大騒乱と相成り、中央政府と雖ども之が鎮圧力に苦しむに立至りたる次第に候処、今回の民乱は支那兵の来着を聞き一時其気息を収め目下殆んど平定の有様には候得共、実際当国政府の自力を以て討滅したるには無之候に付、今後支那兵が本国に引上げたる後は、又々早晩再発に至るべき儀と存候。


(以下p12より抜粋)
 扨又当国人民一般の状態を案ずるに、政府積年の弊政により、職業を励みて家産を起し、之を蓄積せんとするの企全く消亡し、若し其勤労により多少の財産を貯うる者有之候ときは、直に地方官の注目する所となり、種々の口実により之を貪ぼり取られ、其身体に迄如何なる災を及ぼすことあるやも測られ難き次第に付、人々自然に惰弱の習慣を養成し、唯僅に其口を糊し雨露を凌ぐを以て足れりとし、赤貧洗うが如きを以て最も安全の策なりと考え、偶ま多少の資産を貯うる者があるも、務めて之を秘密にし、家屋衣服の如きも可成之を質素にして、故らに貧困を装うの有様に御座候得ば、百般の農工商業は悉く萎靡して少しも開発すること無之候。